”古事記”の中の記述(もちろん要約)。
日本武尊が東の国を平定に行く途中の事。
とあります。
地元の役人に罠に嵌められいつの間にか草原に火がつけられ炎に囲まれてしまった。
この時日本武尊は持っていた”天叢雲(あめのむらくも)の剣”でまわりの草を刈り、火打ち石で向かい火をたいて逆に罠に嵌めようとした者達を倒した。
それ以来この焼け野原になった所を『焼き津』つまり現在の『焼津』と呼ばれ、草を刈った所が『草薙』と呼ばれるようになった。
そして、”天叢雲の剣”は”草薙の剣”と改名された。
で、何が疑問かというと、先ず距離。
焼津・草薙間は直線で20km弱あるんです。
そして、一番の疑問はその間に山(”高草山”(標高403m))があるんですよ。
ってことは、距離もそうだけど、山の向うまで焼け野原にしちゃったの?
ま、神話なのでマジに取らなくても良いんですけどね。
余談・・・。
古事記の引用を記憶だけで書くのはツラかったので幾つかのサイトを覗きました。
で、その中で違う説というか表現がありました。
”草を薙いだ土地=草薙”は一緒ですが、”焼け野原の土地=焼津”ではなく、
”敵を焼き殺した土地=焼津”というものです。
これならまだ納得出来る・・・んーー??
もう一つ余談。
『焼き津』という地名はそれより以前からあったという話しもあります。
2004/04/18