まだ間に合うか? つづき。
というわけで、みすみす今の状態にまで落ち込んでしまったという後悔はあるのだけど、いまさら仕方ない。これからどうしたらよいのかを考えなければ。
ここ数週間で塾に対する認識が変わった。
塾なんて…と思っていたけど、そうでもないかも…と思い始めたのだ。もしかしたら学校よりも面倒見いいかも。――そりゃ、数字で決まる、数字で子供たちが評価されるわけですから、塾の先生はその数字を上げるのが使命で、そのためなんだから…と言ってしまえばおしまいだけど、人間なんだから、そればかりでもないだろう。
私自身は中学生のとき塾など行ってないから、その生活がどんなものかわからないけど、私の人生を最初に左右したのはほかでもない、19歳の時に予備校へ通って受験勉強をした、あの1年だった(今、書いてて気づいた)。
つらく、楽しかった予備校生活。
あの1年がなかったら、私はどうなっていただろう?って思うくらい、貴重な1年だった。
高校の時わからなかった数学が、やっとわかるようになった。古文も、漢文も。英語も世界史も。大切な友だちにも出会えたし、先生とのつながりも、いまだにある。書き始めたらきりがなくかけそうな1年だ。
…それを考えれば、まさに私自身が塾の出身者なのだった。高校受験と大学受験の違いはあるけど、塾の先生や友だちとのつながりは似たようなものかも。――そんなことを考えているうちに、塾に対する偏見も消えていった。
中学校の授業がダメとか、塾へ行けばなんとかなるとか、そういうことではない。もはや、学校の授業だけで高校受験をする時代ではない、ということだ。
折も折、毎日新聞の「教育の森」という特集ページを読んでいて私の目に飛び込んできたのが「塾の力」という本の紹介。
「従来の公教育1本やりでは、子供たちに対応しきれないことは明らか」とか、「きれいに整理されたノートに、成績が伸び悩む原因が」という指摘など、短い紹介文を読んだだけでもうドキドキしてきちゃって。その日の午後、戸田書店へ走った。…ありました、ありました!
家へ帰ってきて即読み始めたのだが、期待どおり。ここんとこ考え続けていたことが具体的な言葉になって書かれている。そうそう、その通りだよ!! 思わずうなずくこと何度か。
小学校の頃から、私はサキのきれいなノート(几帳面な。)が問題だと思って、ずっと「もっと汚く使いなさい。きれいに書くことなんて意味がない。」と言っていたのだ。せっかく筆算で計算したのを消して、答えだけ書くことに何の意味がある?
「理解すること」「考えること」ではなく、「きれいに書く」ことだけを目的としたノートなんて。しかも、きれいに書くために余計な時間を費やしている。
教科書やノートがきれいということは、勉強してないのと同じだ。(そりゃー、字がきれい、上手ということは何のモンダイもないが)
とにかく、「塾の力」…あーそうだよ、そのとおりだよ。と思いながら、一気に読んでしまった。…まだ間にあうかもしれない。そう思った。(「塾の力」小宮山博仁著、文春新書 690円)
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