〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 静かだった玄室に響き渡る喧騒は、明らかにその意味合いを変えつつあった。
 即ち、戦いに逸る鼓舞なる歓声から一転、今や喚声を上げ逃げ惑う者達の姿がそこにはあった。
 それはとても、上帝トレボーのエリートガードがとる行動とは思えなかったが、これこそが最下層へと足を踏み入れた冒険者の強力さを物語る証明でもあった。
 だが、部下達が敗走する中、近衛兵長ゼル・バトルは未だにデュオと対峙している。
 己の力量に対する絶対的なまでの自信の表れか。
 はたまた、その立場上、単に引っ込みがつかないのであろうか。
 ともあれ、苦しい戦いはしばし続く予兆を見せていた。

 そして、デュオら一行が無事に地上に帰還を果たすためには、ゼルの背後で逃げ惑う近衛兵達を全滅させなければならない。
 たとえ一人たりともとり逃がし、上帝の耳にデュオ達が”魔除け”を所持している事を知られてはならないのである。
 仮に”魔除け”をトレボーに献上したとて、その親衛隊と刃を交えた者が無事でいられるはずが無いのだから……


第43話 『特攻』


「まずいぞ。奴等が逃げる」
 意識を失い倒れ伏すシキの傍らで、しゃがみこんだシオンが声を張り上げる。
 だが、デュオはゼルと対峙している。イルミナに至っては、まるで死んででもいるかのように何の反応も見せない。
 残る頼みの綱のヨセフは、イルミナのもとに駆けつけるべきか、目前の敵を追撃すべきか考えあぐねていた。
「イルミナの事はオレがなんとかするから、ヨセフは奴等を頼む」
 ヨセフの躊躇いを察したのか、シオンが立ち上がりつつ叫ぶ。
「ケッ…ちっとばかし回復が遅れるが、悪く思うなよイルミナ」
 抜き身の”真っ二つの剱”を引き摺りながら、ヨセフは一足飛びに敗残兵へと駆け寄る。
 その側面を突かんとゼルの奇剱カシナートが襲い掛かるが、デュオが素早く反応しそれを受け流す。
 そして、返し刃でゼルに打ち込みを行うものの、やはり”聖なる鎧”の堅固な防禦障壁の前に弾き返される。
「……ハンパじゃないな」
 デュオが忌々しげに呟くと、ゼルは苦笑を漏らす。
「当然だ」

 奇剱の脅威から脱すると、ヨセフはそのままの勢いで相手の背後より斬りつける。
 予想だにしなかった突然の斬撃を受け、己の身に何が起きたのかすら理解せぬまま崩れ落ちていく。
 それは、善の戒律どころか人の道すらも明らかに反する行動ではあるが、場合が場合だけに、もはや奇麗事など言ってはいられない。
 躊躇する事なく、ヨセフはその一方的な攻撃を続けた。
 中にはヨセフの奇襲に対し応戦を試みる者もいたが、もとより逃げの行動に専念していたのだ。そうそう瞬時に行動を切り換えられるはずもない。
 結局、その得物を構える間もなく頸部を切断された。
 ヨセフの”殺戮”は続いた。
 だが、相手を一人屠る間にも、昇降機がこの階層へと下降する機械音が大きくなりつつある。
 昇降機が到達してしまえば、この逃亡兵達は一目散に地上を目指すだろう。
 そして、それに追いつく術はヨセフには残されていない。
 そのリミットは、おそらく数秒とないだろう。
「畜生、どきやがれっ!」
 咆哮一閃、ヨセフは逃げ惑う近衛兵達の最前列への決死の切り込みを決意した。
 それは極めて危険な行為だが、最前列を押さえ込まない限り、この”戦い”に勝ち目は無い。
 だがそれは、それまでとは逆に自分が敵に対し無防備な背を晒す事を意味していた。
「オラオラオラァァーー」
 まるで悪鬼羅刹が如き勢いで剣風を巻き起こし、それに比例する数の生命を”真っ二つ”に斬って捨てていく。
 しかし、無理矢理に敵陣突破を敢行するその背中に、遂に近衛兵の恨みの刃が振り下ろされる。
 鈍い音と共に激痛が走り、鮮血が滲み始める。
 厚手の法衣と銀製の胸甲に身を包んでいるとはいえ、基本的にヨセフは軽装備である。
 だが、その勢いを衰えさせる事なく、ヨセフはなおも特攻を続けた。
 受けた傷は決して浅いものではないだろうに……
 そんな乱戦の最中、昇降機を吊り下げるワイヤーの摩擦音と、動力を伝達する歯車に絡まる鉄鎖の引き伸ばされる音が振動となって肌に伝わってくる。
 もう、時間がない。
「クソ、時間がねぇんだ…死ねよ、オラァァー!!」
 既に上半身を返り血と自らの血に染め、半狂乱と化したヨセフがいよいよ中央突破を果たし、その最前列へと踊り出る。
「ヘヘ…ここから先へは、一歩たりとも進ませねぇぞ……!?」
 振り向きざまにそう叫ぶヨセフの腹部を、長柄の鉄槍が容赦なく刺し貫く。
「がぁっ……」
 口から大量の血を吐き散らし、全身を激しい痙攣に打ち震わす。
 手負いのヨセフへと殺到する近衛兵達は、自らの生に必死にしがみつこうとしている。
 追い討ちとばかりに、ヨセフに痛恨の残撃が叩き込まれる。
 膝をつきゆっくりと崩れ落ちるヨセフの耳には、その時なぜか女性の美しい旋律が聴こえたような気がした。
 歌うような、祈るような、そんな合唱…そう、合唱だ。
 しかも、それは一人だけによるものではない。
 複数の…それも若い女の声だ。
 そして、ヨセフはこの聖詩に心当たりがあった。
「これは…神聖魔法の……」
 消え入りそうな声でそう呟くと同時に、とうとう昇降機がこの階層へと到達した。
 既にヨセフなど眼中に無いのか、近衛兵達がその扉の前へと蟻の如く群がる。
 そして、遂にその鉄扉が静かに開け放たれた。

 

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