〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


「そ、そんな……ユダヤさん!」
 突如、視界に飛び込んできたユダヤの変わり果てた姿を見るや、イルミナはTILTOWAITの高熱が未だ冷め切らぬ玄室を横切り駆け出した。
 その動きに反応したゼルがその矛先を転じようとするが、デュオの牽制によりその機を逸したようだ。
 玄室外の回廊にて待機している後続の兵士達も、その突然の出来事に唖然としている。
 それらが要因によって、イルミナは何者の妨害も受ける事なく、微動だにしない赤髪の男のもとへと辿り着いた。
「ユダヤさん!」
 すがるような目でユダヤの身体を揺らしてみるが、しかし返事は無い。
 両目を閉じたその顔に苦しみの表情は感じられない。だが、その全身は無残なまでに傷ついている。
 着衣を侵食する赤黒い染みは限界までその範囲を広げ、元の服が何色であったのか窺い知れぬような有り様だ。
 特に胸と両脇腹に受けた傷は凄惨さを極め、そのどれもが致命傷となるものである。
 そして、ユダヤの生命力を削り取ったのは外傷によるものだけではなかった。
 首筋から右上腕部にかけて肌とその内面が紫色に近い不気味な色に変色していた。
 おそらくは毒巨人より受けた毒素が完全には抜けきっておらず、再びその感染範囲を拡大していったのであろうか。
 これだけの状態に陥り、はたしてまだ息があるのか否か。それは誰の目にも明らかであった。
 


第41話 『汝、妖刀を手に』


 どれだけ呼べども、なんら反応を見せぬユダヤを前に、イルミナは目の前が暗くなっていくのを感じた。
 半年前、故郷のアルマールで起きた古代皇帝墳墓での一連の騒動。
 幼少の時期より剣を学んできたイルミナにとって初の迷宮探索。
 血気盛んな少女には怖い物などなにもなかった。
 自己過信……転じて窮地に陥る。
 そんな彼女に救いの手を差し伸べたのが、当時アルマールを訪れていたユダヤであった。
 ユダヤやシオン達の活躍により街に平和が戻ると、彼等は高位騎士の称号を辞退しアルマールの地を後にした。
 そしてイルミナもまた、ユダヤに対する恩と、その剣に対する尊敬の念と、淡い憧れの気持ちを抱き故郷の地を旅立つ。
 それから半年の間、ユダヤと共に諸国を渡り歩いた。
 時には楽しく、時には辛い道のりであったが、その間ユダヤより教えられた事は今でもイルミナにとっては大切な宝物だ。
 そのユダヤが目の前に静かに横たわる。
 神学の発達と共にその軌跡の力がより強大なものとなった昨今、高位聖職者の祈祷により死者をも蘇生が可能となった。
 この世界に於いては、死すらももはやバッド・ステータスの一つでしかない。
 それはわかっていた。
 だが、イルミナには何故かもうユダヤとは話す事が出来ない…そんな予感がしていた。
「……ユダヤさん」
 呟くイルミナの目には涙はない。
 そして、その表情には生気が失せかかっていた。
 その時、呆然と佇むイルミナの背後に背の高い影が覆い被さる。
「大丈夫だ、まだロストしちまったわけじゃねぇ」
 擦り切れた司祭服を纏うロード、ヨセフは励ますようにそう呟いた。
「取り敢えずはカント寺院まで連れて行かないとな。なぁに、俺のコネを使えばなんとかなるさ」
 イルミナを気遣うその言葉に、ただ「うん」とだけ頷いた。
 その様子に心を痛めたヨセフは、辛辣な表情を浮かべながらそっと彼女を見守る。
 そして静かに瞼を閉じる。再び開いたそこには激しい怒りが渦巻いていた。
 ヨセフはその視線を以ってゼルを凝視する。
「テメエがやったのか?」
 それは低く暗い、一切の感情を押し殺したそんな声だ。
 問い掛けに対し、ゼルはデュオとの間合を十分に取るとヨセフを一瞥する。
「フン。我等がここに辿り着いた時には、既に事切れておったわ。もっとも…生きていたとしても、結局は同じ結末であったろうがな」
 さらに、「それは貴様等にも当てはまるがな」と付け足した。
「上等だぜ!」
 吐き捨てると、”真っ二つの剱”の切っ先を軽く振るわせる。
 しかし、その様子に怯むでもなく、ゼルは次なる号令を発した。
「第二波、重装槍騎兵(アームドランサー)前へ」
 その指示に導かれ、それまで玄室外で待機していた部隊の一部が、その重々しい歩を進める。
 先程までの近接剣撃に重点を置いた中量騎士とはうって異なり、超重装甲を着込んだアーマーナイトの一団だ。
 手にせし得物は徒歩戦闘に重きを置いた短ランス。その貫通力、破壊力は計り知れない。
「チッ…奴等、本気で戦争と勘違いしてやがる」
「あんなのが相手じゃあ、剣なんて通用しないぞ。シキもこんなだし……どうする?」
 にわかに迫りつつある鉄(くろがね)の山と対峙するヨセフの背後からシオンの声が飛ぶ。
 焦燥感に苛まれたような悲痛な声音だ。
「どうするって、やるしか……ゲッ!?」
 進路上にヨセフ達を捉えた重装槍騎兵達は、その禍々しい輝きを放つ騎兵槍を前方に向け、地面と水平に固定すると深く腰を落とした。
 それはまさしく突撃(ランス・チャージ)の構えである。
 一度走り出したら、たとえその途中で生命を落としたとて、勢いの乗った超重量の鉄の塊は止まらない。
 ましてや、この死の突撃を阻む術などヨセフにはあろうはずがない。
「くそったれが……こうなっちまうとLOKTOFEIT以外にこの状況を打破する方法はねぇか?」
 LOKTOFEITとは高レベルの強制帰還呪文であり、唱えた者とその仲間を一瞬のうちに地上へと転送する効果をもつ。
 ただし、この恩恵に与れるのは対象となる”人体”のみであり、その装備品や所持する物の一切はその効果外とされる。
 わかりやすく説明すると、この呪文によって転送された者達は、素っ裸の状態で迷宮外に放り出されるのだ。
 だが、通常の魔物との戦いならばいざしらず、今回の相手は上帝トレボーの親衛隊である。
 そして、迷宮外…つまり地上は彼等の支配領域のど真ん中なのだ。
 そんなところに何の装備も持たずに飛び込むのは、まさしく自殺行為。
 一行が無事に帰還するには、やはり目の前の軍勢を全滅させるより他なかった。
「それとも、治癒の力を攻撃魔力に転ずるか……」
 誰に聞かすでもなく、小さく呟く。
 そこからのヨセフの判断は早かった。
 主神カドルトへの祝詞から始まる一連の言霊を刻み、それと共に奇蹟を請う祈祷を捧げる。
 僧侶呪文に於ける”呪文詠唱”は魔術師のそれとは大きく異なり、魔力収束の魔方陣を用いる替わりに神への祈りによって成される。
 それ故に、術者がどのような呪文を使おうとしているのかを判別する事はできない。
 この時、ヨセフがその使用を試みたのは、敵の一団に神罰を下す最高位の攻撃呪文MALIKTOであった。
 威力こそは最強の魔術系呪文TILTOWAITに劣るものの、それでも並みの攻撃呪文を遥かに凌ぐ力を秘めている。

「もっとも…生きていたとしても、結局は同じ結末であったろうがな」
 近衛兵長ゼル・バトルのこの台詞を聞き、イルミナはある種のわだかまりを感じていた。
 ゼル達の目的は”魔除け”の奪還だ。
 それは大魔術師ワードナからの奪還?
 いや、それは必ずしもそうとは限らない。
 もしも冒険者達がワードナを討伐したのであれば、その者達に汚名を着せ”魔除け”を力づくで取り上げる。
 要は自らの手によって”魔除け”を持ち帰る事ができればいいのだ。
 そして、その事実が口外されるのを防ぐ為に、その冒険者達には口封じを成すのであろう。
 近衛兵長ゼルは親衛隊がこの場に辿り着いた時には、すでにユダヤは事切れていたと言った。
 勿論、それが本当かどうかなんて甚だ疑問である。
 だが、生きていたとしたら、結局は彼等の手によってユダヤは殺されたのであろう。
 ならば、ユダヤを亡き者としたのは彼等も同じではないであろうか?
 そうであるのなら……
「…あたしは戦います。そして無事に寺院まで送り届けます」
 無言で横たわるユダヤに対し、力強く語るイルミナの瞳には強い決意が感じられた。
 手にした愛刀”童子斬安綱”を左手に持ち替えると、右手にはユダヤの傍らに佇む”妖刀村正”を握り締める。
 ”童子斬”が秘めし破邪の力と、”村正”が放つ禍々しき妖気。
 この拮抗した二極の力がイルミナの氣と同調していく。
 その場にすっくと立ち上がり、威風堂々と真正面から敵を見据えるその姿は、先刻までのイルミナからは想像もつかない。
 行く手を睨むその双眸は草原の狩猟動物が如し。
 その身に纏いし氣の結界には、一片の隙すら窺えない。
「アルマール公国武門頭ガゼル・ロアが一人娘、イルミナティ・ロア…参る」
 高らかに口上を述べると、砂上の疾風が如く駆け出すイルミナ。
 それを蹂躙せんと、重装槍騎兵の地軸を傾けんばかりの突撃が開始される。
 かくて、この地に砂の国の武神が降臨した。

 

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