keikoba日記

平成19年1月

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2007年1月31日(水)
ありゃ、1月終わり?

 仕事も夢の島プロジェクトも家のことも、ろくろく進まないうちに1ヶ月過ぎた…。ホンマに辛い。何とか打開したいものだ。

 って国会も似たような雰囲気。発言は好ましくないことは間違いないが、国民が直面する諸問題を放ったらかしにして審議拒否はあかんやろ…。責任追及は別の場でやってください。

2007年1月30日(火)
やればやるほどドツボ

 深みにはまっていく一方。専門の人間がやったことを全く関わっていない人間が最後をまとめるというシステムを考えた奴の顔が観てぇ。うまくいっても自分の手柄になるわけじゃないし。無駄にあがくだけで貴重な時間が過ぎていく。この時間、本来やるべきことに費やしたら今頃えらく進んでいるだろうに。

 あ〜日々無駄遣い。辛いことこの上なし。

2007年1月29日(月)
叫ぶのやめようかな…

 うっても響かないのに、一人で一生懸命うってもいろんな意味でおかしいだけ。うてばうつほど相手は面の皮厚くなってくだけだし。

2007年1月28日(日)
懇親旅行 2日目 & 稽古中止!

 究極の野天風呂を出た後ラーメン食って(太るわけだ)就寝。寝不足のはずなのに旅先では早起きしてしまうのは不思議なことである。

 再びバスに乗って飛騨高山へ。まずは全員揃って神社でご祈祷を受ける。…何故? 続いて古い町並みや朝市などを散策。家族への土産などを買い込む。Hちゃんへの土産は「さるぼぼ」とかなりベタ。いろいろ買ってさらに財布の中身が貧相になる(ToT)。
 昼食会場への移動中自宅から電話。何とが発熱し寝込んだとの事。Hちゃんは両親がみていてくれているようだ。すぐにことちゃんに連絡をとって相談した結果、やむなく夜に予定していた夢の島プロジェクトの稽古を中止にする。メンバーにメールで連絡、見学者がいてはと思い、掲示板等に書き込みをする。たまの稽古なのに、みんな、ゴメン。

 帰宅後、「ママ〜!!」と泣き叫ぶHちゃんをなだめて風呂にいれ、寝かしつける。何とものんびりしたよな、慌しい2日間でした。でも楽しい旅行でしたよ。

2007年1月27日(土)
懇親旅行 初日

 会社の所属部署一同で下呂温泉と飛騨高山へ。この春に組織改変を控え、このメンバーで、いや現所属部署の名前での旅行はこれが最後である。

 バスに乗ってまずは土岐プレミアムアウトレットに向かう。アウトレットと関する場所は始めて来たが、財布の中身が寂しい者には全く用がないところである。特別“ここにしかない”ものがあるわけじゃなし、少々お安いだけで、買おうと思えば浜松でも手に入るものばかり。重い思いしてここで買わなくても、ねぇ。ぶらぶらとお散歩(?)をして、自由食ということで中華の店に入る。が、1人ということでカウンター席だったのだが、厨房出入り口に近く、新人店員を指導する先輩の声が始終聞こえて落着かないことこの上なし。できれば客に見えない(聞こえない)場所でみっちり指導して欲しいものである。
 下呂温泉での宿は水明館。聞いたことがあるぞと思っていたが、天皇陛下も宿泊したことがあるという。こんな時でなきゃ泊まろうとは思わない。館内に美術品がたくさんあるとかで見学ツアーもあるので早速参加。気軽なつもりだったが、横山大観河合玉堂などの絵がズラッと展示されているわ、廊下の片隅に珍しい巨石が置いてあるわ、館内に能舞台はあるわ、本当に凄い所である。1泊7万円という離れにはみのもんたが「よく」泊まるのだとか。
 夜の宴会はおおいに盛り上がる。日頃正直合わない人とも場所を変えて酒を飲むと語り合ってしまうもの。料理は少々物足りなかったかな? もうちょっといい物食いたくなって、宴会終了後館内の和食屋に天ぷらを食いに行く(太るわけだ)。
 店から出てきたら仲間が野天風呂に行くというので同行。そしたら近くの川原にある天然温泉だった。脱衣場もなく、岩などに浴衣を脱ぎ捨てて湯につかる。まさに究極の野天風呂。気持ちいいこと、この上ない。混浴らしいが女性の姿はなく残念。ただ仲間曰く、我々と入れ違いに出て行ったグループの仲の数人は女性だったらしい。

 …惜しいことをした。

2007年1月26日(金)
週末

 いろいろやらなきゃならないものをやり残したまま週末を迎える。

 明日から職場の懇親旅行。まぁとりあえず棚上げして楽しむことにしよう。

2007年1月25日(木)
誰のせいじゃ?

 宮崎県庁秘書広報課の女性職員について、ネットの掲示板などで心無い書き込みが多発しているという。報道番組などでは「ヒドイことしますねー!」と呑気にコメントしていたが、昨日の東国原知事初登庁のニュースでその女性職員を「“そのまんま”知事をサポートする美人秘書!」なんて見出しでインタビューしていたのは当の同じ番組である。実際に美人と言うか可愛かったりしたので、ネット住人の喰いものにならなきゃいいがなぁと心配してたのが現実になった。

2007年1月24日(水)
バッタバタ

 午前中休みを取りHちゃんを小児科に連れて行く。昨日耳鼻科で膿を出したためか、症状は良くなっているとか。医者が「やっぱり耳なのかなぁ。」と悩んでいる様子。心配。

 午後から出勤。ホントは昨日目一杯仕事して今週〆切の書類を全部処理し、年度末忙しくなる前に休みもらって久々に映画でも観に行こうかと考えていたが、昨日今日の騒動でご破算。追いまくられて働く。そういう日に限って来客が多い。笑顔で応対しつつも心の中ではかなりイライラする。まだまだ精神鍛練が足りない。

2007年1月23日(火)
病院ハシゴ

 午前中の仕事が終わってヤレヤレ飯だ、と思っていたらから「Hちゃんが熱出した!」という連絡が入る。あらあらと許可を取って保育園へ向かう。着いてみるとお昼寝時間に入ったところ。先生によると午前中は元気だったが、お昼ご飯を食べず、その後ぐったりしたとのこと。家に連れて帰るとそのまま寝入ってしまったので、申し訳ないながらも両親にお願いして職場に戻る。
 夕方になって家から「Hちゃん熱が上がって、顔色が悪い。」と電話が入り慌てて帰宅。と一緒に小児科へ連れて行く。熱性けいれんを起こしていたとの事。ただ原因はよく分からないらしい。ひきつけどめの薬を処方してもらい、その足で耳鼻科も受診。やはり左の耳に膿が溜まっているということで、鼓膜を切開して膿を出すことに。当然Hちゃん大泣きを通り越して絶叫。こちらも辛くなる。挙句に鼻水を吸引している際に暴れてしまって鼻血が…(ToT)。

 熱出すたびにこんなんじゃ、いろいろ考えなきゃいけないかもなぁ。

閑話休題
 昨日の日記の追記。ジュビロ磐田が強かった頃に、雑誌『NUMBER』ジュビロの強さの秘密を探る特集が掲載された。いろいろ理由を挙げていたが、その中の一つに「親会社(Jリーグでは厳密には違うが)から予算を取ってきて、どういう用途に使えば強くなるのか。それを担うクラブの社長にサッカーを分かっている人が就いていることが大きい。」当時の社長は、あの荒田さん。確か県サッカー協会会長も兼任していた気がする。雑誌では「親会社から出向してきたサラリーマン社長ではダメ。」と記していた。現状のジュビロは?

2007年1月22日(月)
問われるシーズン

 ジュビロ磐田のボランチ、福西FC東京への完全移籍が決まる。正直痛いよなぁ。主力選手の流出ということもあるが、始動が近いこの時期にチーム編成を再考しなければならないことも大きい。移籍にしろ残留にしろこの時期に決定がずれ込んだことにフロントへの失望を感じる。
 一部の掲示板では
福西へ減棒提示したフロントと社長への責任追及の声が上がっているが、昨季後半の起用法を見れば十分予想できた範囲のものだ。アジウソンが監督になってから福西は重用されなくなっていた。調子が良くても途中交替が多い。そしてクラブがアジウソンに全面的にお任せしていたことは、監督就任時にアジウソンが連れてきたコーチ陣と契約し、GKコーチの申さんやフィジカル・コーチの菅野さんが窓際族化していたことでも分かる。そしてアジウソンがそれなりの成績を挙げているのだから文句をつけようがない。仮に以前の2ステージ制にしていたら、第2ステージは浦和についで2位だったのだから。つまりは今回の移籍劇は、クラブの経営状況もあろうが「監督の意向」ということが大きいのではなかろうか? 昨季までの成績を元にサポーターはフロント批判をするが、クラブ側は“今季の起用予定”から算盤をはじいていることも考えられる。

 まずはサポーターは落着くことだ。選手の移籍は海外クラブでは普通に行われること。ベッカムしかり、監督の意向で重用されなければどんどん移籍していく。それが普通のことなのだ。好きな選手が移籍して寂しい気持ちは良く分かる(昨年の俊哉移籍で痛感)が、舞い上がったまま自分の気持ちを一歩的にぶつけることは良くない。昨年尾ユニフォーム問題もそう。確かに漢字四文字はカッコよくないかもしれないが、このご時勢に年間3億円を拠出してくれる企業に「社名を変えろ!」などとメールが殺到したことには驚いた。これがきっかけで、契約更新がされずに胸スポンサー不在となったらどうするつもりか? 今一度「サポーターとは?」を考えて欲しい。

 もちろんアジウソン監督はまさに今年、その真価が問われることになるが。

閑話休題
 ちなみに僕が監督だったら福西俊哉は是が非でも残留させたが、名波服部はやはり契約解除してたかな。90分走れない選手は使いずらい。

2007年1月21日(日)
結末がこれかよ

 「バカ騒ぎ」と言っていいような納豆騒動の結末がこれである。問題となった番組の放送が中止され、冒頭アナウンサーの謝罪と詳細な説明があったが、何故社長等の最高責任者がその場に同席しないのか疑問が残る。
 代替として拡大枠で放送された番組ではコメンテーターが「不正をするマスメディアが、どの面下げて政治家や企業の不正を糾弾するのか?」と発していた。TVの報道番組の内容を、視聴者が週刊誌のゴシップ記事と同じように「嘘くせ〜。」と感じるようになる可能性だってある。問題となった番組やみのさんが「これはいい。」と言えば、その日のうちに商品が完売するほど、マスメディアの影響力は大きいのだ。“いじめ”の誘発につながりそうなお笑い番組も含めて、マスメディアは今一度自らの姿勢を省みる必要がある。

 もちろんTVでやったからと言って無闇に信じてしまう我々にも問題がある。昼間の番組で「最近できた薬とかならともかく、納豆なんて昔からあるもの。突然“これはいい”と言われた時点で怪しいと思わなきゃ。」と発したコメンテーターがいた。まさにその通り。
 さらに勘違いしてはならないのが、ダイエット効果はともかくとして、納豆が健康にいいのは間違いないことだ。「騙された〜!」と食べなくなるのはもっと愚かなこと。災い転じて、ではないがこれをきっかけに食する機会を増やすべきだろうな。

 残念ながら僕にとっては好き嫌いで言えば嫌いな食品であるので全く影響の無い話題ではあるが。

2007年1月20日(土)
家族の時間

 ネットカフェで向かえた朝は身体が痛い…(^^;)。始発ではなかったが、早朝の「下り」電車ってのは田舎暮らしにとってなかなか乗る経験がない。同じような朝帰り風のおじさんから休日早朝練習に向かう高校球児までいろいろ。人間ウォッチでもしようかと思ったが、出発して10分ほどでぐっすり寝入ってしまった。
 家族に会わないように気をつけながら(?)着替えてそのまま午前中は静かに寝てた。午後からは3人で小ドライブへ。通りがかった遠江二俣駅前の小さな公園にあったSLを見て
Hちゃんが「わー、でんしゃ〜!」と食いついたので立ち寄る。ちなみにSLは電車ではない。公園に入るとブランコや滑り台に夢中で、食いついた割りにSLには興味なし(^^;)。僕の方が運転席に乗ったりして喜んでた。カメラ持ってくれば良かったなぁ〜。

 こういうさり気ない時間を取れることが嬉しいよね。

閑話休題
 NHK『ちゅらさん』はけっこー好きでずっと観ていたが、放送回数の関係もあるのだろうが、今回は少々創りが雑だった気がするなぁ。一方『美味しんぼ』はキャストを一新していたがイマイチか?

2007年1月19日(金)
久々だけど恒例の飲み会

 浜松キッドにおける先輩荒川さんと演劇仲間の大石さんとの恒例の飲み会。僕の体調不良で1回キャンセルもあったから、実に久しぶりである。今夜は同じく浜松キッドの演劇仲間、島津も参戦である。仕事の関係で荒川さん島津が遅れ。遠慮無しに先にやらせてもらいながら、昨年の夢の島プロジェクト1st Festaの感想、お互いの今年の予定などを話す。大石さんの今年の展望を聞いて、予想はしていたがやっぱり驚く。やってきた島津も含めてその辺りをさらに詳しく聞く。う〜ん、先が楽しみな話だな。
 荒川さんもやってきてあらためて乾杯。自然と話は芝居のこと。時間を忘れた議論は時間を忘れて熱く交わされた。時には少々エキサイト? 初めは居酒屋、その後は荒川さん知人が経営するワインの店。この段階で電車もバスもなくなっかたので、再び居酒屋に入って語る。財布の中身も寂しい限り。比較的自宅が近い荒川さんはタクシーで帰宅。残った3人はネットカフェで始発を待つことになった。かなり久しぶりの“朝帰り”だぜよ〜。

閑話休題
 舵と羅針盤を持たずにただ進むだけ。目的地を決めてもそこに至るまでの見通しを持たない。新しい乗組員は初航海時からの乗組員(既に下船した者含む)とは同じようには思われない。不安に思った乗組員が別の船を用意しようとするのは“必然”なのだ。
 ただ、新しい船に乗る者は同じ轍を踏まないようにしなければ、新しい船に乗る意味はない。気をつけなければ。

2007年1月18日(木)
全く

 ここまで至るのに何でこんなに手間かけにゃならんのだ?

2007年1月17日(水)
真夜中のNFL

 最近夕食を食べた後、眠くてしかたがない。台本を読むとか、夢の島プロジェクトの年間活動計画を立てるとか、HPの更新だとか、やろうと思っても頭が働かないので、Hちゃんが寝るのと同時に一旦就寝。12時過ぎに起き出して風呂に入り、あれやこれやとヤボ用をこなす。最近この時間帯にBSでNFLのプレイオフの再放送をやっているので思わず見入ってしまう。今夜は放送がないが、昨日も見始めたら寝るのが2時過ぎになってしまった。
 元々アメフトは大好きで、ジョー・モンタナが活躍していた頃のサンフランシスコ49ersのファンだった。10年程前には翌日仕事始めと言うに東京ドームまで、日本一決定戦ライスボウルを観戦しに行ったこともあった。確かにルールが少々複雑でとっつきにくいかもしれないが、基本ルールさえ分かればこんなにおもしろいスポーツもないんじゃないかな? ルール自体はシンプルなサッカーと同じくらい人気が出てもいいような気がするのだが…。

 49ersが出場していないのが残念だが、プレイオフ・シーズンもいよいよ佳境に入ってきた。2月4日のスーパーボウルまで楽しい丑三つ時を過ごせそうだ(ってオイオイ!)。

2007年1月16日(火)
「領収書添付を義務づけると、事務が煩雑になる。」

 領収書まとめんでよかったら今の仕事かなり楽になるなー。と言うか領収書添付も、後の監査も何にも無い世界があることにびっくりするが。

 それにしてもこの発言って現状が丼勘定で正確な数字が報告されていないって認めてることにならないかい?

2007年1月15日(月)
思うようにいかんのぉ

 あれやこれやと予定外のものが舞い込んで、朝10時までに終わらせる予定の仕事に目処がついたのは夕方4時半だった。雑用担当部署の辛さ。これで新しい事務分掌ではフルタイムで人工計算されてるんだからどうなることやら…。

2007年1月14日(日)
初稽古!

 親子3人で久々に病院通いでないお出かけ。お気に入りの蕎麦屋でお昼ご飯を食べて、五社神社で家内安全のご祈祷を受ける。ちょうど合間になったか僕ら家族のみの祈祷。Hちゃんは全てが興味津々のようで、目を凝らして見つめていた(^^)。
 昨年も元旦にご祈祷してもらったのだが、家族揃っていろいろ病気が多かった。祈祷してもらったからあの程度で済んだのかもしれないが。昨年にも増して心から家内安全を祈る。健康で笑顔の多い年となりますように。

 夜は夢の島プロジェクト今年最初の稽古。やはり寒い時期は出足が鈍るのか、稽古開始時間からしばらくは僕一人(寂しー)。ボッーとしてるのももったいないので、サッカーボールを持ち込んで基礎トレーニングをして時間を潰す。昨年は本人や家族が風邪ひいたりして、1・2月はほとんど稽古にならなかったのでヒヤヒヤしたが、8時頃から鉄兵ちゃんことちゃん畑木まきちゃんが来て稽古に入ることができた(ホッ)。
 ストレッチ、発声、基礎練のメニューをこなして、今年の活動計画を検討。今年“役者”として活動可能かどうかを確認する。残念なことに1st Festaに参加したうちの数人は諸事情により今年の活動に参加できないことが判明。元々夢の島に集まったメンバーだから、これはやむおえないことである。一応秋に2nd Festaを開催することを目指して稽古をしていくが、「公演を打つことを第一の目的とはしない」夢の島プロジェクトゆえ、上半期の状況により延期もありうる。ぼつぼつとやっていこう。
 みんなにはストレッチと練習用台本の読みの自主トレを宿題として出す。もちろん自分もやらねば。

 ちなみに次回稽古は1月28日(日)午後7時30分から、浜北体育館会議室です。見学歓迎、多くの方のご参加お待ちしております。

2007年1月13日(土)
北浜スポーツクラブサッカー教室 初蹴り

 午前中は疲れを取るためにひたすら寝る。疲労感はまだあるが、とりあえず虚脱感はかなり抜ける。

 午後は北浜スポーツクラブサッカー教室の新年最初の練習、所謂“初蹴り”。体調不良により交替してもらおうかとも思ったが、逆に身体を動かした方がいいかとも考えて「よっこらしょ。」と出かける。
 風が強くて寒かったが、子供たちは元気だ。やっぱり“風の子”である。ミニゲームでは1・2年生(+上級生1人+中学生1人)チーム計10人と、3年生以上チーム計6人に分かれて行う。縦割りでチーム編成すると、上級生がゲームメイクしてしまって、1年生などはついていけなくて遊んでしまうことが多いので、最近はこういう編成にすることが多い。今日は風上だったこともあり、1・2年生チームが一方的に攻めて前半4対1とリード。後半中学生1人(北スポOB)を上級生チームにトレードしてみたら白熱の好ゲームとなった。上級生なりに、1・2年生に怪我させてはいけないと当りが弱くなるので、1・2年生チームも人数かけて攻め込むし、それをしのいで攻める上級生達もかなり必死の形相(^^)。結果は5対4で1・2年生チームの勝利。
 少年スポーツのコーチってのは考えているよりは動かないものだが、それでもメニューをやってみせたり、ミニゲームの審判をして走ったり。そこそこ動かして、よどんでいた血が流れたようで心地よい。昨夜とは逆の、気持ちのよい疲労感である。

2007年1月12日(金)
とりあえず休む

 昼間いろいろ溜め込んで帰ってきてHちゃんの顔を見たらホッとする傍ら、ドッと疲労感が。今週末ゆっくり台本探しをするつもりだったが、今夜のところはおとなしく寝る。飯もろくろく食わず寝る。週末というに酒も飲まず寝る。そしたらにえらく心配されてしまった。

2007年1月11日(木)
無理が通れば道理は引っ込む

 不満も不服も不平もあれど、力関係の問題だから何を言っても負け犬の遠吠えである。

2007年1月10日(水)
キレイな夕焼け

 ゆっくり眺める心の余裕が欲しいよなぁ。

 あ、すでに4日の日記の内容に反してるな。

2007年1月9日(火)
ある意味羨ましい。

 ここまで能天気に物を言えるっていいよなぁ。その分影で苦労する人間がいるわけだが。

2007年1月8日(月)
とんぼ帰り

 昨夜着いた時には当然Hちゃんは夢の中。今朝先に起きたHちゃんが隣に寝ていた僕を見て「パパーっ!」と抱きついてきた(←可愛い)。あ〜泣かれなくて良かった。
 昼前にHちゃんを連れて出発。今回は義父母ともゆっくり話しをする間もなかったなぁ。

 帰りも風強く、由比の辺りはやっぱりあおられて怖かったが、トイレ休憩で立ち寄った由比PAエリアではキレイな空と海の絶景が堪能できた。これで富士山が見れたらもっとサイコー。

2007年1月7日(日)
思うようにはならんのぉ

 朝風の音と寒さで目が覚める。外を見ると雪がまっとった。寒いわけだ。起き出してボチボチとHちゃんを迎えに行く準備をしていたら電話が入る。我が会社では非常時対応の当番が決められていて、警報が発令されると会社で待機することになっているのだが、暴風警報が発令されたので、午後2時から6時まで出役して欲しいとのこと。…今日が当番日ってこと忘れてた。
 結局警報解除されることなく、6時まで職場にこもることに。人気の無い職場ってエアコンつけても温まらねーな。非常事態の連絡がない限りすることが無いので、グランドコートを着込んでパソコンに立ち向かい、溜まってる仕事をこなす。


 6時過ぎに一応チェーンを積み込んで出発。風が強くて車がフラついてかなり怖かった(ToT)。

2007年1月6日(土)
静養

 せっかくの“独身”回帰。Hちゃんが産まれてから行ってない映画でも観に行こうとも思ったが、年明けからの体調不良。さらには原因は言えないが、どうにも気分が優れない。一人で人混みの中に繰り出す気にはなれず、午前中はホームページをいじくって過ごす。未だに1st Festaのkouen日記書き終えてない…。
 午後になって、何処にも出かけないのもなぁと考えて食事に出かける。美味。でも気分は何とも優れない。

 それにしても一人では怠惰になるなぁ。寒くても一緒にスポーツしてくれる人いないかしら?

2007年1月5日(金)
独身回帰

 Hちゃんを連れて里帰り。今日から“独身”である。明後日には迎えに行くことになっているが。で、会社の所属係の新年会ということで体調不良を押して出かける。お酒もおいしいし、楽しいことは楽しかったが…。

 やっぱり体調不良だったな。

2007年1月4日(木)
年頭、仕事初め、だからこそ…

 今の日本社会には“ゆとり”がない。時間もそうだし、一人ひとりの心もそうだし、経済的にもそうである。人の生活における全ての面で“ゆとり”がない。その原因はいろいろあるのだろうが、バブル崩壊とその後の企業による雇用対策、所謂「リストラ」というものが大きな影響を与えている気がする。いや、もしかすると高度成長とオイルショック、つまりは昭和40年代前半に生まれた僕などは、日本が“ゆとり”を無くしていく中で育ち、生きてきたのかもしれない。

 “ゆとり”がないからバタバタする。“ゆとり”がないからあたふたする。“ゆとり”がないからギスギスする。

 “ゆとり”さえあればゆっくり考えられる。“ゆとり”さえあれば他人のことに思いを寄せられる。“ゆとり”があれば笑顔になれる。

 「ゆとり教育」だって今えらく悪く言われているが、そもそも「ゆとり教育」を導入する際に偏差値を基本とした既存の学力観を変えなければ絶対に失敗すると、レクリエーション活動をしている人間は皆分かっていた。そして「ゆとり教育」を支える地域の活動を盛り上げようと頑張ってきたが、残念ながらそれを支える人間自体が土日休みじゃなかったり、子供も塾通いに忙しかったり、行政側も事務局としての仕事をこなすことができなくなったり。社会の変化が残念ながら伴ってこなかった。「ゆとり教育」が目指したものは決して悪いものではなかったはずなのだが。

 今年はみんな“ゆとり”を持っていきませんか? できる限りでいいから。僕も時間、心、全てに“ゆとり”を持って過ごしていきたいと思います。

 …経済的には無理か(^^)。

2007年1月3日(水)
新年初芝居?

 夕食時にHちゃんが愚図って傍にある物を投げ捨てた。時々へそを曲げるとそういうことがある。三つ子の魂百までも。こういうことはちゃんと躾なきゃいけない。で、最近数度同じようにしたのだがHちゃんを叱り付けた。が、頑固と言うか意固地と言うか、が「パパに謝ろ!」と言っても「イヤ!」と言うばかり。しばらく押し問答が続いたので「なら廊下(外とも思ったが熱が下がったばかりなので)に出ていな!」と廊下に引きづり出す。当然Hちゃんは大泣きだが、決して「ごめんなさい。」とは言わない。から「親と子の根競べだよ。」と言われたこともあり、Hちゃんの前では怖い顔をし続ける(^^;)。
 しばらく廊下に座り込んでたHちゃんが部屋に入って来て「ママ、抱っこ〜。」と甘えたり(も「パパに謝るまで抱っこしない。」と拒否)、おじいちゃんおばあちゃんを助けを求めるように見たりする仕草に笑いそうになったが、ここは必死に我慢。そのうちおばあちゃんが可哀そうで目に涙を溜めていたが、大人4人が頑張って“芝居”をし続けた。1時間ほどそんなことが続いておじいちゃんHちゃんを抱いて別室に移りなだめてくれたが、とうとう「ごめんなさい。」とは言わなかった。最後はおじいちゃんの仲介で水入り(?)となったが、も「これから何度もこういうことがあるよ。」と言う。う〜ん、親って難しいなぁ。以上今年の“初芝居”の模様でした。
 その後Hちゃんとお風呂に入った後、寝るまでの間は僕と遊んでました。

 しかし、あの頑固さは一体誰に似たんやろ? 僕も比較的頑固だが、あの年(2歳)で1時間は意地通せなかったがなぁ。これは両親の証言で裏を取ってます。

閑話休題
 今年の年末年始の休みはHちゃんや自分が体調を崩したせいもあり、割と家族でのんびり過ごすことができた。こういう時間も大切だなぁ。欧州各国が夏のバカンスシーズンに家族で旅行したり別荘で過ごしたりするのが理解できる。日本人も1ヶ月とは言わないまでも2週間くらい一斉に休みを取って家族で過ごす時間を取れるようにしたら、社会問題のいくつかは解決するかもよ?

 …明日から仕事か…。

2007年1月2日(火)
救急担当医はしご

 昨夜は僕も寒気が酷くて布団を重ねてしのいだのだが、Hちゃんも咳き込んで泣いて起きた。耳の方も心配だが、咳も心配。そこでまずは天竜休日救急医療センターへ。さぞかし混雑しているかと思いきや、着いた時には他に2組いただけ。ならばついでに自分も診てもらおうかなと思ったら自分の保険証持ってきてなかった(ToT)。後先考えないこの性格は何とかしなきゃいかんのぉ。
 次は磐田の耳鼻科医院(大晦日とは別)へ。こちらは待合室ぎっしり。どちらにしても本来休みのはずの正月に、救急担当として患者のために働いている方々には頭が下がるなぁ。

2007年1月1日(月)
元旦

 新年あけましておめでとうございます。本年も僕と僕の家族、このHP、そして夢の島プロジェクトを何卒御引立てくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

 毎年恒例、我が家のベランダから初日の出を拝む。うん、キレイな日の出だ。これだけのことで、何だか幸先がいい気がしてくるね。家族で新年のあいさつをして乾杯。Hちゃんもお茶で「ぱんか〜い!」と(^^)。
 雑煮食った後、地元の自警消防隊出初式へ出席。毎年氏神である於呂神社に集まって、一年の火の用心を祈る。出初式後は公民館で新年会。いろいろな職種の集まりゆえ、毎年なかなか聞けない話しで盛り上がるが、今年は育毛の話しだった。…参考になった。

 楽しいお酒を飲んで午後は寝正月。が、どうも体調が良くない。昨夜もHちゃんが何度も咳き込み、一度は40度まで熱が出て、と交互に起きて看病したのだが、ゲホゲホ咳き込んでいる横で寝かしつけていて「こりゃ〜うつされるなぁ。」と思っていたが案の定。意に反して寝正月になってしまった。実姉姪っ子が帰省してきたのだが、ゆっくり話もできず早々に就寝。

 昨年の念頭に掲げた目標、@一年笑顔で過ごすこと。A運動ができる身体をつくること。B体重を5%以上減らすこと。併せて夢の島プロジェクトは公演とまではいかないまでも、発表の場を持つところまで持っていきたいと挙げた。…AとBについては途中で忘れ去ったな。@はとりあえず達成、夢の島プロジェクトについては予想以上の成功を収めることができた。さて今年は…。
 昨年に引き続いて@「一年笑顔で過ごすこと」、A「運動ができる身体をつくること」。BについてはAが達成できれば自ずと見えてくると思うので省いて、代わりのBに「夢の島プロジェクトの“次”を確立すること」を挙げる。できれば秋に2nd Festaを開催したいが、そのために無理して疲れてしまうようでは夢の島プロジェクトの狙いから外れてしまう。自分たちのペースを保ちながら、かつ常にFesta開催の可能性を探る1年にしていきたいと思う。