keikoba日記

平成21年11月

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2009年11月29日(日)
夢の島プロジェクト稽古 … ?

 今日は本役の中で他屋さん鉄兵ちゃんことちゃんが欠席。特に前の2人の欠席は稽古の流れからして痛い。もちろん仕事等が理由ゆえやむ終えないのだが。

 立ち稽古(台本を持って、のだが)に入って初期段階、特に始めてのシーンは本役でやりたいと考えている。「心による言動のキャッチボール」を重視する
夢の島としては第一印象も大切にしたい。その第一印象でいきなり代役ではちょっとねぇ。何せ台本冒頭は他屋さんめめちゃん鉄兵ちゃんの3人で展開していきますので…。

 そんなわけで今日は話し合いというか、おしゃべりタイムとなってしまった。個々の夢の島以外の活動のことや3rd Festa後(気早!)のこととかの話しが出て、まぁ無駄だとは言わないがやはりできれば稽古したかったなぁ。

2009年11月27日(金)
役創り その2

 昨日の日記で“役創り”について書いたのだが、読み返してみると汗顔の至り。でもこういうのってその時実際に稽古でやってることでないとなかなか書けないことなんだよね。文章にしてみると自分自身の考え方を見直す貴重な機会にもなるし。そんなわけで身の程知らずにいい気になって“役創り”の続編を書いてみようと思う。

 昨日「自分の演じるキャラクターには台本の中で役割がある」と書いた。常に台本全体のストーリー展開を踏まえたうえで役創りをしなければ芝居があらぬ方向に行ってしまうという恐れがあるということだ。僕自身も経験があることだが、芝居を始めて役創りの楽しさを覚えた初期には自分に与えられたキャラクターばかりに注目してしまいがちになる。この頃厄介なのは「このキャラクターはこういう性格だから、ここではこう動く(言う)」と自分で決め込んでしまうこと。それが台本上的を得ていれば問題ないが、例えば主人公の心境が大きく変化する重要なシーンで脇を固める役が「このキャラクターの性格だから」とそのシーンの流れや演出の意図に合わない、あるいは効果が薄い言動をしたら芝居としては不味いわけだ。

 “役創り”とは自分の演じるキャラクターの性格等を考えてそれを横糸とし、それを“台本”という縦糸にちゃんと織り込んで芝居という布地に仕立てていく作業だと言える。縦糸ばかり、横糸ばかりが目につくようではいけないということだ。以前客演させていただいた劇団の先輩から「ストーリ展開から外れる役創りは失敗。」と教えられたことがある。さらに自分の演じるキャラクターのみを追いかける僕に「自分が気持ちよく芝居したいだけじゃない?」と諭されてハッと我にかえった。自分が今もっている引き出しのみを材料にして役創りをしていないか? 結果として自分が演じるキャラクターが格好良く観えるようにしているだけではないか?と指摘してくれたのだ。

 さらに「100%は自分の意に沿わない役創りになったとしても、それは自分の“引き出し”を増やすことに繋がる。」とも教えてくれた。逆に言えば、いつも自分が気持ちの良い役創りをしていると、何回観てもどんな芝居をやっても同じような役で同じような演技しかしていないことになる。観てくれる人にとっては「いつもおんなじだよね。」と意外性も何もないことになってしまうわけだ。

  僕は演技の個性から得てして元気ハツラツで熱い役がまわってくることが多かった。まぁそれが気持ちよくできる演技パターンであることは間違いないのだが、元気で熱いだけの役では「あ〜こんな風にやればいいんでしょ?」と役創りに面白味も何も感じなくなってしまう。先の一件後、例えば配役の希望を聞かれたら「自分が役者として成長できる、チャレンジできそうな役。」と答えるようになった。役者としての引き出しはいきなり増えたりはしない。舞台に立つ度に一つ二つと増やしていけたら理想的だ。もちろん役創りに悩むこともあるだろう。でも役者はもちろん、裏方も、そして集団全体が「前回よりも少しだけ成長しよう」と暗中模索することが個々のキャラクターに活力を与え、ひいては面白い芝居になっていく礎になるのだと思う。

2009年11月26日(木)
役創り

 夢の島プロジェクト3rd Festaの台本を読みながら演出プランやら何やら考える。

 アマチュア芝居に限った話し(だと思う)ですが、たまに役者が台詞と動きを覚えたらそれでOK!ハイ本番!なんて劇団があります。そんな芝居は観る側がストーリーに入り込めない、登場人物に思い入れができない、観終わった後「頑張ってたねぇ?。」と哀しいくらい客観的な感想しか出てこないこともあります。

 ストーリーの中で登場する人物たちが活きていなければおもしろい「芝居」になりえません。

 例えば台本に「上手から下手に歩く」と書いてあったとします。当然役者は指示通りに動くのですが、その時の動く理由が「台本に書いてあるから。」ではすぐに演出からダメが飛ぶことになります。「段取りで動かないで! ちゃんと心を動かして!」とね。

 段取りで動いたり台詞言ったりするのって観ていてすぐに分かるんですよねー。そこで動きや台詞に心というか、気持ちを込める必要が出てきます。簡単に言えば動いたりその台詞を発する「理由」を自分の中にしっかり持つということです。その「理由」は、台本に文字で書いてあるとは限りません。俗に言う行間に書いてあるのでそれを読み解く必要がある場合もありましす、ストーリーに沿った中で役者が自分で決めていく場合もあります。時には適当にとか勝手にと言うと語弊がありますが、無理に理由をこじつける場合も出てきます。

 この作業は役者の重要な仕事です。台本を読み込んだり、稽古で動いたり台詞を発したりしながら自ら探っていきます。自分が演じるキャラクターは、このストーリーのこのシーンで何故こう動き、何故こうしゃべるのか? 同時にこう動き、こうしゃべるキャラクターはどんな性格の人物なんだろう? なんて考えるのは労力がいる一方で、役者として芝居好きとして、とても楽しい作業となります。難しいのは自分の演じるキャラクターには必ず台本の中で役割があるということ。僕自身も経験がありますが、そのキャラクターのことだけ考えてるとストーリーの流れから外れてしまうことがあります。それでは芝居が成り立たちません。常に台本全体を捕えたうえでの作業にすることが重要となります。

 そして、役者たちが掴んだキャラクターの性格を、一つの方向に取りまとめるのが演出の仕事になります。この作業がしっかりできた時、魅力ある芝居に一歩近づきます。

2009年11月20日(金)
何をしたいんだか分からんなぁ

 民主党政権による事業仕分け。連日報道を賑わせているが、確かに国の予算についてこれだけ注目を集めた功績は大きい。これまで「無駄だ、無駄だ。」と言いながら実際何が無駄なのかはっきりしてなかったのが今回はっきりした(同時にこれまで何が無駄なのか分からずに「無駄だ、無駄だ。」と言っていたのかということも)のだから。更に言うと本来なら総理大臣(=党代表)と党幹事長の不正献金疑惑に報道が集中するところなのにあまり触れられない。効果は絶大だ(意図しているかどうかは知らんが)。

 ただし報道で紹介されている仕分けを観覧した人の「最初から×か△しかないようだ。」というのもまた正しい感想だ。国として、いや民主党政権として我が国をどういう方向に導きたいのかというビジョンが見えない。本来ならば「我々は○○重視でいく。それに予算を重点的に配分し、それ以外の分野については削減する。」という方向性を持った上で取り組む作業であるはず。単に「マニュフェスト実現のため増えた予算3兆円分を捻出するため。」と言うのなら話は別だが。ただそうであるのなら財務省主導での作業になっているのはおかしい。単なる財源捻出なら財務省の事業をまず議題にあげた上で「ウチもきられたから他省庁も…。」というべき。自分のことはさておき…では他省庁から不満が噴出しても致仕方がない。

 同時に、この事業仕分けなる作業は今年だけなんだそうだが是非来年以降、いや平成22年度予算に間に合わなくてもいいからこのまま継続してもらいたい。今年限りの理由は「平成22年度予算は民主党の手によるものだから最初から無駄が省かれている。」ということらしいのだが、そこまで民主党のセンセイ方が全能でもしがらみが無いわけでもあるまい。各省庁の官僚が作った予算を大臣や政務官が査定する場を今回のように公開の場でやってもらいたい。毎日1省庁をローテーションで。今回のように3つのワーキンググループ同時進行ではなかなか全てを把握できないのであくまで1日1省庁。事業の数は3000以上あるそうだから、平成22年度予算とて今から始めなきゃ間に合わないぞ。叩き台は平成21年度予算案だって構わない。国民の眼の前で予算編成についての議論が行われることに意味があるのだから。

 それから、単に官僚を罵倒して国民が溜飲を下げるだけの場にはならないように気をつけてもらいたい。国の官僚とてみんながみんな税金を食い物にしようとしているわけではない。それぞれが自分なりに「国民のため」と思って企画している事業(のはず)だから。

2009年11月18日(水)
いよいよ季節到来!

 Sクン(たぶん)保育園で嘔吐下痢症をもらってきたようで数日前から吐いたり高熱が出たり。で、と交代で仕事を休んで面倒を見ていたが、昨日からはも高熱を発して寝込んだりして。

 はともかく(?)子供が寝込むと共働き家庭はふぉちらかが仕事を休まねばならない。この調整がなかなか大変なのだが、子育て世代にとっては避けて通れぬことだ。自分の会社は比較的休みが取りやすいのだが、子供が寝込んだときのことを考えるとむやみに休みは取れない。いざという時のためにとっておかねば…。特に今年の冬は何が起きるか分からないからね。

 たまにはストレス発散!したいときもあるんだけども(^^)

2009年11月15日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 劇団からっかぜ客演中の他屋さん本業や先方の稽古の忙しい中、夢の島の稽古に顔を出してくれた。なかなか本役による稽古ができない中だったので演出狂喜乱舞(^^;)

 んでもって台本冒頭から持ち立ち稽古。何にでも言えることだが「始め良ければ…」で、幕開け直後の芝居をしっかり創って基礎にできれば、後はそこに積み上げていけば良いことになる。芝居の世界観を定める重要なシーンだ。特に今回は他屋さんめめちゃん演じる夫婦が主人公になるストーリー。その2人の冒頭シーンはこの2人がどんな夫婦なのか、これからどんな芝居が展開されるのか、と観る人がワクワクしてくるようにしっかり創り上げたいもの。

 わすか数十行の短いシーンをダメ出しを挟んで何度も繰り返す。2人とも忙しい中しっかりと台本を読み込みいろいろ考えてきてくれたようで、繰り返すたびに芝居が変わっていく。どんどんおもしろくなっていく。「夫婦」の姿が見えてくる。観ていておもしろいです。「稽古がおもしろい」って感じられる時間、最高です。

 こんな稽古を続けていけたら1年後はどえらいおもしろい芝居にできる。創り手である僕たちがもの凄く楽しみだ。

2009年11月12日(木)
混乱させてるのはあんたら

 市橋容疑者の護送は凄かったねぇ。「駅ホームや新幹線車内は大混乱です!」って混乱させてるのはあんたらマスコミやて。

 新幹線車内には他にも乗客がいたはず。時間的に出張を終え、帰りの車内でゆっくりしようとしていた人もいたはず。その人たちの休息の時間を無にしたわけだ。そんな権利が彼らの何処にあるのだろう? JR東海にしてみれば営業妨害だ。

 翌日にはTBSのディレクターが容疑者を護送する車に駆け寄って公務執行妨害で逮捕されたとか。見せしめ的な感じもするが、前夜とある1社のみわずかにのぞいた容疑者の顔をカメラにおさめて報じたそうで、他者が「容疑者の課をを写したい!」との要望を出したのを受けて護送車に乗り込む容疑者の顔を隠さなかったのに駆け寄ったからだそうだ。しばらく前の押尾学や酒井法子容疑者の時もそうだが、走り出そうとする車に駆け寄るなんて、もし幼児がやったら親にとことん叱られる行為だ。報道の自由
だか何だか知らないが、危険な行為をする者についてはドンドン公務執行妨害で逮捕するべきなんじゃないか。子供の教育上も良くないし。

2009年11月8日(日)
8割世界『昼間流星群』観劇

 有志の旅行だからと言うわけではなかろうが、2日目は朝食後に解散で自由行動となった。

 …何だかな〜。

 で、せっかく東京に出てきたんたから面白い芝居を観ようと事前にネットで調べたのだが、最近の東京でやってる芝居は入場料が高いねぇ。平気で8〜9千円となっている。まぁ所謂大劇場の芝居なんだけども。大々的にPRしていてネットで見つけやすいとなるとそういうのになりがち。
 でも頑張って調べていたら1幕物シチュエーション・コメディ主体の公演を発見。前売り完売が多いそうだからダメ元で前日朝に予約申し込みのメールを送ったら「前売りのラスト1枚にねじ込ませていただきます!」と嬉しいような申し訳やいような返信をいただいたので、ありがたく。

 「流れ星が日本一綺麗」と呼ばれる村に、流れ星に3回「金くれ」と願った途端にお金を拾った人物がやってきたのだが、拾った額がホントは5000円なのに5000億円と勘違いされて巻き起こる騒動を描いた作品。些細なことをちょっとウソをついたために、さらにウソを重ねたり人の好さそうな周囲の人を巻き込んだり。無邪気にウソを信じてしまう人がいたり、違うことを考えているのにその場では話があってしまう人がいたり。
 上演時間が2時間と少々長めだったが、笑いどころ満載の楽しい舞台だった。ラストの「昼間にだってきっと流れ星は流れているのに、人は気づいていない。」という台詞は感慨深かった。

 ドタバタの、比較的テンションが高い芝居(高いだけの「テンション芝居」ではない)。コメディ芝居での笑いにもいろいろあって沸き出すような失笑や共感からくる苦笑などもあるが、久々に声を出して大笑いさせてもらった。笑いどころの「間」が上手かったなぁ。あとふだんの顔は凛々しいのに「狂喜の世界」に入った時の表情の違いの面白いこと(^^)

 夢の島プロジェクトの3rd Festaに向けての稽古に入っているが、こういう創りもあるんだなぁと勉強になった。

 いい芝居を観た後は酒でも飲みながらゆっくり語りたいところだが、帰りの電車の時間があったので役者さんたちが客出しに出てくる前に劇場を後にする。残念。また観てみたい劇団です。

2009年11月7日(土)
世知辛い世の中だ

 今日から職場の旅行。我が社では職場揃っての旅行には福利厚生目的で些少なれど助成金が出る…のだが、参加者少なく助成金の基準を下回ってしまったため有志対応となったのだが、さらに参加者が減り結局わずか6人。

 就職仕立ての頃、職場の旅行っちゅうたら忘年会などの飲み会と合わせて「仕事の一環」と教えられたものだが、最近は自分より世代的に上でも参加しない人もいる。日常見られない同僚のOFFの顔を見るのも楽しいのにねぇ。人と人の付き合いをするってのも職場の潤滑油になる。それを望まない人がこんなに増えたとは…。確かに煩わしい面もあるけど、世知辛いと言うか、寂しいと言うか…。

 とかくに人の世は住みにくくなってきている。その原因は我々自身が作り出しているのかもね。

2009年11月5日(木)
そんなんありか〜?

 民主党小沢幹事長が「新人議員の仕事は次の選挙に勝つことだ。」と言ったらしい。政府が事業仕分けメンバーに小沢氏に断りなく新人議員を入れたことに「党主催の研修会と時間がバッティングする。」と不満を述べているとか。

 民意を受けて国会議員となった者の仕事が次の選挙に勝つこと? そのために国から税金が給与として支払われるの? そんな馬鹿な。確かに国会議員として(もっと言えば社会人として)「?」がつく人もいるが、中には地方自治体の首長として、学者として、企業経営者として、立派に活動してきた人もいる。その人たちに「次の選挙に勝つ」機会を与えるために、国民は総選挙で民主党候補を選んだわけではない。ちゃんと政治に関わってもらわなきゃ。事業仕分けではないが、それこそ“無駄”な存在になってしまう。

 郵政選挙で誕生した自民党新人議員が「小泉チルドレン」と呼ばれたが、今回誕生した民主党新人議員は本当に子ども扱いされとるな。小沢氏が表に立たずに自分の好きなように政治を動かすための数合わせでしかない。

 こんなんで本当に政治が変わっていくのかなぁ。

2009年11月3日(火)
第2回 家族の遠足

 歩くことに慣れることを目的とした我が家のイベント。今日は期間限定で天守閣が復元された二俣城と、歩行者天国になっている天竜観光産業祭りに出かける。

 山間(と言っていいかは分からんが)の商店街をホコ天にしてのイベントって、天竜はイベントの雰囲気つくりが上手い気がするなぁ。まさに「散策」って感じで歩くのが楽しい。居並ぶクラシックカーにSクンかなり食い付きおおはしゃぎ! ロータス・ヨーロッパの登場に僕のテンションも上がる(^^)
 Hちゃんは車なんぞに興味はなくまたまた「お腹すいた!。」と叫ぶのに少々辟易したが、前回よりは歩く距離も伸びたし、だいぶ慣れてきたね。

 ただ人混み激しく、Sクンを歩かせることができなかったのが残念。イベントだから仕方がないか。やはりピクニックとかの方がいいな。次は森林公園かな?

2009年11月1日(日)
夢の島プロジェクト … 話し合い

 今日は稽古、ではなく話し合いになった。

 台本決定過程や今後の稽古の進め方について個々の解釈に齟齬があったようで、役創りの話しになっても食い違いが生じていた。中には「それじゃあ台本を変えるべきだ!」みたいな些か強硬な意見を言うメンバーも出てきたので、これではマズイと齟齬を正すために話しをしようということになったのだ。

 まずは齟齬が起きた経緯を話して僕の考えを説明、その後個々の思いを話してもらった。行き違いも見つかったし、「えっ、そんなこと考えてたの?」とか「それを言われてもなぁ…。」とか、いろいろ意見が出たのだが、一番驚いたのが役創りにいろいろな手法があるんだということだ。

 これまで関わった芝居では、まず台本(季節、オリジナル問わず)があってその中に自分に与えられた役(キャラクター)がいる、その役を芝居の中で生かすための役創りをしてきた。台本の中のこの部分でこういう台詞を言う、こう動く役とは、どんな性格をしているのか? どんなことを考えているのかを探ることが役創りという作業だった。しかし今日の話し合いではストーリー上に出てくる役(キャラクター)を深める中で、ストーリー展開や台詞がそれに合わなければ設定や台詞を変更するという創り方があるということを知った。正直かなりの驚きだった。役創りが「台本が先か、役が先か。」なんてこれまで考えたことがなかったからなぁ。
 ただ、今回知った役の創り方は正直違和感があるよなぁ。自分が書けない分、台本を書いた作家に対するリスペクトが大きいから、台本に対していろいろ意見を持ったとしても、台本の設定を変えようという発想は僕にはない。もちろん最初からそういう創り方をすると作家を含めて理解しているのであるのなら話は別だけど。

 夢の島プロジェクトでこの手の話し合いは初めての経験。別に避けていたわけではなく、やろうと言う声がなかっただけだが、どんな組織、集団でも成長過程で必ずイデオロギーの確認やぶつかり合いが起こるもの。夢の島プロジェクトもやっとそこまで成長したということか。
 集団が成長するということは必ずそこに責任が伴ってくる。責任が出ると言うことはそこに義務が生じる。責任と義務を果たすことで初めて集団の成長が為される。しかしそのその責任と義務を果たすと言うのは意外に労力を必要とする。変わる、成長するということはそういうことなのだ。

 願わくはこの流れが悪い方向に進んでいかないで欲しいな。