〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 魔術系呪文第7レベルに位置する、空間転移魔法MALOR。
 現在地と目的地の空間を歪曲させ、その両点に擬似亜空間を割り込ませ連結する。
 即ち、その距離をゼロとする禁断の術法である。

 シキの発動したMALORにより空間を跳躍するのは既に経験済みの事ではあるが、擬似亜空間を抜ける際の平衡感覚が消失する感じにはどうしても馴染む事が出来ない。
 それが、デュオ・ハインラインの素直な感想であった。
 同時に得も知れぬ不安感…嫌な予感というものが頭の片隅を占拠している。
 アース姉弟の力によりワードナ討伐を果たし、”魔除け”すら手に入れたというのに、さらに何が待ち受けているというのだ?
 そんな事を漠然と考えているうちに─実際に転移に掛かる時間は刹那ほどであるが─その身体は目的の座標軸へと実体化をはじめた。
 


第39話 『反逆』


 地下第9層の一画。最下層へのシュート・トラップが設置されたその玄室へと、空間転移を果たした一行が目にしたのは予想だにしない光景であった。
 そこそこの広さを誇る玄室内はもちろんのこと、その外の回廊に至るまで完全武装の兵士達によって埋め尽くされていた。
 彼等の内の幾人かが唱えているであろう、照明魔法の淡い燐光を跳ね返すその白銀の鎧は幻想的な光沢を発している。
 はたして、そこには確かに獅子の紋章が刻まれていた。
 そして、それは上帝トレボーのエリートガードである近衛隊に所属することを意味している。
「トレボー親衛隊がなんでこんな所に!?」
 そう呟くシオンの声は、明らかに困惑と驚愕の色を帯びていた。
「おいおい、5次討伐隊が編成されるなんて聞いてねぇぞ」
 ヨセフの言葉に反応したのか、そうでないのか、兵士達が一斉に一行を振り向くと遠巻きに警戒し始める。
 確実的な敵意こそ見せはしないものの、その足取りは着実に包囲網を築き上げつつある。
「おい、これは一体どういうことだよ?」
 吠えるヨセフの言葉も空しく、兵士達がそれに応じる事はない。
 彼等のその動きには微塵も無駄がなく、そして一片の隙すら窺い知れない。
「……どうする?」
 後方でなにやら考え込むシキに、デュオがそう尋ねた時だった。
 兵士達の群れが、まるで潮が引くかの如く左右へと分かれていく。
 その奥から現れたのは、玉虫色に輝く板金鎧に身を包んだ一人の騎士であった。
「動くなよ、冒険者ども」
 そう言い放つ声は、侮蔑に満ちた威圧的なものだ。
「近衛兵長のゼル将軍です」
 前衛に立つデュオに対し、シキがそっと耳打ちする。
「……近衛兵が何の用だ? まさか今更、自分達の手でワードナ討伐を果たそうだなんて言うんじゃないだろうな」
 近衛兵長はやや含み笑いを浮かべると、兵士達の輪を抜け一行の前へと進み出る。
「そういう事だ。いつまでたっても成果を上げぬ貴様等に、上帝陛下も痺れをお切らしになったというわけだ」
「ケッ、勝手な言い分だぜ」
 そう呟くと、ヨセフはその足元へと唾を吐き捨てた。
「フン…下郎が」
 ゼルの視線が一段と険しくなる。
「それにしても、最下層へと通じるこの区画に転移魔法で現れるとは……ただの偶然ではなさそうだ」
 ある種の確信を得たのか、ゼルが片腕をすっと上げると一行を取り囲む兵士達が一斉にクロスボウを構える。
 その後方に控える者達も、おのおの長剣や槍斧を手にし戦闘に備える。
「なんのつもりだよ? 戦う相手が違わないか、えぇ?」
「惚けるな。かの魔術師めに挑んだというのは貴様等の事であろう? 我等が知らぬとでも思ったのか?」
 ヨセフの粋がった台詞を、ゼルの怒号が掻き消した。
 直後、ゼルを含める近衛兵達から、肌に伝わる程の敵意が押し寄せる。
「教えてやろう。この迷宮に施されしは、ワードナの手による罠ばかりではないのだよ。貴様等如きが知る由もなかろうが、我等が設置した幾多もの魔法装置が常に監視し続けているのだ」
「……ワードナから奪還した”魔除け”を横取りして、上帝軍の精強さをアピールするのが狙いか」
「たわけ。近隣諸国の間者、密偵共が”魔除け”を持ち出さんとしている事は周知の上。当然の理であろうが」
 まるで相手を罵倒するかの様な物言いをする傍ら、ゼルは懐から一枚の護符らしき物を取り出すと、それを一行の方に翳した。
 すると何の前触れもなく、護符は紫色の焔を上げて灰になっていく。
 それを見るや否や、ゼルは口の端をにわかに吊り上げる。
「やはり、貴様等が持っていたのか。さあ、渡してもらおうか……”魔除け”を」
 ゼルのその言葉に、一行に緊張が走る。
 ここで”魔除け”を渡す事を拒めば、彼等は間違いなく実力行使に訴えるだろう。そして、表向きにはデュオ達は反逆者か、或いは他国の間者として処断された事になる筈だ。
 しかし、ここで素直に”魔除け”を渡したところでどうだろう?
 ワードナを討伐し”魔除け”を奪還せし功績は、ゼル将軍以下親衛隊のものとなるであろう。
 そして、その事実を知る一行が無事に開放される保障などどこにもない。
「クソッたれが……やる事が汚な過ぎるだろう?」
「フッ…さあ、どうする?」
 ゼルが一歩を踏み出す。それに呼応し、一行を包囲する兵士達も一歩進む。
「シキ、MALORで飛べるか?」
「さすがにこの乱戦では……」
 囁きかけるシオンに、シキは静かに頭を振る。
「こうなったら、やるしかないだろう。シキ、相手の飛び道具だけでも無効化してくれ」
 ヨセフは振り向きそう呟くと、腰に提げた”真っ二つの剱”に手を掛ける。
 その様子を見て、デュオが小さく舌打ちをした。
「つくづく最低なパーティだな」
「そう言うなよ。これでも”最低”にならないように苦労してるんだからさ」
 懐から数本の鎧通しを抜きつつ、シオンが苦笑いを浮かべる。
 デュオは両の掌を開くと、肩を竦めて溜息を吐く。
「……こんな素敵な仲間達に引き合わせてくれて感謝してるぜ、シキさんよ」
 その返事の代わりに、シキは一行を包む暖かい護りのオーラで応えた。
 僧侶系呪文のBAMATUである。
 しかし、いつの間に呪文祈祷を始めたのであろうか。
 中位レベルの魔法とはいえ、今の呪文完成速度は尋常な速さではない。
 ちらりとシキの顔を覗くと、その瞳に宿る眼光はいつものものとは明らかに違う。
「敵は目前…油断なきよう。宜しいか、デュオ殿?」
 そう呟くシキの表情には、アイルに通ずる厳しさのような雰囲気が窺える。
 その変化に反応したヨセフが、軽快な口笛を鳴らす。
「ヘッ…姫のお目覚めか。実にタイミングのいい事で」
「喋る暇あらば、働きを見せてたもう」
 手短に答えると、シキは再び呪文詠唱に入る。だが、その紡ぎだす言霊は普段聞きなれた呪文形式の物ではない。
 その様子がひどく気に掛かるデュオであったが、背負う剱に手を掛けると目前の脅威に集中する。
 そして、視線こそ前方に固定したまま、数歩後方で構えるイルミナに気を配る。
「イルミナ、やれるか?」
 デュオの言葉に、イルミナもまた視線を動かさずに応える。
「もちろん」

 その敵対意思を示した一行に対し、ゼルは苛立ちの念を抱くと共に、全身の血が滾るのを感じていた。
 前線を退いて久しいゼルにとって、この一戦は実に待ちわびたものであったからだ。
「よかろう。偉大なる上帝の紋を胸に死ぬがいい」
 そう高らかに謳うと、右手に構える奇怪な武器を前方に掲げた。
 それは細身の剱の先に3枚の刃が放射状に取り付けられた、本当に奇妙な武器であった。
 そして、ゼルが戦闘の開始を告げると同時に、こともあろうかその刃は音も無く回転を始めた。
 あたかも、削岩機械のようなその奇剱もまた”カシナート”と呼ばれる魔剱の一振りである。

 

NEXT  BACK


前のページへ