〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 己の部下達の全滅を察したゼル・バトルは戦慄していた。
 なぜならそれは、到底信じられない、予想だにもしなかった事態であったからだ。
 近隣諸国にその名を轟かす上帝トレボーのエリートガードが、如何に不慣れな地下迷宮での戦いであったとはいえ、人的物数で遥かに劣る在野の冒険者に敗れ去ったのである。
 そして、この部隊を指揮していたのは勿論の事、迷宮への進軍を上帝に注進したのは、他ならぬゼル将軍本人なのだ。
 親衛隊全滅の事実が上帝の耳に届けば、ゼルは確実にその責を問われる事になるだろう。
 何しろこれだけの失態だ。
 おそらく、極刑は免れないだろう。

 ならば、それを償う術は唯一つ。
 即ち、眼前の剣士から”魔除け”を奪取するのみ。

 覚悟を決めると、近衛兵長ゼル・バトルは唸りを上げる奇剱カシナートを無言で構えなおした。


第45話 『喪失』


 その時、玉虫色の光沢を放つ”聖なる鎧”が、一際強くその輝きを増した。
 それと同時に、ゼルは己の負った傷が癒えていくのを感じた。
 対する黒帽子の剣士、デュオの懐に佇むアーモンド型の”魔除け”もまた、淡い燐光を放ち始める。
 ヒーリング効果を備える魔具を持つ者同士の戦いは、ある意味不毛と考えられた。
 既に半刻ほど対峙しているというのに、両者ともほとんど外傷が見当たらない。
 互いに何合も打ち合い、何度も手傷を負わせた筈であったが、それらの魔力によって治癒されていたのだ。

「上帝は……」
 それまで終始無言であったデュオが、唐突にその口を開く。
「ん?」
「上帝は、何故それほどまでに”魔除け”を求める? 己の領民を見捨ててまで執着する程のものなのか?」
 眼光鋭く、その言葉を叩きつける。
 その脳裏には、トレボーに見捨てられ、他国の軍に蹂躙される故郷の街並みが思い浮かぶ。
「知れたことを……広大な領地の一部を蛮族共に奪われたところで”魔除け”すら再び取り戻せば、それを補って余りあるだけのモノを手に入れられるだろう」
 感情を抑制して淡々と台詞を紡ぎだすゼル。
 だが、辺境地域を切り捨てた事を、誰よりも異を唱えていたのはゼル自身である。
 しかし、その”魔除け”のもたらす恩恵を誰よりも見知っていたゼルには、トレボーがこれほどまでに”魔除け”に執着するのも理解できる事であった。
 それらの複雑な念を呑み込み、一喝する。
「冒険者風情が勘ぐるべき事柄ではないわ! 全ては上帝陛下の御心のままに取り計らわれる。それが、国というものであろうが」
 そう啖呵を切るゼルの姿勢は至極当然と言わんばかりに、堂々とした自身に満ち溢れている。
「傲慢な為政者めが……」
 吐き捨てると、デュオが疾風の如き斬撃を繰り出した。
 打撃力に欠ける剣撃であれ、充分なスピードの乗った大上段の一撃は重装鎧すら叩き割る事がある。
 ましてや、それが達人による一撃であるなら、文字通り一撃必殺となる事すら珍しい事ではないのだ。
 そんな必殺の威力を帯びた抜き打ちがゼル・バトルへと放たれた。
 勿論、それに反応できぬゼルではない。
 だが、”魔除け”奪取にしか己の死活を見出す事の出来ないゼルには、防禦よりも攻撃こそが最も必要とされる行動であった。
「政事を微塵も理解せぬ小僧めが、知った風な口を叩くか!」
 そして、魔剱と奇剱が交差する。
 刹那、魔剱はゼルの”聖なる鎧”を、その肩口から胸部にかけての装甲をかち割った。
 奇剱もまたデュオの革鎧を喰い破り、その内包物を中空へとぶち撒けた。
 否。
「な、何だそれは……」
 己の受けた傷を厭わず、ゼルは驚嘆の声を張り上げた。
 デュオの懐から零れ落ちたのは、その血肉ではない。
 それは、割れた花瓶の破片よろしく、奇剱の一撃により破砕された”魔除け”の残骸であった。
 その証拠に、破片となってもなお弱々しき癒しの光を放っている。
「そんな…ありえん事だ。神聖なるオリハルコンによって構成される”魔除け”が砕け散るなど、そんな馬鹿な話があってたまるか!」
 ”魔除け”を砕いた確かな感触が残る掌をわななかせ、ゼルは一歩後ずさる。
「これでは…これでは陛下の期待を裏切るどころか、その御身に弓引くも同然ではないか……」
 見開かれた眼はその焦点が合っていない。
 はたしてその全身は、誰の目にもはっきりと見て取れる程に震えている。
 玉虫色の鎧が紅く染まりつつある事ですら、今のゼルにはどうでもいい事であった。
 やがて、その顔には恐怖を通り越した狂気の表情が浮かび上がる。
 足元に楯を取り落とすと、不意に笑い出す。
「うははは……そうだ、こんな所にいつまでもいる訳にはいかんな」
 誰にともなく呟くと、身に付けた転移の兜を手にする。

「まずい、転移の兜を使うつもりだ!」
 折りしも、玄室内に飛び込んできたカシュナが叫ぶ。
 それに反応したシオンが短剣を投じるが、その刃は既に薄れつつあるゼルの残像をすり抜けていく。
 そして、蜃気楼のように揺らめきながら、掻き消えていった。
 数ある魔具のうちの一つ”転移の兜”には、魔術系呪文最高レベルの転移魔法MALORの力が封じられている。
 その力を解放するや、その魔力を失いただの兜へと戻ってしまうものの、一切の呪文詠唱なしに空間跳躍を可能とする古の代物だ。
 かくして、デュオやカシュナ達が見守る眼前で、近衛兵長ゼル・バトルは何処かへと逃れていったのだ。
 予想外の幕切れに、今もゼルの消えた虚空をただ唖然と見つめる一行。
 黒帽子の剣士の足元には無残にも砕け散った”魔除け”の破片が、遂にその輝きを失っていた。

 失った、若しくは受けた被害こそ多かれ、得たものはほとんど皆無といえた。
 パーティ随一の実力者ユダヤを失い、ヨセフもまた深刻なまでの致命傷を負った。
 業を尽くしたイルミナは未だにその心戻らず、シキは膨大なる魔力を一度に使い果たし昏睡状態にある。
 デュオは生命には影響ないとはいえ深手の傷を負い……

 そして”魔除け”を失った。

 

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