〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 深夜、城塞都市の街外れ。
 上帝トレボーのもとから魔除けを盗み出した魔術師が潜む迷宮の入り口を、蒼く幻想的な月の光が照らし出していた。
 その魔物の巣窟へと至る緩やかな階段の手前には、真新しい真鍮製のプレートがしっかりと打ち込まれている。
 月明かりに照らされると、なにやら文字が刻まれていることに気付く。

  〜Proving Grounds of the Overlord〜

 自らの親衛隊を以ってしても攻略が叶わぬこの地下迷宮を、さながら上帝の試練場と称するあたりに、上帝の冒険者に対する挑戦的な意思が見て取れる。すなわち……
 魔術師の手から魔除けを取り上げてみせよ。
 さすれば、地位と名誉をくれてやろう。
 それらの栄光を授からんが為、与えられた試練の場であると。

 草木も寝静まり、世界を暗闇が支配する深夜。
 そこには、擦り切れた外套を纏った男の姿があった。
「ケッ、何が試練場だ。テメェの手に負えなくなったのを、素直に認められねぇのかってんだ」
 男はそう呟くと、肩に担いだ荷物をそっと地面に降ろす。
 所々が革のベルトで補強された竹製の籠のようだ。
「あの新入りの話じゃあ、侵略を受けたテメェの領地を見捨てやがっただと?」
 籠の中から小さな硝子瓶と、底の深い皿のような物が取り出される。
 男は瓶の栓を開けると、その中身を底深な皿へとぶち撒けた。
「領地や民よりも、無くした玩具の方が大事とはな……狂ってやがる」
 筆ともハケともつかぬ物を取り出すと、囁くように呟いた。
 


第6話 『始まりの朝』


 せっかくの夢見心地なひとときは、けたたましく扉を叩く音によって中断させられた。
 数ある宿の中でも、最高級の調度とサービスが売り物のロイヤルスイートにしては、いささか乱暴なモーニングコールにその部屋の主は明らかに不機嫌な様子で身を起こす。
「なんだってんだよ……」
 そう不満を漏らすがはやいか、扉が勢い良く開かれた。
「ちょっとぉ〜、いつまで寝てるのよ! みんなもう集まってるわよ」
 寝起きの頭をつんざくような高い声を張り上げながら、イルミナが部屋に入ってきた。
 砂漠の城砦アルマール出身の彼女は、そのやや褐色がかった肌を更に紅潮させて怒鳴り続ける。
「もう、とっくに昼過ぎてるのよ。今日から探索に入るって知ってるよね?」
「……たく、うるせぇ女だ」
 部屋の主、ヨセフは眠そうな目を擦りながら呟いた。
「な、なんですって〜。わざわざ、親切に起こしにきてあげたってのに」
「誰が頼んだよ……それに、どうせただの打ち合わせで、実際に潜るのは夕方なんだろ?」
 その態度にイルミナは、口の端を引きつらせてヨセフを睨みつける。
「おうおう、可愛い顔してくれちゃってよ」
 そっぽを向いて、軽くあしらう。
「ギルガメッシュだろ? 準備ができたら向かうから、おまえ先に行ってろ」
 そう言うと、まるで猫をつまむかのように首根っこを押さえて、イルミナを廊下に放り出した。
「ちょ、ちょっと……」

 イルミナがしぶしぶと立ち去り5分ぐらいすると、今度は控えめに扉がノックされる。
「あの、お客様ぁ〜。朝食…を、お持ちしました」
 なんか困り果てたかのような、か細い声がかかる。
 それもそのはず。既に昼を過ぎ、太陽は南中高度に差し掛かろうとしていた。
 そんな時間に、ロイヤルスイートのサービスであるブレックファーストを運ばせたのである。
 本来なら時間帯を過ぎてしまったサービスは受けられなくて当然なのだが、ヨセフが無理を通させたのは言うまでもない。
「おう、待ってたぜ」
 先程より幾分は気が晴れたのか、ヨセフは立ち上がると扉を開け放った。
 そこには、この宿の店員らしき女の子が、かなり不安げな表情で立っていた。
 恐らくは店長になにか吹き込まれたのだろうか。
 それでも、サービス精神を忘れていなかったのか、少しばかり不自然ながらも笑みを浮かべると、部屋に備え付けられたサイドテーブルに料理を並べ始めた。
 一通りの準備が終了すると、ワゴンなどを片付けはじめる。
「そ、それでは、ごゆっくり……きゃ」
 部屋を去ろうとする女の子の細い腕が突然引っ張られた。
「おっと、別に驚かせるつもりはなかったんだが……1つ頼めるかな、オネーサン?」
 まるで、ドラマかなにかの黒幕のような表情を浮かべると、ヨセフは部屋の片隅に転がっている薄汚い竹籠を指差した。
 その革ベルトが巻かれた籠は口の部分がやや窄められていて、中には何かが無造作に詰め込まれているようだった。
「悪いが、アレを捨てておいてくれないか?」
 そう言うなり、今度は手を握り締める。
 しかし、手の中に何か硬い感触を感じたのか、女の子は困惑の表情を浮かべた。
「ふ、ふぇ? い、一体どういう……」
「そう言うことだ。秘密裏に始末しておいてくれよ」
 ヨセフはそう囁くと、店員の娘に籠を渡しさっさと追い出してしまった。


 一方、こちらはギルガメッシュの酒場。
 上帝の布告が出されてからというもの、昼夜を問わず常に冒険者で溢れかえるこの酒場だが、今日はより一層の賑わいを見せていた。
 店内のそこかしらで、嘘とも真実ともつかない噂話がなされているのだ。
 話ごとに多少の違いはあるものの、おおまかに2つの話題であることが判断できた。
 そんな中、ヨセフと彼を呼びに行ったイルミナを除く、シオン達のパーティもこの場に居合わせていた。
「つまり、上帝の看板に誰かが落書きをしたって事か?」
 他の冒険者と同様に噂を聞きつけたデュオは、出会って間もない新たな仲間達に問い掛けた。

 噂話を要約すると、昨晩の深夜に何者かが地下迷宮入り口に掲げられたプレートに悪質な悪戯書きをしたらしい。
 〜Proving Grounds of the Overlord〜 (上帝の試練場)
 そう記されたプレートに、真っ赤な不滅性塗料でこう書き加えたというのだ。
 〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜 (狂王の試練場)
 魔除けの件でただでさえ不機嫌な上帝の、さらなる怒りを恐れた衛兵たちは、今も必死に犯人捜しに奔走しているという。

「ふ〜ん、狂王ねぇ……案外、ヨセフの仕業だったりして」
「確かにあいつならやりかねないな」
 冗談めかしたシオンに、真顔でユダヤが答える。
「……あの人って、善戒律なんだろ?」
「まあ、なんていうかさ……一応は、なぁ?」
「俺に振るんじゃねぇよ、シオン。お前の方が付き合いは長いだろ?」
 デュオのふとした疑問に対して、シオンたちは困惑の表情を浮かべていた。
 そのやりとりを見るに至り、あのヨセフってのは危険人物なのだろう、とデュオは理解した。
「ふふ、シオン君もユダヤ君もお変わりないようですね」
 今まで黙って様子を窺っていたシキが笑みを漏らした。
「シキ〜、なんだよそれ?」
「フン、やれやれだ……」

 そんな時、酒場の入り口からイルミナのやけに慌てた大声が聞こえてくる。
「ちょっと〜、大変大変だってば〜!」
 ユダヤは顔を伏せると、溜息混じりに呟く。
「なに大声張り上げてんだ、あのバカは……」
 その呟きには気付くことなく、当の本人は物凄い勢いで店内に走り込んでくる。
「あら、イルミナさん。確かヨセフ君を呼びに出かけられたのでは?」
「そんなのどうだっていいわよ、シキちゃん!」
 イルミナは駆け寄ってくるなり、ユダヤの手にしたエール酒をひったくると一気に喉へと流し込んだ。
「おい、イルミナ。それは俺の……」
「アース姉弟よ。あの最悪な姉弟をこの街で見たっていう噂を聞いちゃったのよ!」
 ユダヤの苦情を無視して、一息にまくしたてる。
 余程、慌てていたのかその息は荒い。
「あ〜、その話か。その話ならさっきからここでも話題になってるぜ。昨夜、王城の方で目撃されたってやつだよね?」
 シオンのあっけない返答に、思わず肩透かしを喰らったのか、それとも一気に疲れが噴き出したかイルミナはその場にへたり込む。
「……えっ、もう知ってたの?」

 先刻から酒場にいる冒険者たちの間で囁かれている、もう一つの噂話がこれだ。
 アース姉弟、通称「請負人」。
 厄介事が起きると、どこからともなく嗅ぎ付けてきては、その事件の決定的な難題点を解決していく。
 その仕事振りは徹底していて、請け負った問題はほぼ確実に解決するのだが、1つの問題を解決する為に10の問題を新たに引き起こすといわれる悪戒律の姉弟である。
 姉のアイリッシュ・アースは古代の禁術にまで精通した魔術師で、その魔力は一国の宮廷魔術師をも遥かに凌ぐと言う。
 また、弟のメルキド・アースは強力な魔法剣士であり、独自に編み出した魔法剣技の数々は侍の業にも匹敵するとの噂だ。
 この姉弟の被害(とばっちり)を受けた冒険者は数知れず、姉弟と同じ場に居合わせる事は一種のジンクスであると、まことしやかに囁かれていた。

「朝から奴等の話で持ちきりさ。トレボーが姉弟を呼びつけ、魔除け奪還を直々に命じたって話だ」
 床にへたり込んだイルミナを起こしながらユダヤが語る。
「ユダヤさん、それってマジなわけ?」
「まあ、所詮は噂話なんだがな」
「でも、王城付近での目撃者がかなりいるみたいなんだ。根も葉もない噂ってわけじゃなさそうだけどね」
 そんなやり取りを見聞きしつつ、デュオはふと考えていた。
 辺境都市への侵略に目をつむり、なおかつそのような危険な姉弟までも呼び寄せたのだ。
 ワードナとかいう魔術師に奪われた魔除けには、噂に聞く以上の秘密が隠されているのではないかと。
 シキはそんなデュオの様子に気付いたが、あえてそれに触れようとはしなかった。
「ところで、イルミナさん。ヨセフ君の方はどうでしたか?」
 その代わりにいまだ喧騒の中心にいるイルミナに問い掛ける。
「ヨセフ様ねぇ……夕方まではお休みらしいわ」
「夕方までって、出発時間じゃねぇかよ。野郎、何か夜更かしでもしてたのか?」
「夜更かしねぇ。そういえば、夜遅くにどこかへ出かけてたみたいだけど……」
 そう言いつつ、シオンの脳裏には先程の噂話がよぎる。
「まさか……なぁ?」

 

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