第2章へ第4章へ 世界を、見たい─ みんなが何を思って、どう生きてるのかが、見たい。 3章─約束 ─ 想い出 ─寒い。夜間であるため、今は特に酷い。 微弱な光が照らすのは、どこまでも続く荒野。 暗く、星空も見えない荒れ果てた荒野を、駆って走る1台のジープ。 運転席には、乱れないようにポニーテール状に束ねた金髪をなびかせるリミテの姿。 助手席にコミューンが座っている。 座席はその2つのみで、後ろに大きな荷台がついている。 荷台には、3人分の荷物と、毛布に包まって寝息を立てるパシアの姿。 片隅に、プルトニウム燃料の入ったボックスケースも積まれている。 「眠かったら、寝てもいいのよ? コミューン─」 リミテが前方を見たまま、優しく気遣って話しかけてくる。 「ああ─いや、起きてるよ。 もう少しこの風を・・・感じていたい。」 コミューンは、静かに言葉を返す。 下方区のよどんだ空気が吹き付けるこの風は、決して心地の良いものではないだろう。 ─ 上層の居住区から見て、普通の人間なら。 リミテは、横目でちらりとコミューンの顔をうかがう。 実に穏やかな表情を浮かべ、頬杖をついて前方の荒野を見つめている。 「コミューンは・・・下方区出身?」 速度を緩め、リミテがコミューンを見つめて微笑む。 コミューンは黙って頷くと、リミテに問い返す。 「リミテも─だろ?」 リミテがくすっと、笑ったのがわかる。 「わかるんだ? ─やっぱり。」 困ったように笑って返すリミテに、コミューンは言葉を続ける。 「ビーストリザードって単語がすんなり出てくるあたりな。 ずっと上層に住んでいる奴なら、自発的には絶対出てこない名前だからな。 それに、リミテがこうしてジープを運転できてる点でも確定的だしな。」 真面目な表情で話すコミューンに対して、リミテは笑う。 「あはははっ、そう言われれば確かにそうだね。言われてみてやっと気がついたな─」 リミテは再度前を向いて運転に集中する。 居住区塔の爆破から、はや5日─ あの後、結局カルナを逃がしてしまう形となった。 救援のヘリが駆けつけ、カルナが乗ってきたヘリの操縦士に撤退命令を伝えたのだろう。 操縦士からの合図を受けると、カルナは手早くその場を退いた。 救援ヘリ2機からの援護射撃で、追撃することは難しくなってしまう。 もっとも、追撃してヘリを墜とすだけの弾丸が残ってはいなかったため、 かえって助かった部分もある。 まだ、この力のこともよく知らないし、使いこなせてはいないだろう。 無理に追って、リミテやパシアに迷惑をかけるわけにもいかない。 コミューンはしぶしぶながら、居住区塔へと戻った。 居住区塔では、指揮系統の再編成に追われ、コミューンたちは 事実上の暇をもてあますこととなった。 崩壊した居住区塔への救助隊再編成の指令も、襲撃者たちの解明についても、 一切の指示が無かった。 長官一人でここまで機能しなくなるものか・・・実に拙い。 コミューンは、リミテ、パシアとともに物流区画へと足を運び、 補給品を買えるだけ買うことにした。 弾薬と食料、飲料水、医薬品─ 案の定、物流区画は人でごった返していた。 いつ食料の供給が止まるとも知れない状況で、皆必死なのだろう。 事実、連絡通路の爆破で食料の供給経路は断たれている。 当分の補給品を買い終えると、コミューンは自分たちのこれからの行動について考える。 パシアを引き取るならば、このラドミール居住区塔に 彼女の住まいを与えるわけにはいかない。 やはり、ライノラ帝郷区に連れて行くのが一番なのだろう。 いつ補給品がなくなるとも知れないこの状況の中、長居をすることは好ましくない─ が、連絡通路が断たれてしまったこの状況では、移動もままならない。 ラドミール地区には航空機は存在しておらず、残された移動経路はただ1つ。 地上からの移動だ。 「 ・・・・・・。」 コミューンはしばらく考えると、リミテに話しかける。 「リミテ、適当な医薬品を5千ライン程度までで買っておいてくれ─ 強壮薬系統中心に。」 コミューンが、リミテのキャッシュタグに5千5百ラインを振り込む。 リミテは少し驚いたようにして、腑に落ちないといった表情を浮かべる。 5千ラインといったら、上層区画の人間が手にする月収をまるまるつぎ込むほどの額だ。 それを何故、わざわざ医薬品に使うのだろう。 必要な分はもう買ったはずだ。 リミテはしばらく考えると、コミューンと同じ答えに行き当たった。 「O.K ─適当に見繕っておくわね。 そっちは?」 リミテが了解の答えを示すと、コミューンは少し笑って答える。 「パシアの服を買いにな。 終わったらリミテも来るといい。」 その言葉に、パシアが驚いたような表情をして、すぐに笑顔になる。 「えっ、服─!? かわいいの選んでもいい?」 実に、無邪気な笑顔。コミューンは優しくそれに答える。 「ああ、いいよ─。 厚手の服も買っておこう。」 コミューンは、パシアの手を引いて衣料品の区画に向かって歩き出す。 行こうとするコミューンを、リミテが慌てて引き止める。 「あっ、待って! 荷物、私が1度部屋に置いてくるわ。」 ─確かに、かなりの大荷物を抱えた状態で衣服の買い物をするのは好ましくない。 リミテの意見に従っておくべきか。 コミューンはあっさりとリミテの意見を聞き入れる。 「ああ、すまない。 たのむよ─ 持てるか?」 大量の荷物をリミテに渡す。 かなりの重さだが、リミテはなんとか全部持つことができた。 一緒に歩いていく2人を、リミテは軽く手を振って見送る。 2人とも実に楽しそうだ─ リミテは少しだけ微笑むと、再度人ごみの中へと入っていった。 ノースリーブのトップスにプリーツスカートでは、下方区の気温に対処できない。 それに、女の子が着衣1組だけというのはあまりにもかわいそうだ。 衣料品区画は、消耗する補給品を扱っているわけではないため、客はまったくいなかった。 男の店員が、つまらなそうにしているのが見える。 「服─見せてもらいますねっ」 無邪気な声が、店員の耳に届く。 次の瞬間店員の目に飛び込んできたのは、少女の無邪気で眩しい笑顔。 先ほどの表情とはうって変わって、店員の表情がやさしくなる。 「ああ、もちろんいいよ─お嬢ちゃん。 好きなだけ見ていきなよ。」 店員の言葉を聞くないなや、パシアは小走りに目的のコーナーへと向かう。 どうやら、ガールズとレディースのコーナーを行き来して見比べているようだ。 優雅なイメージを醸し出すドレス風のものや、 可愛さを増すようなリボン付きのトップス、ブレザーなどにも目をやっている。 かなり迷っている様子で、コミューンがその様子を十数分ほど見ていると、 パシアが気に入ったと思われる服をたくさん抱えて、コミューンに問う。 「着てみて─いいかなぁ?」 少し甘えるようなその表情に、コミューンはあっさりと負けた。 「ああ─いいよ、着ておいで。」 コミューンは試着室の前までパシアについていき、 パシアの着替えをゆっくりと待つことにした。 数分後、パシアの悩んだような声が、試着室の中から響く。 「うーん・・・コミューン、これ、どうかなあ?」 試着室のカーテンを開けると、そこにはホワイトグレーのコットンボレロと ジャンパースカートを身にまとい、顔を赤らめたパシアが恥ずかしそうに立っていた。 ─いわゆるロリータドレス。 似合っていることは似合っている。 しかし、パシアの様子からも察することができるように、 内に秘めた興味からこういう類のものに初めて手を出したといった感じだ。 コミューンはおおよそ、彼女の望んでいたであろう言葉を口にする。 「よく似合ってるよ。 ─でも、それを普段着にするつもりじゃないだろうな?」 コミューンの言葉を聞くなり、パシアに普段の笑顔が戻る。 「あははははっ、外に出るときしか着ないよお。 ・・・買ってもいい?」 ちゃっかりと聞いてくる。まあ、どうせ答えは決まっているが─ 他にも、いろいろとまあたくさん試着し、購入した。 元々買う予定だったロングコートなどの防寒衣も適当なものが見つかった。 汚れることを前提にして、いくつかカジュアル品も見繕う。 下方区で歩き回るには、ブーツ類も欠かせないため、これも買い与える。 流石にイヴニングドレスを試着したときは、コミューンもパシア自身も言葉がなかった。 ─パシアにはまだ早い。 後は換えの下着や小物類をいくつか買い、一段落と思ったが、 パシアがどうやら、最後に特殊な服に目をつけた様子だ。 ─女性用で、確かにサイズもパシアにぴったりなのだが、 どう考えても女の子が着る服ではない。 赤を基調とした装飾戦闘服・・・高機能のロングコートもついている。 隠しポケットがいくつも存在し、生地は特殊硬変素材を使用している。 コミューンのCGW制服とかなり類似するものだ。 流石に証印は入っていないが。 「─欲しいのか? パシアにはちょっと不向きだと思うけどな。」 コミューンがそう言うと、パシアは複雑そうな笑顔をコミューンに向ける。 「私・・・コミューンに迷惑かけたくないし─ これがあった方が、何かのときにいいかなって。」 ただ甘えるだけの単純な子ではない。 改めてそう思わせる一言。 コミューンには、それがありがたくもあり、辛くもあった。 おそらくこの先起こるであろう戦いに、パシアを巻き込まない保証はどこにもない。 パシアもそれを理解しているようだった。 結局、その装飾戦闘服を買うことにした。 いざパシアに試着させてみると、どことなく優美で不思議な感じが醸し出されていた。 思っていたよりも、割と似合っている。 紅を基本に統一されたような、パシアの髪と目、服装。 アンダーウェアは全身を覆う一体型のタイプで、外側を覆うアンティーク風の装いが パシアの身体を固める。 レース生地に見えるローズカラーのブラウスも、すべて他にはない特殊繊維だ。 身長160cm程度のパシアにぴったりと合うサイズ。 紅い装飾刺繍が、なんとも言えぬ感覚を呼び覚ます。 コミューンが食い入るように見ていると、そこに、 荷物を置きに行っていたリミテがやって来た。 リミテは、パシアの装いを見るなり、コミューンに言い放つ。 「なっ─ 何を着せてるのよ、パシアちゃんに。」 リミテは、瞬時にパシアが着ている服が何であるかを悟ったようだ。 「あっ、いいんです、リミテさん。 私がお願いしたの─」 一通りの経緯を説明すると、リミテは少し複雑な表情を浮かべた。 一寸置いて普段どおりの笑顔を取り戻すと、リミテは話を切り替えた。 「そっか・・・仕方ない・・・か。 ─で、かわいい服ばっかりね。 パシアちゃんって、アンティークっぽいのが好きなんだ? コミューンに買ってもらったのね。 ─私も何か買ってもらおうかしら? ふふ。」 リミテも、重要な荷物以外は東塔に置いたまま出てきたため、 普段着を中心に、いろいろ買っておかなくてはならない。 コミューンが買ってやることに決め、リミテの方を向くが、既にリミテの姿はなかった。 カジュアルコーナーとレディースコーナーを行き来して片っ端から見て回っている。 コミューンの視線に気付いたのか、リミテがコミューンを見て笑う。 「あははっ、本気にしてた? 冗談よ冗談─ 適当にさっさと買っちゃうから、少し時間もらうわね。」 そう言うと、いろいろと物色し始める。 コミューンはそんなリミテの傍に寄り、声をかける。 「こっちの方が似合うんじゃないか? ─いや、そうするとジャケットも・・・」 リミテも実に楽しそうな雰囲気で買い物をする。 結局、リミテは上下で4着ほど買った。 防寒用のコートなども忘れずに購入する。 お気に入りのスタイルは、青のジーンズに白のトレーナー、 皮のジャケットの3点セットの模様。胸元に銀のナイフ形の十字ペンダントが光る。 ただ、金のロングヘアが妙に目立っている。 その不自然さに、本人も気付いている様子だった。 リミテが鏡を見て少し顔をしかめていると、コミューンが後ろに立つ。 リミテが鏡越しに少し驚いたような表情を見せると、 コミューンはリミテの髪をそっと束ねる。 「─ほら。」 コミューンが髪を離すと、リミテの髪は後頭部でまとまり、 そこからまっすぐに降りる。いわゆるポニーテール。 リミテは、鏡の前で1回転する。 ─悪くない。 「コミューン・・・これは?」 リミテは、自分の髪をとめているものが気になり、問いかけた。 ─銀細工の薔薇が描かれたヘアバンド。銀製で、どちらかといえばヘアピンに近い作りだ。 「動き回るとき、その髪じゃあ大変だろう? ─それ、やるよ。」 店内をよく見回すと、同じような系統のものが置いてあるのが見られた。 銀細工入りのものは、その中でもかなり値が張っているようだ。 ふとコミューンの顔を見ると、コミューンがリミテに向かって微笑んでいた。 リミテはコミューンの意図を察し、少し困ったような笑顔で返す。 「─ありがとう。 ・・・大切にするね。」 リミテは、鏡の前で何度か、束ねた髪を振って見せる。 心なしか、頬に少し赤みがさしているようにも見えた─ 爽快に走るこのジープは、下方区で暮らす人々─ 免疫力の発達した人々の持ち物だ。 それ相応の免疫力がなくては、この下方区では長期間にわたり生存することはできない。 しかしそれでも、何らかの原因で体力低下が起こると命取りになる。 そこで、彼ら下方区民にとって非常に貴重な資源が上層区に存在する。 ─それが、医薬品。 特に、低下した体力を補う強壮薬などが好まれる。 これらを大量に提供することで、上層区ではまずありえない 自動車を手に入れることができた。 燃料となるオイルも、主に下方区で手に入る貴重資源。 居住区塔の主なエネルギー源は、太陽光。 窓ガラスの実に6割が、太陽光発電パネルとして活用されている。 ともあれ、そんな経緯で移動手段を得たコミューンたちは、 同じ陸地内で最寄のカーディル官制区へと向かってジープを駆る。 荒野に風音とエンジン音だけが響き、しばしの沈黙─ リミテのほうが、口を開けた。 「・・・コミューンは、ラタリナ出身なのね。」 ラタリナ・・・否、旧ラタリナ。 世界地図でいうところの東端、ライド列島の最北端に位置する小さな国家。 エイン帝郷区の侵略によって、8年前に滅びた国。 間違いなく、コミューンの故郷。 コミューンが頷くと、リミテは別のことを問う。 滅びた国の話を、コミューンはわざわざ聞きたいとは思わないだろう。 そう思っての切り替えだった。 「右目のこと・・・聞いてもいい?」 コミューンの淡紅色の瞳。 その問いに、コミューンはすぐ答えた。 「ああ─見えてる。4日前からな。」 リミテは、コミューンが居住区塔に上がってきたときからそのことには気づいていた。 怪我の手当てをする際に右目も確認し、その焦点が合っていたことで確信していた。 「そうじゃなくて─ その目は、コミューンの元々の目じゃ・・・ないよね。」 コミューンの表情が、一瞬だけ曇る。 訊いてはいけないことを訊いてしまったという罪悪感が、リミテの頭に浮かぶ。 しかし、コミューンは表情を戻してリミテの問いに答える。 「パシアとの関係・・・についてもだろう? いくらなんでも可愛がりすぎか。」 リミテの考えはお見通しのようだ。 困ったように笑うと、リミテは肯定の意味で頷く。 次の瞬間、コミューンが何かを投げてよこす。 リミテは、それを落とさないように左手で受け取る。 チャリ・・・と、金属の音がリミテの手元で鳴る。 ・・・黄金色が少しあせたような、ロケットペンダントだ。 リミテはジープを停めてワイヤーブレーキをかけると、コミューンに問い掛ける。 「開けても・・・いいの?」 ロケットペンダントということは、中には人に見せないような写真か絵・・・ おそらくは前者が入っているのだろう。 「そのために渡したんだ。─見れば、大体のことはわかるさ。」 リミテは、ロケットを傷つけないように丁寧にふたを開ける。 中には、紅いショートヘアの女の子の写真。 ─目を、疑った。まるで瞳孔が閉じてゆくような感覚。 リミテの目に映ったそれは紛れもなく、今、荷台で寝息を立てている少女。 パシアそのものだった。 リミテがロケットの写真を見つめている間、 コミューンはパシアの寝入る姿をじっと、やさしく見つめていた。 風が、リミテの髪を薙ぐ。 荒野の中、ただ吹き荒れ、時には静かに、流れゆく。 それは、コミューンがずっと心の中にしまっておくはずだった、大切な─ 大切な想い出だった。 ─ 願い 透き通った水面が、凪いだ状態で空を映す。 仰ぎ見れば、視界いっぱいに広がる青空。 綺麗な身体の線を描く、飾り紐付きのロングスリーブに、少し膝が見える程度のスカート。 少女は、空を仰いだその状態から目を閉じ、ゆっくりと鼻で息を吸う。 ─香る。 世界が、香る。 この世界の人々が、生き物が、また、生を持たない者も─ たくさんの想いや存在が詰め込まれ、溶け合った末に香るのが、この空気。 みんなが何を思って、どう存在しているのか。 それはこの空気の香りからでは想像すらつかない。 だけど、この香りも、決して意味のないものではない。 そう、信じたい─ 少女は願い続ける。 「私ね、世界を見たい─ みんなが何を思って、どう生きてるのかが、知りたいの。 こんなに青い空を、みんなが見れているわけじゃないけど・・・ この空の下で、みんながどんな意思を持ってるのかなって。 だけど、それって難しいことなんだよね。 ─私、お兄ちゃんの気持ちだって わからないところがたくさんあるもの。」 ほんの少し後ろに立つ兄に向かって、少女は言葉を口にする。 コミューンはやさしく答える。 「この大空を、鳥みたいに飛び回って─ 実際にその目で見てみるのもいいな。 それか、この星中を歩き回って、ずっと旅を続けるのもいい─」 少女は兄の言葉に返す。 「─後に言った方が現実的だよね。 本当、この目で見てみたいなあ・・・全部。 やっぱり、おこがましいのかな・・・私。 こんなにも綺麗なところにいられるのに、 まだ何か望んでる。 みんながみんな、こんな空の下で暮らせたらいいのに─」 コミューンの目の前にいる少女は、自分たちの罪を解っている。 解った上で、切なる願いを、この世界中で1つの小さな願いを・・・ コミューンに、たった1人の兄に話したのだ。 血は繋がっていないけれども、長く、長く、共に暮らした兄。 叶う可能性の限りなく少ない願い。 だけど、それは決して無ではない。 よく言うではないか、勇気と無謀は違う。 コミューンが少女の手を引くと、少女は戸惑った。 そんな少女の心を、コミューンはそっと、力強く引き寄せた。 「─行こう。 よく言うじゃないか、無謀と勇気は違うって。 絶対に無理なことに挑むのが無謀、可能性の低いことに挑むのが勇気。 ティルの望みは、決して叶わないわけじゃない─ そうだろ?」 ティルの表情が、困惑でも哀しみでも、ましてや憎しみでもない、喜びでもない・・・ 不思議な感情を顕した。 少し頬に赤みのさした、その表情でティルは兄の手に引かれ、ついていく。 「─善は急げだ。 支度しよう。」 少女の、ティルの表情に笑顔が顕れる。 そして、答えた─ 「うんっ─ お兄ちゃん。」 ティルの顔を見つめ、コミューンは不思議な情動に駆られる。 妖艶でいて、それでもなお純粋で、いつも傍で自分を癒してくれる。 世界で一番大切な存在(ヒト)。 世界で一番、愛しいと感じた。 自分は、この少女のためならどんなことでもしよう─ 自分を解ってくれた、理解してくれた。 それがごく一部の自分でも。 守り続けよう、この少女を。 その、願いを─ 「青い、青い、どこまでも青い大空の下で、そう誓ったんだ。」 コミューンが語り終えると、リミテは今にも泣き出しそうな表情をしていた。 やっとのことで言葉が出る。 「その子・・・コミューンの妹のティルって子は、もう生きてないんだよね─?」 リミテの、言うとおりだった。 コミューンの愛したティルは、もうこの世にはいない。 コミューンもまた、少し潤みながら、それを抑えて答える。 決して揺らいではいけない誓い。 「ああ─ 6年前にな。 もう、その時点で俺は誓いを1つ破ったんだ。 だけど、ティルの願いは消えてないんだ。 だから、俺は立ち止まるわけにも、死ぬわけにもいかない。 この右目を失うわけにもいかないんだ。」 亡き妹の眼球を、自分の眼球として移植した現在のコミューンの右目。 遺伝子的な違いからか、神経系がうまく繋がらなかったのか、 移植した当初、視力を持つことは叶わなかったが─ 今、その目は光を取り戻し、確かにこの世界を見つめている。 亡き自分の願いを叶えようとする兄に対し、ティルが贈ってくれたものかも知れない。 これによってコミューンの誓いは、ますます崩すことの許されないものとなった。 コミューンは続けてリミテに話す。 「本当はな、最初からパシアは引き取るつもりだったんだ。 君とは、東塔の報告が終わったあとすぐにでも離れるつもりだった。 懐かしい人の容姿に似ているわけでもない、ただの救助隊と事件被害者の関係だしな。」 非常に冷たいコミューンの言葉。 だがしかし、現に行動を共にしている。 あれからリミテに対するコミューンの態度も、冷たいものではなかった。 リミテはコミューンの語った妹の話から、割とすぐに答えに行き着いた。 『みんながみんな、こんな空の下で暮らせたらいいのに─』 『だからせめて、この朝にお祈りするの。この光が、いつか世界全部を照らせるように。』 リミテは恐る恐る問う。 「私の─ 願い?」 コミューンの表情を、多少仰ぐように伺うと、リミテにやさしい笑顔が向けられていた。 「君とティルが会って話すことが出来たならな─ ティルも喜んだだろうに。」 悲嘆を含めてコミューンがそう言う。肯定と受け取って良いのだろう。 リミテは、またコミューンに問いを続ける。 「そうするとコミューンは・・・このままパシアちゃんと一緒に旅をするの?」 コミューンは、荷台で寝るパシアの様子をうかがったまま答える。 「─どうだろうな、この子がそう望むとも限らないし、 望んだとしても、汚染大気への免疫力がもつかどうか心配だからな。 ・・・どちらにせよ、1度ライノラには戻るつもりだよ。」 リミテは、先日の一件と規定外危険物を保持していたラドミール居住区に関して 報告するために、カーディル官制区を目的地としている。 つまり、官制区に到着すれば自然とリミテとは別れることになるのだが─ 「官制区に着いたら、しばらくは私の部屋に泊まってくれない? 広さはラドミール居住区の個室よりあるから。 一通りの手続きが終わったら、 私もコミューンと一緒に行こうと思うから。 ・・・いいよね? 帝郷区に戻るなら、臨時ビザの形で私も手続きしておくから。」 リミテはコミューンの考えを予測したように、今後の意思を告げる。 リミテが行きたいと言うならば、拒否する理由はない。 しかし、問題がひとつ─ 「査察官の仕事は─ どうするんだ?」 率直な疑問を、コミューンは言葉にする。 いくらなんでも休暇の取り過ぎになるだろうし、 いずれ上層居住権も剥奪されるだろう。 義理の縁者・・・としての扱いが認められるのは、養子規定では18歳以下の人間だ。 リミテは確か21歳なので、無理がある。 ─というよりも、2つしか歳の違わない女性を養子というのはいくらなんでも気が引けた。 コミューンが勝手に考えを進めていると、リミテが答える。 「この一件の調査役として名乗りを上げれば、いろいろな地区を自由に 調査できるようになるから、名目上も実質上も、仕事をしながら同行できるでしょう?」 ほんの少し得意げな、リミテの科白。 こういう知恵に関しては、リミテには頭が上がらない。 悪知恵がよく働く女だ。 ─コミューンは心底、そう思った。 「ああ、じゃあお世話になるよ。 パシアの入区手続きもしなきゃいけないしな。 官制区の設備、使えるように手配を頼むよ。」 コミューンとリミテは、そのまま今後の細かい打ち合わせを何分か続けた。 とりあえず話がまとまったところで、コミューンが口を開く。 「さて、今日はここらで休んでおくか。 エンジンも休めないといけないしな。 交替でずっと運転してきたし、たまには停まって寝るのもいいだろ。」 確かに、車を休めることは大切だし、車に揺られながら寝るよりもよっぽど安眠できる。 リミテ自身も、体力的に辛かったこともあり、従うことにした。 体力低下で発症しないように強壮薬を飲み、荷台から毛布を手に取る。 そこで、リミテは気がついた。 毛布は2人分しか用意していなかった。 1つはパシアが使っているので、まさかこれを取り上げるわけにもいかない。 リミテが自分のコートを手に取り、それを羽織ってコミューンを見ると、 コミューンもまた、自分のコートを羽織って目を閉じていた。 リミテは困ったように笑いながら、毛布を手に取った。 エンジンの音が途切れると同時に、毛布の暖かい感触がコミューンの身体を覆う。 リミテがかけてくれたのだろう。 そう思い、コミューンは言葉を発する。 「─いいよ、リミテ。 毛布はお前が使っ・・・」 目を開けて初めて気がつく。 コミューンの目の前に、リミテの顔。 コミューンが目を開け、自分の姿を確認したのを見ると、 リミテはコミューンに身体を預けるようにして、助手席に移る。 「─ほら、この方が・・・暖かい。」 忍び声が、リミテの口元からコミューンの耳へと届く。 荒野の寒空の下で、リミテの身体の温もりがコミューンの身体へと伝わる。 リミテも同じなんだろうか─ コミューンがそう考えると、リミテがコミューンの顔を見上げる。 深い、深い青の瞳が、コミューンを見つめる。 「イヤじゃ・・・ない?」 そっと、かすれた声で問うリミテ。 コミューンは、意外といった顔を見せて答える。 「どうして─?」 すると、リミテの視線が、眠るパシアをうかがい見るように流れる。 コミューンは、リミテの考えていることをすぐに察した。 コミューンは少し考えてから、リミテを安心させるための嘘をついた。 「妹だよ─ ティルも、パシアも。 それに、パシアとティルは違うよ─」 血の繋がっていない、義兄妹。 ─それだけ。 コミューンは言い聞かせる。何度も、そうしてきたことだ。 亡き妹を1人の女性として見たことなど、1度も─ 「 ─嘘つき。」 あっさりと、見破られた。 リミテの声が、コミューンの胸を突き刺すように響く。 しかし、リミテの表情は怒ったときのそれではなかった。 「キスしたこと─ 怒ってる?」 困ったように笑いながら、リミテが問う。 髪の香りと、吐息が、コミューンの鼻を撫でる。 妖精がからかって遊ぶように。 自然と、2人の顔が近く、近くなってゆき─ 糸を切ったように、コミューンの唇が、リミテの唇にあてがわれる。 それと同時に、リミテのまぶたがゆっくりと閉じる。 少し力強く圧され、リミテの唇が、ほんの少しだけ形を崩す。 「ん・・・」 リミテが、咽の奥で声を上げる。 絡み合った唇が、そっと、少しずつ離れる。 リミテは、ゆっくりとまぶたを上げた。 リミテの頬には、赤みが差しているのだろう。 暗く、はっきりと確認は出来ないが。 「これで─ あいこだろ?」 コミューンの笑顔が、リミテの問いへの答えとして返される。 安心したリミテの緊張は一気に解け、くすっと笑いがこぼれる。 今度はどちらからでもなく、2人は再び唇を重ねた。 「どのくらい─ かかるかしらね?」 リミテが、コミューンに問い掛ける。 おそらくコミューンの返す答えは決まっているのだが、それでも問う。 そんなリミテの意図をわかっていながら、コミューンも決まりきった返事を返す。 「さあ─ 見当もつかないな。 ・・・ゆっくり、ゆっくり回ればいいさ。」 リミテがくすっと笑ったように見えた。 それを見て、コミューンは続ける。 「絶対、叶えるさ。 リミテと・・・ティルの願い。」 リミテが、今度こそ確定的に、鼻で笑った。 コミューンは恥ずかしそうに頭を掻く。 荒野には、冷たい風が吹き付けるだけ。 どこまでも、どこまでも続く岩の瓦礫。 そこに、舗装された道などありはしないが、 その見えもしない道を進んでいかなければならない。 コミューンは、再度誓う。 ─止まりはしない。 願いは、紡がれる。 どんなに小さな願いも、消えゆき、再度生まれる。 誰かが叶える、その日まで紡がれる。 そう、信じたい─ 『だから、今を生きる者に捧げる─』 ヘルスティンの声が、聞えたような気がした。 「おやすみなさい・・・コミューン。」 リミテのやさしい声で、かき消される。 心地良い。 風も、香りも、温もりも─ 全部が、いとおしい。 目を覚ましても、この幸福が失われていないよう、願いを込めてささやく言葉。 「おやすみ─ リミテ。」 ─ 代償 果てしなく続く砂漠に、地平線─ 地平線の近くには、赤い空。 赤が、紫から蒼、蒼から青へと変わり、大空を描く。 雲ひとつ見当たらない、幻想的な空。 そこにぽつんと、ただ1つだけ光る青い星。 その輝きは決して眩しくはないが、この砂漠を照らしている。 照らすに充分な光を、確かに放っている。 砂漠の中心には、大きな樹木を思わせる緑色の ─炎。 本当に樹木を象るかのように、やさしく、高く立ち昇る。 ふと、気配を感じて後ろを振り向く。 コミューンの目に入ったのは、果てしなく続く海。 海とは言っても、純水のように透き通り、砂漠が水の中へと続いている。 砂の色と星の光の絶妙な屈折、干渉加減で、奥の方がやや赤く映る。 太陽と同等量の光を発し、青く輝く星。 不毛の砂漠を再生するかの如くそびえる、緑の炎。 生命の血を含んで、そのまま包み込んだように静かな波を打ち寄せる、赤い海底。 三原色の幻想をまとった世界─ まるで、夢でも見ているかのような気分。 コミューンは、自分の頬を殴りつける。 「痛っ・・・」 現実であるのなら、一体ここはどこなのだろうか? 当然の疑問が、コミューンの頭を支配する。 リミテの願いを聞き入れ、お互いに”おやすみ”を言って眠りについた。 そこまでは覚えている。 ─では、俺は下方区の汚染大気で発症し、死んでしまったのか? 15年間暮らしてきた場所だ。 そんなことはまずありえない。 では、ここは何処なのか? おそらくコミューンが生きている世界に、 このような光景を目にすることができる場所は存在しない。 見た通りの、別世界そのものか。 そうでなければ説明がつかない─ コミューンがそう思った矢先に、言葉がコミューンの思考を遮る。 『ここは─約束の地。 安らぎを求めた魂が集う場所。 君らから見て言うならば、異世界ではなく異星と言った方が正しいな。』 聞き覚えのある声。 カルナとの戦闘中に意識空間で話し掛けてきた声。 「ヘルスティン・・・と言ったか。」 コミューンが気配の方向に振り向くと、そこには1人の人間らしき姿があった。 黒髪に色白の肌、目はティルやパシアと同じく、淡い紅。 長身で、コミューンと齢はさほど変わらぬように見受けられる若い男。 例えるならば、果てしなく深く、穏やかな闇。 憎悪が燃え果て、安らぎの場を見つけたような、穏やかな闇。 この男が、ヘルスティンと名乗ったあの声の主なのか。 『お前から見れば、私は人間にも見えるのだろうが・・・違うのだよ。 私は、君らの世界に記された履歴のある名で言うならば、 刻神という言葉がそれに該当する。 クシュターゼとも言うが。』 ─聞き覚えは、あった。 特に前者。 ライノラ帝郷区の高位官室や、限られた装飾品などに刻まれる紋様。 総統のリューハから受け取った装飾拳銃、M224レヴィニーにも刻まれている龍の装飾。 それらの龍の名前が、刻神である。 CGW制服の肩当てにも描かれている。 単に架空のモノやシンボルではない─というわけか。 しかし、その龍の容姿とは似ても似つかない、目の前に立つ長身の男。 そんな男は、コミューンの思考をいともたやすく見抜いたようだ。 『君と話しやすいように、こちらも魂魄体で接しているのだが・・・な。』 言葉と同時に、男の・・・ヘルスティンの、人の形が炎に包まれる。 先ほど見た、樹木を形容するような緑色の炎。 炎が、形を作り出す。 巨大な、圧倒的に巨大な、龍。 優雅でいて、禍々しく、虚ろに。 それは紛れもなく、様々に装飾として施された刻神の容姿。 圧倒されるコミューンを足元に、ヘルスティンは問う。 『お前は、この大地を愛すると─ 己以外を愛すると言ったが・・・それは今でも変わらぬか?』 コミューンの思考に、再び落ち着きが戻る。 唐突とも言える、その問いに対して、決して戸惑うことなく。 ─ 誓った。 願いを守り、紡ぐ。 「変わると思うか─?」 ヘルスティンの顔と思われる部位を仰ぎ見て、コミューンが問い返す。 それは、揺るぎのない黄金色と深紅色の目。 ヘルスティンは、自身の問いに対する答えを是と受け取った。 『では、お前が私の力を使うために必要なことを教えておこう。』 その長い説明を、コミューンは聞き続けた。 簡単に言ってしまえば、コミューンの覚悟の確認と、力についての説明のために コミューンを呼び出したということだ。 説明が終わり、コミューンが確認すると、炎がコミューンの体を包み、途端に意識が飛ぶ。 劫火によって魂が消えゆくような、一瞬の空間転移。 停電したテレビのように、突然の意識遮断。 コミューンの目が、ゆっくりと開く。 目蓋の隙間から、微弱な光が差し込む。 眩しくは、ない。 目の前には、暗雲。 微弱な光を差し込ませる、大きな雲。 それを背景に、顔が2つ、コミューンの視界に入る。 同時に、胸部への圧迫感を覚える。 コミューンの目に近い方の顔が近づいてくるのがわかる。 胸部で感じたものとはまた違う圧迫感が、鼻と唇で感じられる。 口からコミューンの体内に向かって、何かが流れ込んでくる。 ─暖かい。 生命の、息吹。 あるいは、魂そのものか。 途端に、コミューンの身体から熱いものがこみ上げてくる。 コミューンは、その熱さに対してたまらず咳き込む。 次の瞬間には、自分の目が覚めたことを実感する・・・が、何か雰囲気がおかしい。 よく見てみれば、顔を涙で濡らしたリミテの顔が、驚いたようにこちらを見ている。 とめきれなかった分の涙が、リミテの目からコミューンの頬へとこぼれ落ちる。 ポタッ─と、2、3粒の涙が、コミューンの頬を濡らす。 「コミューン・・・」 名を呼ぶリミテの傍らには、なんともいえぬ表情でやや顔をそらすパシアの姿。 ちょうど胸部をさわることのできる位置。 そうか、蘇生処置をされていたのか─ 幽体離脱のような状態になり、心肺機能が停止しかかっていたのか。 コミューンは身体を起こし、辺りを見回す。 どうやらジープから降ろされ、毛布を敷いた上で蘇生処置を受けていたようだ。 パシアの応対が少し気にかかったが、コミューンはおそらくその場に適当な言葉を発する。 「心配─かけたみたいだな・・・すまない。」 コミューンの第一声に対し、リミテが罵声を浴びせる。 まさに、心配が取り越し苦労に終わった瞬間を見ているかのようだ。 パシアは、少し笑いながらその光景を見守っていた。 「もう・・・本当に、心配したんだから─」 ようやく止まった涙の残りを拭い取りながら、リミテがコミューンの胸に崩れおちる。 コミューンはリミテの肩をそっと撫でる。 「─すまない。」 今のコミューンに言える言葉は、ただそれだけだった。 リミテは、感情的な動揺に弱い。 コミューンはこの5日間で、そう理解してきていた。 そして、今のこの状況もそれを裏付けるものとなっている。 繊細で、もろく崩れやすいリミテを、この先も守っていかなければならないだろう。 もとより守るつもりで一緒に連れてきた。 コミューンはリミテに向かい、そっと微笑んで、リミテの心をなごませる。 「─っ、コミューン!」 突然に響くパシアの声が、コミューンとリミテの思考を寸断する。 パシアに続いてコミューン、少し遅れてリミテが事態に気付く。 コミューンの正面に映る体長2〜3mの影。 視点をほんの少しずらしてみると、またその正面にも似た影が1つ。 コミューンたちの周りすべての空間が、そのような感じで広がっている。 つまり・・・ビーストリザードの群れに、囲まれている。 数にして60少々といったところか。 じりじりと、確実にコミューンたちに近づいてくる群れ。 普通の人間より遥かに俊敏な動きをすることが可能なビーストリザードが相手では、 下手に銃弾を撃ち込んでも倒し切ることは出来ないだろう。 それに加え、今は3人とも無防備な状態だ。 パシアが例の戦闘衣を着ているのがせめてもの幸いなのか・・・ コミューンがパシアの様子をうかがうと、それは今までのパシアとは違うものだった。 目の焦点が単一箇所に合わされず、周囲全てを見ようとする目。 16歳の少女らしからぬ、落ち着いた息遣い。 コミューンの目線に気付いたのか、パシアがコミューンの方に目を移す。 それが、合図となった。 ビーストリザードが一斉に地を蹴り、コミューンたちに襲い掛かる─ このままでは、3人とも捕食対象となってしまう。 こんなところで死ぬわけには・・・いかない─ コミューンの思考には、先ほどのヘルスティンとの会話のことが浮かんでいた。 『私の力・・・ヘルスティン・クシュターゼの力には、段階がある。 最初の段階はコミューン、君の右目の覚醒だ。 これはもうわかっているとは思うが、 視覚から得ることのできる情報量を増大させることができる。 使うときは、目を閉じながらこう言うんだ。』 「・・・ヘルスティン・アテート。」 ─覚悟の証。 願いを紡ぐために、人としての力を超越する邪道に手を染める覚悟。 そして・・・ コミューンは、目を開く。パシアの視線がこちらを向いたまま、静止する。 そしてその先、ジープの助手席シートに2挺の拳銃。 LM79、LM85の2つが、ジープの外壁を透過してコミューンの目に映る。 少し驚嘆の意を持つが、それはすぐに収まり、コミューンは場の状況を冷静に見極める。 ビーストリザードは、すでに飛び掛る位置を決めた状態で、歩幅をあわせている。 つまり、着地点は既に変えられない状態だ。 パシアとリミテを猛獣の包囲網の外側に向かって突き飛ばし、ジープまで疾走する。 ビーストリザードが着地してから再度体勢を立て直すまでの時間は、およそ2秒。 助手席に到達した時点で、リミテたちを仕留め損ねたビーストリザードたちが 互いにぶつかり合ってバランスを崩す。 ─充分に間に合うタイミングだった。 コミューンは2挺の銃と予備弾倉を手に取り、叫ぶ。 「・・・クレスト・オブ・クルツ!!」 コミューンは照準を一気に合わせ、発砲しながらもといた場所に向かって駆ける。 ほんの一瞬で、20体のビーストリザードが絶命する。 コミューンは素早く予備弾倉を装填すると、パシアの体を抱えてリミテに向かって駆ける。 おおよそ4、5秒のうちに、武器を持った状態で先ほどと同じ状況になったことになる。 リミテたちは声も出ない様子だ。 先日見せたときよりも遥かに人間離れした動きを見せているのだから当然か。 コミューンはビーストリザードに銃口を向け、眼光を鋭く光らせる。 惨状とコミューンの殺気により、残りのビーストリザードたちはあっさりとその場を引いた。 コミューンの視界が、通常のものに戻る。 コミューンは銃をホルスターに収めると、リミテとパシアを気遣う。 突き飛ばすのが強すぎたりはしなかっただろうか。 リミテはコミューンの気遣いに対し、あまり反応できていない様子だった。 見た感じでは、パシアの方が落ち着いた様子だ。 コミューンはそんなパシアに手をさしのべ、声をかける。 「パシア─立てるか?」 地面に座り込んだ状態のパシアは、コミューンの手にしがみついて立ち上がると、 コミューンの右目に向かって手を伸ばす。 複雑そうな目で、コミューンを、コミューンの右目を見つめる。 「突き飛ばして─すまない。」 コミューンが謝ると、パシアはかぶりを振る。 「ううん、いいの。 ・・・それより─」 パシアが言葉を詰まらせる。何か言いたそうな様子だったが・・・ ふと、リミテが平静な状態を取り戻し、こちらをうかがっているのが目に入る。 まだ地面に座り込んだ状態ではあるが。 コミューンはリミテにも手をさしのべ、立たせる。 「─ありがとう、コミューン。」 困ったように笑いながら、リミテが言葉を発する。 今使った力についての興味も耐えないようだが、 あえて聞くのを思いとどまったという感じだ。 コミューンも上手く説明をする自信がないので、少しありがたいわけだが。 3人は再びジープに乗り込み、その場を後にした。 まだまだ続く大荒野。 先ほどのビーストリザードの群れも、どこに行ったかわからない。 運転席にリミテ、助手席にコミューン、荷台にパシアと、昨日と同じように座っている。 座席もガタガタと揺れるが、荷台のほうは衝撃を直に伝えるため、 実のところ一番辛いのはパシアかもしれない。 車に揺られながら、コミューンは再度ヘルスティンとの会話を思い出す。 『段階があるということは、力を使うことの代償があるということだ。』 『・・・代償?』 『何も、私に何か捧げろというわけではない。 ごくごく自然な代償だよ。』 ─思い出したのと、同時だった。 コミューンの全身に、ノコギリで抉るような不快な激痛が走る。 内臓も皮膚も、油の切れた機械を無理やり動かすような感覚にとらわれる。 コミューンはあまりの痛みに声も出ない。 リミテがそれに気付く様子はない。 ただ、パシアの気配が伝えてくる、心配そうな感情と、その表情。 やがて痛みが引くと、コミューンの顔は汗で濡れていた。 ごくごく自然な代償─ なるほど。 人間としての範疇を超えた力を駆使するためには、体に多大な負担をかける。 例えば、拳を銃弾と同じスピードで繰り出せたとしても、拳が物体との衝突に耐えられないように。 人智を超えた情報把握能力は、脳へ負担をかけ、その負担は体の各所へと振り分けられる。 ろくに休まずに繰り返し使えば、寿命が縮まるということか。 ─ 面白い。 ティルとリミテの願いを叶えるのが先か、自分の命が尽きるのが先か。 どの道、カルナたちとの抗争を考えれば、使わないわけにもいかないだろう。 しかも、長時間使う必要があるだろう。 力を得たことによる、それなりの代償─ か。 コミューンの目が、荒野の遠く果てよりも更に奥を、じっと見つめていた。 ─ 上に立つ者 砂利道を走行するジープに揺られながら、ビスケットを頬張るコミューン。 保存用食料として古くからずっと存在する食料だ。 乾物なので、喉を乾かさないように飴玉が付属している。 パシアが飴玉を中心に食べているのは気のせいか、飴玉の量が少なくなっている。 時々、運転するリミテの口元へとビスケットを運んでやると、 リミテはコミューンを一瞥、微笑して口を開ける。 コミューンの指がほんの少しだけ、リミテの唇に触れると、 リミテはビスケットと一緒にコミューンの指を軽く噛んでみせる。 コミューンが慌てて指を引くと、前を向いたまま笑うリミテ。 どうやら、先ほどよりはだいぶ落ち着いたようだ。 レーションフードばかりの生活に、コミューンは慣れているが、2人はどうなのだろう。 答えはおそらく否だ。 居住区塔を出発してから4日経った現在、ラドミール地区のほぼ西端まで進んでいる。 もう2、3時間もすれば、カーディル管制地区へと入ることになる。 とは言っても、明確な国境など無きに等しいわけだが。 コミューンたちの目の前に、大きな山脈が立ちはだかっているのが確認できる。 この山が、おおよその境界線というわけだ。 とは言っても、この山を実際に見たことのある者は上層ではほとんどいない。 生えている植物も、葉が垂れ下がったシダ植物しか見当たらない。 しかも、放射能による変異なのか、人間を1人覆い隠せるほど巨大だ。 そんな植物を横目に、ジープは山道を進む。 それなりに道らしく平坦に均された砂利道が続いており、 ジープが通るには充分な道幅がある。 昔から存在する道なのか、大戦後に作られた道なのかは定かではないが・・・ 今は、通ることができるのならどちらでも構わない。 山脈のほぼ中央に、山を貫通するトンネルがあり、そこを拠点とする集落が構成されていた。 元々人間は、文明といえるようなものが出現する以前は、 こうした横穴を拠点として生活する習性があったそうだ。 トンネルの中は、右寄せに瓦礫を積み上げた住居が並んでおり、 左側はジープが通れるくらいの幅が充分にあった。 ここを頻繁に交通用の道として使っている証だ。 手押し台車などの小規模なものではなく、大型車両でも通行できそうな広さがある。 コミューンたちを乗せたジープも難なく通り過ぎ、人々には興味を抱く様子も見られない。 こうして車両が通過することは珍しいことではない、ということか。 どういう目的で頻繁に車両が行き来するのか・・・興味は尽きないが、今は先を急ぐべきだ。 リミテは横目で集落の様子を確認しながら、黙ってジープを進めた。 「検問でもかければ何か捕れるんでしょうけど・・・今は仕方ないわね。」 トンネルを抜けて数分したところで、リミテがつぶやく。 どうやら、コミューンと同じことを考えていたようだ。 それに対する対応の判断も、同じものだ。 今回のテロ行為のような大規模なものでなくとも、法に触れるようなことが行われている可能性は高い。 こちらはパシアも乗せているので、無茶はできない。 官制区での報告に付け加えるだけで充分だろう。コミューンは頷いて答える。 不思議そうな表情を浮かべるパシアの頭を、軽くなでて紛らわせる。 まだ中にビスケットの入った缶をパシアに差し出して前を見ると、 そこには巨大な鉄塊が広がり、視界を埋め尽くしていた。 コミューンはカーディル官制区には一応出入りした経験があるのだが、 これほどまでに大きな区画だったという記憶は無い。 ラドミール居住区塔のような縦長の塔が6つあるだけのはずだ。 驚嘆の表情を浮かべるコミューンとパシアを見ると、リミテは少しだけ得意げに言う。 「うちの官制区はね、下の階の方が高官用なのよ。 コミューンは、連絡通路のある上層階にしか来たことが無いでしょう? 私の部屋は割と下の方だから、見せてあげられると思うわ─」 最後の部分だけ、言葉がほんの少し皮肉めいた感じに聞こえた。 ・・・つまり、あの大規模な土台は下層階に存在する何かのためだけに存在するということか。 数時間かけて、ようやく巨大な鉄骨の端に辿り着いた。 鉄骨はかなり緩やかな傾きで、斜めに設置されており、 官制区への入り口へは、まだかなりの距離がある。 辺りはすっかり暗くなり、下方区の不気味な感じを強調しているかのようだ。 リミテも疲れた様子であったため、コミューンはリミテに対し、休むように促す。 「無理はしない方が良い。 また明日でもいいじゃないか─」 リミテはまた困ったように笑いながら返す。 「下方区に長居はしない方がいいわ。それに、着いてしまえばゆっくりと休めるわけだし─」 言い終わると同時に、カップに注いだ飲料水を一気に飲むリミテ。 ビスケットの缶もすっかり空になっていた。 既に本人は、今夜中に管制区内へと入るつもりのようだ。 その気になったリミテを、コミューンは止めようとしたが、 それ以上の言葉を見つけることはできなかった。 パシアがそれに対し、口を出せるはずもない。それだけの気迫があった。 結局、リミテは再度ハンドルを握り、アクセルペダルを踏み込む。 力強く、それでいて思考を緩やかに引き込んでいくジープの揺れ。 ジープのタイヤが土を踏みしめることで引き起こされている振動。 言わば、ジープと大地との交響によって生まれた鼓動。 その鼓動に揺られながら、コミューンとパシアはゆっくりと眠りの中に引き込まれていった。 まぶしい光と、カーテンのやさしい音。 そして鼻をくすぐるコーヒーの香りに刺激され、コミューンは目を開ける。 どうやら、熟睡してしまったようだ。 コミューンは頭をかきながら、自分の周囲を見渡す。 広い、広い部屋だった。 コミューンが横になっているのは、ソファーなどではなく、れっきとしたベッド。 窓際に設置された机の上には、コーヒーポットが置かれていた。 窓とは逆側のベッドには、小さな膨らみ。 赤い髪が、毛布から少しはみ出している。 部屋の様子と昨夜の状況から察するに、ここは官制区の内部と見て間違いないだろう。 ここまで良い部屋は、通常ではありえない。 一部の高官が住まうそれだ。 とすれば、ここはリミテの部屋ということになる。 眠ったままのコミューンとパシアをこの部屋まで運んだということか。 コミューンはそんな思索をしながら、ベッドから降りる。 リミテの姿を探すが、この部屋には見当たらない。 3つ目のベッドの毛布が乱れている辺り、この部屋で睡眠を取ったことは間違いない。 とすれば、シャワーでも浴びに行っているのか。 この部屋はラドミール居住区とは違い、バスルームは個室として存在するタイプのようだ。 ベッドの並べられた部屋の隅に、木製のドアがある。 そう考えると、リミテがこの部屋にいないのも納得がいく。 コミューンが憶測を膨らませていると、リミテが扉を開けて部屋に入ってきた。 純白のローブに身を包み、手にはパンをのせたトレイを持っている。 シャワー兼、朝食の調達といったところか。 「おはよう、コミューン。 昨日はぐっすりだったね。 ・・・食べる? 先にシャワー浴びる?」 カーテン越しの朝日を背景に、リミテが笑顔で問い掛ける。 コミューンがやや目を細めて笑顔を返すと、後ろでもぞもぞと動く気配がする。 コミューンが振り返り、リミテも覗くように見る。 ちょうどパシアが、目を擦りながら起き上がるところだった。 「・・・いいにおい。」 その第一声に、2人とも噴き出した。 「─っはは、じゃあ先に浴びてくるよ。 パシアと一緒に食べててくれ。」 笑いを堪えてそう言うと、着替えを手に取るコミューン。 すると、リミテは慌てて口にする。 「あっ・・・出て右に行ったドアのところだから。」 コミューンは頷いて返し、寝室を後にする。 コミューンがまず驚いたのは、廊下の造りと、その広さだ。 人2人は余裕で通れそうな広さの廊下に、旧世界の貴族邸を思わせる様々な装飾。 床には絨毯が敷かれ、他の部屋へと人を導く。 左を見ると、10mくらい先に両開きの扉があり、 右には5mくらい先の左隅に片開きのドアがあった。 リミテの言っていたシャワールームはこちらだろう。 コミューンは進み、ドアを開ける。 洗面所と兼用になっている更衣室も相当な広さがあり、 服を畳まないでも置いておけるだけのスペースがあった。 コミューンは服を脱いでカゴに入れると、浴室へと入った。 そこで更に驚かされるとは、思ってもみなかった。 大理石の床に、大理石の浴槽。その浴槽は大人が5、6人入れそうな大きさがあり、 湯で満たされていた。 帝郷区でも、これほどの設備にはそうそうお目にかかれない。 というよりも、コミューンがそういった設備の注文をしていない。 これでは、シャワーを浴びる方が失礼というものだろう。 隅に置かれていた桶を手に取り、浴槽の湯をすくって、体を洗う。 ボディソープから、微かに花の香りがする。 全身を包む泡が、全身からその香りを鼻へと送り込む。 コミューンは桶の中の水で体を流す。 シャワーとはまた違った、温かい感触。 再度、シャンプーの泡で髪を包むように洗う。 この香りで、様々な苦しい思いも、自分の存在さえも、忘れてしまえるように思えた。 湯雨は、コミューンの思考をそんな錯覚に陥らせる。 流し終えると、コミューンは浴槽に体を預ける。 溢れた湯が、排水溝へと流れ込む。 シャワーでは得難い、体の芯から温まるようなこの感覚。 久しく味わっていなかった。 というよりも、一生に1度でもこんな感覚を味わうことが出来る人間は、 今、この世界にどれほど存在しているのだろう。 数えようと思えば、数えられるくらいの人数なのではないか。 自分も、そのうちの1人ということだ。 なんとも、おこがましい。 愚かしい。 一部の人間が満足するための設備に、一体何の意味が、どれほどの意味があるというのだ。 その悲観的な思考を、コミューンは湯を顔から浴びて紛らわせる。 体の各部があらかた温まったところで、コミューンは浴槽から上がる。 せっかくリミテが持ってきてくれた朝食を長く置いておくのはもったいない。 そう思いながらコミューンは体を拭き、着替えを済ませる。 コミューンが部屋に戻ると、リミテはもう制服に着替え終えた様子でいた。 パシアが何個目なのか不明だが、朝食のパンを夢中で食べていた。 「 ・・・んっ。 あ、コミューンおかえりー。 このパンすごく美味しいよー。」 それだけ言うと、合成乳と思われるミルクを少しだけすすり、再度パンに手をつける。 リミテはもう必要量食べてしまったのか、食べるパシアをやさしく見つめていた。 そのパンは、薄い帯を少しずつ幅を狭めて巻いたようになっており、 三日月のような形状を保っていた。 コミューンは文献でしか見た覚えがないが、クロワッサンという類のパンだ。 実際に見るのはもちろん初めてだ。 ライノラ帝郷区でも支給されるだろうか? コミューンはそんなことを考えながら、クロワッサンを手に取り口へと運ぶ。 程よい弾力のある衣が、歯で千切られる感触。 生地は薄いものが何枚も重なったようで、最初は固い感触、 中へと侵食するうち、だんだんとやわらかい感触へと変化していく。 ものすごく上等な代物であることは間違いない。 その食感の虜になったように、夢中に食べるパシア。 そんなパシアを尻目に、リミテは時計を気にし始める。 時刻はAM9:00を回ったところだ。 なるほど、そろそろ上層部も業務が回転し始めている頃なのだろう。 今回の爆破テロとラドミール居住区におけるプルトニウムの存在・・・カルナとの戦闘。 一切合財報告しなければならない。 リミテも管制区に戻ったなら戻ったなりに、なるべく早い報告が義務となる。 ・・・頃合、か。 コミューンも察して、クロワッサンを急いで飲み込む。 「・・・プルトニウムは?」 ジープではるばる運んできたプルトニウム。ご丁寧に信管までついているアレだ。 「もう昨日運んでもらったわ。今はここの特区保管庫にあると思う。 だから今日は力仕事しなくて良いわよ。」 くすっと笑ったように返すリミテ。 2人とも立ち上がり、合間を縫って記入してあった報告書をまとめて支度をする。 「ごめんね・・・パシアちゃんのカードに500ライン入れておいたから、ちょっと時間つぶしてて。 下以外はどこに行っててもいいから。多分お昼ぐらいには一旦戻れると思うわ。」 リミテが切り出すと、パシアはすぐさま自分のタグの残高を確認して喜ぶ。 「お仕事がんばってね〜!」 素直に喜んでくれたようで、パシアはショッピングモールのある5階層へと1人走って行った。 ─ 交錯 淡々と、会議室の中で響く声色。 管制区50階層でのやり取りは、前半はラドミール居住区塔での報告と酷似する。 事の始まりから現在の被害状況まで報告した後、プルトニウムを発見後の報告となる。 現状として、議題に上るのは、物資供給経路が断たれたため、その再構築に関すること・・・ エイン帝郷区とカルナとの現在の関係・・・ 後は、結局長官らからは訊きだすことが出来なかった プルトニウムの使用目的だ。 物資供給については、すぐに連絡通路再構築の手配が進められた。 おそらく月単位での工事となるであろう。 後者2つについては、様々な予測・検討が行われた。 カルナとエイン帝郷区は現在もまだ使従関係にあるのか、あるとすれば、現在の各地区との交友関係上大問題となる。 現在対立関係と言って良いものは、ライノラ帝郷区とエイン帝郷区の一騎打ちの抗争だけだ。 ・・・そう、ライノラ帝郷区とエイン帝郷区は互いに未だ戦争とも言って良い関係にある。 ただ、互いが支援している各居住区への攻撃は前もって禁じられているはずだ。 となると、ラドミール居住区塔への攻撃は、その協定を無視・・・あるいは、中立区画と見なさなくなったのか。 ラドミール居住区がプルトニウムを所有していたということはカルナたちと同様、何処かで大規模なテロでも行う気でいたのか。 あるいは何処かへの宣戦布告準備か。 その布告先がエイン帝郷区だとすれば、先日のテロ攻撃にも納得がいく・・・が、 戦闘体制に入っていたとはとても言いがたい一居住区が、そんな無謀なことをするだろうか? 一連のやり取りから、一番線の濃い内容が仮説として持ち上がった。 ラドミール居住区塔は、現在ライノラ帝郷区の傘下にあるが、エイン帝郷区との関係を持ちつつあった。 近々、身内であるライノラ帝郷区・・・カーディル管制区へのテロ行為を目論んでいた・・・が、 なかなか活動に出ない居住区を見限ってエイン帝郷区が粛清に乗り出した・・・といったところだ。 もちろん推測の域を出ることは無いのだが、リミテたち・・・特にコミューンにとってはそれが一番辻褄が合う気がした。 その線が晴れない限り、物資供給の際には査察官が大勢同行することになるだろう。 無論、戦闘態勢に入ることを前提にだ。 一通り議論が済んだところで、カーディル管制区のハイド長官が切り出す。 「コミューン殿、おおよその見当がついたことだし、貴君はリミテ君の個室のほうに戻ると良い。 ライノラ帝郷区への一連の報告はしておこう。リミテ君にはもう少し話があるのでね・・・」 PM0:30。パシアとの約束の時間を少しオーバーしてしまったようだ。 「恐縮ですが、そうさせていただきます。連れも待たせてあるので・・・では、また後ほど。」 CGWである自分を払ってのリミテとハイド長官との話の内容も気になるが、 今はパシアとの約束時間を守るのが先決だ。コミューンは1人、下方階へと向かった。 「あ、コミューンおかえりー。リミテさんはまだ上の階?」 パシアは笑顔で迎えてくれた。若干約束時間に遅れたことは気にしていないようだった。 一寸、その表情がどこかぎこちなくなったのはコミューンの気のせいだったか・・・ ふと、コミューンはテーブルの上に、湯気の立つパスタが置かれているのに気がついた。 「昼食・・・買ってきてくれてたのか? 悪いな・・・」 コミューンが困った顔をしてつぶやく。 「うん。 リミテさんの分、どうしようかな・・・」 パシアもまた、困ったように言葉を返す。 「・・・俺が食おう。リミテは少し遅くなりそうだったしな。」 コミューンがそう持ちかけると、パシアはまた少し驚いたように返す。 「2人分も食べられるんだ?すごいなあ・・・」 そんなこんなで、コミューンとパシアは雑談をしながら昼食を食べた。 その後、部屋に書置きを残してパシアと一緒に1通り管制区を見て回ることになった。 査察は今回の派遣業務に含まれていないため、主にショッピングモールを中心に回ることになった。 2度目の来訪で、パシアはつまらない様子でいるかと思ったが、 案外そうでもないらしく、いろいろと衣料品のコーナーや食料品のコーナーを見て回った。 とはいっても、衣料品の類は一通り揃っているし、無くなっているとすれば、保存用食料の類だ。 再度下方区に降りて移動するようなことが無い限り、必要の無いものだが・・・ コミューンはなんとなく、その食料品に手を出した。 カーディル管制区への攻撃が今度無いとも限らないし、地上移動の手段を取らなければならなくなる 可能性も完全にゼロではない。 そういった意味合いから、弾薬の購入も済ませた。 さすがに弾薬購入の際にはパシアも少し表情を強張らせていた様子だ。 一通り購入し終えると、パシアとは一旦別れ、コミューンは一旦下方区へと降りることにした。 先日の移動手段だったジープをすぐさま発見すると、購入した消耗品を積み込む。 どうやら周辺に集落らしい集落は無いらしく、少なくとも数日間は盗難等の心配は無いだろう。 それにしても、傍目には下方区とは思えないほどに平坦に続いている荒野が広がっている場所だ。 管制区が意図的に整備したとも思えるほどに。 そこに何か違和感のようなものを覚えたが、すぐに考えるのを止め、上層区の内部へと戻る。 部屋に戻ると、リミテがもう戻ってきていた。 パシアはシャワーを浴びているようで、浴室の方から微かに湯雨の音が漏れてくる。 「あ、おかえり─」 リミテが軽く挨拶をする。 その表情がどこか少し強張っている。何か複雑な心境にあるようにコミューンには感じ取れた。 「・・・何か、あったのか?」 心配してコミューンが問いかけると、リミテは困ったような表情で答える。 「ええ・・・ちょっと。ね─」 コミューンは、敢えてそれ以上問うことはしなかった。 しばらくして、パシアがシャワーを浴び終え、戻ってきた。 夕食のピザを3人で食べ終えると、PM8:00。 今は特にすることも無く、疲れも抜けきっていないため、コミューンとパシアは就寝することにした。 リミテだけが、今日やらなければならない業務があるらしく、机に向かったままだった。 コミューンはまたその夜、夢を見た。 立ち上る業火、硝煙と血のの匂い・・・ かつてエイン帝郷区との戦争に参加していた頃の夢だ。 コミューンがCGWになる前の話。時にして9年前。 下方区の汚染大気に晒されながらの戦闘。 銃を向けてくる相手には、女子供容赦の無い殺戮の場。 実際、コミューンも子供には手を出さなかったものの、銃を向けてきた女性を1名だけ殺した覚えがある。 なんともいえぬ不快感がコミューンの思考をめぐらせる。 自分のしたことが・・・この戦争が果たして正しいことなのか・・・ 疑問を覚えながらも、コミューンはただ戦い尽くした。 そんな戦争も1年後には1段落し、コミューンは故郷のラタリナへと帰ることとなった。 妹ティルとの再会、安堵した生活・・・ ・・・そこまで夢を見たところで、コミューンは狙気を感じ取る。 明らかに夢の外からの狙気だ。 コミューンはすぐさま目を開け覚醒する。 次の瞬間、覚醒したはずの意識が急激に遠のく。 意識が朦朧としつつも、コミューンは狙気の方向を見やる。 そこには、涙ぐんだリミテの姿。 信じられない・・・信じたくない光景が、コミューンの視界に入った。 麻酔銃の銃口が、こちらを向いている。 「ごめんなさい・・・コミューン。」 悲しそうな顔でコミューンを見つめるリミテ。 「リミテ・・・どうして・・・」 コミューンの意識は、完全に遮断された。 Right-Eye Reloaded...「約束」HUMAN of humans'' created by Wiz's 第2章へ第4章へ