芝居の制作者を応援するサイトってのがあって、とても勉強になるのでよく目を通すのだが、時々気になるのが「行政はもっと芸術活動を支援しろ!」「行政はホールよりも稽古場を建てろ!」という意見記事だ。
僕も行政は芸術・文化活動にもっと金を出すべきだと思っているし、市民の生涯学習活動に対しては金だけではなく、一緒に活動を盛り上げていこう!という姿勢を示すべきだと考えているのだが、上記の意見記事に対しては諸手を挙げては賛成できないのだ。
行政の支援となれば、当然その元になるのは我々が納めた税金だ。近年では経済状態の悪化もあって、税金の支出先に対して厳しくなっている。例えば子育て支援策も子供のいない納税者から「自分には関係のない話しだ!」なんて声があがる。まぁ次世代を担う子供という意味では実子がいようがいまいが関係なくはないんだけどね。最近では地方の高速道路を何処まで行っても1000円にするために高速道路会社に5000億円の公的支援をすることに対しても、車を持っていない国民から批判の声がある。さらには「民間の理念を取り入れる」ということで、“費用対効果”が問われるのだ。つまりは国民が100人いたら100人が納得するものでなければ支出しにくいということ。なかなか難しいことだし、そんなこと言ってたら何もできないことになるけどね。
そういう中で芸術活動に税金を投入することに対して当然その意義を問われることになる。「支援することで、どれくらい市民に有益なころがあるか」とね。そこで今までのように「人間はパンのみにて生きるにあらず」みたいな抽象論だけでは理解は得られない。具体的に「支援を得れば、これだけ公演回数が増えて、これだけ入場料を安くできて、それだけ市民に観ていただける機会が増える。」というデータを提示できなければ。当然一部の演劇に造詣が深い人しか理解できないような、あえて言えば小難しい表現しかされない芝居は論外だ。それを「表現の自由の侵害だ!」なんて怒るようなら支援を受けずに自力で自分のやりたい世界を表現すればいい。
自分のやりたいことをやるために国民の血税を寄こせ!ということならば理解は得られない。支援を受けたいのであれば、その相手に「これだけ特(?)しますよ!」という魅力と意義をアピールしなければ。Jリーグクラブだってスポンサーを得るために無数の企業にプレゼンテーションをして回るのだ。例え相手が行政でも、ただ「金を出せ。」では理解されないのではなかろうか。
こんなこと考えているから、安直に行政の補助制度を利用するアマチュア(劇団に限らず)を見てると「そんなんでいいのかい?」と疑問を呈したくなるんだよな。
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