PAGE7 間違った”解決策”

時事ネタですが、ちょっと気になっているというか、思う事があります。
『長崎小6女児殺害事件 』の事です。

こんな生活(笑)なのでワイドショーを見てますが、中心的に報じられているのは『ネットの怖さ』とか『”小6”という年代の難しさ』などが多いです。
他にも加害女児が『”バトルロワイヤル”に心酔してた』とか色々挙げられています。

それらは確かに原因としてはあったでしょう。
特に『ネットの怖さ』なんていうのは、大人でさえ文字だけのやり取りの中で思い違いやトラブルが起きます。
実際僕も経験がありますし、未だに掲示板などへ書き込みは怖く思う時があります。

ただ、それらはやや強引ですがまとめてしまうと『発端』『過程』だと思います。
僕が気になったというのは、何故それらの『解決策』として『殺害』という手段をとってしまったかという事です。

というのは、今回は”ネット”というだけであって、「諍いの『発端』や、「憎しみの『過程』は様々な場面・場所・手段で起きると思います。
なんというか、今回の事件の教訓として「ネットは気をつけましょうね」と言っても別の事柄で起こりえる事だろうと思います。
「正しい『解決策』を教える事が難しくても「間違った『解決策』を選ばないようにさせるのが大切なんじゃないかな?と思います。
つまり、絶対に人の命を奪ってはいけないと・・・。
この事について触れている人(識者・報道関係者)はいますが、あまり議論まで行っていないように思います。
というか、昔からこの手の議論はあった筈ですが、今回はあまりされていない気がします。

あ、『発端』『過程』について議論する事が無駄と言っているわけではないですよ。
それらも大事な事だと思っています。
ただ、議論がそれらに偏っているような気がしたもので。
ま、単に報道しやすいからだろうとは思いますが。

もっとも、”「間違った『解決策』を選ばないように〜”とは言っても、未だに”戦争”という最も愚かな『解決策』を選択するような”御エライ人達”が居ますからねぇ・・・。

余談ですが、加害女児が被害者に対して「直接会って謝りたい」と言っていたそうですが、これって比喩的な意味で言っているんですよね?
本気で言っている訳ではないですよね?
もし、本気で言っているとしたら、加害女児が『死』というものをどう思っているか知りたいです。

2004/06/07