第4章へ第6章へ 人はその終わりに気付いている。 終えると知ってなお、言葉を紡ぎ続ける─ 5章─誇りの名前 ─ 滑空 イヌワシが飛ぶ。空高く、何者にも邪魔されること無く、自由に空を舞う。 「パシアちゃん・・・大丈夫? 気絶してない?」 コミューンが首を回し、後ろを窺い見ると、パシアは案の定、口をあんぐり開けて固まっている。 コミューンが苦笑いを浮かべようとした途端、パシアの瞼が微かに動く。 「気絶はしていないようだな。 通信機は付いてるのか?」 パシアが正気でいるのかどうか、とりあえずそこだけでも確認しておきたかった。 リミテが、パネルのスイッチを手際良く操作する。 「・・・ごい。」 始めは聞き取れなかった。しかし、その声は何度も何度も何度も続く。 「すごい・・・ すごい・・・ すごいすごいすごいすごい─!!」 パシアの歓声。 どうやら正気の一歩向こう側にいるようではあるが。 副作用の痛みに晒されているとは思えないほどの強さを持った歓声。 コミューンもまた、雲の瞬時に去り行く、青く美しい光景に半分飲まれていた。 体中の痛みはあるが、それを完全に忘れさせてしまいそうなほどの衝撃。 フライトシミュレーターで扱った時とはまったく違う、未だかつて味わったことの無い、えもいえぬ快感。 クレストオブクルツで瞬時に動かす腕の感覚が、まるで全身に響き渡っているかのように。 音速を2段階超えて飛翔するベルクート。 旧世界の産物だとはとても思えない速度で、気高く空を舞う。 「コミューン・・・」 リミテが急に弱々しくなったように呟く。 「私のこと・・・許してくれる? 例えこの後帝郷区に拘束されるとしても─ そこだけが知りたいの。」 真後ろからだが、その表情がやや強張っているのが窺える。 コミューンもまた、真剣な表情になる。 「背けば、2人とも始末されてたんだろ? 場合によってはパシアも危なかった。」 リミテは、さらに表情を強張らせる。 「そうだけど・・・ だけど、だけど─ !!」 泣き入るように震えるリミテの身体。それでも操縦桿だけは強く握り締めたまま。 「今、こうして俺たちは生きている。 許す許さないの問題じゃないさ。 リミテは俺たちを助けてくれた。 ─ それで充分だ。」 コミューンの言葉とともに、泣き崩れるリミテ。操縦桿の操作もままならなくなってきた様子だ。 コミューンは少し困った顔をしたあと、静かに微笑む。 「それよりリミテ・・・髪、くすぐったいんだけどな。 着いたらシャワー浴びろよ?」 リミテの乱れた頭髪。ところどころ銃弾にかすめ取られ、縮れている。 「─っ、あは・・・ あははははははっ」 うってかわって、リミテは噴き出してしまう。 「ごめんなさい・・・本当。」 少し明るくなった声で、リミテが謝罪する。 どうやらコミューンはリミテの気持ちを持ち上げることになんとか成功したようだ。 「ごめんなさいも良いんだけどな・・・ そろそろマズいぞ?」 コミューンは、リミテが謝罪を始めたときから気付いていた。 前方空中に、雄大な鷹の気配。ベルクートの持つ、イヌワシのそれとは若干異なるものだ。 そのやや後方に、化け猫を思わせる禍々しい鳥の気配。 若干遅れて、操縦席のレーダーにもその反応が映し出される。 ライノラ帝郷区への空路を塞ぐ形で、こちらに向かってくる。 それらをようやく目視したのと、こちらに放たれたサイドワインダーを目視したのはほぼ同時だった。 瞬間、ベルクートの機体が大きく揺れる─ 否、右向きに機体が回転したのだと気付いたのは、 リミテの回避ローリングが終わったときだった。 次の瞬間には、超音速で互いの機体がすれ違う。 同時に、敵の機体も確認することが出来た。 最新鋭の中距離援護戦闘機─ ハリアーW。 そして後の2機も同様、最新の近接戦闘機─ キャンサーM14、イグザネル・キャット。 双方とも、滑走路の必要ない垂直離陸型戦闘機だ。 ライノラ帝郷区のモデルであるイグザネル・キャットの方が高速近接戦闘に向いており、 ハリアーWはサイドワインダーミサイルを32基搭載できる戦闘爆撃機とも呼ばれる。 ハリアーが中距離ミサイルで援護し、イグザネル・キャットで短距離攻撃を仕掛けてくる算段だろう。 「イグザネル・キャットか─」 「イグザネル・キャット!」 「イグザネル・キャット!」 コミューン、リミテ、パシアの3人が、ほぼ同時に言葉を発する。 パシアの口からその言葉が出たことに、リミテは驚いた様子だったが、時が時だ。 リミテはすぐに機体の操縦に集中する。 「─ 振り切るか? ─ それとも戦うか?」 愚問ではあった。 コミューンも答えはわかっている。 振り切るということは、最速かつ、直線に近い経路でライノラ帝郷区まで飛んで逃げるということ。 つまり3機すべてに後ろを取られるということ。 「振り切れると思うならそうするけど─」 言うと同時に、ベルクートの兵装操作パネルを起動する。 こちらもサイドワインダーミサイルは装備していることは装備しているが─ その数は、2基。 3機を落とすには、1基足りない。 すぐ後ろに、急旋回し、ベルクートを追う影が2つ。イグザネル・キャットだ。 「─ リミテ!!」 「─ わかってるわ!!」 機体が大きく傾き、ベルクートもまた急旋回に入る。 特殊な主翼を纏ったベルクートの方が、旋回半径は若干小さい。 このまま詰めていけば確実に相手の背中を取ることが出来る─ リミテたちがそう思い描いた矢先。 パネルのロックオンアラームが鳴り響く。 滞空していたハリアーWから発射されたサイドワインダーミサイル。高速でこちらに飛んでくる。 ロックされたら縦方向の機動ではとても回避できない。 旋回を適正角度で止め、回避のための加速に入る─が、間に合わない。 目視できる距離まで、ミサイルが飛んでくるのがわかる。 「リミテ、脱出─ っ!?」 突如、コミューンの言葉が遮られる。 ベルクートの吸気が止み、機体が急激に上側に傾く。瞬間、機体に吸い寄せられるような凄まじい逆G。 コミューンはようやく理解した。無茶な部類に属する特殊機動、コブラロール。 急減速したベルクートのすれすれ前を、サイドワインダーが通過する。 通り過ぎるサイドワインダーを尻目に、ベルクートはさらにその機体の向きを変える。 前進したまま宙返りする形となる。クルビット機動と呼ばれる、これもまた荒技だ。 リミテの機動操作能力の高さに歓声などあげる間もなく。 「まずは・・・1機!」 ロックオンする間もなく発射されるサイドワインダー。 その先には、後を追って来たイグザネル・キャットの姿。 タイミングから考えると、ちょうどベルクートににロックオンを試みていたところだろう。 それを待っていたと言わんばかりに迎え撃つ形となる。 ズガァァァン!! 炎とともに辺りに舞い散る鉄屑が、コミューンたちの視界にも見て取ることが出来た。 ベルクートは後ろ向きに進む形となり、飛び散る鉄屑をダクトに巻き込むのを防ぐ。 一方、残りのイグザネル・キャットは、片割れと並走する形となっていたため、急回避行動に移ったようだ。 ─ 好都合だ。 リミテもコミューンも、そう確信する。 ベルクートは再吸気をし、急発進する。 ベルクートの機体はその向きをハリアーWへと向け、速度を上げていく。 「おい、リミテ─ !! 正面からは─」 間髪入れず、双方ともに相手をロックオンする。 同時に発射される2基のサイドワインダー。 互いが互いを向き合って進み、刹那─ 衝突。 ズガァァァン!! 再度、炎とともに飛び散る鉄屑。 ベルクートはその炎に正面から突っ込む。 途端、視界が黒煙に包まれる。 リミテが兵装パネルを急いで操作する。 兵装といっても、2基あったサイドワインダーはともに使い果たした状態だ。 一体何を─ コミューンがそう考えていた瞬間、操縦桿に引き金が現れる。 単純明快な兵装、現行の戦闘機ではほぼその役目を失った─ 機関砲。 ベルクートの仕様上、その口径は30mm─ 厚い装甲板も貫く。 ─ 瞬間、黒煙の膜を抜け出て、大空が広がる。 ハリアーWもこちらに気がついて、その向きを変え、ロックオンへと移行する。 ガガガガガガガッ─ ベルクートが機関砲を撃ちながら、高速でその距離を縮める。 サイドワインダーが機体から切り離され、ベルクートへ向けて発射される。 ─ 刹那。 カンッ─ ベルクートの機関砲が、サイドワインダーの弾頭へ直撃する。 ズガァァァン!! サイドワインダーの爆炎が、ハリアーWを包み込む。 再々度、炎とともに飛び散る鉄屑。 ベルクートは爆炎を回避しながら、急旋回する。 間もなく、リミテの視界に残りのイグザネル・キャットの姿が捉えられる。 ベルクートの真横から接近してくる形となる。 ベルクートの高速機動をこの角度からロックオンすることは不可能に近い・・・が、 イグザネル・キャットもサイドワインダーミサイルを8基搭載できる仕様になっている。 ロックオンすることを省いて、ベルクートの進行軌道を狙ってミサイルを発射してくる。 ズガァァァン!! 時限式に切り替わって炸裂するサイドワインダー。 爆炎をすれすれのところで何とかかわす・・・が、ミサイルの爆発の振動が大きすぎる。 機体が大きく揺れ、3人に無作為な多方向のGが掛かる。 「うあっ─ !!」 リミテが声を発すると、体中から血がにじみ出てくる。 手負いで高機動戦闘機に乗った代償が、今になって限界に達してきたというところか─ 「─ リミテ!!」 コミューンがリミテを抱き抱えるが、リミテの目は虚ろだった。手も操縦桿から離れてしまっている。 コミューンはリミテの後ろから手を伸ばし、操縦桿を手にする。 「リミテ─ しっかりしろ!!」 言いながら、コミューンは機体を回避回転させながら、イグザネル・キャットとの位置関係を修正していく。 相手もまた、こちらを追い立てるように20mm機関砲を撃ってくる。 リミテはどうやっていた─ ? 考えろ。 コミューンは再度、先ほどの空中戦を思い描く。 吸気操作を徐々に弱め、操縦桿を下に引く。 コブラ機動。ベルクートは急減速し、機体が上向きに変化する。 機体が縦向きになったと同時に、20mm機関砲がベルクートの機体を穿つ。 ベルクートの装甲板が大きく歪む。 次の瞬間に、イグザネル・キャットがベルクートを追い抜く。 先ほどはこのまま操縦桿を引いたままにしてクルビット・・・宙返りをしたわけだが─ 今回は敵が先に行った。 ということは即ち─ コミューンは操縦桿を前に押し出す。 ベルクートの機体の向きが戻り、再吸気、急発進する。 イグザネル・キャットの旋回する姿が見える。 再度こちらに向かってこようという魂胆だろう─ そうはさせない。 コミューンの強い意思とともに、ベルクートもまた急旋回を行う。 先ほど撃たれた箇所は、そう酷く機体に影響することなく動いていた。 20mm機関砲では貫通まではしなかったということか。 それではこちらの機関砲も─ 否、こちらは口径のまるで違うものを搭載している。 あるいは敵の搭載しているミサイルに被弾させることが出来れば確実性が上がる。 イグザネルキャットを斜め前方に捉え、照準を固定─ 30mm機関砲の引き金を引く。 ガガガガガガガッ─ 唸るケルベロスの咆哮。 30mmの銃弾が降り注ぐ─ が、しかし銃弾はことごとくイグザネル・キャットの後方を通過する。 次の瞬間、リミテの震える手がコミューンの手を掴む。 「コミューン・・・照準は、もっと前─ 相手は超音速(マッハ)で飛んでるわ。」 照準が、イグザネル・キャットのコックピットの遥か前方─ 中空を捉える。 「ここで─ 良いのか?」 リミテは静かに頷くと、意識を完全に失う。 「おい、リミテ─ !!」 コミューンはリミテを案じるが─ 「コミューン!! 撃って!!」 パシアの声が、コミューンの思考を塞ぐ。 瞬間、ガチリという引き金の音。 ガガガガガガガッ─ ケルベロスの咆哮が、今度こそ確実にその的を捉える。 ガカカカカカカンッ─ 貫かれるイグザネル・キャットのコックピット。 その弾痕から、黒煙が上がる─ コックピットに紅い血の飛び散った跡が、コミューンの目にとまる。 しばらく直進飛行を続けたイグザネル・キャットは、静かに雲海の底へと消えていった。 「とりあえず、これでライノラ帝郷区へ戻れるな─」 ─ 到着 ベルクートが飛翔を続けると、パシアの表情が変化する。 まるで見たことの無いものを目の当たりにするかのような─ 実際、見たことも無いであろう光景が、 そこには広がっていた。 遠ざかるカーディル管制区塔を尻目に、険しい山脈を越え─ 永遠に続くかと思われた雲海が次第に消えていく。 「これが、ライノラ帝郷区だ─」 驚いた顔のパシアにそう告げる。 「うそ─ なんで雲がこんなに薄いの・・・?」 パシアの疑問は最もだった。この世界は、かつての核戦争の影響で汚染大気が充満し、 その大地の殆どが黒い雲状となった大気の層に覆われているはずだ。 「ライノラ帝郷区は浄化プラントも巨大で、空気の浄化レベルがまるで違うんだ。 完全とは行かないまでも、下方区に免疫の弱い人間が住むことも不可能ではないくらい─な。 最も、その大半を食糧供給のための農場プラントにしているから、他の下方区の人間を すべて受け入れるわけにはいかないがな─」 最後の言葉は、コミューンにとって少し皮肉じみた表現だった。 薄い雲が次第に晴れ、その空を覆うものが完全に無くなって、目指すその先を見ることが出来る。 緑の大地の上、巨大な壁状の浄化プラントの向こう、そこに設置された数々の砲台─ そのさらに向こう。 巨大なビルの群がそびえ立つ。下方区と分かつための支柱など無く、ただ大地に悠然と。 パシアがその光景に見とれていると、航空設備の手前─ 対空砲がこちらを向く。 「─ え?」 パシアが声を発すると同時、対空砲が弾薬装填─ 発射される。 ─ しかし、撃ち出された砲弾はベルクートの300m程手前で炸裂、炎が上がる。 「きゃぁぁぁぁぁっ!!」 パシアが悲鳴を上げる─ と同時に、コミューンは操縦桿を操作、急旋回する。 同じ空に滞空する形で、旋回を続けるベルクート。 しばらくして、通信パネルが強制展開され、アナウンスが流れる。 「スホーイ47・ベルクート応答せよ! 搭乗者および進入目的を明確にせよ!」 まあ、当然といえば当然の対応だ─ 通信パネルの応答ボタンを探していると、リミテの身体が動く。 「コミューン・・・もう着いたの?」 意識もまだ朦朧としているようだ。 果たしてベルクートに乗り込むまでに─先ほどの空中戦でどれだけの血を流したのかも知れない。 「いや・・・今、入区手続きを行うところだ。大丈夫か─ ?もう少しだ。」 リミテが視線を動かすと、コミューンの迷う手が目に留まる。 「もう・・・じれったいわね─」 リミテの指が、コミューンの指にそっと重ねられる。 「こっち。」 伝えられるだけ伝え終えると、リミテは再度、気を失う。 コミューンは、誘導された方にあるボタンを押す。 「─ ん、繋がってるのか?」 コミューンが声を発すると、応答が返ってくる。 「─ その声・・・お前、コミューンか!?」 馴れ馴れしく返ってきた声に、コミューンは思考を巡らす。 「コミューン!いくら考えても、答えは出てこないぜ─!? 変声機通してるからな。 俺だよ、リスクだ!! 搭乗員はお前1人か!? ずいぶん古いのに乗ってるじゃないか!?」 ─ リスク・ブライトン。 コミューンと同期のCGWだ。 銃撃戦闘の練習相手として、よく戦った仲でもある。 エイン帝郷区との戦闘で一緒になったことはまだ1度も無い─ コミューンも、それほど頻繁にそのような戦地へと赴くことも少なかったのだが。 「─こちらコミューン。 搭乗員は俺を含めて3名。ラドミールの元研修生と、カーディルの元査察官が 同乗している。元査察官の方は意識不明の重体─ 救護班の要請を頼む。」 パシアが、その言葉に驚愕する。 「ちょっと、コミューン!! リミテさんそんなに悪いの─!?」 リミテが失神したことには気が付いていたようだが、リミテの身体から血が滲み出た光景は目の当たりにしていない。 「かなり危険な状態であることは確かだな─ パシア、とりあえず落ち着いて待つしかない。」 ベルクートはそのまま旋回を続ける。 しばらく間をあけて、リスクの声がコミューンのもとへ届く。 「リミテに─ パシアね。 登録情報は確認。 1人重体ってことだし、急いでドックに入りなよ。 入区目的は別途聞くから、パシアちゃんには別室で待機してもらうことになるけど─」 コミューンの声が、リスクの言葉に割り込む。 「ゲートは開けてもらえたんだな!? すぐ着陸する。」 旋回を止め、すぐさま着陸態勢に入るベルクート。 「おいおい、コミューン─ 急いでるからってそりゃないだろ─ せっかちなのは相変わらずか。 まあ良いさ─ 着陸して回収班がそっちへ向かうまでの間だけでも話聞いてくれよな。」 ベルクートは、ゆっくりと機体を安定させ、5番ドックに入っていく。 「ラドミール地区爆破のことに加え、カーディル管制区が最近不穏な動きをしてるのは、こっちに情報が 既に入っている。ラドミールに派遣されていたお前が、正規のルートを通らずにわざわざ戦闘機で帰還 したってことは、ただならぬ事態に陥っていると考えて良いんだろう? パシアって子はともかく、リミテって奴はその情報を何かしら持っている─ 違うか?」 リスクの問いに、しばしの沈黙─ ベルクートの車輪が着艦ロープに掛かり、機体が急減速を始める。 「カルナに・・・ 会ったよ。 カルナ・エレメフに─」 「妹の─ 敵か!?」 突如出た言葉に、リスクはしまったと口を塞ぐ。 「リスク─」 憎悪で満たされ、漏れ出た言葉。 「─すまん、忘れてくれ・・・ ─ で、逃がしたのか?」 リスクの問いに、またしばしの沈黙─ それでリスクにとっては十分な答えになっていた。 「ラドミールの爆破主犯は奴だ─ 詳しくは、後で話すよ。・・・回収してくれ。」 ベルクートがその動きの一切を止めると、救護班と着艦作業員が駆け寄ってくるのがわかる。 静かに止みゆくベルクートの吸気音。 シートベルトを外し、力無いリミテの身体をそっと、優しく─ コミューンは救護班に受け渡す。 リミテが着ていた純白のトレーナーは、見るも無惨に、真紅に染まっていた。 「─ リミテさん!! リミテさんっ!! 嫌ぁぁぁぁぁ!!!」 その光景を目の当たりにした途端、パシアが泣き叫ぶ。 コミューンの身体は、ただ自然に─ コックピットから身を乗り出していた。 サブコックピットで泣き喚くその子を、ただただ、強く抱きしめていた。 一瞬、びくっと身体が怖気づくが、パシアはそのままコミューンの胸に顔を寄せる。 「大丈夫─ 大丈夫だ。」 パシアを落ち着かせようとする言葉、そう、それと同時に、コミューンの願いでもあった。 コミューンがパシアを抱き寄せた数秒後、コミューンは突如振り向き、LM85を構える。 狙気─ かなり遠くからのものだが、コミューンはすぐさま感じ取ることが出来た。 鋭く牙を剥く、蛇のような気配。 「─ リスクか。」 コミューンは一呼吸入れると、銃に己の思考を伝える。 (無粋な真似はよせ、リスク。 今はそんな気分じゃないんだ。) コミューンの狙気によってその思考が伝えられると、リスクはまた静かに思いを伝えると、ライフルの構えを解いた。 (・・・また後でな。 とりあえず、おかえり─) PM4:30 コミューン、リミテ、パシア 3名、ライノラ帝郷区に入区。 ─ ひととき AM11:30。コミューンは頬杖をついて、パシアの様子を穏やかな笑顔で見守る。 仮客室で一眠りした後、緑に囲まれた静かなカフェテラスで、2人はくつろいでいた。 よりにもよって、苺のデコレーションケーキを丸ごと1つ注文したパシアは、嬉しそうにそれを頬張る。 その切れ端が、コミューンの側に置かれている。 コミューンはミニフォークでそれを少しずつ口へ運ぶ。 「─ 太るぞ?」 突き刺さる一言。 パシアのフォークが一寸止まる。 「ひどーい!太らないもん!」 フォークが再び進み始める。 コミューンが呆れ返ってただその光景を見続けると、パシアは段々とその表情を得意げに変える。 甘酸っぱい苺を一飲みにすると、パシアがにっこりと笑う。 「えへへ。 こんなところ、初めてだからはしゃいじゃうよー。」 コミューンも残りのケーキを頬張ると、にこやかに笑い返す。 そんな抱擁ともいえるひとときに、突如焼けた肉の香りが割り込む。 「随分仲が良いじゃないか─ お2人さん。」 金髪のオールバックに、青く澄んだ瞳が印象的な男。民族系でいうと、リミテのそれと近いのだろう。 リスクは、焼いた塩漬け肉─ スパムと呼ばれるものをトレイに乗せ、パシアの横に座る。 「お前─ よりにもよってカフェテラスに配給区画の肉料理を持ってくるって、どういう神経だ? それと、ちゃっかりパシアの横に座るな。こっちに来い。」 パシアは突然の驚きと、初めて対する男の存在に少し怯えている様子だ。 リスクは少し頭をかいた後、コミューンの側の席にしぶしぶと移動する。 「2年ぶりなんだから、真っ先に会いに来て欲しいもんだけどなあ─ パシアちゃんとデートの方が良いってわけだ。」 言った途端、パシアの顔を見て、リスクの表情が一瞬硬直する。 「・・・コミューン、お前─」 コミューンは黙ってリスクから目を背ける。 「なるほどね。」 リスクも、先ほどまでのからかうような表情を止め、遠くを見やるようにして、肉を淡々と口へと運ぶ。 「リスクは─ あれから特に変わりないか?」 コミューンから切り出す。 「まあまあ─ 特に変わったと言えば狙撃の腕がさらに上達したってとこくらいか、はは。」 リスクの答えに、コミューンは鼻で笑って返す。 「強気で言ってくれるな。 ─ パシア、お前狙撃は? やったことあるか?」 リスクもパシアも、はっと驚いたようにコミューンの方に振り向く。 「えっ、あ・・・あたし!? さっ、300mまでならやったことあるけど─」 リスクがさらに驚いて、パシアとコミューンの顔を交互に見る。 「まあ、戦闘服で入区した時点で大方推測はされてると思って振ってみたんだが─」 しばらく沈黙が続いた後、リスクが答える。 「まあ、通常居住者じゃないことくらいは解ってたが─ そうか、リューハならそこまで推測するかもな。」 リューハ・エレメフ・キャンサー。ライノラ帝郷区を統べる男で、カルナの兄でもある。 槍術の達人で、その腕は剣でいうところのカルナと同等以上のものらしい。 無論、パシアはそんなことを知るはずも無いのだが。 「リスクはな、そこそこ腕の立つ狙撃手なんだ。800mで当てる。 暇になったら教えてもらうと良い。」 パシアの顔が、興味ありげな表情に変わっていく。 「そこそこって、お前─ 俺は世界一の狙撃手だぜ? 今はもう1500m位いける。」 コミューンがにたりと笑う。 「─ なるほど? じゃあ後で見せてもらおうじゃないか、1500m狙撃。」 ふと目をやると、パシアはまた口をあんぐり開けていた。 と思った瞬間、パシアが言葉を発する。 「2人とも、すごいんだね─ 」 コミューンとリスクは、その言葉に対し、静かに笑って返す。 「そういえば、お前はどうなんだ? クレストオブクルツの連射速度も増したか? はは。」 リスクの問いかけに、コミューンはしばし熟考する。 「まあ・・・ 排莢ミスは、もう無くなったかな。速度も精度も上がったからな。 あとは─」 詰まった言葉と同時に、コミューンはパシアを窺い見る。 特に警戒する様子も無く、話に聞き入っているようだが・・・ 「いや、特に無いな。 そんなところだ。」 ヘルスティン─ クシュターゼのことは、黙っておこう。コミューンは何となしにそう決めた。 「へえ─ あの鬼連射にミスが無くなるかね。 怖い怖い。」 言いながら、リスクは最後のスパムを口に放り込む。 口をナプキンで拭うと、リスクは紙切れを1枚取り出してコミューンのもとへ置く。 リミテの面会謝絶通知─ その内容に、部屋番号と期限時刻が記載されているのがわかる。 「あの女のところへ行けるのは、PM3:00だ。 目が覚めたらほぼ即刻、覚めなければ明朝 AM9:00に詳しい事情を聞く。リューハからの言伝はそんなところだ。 それまで射撃場で少し付き合ってもらっても良いんだが・・・少し時間が足りないか。どうせ会いに行くだろ?」 リスクの言葉に、パシアの顔は喜んだような、哀しいような複雑な表情になる。 「リミテさん─ 大丈夫だよね?起きるよね?」 パシアの問いに、コミューンは応えることができない。 「ただ単に失血と疲労だ。 今日は無理でもそのうち目が覚めるさ─ 心配すんなって。」 席を立ったリスクからの、突然の言葉。 パシアの席まで回りこみ、髪をくしゃくしゃに撫でる。 「わぷっ─」 びっくりした様子で、リスクを仰ぎ見るパシア。 「こういうことは、コミューンにしてもらいたいかな? ははっ。また興味があればCGWの訓練でも見に来なよ。」 そう言い捨てて、リスクはその場を後にする。 「リスク! とりあえずPM3:00までは自由で良いんだな!?」 後ろ手を振って返すリスク。 コミューンがパシアの方に向き直ると、パシアは髪を一生懸命整えていた。 もう1度くしゃくしゃに撫でてやりたいところだが、それではいじめるのと変わらない。 軽くため息をつくと、コミューンは切り出す。 「リミテの病室の前で、待つか─ ?」 コミューンの問いに、パシアはしばらく考えた後、呟く。 「・・・べたい。」 よく、聞き取れなかった。 「─ 何?」 コミューンが聞き返すと、今度は割りとはっきりと。 「ピーチパフェ・・・食べたい。」 ─ 想い紡いで 熱い。体中が熱い。リミテの意識はそう感じた。 ああそうか、体中の出血箇所が発熱しているんだ。 我ながら、何て軽率な判断で逃げ出したものだろうか─ 自嘲の念が奔る。 コミューンに今一度会うため、それだけのために、夜間に抜け出して連絡通路の貨物列車に忍び込んだ。 日が変わると同時に管制区から緊急連絡が入り、貨物列車の衛兵と戦闘する羽目にもなった。 必死の思いでなんとか戦闘に勝利したものの、既に南居住区への報告が行っており、 南居住区の戦闘兵に迎撃される形となった。 諦めの感覚さえ覚えた。 それでも、あのヒトの─ コミューンの哀しい眼と願いの言葉が脳裏に甦る。 鮮やかに、一度絶えし願いを紡ぐコミューンの意思。 裏切ったまま何も考えず、ただただ無心に戦いに望めたなら、どんなに楽だっただろうか─ それでも、あのヒトの願いの言葉が忘れられない。裏切ったままなんてとても耐えられない。 コミューンが南へ行ったとは限らない。険しい山を越え、そのままライノラ帝郷区へと進んだかもしれない。 それでもコミューンは、そこにいてくれた。裏切った自分を再び受け入れてくれた。 これ以上無い幸福だった。それ以上何を求めるのか? コミューンたちを無事に送り届けられた。 それで良いはずだ。 それでもリミテは、求めていた。 人間の想いは不思議だ。求めることを止めはしない。 あのヒトと─ コミューンと一緒にいたい。 コミューンと一緒に、世界を見て回りたい。 『人間って、何なんだろうな?』 コミューンの言葉が、心に突き刺さったままのように残り香を放っている。 「わからないよ─ コミューン。」 「リミテ!?」 「リミテさん!?」 リミテの答えに、コミューンの声が返ってくる。 リミテが静かに目を開けると、そこには、コミューンとパシアの心配そうな顔が映っていた。 ああ、途中から夢ではなかったのか─ 再び陽の目を見ることが出来た。 これでまた、コミューンと一緒にいられる。 「コミューン、パシアちゃん・・・ 心配かけてゴメンね・・・」 安堵したリミテの眼から、涙がこぼれる。 「あれ・・・? あはは、変なの。なんで涙─」 コミューンがリミテを抱くのは3度目だった。 真に愛しいと感じて抱くのは、初めてかもしれない。 ああ、コミューン、なんて暖かい鼓動だろう。 リミテはコミューンの鼓動を感じながら、今度こそ心の奥底から真に安堵した。 「コミューン、私ね・・・ライノラ帝郷区に来るのは3度目だけど、初めてのときよりも、 ああ、ここは綺麗なところだなあって、素直に思えるの。 不思議よね─ 」 リミテの言葉に、コミューンはやさしく返す。 「今は一部の地域に限られてるが、汚染大気の浄化は着実に進んでいるからな─ その中心地が、ライノラ帝郷区だと考えて良い。」 くすっと、リミテは笑うように返す。 「ううん、それもあるけど─ そんなんじゃなくて、ただ、コミューンの住んでる場所として─ かな。」 途端に、リミテの顔が若干赤くなったのが確認できる。 「あ〜、リミテさん、コミューンのこと好きになっちゃったんだ?」 パシアの発言にリミテは取り乱す。 「ななななな、何言ってるのパシアちゃん!そそそそんなんじゃ・・・」 コミューンは困ったように笑うが、その先の言葉が出てこない。 「コミューンだってまんざらじゃないんでしょ〜 このこの〜。」 コミューンはそっぽを向いて、パシアが飽きるのを待つ。 「ま、まあ・・・リミテがこの地を愛してくれるならそれに越したことは無いけどな。 俺の住む土地というなら、ラタリナを見て欲しい気もするな─」 ラタリナ─ コミューンの故郷。 リミテが情報を把握している限りでは、ラタリナはかつての核戦争からあぶれた島国で、 その後、6年前にエイン帝郷区との紛争に巻き込まれて壊滅した国。 今となっては街全体がスラムと化しているはずだ。 スラムと化してはいても、コミューンの暮らした愛すべき土地であることに変わりは無い。 「うん─ そうだね。 見てみたいな。 今でも、綺麗なところなの─ ?」 はっと、リミテが言葉に後悔する。 ラタリナ─ 否、旧ラタリナ。その景色が今でも残っているとは、到底考えにくい。 「俺の家は街外れでな─ 景色はあの頃のままだろうさ。」 コミューンの機嫌は損なわなかったようだ。リミテは安堵する。 「この戦争が終わったなら─ いや、終わらなかったとしても、行こう。見せたいんだ。」 コミューンの誇らしげな表情に、リミテは釣られて優しい笑顔になる。 「コミューン、私ね─ 管制区に配属されてから、ずっと疑問だったの。 仮初の緑地を作って、下方区の人間を受け入れるでもなく、ただ自己満足するヒトたち─ 私たちって、一体何のために生まれてきたんだろう、人間って、何なんだろうって。 その答えを、探したいの。だから、コミューンの言葉、すごくすごく痛かった。」 コミューンは困ったように笑いながら、リミテの言葉に返す。 「すまない─ 俺もその答えを探してる。俺たちの生まれた意味を・・・存在意義を探してる。 意味なんて無いのかもしれない─ それでも、意味があるのだと信じたい。」 パシアは2人の会話に聞き入っている。 「だから、今を生きる者に─ 捧げる?」 コミューンが驚いたようにリミテに向き直る。 「─ 知ってたのか?」 リミテはどこか得意げだ。 「イノ・クレセント─ 罪びとたちのの始祖、大いなる大地と意思の序章─ でしょ? 読んだことあるわ。あの本には人に呼びかけるような独特の凄みがあるもの。」 コミューンは小さくため息をついた後、嘲るように笑う。 「答えは自分で探せ─ ってな。 いろいろ見てから答えを考えるさ。」 リミテもパシアも、やさしく笑ってくれた。 リミテが本の内容を暗記しているかのように、要点を話す。 「人は死ぬ。 いつか必ず、死ぬ─ 残された子たちには、その願いが込められてる。 だから私たちは─ その想いを紡いでいかなければならない。」 コミューンはしばし考えたあと、リミテに切り出す。 「リミテは帝郷区へ来るのは3度目だと言っていたな。1回は今、1回は管制区の研修─ もう1回は・・・生まれついて、か?」 リミテの科白のどこに確信があったわけではない。 コミューンはただなんとなしに、リミテが帝郷区出身だと─ そう感じた。 「図星─ かあ。 ええ、ここの農場出身よ。 恵まれてる女だと─ 思わない?」 コミューンは自分で切り出しておいて、困ったような表情になる。 「恵まれてる女─ ねえ? 今この状態が恵まれてるって? はは。」 リミテも噴き出す。 「あははははっ、すごく痛くて苦しいわね─ 恵まれてないわ、確かに。 ─ でもやっぱり・・・」 「恵まれているな。こんなにも優れた医療機関に匿ってもらえるのだから。」 突如、リミテの科白の続きに被せるように静かな一声が場をしんとさせる。 サファイアを思わせる、神獣のような青く長い髪。澄んでいてなお、鋭くこちらの瞳まで突き通すような黄金の眼。 雪化粧を思わせるような、真っ白な生地に銀の装飾を施したコート。 「─ リューハ・・・!!」 コミューンの一言が、場をさらにしんとさせた。 ─ 不吉 場は、先ほどから変わらず静かなままだ。病室という空間も合い重なって、この静けさを醸し出している。 「お会いできて光栄です─ リューハ総統、いえ・・・キャンサー・リューハ。 まだ全快とは言いがたいので横のまま失礼します─」 リミテの改まった挨拶で、会話─ 否、尋問が始まった。 キャンサーとは、ライノラ帝郷区総統の通称で、エイン帝郷区のそれと同じ意味を成す。 ”罪を負う者”という意味もあり、キャンサーは数々の苦しみを味あわなければならない。 その苦しみが、具体的に何を指すのか、コミューンには想像もつかない。 「素直にこちらの質問に答えていただけそうで何よりだよ、査察官─ いや、元査察官、リミテ君。」 涼しい表情のまま、リューハは述べる。 「リューハ、あんたが直接来るとは思わなかったよ。直々にご質問か?」 コミューンが横槍を入れるように口を挟む。 「コミューン、質問とは少し違う。今回のような場合、私の問いに対する回答は強制だ。それを尋問と呼ぶ。 だからリミテ君、私が事を理解し、結論を導き出すために協力してもらいたい。」 冷淡に聞こえなくも無いリューハの言葉だが、その独特な強さと同時に、やさしさの欠片のようなものさえ垣間 見えるから不思議だ。 「ええ─ もとよりそのつもりですから。ご安心を、キャンサー。」 強かに返すリミテ。 ウィンクまで返す余裕っぷりだ。 「血圧計は・・・? つけないのか? 回答の精度を上げるのには─」 コミューンはまたも口を挟む。そうしなければならないかのように。 ほどなくして、リューハはリミテのベッド脇を指差す。 ─ 血圧計。 もともとついていた。 「まあ、読心術とまではいかないが、回答したときの様子でわかるから良いんだがな。」 どこか得意げなリューハ。少し感情の端が見えた気がした。 「ふふ─ お言葉ですが、無駄な努力だと思いますよ?」 依然、毅然とした態度のリミテ。 「はは─ 君に主導権を持っていかれそうで困るな。 とりあえず最初の問いに答えてもらって良いかな? 君は今現在、どちら側に就いているのかな?」 最初の質問から、2択を迫られるリミテ。もちろん答えはライノ・・・ 「いえ、カーディル管制区、ライノラ帝郷区どちらにも就いておりません。今は雇い主を失ったただのヒトですから。 もっとも、ライノラ帝郷区に保護されているという事実は変わりませんが─」 リューハの表情が、一瞬その驚きを顕にする。 自分が今おかれている状況を正確に分析、回答している。リミテの毅然とした態度は、潔くさえ感じられた。 それから実に3時間、尋問という名の座談が続いた。 主にリミテ、時折パシアにも話が振られる。スパイ研修を受けていたことも成り行き上話さなければならなかった。 リミテの回答内容はカーディル管制区でした報告にほぼ同じ─ そこに、リミテの知らされていた管制区の企てが加わる形となる。 地上戦闘部隊の配備と、管制区の内部で秘密裏に用意された戦闘機格納庫─ 空母的な要塞の一部。 イグザネル・キャットとハリアーWがちょうど管制区の辺りで待ち伏せしていたことにも納得がいく。 「一通り、整理がついたよ。ありがとう、リミテ君。今はどのみち、2つの敵の殲滅により力を注がねばならないようだね。 あと、パシア君─ だったか? 君の所属していた居住区も要警戒のようだ。君も今は所属の無い一人間だが─」 リューハが今までコミューンや周囲に見せたことのない迷い─ 否、熟考の時を見せる。 「ふ・・・む。 そうだな、コミューン、リミテ君に話がある。 コミューンから先に話を済ませようか。 リミテ君─ 君は今日のところは安静にしてると良い。君への用件は明日済ませるとしよう。 ああ、それとパシア君─ 個室は用意できるが・・・コミューンと一緒が良かったらそれでも構わないが。」 パシアは黙って頷く。 どちらの答えに頷いたのかまるでわからない─ が、それを見て取ったリューハは、ICタグをパシアに投げてよこす。 十字の装飾が施されているのが見て取れる、No225─ コミューンの個室のものだ。 ということは─ コミューンが考える間もなく、パシアは嬉しそうに走って病室を後にする。 ─ 十数秒後、うつむいたパシアが病室へと戻ってくる。 それはそうだ、広大なライノラ帝郷区でCGWの─ その内コミューンの個室を探し当てるなど不可能だ。 リューハが見取り図をパシアに手渡し、ここの病室─ 続いてナンバー225の部屋を指差す。 再びパシアは笑顔を取り戻して走る。 今度は、出る前にこちらを─ リミテに振り返る。 「リミテさん─ お大事にね! コミューンの部屋一番乗りー!!」 リミテの眉がぴくりと動いた。 コミューンはそれに気が付いた様子は無いが、リューハはその様子にくすっと笑う。 パシアが足取り軽く病室を去ると、リューハが切り出す。 「さて・・・と、ではコミューン、一緒に執務室へ来たまえ。それとリミテ君─ 明日まではお大事にな。」 リミテは最後まで毅然としていた。先ほどの一瞬を除いては。 「お言葉に感謝します、キャンサー。」 コツコツと靴音が鳴り響くはずの大理石の床。 それなのに、辺りは静けさを失わない。コミューンとリューハの足は軽く、まるで地に足をつけていないかのようだ。 「私はともかく─ 君はまだ無音歩行には神経を使うだろう? 楽にしたらどうだ?」 コミューンは苦笑いで返す。 「あんたと一緒にいるときくらいは─ ね。」 意地を張るかのように、キャンサーであるリューハの後を追う。 「そうか・・・ならば何も言うまい。 ─ それにしても、こうも同時期に各地で反抗の兆しが見えるというのも 不吉な話だな。エインが絡んでいるにせよ、絡んでいないにせよ、全面戦争になり兼ねん。」 全面戦争─ 過去にも世界大戦と呼ばれた戦争がいくつかある。この現状を作り出した核戦争もその中の1つだ。 2人ともそこから熟考する。 「ところで、CGWになって─ 何年になる?」 リューハが先に口火を切った。 気が付くと、もう目の前はキャンサーの住まう執務室だ。 「4年だ─ あんたも把握してるだろ?それくらい。」 静かに執務室の扉が開く。 コミューンがふと感じた刹那、執務室の扉が静かに─ そして疾く閉ざされる。 気が付くと、コミューンとリューハは執務室の中にいた。 豪勢な木作りの机に、書類が山ほど詰まれている。 「では、聞こう─ クシュターゼをその身に宿してからどれくらい経つ?」 あまりに唐突で、真に迫る質問。 コミューンは動揺を隠すことが出来ない。 「なっ─ 何を言ってる!?」 リューハは静かにコミューンに詰め寄る。 「ではさらに聞こう─ カルナを相手に1人でどうやって互角に渡り合った? どうやってビーストリザードの群れを追い払った? どうやって手枷を外した?」 コミューンは動揺に動揺を重ねる。 「それは─ 俺の実力が上がったからであって・・・」 「クシュターゼの紋様を服に織り込む組織の長が、知らないとでも思ったか?」 コミューンの言葉に被せるように、リューハは詰め寄る。 「─ カルナと、戦り合ったときからだ。2週間経つ。」 屈服。 コミューンは、俄かには信じがたい超常現象のようなそれを当たり前のように言われるとは思ってもいなかった。 「クシュターゼの名前は?」 リューハはコミューンに詰め寄るのを止め、後ろを向いて執務席に向かって歩いていく。 コミューンの警戒は、まだ解けることを知らないが・・・ 「地獄の鉱石・・・ヘルスティン・クシュターゼだ。」 リューハは執務席に座り、再びコミューンに向き直る。 「憎悪の翼を持つヘルスティンか・・・コミューン、君の銃におあつらえ向きじゃないか。」 憎悪の翼・・・?リューハが何を言っているのかよく理解できなかった。 コミューンのいぶかしげな表情を見て取ると、リューハが続ける。 「君も知っているかどうかわからないが・・・クシュターゼは1人ではない。黄金の翼を持つ イノセントラジヴ・クシュターゼ、悲哀の翼を持つハルテシオン・クシュターゼ・・・」 その言葉に、コミューンは硬直する。 リューハはそれを見逃しはしなかった。 「なるほど・・・ 彼女のクシュターゼはハルテシオンか。」 コミューンは更に硬直する。 硬直したまま、考えをめぐらせる。 『コミューン、リミテ君に話がある。』 「パシアには話が無いということは・・・彼女をどうこうすることは無いと考えて良いんだな?」 リューハはにっこり笑って返す。 「もちろん、彼女自身が我々に関わることを望むのなら話は別だがな。」 考えたくはない・・・が、戦闘服やニードルガンまで用意したパシアだ。 どう転ぶかわからない。無邪気な表情の裏で、何を考えているのかも正直解らない。 コミューンの精神は次第に崩れてゆく。 しばらく考えた後、リューハにすがるように願う。 「あの子が・・・パシアが言い出さない限り・・・戦いには巻き込まないで・・・手は出さないでやってくれ。」 リューハは困ったように微笑んで返す。 「困ったものだな、君は。高い戦闘能力を持った少女を連れてきて、その少女を戦闘に使うなと言うのだからな。 ─ 君の意思は尊重するつもりだよ。亡き妹の容姿によく似ている。表向きには家族としておいて構わないだろう?」 ややうつむいて、コミューン。 「すまない─」 リューハはあくまで冷静に受け止める。 「ところで─ 君への用件なんだが、別にクシュターゼ暴きというわけではないんだ。 それはただのきっかけに過ぎない。」 おかしなことを言う・・・圧倒的な戦闘力を得られるこの力がただのきっかけ? 「─ どういうことだ?」 当然の疑問が、コミューンの口から吐き出される。 リューハはただ冷静に、その事象を述べる。 「コミューン、君からCGWの資格を剥奪する。」 突然のことだった。 あまりの突然さに、コミューンは口を開けっ放しにした。 「流石に驚きを隠せないようだな─ それは何故か? ラドミール居住区塔にいながらテロを防げなかったこと、 速やかな帝郷区への報告が出来なかったこと─ いろいろ理由はあるが、資格の剥奪に相当するほど 落ち度があったわけでもない─」 ましてや、より大きな戦闘能力を宿して戻ってきたのにも関わらずだ。 「その過ぎた戦闘能力─ クシュターゼの力が何よりの理由だ。 不吉な力だ。」 不吉─ それだけの理由でCGWの資格を剥奪されるものなのか。 崩れ落ちそうになるコミューンを、リューハが支える。 執務席から、一瞬での瞬速移動。 リューハはコミューンの頬を、持ち上げるように撫でる。 途端、リューハの顔に妙なものが浮かび上がる。クシュターゼの、龍の紋章。 リューハ自身もまた、クシュターゼをその身に宿しているのか。 「私はもう、9年になるかな─ 君もまた、その力に目覚めたことはとても嬉しい。 そういうわけで、君はもうCGW御役御免だ。 帝神として、帝郷区で働いてもらいたい。」 ─ 帝神。 ライノラ帝郷区に伝わる、今や伝説となった幻の役職。 CGWとキャンサーの中間に位置するその役目は、数多のCGWを統率するところにある─ 最も、該当のCGWたち自身が高い戦闘能力を持つことから、これまで誰が統率するというわけでもなく、 キャンサーであるリューハに付き従っていた。 その統率という役目を、コミューンが果たして負えるものなのか。 「今更、帝神という言葉が出てくるとは─ 俄かには信じられないよ、リューハ。」 得意げに笑うリューハ。コミューンの反応を楽しんでいるかのようだ。 その顔から、クシュターゼの紋章が消えてゆく。 「もちろん、帝郷区存続に関わるような重要な事柄は今までどおり私が受け持つ。 この役目・・・引き受けてもらえるかな?」 コミューンの考えは、揺れていた。 「まるで、受けなければならないのに、それをわざわざ確認するかのように問いただすんだな。」 リューハはくすっと笑う。肯定と取って良いのだろう。 「すぐに返事は返せない─ 俺にその資格があるのかどうか、試させてもらう。」 どうやって? 当然の疑問がコミューンの脳裏に浮かぶ。 だが、リューハは既にその回答を得ていたようだ。 「君がそう言い出すと思って、既に用意しておいたよ。 もちろんいちCGWだった君が上に立つことを、 他のCGWが認めなくてはならないからな─ 多対一の決闘でどうだ? CGW全員─ 50人を相手にする。 もちろん、使用するのは訓練用のゴム弾だが。」 ─ 過ぎた、冗談だった。 いくらなんでも・・・一昔前まで同格以上として訓練─ 共闘してきた仲の人間を、50人? 「それは何の冗談だ?」 リューハはくすっと笑って返す。 「冗談のつもりはないさ─ ただ、今までの自分とのレベルの差をはっきり認識して欲しいだけだよ。」 それにしても、CGW全員─ 50人は多いような気がして仕方が無かった。 しばらく熟考した後、矛盾に気付く。 コミューンを含め、ライノラ帝郷区に現在在中するCGWは50名。 そう、コミューンを含めて─ だ。 当の本人は、現在CGW資格を剥奪され、帝神(仮)となった。 現在、派遣として外に出ているCGWは8名。 ラドミールにはコミューン1人の派遣だったため、 残り8名全員がエスイ居住区に派遣されていることになる。 総勢、58名で登録されていたCGW─ コミューンが辞したことで57名となる。 「誰か─ 戻ってきたのか? それとも、単にあんたの数え間違いか?」 リューハはまたくすっと笑う。 「いいや─ 数え間違いではない。現在ここに在中するCGWは50名、エスイに8名、全部で58名だ。 もちろん、君を除いて─ な。」 『コミューン、リミテ君に話がある。』 コミューンの脳裏を、リューハの言葉が過ぎる。 「リューハ・・・あんた、まさか─」 リューハはあくまで冷静だ。 「リミテ・ランカハード・・・ 良い素材を連れてきてくれたものだ。 彼女はCGWとして起用する─。」 ─ 誇りの証 パシアは、興味深くコミューンの部屋を歩き回る。 アンティーク風の木造が中心の部屋。 部屋の中に階段までついており、2階層にわたる構造になっている。 ベッドは1階に1つ、2階に2つ─ リミテとパシアの両名が入ることになれば、他のCGWらと同居という わけではないから、ちょうど3人分となる。 都合が良すぎると感じなかったわけでもないが、パシアは部屋の隅々までチェックする。 ふと、その存在感に気を取られ、本棚に目をやる。 そこには、アンティークの写真立てと、古いアルバムが置かれていた。 写真立てとアルバムには、いずれも『Till with Commune 〜 Commune with Till』と書かれている。 コミューンとその妹のものだろう。 「ティル・・・?」 そのときパシアは、何ともいえぬ不思議な感覚にとらわれた。 「なんだろう・・・? これ・・・」 写真立てには、まだどこか幼く、ぎこちない笑顔のコミューンと、満面の笑みを見せる少女が写っていた。 少女は見れば見るほどパシアと何もかもそっくりで、まるでパシア自身がそこに写っているかのようだった。 なんとも不思議な気分を取り払うと、パシアは写真立てを置き、アルバムに手を伸ばす。 そこには、コミューンの妹と思しきティルのはしゃぐ姿、こっちに向かって手を振る姿、 夕焼けに向かう後姿、他にもコミューンと思しき男の子のつんとした表情が映し出されていた。 パシアはページを静かにめくる。 次のページにも、コミューンやティルの写真が満載だった・・・ 思えば、2人一緒に写っている写真は殆ど無い。 2人で写っている写真といえば、小恥ずかしいようにそっぽを向くコミューンと、こっちに笑顔を振りまくティルの姿。 おそらくはセルフタイマーで撮った写真。写真の撮り手はコミューンとティルの2人しかいないのだろう。 その1つ1つを確認しようと、アルバムを持った端から、1枚の写真がこぼれ落ちる。 特に古い写真だが、文献で見たようなモノクロの写真ではなく、カラーの写真。 長い茶髪、金色の瞳をした成人男性と、紅い瞳にセミロングの金髪の成人女性が並び、2人の間にコバルトブルーの セミロングヘアの少女の姿─ 歳は12、3歳といったところか─ 金髪の女性の方を見て笑っている。 『Philia Heidword with parents』 写真の裏にはそう書かれていた。 「フィリア・ヘイドワード─ 俺の母だ。」 パシアが振り向くと、そこにはコミューンの姿があった。 気配などまるでしなかったのに、いつからそこにいたのだろうか─ パシアは慌てる。 「まあそう慌てることはないさ。 別にアルバムを見たことを咎めるつもりもないし─」 パシアが口をぱくぱくさせながら、急いで写真を挟み、アルバムを元の場所に置く。 「フィリア─ ”狂おしい愛”という意味だ。 ラタリナ紛争に巻き込まれて、この世にはいないがな─ 人の名前って、不思議だと思ったことはないか? それぞれがそれぞれの願いを込められてる。」 突然振られて、パシアは聞き返す。 「人の名前の・・・意味?」 コミューンは優しく笑って返す。 「そう・・・自分の名前の意味、考えたことあるか?」 パシアは頭を振る。 「パシアは・・・そうだな、国によって意味が違うが、”天使”という意味だと思う。 パシアの親にとって、パシアは天使のように幸せを振りまく存在だったんだろうさ。 あるいは、天使のように笑顔と幸せを振りまいて欲しい─ そう願われていたはずだ。」 ぽかんと口を開けて、パシアは呟く。 「考えたことも、なかったなあ─ ”天使”かあ─ えへへ。」 くすっと、コミューンが笑ったように感じた。 「俺はな─ この部屋に来て、母さんの写真を見るたびに、思うんだ。 このヒトは、一体どんな願いを託されて生まれてきたのか─ このヒトはどんな願いを俺に託したのか─ ? 数え切れないほどの願いの中から、どうやってコミューンという名前が生まれたのか─ ?」 パシアはいつの間にか興味深げに、ソファーの背もたれに肘をつき、聞き入っている。 「俺の名前は、”コミューン”。 共同とか、共生という意味だ。 皆が仲良く、楽しく存在できるようにつけられた名前。 それなのに俺は、戦闘兵として数々の命を奪ってきた。 子が名前に託された願いを果たせるとは限らない─ でも、名付けられた名前には確かな願いが─ 誇りがある。」 パシアは、あまりよく理解できていないままだったが、笑って返す。 「”パシア”─ あたし、この名前けっこう好きだよ?」 コミューンはまた、くすっと笑う。今度はその表情が見て取れた。 「それで良いさ─ 現実がどうあれ、それを誇りの証にできるのなら。」 コミューンは機嫌を損ねるどころか、得意げに話をする。 パシアには、その半分程度しか理解できなかったが、それでも、自分の名前というものに深い意味があるのだという ことだけ、理解できた。 キャンサー、それは誇りの名前。 ”癌(がん)”とか、”罪”という意味を持ち、歴代キャンサーの地位に着いた者に、副苗字として名付けられる。 キャンサー、それは人の罪の名前。 数々の愚行、争いの罪を自分1人が背負い、不幸という運命を持って裁かれる。 リューハもまた、家族を引き裂かれ、カルナという弟を狂気に奔らせてしまった。 恋人も紛争で失った。 それでもリューハは、キャンサーという地位に立ち続ける。 罪という名の誇りを残すために。 ゆっくりと、日が暮れた。 Cancer pellets reloaded ...「誇りの名前」HUMAN of humans'' created by Wiz's 第4章へ第6章へ