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 毒舌日記 4月号 新学期スタート大特集(小学館の雑誌みたいだ)「裡にある目はやがて、世界を見る」
5/1(木)  知らないあいだに5月になってしまいした。
 ということで、今日はもう5月です。ページ更新をしなければなりません。
でも忙しくてそれどこではない気もします。次回5月号もお楽しみに。
4/27(日)  3ページ目の更新は時事問題
ということで、某F高新時代のページを更新し、某F高スポーツも更新し、今日3回目の更新はとうとうメインページのここ。しかも今日は富士市市議会議員選挙。やはり、選挙話にふれなくてはなるまい。
 「マニフェスト」という言葉をご存じだろうか? 「Manifest」と正確には書く。これは本来「宣言」・「声明」「政策発表」という意味の言葉で、1980年代からイギリスなどで、政党が選挙前に作成する数値目標付き政策綱領 として発表されたものを指さす言葉である。 おそらく、次の統一地方選の頃(4年後)には多くの候補者がこのマニフェストを発表して選挙戦を戦っているはずだ。
今までの選挙といえば、選挙カー、ウグイス嬢、よろしくお願いしまーーーーーーす連呼、必勝鉢巻きなどがイメージとして浮かぶ。では、彼らあまたの立候補者の選挙公報を読んでみたところで、「福祉の充実」「皆様の声を議会に」「公共事業の削減」「住みやすい町作り」「三期12年の実績」 「若い力」などなど、つまり具体的な政策提言がはたして何であるのかなどさっぱり分からない。
 私たちはわからないまま、地縁と血縁だけで投票行動に及んでいた。とにかく今まではずっと「地縁&血縁のまるで未開社会の酋長を選ぶような」選挙を、日本人は続けていたのである。さしずめ今回の市議会議員選挙などは、ポリネシアあたりの珊瑚礁の島々で作られている部族連合に、一つ一つの島からご意見番としてあるいは単なる数あわせとして長老を送りだしているだけような感じに見える。
市議会議員さんははたして仕事があるのでしょうか?もし、市議会議員さんが市の行政当局の仕事に全くのチェック機能を用いないのなら、本当に給料泥棒です。もしかして、市会議員の仕事って、自分の出身地域に下水道を通し、街灯を新しくしたらそれで4年の任期が終わるなんてことになっていないでしょうね。

この硬直した、地方行政に新風を送り、今までの地縁血縁選挙と真っ向から対立するのがこのマニフェストなのである。マニフェストとは、具体的に数値目標・財源・期限を明確に公約の中に盛り込む。例えば「公共事業の投資規模を2年間で35%削減する」ことにより任期中に300億円の一般財源を確保する」とか「サービス関連企業を誘致し1万人の雇用を新た創出する」などである。さしずめ私が富士市長立候補者なら「富士球場の内野を芝生にしてプロの2軍の試合を3試合誘致する」とか「全小中学校の校庭を芝生化する。しかし年間3000円を維持管理費として富士市民全員に負担していただく」とかであろう。

そこまでしなければ住民の正しい判断を受けることはできないはずだ。しっかりとした政策、政策スタッフがいなければ選挙は戦えられないようになるだろう。このマニフェストの広がりが地方の議会、地方の行政。地方の政治すべてを変えるだろうと僕はにらんでいる。とにかく、あの市議会議員候補者の選挙ポスターの薄ら笑いを見ると虫ずがはしる。市議会は人数が多いので選挙ポスターを一括して貼り付けてあるあの大きなベニヤ板のパネルの前に立っているともううんざりだ。みんなにこにこ、笑顔でにこにこ、地方政治の危機を本当に訴え、地方政治に大きな危惧を感じており、それを立て直すために立候補するのであれば、その人のポスターは怒っていなければ意味が通らない。誰か、本当に政治に絶望を感じ、憂鬱な感情を隠さずに写した選挙ポスターを見たことがないか?あの夏目漱石のような顔で写っているポスターはないのかね?真に地方政治のことを考えれば誰でも憂鬱になるはずだ。なんでみんなあんなに作り笑いをすることができるのかね。

このマニフェストに日本人全員が注目せよ。

さてこの文章、特にマニフェストの定義を書くにあたっては、SAPIOの最新号46ページを参考にした、というより写した。このSAPIOであるが相変わらずよく売れているらしい。国際情報誌と言いながら、表紙がいつも「金正日」なのがおもしろいが、中身もなかなか読ませる。このSAPIOの最大の人気連載が小林よしのり先生の「ゴーマニズム宣言」である。今回のゴー宣は特にいい。僕が常に言い続けてきた独占メディアとアメリカ軍に関する指摘がものすごい鋭くかかれている。

これ以上SAPIOを盗作すると怒られそうなので、書くことはできないが、とにかく読んでほしい。

4/24(木) 生徒会選挙と富士市議会選挙
ということで、4/22、我が校で平成15年度前期生徒会長選挙が行われました。近年、生徒会会長の立候補者がでなくてどこの学校でも困っています。もう生徒会長候補者を捜す手段は2つしか残されておりません。ひとつは、下級生で生徒会執行部入りした奇特な生徒に「おまえ継続して生徒会を動かしてくれ」と口説く、もう一つは先生が「こいつならできそうだ」と思う生徒を口説く。いつの頃からか生徒会長に立候補したいと名乗り出てくる真摯な学生は一人もいなくなりました。
 まあ、某F高では無事に前者のパターンで会長候補ができて無事に生徒会長就任とあいなりました。これで、彼は「会長」です。実は昨年度の生徒会長は我がクラスに在籍していたのですが、その時から私は彼のことを「会長」と呼ぶことに決めました。クラスの生徒にも「会長」と言うように強制しました。先生にもお願いしました。これが日本文化なのです。我々は上司のことを決して○○さんとは言いません。これは敬意の印なのです。
今、生徒会の求心力は、学校の受験第一主義の前にどんどん崩れています。それに対するささやかな抵抗です。でも、役が人を作るのです。今後も呼称「会長」主義は続けていきます。
 さて、学校で生徒会の求心力が弱まり、生徒会長の立候補者がいなくなったのは、ただ受験第一主義の影響だけではありません。人を動かす一番の力が今の生徒会には存在しません。それは予算決定権です。学校では数百万の生徒会会計が存在します。しかし、それは部活動の旅費や部費、生徒会本部支出に例年の動向によって配分され、生徒数減による予算削減問題も、各部一律に10%カットていどの削減だけで大きな議論もないまま決まってしまいます。予算決定権を失った生徒会は単なる学校行事雑用係に成り下がり、生徒会長の最高の仕事が、球技大会の優勝クラスに自分の名前と角印の入った賞状を手渡すだけになってしまいました。「生徒会と一般生徒の距離が離れていっている」とは、よく生徒会選挙の時に立候補者が言う言葉です。しかし、お金が絡まない機関に人間が近づくわけがないのです。生徒会を活性化し、生徒会長立候補者が乱立するようにするためには「予算決定権」を全て譲り渡すしかないのです。したがって無理な話なのです。
 しかし、今回の生徒会長演説では、その「お金の話」がちらっとでました。それは、別に予算の話ではないのですが、「今回、生徒会では各種の募金に積極的に参加しようと思います。とりあえず、僕らは不自由なく高校生活を送っていますが、それもままならない仲間達が世界には多くいます。その人の為にみなさんのお小遣いの中から50円くらいは支出したいと思います」という感じの演説がありました。その時聴衆たる一般生徒の顔がピックと動きました。僕が次期生徒会長に期待する点はこの一言に尽きます。やはり、金の話が出来ない政治演説は説得力がないのです。

 ということは、今の統一地方選。それなりの立候補者を集め、それなりの盛り上がりを見せている地域では、そのまま金の分配合戦が続いていることを意味しています。また、選挙が盛り上がる。選挙を手伝う人が多くいることは、そこに「金になる話」が転がっているからです。体制派は利権の為に選挙運動をし、反体制派(これ以上うまく分類できない。ニュアンスが変に感じた方々、許して下さい)は金を勝手に使わせない為に選挙活動をするのです。
 よく、政治家と地元利権の話がでますが、これをつぶさに細かく公開した例を知りません。実際のところはどうなんでしょう。この情報を生で体験するために一度、市議会や市長に立候補し(当選したらもっと良い)、生の政治を身につけてもう一度教職に復帰できるシステムってないのでしょうか?

4/22(火) Tommy書店を開設!!!!

ということで、esbooksさんを利用しまして、書店を開設しました。と言っても別に利益がでるわけではありません。儲かるのはesbooksだけです。
この電脳書店は、ネットで本を注文し、近所のセブンイレブンで受け渡し出来るという便利なものです。このような電子取引の発展は現代社会の特徴として、高校社会の教科書にも堂々と登場しています。我が輩の授業でも次の次くらいにお勉強するはずです。従って、わが輩は授業の予習(下調べ)としてこの作業を行っております。
 今回の新学習指導要領で、授業の形態はどんどん変わっていきました。もちろん机上の空論上の変化です。授業そのものは全く変わっていません。高校の授業は学習指導要領で作られるモノではなく、大学入試によって作られます。某F高の授業は「センター入試」と「東大&京大&旧帝国大学の出題」が基準なのです。あくまでも新学習指導要領は机上の空論なのです。
 しかし、今年の1年生、つまり新学習指導要領世代の使用する教科書自体は変化しています。要するに「調べ学習」的な部分がどんどん入っていきます。こんな調べ学習を授業でゆっくりやっていたら全然範囲が終わりません。
 我々教員には知識を定着させ、興味関心を持たせ、技能を習得させる(この3つが新学習指導要領の根底にある大前提)ことの他に「センター入試」で高得点をとらせ、「個別学力入試」で合格最低点をとらせることもしなければならないのです。特に社会科(今では地歴公民科という)は生徒の優先順位(プライオリティ)でいうと5番目に位置します。英数国理社の順です。高校の場合、このプライオリティは勉強時間に直結します。我が某F高の学生は毎日180分以上は確実に勉強しています(これは事実)。その中で、社会の勉強時間は平均7分から10分です。(これも事実)ということは、授業の時間内で全てを教えてしまわなければ無理です。したがって、文部科学省の提唱する新学習指導要領、「生きる力」を育む教育などは、授業現場においてはほとんど出来ないと言ってよいでしょう。
 しかし、私は、授業を離れたところで実践しています。このHPもそのように使って貰いたいのです。
つまり、「授業で興味関心を持った」→「自分でも調べてみたい」→「とりあえずインターネットで検索」→「どこから検索していよいかわからない」→「とりあえず先生のHPに行こう」→「毒舌日記を読む」→「リンク先を読む」→「リンク先のHPを読む」→「正しい世界が広がる」→「ますます興味関心が沸く」→「本を買ってみて自分でも勉強したくなる」→「TOMMY書店に行く」→「お勧め書籍をチェック」→「購入」となるのです。
しかし、今のところ数点しか店頭紹介していません。とりあえず今日は、練習をしてみたのです。今後、私の部屋(どうだすごいだろ、若干40歳にして私の部屋があるのだ。おかしなことに日本では、ろくに勉強しない子供達の為の部屋はどこにでもあるのに、一家で一番重要なご主人様の部屋を作ろうとしない。なんか変だろ)にあ書籍をどしどしこの書店で公開します。無理にここで買えとは言いません。ここでいくら本を買っても僕の利益にはなりません。でも、いつかどこかで、このお勧め本を買って下さい。本の著者は原稿料と印税で暮らしております。僕たちが養っているのです。よい作家(ルポライター、学者、ジャーナリストなど全てを含む)は僕たちが育てるのです。よい仕事には正しい評価をするのです。
 しかしながら、現在は書籍販売業界も出版業界も、半ば情報統制下に置かれており、少しでも危ない本(正しいことを伝えている)は全く販売ルートに乗ることができない状態です。正しいことを言うと巨大メディアの仕切る言論界からは抹殺されるのです。

ということで、Tommy書店をクリック


4/21(月) うるさい選挙戦の中の授業だ。やだな。

ということで、この1週間は富士市議会選挙の真っ最中となります。某F高の周りでどなる選挙カーの人には絶対投票しないで下さい。しかし、この情報社会のご時世で、選挙カーを使って大声で名前を連呼しなければ勝てないモノなのですかね?
僕だったら、新聞広告とローカル新聞の意見広告のみで勝負するけれど・・・・・・、
「皆様の生活を、うるさい選挙カーで邪魔しません。本当に皆様のことだけを考えたT山K之です」

これで、当選しないようだと市民感覚も相当遅れている。
4/20(日) 書店を開設する予定です。

もうみなさんよーくご存じでしょうが、Eブックスという電子取引書店で、店長をやろうかと思っております。今までは、出入りの業者との癒着する為
絶対に書店で注文して本を買っていました。これは僕にとってかなり涙ぐましい努力をしていたのです。たとえば、ぶらりと立ち寄った本屋で、これはっ と思い。思わず買おうとしてもそこでは我慢して題名と著者名をメモし、2.3日後、外商のKさんに注文するなどというバカバカしい行動をしていました。 なぜでしょう?
 これからは、電子取引書店も活用しようかと考えています。

4/18(金) この時期だけ売れる週刊誌

 といえば、サンデー毎日ですよね。僕も思わず昨日、買ってしまいました。何せ全国の大学進学実績が毎週のように掲載されていますからね。
しかし、あのサンデー毎日の記事ですが、我々教員の協力があってこそ出来上がるのですよ。某F高からも3回ほどアンケートを送っています。
僕の現在の政策は、「教育で人を呼ぶ」です。全国の皆さん、別に高校生の保護者でなくてもよいですからこの時期のサンデー毎日を1回くらい買ってみて下さい。どこの高校が進学実績を伸ばしているか、知っていて損はないです。
 しかし、このサンデー毎日の大ヒット企画を、全くはずかしげもなくパクッている週刊誌もでてきました。全くプライドも何もあったもんじゃない。それが「デイリーヨミウリ」です。本当は前部ローマ字のはずです。ここの最新号に「全国東大に入学させる実力ランキング150」というのがありました。他誌の企画を少しだけ拝借して、ちょっと工夫をこらすという全く日本的な企画モノです。悔しいながら某F高がこのランキングに入っていない。
だからこそ、この「デイリーヨミウリ」の記事は許せない。なぜ、この名門某F高が載らないように記事を操作するのだ(あれは記事を書いているわけではない)、君たちの編集方針は間違っている。
 デイリーヨミウリの皆さん、100歩譲ってサンデー毎日の企画をパクることは許しましょう。しかし、某F高を無視するのは許しません。来年こそは某F高がトップにくるような記事に仕立てあげなさい。
 まっ、来年の入試は、実力で上位に食い込んでやるからね。目指せ東大15人京大10人、国公立大学300人
科目ローテーション法さえ守れば何とかなる。 
4/17(木) 次はどこ?
 ということで、またまたメディア批判。このごろの話題はイラクのフセイン政権を倒したあとはどこを懲らしめようか?らしい。シリアとも言われ、いつも通り北朝鮮のこともクローズアップされてきた。しかし、これら全てがアメリカ帝国の尻馬に乗っているだけのことだと気づいてほしい。賢明な日本人なら、世界の警察官を気取って自分の圧倒的な軍事力で弱小国の民族指導者を痛めつけきたアメリカ帝国を真の姿にそろそろ気付くべきだ
。アメリカ帝国は、いつの日か崩壊していく。それはローマ帝国や大英帝国が崩壊したのと同じようにだ。これは簡単にいうと、帝国内の富と生産機能が海外に流出と、帝国内には属国(支配地域)からの貧民の流入による人口増加のアンバランスによる経済崩壊が起きるからだ。大雑把に今後の日本の行く末を考えるならば、アメリカ帝国の崩壊とともに心中するかもしくは、上手に独立を守るかなのだ。現在、アメリカ帝国内は相当な不況に苦しんでいる。この不況風を戦争の特需景気で持ちこたえようとしているだけなのだ。
 なぜ、こんな単純なことをメディアは書かないのだろう?誰だ、「今度はシリア」と言ったのは?フジテレビか?読売か?
アメリカ帝国の走狗となって日本人を欺いているのは、どこの新聞社だ!!!!!!!


4/15(火) どこに行ってしまったのフセイン

ということで、何ともあっけなくイラク戦争が終わった。アフガンの戦争もとってもあっけなく終わった。この2つの戦争について内外のメディアは、ゲリラ戦の発生による長期化の危惧をずっと訴えてきた。しかしすべてはずした。メディアはこの2つの近代戦争の行く末を全く予測できなかったのである。なぜだろうか?
 やはり第一に、メディアの自由な活躍が出来ないように完全な情報統制が行われていることが大きい。アフガンにせよ、イラクにせよ、アメリカは
デイジーカッターや劣化ウラン弾などの大型殺戮兵器をどんどん落としている。一度に500人くらいの殺傷能力のある爆弾だ。しかし、決してその傷跡はメディアに流れていない。アフガンでもイラクでも、我々は常にCNNの画像しか見ることが出来ない。他に撮影する機関がないのだ。したがって、世界の各メディアは、アメリカ軍発表の記事とアメリカ発表の映像だけで今度の戦争を判断することになる。もし、この2つが、つるんでいたらどうなる。グルだったらどうなる。連携プレーであったらどうなる。ヤラセ映像だったらどうなる。すべてのメディアの権威はまったくがた落ちだ。
 日本人は58年前の戦争のことを、自分達の口で「あの戦争の時、我々は騙されていた。指導者達の大本営発表を信じ込まされてきた。あの大本営発表はすべてごまかしだった」と常々批判してきた。では、今もこの批判をアメリカに当てはめてもらいたい。たかだかCNNのニュース画像で一喜一憂。あれが全てイラクであると絶対思うな!!!!!。
 ニュース画像はすべて管理されている

さて、フセインの居場所であるが、正直いって分からない。実はどうでもよくなった。というのは、このイラク戦争そのものが、アメリカとイラク内部の反フセイン派とのヤラセだった疑いもあるからだ。まっ完全な出来レースではないにせよ、フセイン政権内にかなりの内通者がいた我が輩はみている。 そして、フセインの影響力など全くなくなった。

日本人よ覚醒せよ
このアフガン&イラク戦争を見て、我々日本人は58年前の戦争の真の姿がわかるだろう。アメリカの戦略の全てが理解できるだろう。この2つの戦争は日本を写す鏡なのだ。
 バグダットには解放を宣言するアメリカ軍に媚びをうる民衆がうようよしている。日本にも「ギブミーチョコレート」と叫ぶ者がいた。これから、イラクもアフガンもアメリカの属国として育てられる。マッカーサーの本で軍政がひかれ、マッカーサーの本で憲法が作られた。すべて日本での戦後政策をお手本としているのだ。
 そして、日本が50年前、マッカーサーとダレスの対立によって、このいびつな平和憲法&日米安保条約&自衛隊というセットが作られたのと同じように、アフガンとイラクの命運も、ラムズフェルドとパウエルの対立という全くアメリカ帝国内の人事抗争によって決まってしまうのだ。
 もしかすると、広島&長崎の悲惨な映像が終戦後しばらくたって出てきたように、イラクやアフガンのもっともっとむごたらしい映像もあと2.3年後には出てくるかもしれない。

 

4/14(月) 選挙終わる(イラク戦争も終わってしまったようだ)

 ということで、イラク戦争も終焉を向かえ、地方統一選挙も第一弾が終わりました。この地方統一選挙ですが、報道がイラク戦争とダブッたのでいまいち盛り上がらなかったような気がしています。県議会選挙において、我が富士市は定数5のところに8人が立候補の県下有数激戦区だといわれてはおりましたが、われわれ一般市民にはその激戦の様子がまったく伝わってきません。授業中に選挙カーからウグイスおばさんの声だけが響いて腹が立ったくらいです。

 そもそも、この県議会議員選挙は構造自体が間違っています。日本人は知っていながら知らないふりをしているのでしょうか?それとも気がついていないのでしょうか?
県議会選挙の構造的欠陥
 選挙制度には、大選挙区制と小選挙区制があります。大選挙区制とは、「1選挙区から多数の当選者をだす」選挙区であり、小選挙区とは「1選挙区から1名の当選者をだす」選挙区のことをあらわします。
昔、中選挙区というの名前でよばれていた選挙制度がありましたが、中選挙区などの言葉は世界基準ではまったく存在しません。あれは大選挙区のことです。
 
この構造的欠陥の仕組みを例を挙げて説明しましょう。

 大選挙区の2名選出する選挙区と5名選出する選挙区では人口に約2.5倍の人口格差があるはずです。例えば2名選出のところは20万人、5名選出のところは50万人というふうに、
したがって、有権者20万人中の一人の1票の重みは20万分の一となります。すると、有権者50万人選挙区での1票の重みは50万分の1です。
いいですか、大選挙区の選挙というのは、一人1票であるかぎり、いくら定数を比例配分したところで格差はなくなっていないのです。都市部の議員定数が多くて郡部が少ない、人口比で定数を配分するという仕組みは全くの欺瞞でありまして、本当の平等選挙であるならば、2名選出する選挙区は2名連記制、5名選出するのであれば5名の連記制にしなければなりません。

 それがいやなら、県議会選挙でさえも、完全小選挙区(必ず1名選出)にするべきです。

もし、「県」という自治体本来の仕事の為に選ぶのであれば県下全選挙区にするべきです。

この現行選挙制度が行われていくかぎり、県議会の馴れ合い体質は変わりません。たとえ、政党が変わっても「選挙民のため」の大義名分はかわりませんので、その選挙区内の政策公約はいつも同じようなことばかりなのです。


ところで、この選挙の体質ってどうにかならないのでしょうか?選挙カーで回るだけが選挙なのでしょうか?
完全なサイレント選挙を標榜する立候補者がいたら1票いれていたのに・・・・・・・・・・・・・・


もうひとつ最後に愚痴をこぼす。

はやり、「政治はお上がやるもの」という日本の体質が問題だ。もちろん日本の1400年くらいの歴史がそうさせたわけではあるが、現在の教育体制にも問題がある。
そもそも、日本の社会科教育(社会科という名前は戦後から)では、知らず知らずのうちに子供たちを「立派な選挙民」に育成し、「立派なサラリーマン」に育成するようにしてきた。これは一種の洗脳教育である。
反対の概念である、「立派な被選挙人」になり「立派な自営業者」が濫立してしまうと、時の為政者が困ってしまうからだ。日本の子供たちは、知らず知らずのうちに愚かな選挙民になるべく教育されてきたのだし、同時に愚かなサラリーマンになるべく教育されてきた。
 しかし、これからの日本を変えるのは「覚醒した立候補者(政治家)」であるはずであり、「(日本の馬鹿みたいな税制に)覚醒した脱サラリーマン」なのだ。

 私が教員なりたてのころ、ある政治経済の教員(政治経済の教員というのは日本史や世界史の教員と比べて人数が少ないので、少々ひがみ根性もある)が「政治経済」を教える意義について、こう言っていた。「とにかく、政治経済を教えて、その子供たちが選挙に行くようになれば目的は達成されたのではないか」と。
 当時は恥ずかしながらもその言葉に賛成していた。しかし、今は違う!!!!!!。「政治経済の授業の意義」は「立派な被選挙人」を作ることである。と確信している。
4/10(木) 新着情報

ということで、掲示板の投稿から、新たに生徒のHPを2件リンク先に追加しました。その他の生徒系リンクも併せてお楽しみ下さい。
そして今日は対面式とアッセンブリ。対面式ではノセ会長のすばらしい訓話が聞かれるはずだ。我が校の対面式は、第1部がいわゆる対面式。
第2部が、富嶽祭のプレビュー企画である。ここで、今回の富嶽祭実行委員の面々が挨拶する。このプレビュー企画も楽しみだ。去年みたいにはずさないでね。
 最後に、アセンブリである。我が輩のアセンブリの思い出に関しては、こちらで

 3年生諸君、昨日は16:00から17:00までの学年集会ご苦労様。そのとき、我が輩も話す機会があったので、密かに公開していた「苦手科目克服勉強法」  を360人の生徒の前でとうとうしゃべってしまった。ほんのごくわずかの人間には失笑を買っていたらしい。が、これは本当に金になる話なのである。我がクラス、および3年生にこの勉強法を実践してもらい、モニターとなっていただく。あと1年後、「僕もおかでさまで合格しました!!!!」という広告を大々的に載せる。 その後、有料サイトにする。
 どんどん儲かる。
この「おかげさまで・・・・・に合格しました、超勉強法に感謝感謝」のコメントを載せた諸君にはアルバイト代としていくらか謝礼を払う(卒業後だから問題ないだろう)

どうだ、現在の高校生のヒット数は推定50000件。有料登録の見積もり20%とみて10000人、一人1000円の登録料で1千万。
これは儲かる。 さて、みんなで山分けしようぜ。
4/9(水) 生徒の制服を考える(下火になってきた制服論争に再び点火 

 ということで、新学期が始まった。某F高では昨日が課題実力テスト、今日が第2日目である。生徒諸君、がんばって。
わたくしはというと、昨日の朝、小学校のPTAのお仕事で近所の横断歩道での立ち番をした。小学校の少年少女たちが何ともかわいらしい。中学校の新入生だと思われる集団もいた。何となく制服姿がぎくしゃくしているのでよくわかる。詰め襟の学生服やセーラー服も上手に着こなすには年期がいるもんだ。
 セーラー服はさておき、詰め襟の学生服は明らかに大人の為の服である。あの詰め襟をきっちり着こなした軍人さんなどはみていてすがすがしいし、それだけで立派に見える。この学生服のデザインを中学生や高校生と軍人だけに独占させるのはファッション界としては損失だと思う。マオカラーの仕立てでもう少し襟が硬くて立ったデザインのスーツは売れるような気がしてならない。
 しかしだな、中学生の通学スタイルはもう少し何とかならないか?
生徒指導上の問題とか、何とか、教員としての立場上理解できないこともないが、よく観察してみればとってもダザイ。まず第一に、黒の詰め襟の学生服の上下に白い運動靴は完全にミスマッチである。あの黒の上下に白い運動靴という色合わせは絶対に可笑しい。どうして白なのか?全く理解できない。ふつうなら学生服には革靴のはずだ。運動靴であってもグレー系や茶色の色ならまだいい。なぜ、白なのかを誰か説明してほしい(しかも一番汚れが目立つではないかい)。学生服にリュックサックというのもミスマッチである。通勤していると各中学校ごとにデザインが変わっているのがわかるが、どれをとってもださい。
この頃の高校生がやや猫背気味に歩くのは、いつもリュックサックを背負って通学しているせいではなかろうか。
 中年になると、若者の着こなしにすぐ文句をつける奴がいるが(わたしではない)、子供達にまったくおかしなスタイルを強制させ、ファッションセンスを麻痺させておいて何をいうかだ。中年諸君も異様にダサイことを自覚しているのか? あのパジャマのような上下そろいのニットの服は何だ?名前がよくわからないのでうまく説明できないが、運動着のようで運動着でない服のことだ。仕事以外ではいつもあれを着て、しかもセカンドバックを脇に抱えて、携帯電話をかけている奴をみると無性に腹が立ってくる。
 ジャージという言葉も変だ。ジャージってそもそも何だ?僕らが子供時代は「トレーニングウエア」と呼んだ。日本語の辞書には「ジャージ」など載っていない。「ジャージー jersey」ならばある。「細かい毛糸を細かいメリヤス編みにした柔らかくて厚い生地。婦人のワンピースなどに使う」(新明解国語辞典)ものらしい。
納得できないので、講談社の日本語大辞典まで引っ張り出してきて調べてみた。それによると、上の説明に加えて、「イギリス海峡のジャージー島が原産で漁夫の衣料品に使われていた。伸縮性に富む」とある。また、「ラクビー選手のユニフォーム」ともでていた。確かに、ラクビーのユニフォームのことは「ジャージー」と言っている。しかし、あれはあくまでも「ジャージー」であって「ジャージ」ではない。
ということで、今後一切、私は「ジャージ」というおかしな言葉を使わないことを宣言する。あれはトレーニングウエアである。
 もちろん、ワイシャツとネクタイ姿の上にトレーニングウエアの上着を着てるあのいかにも教師みたいな姿には絶対ならない。これはもう数年間実践している。

4/7(月)  入学式祝辞(ふざけているようで実は真面目)
 平成15年度、某F高新入生の諸君。入学おめでとう。今日ここに、多くのご来賓(HP読者)の方々のご臨席を賜り、また、多数の保護者(事実)の御出席のもと、平成15年度の入学式を挙行できますことは私ども某F高の関係者にとりまして、この上のない喜びであります。高いところからではありますがご出席の皆様に厚く御礼申し上げます。
 さて、新入生諸君。君たちはこれから3年間、某F高という素晴らしい環境(多少の誇張)に恵まれて有意義な時間を過ごす事になることでしょう。そして君たちが希望する新たなステージに旅立つことになるでしょう。諸君の栄光ある3年間の始まりの時にあたって、当HP管理人(将来の校長?)より、次のことをお話しておきます。今後正しい(一種の)某F高生となるための心構えであります。
その1、「君たちの頭がよいのは自分のせいではない。」
 君たちは、物心つくころから、いい子ね、賢い子ね、頭がいいね、と褒められ続けてきました。某F高はこの地区1位、県下の5指に入る、全国模試順位も40位以内の有名進学校ですから、頭が良くなければ入学できません。事実何倍かの厳しい入試競争を勝ち抜いてここにたどり着いたわけです。しかし、それがすべて自分自身の勉強の成果であると勘違いしていたら大間違いです。あなた方が頭が良いのは、君たちが勉強したからではなく、親のから頂いた遺伝子が素晴らしかったからです。もともと出来がいいのです。絶対に勘違いしないでください。したがって、この入学式では後ろに座っているお父さん、お母さんが褒められるべきなのです。
その2、「ならばその頭脳を自分勝手に使うな」
、君たちはたまたま、良くできた頭脳を授けられた存在なのです。他者から宝物のような頭脳を偶然にも貰い受けてしまったのです。この偉大な宝物を、自分勝手に使っては、すべての人類に対して失礼です。もし、その頭脳が他の人に渡っていたら、ノーベル賞を取ったかも知れません。もっと、世の中のためになっていたかも知れません。君たちは、世の中の為、人類の為、地球の為にその頭脳を使う義務があるのです。「自分のために勉強する」などと言った奴には必ず天誅が下ります。今から10年前、バブル経済の最中に有り余ったお金を自分のために使った奴らには天罰があったように、必ずや不幸な目にあいます。君たちがなぜ勉強するかといえば、人類発展・日本発展・富士市&富士宮市発展のためです(もちろん家族を幸せにすることも含む)。あのバカでぼんくらな某超大国のB大統領でさえ、アメリカ発展のために、日夜、ない知恵を一生懸命しぼりだしております。ならば、少なくとも彼より頭のイイ君たちならばもっとできる筈です。日本の発展の為に何かが。
その3「ノブレス・オブリュージュ」
このように、たまたま、頭のいい人間もしくはたまたまお金持ちになった人間が。その他の人々のために行うべき行為をノブレスオブリュージュ(高貴なる者の義務)と言います。制服をだらしなく着てはいけません。猫背で歩いてはいけません。下品なお弁当の食べ方をしてはいけません。下々の使う言葉を公的な場でつかってはいけません。頭の先から指先、つま先までの仕草をもう一度おさらいして下さい。あなた方は、これらをマスターすべき頭脳を持ち、これらを伝えるべき立場にたまたまなってしまったのです。高貴なる立場に立つ人間としての品性を磨いてください。あなたがたの品性がすなはち基準となるのです。
その4「某F高体操と校歌と応援歌を早く覚えよ」
さて、その1からその3までをしっかり守っていけば、この某F高の卒業生が、いずれは日本の政界・財界・学界・法曹界・マスコミ・教育界などなどで、バシバシ活躍するのは目に見えております。わたくしの夢といいますのは、このように日本の各界で活躍している某F高OBと一緒に国会議事堂の前の広場で(赤坂離宮でも、武道館でも、日比谷公園でも可)某F高体操を演じ、校歌と応援歌を歌うことであります。今のうちに覚えてください。

以上の4つのことを、前途洋々たる新入生への祝辞としてお贈りいたします。

「新入生、ここをクリック、礼」
4/4(金) カタンその2(ここは適当に読み飛ばして、下へスクロール)
ということで、カタンのお話です。とにかく公式HPをチェック。このゲーム、サイコロを使って行うのですが、そのサイコロの目だけコマが進むわけではないのです。そもそもコマというものがありません。では何が進むのかというと、自分で道と家と街を作りながら、島を進んでいくのです。ちなみにカタンとは「カタン島」を意味します。このカタンとは、カタン島の開発&開拓ゲームなのです。サイコロをふると(このサイコロも工夫されている)
でた目に従って、麦や羊や木やレンガや鉄という収穫物が手に入ります。この収穫物を使って道を作り、家を建て、街を建設して行くのです。そしてたくさん建設していち早く10ポイント獲得したプレーヤーの勝ちになります。まっ、僕が説明してもあまり面白さが伝わらないので、ぜひ買ってください。静岡では、静岡市呉服町の「赤春堂」というおもちゃ屋で手に入ります。東京ではどこのデパートでも売っています(チェック済み)。昨日の親子対決は、長男(10才)の圧倒的勝利、悔しい。

4/4(金) 最新某F高情報(学校情報)・情報開示の必要性
 ということで、今日は1日中、会議です。職員全体で新年度スタートです。
まずは「企画委員会」、これは校長・教頭・各課長・各主任級の会議です。もちろん私は出席できません。その後9:00から「職員会議」です。別に会議といっても議論があるわけでなくそれぞれの事項の確認です。10:00からは「学年会」、私は3年部に所属しておりますので、そこに出ます。今年度の方針や役割分担などの最終確認です。そして、午後には「分掌会議」、この分掌とは、職員団の横のつながり、学校運営の機能的役割分担のことで、・進路・教務・生徒指導・図書・総務・保健などに分かれています。
 私は進路課に所属しています。その某F高の進路課ですが、全国的にも有名で、昨年度も全国各地から20校程度の学校訪問をうけました。したがって、気合がはいっています。今年の目標は東大&京大25人、国公立大学300人でしょうか(?)、というのもこの今度の新3年の生徒諸君の出来が近年になくいいのです。某F高開闢以来の好成績を、全国模試で残しています。最近の進研模試では、5教科総合で全国23位、英語だけだと全国8位です。すげーーーー。
 そして、最後は「教科会」私は社会科、ここで今年の担当クラス、担当講座が決まります。今年わたくしが担当する授業は、1年生の現代社会2クラス、2年日本史1クラス、3年「公民演習」4クラスです。
 1年の現代社会では、早速「NWO」からはじめましょう。NEW WORLD ORDERです。いいですか世界は変化しているのです。この世界の変化を、TOMMY的にぶった切ります。新入生諸君、お楽しみに。2年生の日本史では、前方後円墳の秘密、邪馬台国の場所、聖徳太子のなぞなどなど、最新の驚愕学説をどしどし公開しちゃいます。おじさん世代は、邪馬台国って九州か大和地方のどちらかにあって、その邪馬台国論争は未だに結論を得ていない。なんて教わっているでしょう。実はそのどちらにもないのですね。邪馬台国の場所は、山口県の瀬戸内海よりの港町です。(この学説に興味のある方は是非メールを)。
 そして3年生では「公民演習」です。今年から、大学センター試験が5教科7科目受験となり、文型の受験生は「現代社会」もしくは「政治経済」が必修になりました。この対策をやる授業です。しかし、今まで学校で「政治・経済」などを教えていて、世の中がよくなったでしょうか? これは難しいですね。したがって、政治経済の担当教員の目標としては、@センター試験で平均70点を取らせる。A真の世界の姿を教える(日本は国連中心の外交政策が主体ですが、政治経済の教科書も国連中心主義です。この国連中心主義は、イラク戦争の経過の中でもろくも崩れ去りました。では何を教えていいのでしょう?)B社会人になって迷わないように、生活者としての視線で教える。(日本の政治経済の教科書の中心は、良い有権者&良い消費者&良いサラリーマンです。しかし、今、若者に必要な知識と行為は、良い被選挙人&賢い自営業者です。日本の税法は、歪んでいます。このままではサラリーマンは絶対損をします。逆に国家が得をするわけですが、今までは学校をあげて良いサラリーマンを養成していたのです。これが国策です。しかし、今後は、たとえ会社に属していようとも、個人が法人格をもって仕事をするべきなのです。ですから、高校でも独立開業にむけての基本的知識ていどは教えないとだめなのです。ちなみに、私立大学の工学部にはそのような講座があります。)さてさて、どうなることやら・・・・・・

 なぜ、こんな内輪ネタをごそごそと書くのか?
 最近「広島の公教育はなぜ崩壊したのか」という本を読了しました。私は、この本を広島の知り合い(東雲牛さん)から紹介されました。広島ではベストセラーだそうです。ということは一般市民も教育にとても興味をもっており、学校の内部のことを知りたがっているのです。学校側もそれに対応すべく情報公開を進めていますが、官公庁の情報公開って、まったく面白くないのです。はっきりいってよくわかりません。したがって、このようなページを持つものの義務として今後も学校情報をどしどし公開すべきなのです。 もうひとつは我が愛する某F高をもっともっと宣伝しなければならないからです。

 統一地方選始まる。
さきほど、「我が愛する某F高をもっともっと宣伝しなければならない」と書きました。この話と統一地方選には関連があります。もう何年も「地方の時代・地方の時代」と叫ばれていますが、何が地方の時代なのでしょう?どこに元気な地方があるのでしょう?元気なのは東京だけではないですか!!!!地方の小売業者はどしどし倒産しています。地方の箱物土建行政は行き詰りました。いくら道路を作っても、地方の若者がどんどん都会に流入していくだけです。今、地方がすることは何なのでしょう。
 それが、教育なのです。今や片道40キロというのは普通の通勤距離となっております。我が富士市では片道100キロの新幹線東京通勤も可能です。富士市の行政として、いや全国どの町でも、税収確保は人口確保です。どのようにすれば、人々が「家族が住む町」として富士を選んでくれるか否かが一番の問題であるわけです。その為に、道路・宅地・文化施設などを作ってきました。しかし、「教育」だけはアンタッチャブルだったのです。「教育」だけは学校の専権事項でした。
 でも、これからは違います。「教育」によって住む町を選ぶ時代が確実にやってまいります。子供の教育のためにおとうさんやお母さんが街を選ぶのです。子供の教育のためなら片道40キロを通勤するのです。私たち家族は、朝7:00から夜19:00までの保育をしてくれる保育園の近くに家を購入しました。
 今、小学校に通わせているのですが、校庭が全面芝生の小学校があれば、絶対そちらに通わせます。引っ越してもいいと思います。(持ち家が有利というのは幻想で、借家住まいもマネープランニング面では有利なのです)。
 公立中学校も、実はどこでも同じではないのです。高校進学率にも差があります。中学生を持つ親の世代ならば、同じことを思っていると思いますが、中学では、しっかりした躾を学ばせ、勉強もキチンとやらせ、放課後は精一杯部活動で汗をかいてスポーツをさせたいでしょう。でも、これができる中学とできない中学が歴然と存在しているのです。市の取り決めで、月曜日と木曜日には放課後部活動をしてはいけない。という市があるのです。それは確かに現実の中学教員は重労働です。大学卒の業種では典型的な3Kの職業です。ならば、もっともっとスポーツを教える先生を雇えばいいのです。広島県福山市では「同和教育」のための学習指導員を市の職員として雇用しているのです。富士市では、スポーツの指導のために市がスポーツ指導員を雇用し各学校に配置すればいいのです。
 今度の学習指導要領は学校の裁量幅がかなり広がりました。学校間競争はますます激化します。この波は、県立と私立で競争しあっている高校から、私立中学、市立中学、県立中学(静岡でも中高一貫校がスタートしています)での競争へと広がっていくでしょう。次は小学校です。皆さんは今でも、提出書類1枚で学区外の公立学校へ通わせることができることを知っていますか。
 もう一度言います。これからは「教育」で人を呼ぶ時代がやってきます。
さて、この統一地方選。多分新聞の見出しでは、「争点なき選挙」などという見出しが頻出するしょう。(これを読んでいる、S新聞社の整理部の方々、そうですよね)、しかし、争点のない選挙ほど恥ずかしい見出しはありません。別に新聞として恥ずかしいのではなく、立候補している人と、そんな人しか立候補させられない市民が恥ずかしいのです。「争点」はいくらでもあるのです。もっとよく考えなさい。
 もし、僕が地方撰に立候補するなら、もちろん「空港ではなく、教育を」です。飛行機通勤は不可能ですが、新幹線通勤は可能です。
 
だから、高校もコマーシャルが必要なのです。これからの学校は秘密主義ではもちろんいけません。しかし、情報開示・情報公開だけでもだめです。コマーシャルです。 学校もマーケッティングの時代がやってきます。
 このHPを読んで、「是非、我が子を某F高に入れたい」と思わせなければいけないのです。
そんなことねえだろう(これが本日のオチ)、しかしオチ以外の理念はただしい。

 更新の余裕がありませんので某F高スポーツもついでに書いちゃいます。
いま、春季高校野球地区大会の真っ最中です。 3/29日は 富士VS小山の1回戦があり12-3(8回コールド)で撃破、この日まで僕のクラスであった4番小林君が大活躍!!!!!!
 昨日4/3は富士球場で2回戦。7-1で伊東高校を軽く一蹴。といっても、6回までは1-1の大接戦。後半打線爆発ってところです。ヒーローは何と言っても7番サード吉田君、2塁打2本ともタイムリーでした。このままだと小林君の4番の座が危うい!!!!。この日から我がクラスの榊原君も打順が2番に昇格してちょっぴり活躍。そして、久しぶりにスタメン出場の鈴木匠君、打球は前に飛ばせよ。

 第3回戦は明日の第2試合、裾野球場だ。 スタンドで会おう。

しかし、昨日は富士球場のスタンドで教員を良く見かけた。某F高の教員なら意味がわかるが、なぜあんなに他校の先生がいるの?なぞ

4/1(火) 新年度最初のページスタート(私の半生をカタンで語ろう)
ということで、全国7万人の読者の皆様、年度あけましておめでとうごいます。我輩は春休みを満喫しております。
この春休みが素晴らしいものになった最大の功績は新しく発見したボードゲームにあります、その名をカタン。ドイツ生まれのニュータイプのゲーム
4日前にやっと手に入れ、毎日家族で楽しんでおります。

 1我が家でのボードゲームの歴史

そもそも、なぜボードゲームなのかを話を話しましょう。我輩が子供のころから人生ゲームやバンカースなどのゲームに親しんでおりました。しかし、高校時代に戦略性の高いトランプゲームを覚え、予備校大学時代にマージャンを覚えて以来どんどんそんな子供じみた人生ゲームなどで遊ぶことはなくなりました。だいたい人生ゲームなどは、一種のすごろくですから、大人が楽しむものではありません。
 しかし、我輩が高校教員として下田市にある定時制に赴任すると、独身の若い教員が集まって遊ぶ必要に迫られました。文字通り遊ぶ必要があったのだす。普通なら自然とマージャンになるのですが、その当時の連中の中にはマージャンを知っている奴が少なくテンボウ計算もままならない状況であったので、それほどマージャン・マージャンと騒がなくなりました。また当時はバブルの絶頂期で、糸井重里などの都会的なメディアに乗った「業界人」が世の中を席巻していた時代でもありました。この糸井氏がたまたま何かの番組で大々的に宣伝していたのが「モノポリー」でした。これはある種の土地ころがし&地上げゲームであるので、バブル期の日本人にグッグっと入り込んだのでした。私ももちろん急いで購入。下田市○○高校定時制の教員の中で、第一次モノポリーブームが巻き起こりました。あのかさ張るモノポリーをどこまでも持って行きました。職員旅行の夜もモノポリー、スキーへ行くときもモノポリー。

 さて、その当時、世の中はレジャー絶頂の時代、我々若者は冬になると、流行のスキーウエアを買い捲り、最新のスキー板を毎年買っていた大スキーブームの時代です。簡単にいうと「私をスキーに連れて行って」の時代だったのです。当時をスキー三昧で明け暮れていた今の中年諸君、
覚えていますか?「極楽スキー」って本を。この傑作映画も、傑作本もホイチョイプロダクションの製作です。この「極楽スキー」の中に、最新ボードゲームがかなり紹介されていたのです。「極楽スキー」てのはバブル時代のスキーナンパマニュアルですから、女の子との夜の過し方が詳しく示されておりました。そこでは@パーティの最初に気楽に盛り上がるゲーム、例えば「ジェンガ」など、@真夜中、お酒の飲めない奴同士で静かに楽しむゲームなどなど、僕たちモノポリーだけしか知らない田舎者が恥かしくなるくらいたくさんのパーティゲームやボードゲームが実は六本木あたりの業界人には流行っていたのです。

 そのころちょうど私は結婚しました。1991年の2月のことです。相手はもちろん当時のスキー仲間。わかるでしょ、なぜ2月に結婚したのかが、私たちは結婚すると合法的に1週間の特別休暇をもらえるという公務員の優遇措置を完全利用し平日の北海道1週間スキー三昧旅行を満喫したのでした。正直いうと、1週間の間、仕事を離れて北海道で滑りまくるために結婚したと言っても過言ではありません。しかし、結婚式が終わり北海道へ旅立つ前に、私たちは5時間だけ東京に滞在しました。当時、最新のボードゲームばかりを売っていると評判だった小田急デパートと東急ハンズで買い物をするためです。そこで5つ6つの最新ボードゲームを購入しました。(新しくなったばかりの)女房には「僕は将来生まれてくる子供たちをテレビゲームばかりの人間にはしたくない、一家団欒はボードゲームからだよ」と説明したのです。今でも我が家にはこの時購入したボードゲームがいくつか残っております。特にドイツ「ラベンズバーガー社」のボードゲームは大人がやっても楽しめます。人生ゲームより10倍は面白い。

 さてそのように結婚し、子育てをして約10年が過ぎました。息子(アロー&イブキ)たちも10歳と7歳、とうとう到来したのです、ボードゲームで家族団らんの時期が!!!!!!!!!!!

 ということで、我が家では人生ゲームの偽のお札も、モノポリーのお札も、もうぼろぼろで使えません。今年のお正月をすぎて、とうとうモノポリーを買い替えようかという話題がでたころでした。ある日の夜のローカルニュースで、新しいボードゲームがブームであるというレポートがありました。ニュースですから、そのゲーム名を教えてはくれません。しかし、世界選手権まで開催され、しかも発売元がドイツというではありませんか、ボードゲームの最大大手、かのラベンズバーガー社を生んだドイツのボードゲームがつまらないはずがありません。
 それ以来、若い大学生相手(主にカルタ部の関係者、妙にボードゲームと関連性があるような気がしたので)に「誰か新しい流行のボードゲームを知らないか?」と声を掛け捲りました。この声にピタッと反応したのが某F高かるた部の20期くらい後輩のM君でした。(このHPではがんたというハンドルネームで登場しています。)

彼は今年S大学の理学部数学科を卒業し、T大学の大学院に進学します。この理学部数学科仲間で盛り上がっているのが「カタン」ですって。
その話を聞いて以来、カタンが欲しくて堪りませんでした。M君の話だと、東京ではどこでも売っているけど、静岡では1軒しか「カタン」を売っていないとのことです。僕と、子供たちは春休みに東京にカタンを買いに行く計画を立てていました。

実は今日がその日なのです。ただし、カタン本体は、ママと子供たちが静岡に入院している友人をお見舞いに行ったついでに、静岡の繁華街を歩きまくってその唯一カタンを売っているお店を探し当てて買ってあったのですが。購入価格5000円(これはパフォーマンス的にかなり安い)

では、次回はカタンの面白さについてお話しましょう。

お前、いくらイラク戦争が硬直化しそうだからと言って、ふざけた話ばかり書くなよ・・・・・・・・・良識ある読者の声・・・・・・・・・・・