〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


「アイルさん、しっかりして下さい」
 イルミナに抱きかかえられたアイルに声はないが、その鋭い眼差しは未だに衰える事は無かった。
 大いなる奇蹟を顕現する古の禁術”MAHAMAN”の副次作用とでもいうべき強制ドレインにより、極度の憔悴状態に陥ったのである。
 アイルの纏う蒼色のゴシックドレスの胸元は、彼女自身の夥しいまでの出血によってドス黒く染まっていた。
 そして、それが蒼白としたアイルの顔の色と相まって、見るからに痛々しく感じる。
「……大丈夫よ。この程度…ね」
 彼女の身を支えるイルミナと、段上から一直線に駆け下りて来るデュオの顔を見比べるようにそっと微笑む。
 その表情はとても穏やかなものであったが、その瞳には狂気に似た複雑な感情が渦巻いている。
 すぐ側で様子を窺っていたイルミナは、ふとそんな風に感じた。
 それと同時に、病的なまでに青白い肌と真紅の鮮血に彩られたアイルのその姿に、同姓でありながらも心を奪われそうになる。
 妖しくも儚げで、そしてなによりも美しい。
 衰弱して怪我を負った当の本人を前にして不謹慎だとは思ったが、その甘美な白昼夢のような光景に今しばし浸っていたかった。
 


第35話 『譲渡』


 メルキドは姉アイルのもとに駆け寄るデュオ達を眼下に眺めていたが、ふいに横たわる大魔術師の傍らへと踵を返す。
 そして、その亡骸の前に片膝をつくと、おもむろにローブの懐を探り始めた。
 はたして、お目当てのものは幾秒とかからずに見つかった。
 薄紫色のローブの内側から現れたそれは、玉虫色に輝くアーモンド型をした金属片だ。
 その大きさはちょうど人間の拳ほどであり、魔術の力を持つものであれば一目瞭然なまでの魔力を絶えず放出していた。
 メルキドはそれを手にとると、段下に待つ姉のもとへと歩み始めた。
 なにやら、ブツブツと呟きながら……

 黒帽子の剣士デュオは怒っていた。
 その矛先たる、当のアイルはその様子をきょとんとした表情で見つめている。
「……確かにアンタのお陰で俺達は生き延びる事ができた。その事には感謝している」
 抑揚を効かせた声で喋ってはいるが、その瞳はひどく真剣だ。
「だが、だからといってアンタ一人だけそんな目に遭う必要はないだろう? それに、さっきの呪文は生命を削って奇蹟を引き起こすとかいう禁術なんだろ。いくら相手がかのワードナとはいえ……」
「フフ、心配してくれてるの?……でもね、稀代の大魔術師ワードナをあまり過小評価しないことね」
 デュオの目を真正面から見つめ返し、真摯な表情でアイルは語りだした。
「それにね…ワードナとの戦いでは、始めからMAHAMANを使うと決めていたの。何故なら相手はそれに見合うだけの力を持ち、そしてさらに”魔除け”の加護によっても護られているのよ?」
「過小評価なんてしていない。俺はただ……」
 思わず声を荒げてしまった事を悔い、デュオは俯きがちに「すまない」と呟いた。
「……優しいのね」
 ともすれば、寂しさを感じさせるような目で視線をゆっくりと落とすアイル。
「悪名高きアース姉弟を相手に、本気で心配してくれる人なんて今まで見たこともないわ」
「そんな事ないだろう。それに俺は優しくなんかないさ」
 アイルの言葉に、いつもの”強さ”は全く感じられなかった。
 その姿からは、ひどく脆いもののようなイメージしか連想できない。
 デュオはこの時、世間が抱くアース姉弟(少なくともアイル)の風聞というものが、いかにその片側しか見ていないのかを知った。
 誰の目にも強く厳しく見えていても、それはあくまでもその人間の一面でしかないのだ。
 実際、目の前にいるアイリッシュ・アースという女性は、弱く、そして寂しい存在なのだとデュオは実感した。

 治癒魔法DIALMAによって、その傷を表面的にとはいえ癒し終えたアイルは、イルミナの肩を借りる形でなんとか立ち上がった。
 だが如何に魔法の力が多様とはいえ、出血過多による血液の不足までは癒しようがない。
 相変わらず顔色は悪く、その足取りも危うい。
「大丈夫かい、姉さん?」
 常ならば他者に対しとことん冷たいメルキドも、血を分けた双子の姉の容態はさすがに気になるようだ。
 その姉の状態を一通り確認し終えると、彼女を支えているイルミナにそっと感謝の言葉を述べた。
 排他的なメルキドが他者に礼を言うなどありえないと思っていたイルミナは、その言動に戸惑いを隠せなかったが、それだけ姉の身を真剣に案じているのだと気付き、メルキドもまた噂ほどの悪い人間ではないのだとふと思った。
「血を失いすぎたようね。しばらくは任せるわ」
 アイルのその言葉に、メルキドは無言で2、3度頷いた。
 そして、何かを思い出したようにデュオの方に向き直ると、唐突にその手にしたアーモンド型の金属片を放り投げた。
 デュオは反射的にそれを掴むと、にわかに首を傾ける。
「なんだ、これは?」
 そう問うと、メルキドはいつもの皮肉気な笑みを浮かべた。
「お前達にやるよ。僕等にとってはそれほど興味がないんでね」
 それだけ言い残すと、再びワードナの斃れる段上に向かい歩み去っていく。
「ん、これは……まさか!?」
「フフ、どこかの君主様がとても欲しがっている”ガラクタ”よ」
 冗談めかして答えるアイル。
 その言葉に、彼女の身を支えていたイルミナは一瞬、腰が抜けそうなほどに驚き慌てふためく。
「そ、それって、やっぱり”魔除け”……ですよね?」
 動揺を隠し切れないイルミナの台詞を、無言で肯定するアイル。
「ちょっと、待て。それじゃ、アンタらは何の為にこんな所まで来たんだよ? 『悪の魔術師を退治しに来ました』なんて言わないよな?」
 姉弟のそのあまりにも訝しげな行動に、不審さを禁じえない二人。
 ましてや、悪戒律の姉弟が見返りのない行動などとるだろうか?
 困惑する二人を見ていたアイルは、その疑問はもっともだとばかりに頷き、段上の玉座を指差す。
「あそこまで…メルキドの所まで連れて行ってもらえるかしら?」
 そうイルミナに告げると、さらにこう付け加えた。
「そこにこそ、私達の本当の目的があるのだから……」


 

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