keikoba日記

平成21年7月

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2009年7月31日(金)
イベントはかくも難しい

 今日は会社の組合主催の納涼大会なのだが、ここんとこの雨続きに加え、午後に本格的な土砂降り。夕方もパラつく天候で、判断がひじょーに難しい状況だった。
 準備をした人間からすると「せっかくだからやっちゃいたい!」と考えるだろうけど、集まってくるお客さん(参加者)からすると、途中で雨降られると困るし、塗れてて芝の上に茣蓙敷けないし、楽しいイベントが差っぴかれてしまう感じになってしまう。
イベント本来の目的はお客さんが楽しめること。お客さんが楽しめないのならイベントの開催意義がなくなってしまう。今日は何とか最後まで天気が持ってくれたが、もし…。

 いや、組合スタッフの判断をどうのこうの言うのではなくて、イベント好きとして考えさせられちゃったわけ。自分がこのイベントの総責任者だったらどうはんだんしただろうなぁと。

2009年7月26日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 本日の参加はことちゃん他屋さん滝浪さん鉄兵ちゃんめめちゃんなべの6人。今日も3rd Festa用台本を決めるべく読み稽古を進める。
 まずは前回も読んだ僕がめっけてきた作品。やっぱり「ラストに一捻り足らない。」と評されるが、僕としてはこういう余韻を残した作品が好きなんだよなぁ。起承転結の前3つがドタバタしてる分、結は落着きたい気分なのだ。
 次にこれまた僕が探してきた台本。サッカー日本代表スタッフを舞台にした作品でこれも僕のお気に入りなのだが、サッカー好きでしか伝わらないおもしろさがあったりするので、このおもしろさがメンバーに伝わらないのがとても残念…。

 3rd Festaは今のところ来年秋の予定。気の長いように見えるけど、
夢の島プロジェクトにとってはたった1年しかないと言える。さらには8月は16日(日)しか稽古がない。いつまでもダラダラとこの状況を続けていても仕方がないので「とにかく次回稽古で台本を決定する!」と宣言してしまった。はてさてどうなりますか…。

 そうそう、稽古中にジョギング中(?)の
がっしーさんが顔を出してくれました。久々にゆっくりと話しをしたかったのだが、稽古中は時間が惜しい。読み稽古を進めてたら終わり待たずに帰ってしまった(ToT)。少々遅れてきてストレッチをしていたことちゃんは話していたようだが(いいなぁ)。
 ホンマ
がっしーさん、ゆっくり話ししましょうよ。と言うか、じっくり芝居しましょうよ!

 あと、昼間に
浜松キッドの公演を終えた大石さんが小道具を返しに来ました。初演出お疲れさま〜。

2009年7月24日(金)
うつ

 職場の後輩が「うつ」で休みに入った。

 ここんとこ元気ねーなーと思っていたから、そこまで深刻だったか…と、同僚、先輩として気づいてやれなかったことに忸怩たる思いがある。

 「うつ」。最近TVCMなどで取り上げられるほどだからかなり広まっているんだと思う。「えっ、あの人が?」って驚くような人がなったりしている。

 かく言う僕自身も「うつ」状態で3ヶ月間休職した経験を持っています。「えっ、なべが?」ってって驚いた人いるでしょ?

 僕の場合は会社の特別チームに配属され、深夜までいたる残業が慢性化して…ってのは表向きの原因。当時はそうでも言わなければコトが大きくなっちゃうため嘘ついてました。本当の原因はチームの同僚ととことん合わなかったこと。仕事の進め方はもちろん、人間的にも合わなかったことが原因でした。あれでよく人間不信にならなかったものだと我ながら不思議に思っています。

 この時のことはいずれコラムで書きたいなぁ。

 とにかく現代は深刻なストレス社会。「うつ」は誰でもなる可能性があります。TVCMではないですが、1ヶ月寝むれない状態が続いたら専門医に診てもらうことをお勧めします。

 仕事はあなたがいなくても何とかなります。いや、本来1人いなくても何とかできるような組織にすることは統括する上司の仕事、あなたが悩むことではないのです。一方で家族はあなたがいなければ成り立ちません。家族はあなたの明るい笑顔を欲しています。

 仕事を頑張る危害も大切ですが、同じくらいに“休む”勇気を持ってください。

 お〜い「後輩」、仕事の方は何とかするからゆっくりせいや〜。

2009年7月18日(土)
モチベーションが下がる…

 北浜スポーツクラブサッカー教室がどうもおかしくなっている。いや、北スポサッカーがおかしいのではなく、世の中全体がおかしくなっているのかもしれない。

 元々北浜スポーツクラブを初めとする浜北の地域スポーツクラブは、運営に要する労力をみんなで負担しあうことで活動して行こうという主旨があった。一部のスタッフが全てを背負って、最終的に疲弊してつぶれてしまうようなことを避けようとしていたわけだ。
 ところが「3年経ったら…」というお題目の基、それを支えるに足る組織体制が整わぬうちに自主運営に移行したあたりからおかしくなった。都合により活動を離れるスタッフがいてもそれを補完するシステムがないゆえ、残ったスタッフがその役割を負うようになる。個々人によるスタッフ募集には限界がある。長い年月の中スタッフ離れが進むと、避けるはずだった「一部スタッフが全てを背負う」ことが発生してしまう。そこまで残るスタッフは「自分が辞めたら…。」と責任感を持っているから簡単には投げ出すことができない。そこまでの責任感を持たないスタッフが早々と投げ出して、いや、逃げ出していく中で単身踏ん張り続け、結局最後には「活動停止」「解散」という重大な判断をせざるをえなくなる。自分が望んだわけではないのに「誰かがやらねばならない…」ということで主たる役割を担ったおかげで、最終判断まで担わなければならなくなる。主たる役割から逃げていた者が「形だけのスタッフだから…」と最終判断をしようとしないのは甚だ無責任と言わざるをえない。

 父兄たちもわずか年2回程の当番業務が3回、4回になったからと、スタッフに対して「負担が多くなった。」と苦情を言う。また、スタッフや子供たちの募集についてこうすればいいとあれこれアイディアをだすものの、じゃああなたそれやってよと言うと「私たちは意見を言うしかできないから。」と、結局スタッフにやらせようとする父兄。スタッフの一員に入ってよと誘うと、責任を担っているスタッフを目の当たりにして「責任を負いたくないから。」と言い放つ父兄もいる。

 責任感を持つ“馬鹿正直者”がそんな目になるようなクラブが果たして正しい姿なのか?

 スタッフに限らず、父兄、そして「言いだしっぺ」である行政がちゃんと責任感を持って関わっていればこのようなことになならなかったはずだ。

 地域の活動の活性化を望む声は多いが、自らそれを担おうとする者は数少ない。いい加減に我々は人任せの無責任な理想論を吐くのは止め、自分のできることで積極的に参加する意思を持たなければならない。

2009年7月12日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 僕にとってはかなりひっさびさ、振り返れば6月8日以来(前回は我が家の旅行と重なったゆえ)の1ヶ月以上空けての稽古。2週間に1度、月に2回ほどの稽古でも無くなると身体の調子が狂うよな。貴重な身体を動かす機会ゆえ、やはり定期的にこなしていきたいものだ。

 本日の参加者、ことちゃん大石さん他屋さん鉄兵ちゃんめめちゃんなべの6人。3rd Festa用台本を決定すべく読み稽古をする。まずは僕がネットで見つけてきた候補作。登場人物が出演可能人数ちょうどなのが心配の種(誰かが出演できなくなれば上演できない)なのだが、尺(上演時間)も40〜50分と手頃だし、ストーリー展開が僕好み。だから選んできたんだけどね。でも読んでみたら「ラストに捻りがない…。」なんて意見も出た。なかなか皆が皆気に入る作品は見つからないもんだ。
 続いて神谷さつき氏(夢の島メンバーなんだけど作家としてはペンネーム使用ゆえ。ん?本名書いていいんだっけ?)の現在執筆中の新作を読む。時間切れで最後まで読めなかったのだがこれまた面白い。が、やっぱり最後まで読んでみないとなぁ。自宅のパソコンがヘソ曲げて言う事聞いてくれない(?)そうで、なかなか書き進めないのだとか。早く機嫌直しておくれな(^^)

 何とか8月中には決めたいよなぁ。神谷氏の執筆を待つと同時に、皆が即決しちゃうような台本を探す努力を続けますか。

2009年7月11日(土)
昔とった杵柄

 Hちゃんの通う保育園の夏祭り。保護者会主催ゆえ様々な仕事をお父さんお母さんが担う。昨年は保護者会役員だったので準備段階から四苦八苦したのだが、今年は一父兄。去年に比べれば気楽なものである。

 で、今年の役割は駐車場係。少々早目に会場に行き、子供たちはに任せて駐車場へ。今年の役員の方に段取りを確認する。ん〜少々甘い気もしたが、当日指摘しても混乱するだけでいいことなし。指示に従って役割をこなす。
 実は学生時代に観光バスの車掌のバイトをしていた僕。車のバック誘導は秘かに得意なのだ。「オーライ!」の掛け声も3段階に言い分けられる。バイト先がレストラン(の調理部門)だった人と違い、“昔とった杵柄”を披露する機会はなかなかない。今日はやってくる車を捌いていたら保護者会の会長が「上手いですね〜。」と感心し、午後5時のお役御免の時間になっても「もうちょっと…。」というので30分ほど“残業”。

 まぁお役にたてれば嬉しく思います。何にせよ、身につけた物は役に立てねば。こんなんで良ければね(^^)。

2009年7月9日(木)
羨ましい、そして、頑張ってほしい

 最近浜松演劇界が活気づいている気がする。秋の市芸術祭公演は毎年恒例になっているが、ここ数年は春から初夏にかけても数々の公演が続く。多くの劇団が年に2回以上の公演を打つようになってきているのだ。残念ながら東京とかと違って、週末何処かしらで芝居をやっているようなことはない。プロ劇団の遠征もなかなかない(あってもチケット代高いんだよな…)。手軽に芝居を楽しむに、地元の劇団が頑張ってくれるのは嬉しいことだ。

 自分が現在演劇活動に目一杯入れ込める状況じゃないゆえ、浜松の劇団の頑張りは羨ましく思える。いや、自分だって頑張っていないわけじゃないのよ。これまでだったら芝居をするのを諦めるしかなかった連中が集まって、公私調整つけて週2回の稽古時間を確保するのはけっこー頑張ってる結果。でもこのペースでは年1回の公演(夢の島プロジェクトではFestaという)を行うことはほぼ無理。年数回の公演を行うに足る稽古ができる時間を確保できるのは羨ましい限り。

 ただ一方で、何処の劇団がというわけではないが、公演の“乱発”によって芝居の出来レベルが低くなりはしないかと心配もある。芝居を観る機会が増えるのは喜ばしいが、一度観たお客さんが「こんなもんか〜。」と思われたら最悪だ。“粗製乱造”は避けなければならない。台詞と動きを覚えたらハイッ公演!ではなく、年複数回の公演を支えるしっかりとしたビジョンと稽古を持って欲しいものだ。

 あ、他人のことばかり言ってちゃいけないな。未だに次回Festaの台本が決まらないのに偉そう言えません。

2009年7月5日(日)
白紙委任してないよね?

 昨日の記事ですが、現在の北スポサッカーの父兄を指したものではありません。北スポサッカーの父兄の皆さんはサッカー経験のない僕のコーチでも何も言わずに見守ってくださっています。昨日の記事はあくまで一般論ということで。

 で、今日は静岡県知事選挙。静岡という地方のトップを県民が選ぶ選挙だったにも関わらず、「政権選択」という名の国レベルの政党争いに巻き込まれてしまった。有権者であった我々県民は、本当に「静岡の今後4年間」を託すという観点で選んだのか…。当選した候補者がどうのこうのではなく、報道等に流されずに投票できたのかは、それぞれに検証する必要はあるだろうな。

 同時に注目を集めた割りに、前回よりは増えたものの投票率は半数を少し超えた程度。これで「県民の声」と言えるのだろうか? 「参政権」と言うが、投票は“権利”ではなく、国民の“義務”だと思う。やむにやまれぬ理由もなしに投票をしないのは「白紙委任」と同じ。“義務”果たさぬ者は意見を言う権利はない。“参加”してない奴に偉そう言われたくはないわな。

 これをお読みの方の中には白紙委任した方はいませんよね?

2009年7月4日(土)
どうしたものか…

 最近の子供は大人をなめきっている。なれられる大人も悪いのだが…。

 今日の北スポサッカーの練習。その際に2回ほど子供たちを集めて説教してしまった。

 最初はドリブル練習時。教えたメニュー通りにせず、勝手にボールを蹴ってふざけてる子がいた。メニュー通りに練習をこなしている者にとってはジャマ。そこで「教えたメニューは練習のルール。ルールを守れないのならスポーツをする資格はない!」と諭す。
 2度目はミニゲーム終了後。ゲーム中に両チームともチームメイト同士で仲間割れ。まぁ原因はそれぞれで些細なことなのだが、仲間割れしてる時間帯に失点。失点すると一人でなんとかしようと張りきる奴と諦めてやる気をなくす奴が出てさらにバラバラになる。「サッカーっておもしろいよね。チームでケンカしてる時に点を取られる。ケンカはゲームが終わってからでいい。ゲーム中にすべきはチームメイトとケンカすることか、チームワークを取り戻して全員でゲームに挑むことか、考えてみて。」
 説教する時は必ず問題を起こした子だけでなく全員に向かって話をする。単に起きた問題への対処ではなく、「何故いけないことなのか。」ということは全員に心にとめておいて欲しいから。

 いや、したくて説教したわけではない。基本的なルールが守れてないから。躾は家庭でできる(やるべきだ)が、集団でのことは地域の活動でしか教えることができない。

 しかしながら僕としてはホントはほっぺたひっぱたくくらいのことをしたかったのが本音だ。なぜしなかったかと言えば、そこまでのことを北浜スポーツクラブサッカーでは求めていないからだ。北スポサッカーは「身体を動かす」ことを楽しめる子供を育てることを主眼にしている。ゆえにスポーツ少年団のようなスパルタな練習等はしない。それ自体をコーチ陣が求めていないこともあるが、さりとて、それゆえにコーチ陣にある意味「呪縛」が起きる。

 本来親を筆頭に、大人に怒られることって子供にとってムチャクチャ怖く、恐ろしい出来事のはず。僕らが幼い頃は大人に「こらーっ!」って怒られた途端に蛇に睨まれた蛙のように、その場に釘付けになったもの。ところが最近のガキ(敢えてそう書く)は、大人に怒られると蜘蛛の子散らすように逃げていってしまう。逃げさえすれば大人が怖くないのだ。

 にわかコーチとは言え、子供に接する以上何やらのメッセージを送りたい。特にいつもは友達のようだが、大人って怒らすと怖いんだぞってことは伝えたいと思う。が、なかなかそれはできない。北スポサッカーがそれを求めていないし、何より時代が違う。

 しかし時代と言うのは人間が作り出すもの。「体罰」と称してそれを求めず、結果子供たちが大人をなめるようなことになったのは、間違いなく我々国民が望んだことなのだ。

 でもそれは間違っている。剣道スポーツ少年団時代にコーチから受けた「愛のムチ」は、良くも悪くも僕の中に残っている。それをどう解釈するかはあくまで本人の問題なのだ。僕を含めて子の親たちが、「コーチに叩かれた〜。」と泣き言言えば「叩かれるようなことしたアンタが悪い!」と叱った我が母のようにならなければいけない。

 北スポサッカーでストレス溜まるようになってきた。…そろそろ潮時か?