〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 ガラガラガラ…
 そう遠くないどこかで、長大な鉄鎖が巻き上げられる独特の金属音を発しているようだ。
 よく耳を澄ませてみると、ブゥゥゥン…という、くぐもった機械装置の作動音も聴き取れる。
 強大な魔法力によって支配されるこの迷宮内にあって、それらは明らかに異分子とも呼べる存在であった。
 トレボーの親衛隊がワードナ討伐隊を送り込む際に設置した文明の利器─昇降機。
 その昇降機が作動している…即ち、何者かがこの場に近づきつつある事を、ユダヤは察知した。

 ここは大魔術師ワードナが築きし大迷宮の地下第9層。
 中層域から通じる昇降装置が設置されている地点より、わずかに数ブロック移動したに過ぎない近場。
 ワードナの潜む最下層へと唯一通じるシュート・トラップが施された玄室。
 そして、最強の”魔人”と死闘を繰り広げた場所。

 満身創痍で動く事すらままならないユダヤのもとを訪れるのは、彼に対して友好的な存在だろうか?
 それとも……
 


第37話 『終焉の刻、来たりて』


 それまで床石伝いに響いていた昇降機の作動音が停止した。
 その数秒後には、再びその動作を再開する。
 ガラガラガラ…
 巻き上げては下ろし、巻き上げては下ろし。
 連続して稼動する昇降機の音は、この階層へと大人数の者達を運んでいる事を意味していた。
 そして、その者達がこの迷宮の構造を熟知しているとしたら、間違いなくこの玄室へと大挙してやって来るだろう。
「クソが……何なんだよ、一体?」
 そう呟きながらも、ユダヤは傍らの村正を手元へと引き寄せた。
 ガラガラガラ…
 恐らくは搭乗人数ギリギリを吐き続けているであろう昇降機の連続稼動も10回に達しようとしている。
 それに伴ない、複数の人の気配を感じ始める。
 心なしか号令の様な掛け声や、軍靴の踏み鳴らす音さえ聴こえてくるようだ。
「……トレボー親衛隊だと!? 何故、今頃になって奴等が?」
 誰にとも無く独りごちては、なんとか立ち上がろうと力を振り絞る。
 その無理が祟ったのか、負傷した脇腹から血が滲み始める。
 それと同時に、抗い難いまでの虚脱感がユダヤを襲う。
 冷え切った指先は激しく震え、その視線は既に焦点を結ぶ事すらかなわない。
 瞬間、目の前が闇に閉ざされると、杖代わりの村正を掴む事すら出来ずに、その場に崩れ落ちた。

 それもそのはずだろう。
 迷宮に踏み込んでからの激闘の数々。
 獰猛なる毒巨人の毒素をその身に浴び、続く”魔人”との死闘ではおよそ致死量に近い出血を余儀なくされたのだ。
 それらの一つ一つが、どれを取っても致命的なダメージであることは誰の目にも明らかなほどだ。
 この瞬間まで生命を繋ぎとめていた事のほうが、よっぽど不思議であろう。
 そして、とうとうその身は崩れ落ち、ついには視界さえもが闇に閉ざされたのだった。

 不意に訪れた闇の中、動く事も許されないユダヤは、それでも取り落とした村正をその手に握り締めようとした。
 いや、もはや握力すら消失している彼にとっては、愛刀に触れたと言った方が正しいのかも知れない。
 遥か地の底の暗闇を、地べたを這って懸命にもがくその姿は、普段の彼からはおよそ想像の出来ない光景であった。
 だが、光を失い五体の動きすら封じられたというのに、不思議に感覚だけは以前とは比べ物にならないほどに研ぎ澄まされているのをユダヤは感じていた。
 幾重もの石壁ごしに、そこに集う者達の躍動、息遣いまでもが伝わってくる。
 彼等が微動するたびに、擦れ合う金属板の摩擦音が響く。
 騎士鎧…それもそこにいる全ての者が、それと同じ物を身に付けている。
 それに併せ数人単位の統制の取れた足音が重なる。
 どうやら中規模の軍隊が集結しつつある事を、疑う余地はないようだ。
 やがて、昇降機が11回目の起動を終えると、ふいにその活動を停止した。
「チッ…来るのか、ここに?」
 消え入りそうな声は、迫り来る軍靴の行進によって掻き消された。
 その鉄の足並みは徐々に、そして確実にユダヤのもとへと向かっていた。
 だが、なにもトレボー親衛隊が敵と決まったわけではない。
 むしろ、上帝によりワードナ討伐を推奨されているのだから、利害の一致から考えても彼等によって救出される可能性の方が高い筈だ。
 この迷宮に挑戦する冒険者であれば、誰しもがそう考えるのが普通だろう。
 しかし、ユダヤには迫りつつある”死線”がはっきりと見えていた。
 十中八九、彼等はこの場に這い蹲る哀れな冒険者をその軍靴で踏み潰して行くだろう。
 過去4回にもわたり目的を成し遂げられずに敗退している討伐隊。
 そして、その役目を冒険者に譲って久しい。
 それが今になって、再び討伐軍を編成して迷宮へと進軍してきたのだ。
 その裏には何らかの策略(多分に一般には秘密裏とされるもの)が存在するのだろう。
 ともすれば、進軍の途に遭遇した冒険者達をみすみす見逃す筈もない。
 恐らくは、ワードナの尖兵なり他国の間者なりの濡れ衣を着せられ、抹殺されるに決まっている。
 相手が、戦闘能力を持たない瀕死の者とて、一分の容赦とてないであろう。
 ならばどうする?
 何らかの打開策を得ようと、ユダヤは思考を巡らせる。
 だが、いくら考えようとも、この状況でそんな物は存在しないであろう事は既に分かりきっていた。
 答えの見つからない深い闇の中、その意識は段々とあやふやになりつつある。
 薄れゆくその脳裏に突如、仲間達の姿が過ぎる。


 一時は瓦解しかけたパーティを、リーダーとして必死に繋ぎ止めてきたシオンには感謝している。
 本来なら、俺やヨセフの役回りなんだよな…済まない。
 ヨセフの野郎とは事あるごとに対立していたな。
 いつも悪びれた態度ばかり取るその実、誰よりも仲間の事を第一に考えていたのを俺は知っている。
 はじめは一切の感情を持ち合わせていない人形の様だったシキ。シオンや俺達との冒険を通じて、徐々に人間らしさを取り戻していった。
 忌まわしい過去の事は忘れて、シオンと幸せになって欲しいと切に願う。
 知り合って間もないデュオ。
 アイツの持つ潜在能力の高さには目を見張るものがある。剣を極め、俺を超えるのもそう遠い日の事ではあるまい。
 そして……イルミナ。
 アイツが俺に寄せる気持ちには気付いていた。
 だが、楼蘭でミユウを守り切れなかった俺には、その気持ちに応える資格なんてない。
 いつも厳しく当たっていたのも、その身に秘めた力を引き出してやりたかったから……それが俺なりの償いになると思っていた。
 だが、それはアイツを傷つけ、苦しめていただけだった。
 本当に済まないと思っている。
 できる事ならば、俺の事は一日も早く忘れて、本当の幸せというものを見つけて欲しい。

 色々あった。
 本当に色々な事があった。
 人との関わりをとっても、数え切れないほどの出会いと別れがあった。
 そして、これから先は……
 先は……

「……畜生」


 バン、というけたたましい轟音と共に、その玄室の重い扉は開け放たれた。
 その衝撃に蝶番が破壊され、その両の扉は噴煙を上げ石床の上に倒れ落ちた。
 そして、その瓦礫を踏み越え現れる鉄の一団、第五次ワードナ討伐隊はとうとう最下層への入り口にまで到達した。
 整然とした統制を誇る一団の先頭に立つ、玉虫色に輝く鎧を纏いし男が室内を一瞥する。
 その間、彼の部下であろう重装甲の兵士達は黙して直立不動の姿勢を保っている。
 指揮官ゼル・バトルの目が、室内の壁際で這い蹲るようにして微動だにしない冒険者らしき男に注がれる。
 ゼルはその男に無造作に近づくと、その者の生死を確認する。
 無論、生きているならば見逃すわけにはいかない。
 男の前に片膝をつくゼルのもとに、一人の兵士が歩み寄る。
 その肩口に施された紋様から察するに、部隊の副隊長格の者であろうか。
「閣下。始末なさいますか?」
 だが、その言葉に頭を振る。
「いや、その必要はない。既に事切れている」
 そう呟くゼルの声は酷く冷淡なものであった。

 

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