その4
ノルウェー・ファームステイ
7月14日〜9月15日 ノルウェーのとある町でファームステイをしました。 ベルゲンから路線バスで2時間弱。 Hardangerfjordに面した美しい小さな町でした。 ステイ先は最寄りのバス停から延々1時間近く山を登る高台にありました。 そこで大きなビニールハウスのキュウリの栽培と収穫を手伝ったのです。 お世話になったお家からの眺めです。 撮った私の腕が悪いのでこんなんですが、実際はもちろんもっともっときれいですよ。 |
北欧はどこもそのようでしたが人件費が高いので人手が欲しい農家では外国からワーキングゲストを受け入れるところがあるのです。 個室が与えられ、3食付いて、私の時は月3万5千円位(ちょっと曖昧)くれました。 そんな金額なのでゲストの方も出稼ぎ感覚の人ではなく観光や滞在を楽しみたい人ばかりだったようです。 ここのお宅ではずっとアメリカ人やオーストラリア人の受け入れをしてきたようで日本人は私で二人目でした。 この年からお父さんがキュウリ栽培を引退して息子さんが引き継いだらしくこの息子A君と二人だけで毎日キュウリのお世話をしました。 彼は夜もボイラーを炊いたりしなければならず休むわけには行きませんでしたが私は土曜日曜をフリーにしてくれました。 左下の写真は週2回ある出荷日です。朝から収穫して昼には袋詰めにはいります。 1sずつの袋に確か3本程度入りました。けっこうアバウトな量り方でしたな。 でも自分で言うのもなんですが・・・慣れてくるとなかなか手際よく出来ました。 |
キュウリの出荷日 |
お世話になった家(奥)と息子Aの寝る小屋(手前) |
隣の家まで結構歩く・・。 |
彼は夜定期的に起きたりするため朝がすごく遅くていつも9時頃、私が起こしに行きました。
喧嘩腰に怒鳴らないと起きないあきれた人でした。私、うるさいから起こすのを頼まれたのかも・・・?
でもとにかく私のことはよく面倒見てくれました。
買い物に行くと必ず好きな食べ物や飲み物を買ってくれたり、ドライブやボート、クラブなんかにも連れて行ってくれました。
と、こんな事書くと私って囲われていたみたいですね。違いますよ〜、全然。
食事時間が家族皆まちまちの為、私達はほとんど二人で食べなければならず
必然的に食事の仕度や片付けはしましたがA君の方が料理上手でした。
ピザやパンも美味しく作る。そりゃもう、ふっくらと焼けるんです。
私が焼いたパンなんてクッキーのようになってしまい食べられませんでした。
ナイフで切る音がのこぎりで引いているような。だから・・
火の番を押しつけて自分だけ出かけるんじゃないよ〜。
朝と昼はごく簡単なものというか「同じもの」ばかり食べてました。
「パンに何か塗ってチーズを挟んで出来上がりサンド」とか「ミルクにジャムたっぷり落とすシリアル」とか・・。
しょうゆライスとかしょうゆスパも食べました。<醤油をかけるだけ>で美味しいんですって。たまにはいいかも。
食器洗いは機械任せだし、あとやることといえば掃除です。
この家では屋内外OKの犬を1匹飼っていたので甚だしく家の中に毛が落ちたり汚れたりするんですよ。
でもここの家族は全然気にしないんです、毛が舞っていても・・。少しは気にしてよ、みんな。
ある日、我慢できずに掃除機の場所を聞いたら、それから私の仕事みたいになってしまいました。
これは全く本意ではないのですけどケーキのデコレーションをしているところ。 この家でこんなことするのはお母さんと息子A君くらいなんですよ。 生地はA君が焼きました。 トッピングはクリームと外でとってきた苺だったと思います。 A:「ケーキは買うと高いから作るんだよ」だそうです。 なるほど。でも買った物より数段美味しかったわ。 そもそも夏のバカンスシーズンだったので、 家族全員が揃って食事をする場面がなかなかなくて 私の記憶に有る限り一度開いたパーティの時一同が会しただけでした。 |
夏の夜はいつまでも明るくて毎晩のように誰かがやってきて 歌って踊ってゆきました。 この日もおじさん夫妻がやってきてアコーディオンを演奏しながら踊りました。 アコーディオンはこの家のおじさまの趣味なのです。 木彫りのバイキング船ジョッキでビールを回しのみしてます。 タバコは私じゃありませんよ。 |
お母さんもお姉さんもよくしてくれまして、どこかへ出かけるときは私にも必ず声をかけてくれました。 左の写真は近くの山へブルーベリー摘みに行ったところです。 小さな四角いバケツのようなものをズラッと実が付いている茎に押しつけてザザッと押し上げて まとめ取りしました。 そのまま食べても安心で美味しかったな。 |
なにしろ生野菜が高いのであまり食卓にのぼりません。 でもこの家はキュウリ農家。 キュウリだけはしこたまあったので毎食セカンドクラスといわれてはじかれる細めで曲がったものに ビネガーをかけてビタミン補給してました。 果物も無いので荒れた畑にほったらかしてあるワイルドストロベリーをしゃがみ込んで食べてました。 おやつの代わりに採れたてトマトだったりしました。 原始的だけどすこぶる健康的でしたな。 夕方エルクと言っていたと思うのですが、時々大きな鹿が近くの原っぱに姿を見せました。 そんな時はお母さんが見ろ見ろと教えに来てくれます。 彼女は「虹が出た」と言っては はたまた「鉄砲が鳴った」と言っては部屋をノックしてくれました。 本当にかわいがってくださって感謝してます。 雨がよく降る土地柄のせいか美しい虹もたくさん見ました。 単調な生活でしたが平和で贅沢な時間であったと思うのです。 時々憎たらしいことをいうのでけんかした息子Aでしたが英語の苦手な私でも彼の言うことは不思議とよくわかりました。 やはりいつも一緒だと相手の事が理解できてくるものなのですね。 彼は夏休みが取れないので収穫が終わる11月のキプロス行きを楽しみにしていました。 海辺で彼女をゲットするんだから、たくましくならなきゃと よく食べる割にはスリムでしたけど・・ついでに彼女もいたんだけどね・・。 その後、帰国した私の元に念願のキプロスからの楽しそうな葉書が届き、 旅行資金が出来るくらいの収穫はあったのね、とホッとさせました。 帰国後、何年か手紙のやりとりをしましたがお互い子供が出来て忙しくなり今ではプッツリ途絶えてます。 結婚したとは思えないけど元気かな?とこれを書いていて思いました。そして あの時はどうもありがとう 月子 |
お姉さんと一緒にVossとFlaamに行きました。鉄道からの車窓の美しさに歓声を上げる賑やかな乗客。
上の2枚はVossの写真です。湖が一望できる展望台に昇っていくところ。
ベルゲンは私の憧れだった町。 何回遊びに行ったかな? フロイエン山から見る眺めも美しかった。 海辺にある水族館も楽しかった。 ここのピラニアってとても大人しかったな。 指を突っ込んでも無視されそう・・なんて。 郊外の大好きなグリーグの家にも行ってみました。 光のよく当たる明るい家でした。→ こういう環境で愛妻ニーナと共に名曲を生んだのね。 頭の中にピアノコンツェルトが流れました。 |
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