keikoba日記

平成17年12月

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2005年12月31日(土)
大晦日

 これも僕の恒例、風呂場の大掃除。天井から壁、蛇口の金属部分に至るまで磨き上げる。家族全員の今年の垢を落としました。掃除が終わった風呂場は、う〜ん気持ちいい!

 常葉学園橘高校は負けるべくして負けた。中央をあれだけ固めた相手を攻めるのに中央突破ばかりでサイド攻撃がなければ勝てっこない。

 夜は格闘技2元中継(たまに紅白)。欲かいてチャンネルちゃかちゃか変えてたら、小川対吉田戦も、曙対ボビー戦も、どちらもフィニッシュを見逃す(ToT)。

 何はともあれ家族一同無事年が越せそうです。特別大病もなく、Hちゃんも健やかに成長してくれました。支えてくださった多くの皆様、そして今年一年このサイトを観てくださった皆様に心から感謝! 良い年をお迎えください。そして来年が平和でより一層良い年になりますように。

2005年12月30日(金)
餅つき

 毎年餅つきは僕の担当。とは言え杵と臼での大掛かりなものではなく、餅つき機での作業。この餅つき機、僕が幼稚園の頃に買ったもの。つまりはすでに30年以上故障もなく年末に欠かさずご奉公くださった代物である。今年はわずか3回ついただけで午前中のうちに終了。毎年つきたての餅を食べる昼食が楽しみなのだ。

 もち米を買ってきて、洗って、一晩水を吸わせて餅つき機でつく。割と手間がかかる作業で、来年は買って済まそうという案も浮上(その際は荒川さんよろしく)。そうなると今年が最後になるかも、ということでHP登場となりました。まぁHちゃんが物心ついた後で、一度はつきたての餅を食べさせたいと思うので捨てることはないと思うが、とりあえず長年お疲れさん。

2005年12月29日(木)
慌しい?

 とりあえず今日から6日間の休み。で、とりあえずゆっくり寝る。毎年餅つき担当なのだが、29日は餅をつけないので、他の所用をボチボチとこなす。けっこーのんびり。

2005年12月28日(水)
仕事おさめ

 昨日に続いて身体がかゆくなりそうな資料をひっくりかえす。結局無駄骨。なんだってんだい。
 午後から職場の大掃除。蛍光灯を拭くのに机にのって届くのは広い職場でたった一人。で、脚立を探して運び込むほうが時間がかかってしまったチビな
なべである。

 何はともあれ本日仕事おさめ。

2005年12月27日(火)
あ〜かゆい

 自分が産まれるより一回りも昔の資料をひっくり返して調べもの。埃っぽくて咳き込むし、何だか身体中がかゆくなってきたぞ…。

2005年12月26日(月)
犯罪被害者匿名報道

 マスコミの言うことも一理あるんだよね。徳島の自衛官の件や御殿場少女暴行事件・裁判を見たりすると、警察、検察、裁判所以外の第3者による検証が必要であるという意見は頷ける。

 されど、それを論ずる前にマスコミにはやるべきことがある。犯罪が起こった際に、被害者やその家族に群がり、正常な生活を不可能にするその報道姿勢をやめることだ。殺人事件の際に「今の気持ちは?」などと遺族に聞くようなものは報道でもなんでもない。少なくとも心静かに愛する家族を見送れるように、葬儀、告別式が終了するまでは遺族への接触はマスコミ全体で禁じる(控えるではない)くらいはするべきだ。報道によって被害者側が辛い想いをするようなことがあっては絶対にいけない。そのためのシステムを構築すべきだ。

 それができなければ、いくら綺麗ごとを論じても、ワイドショー並みに騒いで視聴率や販売部数を上げようとする身勝手なものになるんじゃないか?

2005年12月25日(日)
寝る

 一日寝る。おかげでが少々ご機嫌斜め。

2005年12月24日(土)
クリスマス・イヴ

 仏教を信仰している我が家にもクリスマスはやってくる。昨年まではケーキを食べる程度だったが、今年はHちゃんのためにおじいちゃんおばあちゃんが買ってくれた大きなツリーの下でのディナー(和食だったが)である。

 Hちゃんはツリーを見て指差しながら大興奮(^^)。そんな姿をみて大人たちもおおはしゃぎである。キャンドルに火を点して歌うのをHちゃんは不思議そうに見てたが、その様子がまた可愛い(^o^)。ビデオでその様子を撮るが…暗くて写ってないか?
 ふだんはお菓子類をくれていないのでケーキ(クリームなどがないやつね)を食べてHちゃんにっこにこ。自分の分を食べ終わった後、僕たちの分も欲しがって困った(^^;)。

2005年12月23日(金)
夢の島プロジェクト稽古

 今年最後の稽古。しかし“クリスマス・イヴ・イヴ”&“3連休初日”という日が原因なのか、独身組は全員欠席。既婚組も子供の体調不良等で集まり悪し。しばらく一人でストレッチなどをしていたら林田さんが顔を出してくれたが、喉の調子が悪いとのことで、今年の出来事や来年の展望などを話して過ごす。
 来年も無理せずボチボチと芝居を楽しみつつ、せっかく活動をしてるんだから少しずつ発展させていきたいね。

2005年12月22日(木)
寒波襲来 & 職場忘年会

 寒いって堪らんのぉ。遠州で年越し前にこれだけ雪が舞うのも珍しい。

 今夜は職場の忘年会。浜松の街中での開催でちょっと「寒くてやだなぁ。」と思ったが、会場が料理が美味いし日本酒の品揃えもいい店だったので、始まってしまえば楽しいことこの上ない。料理に舌鼓を打ちつつ、飲み放題をいいことに日本酒を次々に注文して利き酒大会。もっとも最後の方は酔っ払ってよく解んなくなっちゃったけど。飲みすぎて明日はおそらく二日酔いだ。

 二次会に向かった人は少ない模様。僕も素直に帰宅する。

2005年12月21日(水)
大車輪!

 年内に片付けたい仕事をこなす。前の担当者から引き継いだ案件が重くのしかかるなぁ…。

2005年12月20日(火)
ちょっと突っ込み

その1
 「地元の大阪に帰って、大阪のために頑張りたい。」って、オリックスのホームは神戸なのだが。

その2
 「姉歯氏が捜査員と事務所に入っていきますが、周辺は騒然とした雰囲気です。」と言っていたが、騒然とした雰囲気にさせてたのはアンタがたマスコミなんですけど。ご近所の皆様の心中お察しします。

2005年12月19日(月)
念願の墓参り

 みんな眠そ〜にレストランに顔を出す(^^)。朝食後は各自自由行動になる。さてさて僕はどうしようか悩んだ末、12月と言うこともあり、高輪の泉岳寺へ行くことにする。調べてみたら横浜から京浜急行で30分ほどでかなり近場。横浜駅のコインロッカーに荷物を押し込んでいざ出発。

 高輪泉岳寺とは
『忠臣蔵』で有名な旧赤穂藩浅野家の菩提寺であり、江戸城で刃傷に及び切腹した赤穂藩主浅野内匠頭長矩と、吉良邸に討ち入って亡き主君の仇を討った大石内蔵助良雄を始め四十七士の墓があることで有名である。

←山門。寺坂吉右衛門が一向と泣く泣く別れた場所だ。現在の物は赤穂事件以降に再建されたもの。

 泉岳寺駅を降りて地上に出るとそこは門前。2・3軒の土産物屋をのぞくが、大石家の家紋入りの陣太鼓とか四十七士の名前が入った湯飲みとか怪しげなものばかり(^^;)。だいたい「義士そば」ってのは何なんだ?

 山門横の入り口を通って境内へ。想像していたよりも小さい寺だ。本堂にお参りをして墓地へ向かう。浅野内匠頭が田村邸で切腹した際に血がかかったという「血染めの石・血染めの梅」(移植されたもの)や、吉良上野介義央の御首を洗い清めたという「首洗い井戸」(写真)があって繁々と観察。「首洗い井戸」はその風景を想像するとちょっと不気味。

 門をくぐって墓地へ。100円で線香の束を購入する

←墓地の入り口にある門。赤穂藩上屋敷の裏門を移設したものとか。墓の写真を撮るのは憚られたため、代わりに写す。

 平日と言うのにそこそこ墓参客(観光客か?)がいる。討ち入りの日である12月14日(旧暦なのでホントは現在の1月末〜2月初旬頃なんだけど)は長蛇の列だったらしい。まず浅野内匠頭の墓。ここに吉良上野介義央の御首を捧げて、本懐を遂げた義士たちが集まったんだなぁ。その手前に浅野内匠頭の妻瑤泉院の墓。…旦那よりも奥さんの墓の方が立派だぞ。やはり浅野内匠頭は罪人扱いだったのか。続いて義士一人一人の墓に線香を手向け、手を合わせていく。時間をかけ過ぎて後半は線香が短くなって少し焦ったが、大石主税良金、そして大石内蔵助の墓までお参り。
 幼児の頃に『忠臣蔵』を観て以来の念願が叶いました。

 資料館を見学後、門前にあった案内看板を見ると、歩いていける距離に大石内蔵助を始め17人の義士が切腹した細川藩の屋敷跡があるので足を伸ばす。それらしい辺りに来るも看板一つ見られず。ウロウロした挙句にそこにあった交番に尋ねてみると、道路の向こう側にある大きなお屋敷の中らしい。何のお屋敷か聞くと、高松宮邸だとか。…見学できないじゃん。するとお巡りさんが「赤穂浪士が切腹した場所は保存されてるよ。」と教えてくれた。
 高級そうなマンションや閑静な住宅街の中に白い壁に囲まれた場所があった。大袈裟な看板は無かったが、4つの藩邸に預けられた義士たちの切腹の場で、現在も正確な位置が特定されているのはこの細川藩のものだけらしい。壁の上から覗き込んでしばし見学である。
 昨日から今日へと有意義な旅行だったな。楽しかった〜。

 泉岳寺門前の蕎麦屋で遅めの昼食をとり(手袋忘れる)、新横浜駅で職場や家への土産を買い込む。Hちゃんへの土産が一番悩む。帰宅してHちゃんに渡したらえらく喜んでくれてよかったな。

閑話休題
 新幹線に乗る前に立ち寄った本屋で何気に勝った太宰治『人間失格』。読んでみたが…おもしろくね。

2005年12月18日(日)
FIFA世界クラブ選手権TOYOTAカップ・ジャパン2005

 職場の係長と同僚と僕、3人で横浜国際競技場(日産スタジアム)へ。明日休みをいただいて、FIFA世界クラブ選手権TOYOTAカップ・ジャパン2005を観戦しに行く。一旦宿泊するホテルに行って荷物を置き、防寒対策をしてスタジアムへ。席に着いた時にちょうど3位決定戦「アルイテハド(サウジアラビア/アジア)対デポルティボ・サプリサ(コスタリカ/北中米カリブ海)」の選手入場だった。う〜ん、FIFAアンセムって聞くとワクワクしてくるね。

 観客席はまだ空席が目立つ。チケットの売れ行きが良くないと聞いていたが、これほどか? それとも決勝戦だけを観に来るつもりか? どっちにしても戦っている両クラブのサポーターの姿もなく、ざわつきの中の静かな試合。ちょっと選手が可哀そうかな? 1点ずつ得点した後、アルイテハドがPKを決めて圧し気味の試合展開。このままアジアが3位かと思いきや、後半40分になってデポルティボ・サプリサがPKで同点。さらに終了間際にはデポルティボ・サプリサがペナルティエリアすぐ外側でFKを得る大チャンス。僕らが座った側のゴールだったのだが、このフリーキックが見事な弧を描いてゴール左隅に突き刺さる! 思わず「凄ぇ〜!!」と叫んでしまった。デポルティボ・サプリサ逆転。このフリーキックを見れただけでも寒い中早く来て良かったな。そのまま試合終了で、3位はデポルティボ・サプリサでした。

 気になったのは3位決定戦の試合中から南米代表サンパウロのサポーターが騒ぎ始めたこと。クラブの旗を振ったり鳴り物に併せて歌を歌ったりと明らかに応援の練習だ。目の前で戦っているクラブに失礼な行為だ。

 決勝を前に少しずつ客席が埋まってくる。アチコチにサンパウロのサポーターの姿が目立つ。中には日本語を話す人もいて、なるほど国内に住むのはブラジル人の方が多かろう。リバプールサポーターはおらんのか?と思ったらすぐ横におりました。

←旗を掲げて静かにキックオフを待つリバプールサポーター。カッコええなぁ。

 夜になって冷え込みが増す。用意してきた日本酒を飲んで身体を温める。あ〜風が冷たい。
 試合前に派手なセレモニーがあって、いよいよ選手入場。やっぱりFIFAアンセムって聞くとワクワクしてくるな。でも国際Aマッチなら国家吹奏するとこで観客を起立させてFIFAアンセムを流したのは何だかよく解らなかったけど。入場時から選手が喪章をしているのに気がついたが、キックオフ直後に試合を止めて黙祷をするという。場内アナウンスでは「サッカーファミリーのために…。」と言っていたが、サッカーファミリーってなんやねん? この黙祷時にもサンパウロのサポーターは応援を止めなかった。英語と日本語のアナウンスは解らなかったのかもしれないが、周りの雰囲気を見れば今何をしているのかわかるはず。あまりに非常識な行為である。

 さらにはキックオフ直後に僕達の席の下の方の1階席から観客がピッチに走り出していった(!)。ところがピッチ周辺の警備スタッフが誰一人動こうとしない(?????)。日本人なのか外国人なのかは不明だが、男はピッチの反対側まで走っていってスタンドに向かって愛想を振りまいている様子。やっと会場スタッフが取り押さえにかかるが、男はゴールネットにしがみついて抵抗。男が連れ出された後も、ゴールネットが弛んでしまって結局5分ほどの中断。この大会は来年は日本開催が決まっているが、再来年は未定。観客のピッチ乱入は海外ではよくあることだが、初動が遅れたのは開催能力を疑われても仕方がない、言い訳ができないことだ。その後スタッフが増員されてたけど、自分の役割が何なのか理解していないスタッフがいくらいても意味ないんだけど。

 おまけに僕たちの席の左側におそらく日本に住むブラジル人の集団がいてサンパウロのリードでバカ騒ぎ。特にお姉ちゃんが「ビールくれ〜!」などとサッカーに関係ないことを叫んでる。あまりに品がなくて顔をしかめるが、フッと右側にリバプールサポーターがいるのを思い出して、同じ座席枠に両クラブのサポーターを一緒にして大丈夫なんか?と心配になった。

 試合の方は前半27分にサンパウロがワンチャンスを物にして先制したが、全般的にリバプールが攻勢。何度も「おぉ〜。」と感嘆の声が漏れ、「これじゃJリーグのクラブは敵わないわけだ。」と納得してしまう程の見事なパスワークでサンパウロゴールにシュートの雨を降らせる、その数何と21本。しかしサンパウロGKの好守もあったが、3度もゴールネットを揺らしながらオフサイドの判定。ちょっと微妙だな〜。映像観てないけどホントにオフサイドなのか? PK間違いなしも流されるし。1点決めてくれればブラジル人のお姉ちゃん黙らせられるのに〜。そのまま1−0で試合が終わってしまったことにちょっとガッカリした。
 左側のサンパウロサポーターのお姉ちゃん2人がブラジル国旗を振りながら、帰ろうとしているリバプールサポーターを挑発して小競り合いは起こるし、リバプールのプレーにはおおいに堪能しつつ、後味の悪いことになってしまって残念。表彰式を見ずに席を立った。

 ホテルに一旦戻って荷物を置き、深夜まで営業している居酒屋を見つけて改めて乾杯! 今日の試合のことや仕事のこと、家族のこと、果ては新婚旅行は何処行った?などの話しで盛り上がり、ホテルに戻った時には1時近くでした。

2005年12月17日(土)
急遽「北スポ」

 午前中に携帯メールあり。今日午後の北浜スポーツクラブサッカー教室の指導担当から「体調を崩して行けない。代わりに行ってもらえないか?」とのこと。午後はHちゃんと一緒に出掛ける予定だったので難しいことを伝え、「もう一人のコーチに連絡してみたら?」とメールする。が、程なく「連絡つかない。どうしたらいいか?」と返信がくる。やれやれ、どうしたらいいか?と聞かれても困るんだけどねぇ。やむをえずもう一人のコーチに直接電話するとあっさり繋がる(???)。しかしどうしても抜けられない用事があるらしい。メールを送ってきた彼は過去何回も直前になって指導をキャンセルしてきたし、この年末で指導スタッフから抜けると伝えてきていて今日が最後の指導日。正直言って放っておいてやれとも思ったが、練習を楽しみにしている子供たちのことを考えると中止にするのも忍びない。に話しをして午後の予定を日延べして指導に向かうことにする。

 年内最後の練習なのでミニゲームの時間を多く取ろうと思い、前半の基礎練習は身体を温めることを主眼に置く。ところがミニゲームを始めてすぐに風と共に冷たい小雨が降り始める。やむなく中断して様子を見るが、子供たちは「ゲームやりたい!」と騒ぐ。寒いのに元気だねぇ(^^;)。雨がやんだのでゲーム再開。お前ら風邪ひくなや。

 またスタッフが去るのを見送る立場になった。僕だって同じただの一スタッフなのだが、何故かいつも気がつくと責任者のようになってしまう。自分のやれる範囲で協力しようという気持ちで活動しているだけで、それは関わっている人みんなが同じはずなのに。これじゃあYYアドベンチャーの時と同じだ。厄介なのは「自分が辞めたら、後が大変になる」ことが解ってしまっていることだ。残るスタッフに迷惑をかけるし、楽しみにしている子供たちの気持ちを考えると安易に辞められない。だから簡単にはやめられない。結局最後に責任取らされる立場になっちゃうのかなぁ。

2005年12月16日(金)
自分は特別

 最近TVのワイドショーなどのコメンテーターのコメントにクビを傾げることが多い。一方的な批判や理想論だけの改革案など。「ならお前がやってみぃ!」と怒鳴りたくなるようなものばかりだ。今朝の番組では作家と称するコメンテーターが「馬鹿やろう!」と行政批判をしていた。じゃ、ご自分はその問題でどのような行動をされているんですか?と問いたくなる。
 “1億総評論家”と呼ばれて久しいが、“評論家”はその道に長けた人だが、“コメンテーター”はただのド素人。けど“自分は特別”だと勘違いしてるのかな? 「無駄な公共事業はやめろ!」と叫ぶが、どの事業を削減するかとなると国民の意見が分かれてしまう。道路だって国民のただ一人として不要と考えるものはない。地元からしてみれば必要不可欠なものなのだ。件の作家も含めて「自分はこれをするから(削るから)みんな一緒に頑張ろう。」という意見は何処からも聞こえてこない。結局みんな“自分は特別”なのだ。

2005年12月15日(木)
破壊!

 朝Hちゃんが起きたので抱きあげて居間に行こうとしたら、ベッドの角に足を取られる。オッととバランスを取るも、今度は携帯充電器のコードがまとわりつく。カンベンしてくれ〜と足を振ると、コードの先に繋がれた携帯が宙を舞い、開いた状態のまま床に落ちる。マズイ!と思ったが、両手でHちゃんを支えてバランスを崩した身体を保つことができず、足は携帯の上へ…。
           …(ToT)…
 その間わずか1・2秒の出来事。泣く泣く終業後にDoCoMoショップへ。壊れた携帯を見せたら「あらあら…。」と店員に言われてしまった。同一機種・同一色ならば格安で購入できる制度があり、さらにアレコレ割引を既に利用していたり、溜めたポイントを利用したりして、結局無料で交換できました。電話番号等のデータも3度トライして何とか移行ができてホッと一息。
 いただいたドコモダケのストラップは
Hちゃんのお土産になりました。

閑話休題
 近鉄・オリックスで監督を務めた
仰木彬氏の訃報に驚く。癌と聞いてさらにびっくり。今年は覚悟の上の合併球団初代監督だったのか。有名な10.19のダブルヘッダー第2試合で逆転できずに優勝が消えた瞬間、うなだれる近鉄ベンチの中で「うんうん。」と何度かうなづき、守備の選手交代を主審に告げに行った姿が忘れられない。合掌。

2005年12月14日(水)
野村万作・萬斎による狂言の世界

 の仕事の関係のイベントで『野村万作・萬斎による狂言の世界』のチケットが取れたので両親を連れて出掛ける。当のHちゃんとお留守番である、感謝。

 何だかんだ言って生では初めての狂言鑑賞である。まず出演者の一人である石田幸雄氏による解説のコーナー。狂言の特徴を解りやすく話してくれた。あ、これは知らなかったわ。鑑賞経験多数の両親は「退屈だった。」らしいが。
 1本目は野村万作万之介が出演する『佐渡狐』。佐渡と越後のお百姓が「佐渡に狐がいるかどうか。」の賭けをする。ホントは佐渡に狐は存在せず、佐渡のお百姓は行きがかりで「狐がいる。」方にかけてしまう。どちらが正しいか奏者に判定してもらうことにするが、佐渡のお百姓から賄賂を受け取った奏者は「佐渡に狐がいる。」と答える。納得がいかない越後のお百姓は、佐渡のお百姓に狐の姿形や色を問う。聞かれた佐渡のお百姓は奏者の助けを得て何とか答えるが、奏者と別れた後で越後のお百姓に「狐の鳴き声は?」と問われて困り果てる、と言うお話し。
 大道具や照明効果がない舞台で、移動したりくるりと回転することで場所の設定が変わるのは芝居の基本だね。越後のお百姓に問われてシドロモドロになる佐渡のお百姓役の万之介の顔が、夕方TVで見た某証人の顔に見えたのは僕だけか?

 休憩を挟んで野村萬斎が出演する『棒縛(ぼうしばり)』。留守中に酒蔵の酒を飲まれないように主人は、太郎冠者(萬斎)の両手を棒に、次郎冠者を後ろ手に縛って外出する。酒を飲みたい二人は協力し合って縛られたまま酒を飲み、酔っ払って唄を歌ったり縛られたまま舞を舞ったりする。が、帰宅した主人に怒られる。
 いや〜野村萬斎ってやっぱり声がいい。キャパ500程のホールだったけど、声がちゃんと通ってた。動きにもキレがあるし。棒で縛られたまま酒を飲もうとする仕草や、縛られたまま舞を舞うのがおかしくて。堪能させてもらいました。
 両親は「楽しかったけど、能と一緒に演じられないので物足りなかった。」とのことだが、僕は目一杯楽しんだ。また是非鑑賞したいし、ますます狂言やってみたくなったなぁ。…歌舞伎と違って民衆レベルでやってないのが残念。

閑話休題
 「法律ギリギリなのでできないと断ったら、設計事務所は他にいくらでもある、と言われた。」ってことは姉歯氏がやってなくても、誰かがやった(やらされた)ことになってた訳だ。言った本人も「法律の範囲内で。」と注釈つきとは言え認めてるんだから、結局は今回の問題は起こるべくして起こったということか。

2005年12月13日(火)
さみ〜

 寒いの嫌い…。寒くていいのはスキー場だけだ。

2005年12月12日(月)
ひさびさの入浴

 ひさしぶりにHちゃん一緒のお風呂。湯船につかった瞬間Hちゃんがにっこり(^o^)と満面の笑み。気持ち良さそ〜。ひさしぶりに父子でバチャバチャとお遊びました。
 ポカポカポカポカいい気持ち。お風呂大好き、楽しいね♪

2005年12月11日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 Hちゃんの風邪もだいぶ快方してきたが、ぐずり始めると相変わらずにべったり。所謂“かあばり”状態である。ん? “かあばり”って遠州弁か? とにかくぐずりだすとでなくては駄目。僕やがいくらあやしても、一生懸命「お母さん」を探している。は「風邪をひいた子はみんなそう。」と言うが、これじゃも参っちゃうなぁ。

 今日は集まりが遅くなって始まりは8時過ぎ。それまでの間一人でじっくりとストレッチ。う〜む、間違いなく運動不足だ。
 今日の参加は
島田さんめめさんに、初参加のめめさんのお友達と、女性に囲まれてちょっとウキウキのなべである(^o^)。初参加の方がいるのでストレッチから発声へと、やり方を説明しながらの稽古。ストップモーションの時は「島田さんめめさんをお手本にしてやってみて。」と言ったら二人は妙に照れてた。…アマチュアとは言え役者さんでしょ?(^^;) 引き続き『鍋と乙女』の読み稽古。少しずつ、だな。がんばろう。

2005年12月10日(土)
体質その2

 「1株61万円」を「1円で61万株」に間違えるのは、あってはいけないがありえる気がする。そもそも1万5千ほどしか発行されていない株を61万も発注できてしまうシステムの方が問題あるんちゃう?

閑話休題
 最近は大人をナメている子どもが増えたからなぁ。ぶん殴らないまでも、怒鳴りつけた経験は僕も多々ある。

2005年12月9日(金)
体質?

 仕事で小トラブル。契約書の署名に実印を押すだなんて社会の常識でしょうが。「指示されなかった。」ってさぁ…。例え当たり前のことでも指示がなければ省いて楽をする。やっぱりこの業界ってこういう体質なんだろうか?

 6日の日記で書いた女性の証言はやっぱり嘘だったらしい。やっぱりね。子どもが行方不明で生命にかかわる時だってのに迷惑な話だ。

2005年12月8日(木)
三日はしか

 Hちゃんの身体中にぶつぶつ。突発性発疹(所謂三日はしか)だそうな。一見痒そうなのだが、母が言うには治りかけになって痒くなるのだそうだ。ふ〜ん。

2005年12月7日(水)
上がったり下がったりの

 Hちゃんの熱。本人がそれなりに元気なので救われているが。早く治るといいね。

2005年12月6日(火)
謎、と言うかよく解らん

 今度は小5の男の子が行方不明。“親”となってからこういう話しはとても気になるようになった。親子ゲンカして別れた直後だと言うからお母さんはたまらないだろうなぁ。
 一部の報道で行方不明になった夜に、自宅で男の子にカップラーメンを食べさせてシャワー浴びさせて、近所のファミレスから通りかかった白い車に男の子を乗せた女性がいるという情報があったらしいのだが、
小学生が夜一人でウロウロしてたら保護したうえで親のトコかもしくは警察に連絡しないか? さらにはヒッチハイクじゃあるまいし、何処の誰だが知らない人間の車に乗せるなんてちょっと信じられない。
 …ホントの話しなんかな?

 Hちゃんは昨日よりは元気になったかな。鼻は未だに滝のように流れているが。

2005年12月5日(月)
発熱

 夕方からのメール。「Hちゃん38.6度。帰りに薬局で赤ちゃんか子ども用のアイス枕買ってきて! 熱さまシートも!」
 なぬ?そりゃ大変だ! 薬局寄って慌てて帰宅すると、僕の顔を見てHちゃんはニコッと笑う。元気じゃんと思ったが、昼間は熱でボーッとしててずっと寝てたらしい。とりあえず座薬で下がっただけのようだ。心配だしHちゃんも嫌がったので、今夜はベビーベッドではなく僕たちのベッドで親子3人川の字で寝る。Hちゃん鼻が詰まって寝苦しそう。何度か起きて様子を見たのは、寝相が相変わらずのHちゃんに蹴っ飛ばされたためだけではない。

2005年12月4日(日)
防災訓練 & 浜松キッド忘年会

 朝からやけに飛行機が飛んでいるなと空を見上げる。そうか自衛隊浜松基地でエア・フェスタやってんだっけ。しかし今日は地域防災訓練の日。旧浜松市域だって訓練やってるはずなんだけどな。全員参加するはずの防災訓練の日に別のイベントを企画する人たちって何考えてるんだろう? せめて午後からにするべきなんじゃない? 自衛隊なんて真っ先に訓練に参加すべき。その方が基地を公開するよりも有意義だし、国民にPRにもなると思うけどな。

 夜は
浜松キッドの忘年会にHちゃんと一緒に参加。毎年夕方開始で家族連れも参加しやすくしているのだが、午後5時半開始と思って会場に向かい、到着直前に何気なく確認したら4時半でした。Hちゃんと一緒に平謝り(^^;)。妹が生まれたばかりの荒川さんとこのPちゃんと、林田さんとこのツインズに遊んでもらってHちゃんもご機嫌でした。
 もっとも最近新人が増えたり、自分自身が休団中で芝居に参加していなかったりしているせいか、今イチ場にノリきれなかったな。活動している時間を共有していない人間は外様になってしまうのはやむ終えないか。もちろんビールを酌み交わして楽しい時間ではあったけどね。早く気持ちを共有する場に復活したいものだ。
 帰りがけ、冬の蛍のツリーを見学。浜松もこういうイベントが増えてきて嬉しいよね。賑わい創出って簡単に言う人が多いけど、青少年育成事業と同じで対価を考えていたら効果的なことはできないんだよね。初めて見る大きなクリスマスツリーにHちゃんも目を輝かせていました。

2005年12月3日(土)
蛍の会

 午前中に保育園2ヶ所を見学。同じ運営母体の保育園なのだが、かなり印象が違うな。Hちゃんを預かっていただく保育園ゆえ慎重に選びたいものだ。待機の子も多いので入れてもらえないかもしれないが。

 
ガンバ大阪逆転優勝。セレッソ大阪はまたやっちゃったって感じだな。ジュビロ磐田は最終戦に勝ったものの、ガンバとは勝ち点9差の6位。優勝できなかったことよりも、史上稀に見る大混戦の中にジュビロの姿がなかったことが悔しい。結局26〜31節の6試合勝ちなし(2分け4敗)が分岐点だったな。

 6年前
に参加した県社会参加リーダー海外研修の参加者の集まり、蛍の会の忘年会に参加する。今年メンバーのお一人が病気で亡くなったため、冥福を祈る黙祷から会がスタート。年1回集まるだけだが、この場に来ると男性で最年少の無邪気な立場になれるのが嬉しい。一人ではちょっと足が向かない高級そうなお店でさすがに料理もおいしくて、ちょっと飲みすぎてしまいました(^^)。

2005年12月2日(金)
心配

 とか何とか呑気にコメントしてたら、今日も栃木で小1女児が行方不明になり、茨城県で遺体で発見されると言う事件が発生した。
 娘を持つ父親としては複雑だよなぁ。警察とか行政とか、他人任せではなく、地域の大人たちがその地域の子供たちを守り、育てる環境を早急に整えなきゃいけないんちゃう? 

2005年12月1日(木)
困った問題だ

 住んでいる家が突然立ち入り禁止になったら困るよな。まさかプレハブの仮設住宅に住んでもらうわけにもいかないし。新潟中越地震の被災者はまだ仮設住宅にいるんだよな。もうじき雪の季節。ホントに大変だ。まだローンも残っていた人もいたろうに。

 困ったと言えば広島の女児殺害事件も問題だ。娘を持つ身となれば他人事ではない。それにしても「身体に悪魔が入ってきた。」って、ねぇ。