ロワール・ペリゴール・プロヴァンスその3
ペリゴール地方のローカルな道を抜けて高速に入り一路城壁で囲まれた町カルカッソンヌへ向かう。
実はこのCarcassonne,一人旅の時に恐ろしい想い出の有る町で・・、今回はそれを避けるべく
きれいでおしゃれなホテルに泊まりたかったのであるが
窓から城壁の町(シテ)が見えるお部屋で駐車場が付いていてとホテルリストと地図を見比べて
ついでに侘びしい予算まで考えて探すとその名もPont Vieux<旧橋>という
いかにも眺めはいいけれど、さも小さそうな古そ〜なホテルしか見つからず。
ほほ〜っ、今アップしちゃおうかな?と思うには少々勇気のいる外観なんであります、これが。
ここも一応隣人の教えてくれたフランス語の通りに手紙で予約して行ったので宿の主殿は大変感じが良くて
「あんたたちの為に一番いい部屋を取って置いたぞ」
みたいなニュアンス(あくまでもそんな感じ)のフランス語を話してくれる。
最上階といっても3階だが通していただいたそのお部屋からは確かにライトアップされたシテが見えて大層美しい。
でも窓の位置がちょっと高くて小さいよ、おじさん。バルコニーがあったらなぁ。
「おお、月子、何をバチ当たりな事を言う、とにかく安いんだから文句は言うな。」諭す夫。
おまけに朝食の値段まで負けてくれたりして。ああ貧しい我らにお慈悲をありがとう、おじさん。
大嫌いなゴきブりにも出会わず、まずまずの滞在だった。そう、かつての恐ろしい想い出とは・・ゴキ目撃事件だった。
フランスも南に下ると彼らの生息域に入るようだ。
ゴとはいっても日本のと違ってフナムシのような飛べなさそうなヤンワリしたヤツだけど気味は悪い。
お部屋の窓から見たシテ、ライトアップは幻想的↑ カルカッソンヌの絵葉書→ |
城壁に挟まれた道 |
この城壁は二重になっている堅固な造り。だからこそ外敵もなかなか寄せ付けない。
城壁と城壁の間には太い道があって歩くことも出来る。
オード門を通ってシテの内部に入ってゆく。
内部は、遠くローマ時代まで歴史を遡るそうだが現実はそうもいっていられないようだ。
何しろ、おみやげ物屋さん、レストラン、そしてたまにホテル
、
といった観光地さながらの様相を呈している。
確かに趣はあるのだけど、トレドを狭くして、モンサンミシェルを広くしたような感じ。
やっぱり城壁沿いや裏路地を散策したり↓オード川にかかる新橋ポン・ヌフのあたりから旧橋とシテを眺めるのが最高なんだわ。
説明書より写真拝借
余談であるが、カルカッソンヌの名前はシャルル大帝に5年間の長きに渡って兵糧責めにあっても闘い抜いた
`女傑ダマ・カルカス皇后`に由来すると言われている。
ようやく帰っていった大帝を呼び止めるべくラッパを吹くが、彼の耳には届かなかったので従者が大帝に奏上した。
「シーレ・カルカス・テ・ソンヌ」(陛下、カルカスが、貴方を呼んでます。)→カルカッソンヌ・・・本当??
所変わって、こちらは昔法王庁(実は教皇庁と習った私)があったAvignonアビニョン。
そう、橋の上で輪になって踊るという(アヴィニョン橋)サン・ベネゼ橋の有るところ。
Avignonのポストカード 上の途中で切れてる橋がサン・ベネゼ橋。 |
Palais de Papes 法王庁 高さ50m,厚さ4mの壁に囲まれ総面積は15,000uもある。 創建者ベネディクトゥスが建てた北半分を旧宮殿、 続いてクレメンス6世が建てた部分を新宮殿と呼ぶ。 奥に見えるのはノートルダム・デ・ドン大聖堂。 法王庁の内部はガイドツアーで回る。 私達はパスしたが、何やら本によるとフランス革命で聖像などが破壊されて持ち出され中はがらんどうといった感じだそう。 実際見られた方、様子を教えて下さい。 |
Pont St.Benezetサン・ベネゼ橋 羊飼いの少年ベネゼが神に導かれて橋の建設をしたのが由来。 最初は12世紀に木造で建設された。 石で作り直されたのは13世紀末になってからのこと。 戦争やローヌ河の増水で何度も破壊され17世紀以降は修復がされていない。 そのため現在の中途半端な形で残る。 ここには、船頭達の守護聖人としてベネゼを祀った聖ニコラウス礼拝堂がある。 有名な『アビニョンの橋の上で』は作者不詳なんだそう。 実際には橋の上というよりは中州の橋のアーチの下で踊っていたのだという。 実は、この橋の上を歩くのは有料なんであった。 えっと思いつつ橋の先までを歩いて行くと途切れたそのすぐ下は ローヌ河がゆっくりそして力強くたゆたうのだった。 |
アビニョン観光後、ニーム近郊のPont du Gardポン・デュ・ガールにやって来た。
ガルドン川に架かるこのローマ時代の橋は見事というしかない。
今から2000年も前に水を運んでいたなんてローマ人の技術はすごい。
最上段に勾配をつけて流していたらしい。
この最上段に登ってみると眺めが良すぎてひたすら恐い。歩くことは可能でも足が進まず。
人間が歩いているくらいだから当然今では水は流れていない。
J.J.ルソーがこの橋を見て、なぜ自分はローマ人に生まれなかったのだろうかとつぶやいたというのも頷ける気がする。
ガルドン川に流れは無くて・・、おかげで水面が鏡のようで神秘であった。
ニームの市内に戻って今夜の宿ノボテルにチェックイン。
この古いローマ時代の町に似つかわしくない外観のノボテルは私達にとって久々の近代的ホテル。
風情は無いが高さがあるので眺めだけは良い。
Nimesという名は泉の精Nemaususに由来していて、そこに湧く泉の周囲に出来た町だという。
町中至る所ローマ時代の遺跡だらけ。
夜になるとライトアップされてたいへん美しいものである。
Maison Carree方形の家という意味 BC1世紀 |
Arenes古代闘技場 AD1世紀〜2世紀 |
←Fontaine Pradier ニームの象徴パラディエの泉 モデルは、V.ユゴーの愛人 ジュリエット・ドルーエだとか |
ノボテルのフロントを飾っていた クリスマスストーリーの人形達 |
ニームの夜は、なんとスーパーでお総菜を買って済ませてしまう。
プロヴァンスのオリーブは皮が厚く種が小さく柔らかいと聞き、おつまみに早速購入。
いつもは食べないのだけど、ついつまんでしまう。
気分はプロヴァンスしているので美味しく感じる。でも食べきれない。
残ったオリーブの香りが入れておいた冷蔵庫に充満し何を食べたかわかってしまうな。
もう一つ、瓶入りのガーリックマヨネーズ`アイオリ`も買ってみる。
使わないでオランダに持ち帰ったら、全く同じものがスーパーにワンサと売っていた。
普段買った事がないのがバレバレ事件。
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