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人は、生きる。
人とのしがらみを負いながら、生き続ける。


 4章─奔走

      ─  勃発


 ─寒い。 むき出しのコンクリートに覆われた静かな空間に、コミューンは立っていた。
両手は上から吊るされる形で、拘束されている。
どういうわけか、ご丁寧にCGWの制服を着せられている。拳銃はさすがに没収済みのようだが。
コミューンはほぼ覚醒状態になると、辺りを見回して様子を窺う。
2台の監視カメラと鉄扉があるだけで、それ以外には特に何も無いコンクリートの部屋。
広さはちょうど6畳くらいといったところか。
「リミテは、何故・・・」
コミューンがつぶやくと、次の瞬間、扉が重い音を立てて開く。
「質問にお答えするわ─ コミューン。」
管制区の制服に身を包んだリミテとハイド長官が扉を開けて入ってくる。
リミテは先に見せたときと同じように、どこか複雑そうな表情を見せている。
コミューンは冷静になって状況を分析する。
特に何か咎められるようなことをしたわけではない。それは確実だ。ならば─
「これは・・・ライノラ帝郷区への宣戦布告と受け取っても良いのか?」
特に咎も無いCGW・・・何か落ち度があっだとしても、こういった拘束帝郷区の許可が要る。
それらを無視した行為となる。
「お察しの通りよ、コミューン。 正式な布告はもう少し後になるらしいけど・・・
 あなたからは、いろいろあちら側の情報を訊き出さないといけなくなったってわけ。」
無表情に喋らされるロボットにでもなったかのように、リミテは話す。
「馬鹿な!! 現在ライノラ帝郷区には有り余るとは言えないまでも、それなりの軍事力が
 揃っている!! 今戦えば即滅亡だぞ!! ─わかっていないのか!?」
リミテの変貌による動揺も影響してか、コミューンは言葉を荒げる。
すると、ハイド長官が鼻で笑ったように切り出す。
「それについてなんだがね・・・もう揃っているのだよ。この標的となりやすい管制区塔とは別に、
 監視の行き届かない下方区を中心に地上拠点を築いていたのだよ。もちろん秘密裏に行っていたことだから、
 君をはじめとしたライノラ帝郷区の人間が知る術は無かったと思うがね。
 まさかこの頃合に、こうも油断しきったCGWにお目にかかれるとは思っても見なかったよ。」
コミューンには納得がいった。
管制区とは名ばかりで、事務的な管理業務ばかりを任せられたこの区画の存在。
増強される戦力とは裏腹に、戦う場の極端な少なさ。他様々なバランスの失調により、
こういった権力争いと言っても良い問題が起こるのだろう。
経緯はあらかた予想できたところで、ふと疑問が残り、コミューンはそれを口にする。
「もう1つ聞きたいことがある。お前たちは・・・エイン帝郷区側につくことになるのか?」
至極当然の疑問だった。エイン帝郷区として戦力が増強される形になるのか、
はたまたまったく違う敵として立ちはだかるのか・・・それによって意味は大きく異なる。
もっとも、”敵が増える”という意味ではそう大差は無いのかも知れないが。
ハイド長官は、困ったように話し出す。
「やれやれ・・・困った帝兵もいたものだね。現在の自分の立場をわかっていないようで─
 まあ良い、敵が増えるという点ではさして変わりはしないだろうしね。
 エイン帝郷区とはまったく違った、新たなる国家として築き上げるつもりだよ。
 もっとも、君たちがご丁寧に運んできてくれたプルトニウムのおかげで、いろいろと
 立場を築くのに役立ちそうだよ─」
プルトニウム・・・そう、忌まわしき核戦争に使用された兵器。
コミューンの生まれる遥か昔・・・年数にして50年余り前のことだと教えられている。
核兵器は大規模な破壊攻撃に優れているため、多く使用されてきた。
その代価として、人間─いや、ありとあらゆる生物に有毒な放射能汚染がついて回る。
今現在も、地上の大気は汚染されたままになっている。
そんな忌々しいものを、権力だの立場だのと下らない人間同士のしがらみに使うとは─
「リミテ・・・」
コミューンが、哀しい顔で問う。
リミテもまた、複雑で哀しそうな顔をしてコミューンとは目を合わせない。
望んでそうしているわけではない、そんなことは撃たれたときの表情からわかっていた。
それでも、コミューンは問わずにはいられなかった。
「人間って一体・・・何なんだろうな?」
哀しい問い。リミテは、答えない。
「コミューン・・・あなたは当分の間、こちらで保護します。こちらの質問には、素直に答えていただけると助かります─」
何も聞いていなかったかのように、淡々と話し始めるリミテ。
コミューンはそれを、ただただ哀しい表情で聞いていた。

パパン!! パン!! パン!!
リミテの話の途中─ それは突然やってきた。
─銃声?
この監禁部屋の外からのものだ。
一寸置いて、鉄扉が激しく開け放たれる。
俄かには信じられない光景だった。
そこに立つのは、紅い戦闘服を身にまとった少女の姿。手にはコンパクトサブマシンガン・・・否。
一見長い鉄箱のように見えるそれは、ニードルガン(短針銃)だ。
─ パシア。
武装をし、ここまでの警備兵を倒してここまでたどり着いたパシアの姿が、そこにあった。
輝く紅い目が、リミテとハイド長官を見据えている。
その場にいた3人が3人とも、信じられないといった表情でパシアに目をやる。
「パシアちゃ・・・」
驚きの意を発そうとしたリミテの言葉を、パシアが遮る。
「リミテさん・・・どうして!?」
涙が、こぼれる。 同時に、リミテの胸にその想いが突き刺さる。
リミテが答える間もなく、ハイド長官が懐から拳銃を取り出し、パシアに向け・・・ 発砲する。
「パシア、避け─」
コミューンの声が届く間もなく、最悪の展開が、予想された。
3人が3人とも、そう思った。
またも、信じられない光景。
ニードルガンの甲で銃弾を弾き飛ばし、さらにはハイド長官を蹴り飛ばすパシア。
何を言って良いのか、わからなかった。
「アテートして!コミューン!!それで手枷は外せるようになるから!」
パシアの口から、さらに信じられない言葉。
ヘルスティンに教えられた、パシアやリミテには決して知り得ないはずの言葉。
動揺が動揺を生んで、もう何が何だかわからない状態。
コミューンは黙って目を閉じ、詠唱する。
「ヘルスティン・アテート!!」
言葉と同時に、手枷が脆く崩れ落ちる。
リミテは、完全に動揺し切っていた。
─が、しかしそれでも止めなければ、という責任感からか、剣を手に取る。
救助活動のときは、特にその特徴を気にすることは無かったが、それはトンファーに酷似している。
旧エスイ語で、拐(かい)と呼ばれる類のものだ。打撃部分が刃になっており、
柄の部分を滑らせることで回転式の斬撃を生み出せる。
先の戦いではその繰り出しの速さもあって、正確な格闘様式を把握できなかったが・・・
ヘルスティン・アテートの状態にある現在のコミューンには、その動作の細部まで見て取ることが出来た。
美しきこと舞う華の如く─
緩やかに刻まれる時の中でも、コミューンは先とまったく同じ印象を持った。
滑らかでいて、なおかつ速く正確に、コミューンの四肢を狙う斬撃。
コミューンはその軌道をよく確認しながら攻撃を回避する。
わざと攻撃を遅らせて互いの力量を確認し合う、流々武でも演じているような錯覚だった。
緩やかにコミューンの足元へ放たれる回転剣舞。
その攻撃の先には、右手、左手と、立て続けに、見事なまでに組み立てられた戦術。
互いに熾烈を極めるかのような戦闘だ─ と考えられた。
コミューンの歩調がリミテのそれに合ってさえいれば。
ドン!!
リミテの後ろに回転しながら回りこむように。
コミューンは静かにリミテの細い首筋を殴打した。
静かに、そして緩やかに倒れこむリミテの肢体。
コミューンはそれを、優しく抱きかかえる。
そして、リミテの懐にLM85が収められているのを確認すると、コミューンはそれを手に取る。
「リミテ・・・」
哀しく複雑な表情を浮かべながら、コミューンは呟く。
しかし、悠長にリミテのことを気遣っている余裕は無いようだった。
急かすパシアに誘導され、コミューンは仕方なく部屋を後にする。


      ─  逃走


 凍えるような寒さの中、ジープは荒野を走り続ける。
連絡通路を使っての逃走も考えたが、既に封鎖されていると思って良いだろう。
まさか、念のために購入しておいた消耗品が本当に役立つことになろうとは、思いもしなかった。
周囲には、ハイド長官の言っていた軍事拠点らしきものが確かに見て取れた。
ここに来るまでの間は特に目に入らなかったのが不思議だ。
ヘルスティン・アテートの副作用である痛みに耐えながら、コミューンはハンドルを握る。
一方のパシアは、助手席でもんどりうった様に体を抱えて泣いている。
苦しそうなその体を、空いた手で少しさすってやるコミューン。
10分も経つと、どうやらお互い痛みは引いたようで、姿勢を取り直す。
「落ち着いたか─? パシア。」
コミューンは自分で驚くほど冷静に切り出す。
「うん・・・」
落ち込んだように目は虚ろだ。
「リミテさん・・・どうして─」
もっともな哀しみと疑問。リミテの見せていた複雑な表情から、コミューンは大方予測がついていた。
「上に─ そう命令されたんだろう。従わざるを得ない。
 間違ってもリミテが望んでやったことじゃないだろうから、責めることはない─」
そう、先のやり取りを考える限り、命令に背けば殺されてもおかしくはないだろう。
パシアが静かに頷くと、表情を必死に取り繕った。
そこで、先ほどからずっと疑問に思っていた、思わずにはいられなかったことをコミューンは言葉にする。
「パシア・・・お前もヘルスティンの声を聞いたのか? 戦闘は今回が初めてじゃないのか?」
先ほどの超人じみた身のこなしと、”アテート”というキーワード。
パシアがコミューンと同じようにヘルスティン・アテートを使用していたとしか思えなかった。
「ううん・・・あたしのは、ハルテシオン。 ハルテシオン・アテート。
 クシュターゼっていうのは、1人じゃないみたい。」
パシアの口からすらすらと流れ出てくる言葉。
おおよそを要約すると、パシアにクシュターゼの声が届いたのは、6年前。
1人でハーモニカを吹いていた時のことらしい。
以後、その力を使ったのは3回。最初は興味本位、2回目は浄化区画での作業研修中、
兄が転落しそうになったとき。そして3回目が・・・先ほどコミューンが助けられる形となったあの場面だ。
戦闘らしい戦闘は、一部の研修訓練で一通り行なっただけだという。
その力を使わなかった間も、夢現とクシュターゼと対話する機会が多かったこともあり、
その力の詳細を知っているというわけだ。
結果、改めて知りえたこと─
ヘルスティン・アテートで得られるのは、並外れた動体・静体視力、筋力の増強、あとは体を覆うような形で
発生する薄い防護膜の存在。手枷が外れたのは、これによるものか─
コミューンはこれで2回行ったことになるが、この力に関する知識ではパシアが断然先輩となるわけだ。
「ねえコミューン・・・これからどうするの?」
さて、本来の問題点に突き当たった。とりあえずハイド長官やリミテのいる管制区塔から南方に逃げてきてはいるが─
「とにかく1度ライノラ帝郷区へ戻らないといけないな・・・」
カーディル管制区の今回の行為と宣戦布告準備の件の報告義務がある。
今度こそ、報告しに行ったら捕まりましたなんてことは間違っても無いだろう。
「・・・え、ライノラ帝郷区って北の山を越えたところでしょ? なんで南へ向かうの?」
パシアの指摘はもっともらしいそれだったが、北へ行かないのには理由がある。
「北は既に重大な監視下にあるだろうからな。あそこからの連絡通路はまず使えないと思って良い。
 ・・・それとも、地上から行って8000mある雪山を山越えする気はあるか?」
そう、カーディル管制区とライノラ帝郷区の間には、険しい雪山がある。
このジープではとても通れないし、歩いて山を越えたところで、一番近い居住区への入り口まで
優に1000kmはあるだろう。食料ももちはするまい。
パシアはそれを聞いた途端、かぶりを振る。
しかし、だからといって南へ向かえばどうなるわけでもない。
南へ行ったところで、そこには広大な海が広がっているだけだ。
「あるとすれば・・・船か飛行機だな。」
至極当然の答えに行き着くが・・・そう都合よく船や飛行機が・・・ あった。
カーディル南居住区塔には、確か航空設備が整っているはずだ。
一番の問題は、そこにどれだけの兵が招集されているかだ。
こちらの目論みが完全に先読みされているとすれば、アウトだ。
しかし、北の監視が強化されている状況を考えれば、逆に南方の警備はそれなりには手薄だとも考えられる。
パシアは船や飛行機といったものは文献でしか見たことが無いようで、半信半疑の様子だった。
「コミューン・・・飛行機操縦できるの??」
素朴な疑問。
「いや・・・一通り操縦の仕方は習ったが、実際に乗ったことは無い。 まあ、実際それしか手段が無いしな。」
コミューンもパシアも少し気まずく静まり返る。
荒野に響くのは、ジープのエンジン音だけ。
ただまっすぐに大陸の南端へ向けてジープは進む。


      ─  潜入


 南進を続けたコミューンとパシアの眼前に現れたのは、カーディル管制区塔と見紛うほどに
とてつもなく巨大に組み上げられた無数の支柱。カーディル南居住区塔だ。
その支柱のうち、もっとも端に位置し、斜め上に向かって上空へと伸びるそれの前で、コミューンはジープを停めた。
その支柱の上方を見上げながら、コミューンはしばし思考の時間を取った。
「中央のはしごから登ったとして、その先の居住区画へ入るゲートに俺のタグを通すわけにはいかないな・・・」
半ばパシアに問うような形で、コミューンは呟く。
目の前には、歪に、それでいて繊細に組み上げられた支柱。
「これを・・・ 登るの?」
ぽかんとした表情で、支柱の先にある暗雲を仰ぐパシア。引きつって笑ったようにも見える。
「表から入っていきなり戦闘になっても良いか?」
・・・否。 パシアは即座に首を振る。
戦闘になるということは、コミューンとは違い、パシアにとってはハルテシオン・アテートの発動を意味する。
ある程度長時間の戦闘になるということは、それなりに長い激痛に苛まれることになる。
コミューンがパシアを守り通して戦闘を続けるという選択肢も無くは無いが、それでも無理があった。
コミューンとパシアは、黙って支柱を登り始める。
パシアが先に登り、いざとなった場合に支えるため、その後をコミューンが登る。
傾斜45度くらいだろうか、居住区画や航空設備を安定させるためか、塔の支柱にしてはかなり緩やかな設計だ。
それでも、人間が登るにはなかなかキツい傾斜だ。
大きな支柱同士の間に組まれたやや細めの鉄骨を足がかりに、落ち着いて、着実に上へと登り続ける2人。

 もう一体何m登っただろうか?
2時間余りで高度3000mといったところか。コミューンは霞む下方区と天に仰ぎ見る暗雲を見比べて目測する。
この調子で行くと、あと5時間程登り続けなければならないことになる。
コミューンがそんなことを考えている矢先だった。
パシアの身体が大きく揺らぐ。 無理も無い。一回の少女の体躯は疲れ果てていた。
軸足で鉄骨をしっかりと掴んだことを確認すると、コミューンはパシアの身体を受け止める。
─パシアの限界だ。
そう確信したコミューンは、支柱の奥に伸びた水平方向の支柱に目をやる。
鉄棒が格子状に組まれていて、そこに座ることすらできそうな状態になっている。
そこにパシアの身体を預け、自分もその横に座る。
「ごめん・・・コミューン。邪魔なら置いてってくれて良いのに。」
パシアが弱々しく涙ぐんで囁く。
コミューンはどこか困ったように微笑んで、腰に巻きつけていたビスケットの缶を開ける。
「・・・食べるか? 飴はあまり多く食べ過ぎるなよ。」
パシアが涙をぬぐう。 ─と、次の瞬間には、飴玉に手が伸びていた。
「ははっ、あと3000m頑張れるか? そしたら残りは俺が背負ってってやる。
 さすがにあと7000m背負うのはきついからな。」
パシアは少し考えてから、黙って首を縦に振る。まるで人形劇でも見ているかのようだ。
コミューンはパシアの髪をくしゃっと撫でる。
パシアが驚いたように目をつぶる。
「お礼─ まだ言ってなかったな。 助かったよ、ありがとう─」
コミューンがそっと告げると、パシアは途端に顔を赤くして横を向く。
「べ、別に良いもん─ あれくらい。」
口をへの字に曲げてしまったが、照れくさそうな感が十分すぎるほどあった。
「ははっ、アテートの痛みに苛まれることが別に良いって?」
パシアがゆっくりとコミューンに向けて視線を動かす。口は変わらずへの字のままだ。
「コミューンだって・・・ あたしに良くしてくれ過ぎだよ? どうして─?」
コミューンは笑いながら、回答に困る─ が、リミテにも言ったことだ。
そう割り切って、話し出す。
「パシアはな・・・ 死んだ妹にそっくりなんだよ。」
そこから後は、リミテに話した内容とほぼ同じだ。ただ1点、ティルの名前を出すことなく話し終えた。

「あたしも・・・世界を回ってみたいなあ─」
パシアが嬉しそうに呟く。しかしそれは喜んでいるようでいて、どこか哀しげだった。
「俺が連れ回して連れてってやるさ。時間はかかるけど─」
コミューンが微笑んで言葉を発する。
「もし生きてたら─ 今この場所にいたのかな??」
静かに、優しげで哀しげな表情のパシア。
コミューンは一寸考えをめぐらせて、パシアに返す。
「─ 俺が連れまわしてただろうな。 今のパシアみたいに。」
2人とも、同時に笑い出す。
着実に進む時間を忘れながら、笑いあった。

 もう9000mまで登っただろうか。暗雲の内部に入り込み、視界は非常に悪い。
すやすやと、パシアの寝息がコミューンの頬を撫でている。
「あと少しか─」
そう1人呟いた辺りから、上方に異質な空気を感じるコミューン。
まるでその先にあるものが、普通のコンクリート仕立ての居住区とは思えないほど、澄んだ印象。
─その先にたどり着くまでに、そう時間はかからなかった。
その地にしっかりと足を踏みしめると、コミューンはパシアの身体を揺する。
「─おい、パシア起きろ。」
夢心地のパシアを急かすように。
「んにゅ・・・?」
寝ぼけ眼を擦りながら、静かに覚醒するパシア。その目覚めが、突然加速する。
その目に映るのは、月明かりと─ 辺り一面の緑。
文献の挿絵でしか見たことが無い、生い茂る木々。浄化された静謐な空気。
「なにこれ・・・わあ─」
ぽかんと口を開け、パシアは幾千粒の星々に向かって手を広げる。
見たこともない光景の、ただただ虜になるだけだった。
コミューンも、久方ぶりに緑の生い茂る光景を目の当たりにし、唖然としていた。
もやがかった空気の奥に、コンクリートで彩られた壁がうっすらと見える。
「なるほど─ 居住区の庭ってところか。 大層な作りだ・・・」
文献で記されたもののうち・・・”公園”といった定義がふさわしいのだろうか。
そんなことを考えながら、コミューンは目を閉じて大きく息を吸い込む。
その身体に入り込むのは、冷たく澄み切った空気。
先ほどまでの淀んだ空気とはうってかわって、穏やかな呼気。心地良い。
もっとも、パシアの寝息もどこか心地良かったのだが。
静かに目を開けると、コミューンの気持ちはより一層穏やかなものになっていた。
広さは100ヘクタールほどあるだろうか?これほどの広大な庭園は、上方区にはおそらく無いだろう。
居住区でいうところの、下層区画ほど縁の近いものだと言えるだろう。
『うちの官制区はね、下の階の方が高官用なのよ。
 コミューンは、連絡通路のある上層階にしか来たことが無いでしょう?
 私の部屋は割と下の方だから、見せてあげられると思うわ─』
リミテの言葉が頭をよぎる。
「リミテが管制区塔で見せたかったもの・・・か」
確かに、そうそう見られるものではないということは確かだ。
よく目を凝らせてみると、辺りにちらほらと夜の散歩をする人の姿。
本来、下方区である大地にあるべきはずの光景が、ここにある。
「こんなに綺麗なのに・・・これって、喜んじゃいけないことなんだよね─?」
パシアもまた、コミューンと同じ気持ちにさせられたようだった。
汚染された大気を浄化し、大地が本来持っていたはずの姿を取り戻す─
この世界全体に言えることだ。
浄化プラントで浄化された空気は、塔の居住用に使用し、残りは下方区へと少しずつ送り出すはずだ。
その空気を、居住区のしかも一部の人間のために使用する。
リミテがコミューンたちに見せたかったものとは、この人工の庭園の美しさなのか。
それとも、その先にある人間というもののおこがましさなのか。あるいは、その両方か。
『この朝にお祈りするの。この光が、いつか世界全部を照らせるように。』
おそらく後者であろう。そうであって欲しい。 コミューンはそう感じた。


      ─  飛翔


 コツコツと、大理石の床に響く足音。
コミューンとパシアは、航空設備があるであろう上階を目指し、階段を登っていた。
この居住区塔の物流区画で購入した衣服に身を包み、追われている身とは思われないよう自然な仕草で歩く。
CGWの制服の男と戦闘服の少女が歩いていては、この区画では浮き立ってしまう。
ジーンズに白のトレーナー、黒のジャケット。リミテがラドミール居住区塔で選んでいたものと同じ若干ラフな服。
幸いにして、物流区画の人間はコミューンたちの最初の服装に無関心なようだった。
念のために食料とそれを入れるためのバッグも買っておいた。
今は制服もこのバッグの中に詰め込んである。携帯品を除いて。
「そういえば・・・そのニードルガンはどこで手に入れたんだ?」
隠密特殊兵装の小型武器で、短い針を火薬の力で撃ち出す。弾丸初速は普通の拳銃とは比較にならない。
どこで入手したかは、コミューンにとって大方予想は付いていたが、確認の意味もあった。
少し困った表情になり、やや考え込んでパシア。
「・・・カーディル管制区で買ったの。前持ってたのはラドミールの瓦礫の下だし。」
コミューンにとって意外な、信じられない言葉が出た。
カーディル管制区で購入したことは簡単に予想できたことだが、ラドミール居住区塔にいたときから既に
持っていたということは、俄かには信じられなかった。
「ホントはね・・・戦闘訓練も受けてたの。どこかは聞いてなかったけど、スパイになるための訓練だって。
 そのとき使ってたのがああいう小さい武器なの。管制区で手に入るとは思わなかったし・・・
 そんなことより、あんなに早くホントに役に立つなんて思わなかったの。」
スパイという単語に、コミューンは再度驚かされる。
ラドミール居住区は、確かに反逆の意思と見られてもおかしくないほどの兵器を所有していた。
その先兵たるスパイ兵に、パシアが含まれていたということなのか。
通行証には記載されていなくて当然だった。大っぴらに機密事項であるスパイ研修生などと記載できるはずが無い。
・・・とすると、何の心配も無くラドミール居住区へ置き去りにして良かったということなのか。
否、スパイ活動などを行なって下手に発見されれば、とても無事では済まないだろう。
そう考えると、パシアは平穏な日々に向けて保護して最良だったとも言えるだろう。
例えそう考えなかったとしても、今はほぼ別な理由で連れ回している。
コミューンがそんな考えをめぐらせていると、パシアが不安そうに覗き込んでくる。
「コミューン・・・あたしってライノラ帝郷区に引き渡されるの?」
いつもの甘えてくるような表情とは違い、自分の発してしまった言葉に真剣に後悔するかのようなパシア。
コミューンはさらに一寸考えると、困ったように笑いながら返す。
「どこへ行くかも、何をさせられるのかもまだ聞かされてなかったんだろう?
 なら引き渡す義務は無い─ 渡さない。」
最後を特に強く言い放つコミューンに、パシアは安堵する。
「じゃあ─!!」
突然言葉に詰まるパシア。コミューンはその言葉を補うように。
「連れ回してやる。この世界中─」
『私ね、世界を見たい─ みんなが何を思って、どう生きてるのかが、知りたいの。』
愛しきティルの願い。パシアにその姿を重ね合わせて、コミューンは誓う。
「今度こそ・・・お前と世界を見て回る─!」
頬を伝うものは、より熱く、強かに。約束の場所へと向けて。

 コミューンたちの目前に現れたのは、セキュリティの施された約3m四方の扉。
傍らには、ICタグリーダが埋め込まれている。
「パシア・・・良いか?」
戦闘服に身を包むコミューンとパシア。手前のトイレで着替えを済ませておいた。
「さっき言った通り・・・コミューンが敵を相手して、あたしが飛行機の外部制御パネルを片っ端から壊せば良いんだよね?」
そう、航空機は、外部から来た者が勝手に搭乗・制御できないよう外部パネルで制御されている。
それを奪取するためには、その制御パネルを破壊して航空機を孤立させる必要がある。
そこまで到達する過程で、戦闘行為はもはや避けられない事象だろう。
 呼吸を整えたところで、コミューンは冷静に現状を整理する。
ライノラ帝郷区への宣戦布告がまだ少し先という話が真実ならば、コミューンのICタグが拒否されて
入室できないといったことはないだろう。警戒こそされても、CGWであるコミューンをいきなり迎え撃つことは考えにくい。
ならば、戦闘に入るまでの間、気をそらす程度の会話・・・うまくいけば制御パネルの近くまで戦闘無しで移動できるかもしれない。
コミューンは期待と覚悟を胸に、ICタグをリーダに通す。
すると何事も無かったかのように、扉が開け放たれる。 ─ ここまでは予定通り、あとは・・・
コミューンたちの視界に入る何機かの航空機と、航空設備作業員の面々。
そのいずれもが、コミューンたちの姿を視認するや否や、サブマシンガンを手に取る。
同時に、居住区塔に警報が響き渡る。 ─ 悪い方の予定通り。
コミューンたちの容姿があらかじめ伝えられていたのなら、即刻敵と見なされておかしくない。
「ハルテシオン・アテート!!」
刹那の言葉だった。
コミューンの傍ら、パシアが呪文を唱え終えると、開いた瞳の紅い輝きが増す。打ち合わせには挙がらなかった。
「─おい、パシア!!」
パシアにとっては、スローモーションで聞こえたことだろう。
「ごめん・・・でも、足は引っ張りたくないの。」
パシアがニードルガンを取り出し、制御区画へと疾走する。
コミューンは一瞬、表情を引きつらせたが、困惑している余裕など無い。
サブマシンガンを手にした作業員・・・もとい、戦闘員と見なして良いのだろう。
鋭い眼光で、そのすべてを見据える。その手には、亡き故郷の生んだ拳銃、LM85と小型拳銃。
「─ クレストオブ・・・クルツ!!」
刹那の咆哮。下の階の戦闘員の両手をことごとく撃ち抜く。これで攻撃や各種制御の類は出来なくなったと言って良いだろう。
─ カシャァァン!! キ、キン・・・
殻薬莢が降り注いだ次の瞬間には、弾薬の再装填を行ない、制御区画へ向かうパシアを追う。
パパパッ、パン、パン!!
ニードルガンの咆哮が、向かう先から響いている。
練気で加速させても、アテート状態にあるパシアを追うには、コミューンの足は若干遅い。
「ヘルスティン・アテート!!」
コミューンもまた、後のことは考えずに呪文を唱える。目を開けたと同時に、制御区画のある上階への階段を目指す。
ようやくパシアのもとへたどり着くと、パシアは制御区画の入り口で内部に向けてニードルガンを掃射している。
コミューンはそれを確認するや否や、前もって作っておいた液体火薬を凝縮した手製の手榴弾を中に投げ込む。
「パシア、伏せろ!!」
瞬間、制御区画が爆炎に包まれる。
黒煙が立ち上った次の瞬間に、内部へと突入するコミューンとパシア。
生存者のことごとく、その両の手をコミューンが穿つ。
「パシア! まだ生きてそうなパネルは全部壊せ!」
パシアはそれを聞くとほぼ同時に、ニードルガンを辺りのパネルに向けて発射する。
コミューンは、階段を登らんとする戦闘員に向けて発砲を繰り返す。

 航空区画へ突入してから10分ほど経過しただろうか、60〜70人近くいた戦闘員のことごとくを行動不能にした。
パシアもあらかた制御パネルを破壊し終えた様子だ。増援が到着するようするはまだ無い。
コミューンとパシアはお互い頷くと、制御区画から階段を降り、航空機・・・といっても戦闘機が殆どのようだ。
さすがに宣戦布告の準備が進められているといったところか。
その中で、最も乗り易そうなものを探す。
その中に、コミューンがシミュレーター訓練で使用したCancerModel-199戦闘機の姿があった。
「よし、これなら・・・」
コミューンがそう呟いたすぐ後に、両手を撃ち抜かれた戦闘員が告げる。
絶望的な言葉だった。
「あんたらが入ってくると同時に、燃料の緊急吸い上げをやっておいた。どの航空機も飛べはしない・・・ははっ」
航空機のことごとくに燃料パイプが接続されているのが見て窺えた。
「・・・くそっ!!」
コミューンが呟くと、どうやら増援と思わしき足音が扉の向こうから聞こえてくる。
パシアが不安そうにコミューンの様子を窺う。
(万事休す・・・か)
コミューンがそう言いかけた途端、1機だけ燃料パイプ等の接続がされていない戦闘機が目に映る。
[Su-47 Byerkut(ベルクート)]という文字が刻み込まれている。旧世界で”イヌワシ”という動物を意味する。
かなり古いタイプのものようだ。
全身黒の塗装がされており、翼が前方に向いた特殊な戦闘機だ。文献ですら見たことが無い。
操縦できるかどうかは甚だ疑問だが、どうやらこの機体しか動かせそうに無い。
悠長なことは言っていられない状況下にあった。
機体に乗り込むと同時に、居住区からの扉が開け放たれる。
「増援か・・・くそっ、間に合え!!」
コミューンがメインコックピットに、パシアがサブコックピットに乗り込み、内部制御パネルを確認する。
しかし型が古く、制御系をうまく理解できない。
「くそっ・・・一旦再戦闘か。」
LM85を手に、コミューンがコックピットから身を乗り出して構える。
─ そこには、また信じられない光景があった。
ベルクーとの傍らに立つ、金髪のロングヘアーの女性の姿。
青のジーンズに白のトレーナー、黒の皮ジャケット、手には拐型の剣。
ところどころ、血が滲んでいるのがわかる。息も絶え絶えの状態だ。
いかにも疲れ切った状態が、その青い瞳にも表れていた。
「コミューン・・・私、操縦できるわ・・・」
なんとか振り絞るように出た声。
「─ リミテ!!」「リミテさん!!」
コミューンとパシアがその名を呼ぶ。
はっ、はっ、はっ ─ と、息切れを隠すことができないリミテ。
それでも必死に息を整えようと出た言葉。
「─ コミューン!! 私も行きたい!! もう裏切ったりしないから!!」
管制区のハイド長官らを裏切って逃亡してきたことは、傷だらけの状態から察することが出来た。
裏切りの裏切りは、果たして敵か、味方か、はたまた無縁の者となるのか。
遠い昔の本に、”裏切りコウモリ”という名の物語が記されていたのを覚えている。
鳥の仲間を裏切ったコウモリは、獣の仲間を裏切って再度鳥たちの仲間になろうとするが、
鳥たちは既に相手にせず、もちろん獣たちも相手にはしない。
強いられたのは、孤独─
「裏切りの裏切りがどんな結末を招くかなんて、わかってるの!!でも、世界は今動き出してる!!
 止まってなんかいられないの─!!」
零れ落ちる涙。美しくなびく髪の面影も無く、乱れた頭髪。
「コミューン、お願─」
充分だった。 全身ボロ雑巾のようになってまで願った想い。
コミューンの手が、そっとリミテの口を塞ぐ。
コックピットからリミテの許へとたどり着くのに、幾刻が過ぎたか定かではない。
ただ速く─ リミテの崩れ落ちそうな身体を支える。
同時に、鋭く金色の目が、ようやくたどり着いた追っ手を見据える。
「クレストオブ・・・クルツ。」
リミテの裏切りの覚悟を、無駄にはしない。
終えると知ってなお、願いを必死に紡ごうとするリミテ。
そこに気高き美しさを、コミューンは確かに感じた。
─ 刹那の、閃光。
白銀色に輝く弾丸が、追っ手のことごとくを撃ち伏せる。
今までに無い気持ちの昂ぶりが、弾丸に込められたかのように─
静かで短く、とても長い時間が流れる。

 ボロボロになったその顔で、リミテは困ったように笑う。
「あは・・・格好悪いな・・・私─」
コミューンに支えられながら、リミテはコックピットに搭乗する。
そのすぐ後ろに、コミューンの姿。
メインコックピットに2人重なりながら乗る形となる。
「コミューン・・・」
嬉しそうに、涙ぐんだ目でリミテ。
「─俺が支える。 行けるか?リミテ・・・」
途端、その青い瞳に誇り高い輝きが戻る。
「オーケー! Su-47ベルクート、離陸スタンバイ!!」

キィィィィィン!! と、ダクトの吸気音が静かに唸る。
「1つ、言い忘れてたんだけど・・・」
得意げににっこり笑うリミテ。
「ん?」
コミューンが疑問符を投げかけようとした瞬間、身体を物凄い圧力が覆っていくのがわかる。
「この戦闘機・・・旧時代の代物に手を加えただけのものだけど、速度だけは最速の部類なの。」
言い終わるとほぼ同時に、視界は真っ白な雲海に変わっていた。後ろの方から銃声が響いてくるが、
もうどれほど後ろから聞こえるものなのか、見当がつかない。
下方区との境目の雲海に飲まれるようにして、機体は沈んでゆく。
目の前が真っ白に塗りつぶされた次の瞬間、コミューンたちは見た。



かつてない、広く広く広がる青空。
遮るものなど何もありはしない。
ベルクートは、静かに、そして何よりも速く、青空へと飛翔した。



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