(宮城教育大学大学院教育学研究科・修士論文) スポーツを媒介にした 「地域リアリティー」形成についての一考察
序 文
本論文は、今日社会的に、また、われわれの日常的生活実感においても重要なものとなっているスポーツの営みによって形成される社会の新しい共同性の在り方について考察を行うものである。
その際近年特にその動向が注目されているサッカーをモチーフにして、スポーツが、人々の生活において高い不可欠性をもつに至ったことについて、社会と個人との関係性と、モダニティ(近代化)の発生と展開に注目し、個人にとってのスポーツの意味性と、スポーツがモダニティを経て獲得した社会紐帯的性質の両面から考察を加える。また、スポーツが市民に深く浸透している街をフィールドにして、スポーツがどのような形で具体的な営みとして現出し、住民がどのような意識を持って、スポーツとかかわり、対峙しているのかについて浮き彫りとしたい。
サッカーが日本人の注目を集めるに至ったのは、日本プロサッカーリーグ(以下Jリーグ)の誕生と、それと前後する国際大会での日本代表チームの活躍ぶりによるところが大きい。Jリーグの登場は日本社会に大きな衝撃を与え、日本人のスポーツ観に一石を投じることとなった。Jリーグは、地域をスポーツの新たな中心軸として提示し、リーグの主要理念として地域に密着したスポーツとスポーツクラブの創造を掲げた。「地域密着」とのスローガンによって、スポーツにおける地域の重要性を提示したことは画期的であった。だがそこには、中央に対する地方からの情報発信や、従来の企業、学校中心のスポーツ文化からの脱却など、「地域」について多様な意味付与が為されており、「地域」の所在や範囲は不特定かつ曖昧なものである。
仮に「地域」を「地元」と読みかえれば、例えば地域にスポーツクラブが出来ることは、地元住民のスポーツ活動の可能性を高める上で、その条件整備としての効果は期待できる。だが、スポーツと地域が結びつくとの空間的発想のみによって、人々にとってスポーツが身近になり、地域スポーツが地域社会の共同性を創出することができる、との想定は果たして適切であろうか。
野茂英雄がアメリカ大リーグドジャースに入団した時、われわれにとっては大リーグが身近になったとの感覚がむしろ自然で、野茂が遥か遠くへ行ってしまったとは考えないのではないか。あるいは、地元のサッカークラブや日本国内のサッカーにさっぱり関心のない人が、イタリアで活躍する中田英寿(サッカー日本代表、イタリア・ペルージャ所属)の様子に詳しいということがありはしないか。
20世紀は「スポーツの世紀」である、とは決して言い過ぎではないだろう。その際、「スポーツの世紀」たる最大の所以は「近代スポーツのグローバリゼーション」に集約される。スポーツはモダニティのダイナミズム(1)に沿って、連続するひとつの国際社会を成立せしめる文脈のひとつとなった。われわれは例えばトランス・ナショナルな選手の移籍を介してローカルとグローバルの連続性を認識する。しかも、モダニティによる情報・通信の発達は、時空間と距離の関係を切り離した。今日、ローカルスポーツとグローバルスポーツの位置関係は時空間ではない座標によって認識されている。もはや、地元イコール身近と単純に発想することはできないのである。
では、スポーツを紐帯として成立する社会の構想はいかにして可能となるのか。本論文では、社会の共同性とその紐帯の在り様について考察を行なう。
「地域スポーツ」の確立においては、各個人がスポーツと地域の結びつきについて内面的に価値を確立し、そのうえで住民がより強い自発意思と愛情を持ってスポーツ活動に参画し、意味論的、関係論的「地域スポーツ」および「地域社会」を醸成することを想定したい。そのような想定を可能なものとする新しいスポーツ観の醸成とそれに基づく活動が近年各地で発生し、着実な歩みで進んでいる。その流れを探るうえで、静岡県清水市は重要なフィールドと考えられる。
清水市では、昭和30年代に本格化した少年サッカーの活動をきっかけに、全市域的にサッカーの取り組みが行なわれてきた。特筆すべきは、その当時からすでに彼らが独自の考え方に基づいてサッカーに取り組んでいたことである。例えば、すべてのサッカー部員に試合を数多く経験する機会を提供し、「補欠」を出さないことや、学校卒業後の大人や、女性がサッカーを楽しむ環境づくり、さまざまな競技レベルに幅広く対応したシステムづくりが挙げられる。それから40年にわたって、清水のサッカーはその営みを積み重ねてきた。少年サッカーの活動によって確立したサッカーの身近さとともに、近年は、活動参加のチャンネルが多様化する傾向にあり、市民はその中から自分に適した形態を選び取って、より自発的に参加するようになっている。その営みは人々の意識に着実にフィードバックされ、「サッカーを抜きにしては語れない」と地元民が語る、独特の街が形成されてきたのである。
平成10年に清水市が行なった市民意識調査(図表参照)では、「あなたは、清水市を他市の人に紹介するとき、最初にどんなことについて話しますか」との質問に対し、「スポーツについて(サッカーなど)」との回答が特に20歳代で多い。現在の清水サッカーが体系化された後に産み落とされた市民は、サッカーを清水に住む人間のアイデンティティとしてごく自然にとらえる。彼らは清水の街はサッカーを通じて結びついているとのイメージを自覚し、サッカーの在り方によって「他ではない清水に住むわれわれ」との意識を持つにいたる。
あなたは、清水市を他市の人に紹介するとき、最初にどんなことについて話しますか。該当する番号1つ選んでください。 平成10年度清水市民意識調査
- 港について(国際貿易港など)
- スポーツについて(サッカーなど)
- 観光について(三保の松原、日本平など)
- 農産物について(お茶、バラなど)
- イベントについて(みなと祭りなど)
- 温暖な気候について
- その他
清水市の現在と将来のまちづくりに関する質問より引用わたしが、清水をフィールドにして探ろうとしてきたことは、「彼らの生活のなかにサッカーがなければならないことのリアリティ」であり、「サッカーが私の(私たちの)ものであることのリアリティ」である。
そして、人々の間でますます「生きがい」を求め必要とする傾向が強まっている今日的状況を鑑みるとき、われわれが清水に学ぶことは大きな意味をもっていると思われる。
本論文は、第1部(第1章から第3章まで)と第2部の(第4章から終章まで)の2部構成を取っている。第1部では、「地域リアリティ」がどのようにして他者と相互理解され、アイデンティフィケーションされていくのか。そこで、スポーツがその性質上持ちうる、紐帯としての特性は何であるのか。これらのことを考察していく。そして、第2部では清水市における具体的事例を取り上げ、スポーツによる共同性の構築についてその現実化の可能性を探る。その中で、第4章では少年サッカーの現状を取り上げる。少年サッカーは、清水市民にとってサッカーへの入り口であり、最も身近に位置する取り組みである。また、プロサッカーや街づくりの施策など、さまざまなサッカーへの取り組みを支えるものでもある。そのような少年サッカーの活動についての調査を踏まえ、第5章では、清水の競技サッカーの頂点であり、市民の新たなシンボルになりつつあるプロサッカーチーム清水エスパルスと街の関係について考察する。清水エスパルスは1997年に経営危機を迎えたが、市民や地元企業の支援を受け再建に成功、再び真の「市民球団」への道を歩み始めている。また第6章では、行政によるサッカーに関する施策や新たな仕掛けについて取り上げる。プロサッカーの登場と時期を一にして、行政側も清水のサッカーを文化的財産と捕らえ、かつ市勢発展の材料としての「サッカーのまち」づくり政策に積極的に取り組み始めた。5章、6章で取り上げる事例はいずれも、地域住民にとってのウェルフェア(幸福)を第一義とするという点で共通する。これらのケーススタディを通して、「地域」を企業や行政の対立概念としてではなく、市民、企業、行政を包括する存在としてとらえ、サッカーの下にどのように関係し、地域の共同性を構築しているか明らかにしたい。
そして、第7章では地域に根ざした新たなスポーツ活動の先行事例である「スポーツボランティア」と「総合型地域スポーツクラブ」について、その可能性と現状を取り上げる。
このようにして本文では、スポーツを通じた地域社会の共同性の構築とスポーツに依拠した「わが街」の自覚的認識を「地域リアリティ」と考え、その描写を試みたい。
註
- ギデンズ.A『近代はいかなる時代か』松尾精文/小幡正敏訳、而立書房、1993、30頁
TOP MENUへ MENUへ 第1章