脚本家 窪田篤人さん逝く
5月16日、午前5時20分。心不全のため、窪田篤人さんはこの世を去った。
今になっても私の胸の中は後悔の念でいっぱいで、息苦しくなるほどである。今さら、である。
いくら考えたってどうにもならない、取り返しがつかない。
なのに、時間がたつにつれてますますその思いは大きくなって、私の胸をしめつけるのだ。
そして、―本当にいなくなってしまったのだろうか?…そんな考えが新たに浮かび上がってくるのだ。火葬場で棺におさめられた篤人さんの顔を見たのに。お骨だって拾ったのに、である。
窪田篤人(くぼたあつんど)さんは私の父の従弟だった。脚本家として華やかな人生を歩んだ人である。
私は子どもの頃からTVでよく篤人さんの名前を目にした。もう題名は覚えていないが、夜8時台の、ホームドラマっぽいのが多かったように思う。――大学に入ったばかりの頃、『おおひばり』という青春ドラマが放映されてた。これ、けっこう人気があって、私は心の中で自慢してた。
結婚してからは、NHKの銀河TV小説で、曽野綾子さん原作『太郎物語』の脚本で篤人さんの名前を見た。
とにかく、数え切れないくらいの作品を残していると思う。当時は売れっ子脚本家だったのだ。
最近は舞台の仕事をしていたということだった。TVではあまり名前を見ることはなかった。
――その話は今年1月、篤人さんがわざわざ父に会いに来てくれたときにしてくれたのだそうだ。冒頭に書いた私の後悔は、このときから始まる。
「あした、窪田のあっちゃんが来るって。」
と母から電話があったのは、1月も終わりに近づいた頃だったと思う。
「へえー、ほんと! 行きたいけど…。」
…何故その時、あしたじゃあいくらなんでも無理って思ってしまったのか。どうしてすぐあきらめてしまったのか。平日だし、用事もあるし…でも、そんなものほっぽっても行くべきだったのだ。私は私自身を恨んでいる。
直後から始まった後悔
実際、「どんなだった?」と母に聞く前から、私は「行けばよかった」「行くべきだった」「なんで行かなかったんだろう」…という思いで、ひどく落ち込んでしまった。母が「また夏休みに呼べば来てくれるよ。」と慰めの言葉を口にしてくれるのだけど、大事なチャンスをみすみす逃してしまった、という思いは消えなかった。
「何か書いてもらった?」と聞くと、「ああ!そういうこと思いつかなかった。」と母は言う。「色紙を送って書いてもらうか。」「きっと喜んで書いてくれるよ。」――などと母は言うのだけど、私はうわの空。
…そうだ、手紙を書けば返事をくれるだろう。直筆の返事なんて、すごいじゃない?――そう思ったその時、なんですぐ実行に移さなかったのだ!!…これが第二の後悔。
5月16日の夕方、母から電話があった。
「窪田のあっちゃん!…死んじゃったって!」
「えっ? ウソ・・・!」
一瞬、「うそ、なんで?」でも次の瞬間、「じゃあ、あの時わざわざ父に会いにきてくれたのって、お別れをしに来たってことか?」と思ってしまった。
喘息持ちなので、一人暮らしでは発作が起きたとき不安だ、ということを話していたそうである。心不全といっても、その喘息の発作だったのではないだろうか。
私は、私の中で何かがガラガラと崩れ落ちていくような気持ちになってしまい、受話器を耳にあてたまま母がいろいろ話すのを聞きながら、ソファにベターっとしがみつくように倒れて、そのまましばらく動く気力もなくなってしまった。
「なんで死んじゃったの!」篤人さんへの思いは空中で行き場を失い、後悔はますます大きくなって、私は押しつぶされそうだった。
熱海に住んでいたけれども、お葬式はたぶん東京で、ということになるのではないか?と思った。お寺は東京だろうし、親戚だって東京が多いし、仕事の関係もあるだろうし。
父はとても東京へ行けるからだではないけれども、母は行くかもしれない。そうなったら私も一緒に行こうと思った。
しかし、翌日来た連絡では、お葬式などは一切しないのだと言う。遺言に書かれていたというのだ。お墓にもはいらない。現在お墓に眠ってりる篤人さんの母親のお骨も取り出し、自分の骨と一緒に散骨してほしい、ということらしいのだ。
お墓はなくなる。位牌もない。…そんなことができるものなのだろうか? いくら遺言状に書かれていたとしても…。あんなに華々しい活躍をした人なのに、それじゃあんまり。でも、それがあっちゃんらしいのかもしれない。
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