鉢植の木らうんじ3エッセイ

……科学の私記




(その1)科学を翻訳する

公民館での理科実験教室を始めたのは、1997年10月だった。科学あそびや科学工作で、大人や子供をひきつけるのはそれほど難しいことではなかった。それ自体、文句無しに楽しいことだから。 しかしやがて「この段階で留まっていては、もったいない」と思うようになった。
科学あそび、科学工作のおもしろさの原因は自然現象で、それを対象とするのが科学である。その科学こそ真におもしろく、感動的な世界であることを伝えたいと考え始めた。

科学のおもしろさを知るための正攻法は、学校教育でやっている方法つまり、地道に系統的にときには数式や化学式を使って学んでゆく 方法である。これこそが本物に至る道かもしれない。ちょうど外国文学をほんとうに味わう方法は、その外国語を学び辞書を引きながら原文を読み進めていくことであるように。 しかし、これは忍耐の要る長い道のりである。そのため、科学は無味乾燥なもの、という誤解を生む。

外国文学には、翻訳で読むという方法がある。もちろん、原文の味わいと同じというわけにはいかないが、かなりのものを得ることができる 。原文で読むことを試み、挫折のくりかえしで結局ひとつも読めないよりはこのほうがよい。また、原文では一生の間に読める作品の数はごく限られたものになってしまうが、翻訳でならずっと多くの作品を読むことができる。

自然科学も翻訳するということができると思う。つまり、そのおもしろさと そこからくる感動とをを分かりやすい形で伝えるということである。今後はそれをやりたいと思った。

「翻訳はそれ自体一つの創作である」という言葉をどこかで読んだ覚えがある。文学作品については、”同じ作品を訳しても訳者がその作品から受取るものによって、出来上がった訳書はちがった味わいのものになる”という意味だと思う。そして科学の翻訳についても、この言葉には思い当たるものがある。

しかし、やはり大切なことは原作に忠実であること、そして誤訳をしないことだと思っている。

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(その2)風に寄す
(1999年12月25日に行った理科実験教室「風ってなに?」のテキストに載せた文を書き改めたもの)

風の力で風車を回して電気を起こす風力発電は、有害物質を出さないクリーンなエネルギー獲得法として注目されています。
「科学技術」という言葉をよく聞きます。風力発電は、まさにその科学技術ですが、科学は技術とのみ関係しているのではないと思います。

台風やたつまきのように、ときには破壊をもたらす風はまた自然の中に美しい造形を作ります。砂漠や海岸の砂が風に吹かれてできる風紋、水面を吹く風によるさざ波の形などです。そして、ごく身近な所にある風のアートが風に乗る植物の葉や種子の動きです。
風に乗って飛んでいく種子にはマツ、カエデ、タンポポ、ススキなどがあります。マツ、カエデの種子は羽のような形の薄い膜の端に種子本体が重りのようについた形をしています。投げ上げるとプロペラのように回りながら降りてくるのは、何とも愛らしい動きです。また、落葉期にササの葉が日の光を浴びてくるくる回りながら次々に舞い落ちる様子は、いつまでも見ていたいほど美しく詩的な光景です。

これらの動きはいずれも、種子や葉が落ちてゆくとき風が下から上に向かって吹くのと同じことになり、そのとき種子や葉を押して回転させることによります。種子や葉の形や、落ちるときの向き、そのとき吹いてくる自然の風の影響などにより、その度ごとに異なる飛びかたや回りかたをします。そして、それはアートと呼ぶにふさわしい美しい動きです。

美しいまたおもしろいと感じ、その底にあるものを思うとき、自然への興味がわいてきます。そして、なぜこうなるのだろうと思い、さらにいろいろ知りたくなります。その先には、果てしない世界が広がっています。
科学は、美や詩情とも通じるもの、そして感性を生き生きさせるものであると思います。

科学者とは、おとぎ話のような感動をあたえる自然現象にむかっている子供のようなものです……マリー・キュリー


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