八ツ場ダム等の公共工事のあり方が問題となっている。確かに“無駄”は省かなくてはいけないが、「マニュフェストに示しているから」というお題目で地元や住民との協議もなしに中止決定ではあまりにも浅はかだ。まして中止に反対する住民に対して批判をするマスコミや匿名の国民は何をか況や。長い歳月に渡る地元住民の苦労や心情を考えることなく、一時期の雰囲気に流されただけの愚か者達だ。
前にも書いたが、「無駄を省け!」という掛け声はいいが、何が“無駄”なのかの議論が全く無いのが問題だ。いくら国や行政の役人が無能でも、国民、市民の、本当に誰一人必要としていないものは事業化できない。現在進行中の事業は必ず誰かが必要として求め、その求めに応じて事業化されているのだ。まぁ求めたのが国民、市民なのか、バッジをつけた議員さんなのかは知らないが。でも議員さんだって国民、市民の信託を受けた人なんだから、それとて国民、市民の求めたことだ。つまり、どんな無駄と思える事業でも誰かは必要としているものなのだ。
逆に言えば“無駄”な事業の批判を国や行政のみが負うことがおかしいのだ。その事業を求めた国民、市民、議員が何故出てきて反論しない? 自分たちが求めた事業じゃないか。それが中止になってもいいのか? 行政が反対派と賛成派の板ばさみになる図式があまりに多すぎると思うのだ。まずは国民、市民がしっかりと議論をする必要がある。いつまでも他人任せの「わしゃ知らん!」という態度は無責任極まりない。
鞆の浦訴訟もしかり。原告が「地元住民」と称されているので地元がみんな反対しているイメージを持つが、実際は賛成派と反対派に2分されていのだ。それに地元住民じゃない人間が加わって話をややこしくしている。まずは地元の人たちで話し合って結論をださなきゃ。
特にマスコミの態度は酷すぎる。これも以前に書いたが、国土交通省が一時期直轄国道18路線を凍結していた際にTBS系列の報道番組で「凍結の査定が経済効果ばかりで災害時のことが考慮されていない。」とか、一人の人工透析患者を取り上げて「現在の道は冬に雪崩で通れなくなることがある。新しい国道は“命の道だ”!。」とかインタビューした後で「何故必要とされる道路を造らない?」と報じた。その翌日国交省が一転して凍結解除をしたら今度はテレビ朝日系列で「せっかく凍結した“無駄”な道路を何故造る?」と批判一辺倒。局が異なるとは言え、じゃあどうしろっちゅうんじゃ?と叫びたくなるよなぁ。
テレビでいつもエラソーこいてる解説員たちは、当然国家予算の資料も手元にあるはず。是非自分たちで予算編成してみて「これとこれが我が局が考える“無駄”な事業です!」と宣言してみてはどうか? 批判や文句を言うだけなら幼稚園児だってできることだ。
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