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 毒舌日記 5月号 某F高の情報発疹基地だ!!! 「裡にある目はやがて、世界を見る」
5/31(金) 誰だ台風4号を呼んだのは(激怒)

 あのな、某F高が富嶽祭で、内の奥様の某F宮東高校も文化祭で、わが輩の息子どもが通う小学校は運動会なんだぞ。
みんな、ギリギリで日程の調整をつけて臨んでいるわけだ!。もう朝から、小学校の電話連絡網も鳴りっぱなし。いい加減にしろ

 ということで、明日の一般公開と月曜日の体育の部は晴天で出来そうです。

5/30(金)富嶽祭WEEKのフィナーレ(あと4日)

いうことで、我が某F高は明日から始まる、「富嶽祭」に向けて今日から準備です。
この忙しい時にこそ、重要な話を書きます。
団体競技とチームプレーは別だ
この学校祭というものは、当日の朝にならないと全貌がわかりません。きっと、文化祭担当のチーフの先生も「富嶽祭実行委員長」中村アキト君も
富嶽祭の全貌は知らないはずです。この学校祭には30もの文化部が参加し、出店もあり、装飾チームがあり、バンドがあり、総合開会式があり、ととても全てを表現できるメディアはありません。実は、文化部の中でもマイナーな存在の「映画研究部」の作ったたった10分の短編映画がこの年の富嶽祭の大賞を取ってしまうかもしれないほど、奥が深いのです。しかし、この世紀のの大イベントをしっかり把握している教員は誰もいません。みなさん、会場に来て先生らしい人に「あのーーー○○部はどこですか?、○○はいつからですか?」と尋ねてみなさい。「すみません、僕担当ではありませんので・・・・・・」と返ってくるに決まってます。
 だからといって先生を批判してはいけません。学校祭は、チームプレーなのです。様々な人が、様々な団体が、勝手なことをやっていて、それが知らず知らずのうちに相乗効果を生み出し、スケールをアップさせ、やがて大きな結晶となって結実していくのです。特に「文化の部」はそういうことです。もう一度言います。チームプレーとは「結果的にチームが勝利すればよいプレー」などであって、「先生から教えられた動きだけ一生懸命やるプレー」ではないし、「先輩から教えられたプレーだけをすること」でもないし、ましてや、「人と同じことをすること」では絶対にないのです。みんなが機能的に、その特徴を生かして、機能することがチームプレーなのです。それは、サッカーでも野球でも全く同じことです。
 某F高生諸君!「某F高の富嶽祭文化の部の意義は・・・・チームプレーにある」。です。

さて、月曜日・狂乱の体育の部がはじまります。体育の部実行委員長「オオカワ光海」君ご苦労様です。 オオカワ君の。総練習での檄は「今年は入場行進からきりっとやりたい」でした。
 体育の部は逆に団体競技の要素が多く取り入れられます。

 入場行進&組体操(冨士高体操)&応援合戦&民謡などなど、これらは「一糸乱れぬ姿」でやらないと何もおもしろくないものです。もちろん「一糸まとわぬ」姿でやったほうが、断然盛り上がるわけですが・・・(あと30億年は無理でしょう)
 体育祭こそ「団体競技」なのです。五穀豊穣を祈った春の田植え祭りと秋の収穫祭から始まったこの運動会、玉入れは稲穂の象徴、綱引きは開拓の象徴、棒倒しは稲刈りの象徴、騎馬戦は、土地を守る農民の象徴なのである。
ここで「団体競技」が行われることこそ、今度はわが民族が「農耕民」であることの象徴なのだ。
団体でやる「マスゲーム」って農耕民族は得意なのですね。逆に、スポーツイベントの開会式や閉会式を観ていると、アフリカの人々は、明らかににがてみたいです。

 生徒諸君!読者諸君! 学校祭で「団体競技」と「チームプレー」を学ぼう。


5/28(水)

ということで、富嶽祭WEEKですので、全く余裕がありません。
ここのページもなかなか更新できません。
 ですが、書きたいことはたくさんありますので、今日は短時間で予告編を。

「新学習指導要領はどうなのか・・・・・・」
「日本大学史・・・・・・・・・」
「アノミーを上手に使え・」
「横浜ベイスターズとブルーウエーヴの低迷の原因は・・・・・」
「団体演技とチームプレーは別だ」
「6/29日はロゼシアター集合だ。」

などなど・・・・・・・・・・・・・

この見出しだけで、内容が想像できたら、かなりのTOMMY通。
5/26(月)   

ということで、下のコラムの反響が大きいので、今日は少しにしておきます。
どこかに、「日本大学史」なる本がないかな・・・・・
5/23(土)   グローバルな視点で見ると。
 ということで、とうとう1週間更新できませんでした。
一般の方々には、なかなか伝わらない。教員の活動記録を追っていきましょう。
 5/20(火) 午前中で中間テストが終わる。午後から東北大
学のK助教授が、大学入試についての説明会の為に来校。生徒説明会の後、1時間ほど雑談(この雑談の中で名言が飛び出した)。その後、新聞部とかるた部を回り、一日が終わる。夜は採点
 5/21(水) 朝から、富士東校へ行く。「生活習慣病検診」のため。本来なら23日に某F高で出来るのだけれど23日も忙しいのでこの日に行くことになった。その後、バリウムの為に下痢気味。その中で授業。
 5/22(木) 授業の合間に「進路の道標」のガイダンス編を執筆。終了20:30。この「進路の道標」とは、ズバリ「学校の進学記録誌」のことであり、進学校にはどこにでもある。過去3年間くらいの某F高の進学実績と分析が詳細に書かれている。(もっと詳細な進路の道標教師専用マニュアルもある。これは絶対秘密)。大手予備校の模試実績や判定資料も、この「進路の道標」にはかなうまい。本当に「道標(みちしるべ)」になる本である。昨年のデータ処理がやっと終わり、印刷屋に廻す。出来上がるは6月の終わり頃だ。この資料を手に、親子3人とクラス担任が悩むのである。わが輩はこの本の先頭の20ページ位を担当している。読むべし
 5/23(金) 1時間目の授業を30分だけやって、電車に飛び乗る。今日は県庁で、「平成15年度静岡県高等学校教育課程研究委員会」の第1回の会合に参加する。この委員になると、7月の後半に県下の高校の先生を前にして、「新学習指導要領」に沿った「生きる力」を育む授業の実践報告をしなければならない。そのための研究会が残り2ヶ月で4回もある。
 そして、今日(24日)は、午後から「県下の進学校(トップ10)の進路担当連絡協議会」なるものに初めて出席する。
全く、学習指導要領の「生きる力」と「大学進学事情」の狭間にたたされた哀れな一高校教員を象徴する1週間である。県の研究では、「丸暗記ではだめだ、生きる力をつけるための課題解決学習の実践を」が主題であり、進路としては「とにかく、センター入試5教科7科目の導入から、大学の独立行政法人化に至るこの改革期に、どれだけ多くの大学合格者をだすのか」が主題である。
この2つ、全く相容れない。

 さて、この様なアンビバレントな時期に、これはもしかしたらノーベル賞ものの名言ではないかと思う、一言にであった。それが、5/20の東北大学のK助教授と某F高3年部担任との懇談会中でのことである。K氏は東北大学の入試担当であるらしく、各地の高校を回って、説明会などなどをしているらしい。専門は心理学のようだ。実はこの東北大学、東北地方を除くと、静岡県が一番入学者が多い。だから、静岡の各校で、入試説明会とあいなった。
 この懇談会はざっくばらんな雰囲気で、大学の事情やら高校の事情やらをあけすけに話してとっても有意義であった。その時、ある先生から「学力低下」や「新学習指導要領での内容削減」に関してどう思いますかとの質問がでた。
そして、K氏の発言が
「グローバルな視点でみると、東北大学の卒業生レベルを落とすわけにはいかない、」 

この言葉、世界でこれほど活躍し、かつ先端学問の一翼を担う日本の旧帝国大学の責任感・自負心・プライド・使命感・自立心・誇り・強がり・警鐘
批判、などなど全てを含む名言とみた。
そして、これは真ん中の部分を変えるだけでいろいろに役立つ。
「グローバルな視点でみると、某F高の卒業生レベルを落とすわけにはいかない、」 

「グローバルな視点でみると、日本の高校の卒業生のレベルを落とすわけにはいかない、」 

 誰だ、グローバルな視点で見ていない奴は!!!!、 グローバリゼーション(あーいやな言葉だ、書くだけでヘドがでる)と騒いでいながら、誰もグローバルな視点で見ていないではないか。この学習内容3割削減を決めて「新学習指導要領」を作った責任者よ、出てこい!!!!!!
 ということでこれは未確認情報なのだが、このやさしい学習指導要領の政策にあたっては、「広島大学」系の研究者が相当深く関与しているらしい。公立高校の教育荒廃で有名な広島ではあるが、「生きる力」では先進地域なのだ。(そうとうな嫌み)

5/17(土)   イベント野郎・その2

ということで、第1回目のリハーサルも無事終了しました。

さて、この「静岡県高等学校総合文化祭・全国大会出場校発表会」という長ったらしい名前は何とかならないモノでしょうか?
このイベントを企画したときからの懸案なのです。

今から4年前、静岡の文化部系部活動は、熱狂していました。静岡で「全国高等学校総合文化祭・静岡大会」があったからです。この長い名前のイベントは、「文化部のインターハイ」と位置づけられるものです。インターハイの正式名称は「全国高等学校総合体育大会」、どちらも持ち回りで、開催されます。ちなみに今年は全国高総文が福井、インターハイが長崎です。別に文化祭の方も「インターハイスクール」なわけですから、「インターハイフェステバル」くらいの略称にしてもいいはずです。
 この文化祭の静岡開催のために都合4年間くらいはイベント的な仕事をしていました。もちろん「かるた競技」の方が中心ですが、何かの縁で「総合開会式」まで携わることになり、過去にもロゼシアターの大イベントを仕切ったことがあります。
さて、この狂乱の静岡大会が終わった後、静岡の文化の祭典はどこに行くのでしょう?、文化部にとってはアフターカーニバルの方がむしろ大事なのです。せっかく盛りあがった祭典の灯火を守り続けて行かなくてはならないのです。私たち(最初は県下で4人くらいのメンバーでした)はこそこそ県庁のある部屋に集まり、「文化活動検討委員会」なる怪しげな団体を組織し、県内で毎年1回くらい、合唱・吹奏楽・演劇・郷土芸能・日本音楽・チアーリーディングなどなど、各部門が合同で発表会をやろうではないか、という企画をたてました。
その第1回目が一昨年の島田大会だったのです。2回目は磐田で行いました。島田の時に私が事務局長をし、磐田の時はO先生が事務局をしましたが、どちらも「その文化活動検討委員会」のメンバーなのです。今年は、3回目。
 さて、この企画、最初は毎年7月の第2週に行うつもりでした。なぜなら、その週が「高校野球の開会式」だったからです。
静岡の高校生は誰でも「静岡県高校体育連盟」と「静岡県高校文化連盟」と何故だか「静岡県高校野球連盟」に加盟しています。つまりはこの3つの連盟は同列あるわけですから、野球の開会式と文化の祭典が同時期にあってもいいわけです。むしろ、メディア的には、スケールメリットが期待されます。
 しかし、だめでした。「高校野球」と文化の祭典は同列とはなりませんでした。7月第2週開催の案はどこかへ行ってしまいました。でも毎年、6月にはどこかの町で開催されます。今年は富士のロゼシアター、来年は静岡の市民文化会館です。静岡の高校生文化を発展させる為に、このイベントを盛り上げて下さい。
 
ということで、わが輩の教員人生の半分くらいはこのようなイベント的な仕事をしています。時には、ある事情で「教員」という職業を証せないときがあるでしょう。例えば、女性の方から甘ったるい声で「おにいさん、お仕事なあに」なんて問われる状況に知らず知らずに巻きこまれる場合もあるわけです。その時に「イベント屋」と名乗っても許されるはずです。

こんな私ですが、今日18日は、事情により熱海に行ってきます。実はこれもイベントなのです。

来年、平成16年(西暦2004年)は、競技かるた(百人一首のかるた競技)が正式に始まって100周年の年です。明治○○年、明治のジャーナリスト黒岩涙香が東京新橋の○○クラブで第1回のかるた大会を始めたのが、ちょうど100年前なのです。その100周年記念イベントを熱海でやろうという計画をたくらんでいるのです。
なぜなら、熱海と言えば「金色夜叉」です。この金色夜叉の冒頭の場面は何と「かるたとり」から始まるのです。したがって、「明治を偲ぶ、かるた競技100年記念、全国競技熱海大会」の開催してやろうという魂胆なのです。

 熱海ですから当然「前夜祭」もがあります。むしろこれがメインでしょう。 尾崎紅葉にゆかりのある温泉宿を借り切って、100年記念パーティ&かるた競技大会。絶対にすばらしい企画です。

 今日はその温泉旅館に、交渉に行きます。 興味のある方は是非メールを・・・・・・

5/17(土)   イベント野郎

 と、私は巷で言われています。 今日5/17は、ロゼシアターで行われているリハーサルに顔をだします。「平成14年度静岡県高等学校総合文化祭・全国大会出場校発表会」のリハーサルです。
 この全国大会出場校発表会は、今年で3回目、静岡県東部地区での開催です。したがって、6/29日の本番には、
静岡県のトップレベルのステージ発表が観られます。

 例えば、
浜松商業吹奏楽部。袋井商業のマーチングバンド・清水西高校の合唱・浜松一立高校のマンドリン、修善寺工業高校の太鼓など、(これらのステージは静岡県のみならず全国でもトップレベルです。)


おそらく、修善寺工業高校以外は、初めてのロゼでの演奏でしょう。富士地区の高校生の皆さん、一般の方々、是非ロゼシアタニーに足を運んで下さい。某F高生も期末テスト中だからと、つべこべ言わないで、半日くらいステージを楽しみましょう。

入場無料のイベントです。

私は、このイベントの総合プログラムの編集担当です。ポスターが出来上がりましたら、各地区の高校と近隣中学校にも営業に行ってきます。 

この続きで、「わが輩がなぜ、このイベントの担当者になったか」を、今夜説明したしましょう。

では中断




5/16(金)   日本の情勢分析

 ということで、今日は手短に、新聞拾い読みをする。
とりあえず、今の日本の論点は、@有事法案 A生保予定利率引き下げ BSARS の3つでしょう。これ比べると、何とかウエーブなどは・・・・・・・さて、@有事法案の件、この作成は1977年からとある。実に26年かかってやっと成立した。この間に攻撃されなくてほっとしている。しかし、この法案が出来たところで攻撃がくるわけでもない。いったいどこの国が日本を攻撃するのだ。某K国か、某K国の軍事力は「威嚇」である。世界と自国民に対する「威嚇」であって驚異ではない。したがって、この有事法案を適用する場面はここ100年くらいは来ないと思うが、日本国民が空想平和主義から脱却して、地政学的な国際社会の見方(隣は敵、敵の敵は味方、守らなくては侵略されるなどなど)を出来るようになればいい。
Aの生命保険の問題か・・・・・、確か生命保険の会社は株式会社ではないはず。だから、財務状況などの公開はやななくてもいいわけで、予定利率を引き下げなければ、破綻するのかしないのかなど、素人にはわからない。僕が一番知っているのは、「生命保険会社に預けた資金は、アメリカの国債に化けている」ことだけだ。日本人は、一生懸命働いて、お金を貯めて、子供達につらい思いをさせたくないとの一心で、生命保険やらなにやらを契約し、そのお金でアメリカの財政を支えてきたのだ。実はこのアメリカ国債は政治的圧力で、簡単には売れないらしい(現金化できない)。つまり、大きな部分で@の有事法制とAの生命保険問題は繋がっている。 日本が軽武装と安保条約で軍事問題を乗り切る代わりにかなりの貢ぎ物をしていることになる。 この頃は、反米の声も大きい。しかし、現実はこうだ。

 さて、最後のSARS問題ですが、片岡鉄哉のアメリカ通信(私のリンク先からのいけます)のTOPにこんな文章が載っている。

「広州市から南に一時間のところにあるDongyuan動物市場は、新しく生まれる黴菌に対して限りなき機会を与える。血と臓器の臭気にむせ返る何百もの狭苦しい屋台では、卸売り業者が、州全部の食卓に配達される一種の動物園を管理している: 蛇、にわとり、猫、亀、アナグマ、蛙。そして夏になるとたまにはネズミさえも。 「肉は種類によって檻状の箱につみかさねられる。そして檻は次に、ここで働く貧乏な流民の椅子、カードテーブル、食卓となる。私が訪問した朝、屋台十七番には、首のない蛇、臓腑をぬかれた蛙、とびかよう羽毛の中で走り回る首なしの鶏などが、無造作に積んであった。 「もしあなたがSARSの原因となったコロナ・ウィールスであれば、ここで動物から人間に伝播するのは簡単であろう。広州はエギゾチックナ動物の料理で有名なところだ」(今朝のタイムズより。) 「鉄の宰相」メッテルニヒが「ソーセージを作る過程と政治の妥協が成立する過程は、気の弱い人は見ないほうがいい」といったが、・・・・

 大丈夫かな。


5/14(水)   テスト作成中により、更新中断中

 ということで、あまりたくさんキーボードを打つと、思わずテストの内容に深入りしてしまいそうなので、ひとまず中断します。


5/12(月)  Tommy先生 バレエを観る

 ということで、下の日記のごとく、日曜日にはクラッシックバレエを鑑賞してきました。大ホールのエントランスで、保護者の方から声をかけられ、「先生、○○です。ともだちの人からメールが届きまして、先生のHPに今日のバレエのことが出てますよって教えられてHPも観ましたよ」と挨拶されてしまった。恐るべし。
 実はこのバレエの鑑賞、我が生涯2度目のことである。1回目は小学校4年の時、クラスのかわいい子がバレエの発表会があるから来てくれと言われ、友達数人で見に行った。あのときは開始15分ぐらいで飽きてしまってすぐに外に遊びに行ったのを覚えている。それから30年、全く興味のなかった世界なのだ。バレエの知識も全く持っていない。かわいい小学生くらいの子供達が大勢でひらひら踊る。あのつま先立ちは大変だな。くらいのイメージしか浮かばなかった。でも、実際は、大勢の子供達が一斉に登場するのもあれば、男女2人で踊るのもある。その男女2人で踊るのを「グラン・パ・ド・ドゥ」と言うらしい。我がクラスのHさんはその「グランパドドゥ」に出演していた。あのフィギアスケートを想像してほしい。フィギアスケートのパフォーマンスを舞台の上でやるんだ。くるくる回転したり、ジャンプしたり、リフトしたり、スケートならなめらかに滑ることが出来るけど、バレエは舞台だから、どうしてもなめらかに歩けないはず、でもそれが舞台の上を歩いていることを感じさせない。これは感動モノだった。

 このバレエ、いったいいつ頃から始められたのだ、たぶんバロックとかロココとかの時代だろうけれど、宮廷の優雅な見せ物だったに違いない。そして、誰がいつ日本に輸入したのだ、やっぱり文明開化の時か?
 文明開化以前、日本人の歩き方は「二軸歩行」であった。つまりはナンバ歩き。このナンバ歩きは全く疲れない歩行方法であって、東海道53次だってラクチンなんだ。しかし、文明開花は日本人の歩き方まで改革をもたらした。それが一軸歩行。今の現代人のように、一直線上に交互に足を踏み出す歩き方だ。この歩き方だと必ず体の線にヒネリを加えなければ歩けない。したがって疲れる。ただし、歩くたびに体にヒネリを加えるのだから自然と体のかかとから頭の上に回転軸が出来上がる。ということは背筋を伸ばしたまっすぐにピンと立つような姿勢になる。これが、西洋では美しい姿勢となったのだろう。バレエの皆さんはこの姿勢が本当に美しい。踵から頭の上までの回転軸がしっかりしていなければあれほど上手にはスピンできないはずだ。ナンバ走法も推奨してはいるが、やはりあの背筋の伸びた立ち方の美しさにはかなわない。
 ファンデーションとかマスカラとか、アイシャドウとか、リップとか、茶髪とか・・・・・自分の顔のことばかり気にしている女どもよ、少しは「立ち方」と「歩き方」まで気にしてみろよ、全く美しさが変わるから。そういう人たちには、バレエ教室で勉強することを勧める。確か昨日の主催伊藤○○バレ教室のプログラムにも、「ビューティバレエ」なる講習があったぞ。
 
 某F高でも年に1回、芸術鑑賞教室がある。演劇みたり、オーケストラを聞いたりしているけど、クラッシックバレエもいいな。今度提案してみよう。

 この発表会の舞台となったロゼシアター、今週の土曜日には「平成15年度、静岡県高等学校総合文化祭・全国大会出場校発表会」のリハーサルがある。本番は6/29(日)、このイベントも昨日のバレエのように大盛況にしたい。昨日は観客席が80%くらいの入りであった。これが普通なのか少ないのか多いのか、僕には判断できないが、さきほどの長ーーーーーい名前のイベントはいつも観客が入らない。せめて今回のバレエくらいの入りになれば主催者としても喜ばしいのだが・・・・・

その時、某F高は期末テストの真っ最中なんですね。でも、来てほしい。

さてこのごろ、「先生、何かアブナイ話ありませかね。おもしろくないですね」と声をかけられることがある。つまりは世界が平和だってことだろう。それがいいではないか、しかし、こうも何もないと書く方も困る。もしかすると、巷で話題沸騰のSARSもそれほど怖くない病気なのかも・・・・・・・・・・
あんだけ騒いでいるけど、中国人しか感染者がいない。感染のし易さに人種特有の何かがあるのでは。
そして、白装束軍団。あれも騒ぎすぎ?

HPを作成して以来、出版社の苦しみが分かるようになった。雑誌って「記事を書く」のではなく「記事を作る」のですね。「捏造」ギリギリのことろで勝負しているのでしょう。ごくろうさんです。
5/10(土)  某F高生情報

 ということで 急に忙しくなった理由を書いておきます。 某F高は来週から中間テストです。私は1.2.3学年のテストつまり3種類作らなければなりません。しかし、まだ授業をはじめて2ヶ月しか経ってません。出題するところがありません。凄く悩んでいます。

 富嶽祭(某F高の文化祭)直前に、「富士高新聞」を発行します。今回の富士高新聞は、富嶽祭のプレビュー・新任先生の紹介・そして、○○の大特集です。昨日、私と新聞部員は富士市内の某所で2時間ほどあるモノを取材してきました。今日は○○校へ○○の取材ために生徒は遠征します。某F高生の皆さん、今回の「富士高新聞」も期待して下さいよ。一般の方には富嶽祭当日、もしくは谷島屋松岡店(某F高の近所の書店)に6/1以降、店頭に置いておきます。または私にメールを。

 今週は各地でインターハイ東部地区予選が開催されています。新聞部顧問としては行くべきと会場がたくさんありすぎて困り果てています。そういうときは公平にどこも行きません。今日は某F高で「かるた」を練習しています。しかし、部員の皆さん、試合が終わったらメールをお願いします。
高校の部活動の結果など、当事者以外は誰もしりません。確かに、インターハイ東部予選の結果などその本人とそのチームおよび家族の皆様以外意味のないコンテンツかもしれません。某F高でも、他の運動部の結果をしることはほとんどできません。一般の方々は驚くでしょうが、某F高も
某F高の職員も、各部活がどのような活動をしているのかをほとんど知りません。というのも、知るすべがないのです。顧問の先生は試合結果を報告書に書いて管理職に提出しますが、それは試合結果を保存・活用するのではなく、旅費の支給計算などあくまで事務処理のための報告書にすぎません。
「すぐ近くで、もの凄くがんばっている友人、クラスメートがいる」という事実でさえ知らされないのです。
 だからこそ、我が「某F高スポーツ」なのです。このページを見ている某F高の生徒諸君、この企画に協力して下さい。某F高スポーツを楽しみにしているOB&OGは本当に多いのです。
ということを、先日の「運動部の顧問の先生、頑張ろう会(ようするに宴会)」でスピーチしてしまった。僕は文化部顧問なのに・・・・・・

 そして、6/29(日)には、ロゼシアター(富士の音楽施設)で平成15年度静岡県高等学校総合文化祭・全国大会出場校発表会が開かれます。
このイベントには、今年の夏に全国福井大会に出場する「静岡県の高校生超一流アーティスト」や県下ナンバーワンのバンド「浜松商業高等学校吹奏楽部」が出場する、県下最大の高校生文化の祭典です。おそらく浜章の吹奏楽部が富士市内で演奏するのは初めてのことではないでしょうか?某F高からは、この舞台のトリを某F高応援団が仕切ります。一般の方には初公開の「荒鷲の拍手」のお披露目です。私は、この祭典の企画委員あるのです。事務局長はこのサイトの有力読者Y先生、
 あと、少しです頑張りましょう。ということで来週5/17はリハーサル。

おっと、ロゼで思い出した。
明日5/11はロゼシアターでバレエの発表会があります。ここに僕のクラスの生徒が出演します。彼女は、3年間TOMMY先生が担任をした唯一の生徒です。たぶん来年から担任をはずされる気配のある私としても一番のつながりがある生徒ということになります。
今後のことを考えても、たぶん某F高3万人のOBでただ一人の生徒なのです。
これは見行かざるを得ないでしょう。




5/8(木)  頭脳スポーツ
ということで、頭脳スポーツ協会という名の団体がある。HPはここ
囲碁・将棋・カルタ・モノポリー・カタンなどの頭脳スポーツを学校のクラブ活動に取り入れて、この頭脳スポーツを世界の一大イベントにしようという団体である。
かるたをきっかけにここの理事長と知り合いになってしまった。もちろんわが輩は頭脳スポーツ大好きである。今後も、かるたとこの頭脳スポーツ協会とは良好な関係を続けていきたい。ただし、この理事長は男性です。

5/6(火)  デファクト・スタンダード
今日は、さりげなく、しかしとってもとっても重要なことを書く。

日本国民よ。このデファクトスタンダード(de facto standard)という概念は、私たちが世界の情勢を分析する上でととも重要な概念なのだ。
受験生よ。このデファクトスタンダード(de facto standard)は、ことしのセンター入試「現代社会」と小論文の隠れキーワードなのだ。
このごろ掲示板を騒がしている辞書論争では、このデファクトスタンダードとデジュールスタンダード(de jure standaed)が,正確に載っているか否かが判断基準なのだ。

 さて、このデファクトスタンダードということばであるが、今年の「現代社会」の教科書に初登場した。入試レベルでは、一昨年(だったかな)の慶応大学商学部の小論文にも出ている。もともとはラテン語で、デファクトとデジュールは対立した概念である。 デファクトとは「事実上の」という意味であり、「デジュール」とは「法律上」という意味になる。

この頃のメディアのではグローバルスタンダードなる言葉が頻出しているが、これはグローバルリストの手先どもが作り出した造語にすぎない。そもそもグローバルスタンダード(世界基準の意味)などとは、おいそれと勝手に用いることの出来ない言葉なのである。こんな60億人もの人口をかかえ、190以上の国々があるこの地球で、世界基準などというのが本当に存在するのか?つきつめて考えれば、世界基準など厳密にはどこにも存在しないのである。ただ、2つの成立事情によって世界の基準となってしまったモノがある。それがデファクトとデジュールなのだ。

デジュールとは、「法律上」の意味であり、正式な協議の上で、加盟者が納得した上で、の基準を表すものである。例えば、世界遺産の認定基準なんかがそうだ。

しかし、デファクトは違う。これは「ある争点の戦いに事実上勝利したモノが、その後の基準となりえる」という意味である。経済社会の本質はこのデファクトスタンダードの競争を繰り返していることにあり、より高度な技術革新が行われても、デファクトになり得なければ、そこでその技術は消滅してしまうのである。VTR競争で、ベータ方式が消えたことを考えれば理解して頂けるだろう。

そして、グローバルスタンダードの99%がこのデファクトスタンダードの言い換えである

私たちは、グローバルスタンダードなどと、もっともらしい言い方をしているが、これはまさしく「勝者の論理」「覇者の論理」である。そして、勝者が素早く「デファクト」を「グローバル」にすり替えて、無知な人々を騙しているだけである。

考えてみれば、イラク戦争でも、国連原子力機関の査察まではかろうじて「デジュール」な基準で行われていた。大量殺戮兵器があれば、テロ国家とみなし、なければないのである。しかしこの「デジュール」な基準は、アメリカの「事実上、(デファクト)」の基準すなわち「フセインは悪である、故に倒さねばならない」という覇者の論理によって戦争が始められた。

この世界情勢を、単純に、グローバル化、グローバリゼーション、グローバルスタンダードなどなど、グローバルなオブラートに包んで理解していると世界情勢を読み違える。

諸君、デファクトスタンダードをしっかり判断せよ。

すでに、グローバルな機関の手先と化している日本の各種メディアをしっかりと監視せよ。

しかしながら、デジュールな基準でばかりモノを考えて、時代に取り残されていった哀れな人間にはなるなよ。
5/2(金)  全体の雰囲気(アトモスフェアー)
ということで、学校の方がもの凄い忙しい。何か某F高全体が全力疾走している感じがする。応援練習&インターハイ&富嶽祭&宿題(3年生になって生徒の宿題と小テストの量がもの凄い増えた)&確認テスト&小テスト&面接&PTA総会&富友会(某F高OB組織)等々、生徒も教員も何となく走っている。
 このある組織の全体の大きな流れをつかむというのは大切だ。
世界は今、全体が漂っている。アメリカの圧倒的な軍事力を前にして、世界全体が対抗する気がなくなった。「ああ、あんたちの好きなようにすれば・・・・・・」という雰囲気だ。しかし、この停滞感の中で、反アメリカ勢力が着々と築きあげられていくだろう。しかしそれは軍事力としての対抗勢力ではないはずだ。つまりはテロや悪の枢軸(これも嘘だったよね、イラクって何か悪いことしたの?)などのレベルでななく、今度は経済的にアメリカから自立していく方向に向かうだろう。各国が少しずつドル建ての決済からユーロ建てにしていくはずだ。世界全体の雰囲気は「アメリカが嫌い」なのである。経済方面でアメリカ離れが始まり、急加速したときが世界大恐慌となるのだろう。予言する。2005年だ。それまでに、日本国民は貯金を「土地」や「金地金」や「プラチナ」などに変えていくことをお勧めする。
 日本も景気がどうなるか分からないので、とりあえず目先のことだけをチマチマと考えるようにしようとする雰囲気で全体が流れていく。なるべく全体傾向を見ないよう見ないようにと意識が動いている。日本全体が退行現象や逃避現象を起こしているのだ。この景気は、単に2.3年先に回復するものではない。コンドラチェフが発見し、シュンペーター博士(実は世界一の経済学者、マネタリズムのフリードマンと並ぶ。もう少し政経の教科書にしっかち登場すべきだ)が名付けた「コンドラチェフ循環」のサイクルに乗った不況なのである。コンドラチェフ循環は60年サイクル。主に世界の技術革新によって生ずるものである。日本が不況に陥ったのは1990年代。この当時は世界一の経済大国であったから日本を波の頭頂部と考えて良い。その日本が1990年代に不況に突入した。さて、60年前は、1930年代。つまりは1929年の大恐慌以後の世界だ。ちなみに1920年代のアメリカは「アスピリンエイジ」といわれたバブル期だった。アルカポネの活躍した時代でもある。
 このコンドラチェフ循環など、普通に高校の政治経済の教科書に登場している。僕は知らないが、大学の経済経営学の授業では常識に属するはずだ。しかし、日本の経済評論家達が、口にしたことなど一度もない。少なくとも僕は聞いていない。誰もが気づいていることなのに、誰もいえない。それが雰囲気というものだろう。
日本人は、この現実(あと30年くらいは景気は上向かないという事実)を見ないように、聞かないようにしているのだ。僕はいうけど・・・・・・・・・

5/1(木)  知らないあいだに5月になってしまいした。
 ということで、今日はもう5月です。ページ更新をしなければなりません。
でも忙しくてそれどこではない気もします。次回5月号もお楽しみに。