〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 アース姉弟が去ったワードナの執務室は、今や沈黙に支配されていた。
 いや、沈黙というよりは、あまりにも目まぐるしい物事にふと唖然としていたのかも知れない。
 デュオはひとり、しばしその手の内で妖しく輝く”魔除け”を見つめていた。
 この”魔除け”に秘められし力を以って、世界に対し覇を唱える上帝トレボー。
 そのトレボーのもとより奪い去りし者こそが、生ける伝説とまで呼ばれた大魔道師ワードナ。
 さらにそのワードナすら、絶大無比な魔力で打ち滅ぼしたアース姉弟。
 そして、彼等の手を渡り続けた”魔除け”が今、自分の手の中にある。
 だが、はたして自分はこれを手にするに見合うだけの働きをしたというのか?
 成り行き上、手にしたというだけで、本来そんな資格さえないのではないか?
 そんな取り留めのない自問をデュオは繰り返した。
 アース姉弟は…アイルは、何故こうも簡単に”魔除け”を手放したのだろうか?
 その視線を”魔除け”から上げ、ぼんやりと虚空を見上げる。
「……アイルか」
 そうポツリと呟いた。
 


第38話 『誰が為の戦い』


 そんなデュオの意識を現実へと引き戻したのは、パァンという乾いた音であった。
 ふと振り向くと、シオンがイルミナの頬を平手で叩いていた。
「……ユダヤの方にも非はあるけど、一応のケジメだから」
 そう言うシオンの表情は厳しくもあり、どこか辛そうな感じもする。
 頬を赤く腫らしたイルミナは、ただ「うん」とだけ答えた。
「おい、待てよ。イルミナ一人を責め……」
「お待ちを」
 その仕打ちに抗議するべく詰め寄るデュオであったが、その手をシキに引かれる。
「何故だ? 今ここでイルミナ一人を責めても仕方のない事だろ……違うのか、シキ?」
 吠えるデュオを優しくなだめるシキ。
「落ち着いて下さいまし、デュオさん」
「俺は落ち着いているさ……」
「では、聞いて下さい。シオンは…いえ、私達は別にイルミナさんを責めてなどおりませんわ」
 そのシキの一言に、デュオは激昂した。
「ここにいないユダヤを差し置いて、現にイルミナ一人を責めているだろ」
 先程までイルミナと行動を共にしてきたデュオには、それはどうにも納得のいかない理不尽なものに感じられた。
「これが俺達のしきたりだ。それにイルミナ本人も納得しているぜ……それとも、行動を共にして情でも移ったか?」
 ヨセフは冗談めかした台詞を吐くと、わざとらしく下品な笑みを浮かべる。
 対し、デュオが鋭い視線を投げかける。
「貴様……」
 デュオの呟きは冷たい。
「面白い…相手になってやる」
 そう返すと、ヨセフは腰の長剣を鞘走らせる。
 それに反応し、デュオもまた愛剣の柄に手を掛ける。
「おい、二人ともやめろ!」
「お前は黙ってろ」
 予想外の一触即発の事態を止めに入るシオンだが、ヨセフの一言によって沈黙させられる。
「やめるのなら今のうちだぜ?」
 煽りとも脅しとも、はたまた本音ともとれる台詞。
「………」
 だが、それに返答するでもなく、無言で間合を詰める黒帽子の剣士。
 ”真っ二つの剱”を水平に構え、不動の体勢で臨むヨセフ。
 対するデュオは一歩、二歩と腰を落とした姿勢で間合を詰めていく。その剣は未だに抜き払われてはいない。
 三歩、四歩……
 そして、五歩目を踏み出した瞬間、その背負う鞘から魔剱カシナートを抜刀すると、恐るべき瞬発力で飛び掛った。
 唸りを上げ迫るカシナートの刃を正面から切り結ぶヨセフ。
 共に魔力付与を施された魔法剱であり、それに加え両者とも歴戦の使い手である。
 迂闊な一撃が致命的な隙を生み、一気に窮地へと転じかねない。
 それ故に、どうしても基礎的な動きの応酬となる。
 そのまま数合打ち合った後、デュオはバックステップで一旦、間合を離す。
 飛び退きざまに一閃を加えるが、これは剣先で軽くいなされた。
「チッ…なかなかやるじゃねぇか」
 そう吐き捨てるヨセフの顔には、未だ余裕の表情が見て取れる。
 それもそのはず。ヨセフの振るう剣は、戦士や侍のものとはその意味合いが異なる。
 即ち、君主(ロード)の剣とは護りの剣。
 自らが受け手に回り防禦に専念している限りは、そうそうその鉄壁の護りが破られる事はない。
 対するデュオの剣は、攻めに特化した一撃必殺の剣である。
 敵に先んじて仕掛け、その手を封じるが為に防禦の二文字はない。
 攻撃と防禦。
 その構図は、遠い東方に広がる葦原の国に伝わる、最強の矛と楯の話を連想させる。
 曰く、極限まで鍛えあげられた攻めと護りは等しきものであると……

 再び間合が開くと、双方ともその構えを改める。
 かたや、最速の必殺剣を狙い隙を窺う。
 かたや、後の先を取るべく相手の一挙一動に集中する。
 おそらくは、次の一撃で勝敗は決するだろう。
 そこにあるのは互いの殺気であった。
 もはや、シオンやシキにはこの戦いを止める術はない。
 そして、重苦しく張り詰めた沈黙が訪れる。
 数十分か、それとも数秒にも満たないのか……だが、その凍りついた時間は突如、動き出した。
 デュオが床石を蹴り、低姿勢で駆け出す。
 反応したヨセフは身体を斜めに傾け、剣を下段前方に構える。その動作は明らかにカウンターの突き返しを狙っている。
 両者の最終激突まであと一刹那という時に、その戦いを止める者があった。
「もう、やめて!」
 突然のイルミナの叫びに、両者の剣は寸前のところで停止する。
「あたしが悪いの……あたしの勝手な行動がいけなかったの。だから…もうやめてよ」
 それは悲痛な叫びであった。
 だが、以前のイルミナとは違い、その目に涙はない。
「それに、ユダヤさんの所に行かないと……」
「……ああ、そうだな」
 イルミナの訴えにそう呟くと、デュオはその剣を鞘へと収める。
「チッ…しゃあねぇな。勝負はお預けだ」
 嫌々ながら吐き捨てる割に、ヨセフの表情は穏やかだ。
 シオンは無言でシキに頷くと、その意図を察したのかシキもまた頷く。
 そして、今日何度目かになる転移魔法MALORの詠唱を開始する。
「ユダヤの事だから無事だとは思うけど、何が起きているかは予想がつかない。みんな油断はするなよ」
「相変わらずの心配性だな、シオン? ま、俺に任せとけって」
 そう自身ありげに言い、ヨセフはシオンの背を乱暴に叩く。
 その間にも、シキの呪文詠唱は完成しつつあった。
「デュオ君…色々とありがとう」
 イルミナが小さくそう呟くと、デュオは微かな笑みを浮かべた。
「気にするな、仲間だろう?」

 部屋に閃光が満ち溢れると、そこは再び静寂を取り戻した。
 かくして、その最下層領域からは人の気配は完全に消失した。
 ……かに思えた。
 だが、その暗黒の空間に突如、皮肉気な男の声が微かに響き渡る。
「行ったようだね」
 その声に反応したかのように、今度は女の艶やかな笑い声が生じる。
「ここからが肝心ね。全ての役者に等しく見せ場は作って差し上げないと」
「全く面倒な仕事だよ。ボクに言わせれば、ただ回りくどいだけだね」
 男のその不満気な台詞に、女はさも可笑しそうに笑う。
「そう文句ばかり言うものではないわ。労力に見合うだけの物は頂いたのだから」
 囁く女の掌に、淡い瑠璃色に輝くアーモンド型の金属片が現れる。
 女が短い呪文を口にすると、パキンという炸裂音と共にその金属片から夥しいまでの魔力が噴出する。
「それにしても、”魔人”やロズの不手際は予想外だったわ。まあかえって手間が省けたというべきかしら」
「ああ、まったくだよ。特に”魔人”の奴は気に食わなかったから、赤髪の剣士様様だね」
 男が吐き捨てる様に呟く傍ら、女はふと思い出したように自分の唇をそっと触れた。
「それに、あいつらがあの”魔除け”をどうするかも見物だけど……ん、どうしたんだい姉さん?」
 突然、黙り込んでしまった姉にメルキドは訝しげな顔を向ける。
「もしかして、デュオのことかい? なんか、姉さんらしくないよ」
「……あら、何のことかしら? それよりも、そろそろ行きましょう」
 弟の追求をさらりと受け流すと、アイルはその手の”金属片”を掲げ呪文を囁く。
 メルキドは頭を掻くと、溜息を一つ吐いた。
「本気かよ……」

 

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