第10章へ第12章へ 人間、その言葉の意味は、その存在そのものにあるようだ─ 11章─旅路1 ─ エスイ1 3人を乗せたシュルドホークは、ライノラ帝郷区を出た10分後から、舵を西へと取って進路を変えていた。 最初はドタバタした発進だったが、コミューンの冷静な判断により、とりあえず最初は当たり障りの少なそうな地へ向かう こととなった。ライノラ帝郷区とは同盟関係にあり、現在8名のCGWが派遣されている地、エスイへの進路を取ることにした。 もちろん、行く先はエスイの正式な居住区だけではなく、下方区にも行くこととなるわけだが─ キィィィィィィィィ─ シュルドホークは、飛び続ける。 絶妙の空力ボディによって、空気への衝突音はあまり聞こえない。 「ねえ─ コミューンは、エスイって行ったことあるの?」 静けさが漂う中、リミテは唐突に質問をしてくる。 「いや─ 無い。ライノラ帝郷区での訓練を積んだ後は、すぐラドミールに派遣されてあの惨状に遭った。」 「へぇ─ じゃあ、3人ともエスイは初めてなのね。 楽しみだわ。」 リミテはふんふんとリズムを取ってご機嫌モードだ。 「リ、リミテさん・・・あたし─ 」 パシアが突然、その会話に入り込んでくる。 「パシアちゃん? 何? いいわよ、何でも言って─ 」 パシアはしばらく気難しそうにしていると、意を決したように口を開く。 「あ、あたし─ エスイの生まれです、確か。 物心ついたときはもうラドミールだったけど─ 」 コミューンもリミテも、ほうほうといった様子でパシアの話に耳を傾ける。 「あたしのお兄ちゃんは、エスイに派遣されていて、2つくらいのときにあたしを引き取ったんだって─ 言ってた。」 ティルとその兄アンリは、血が繋がっていないということか。 「ティルと、同じだな─ あいつもエスイの生まれだと言っていた。」 コミューンの言葉に、2人ともはっと振り向く。 「え─ コミューンとティルさんも、血が繋がってなかったの??」 ここで発覚する新たなる事実。 「ああ─ ティルは養女で、俺が6歳のとき引き取られてきた。 義理の妹だよ。」 もしかすると─ いや、まさか。 そんな予感を身に覚えながら、コミューンはパシアに話しかける。 「それよりも、そうなるとパシアは帰郷ってことになるな。 ははっ。」 パシアは後ろを向いてコミューンの顔色を窺う。 「うん─ だから、何だか緊張しちゃって・・・」 コミューンとリミテは、揃って軽く噴いた。 「あはははははっ、パシアちゃん─ あなたがそんなに緊張すること無いのよ。私だってライノラ帝郷区に帰郷したわけだし。」 笑いながら操縦桿を取るリミテ。 時は笑いの中、単調に過ぎ行く。 パシアがまどろみの中、目を覚ましたのとほぼ同時、3人はエスイ居住区に到着していた。 「え・・・もう着いちゃったの??」 パシアが驚くのも無理は無い。ライノラ帝郷区から6000kmはあろうかという距離を、4時間足らずで来てしまったのだ。 コックピットから降りると、そこには8人のCGWの姿。 「リューハからどこまで話を聞いてる?」 コミューンは8人のCGWに堂々と振舞い、質問を投げる。 「あんたが帝神になって、エインとの戦いに終止符が打たれた。その後、物好きな帝神が長い旅行に出た─ とだけ聞いてる。」 CGWもまた、素直に話を進める。 「ここを少し回った後、下方区に降りようと思う。協力してもらえるか?」 ここ─ つまり、居住区塔の内部をさわり程度回った後、下方区の社会を見て回る。 居住区塔内部はともかくとして、下方区を回るにはそれなりのリスクが伴う。 何かしらの病原体を拾ってきて居住区内感染でもしたら事だが─ コミューンの問い掛けに、CGWの1人が口を開く。 「物好きな帝神は、その連れも含めて強い抗体をその身体に持つらしい─ 感染症の心配はほぼ無いとも聞いている。」 リューハからの報告内容に、下方区を通ってライノラ帝郷区に来たことも含まれていたということか。 「それじゃあ─ 」 リミテが口調を弾ませる。 「ああ、好きにすると良い─ 戻って来るときのためにタグを忘れずにな。」 ─ 円満解決。ここまでうまくいくとは思っていなかっただけに、身体が少し踊るような感覚。 3人はCGWたちの案内の下、エスイ居住区を見て回り始めた。 カツ、カツと、靴音が響く。エスイの床の材質も、そう安い代物ではない。 大理石ではないにせよ、それなりに良い音を響かせている。 「─ 基本的には、ラドミール居住区とさほど大差は無い・・・ と思うが。 基本的な決まりごとは同じ─ 下方区の人間を基本受け入れてはならないことも、エイン帝郷区に近いことも─ な。」 下層にはショッピングモールや給仕施設、管理サーバ等があり、中間層が居住区民の生活スペース。 上層区には医療設備と管制区画が存在している。 長官への挨拶も既に済ませ、人々が行き交うショッピングモールでの時を過ごす。 レストテラスに腰掛け、ひとときの憩い。CGWもコミューンたちのお目付けに1人、ライセンを置いて7人がそれぞれの 管理業務へと戻った。 案の定、パシアはお気に入りのピーチパフェを買ってきてテラスでそれを貪るように食べ始めた。 リミテはお気に入りの銘柄のインスタントコーヒーを啜る。コミューンもまた、リミテの勧めで同じコーヒーを啜る。 悪くない香りだ。インスタントセットされた状態でも、独特のコクがある。 ライセンもまた、同じく勧められて同じコーヒーを啜る。 「なあ─ 今、管理端末は持ってるか?」 コミューンは唐突に切り出した。 「ん?? ああ─ 持ってる。 何か調べ物か?」 ライセンはあくまで素直に受け応える。 「人名で調べて欲しいんだが─ バスティーユという人名で検索してみてくれ。」 その言葉に、パシアのスプーンが止まる。 「コミューン・・・?」 「バスティーユ・・・ね、検索完了─ 3015年5月1日、ライノラ帝郷区の居住許可申請、即許可、居住登録が完了─ パシア・バスティーユ、コミューン・ヘイドワードの親族登録。他にもいくつかあるが─ これで良いのか?」 明らかにパシアの情報そのものだったが、コミューンの思惑とは違う情報だった。 「ああ、それはそれで間違いないんだが、もう14年くらい前のデータはあるか?」 14年前─ パシアがちょうど義兄アンリ本人かその関係者に引き取られた時期。 「ああ、あるにはあるが─ どうしてまた?」 コミューンは少し考えてから話す。 「この子が、そのパシア・バスティーユ本人なんだが、どうもエスイの生まれらしいんだ。親族がいたなら足跡を追えないか と思ってな。」 パシアの親族。少なくとも養子に引き取られる前は、この居住区に親族がいたはずだ。 パシアの心持ちはどうあれ、親族に会う機会があるのなら与えてやりたい。 コミューンの思惑に、リミテも暗黙のうちに了解した様子で見守る。 「なるほど─ ね。ちょっと待てよ─ 養子引き取りってケースは珍しいといえば珍しいから、多分─ これか。」 弾き出されたデータを、しげしげと見つめるコミューン。パシア自身も興味が沸いたのか、割って入る。 ライセンがその記述を丁寧に読み上げる。 「アンリ・バスティーユ、3010年〜3012年派遣管理業務研修生─ 2歳の幼女パシア・レンヘスタ親族登録。 元の親族は下方区に援助活動のため降りたまま帰着せず─ 今でも当時でも珍しいニュースの見出しだな。」 レンヘスタ。 どくん、とコミューンの鼓動が辺りに響き渡ったように感じた。 もっとも、その感覚はコミューンだけが覚えたものだった。 そんな馬鹿な。そんなはずは─ コミューンは黙って頭を振ると、画面に向き直る。 「コミューン・・・? 大丈夫?」 様子を見ていたリミテが、心配してコミューンに声をかける。 「ああ、なんでもない─ それより、そうなるとパシアの血縁者は行方不明ということか。」 「そうなるな。生存の確率はゼロに限りなく近いから、探すのはここで諦めた方が良いと思うぞ。」 コミューンはパシアの様子を窺う。 「あたしは─ そこまでわかっただけで良いよ。 誇りに思えるお父さんとお母さんだったんだなって。」 少し目を潤ませながら、パシアは頷く。 コミューンも同じくして頷くと、ライセンは端末の画面を閉じた。 「他に調べ物は─ 無いな? じゃあ、そろそろ頃合か。下に─ 行くか?」 コミューンは2人を見やる。 リミテは頷くと、コーヒーの最後の一啜りを味わう。 パシアも気がついたようで、ピーチパフェを急いで食べる。 コミューンはその様子を見て、少し安心した。 パシアのいらないところを突いて機嫌を損ねてしまわないかと心配していたが、杞憂だったということにしておこう。 コミューンもまた、コーヒーの残りを啜った。 ─ エスイ2 寒い。夜風にも似た一陣の風が、静かにレイスの身体を薙ぐ。 困ったものだ。あと少し前まで行けば自分の住まう集落だというのに、まったくついていない。 周りには数十頭のビーストリザードの姿。傍らには、故障して動かなくなった車体。 やや後方には、無骨な鉄骨でそびえたつ居住区塔。 後ろに一旦逃げて居住区塔の鉄骨によじ登ろうにも、周りはすべて囲まれた。おまけに走って到達するには少し遠い。 折角皆のために運んできた食料も、無駄に終わってしまうのか。 ─ 終わってたまるか。 その一心で、ライフルを構える。 「やれやれ・・・ 俺に鎮魂歌はまだ早いというのに─ 」 しばしの、静寂。 タァン!! 乾いた銃声が、辺りに木霊する。 「ギャウッ!!」 辺りを囲むビーストリザードの一体が、呻き声をあげる。 「ガルルルルルルギキィッ!!!」 同時に、周囲のビーストリザードはレイス目掛けて飛び掛る。 タタァン!! タァン!! 「─ くっ!!」 ビーストリザードの爪が肩を掠める。 タタタタァン!!! 負けじと撃ち返すレイスだが、次第に動きが鈍っていく。 レイスの真後ろ、ビーストリザードの影。 『─ これまでか・・・ 済まない、みんな─ 』 ズドキュキュキュァァァァィン!!! レイスの断末の時は、訪れなかった。 「ガルッ!! キシャァァァ!!」 続けざまに襲い掛かるビーストリザード。 トトトッ─ 軽い歩調が、大地を駆ける。 ザシュシュシュッ─ !! パパパン!! パタタタタッ!! 舞い降りたのは、白い天使と、赤い妖精、漆黒の衣を纏った死神。 「─ 危なかったな、間一髪だ。」 「もーっ!! 降りるなりいきなり戦いってどういうことよ、コミューン!」 「ま、まあまあ─ パシアちゃん。 とりあえず落ち着こう? ね。」 ジャコンッ─ カチャキキキキ─ 念のための再装填を終えると、コミューンはパシアを一瞥して辺りを警戒する。 「悪い悪い─ まさか俺もこんなすぐに戦闘になるとは思っていなかった。」 鋭く綺麗に切られたビーストリザードの死骸、見た目は無傷に見えるが、短針に撃ち抜かれて身動き1つ取らない死骸、 跡形が辛うじて残るほど無残に引き裂かれた肉片の死骸。 3人の戦闘スタイルから生まれたであろうこの結果を見て、レイスは俄かには信じられずにいた。 ぺしぺしと自身の頬を叩いて確認する。 ─ 夢ではない。 「あ─ あんたらは、一体・・・」 突如として人の危機に立ち現れ、その危機を一瞬で脱したレイスの気持ちは、わからないでもない。 「上から来た。あんたたちの暮らしを見に来た気分屋たちさ。」 随分な言い様である。まるで自分を悪者に仕立てているかのようだ。 「自分で随分な言い様だな─ そっちのお2人さんは天上から降りてきた天使様ってとこか? はは。」 ─ 天使。 「ああ、こいつらは天使だ。」 胸元に、十字をあしらった首飾りが煌く。 その容姿は、正に、美しきこと舞う天使の如く─ だ。 あながち間違いというわけでもないらしい。 「はははっ、そいつは良いな。 ─ で、真面目に名乗ってはもらえるのかな?」 真面目に。 「ああ、悪いな─ 俺たちは旅人さ。世界を一通り見て回るための旅の─ な。 俺はコミューン、こっちの美人がリミテ、こっちの小さいのがパシアだ。 3人ともライノラ帝郷区の所属だ。」 コミューンは簡潔にわかりやすく述べる。 「ライノラ帝郷区─ 悪い話は聞かないな、むしろ、食糧を定期的に入れてくれてる分ややプラスな感じだ─ もっとも、上層区の人間に対しての評価だが─」 上層区の人間に対しての評価。 基本、汚染された大気から一部逃れ、のうのうと違う環境で暮らし続けている上の人間─ というスタンスだ。 つまり、当然基本の部分が良いイメージではないから、そこからプラスされたとしても結局は他の上層区の人間と50歩100歩だ。 「まあ─ 邪険にしても良いことは無い、それはおたくらもわかってると思うが─ でももちろん、俺だって当初は下方区の出身だ。あんたらの気持ちだって少しはわかってるつもりさ。」 下方区。上層区のそれに比べれば、いや、比べるまでも無く、その生活実態は酷いものだ。 「今日は、上層区でしか手に入らない医薬品をいくつか持ってきたんだ。集落で分け与えてもらえると有難い。」 レイスの目の色が、少しだけ変貌を遂げる。 「医薬品─ か。確かに、下に住んでいた者であればその必要性を知っている─ か。」 「まあ、細かい薬の内容を説明しても良いが、まず集落に行かないか? 話はそれからでも遅くないだろう?」 ─ 確かに。 故障した車の周囲は、果てしなく広がる荒野。視界の片隅に、居住上層区を支える支柱。 そのまた端に、瓦礫の山らしきものが見える。 「あそこ─ か。」 兎にも角にも、この荒野に留まっていては、ビーストリザード・・・ いや、それよりも厄介な存在が寄って来るかも知れない。 「早いところ車を直そうか─ ツールは? 持ってるのか?」 車の整備が出来る類のツール。 車自体にも、ツールは積載されていることはいるが─ パンク修理用の小規模なものだ。 車を修理できるほどの─ 「航空機用で良ければ、ここにあるが─ ?」 くいくいと、自身の足元を指すコミューンの指。 スーツケース2つと、大きなツールボックス。 「シュルドホーク・ベルクートのメンテナンスキットだ。 好きに使って良い。」 30分ほど後、コミューンたちは車に乗りこんで集落を目指していた。 荷台には、かなりの量の保存食糧のケースが所狭しと積まれている。 「エンジンバルブが開きっぱなしだったのには驚いたな─ スプリングを代用出来て良かった。」 レイスは俄かに信じられない様子で車のハンドルを握る。 「俺も整備には自信がある方だが─ あんな細かいところまで簡単にバラせる奴は初めてだよ。」 コミューンは、車のエンジンの始動未遂のクククッ─ という音を聞くなりエンジンルームの分解を直ちにやってのけた。 まるでおもちゃ箱を開けるように次々と部品を取り出し、エンジンバルブのスプリングが飛んでいるのを見つけるまでに ものの5分とかからなかった。 「まあ、日常からもっと細かい部品を扱っているからな─ 」 そう言うと、コミューンは両脇腹に目をくれる。 そこに垣間見える、無骨なスタイルの拳銃が2挺。 前進駆動型のオートマチック拳銃ハーヴェンタに、リボルバーオートマチック拳銃のレヴィニー。 どちらとも、その構造は間違っても単純とは言い難い。 「銃のメンテナンスは俺もよくやるが─ そいつはもっと複雑ってわけか。」 レイスの問いに鼻で笑って答えるコミューン。 「─ ふん、まあ良い。 ・・・着いたぞ、俺たちの街だ。」 街─ コンクリート製の華やかな繁華街─ だったのは少し昔のこと。 窓ガラスと言って良いものは1つもなく、見るからに廃墟そのものだ。 悪く言えばただのコンクリートの破片が積み重なっているだけ。 そのところどころに、破片の隙間が見て取れる。 「あれが出入り口ってわけか─ 思った以上に酷い有様だな。 ・・・ずいぶんとまた、警戒されてるな。」 静かに車から降りるレイス。 「突然の来訪者には、こうするよう仕込まれてるのさ、皆。」 コミューンは予感していた。 ラドミール居住区の下方区では得られなかった反応に、その存在を静かに痛感する。 「ロックシュナイド─ か。」 ロックシュナイド。リミテとパシアには聞き覚えの無い言葉。 レイスただ1人が、その言葉にすぐさま反応した。 「─ お前・・・ なるほど、下方区暮らしは、伊達に長くないということか。 まあ、それだけじゃ、無いがな。」 「実際遭遇したのは上層区と繋がりを持ってからだがな。 ラタリナには生息していないらしい。」 2人の間を、沈黙が包む。 しばし硬直した後、先に動いたのはレイスだった。 ガン、ガン、ガガンッ─ ガンッ─ !! 少し荒っぽく、レイスは車のドアを殴りつける。 「─ 俺だ!! 遅くなった!! 皆安心して出て来い!!」 自分が帰還したことを知らせる合図─ そうまでしなければならない理由とは、何だろうか。 そんなことを考える間に、瓦礫の隙間から人という人がぞろぞろと沸いて出る。 「レイスーッ!!」 ぞろぞろと沸いて出る群衆の中、1人凄い勢いで飛び出してくる少女。 「ミル! 元気にしてたかお前!! 良かったな─ こら、よせって!!」 じゃれあう2人。 「ああ、悪い─ こいつはミルっていうんだ。小さい頃に俺が引き取ってな。天使さ、はは。 まあ良い─ 皆、久方ぶりの食糧物資だ!! いつものように並んで!!」 その手際の良さは、まるで災害救助隊のそれに近い。 何年も同じようなことを繰り返していれば、身に染み付くというものだろう。 コミューンとリミテ、それに加えてパシアも、食糧の分配に協力する。 コミューンは多少慣れていたが、リミテとパシアはどこか少しぎこちない。 「まあ、食糧物資はは全部海路での補給だからな─ おっ、見ろミル!! プリンだぞ!!」 5ダースほど積み上げられたプリンのパッケージが梱包の奥から取り出される。 補給食糧としては、なかなか珍しい食材が梱包してあるものだ。 「プリン!? やったぁ!!」 ミルは一時のパシアのようにはしゃぎ回る。 「おいこら、1人占めはするなよ? 子供たちで仲良く分けろ、な?」 ミルのきらきらした目に釘を刺すように、レイスは告げる。 連絡通路を断てば、離れの孤島となってしまうエスイ地区への補給。 基本的に、ライノラ帝郷区からの運搬船での補給となる。 港に各地区の代表者が集まり、食糧を受け取り、そして各方面へと散っていく。 コミューンとリミテの知識上、そういったやりとりは月に1度の取り決めとなっている。 1か月分の食糧がここに詰め込まれている算段になるわけだが、多く見積もっても少し1ヶ月分には足りない。 「1か月分にしては若干少ないと思うんだが・・・何か他に食糧のあてが?」 コミューンは素直に疑問をぶつける。 「ああ、そうだそうだ─ 後で取りに行くのを手伝って欲しいんだが、頼めるか?」 レイスは思い出したように言葉を発する。 「ああ、なるほど─ ビーストリザードの肉で何日かもたせて、余剰食糧は他の地区に回す、ということか。」 コミューンの確認に、少し驚いたような仕草を取るレイス。 「まあ、あれを仕留めるのはそうそううまくはいかないもんだがな。あんたたちがさっき仕留めてくれた分でずいぶん助かる。」 少し小笑いにすると、コミューンはしぶしぶと車に乗り込んだ。 「リミテたちはここで寛いでてもらって良い。 すぐ済むから。」 ─ エスイ3 時刻は夕刻を回ったようで、辺りの寒さは一層強くなる。 ビーストリザードの死体を数頭分荷台に積み込むと、少しだけ車の暖気を取る。 荒野に響くエンジンの駆動音が、どこか儚げに木魂する。 「煙草は・・・?」 レイスは徐に煙草に火を点ける。 「ああ・・・そういえば久しく吸っていないな、禁煙してどれくらいだ─ ?」 コミューンはレイスの手から煙草を1本拝借する。 「スピリット・キャンサーか。ずいぶん濃いのを吸ってるんだな。」 シュッ─ 煙草の先端を強く擦り付けると、火が点く。 2人は空に向かって煙を吐き出す。 「吸うたびに思うんだが─ コレ、身体に悪いだろ、どう考えても。」 コミューンは少し嫌味に言って放つ。 「ははっ、確かにそうだな。 美味いとは感じないか? こんな荒野で吸うのも良いもんだ。」 間を置いて1度煙草をふかすと、コミューンは答える。 「まあ─ 悪い気分じゃない。 で? わざわざ俺だけ連れ出したんだ、話があるんじゃないのか?」 くすっと少しだけ笑うと、レイスは真剣な面持ちに変わる。 「ああ、それなんだが─ あんた、ロックシュナイドを仕留めることは出来るか?」 レイスを一瞥すると、コミューンはぽりぽりと頭を掻く。 「やっぱり、退治して欲しいわけか─ 1人で倒したことは無いな。 そもそも、奴らは普段は大人しくて、 人に悪意を持って訓練されていない限りは襲い掛かってくることはまず無いんだが─ やはり人が関係しているのか?」 ロックシュナイド─ ビーストリザードのように、放射能による遺伝子異常が原因で変異を起こした生物で、 元の生物種はワニに近いそれだと図鑑には記されている。岩のように硬い表皮を持つことからその名がついた。 当然、並の銃器では歯が立たない。 ふぅ、と大きく溜息をつくレイス。 「ああ、そうなんだ─ 撃退して欲しいのはむしろそっちの人間なんだが・・・ギャングとでも言うべきか? ここいら一帯を牛耳っていて、物資を奪っては去っていく迷惑な連中さ。14年前くらいになるか、親切な上層区の人間が 交渉に行ってくれたこともあったが─ 殺されちまって、それきりさ。」 コミューンはしばし熟考すると、1つの答えに行き着く。 「14年前─ ちょっと待て。 殺されたって言ったな─ ひょっとして、レンヘスタって名前だったか?」 びくっと、レイスが肩を反応させる。 「あ、ああ─ そうだ、レンヘスタさんだ。みんなあの2人には感謝してる。 一応、墓もあるが─ 」 ぞわりと、音を立てたかのように辺りの空気が沈んでいく。 「そいつは─ なかなかどうして因縁が深いものだな。」 がちゃりと、コミューンの懐で唸る2匹の神獣。 「こいつの狙気に中てられたか? そいつは困るな─ 今すぐ連れて行って欲しいものだが。」 レイスは驚いたままの表情を変えない。 コミューンは、煙草を最後に1回吸うと、煙を吐いて吸殻を外に捨てる。 「俺と一緒に、パシアって女の子がいただろう? その実の両親さ。 俺は─ パシアをあんな状況にした奴を許さない。」 沸々と湧き上がる憎悪に、レイスも戸惑うばかりだったが─ 「あ、ああ─ じゃあ、ビーストリザードの肉を置いたらすぐにでも頼むよ。必要な武器があれば言ってくれ。」 「必要無い。 ─ この拳銃だけで良い。 そう、憎悪と悲哀の翼の綿埃にしてやろう─ 」 ゴァァッ─ !! 一陣の風が、コミューンとレイスの身体を薙ぎ払う。 風速60mはあろうかという強風に、レイスはたまらず地面に転がってしまう。 コミューンはといえば、帝神の黒装束を身に纏い、風にその生地をはためかせながら立っていた。 その視界に見えるのは、打ち捨てられた廃工場。 レイスが言うには、戦前は戦車工場だったらしい。 いかついその風体から、武装集団の宿の雰囲気が醸し出されている。 「レイス─ ここで待て。 足手まといがいない方が気が楽だ。」 コミューンはそう言うと1人、廃工場へと足を運んだ。 カン、カン、カン─ と、コミューンの足音が響く。 コミューンは足音を立てないようにも出来たが、敢えてその存在を周囲に知らしめるよう歩いた。 コミューンの狙いはおおよそ正しかった。 誤算があるとすればそう─ 例えば、いきなりロックシュナイドが現れて襲い掛かってくるとか─ このように。 「早いお出ましだな・・・ 話し合う気は毛頭無いのか、それとも俺の殺気からこっちの目的が悟られたか─ 」 「グルググァァァァァッ!!」 四方からロックシュナイドに取り囲まれた形となる。 人間が1人、このような状況に陥ることを、四面楚歌だとか、絶体絶命などと呼ぶそうだ。 「まったく─ 誰が考えたんだかな、そんな言葉。」 コミューンは、静かに目を閉じた。 ピシンッ─ !! 何処かで、鞭の叩きつけられたような音が響く。 「ガァァァァァァァッ!!」 「グルルァァァッ!!」 コミューンの目は、闇を切り裂く金色に。 そして哀しみを照らす深紅色に。 ─ 煌いた。 ─ ガッ!!! 打ち払った紫鎖銀の塊。 ドガァァァァァァァン!! キャタピラの組み付け工具の端に平伏す2体のロックシュナイドの骸。 ゆらりと、土煙の中、コミューンは立ち尽くす。 口をあんぐりと開けてその光景を見届ける存在に、コミューンは気付いていた。 「・・・ よく聞け!! 100歩譲ってお前たちに選択の余地をやろう!! 万が一話し合う気があるのなら表に 出て来い!! もし無いのならそのまま俺を殺しに来るが良い!!」 コミューンの怒声に対する答えは、否だった。 突撃ライフルを手にした武装兵が、ぞろぞろと奥の方から沸いて出る。 「レンヘスタ夫妻を─ 知ってるな?」 警戒していた兵隊たちから、いやらしい笑みが一瞬こぼれる。 「ふふ─ そうか、今ので十分解った。」 コミューンの身体から、風が吹き溢れるようにおぞましい気配が解き放たれる。 「羽ばたけ・・・ 憎悪の翼!!」 名を呼ばれた神獣、ハーヴェンタが、その黒く鈍い光を解き放つ。 辺りが一瞬照らし出されたような錯覚に陥る。 「君には相応しくない舞台だ─ じっ、としていてくれるか?」 レヴィニーはその問い掛けに、その狙気を鎮める。 「さあ、往こうか。 血塗られた運命の丘に。」 ─ ガジャキン!! ハーヴェンタの安全装置が、外された。 バタタタタタタンッ!!! タタタァン!! 唸るライフルの咆哮。 怒り・哀しみ・喜びをすべて飲み込む弾丸の嵐。 右方向から右側頭部への正確な射撃─ 身を低くして回避。 左方向から身を低くしたところの心臓を狙うこれまた正確な射撃─ その場で回転して身体の重心軸をずらして回避。 正面方向から回転し終えたところへの頭部への正確な射撃─ 首を傾けて回避。 そしてそれを追い詰めるようにロックシュナイドの強靭な顎がコミューンを襲う─ コートをロックシュナイドの口に押し当て、バク転でロックシュナイドの背後へ─ ハーヴェンタの峰で強烈に打ち払う。 ドガァァァァン!! また1つ増えるロックシュナイドの骸に、周囲は戸惑いを隠せない。 それを隠せないながらも、コミューンに明らかな敵意を持って撃ち込む。 その連続狙撃ともいえる射撃の1つ1つを、丁寧に舞うようにかわすコミューン。 死神が大鎌を振るいながら舞うように。 その死の歩調は軽やかに、静かに差し迫る。 タタァン!! タタタタタッ─ ガチッ─ ドルルルルルルッ─ ガキンッ 次々に、武装兵たちの銃を弾薬切れが襲う。 つかつかと、コミューンは他からの射撃を軽いステップで避けながら歩み寄る。 あと10歩、5歩、4歩、3歩、2歩、1歩。 「・・・ 跪け。」 ズッ─ ・・・ 一瞬で抉り撒かれる武装兵の足の肉片。 ドァァァァァァァァァン!!! あまりの凄惨さに、銃声がくっきりと遅れて両者の耳元に届く。 辺りに撒き散らされたそれは、まさに深紅の死神に魂をもぎ取られた肉壊の様─ かつて人間だったそれは、僅かばかりに蠢く。 恐怖が、辺り一帯の空気を支配するために、それは十分過ぎる光景だった。 血祭りとは、まさにこういうことのことを言うのだろうか? コミューンはそんなことを考えながら、1人、また1人と残酷な死神の如く命を狩り取っていく。 どれだけの命を狩り取っただろう。 どれだけの幸せを奪っただろう。 その目は、憎悪と悲哀の渦に飲み込まれそうになりながらも、その現実を偽ることなく映していく。 そんなコミューンの想いを受け取って、敵を穿っていくハーヴェンタ。 何人目を穿ったのか良く覚えていない。 コミューンが残りの弾倉をチェックすると、残りは18。弾倉1つで10発なので、40人程度殺したことになる。 1つの武装集団としては、大体こんなところか。 辺りに気配らしい気配は消えて失せたこともあり、コミューンはハーヴェンタをホルスターに仕舞う─ その瞬間だった。 悪魔を象ったような狙気を感じ取り、すぐさまハーヴェンタでそれを打ち払う。 ズガァァァァァァァン!! 炸裂した金属片が、コミューンの身体のところどころに突き刺さる。 「・・・ぐっ!!」 ─ 戦車砲。 「はははははははっ!! 調子に乗るなよこのクソッタレめ!! ここは戦車工場だ!!お前の悪運もここまでだなぁ!!」 戦車のハッチから顔を出す頭目らしき男の姿。 滴り落ちる血の滴。かなりの出血量だ。 コミューンの意識はまだあることはあったが、朦朧とし始める。 50mほど先にある戦車の砲塔に、ガコン─ と、次弾が装填される音が聞こえる。 自分がこれまで奪ってきた命のツケだろうか。そう思えば納得も出来ないことはない。 戦車砲が、発射される。 迫り来る砲弾を、コミューンはじっと見つめる。走馬灯が、頭の中をくるくる回る。 思い出せたのは、妹のティルの哀しそうな顔、パシアとリミテの笑顔。 そう─ 「俺は─」 ズガァァァァァァァン!! 爆炎の中、うつろう死神の影。 ただ、その目は残酷な悪魔のそれから光を取り戻して。 立っていた。 「俺はまだ─ 死ねないんだよ・・・」 やっとのことで零れた言葉。コミューンの身体には、クシュターゼの防護幕。 「ヘルスティン・・・ アテート。」 ハーヴェンタを構える。 深紅の瞳が、緩やかにその輝きを解き放つ。 ハーヴェンタの大口径23mmマグナム弾を持ってしても、さすがに戦車の装甲は貫けない。 ─ なら、どうする? コミューンは、防護幕にした力を手に凝縮させてカルナを屈服させたことを思い出していた。 途轍もないエネルギーの塊が掌という限られた場所に凝縮される作用─ ならば。 「弾丸を─ 強化できるか?」 『─ 君の技量次第だ。』 ヘルスティンが、コミューンの頭の中で囁く。 ─ いいだろう、やってやる。 まず頭の中に防護幕をイメージする。 その次はカルナのときと同じ─ 強い力の渦をイメージして、それを掌に移していく。 バチチッ─ 今度は両手ではなく、ハーヴェンタを握っている手の方だけに集中する。 ガコン─ と、戦車砲が装填される。 ハーヴェンタを握っている手に集まったエネルギーを段々と、銃の薬室に移動させていく。 まだだ─ まだ早い。 弾薬を覆っていくエネルギー。 コミューンの目からは見えることは無いはずだが、不思議とハーヴェンタの内部の様子が手に取るようにわかる。 黒い雷雲のようなものが弾薬全体を覆い、凝縮され、段々と体積が小さくなっていく。 次の戦車砲が、発射される。 砲弾は緩やかな弧を描き、コミューンに向かって正確に飛来する。 ハーヴェンタの弾丸を包み込むエネルギーが凝縮しきり、その形を完全な弾丸のそれに変える。 砲弾は、コミューンの眼前─ 「─ 弾けろ。」 ズッ─ ドガアアアアアアアアアアアアアン!!!! 巻き上がる土煙で、辺りは何も見えなくなる。 ─ 静寂。 何の気配もしない。 土煙が晴れてくると、その様子が一目でわかる。 こちらに向いていた戦車は左右2つに分断され、拉げた鉄屑と化していた。 おまけによくよく見れば、戦車工場の壁に直径10mはあろうかという大穴が開き、風が吹き込んでいた。 コミューンは静かに、その構えとともにアテートを解く。 ─ どうしようもない、脱力感。そして、絶望感。 ふと、足元に転がる敵の死骸が目に留まる。 こいつらが、パシアの両親を─ グシャッ、ビシャッ─ グチュッ─ ベチャッ─ ポタタッ─ 寂しい風が吹き続ける中、コミューンはその肉塊を踏み続けた。 飛び散る血飛沫、香ってくる硝煙と血の酷い臭い。 そんなコミューンを突き動かすのは、正確には憎悪ではない。 憎悪から生まれた行為の惰性─ そして機械のように何も感じない意思の欠落。 ─ 止めてくれ。 誰か、俺を止めてくれ─ !! コミューンの悲痛な言葉は音になって響くことは無く、ただ虚しく、その行為だけに侵食されていく。 ゴリッ、バキッ、ビチャッ─ ギュッ─ ・・・ 最後の音は、肉塊から液体が飛び散る音とは違った。 コミューンの足は、もう動かない。 「コミューン・・・ もう良いの、もう良いから─ ね・・・? ぐすっ」 パシアの柔らかな抱擁。その手は、驚くほどにちっぽけで、触れればすぐにでも壊れてしまいそうで─ 「パシア─ 」 そっと、繭に触れるようにやさしく、パシアの手に触れる。 視線をずらして見たパシアの手は、しっかりとそこに存在していて。 くるりと、身体を捻らせて移動する。 「・・・すまない、パシア─ ありがとう。」 ぎゅっと、コミューンの方からパシアを抱く。 愛しい。こんなにも、愛しい。 なんでパシアはこんなにも心に凍みるような言葉を発するのだろう? 横目に、リミテの姿が見えた。一緒に来ていたのだろう。 それでも構わずに、パシアの小さな身体を抱きしめるコミューン。 「コミューン・・・ 痛い、よ・・・」 エスイの夜が、静かに明けた。 ─ インスト1 シュルドホークはまた3人を乗せて雲海の上を飛び続けていた。 結局、コミューンが片付けた武装勢力はあの地域での主力だったということで、今後の物資供給もずいぶんマシになる だろうとレイスは言っていた。 周辺の小さな武装組織も、リミテ、パシアとレイスの4人で1週間ほどかけて、おおよそ壊滅的な打撃を与えておいた。 結果的には感謝されたのだから良いものの、その手段はあまりに暴力的だった。 パシアの両親が目指していた解決方法は、多分に和解という理想的な手段だったと思われるだけに、悔やまれるところがある。 無理矢理解決してしまったものはもう仕方が無い。 その罪はしっかりと負って、今を生きる自分たちがこの世界を引き継いでいくしかない。 特に今は、時代の大きな変わり目だといえる。 汚染された大気がいずれ晴れ渡る日が来たとき、彼ら武装勢力の存在は新たな争いの火種になる。 世界のまとめ役としてのライノラ帝郷区を、はっきりと位置づけておく必要性がある。 「─ ところで、次はどこへ行きたい? コミューン、パシアちゃん。」 リミテが、コミューンの思考を遮り、当然の質問をしてくる。 これから向かう先─ 燃料は、まだ充分に残っている。が、あまり遠くに行くとギリギリの量かもしれない。 「じゃあ、どこが近いの? リミテさん。」 エスイから近い場所。 一番近い陸地は─ それはさすがにマズい。 リミテも一瞬固まったので、同じ答えに行き着いただろう。 では、その次に近い陸地は─ ライノラ帝郷区のある、ドルガザラン大陸になるが、それでは戻ることになってしまうので、 その大陸の端にある小さな孤島─ 「インスト自治区かな。」 リミテも同じ答えに行き着いた様子で、頷く。 「インストって、どんなところなの?」 まあ、エスイよりは若干警戒されるだろうが─ 「自治区って言うぐらいでな、ライノラやエインの管理下にはおかれていない中立地区で、この世界では珍しく平和に そこだけでやりくりしているところさ。俺は直接入ったことが無いから、行ってみないと雰囲気はわからないが。」 パシアは少しだけ考えるような表情を見せた。 「うん、そっか─ いろいろなところがあるよね。 楽しみ─ えへへっ。」 無理して笑っているのではないか? そんな疑問も過ぎったが、素直にパシアが期待しているのだと受け取っておこう。 そう受け取っておいた方が、パシアの意図にも沿える。 「じゃあ、インスト自治区で決まりね! 飛ばすから気をつけて!」 リミテはそう言葉に発すると、操縦桿を強く握り締める。 ゴォォォォォォ─ !! がくん─ と、機体の揚力バランスが変化して一気に加速する。 「─ わぷっ!!」 パシアが悲鳴に近い声を出すが、お構い無しにリミテは機体をどんどん加速させていく。 3人は進路をインストに向けて飛んだ。 苦しい。咽返って呼吸が出来なくなりそうだ。 キリアはベッドの上でまさに病魔に侵食され、生と死の狭間を彷徨っていた。 意識をなんとか保ってしまっているせいで、苦痛が酷い状態だ。 医師も出来る処置は粗方やりつくして、後は出来るだけ安らかに死を遂げられるよう、モルヒネを打って後は放置するしか 術が残っていなかった。 キリアは痛みに悶えながら、モルヒネが効いてくるのをじっと待ち続けた。 痛みに耐えながら何週間と何時間目を閉じていただろうか、キリアは違和感のある気配を覚え、そっと目を開ける。 目の前に、白衣を着た見ず知らずの女性の姿。なんだか少し慌てふためいているような印象を受ける。 「ココリクル点滴準備は?」 女性の問い掛けに、主治医の先生が答える。 「はい、準備できましたよ─」 よく見てみれば、点滴剤のところに見たことの無いパッケージの薬が釣り下がっている。 ぽたり、ぽたりと、点滴薬が落ちて身体に流れ込んでくる。 心配そうに様子を見守る女性。 すごく綺麗なヒトだ─ 長い金髪に、透き通るような青い瞳。 様子が変だ。 さっきから神経が麻痺したのか、痛みを感じない。 まるで先ほどまで身体を蝕んでいた病魔が消え去ってしまったかのようだ。 ああ、モルヒネが効いてきたのか─ しかし、それにしては他の感覚は普通に感じるし、モルヒネの効果ではないのか。 「痛みは─ どう?」 その女性が、やさしくキリアに話しかける。 痛みは─ 「ううん、何も感じない・・・ ところで、お姉さん─ 誰?」 本当に誰だろう。そんな疑問を正直にぶつける。 「ああ─ ごめんなさいね、勝手に病室に入って。 私はリミテ。ライノラ帝郷区から来たの。」 ライノラ帝郷区─ 様々な技術の発達した、ドルガザラン大陸の覇権国家。 インスト自治区は、旅行者や一部貿易商を除いて外部との接触を絶つことで戦乱に巻き込まれないようにしてきた。 鎖国状態に近いこの地区に、何故ライノラ帝郷区の人間が─ ? 「もう大丈夫です─ この病気はこの点滴一袋で足りるから─」 主治医の先生に、リミテと名乗ったその女性は告げる。 もう大丈夫─ ? 今この身体に流れ込んでいる点滴薬だけで、今まで散々苦しんできた病気が? 「あ、あのっ─ 」 咄嗟に言葉が出ない。 リミテという綺麗な女性は、すぐに振り向いてくれた。 「うん、じゃあお大事にね。」 それだけ言うと、その女性は病室を出て行ってしまった。 季節が無くなって久しいこの世界で言うのもなんだろう、本で読んだことがある、春の匂いとでも言うべきか。 そんな暖かな気持ちになれた気がした。 痛みに耐えることに疲れたのか、キリアは、ゆっくりと目を閉じて眠りに落ちていった。 ─ インスト2 コミューン、リミテとパシアの3人は、豪華な佇まいの食堂に案内されていた。 その食堂で、食欲旺盛に盛られた料理を食べるのはパシア1人。 2人は手持ち無沙汰にならない程度に料理を口に運んでは、会話をする。 何しろ、この地区の代表─ いうなれば国王との会食だ。 深海魚のソテーやら、サメの卵の塩漬け、エビなど豪華そのものだが、パシアの興味はケーキとパスタに集中している。 一応女の子とあって、下品とまでは行かない程度にそれらを口に運んでいる。 「─ で、どこまで話したかな? ココリクル液剤といったか、あの薬は。ライノラ帝郷区も医療技術がずいぶん発達 しているようだね。 ここでは不治の病でも、海を渡ればそうでもないということか─ 皮肉かな、ははっ。」 国王であるハンスは、苦笑いを浮かべながら食べ物を口に運ぶ。 「偶然薬品の中に1つ持ってきていただけなんですがね、使い道があって良かった─ 」 コミューンは得意気になる風でもなく、淡々と述べる。 「やれやれ─ こちらは突然あんな戦闘機で来られたものですからね、どうしようかと慌てふためきましたよ。お人が悪い。」 まあハンス国王の言うことももっともだ。 非戦闘地域に指定されているインスト地区に、戦闘機で乗り込んだのだ、それは慌てもする。 まあ、慌ててくれないと中立国家とは言えないわけだが。 「─ 少し話が逸れますが、国王陛下、インスト自治区を・・・開国してみる気はありませんか?」 そうリミテは切り出した。 インスト自治区に来て、少女の治療補助をして、国王に会い─ 確信に近いところ突く。 ハンス国王は若干驚いたような表情を見せ、その後少しの間考え込む。 「戦乱に巻き込まれないために他との関わりをほとんど絶った、それゆえの今の平和だ。 この状態を解いて良いものか・・・」 コミューンは、リミテの意図を汲んで手にしていたフォークをいったん置く。 「お話したとおり、長かった戦争の勝敗は決しました。 今は1つの意志の元、世界を再建することが課題なんですよ。」 コミューンのやや強い口調に、ハンス国王は若干気圧された風だ。 「キリアちゃん、と言いましたか、あの子は─ 例えば外交が進めば、あの子のような不治の病だって克服できる可能性が 充分にあります。 悩みの戦乱に関しても、世界全体が正常化しつつあります。この波に乗ることを強くお勧めしますが─ 」 リミテは真剣そのものの表情だ。 「・・・ふぅ、やれやれ。 あなた方も丁寧なようでいてなかなか頑固ですね、筋金入りだ。」 頭をボリボリと掻くと、軽く両手でテーブルを叩く。 「良いでしょう─ あなた方には貴重な物資を頂いた。それに帝神殿とCGWの方にまでわざわざいらしていただいた。 ただし、最後の決め手として─ キャンサー・リューハと直に話をさせていただきたい。改めてこの地区が安全である、 という保証をいただければ、この地区と外部の交流を昔のように正常化させましょう。」 それから後の会話は、よく覚えていない。 たわいもない会話─ この旅の行く末やパシアの異様な食欲についてだとか、そんな話だ。 しんとした白い病室。 そこには少女が2人並んでいた。 1人はベッドで横に、1人はベッドの端に座って銀のハモニカをその手に。 パシアは口にハモニカを当てると、その曲を奏で始める。 心安らぐ歌、寂しい時、迷った時、愛する人の魂を想い描くときに奏でたあの歌。 いつくしみ深き 友なる神は 罪科憂いを 取り去り給う 心の嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を 罪を負って去り往くあの人へ。 キリアも途中で歌い始める。 いつくしみ深き 友なる神は 我らの弱きを 知りて憐れむ 悩み悲しみに 沈めるときも 祈りに応えて 慰め給わん 強いようでいてか弱いあの人へ。 いつくしみ深き 友なる神は 変わらぬ愛もて 導き給う 世の友我らを 捨て去るときも 祈りに応えて 労り給わん 行き場を知らない大きな愛を持って導いてくれるあの人へ。 独特の息継ぎとハーモニーで織り上げた送辞の曲。 「えへへっ。」 少し恥ずかしそうな笑顔で、2人は笑う。 「上手だね─ ハモニカっていうんだ?それ。」 旧世界から復興に力を注いできた各国を回ってみても、こういった趣味娯楽に関するものはあまり出回っていない。 銀製のハモニカは、そんな世界にささやかな華を添えてくれる。 「そっちこそ─ 歌、上手じゃない。 312番、知ってるなんてちょっと嬉しいな─ 」 「神様は人間のことなんでもお見通し、必ず罪を償う道を示して最後にはやさしく笑ってくれる─ あったかい歌─ 」 2人は意気投合したかのようにいろいろ話をする。 聞けばキリアは15歳─ パシアの1コ下だ。 インスト自治区で生まれ育った、争いを知らない生粋の純粋な女の子。 パシアはエスイで生まれ、各地を転々として過ごし、争いの闇に片足をつけた不幸な育ち。 それでも夢見る世界に願う歌は─ 同じ。 今の暮らしのこと、キリアの病気のこと、好きな男性のこと─ 会話は夕食を食べてからもまだ続いた。 こんな平和な時間が、ずっと続けば良い。 2人はそう願った。 キィィィィィ─ 給排気の甲高い音が、僅かにコックピットの強化プラスチック越しに伝わってくる。 コックピットの1番席にはリミテ、サポーター席にはコミューン、非常座席にパシアとハンス国王の姿。 ライノラ帝郷区でリューハと直に話をさせる約束で、ちょうど燃料補給と飛行データのサンプリングに付き合うことになる。 パシアはどこか浮かない顔をしている。 まあ、せっかく同年代の友達ができたところでの別れだ。たった3日間。無理も無いか─ 「なあ、パシア─ 」 パシアは外の雲海を眺めている。 「何? コミューン。」 少し拗ねたような感じだ。 「また来たくなったら言えよ。 何も1度きりって決めたわけじゃないんだからさ─ 」 コミューンの言葉に、少し身体をぴくりと反応させるパシア。 「・・・ほんと?」 パシアの目線は雲海を眺めたまま変わらず。 コミューンは少し困ったように笑い返す。 「ああ、本当だよ。 また来たい時に言ってくれ。」 にぃっと、コミューンの方を向き直り、歯を出して少し気色悪くパシアは笑う。 「じゃあ・・・今!」 「それは無理よパシアちゃん。」 リミテが即答する。 「燃料もギリギリになるし、王様だって乗せちゃってる─ それに、今はキリアちゃんも安静にしてないとね。」 リミテの真面目な応対に、パシアは答える。 「わかってるってば。 冗談冗談。」 あまり冗談に聞こえないから怖い。 何はともあれ、これで2つの遠方地区を訪れた。 多少ぎこちなくはあるが、少しずつ、少しずつ世界は歯車を回して前進している。 パシアも、下方区と閉鎖自治区という特殊な世界を見ることが出来たことで、少し価値観が変わってきているようだ。 それはリミテにも同じく。 4人を乗せたシュルドホークは、一路ライノラ帝郷区へと舵を取り進んだ。 Inst restarted ...「旅路1」HUMAN of humans'' created by Wiz's 第10章へ第12章へ