〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 勝負は早々と、それも一方的に終わるものと思われた。
 それは誰の目にも明らかだったはずだ。
 かたや、トレボー親衛隊が誇る重装槍騎兵部隊。
 かたや、村正と童子斬を手にしたとはいえ、いまだ未熟な侍の少女。
 大地を揺るがし蹂躙せんと突撃を開始する重装槍騎兵達。
 その群れの中へと単身突入していくイルミナ。

 そして、その場にいた者達は目撃者となる。
 砂漠の民、ロア家が数百年にわたり受け継いできた、”死”という名の華麗なる舞踏の……
 


第42話 『暗剣舞踏』


 迷宮下層に立ち込めるカビ臭い空気を掻き混ぜて、その奔流すら孕むかのような長大な鋼の塊が繰り出される。
 その攻撃の速さは勿論のこと、本来鈍重であるはずの重装兵の動きも、並みの冒険者のそれを遥かに凌駕していた。
 しかし、イルミナはその鋭い穂先を右手の村正のみで受け流すと、半身を捻り左手の童子斬を重装兵のアーメットヘルムの顎下に滑り込ませる。
 それと同時に、先の村正にて次の重装兵の装甲を、まるで紙切れを凪ぐかのように両断。
 この始めの一回転で二人。
 やや屈んだ体勢から勢い良く立ち上がると、腕を右に振り、そして左に振る。
 イルミナが通り抜けた跡には、ただ鉄の塊が横たわるのみ。
 その時、そのイルミナの前に、ひときわ巨漢の男が立ち塞がる。
「小癪な女風情がぁぁー」
 轟雷の如き叫びと共に、大男がその得物を水平方向に一閃する。
 ぐおぉぉぉん。
 大気を引き裂く唸り声を上げ、目前に迫る騎兵槍。
 身軽さが身上である忍者でさえも、容易に捉えるであろうその疾風迅雷の突きに、しかしイルミナは少しも躊躇う事なく”舞踏”を演じ続ける。
 軽やかなる跳躍。
 それは見る者の魂すら揺るがす光景。
 なんと、超音速の域に達する鋼鉄のランスの上に飛び乗ると、その頭上より振りかぶった村正を一直線に振り下ろした。
 頭部損壊。
 吹き上がる鮮血、飛び散る脳漿。そして剥離し砕け散る頭蓋骨の破片。
 それらが無機質の空間にモザイクのアートを描く時、既にイルミナの姿はそこにはなかった。
 大男の後方。つまりイルミナはさらに前方へと跳躍し、両膝を折り大地に舞い降りる。
 無論、刹那ほどの猶予すらなく重装兵の攻撃が降りかかる。
 かくして、鋼の塊がイルミナの頭部を破壊するか……否、その直前に両脚を失った兵士はバランスを保つ事すら適わず。
 そして、冷たい床石の上に堕ちた時には、既に喉元を刺し貫かれ絶命していた。
 この間にさらに四人。
 おそらくは数秒と経たぬ内に、トレボー自慢の精鋭部隊はなす術なく一方的に屠られていった。

 はたして、華麗に”死”を舞う少女の瞳には光がない。
 それはまるで、全ての希望が深淵の闇に呑み込まれたかのように虚ろだった。
 その頬に滴る返り血を拭く事すらなく、ただひたすらに殺戮を求め続けている。
 だがそれは、わずか16歳の少女が興じるには、あまりに残酷すぎる光景であった。

 暗剣舞踏ダンスマカブル。
 それはアルマールの武門、ロア家に代々伝わる死の舞踏。
 古の世より、永きにわたりロア家の第一子(産まれてくる子の男女を問わず)によって伝えられ、だが決して使う事は許されない禁断の殺戮剣である。
 そして、この業の習得と発動には優れた剣士の才覚と、高い魔力が同時に要求された。
 それ故にロア家血族は(業の継承者は勿論の事)侍職に就くことが半ば義務付けられていた。
 件の業の凄まじき力は語るに及ばず。
 また、ひとたび発動すれば其の者の精根尽き果てるまで終わる事のない、殺戮の舞踏が延々と繰り広げられるのだ。
 さらに、この業の本来の攻撃性を損ねない為に(人間的な感情が業の冴えを鈍らす)魔法的な暗示により強制的にトランス状態へと移行する。
 このため、暗剣舞踏発動中のイルミナには自我というものが欠落していた。
 彼女の前に立ち塞がる者はたとえ仲間ですら、なんの躊躇いもなく斬り捨てるであろう。
 なお余談となるが、この業の原型は遠くアースラマの地に息づくサディーク族が秘儀”天舞紅塵”と同一の存在と伝えられている。

 そして、イルミナの殺戮の舞は、敵対する者が完全にいなくなるまで、遂に止む事はなかった。
 全身は相手の返り血に染まり、その漆黒の黒髪にさえヌルリとした赤色が纏わり付いている。
 その愛刀、童子斬は無残にも刀身半ばで折れ、ユダヤから拝借した村正だけが妖しげに煌いていた。
 それはあたかも、大量の生血を吸いその力を増しているかのように……

 ニ刀を握る両腕をだらりと垂らし微動だにしないイルミナが、その頭(こうべ)をゆるりと持ち上げる。
 光を宿す事なき双眸が、回廊にて待機する上帝の兵隊をその視界に映し込む。
 その血塗られた舞い手に一切の感情はない。
 すると、遂に堪え切れなくなった兵士が恐怖と共にその場を後ずさる。
「う、うわあぁぁ…バケモノだ」
「逃げろっ、殺されるぞ!」
 兵士達は口々に奇声じみた叫びを上げると、上官であるゼル・バトルの制止を無視して次々に逃げ出していった。
 はたして、これが上帝の誇るエリートガードの立ち振る舞いであろうか?
 昇降機付近では大挙して詰め掛けた兵士達によって混乱が生じているようだ。。
「クッ…認めん、このような事を認めるわけにはいかん!」
 上帝より討伐隊の指揮権を与えられた自らの命令を無視し、勝手に逃走を始めた部下達に対しゼルは憤りを感じた。
 そして、目の前で起きた信じがたい光景を懸命に否定した。
 ゼルが下賎な者と蔑んでいた冒険者によって、栄誉ある上帝軍が今まさに壊滅しようとしている。
 本来、この作戦は己の地位向上を図るために、カント寺院高司祭ホークウィンドの入れ知恵で実行したはずだ。
 それがこの有り様では、地位向上どころの話ではない。
 下手をすれば、彼自身の首が飛びかねないだろう。
 かくして、近衛兵長ゼル・バトルのアイデンティティは完全に崩壊した。

 死の舞踏を終え、全ての精気を失った少女は声もなく立ち竦む。
 虚空を見上げるその顔は、まるで蝋人形のように無表情だ。
 そして、その希望を失くした瞳からは、静かに、止めどなく涙が零れ落ちていた。
 声もなく……
 感情すら持たずに……

 

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