keikoba日記

平成22年7月

<<前のページ | 次のページ>>

2010年7月28日(水)
話し合い

 「話し合い」っちゅうのはお互いに信頼関係がなければならない。

 例え信頼関係がなくても、最低限相手に対してリスペクトの念を持たねばならない。

 それすらない「話し合い」は…。

 国会を見れば分かる。残念ながら。

2010年7月25日(日)
人として基本的なものの崩壊

 今年から家族でアチコチにキャンプ行こうと言うことで、先日はHちゃんとキャンプ講座に参加。で、今日はまずは近場のオートキャンプ場ということで、渚園キャンプ場に家族4人で出かける。5歳児&2歳児を連れてテント等の設営から始まって、そもそもキャンプが出来るかの実験でもある。

 日曜夜ということで宿泊するテントは少ない。何とかテントも設営し、夕食のカレーも何とかなって、子どもたちも満足して午後9時頃にはテント泊となったわけだが、その数少ないテントのうち、1つからは音量大きな音楽(しかも演歌?)が、別の1つからは大声での会話と笑い声が聞えてきた。まぁ羽目を外したい気持ちも分からんではないから、そのうち静かになるだろうと我慢していたわけだが、音楽の方は午後11時過ぎまで、大声の方は午前1時過ぎ(!)までキャンプ場に響き渡っていた。11時頃からさすがに腹に据えかねて怒鳴り込んでやろうかと思ったが、「逆ギレされて何かされてもいけないから。」とに止められてやはり我慢。

 すると1時頃に他のテントの人が注意に言ったようなのだが、の言うとおり当人たちは逆ギレしたようだ。曰く「こっちは今日も夕方まで働いていてストレス溜まってんだよ!」「楽しくなれば声は大きくなるし、笑うでしょ!」「「うるさいと思ってる、あんただけだよ!」などと言い返していた。

 こういうところでは夜9時、せめて10時になれば静かにするのは常識中の常識。他にもう休んでいるテントもあるんだから。日常生活だって10時や11時になれば静かにするもの。そういう人として基本的なもの、一般的にはマナーって言うんでしょうが、そういうものが崩壊してきちゃってるんでしょうなぁ。おまけに自分勝手なルールを決めてそれを他人に強要して当然とばかり、何も疑問に思わない輩も増えてきてる。

 世知辛い世の中です。

2010年7月18日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 今夜は役者全員参集で演出幸せ(^^)。代役気にせず演出に没頭できるのは嬉しいことである。

 台本を持ったままだけど、稽古時間が許す限り行けるとこまで行こうという通し稽古。芝居の中での心の動きを掴むことを重点に、芝居が出来つつあるシーンとまだ弱いシーンを見極めることを目的とする。実際やってみるとまだまだ「弱い」シーンばかり。進んではいるが、課題が満載だ。やらなきゃならんことがたくさんあるのぅ。

 稽古後のダメ出しも「一度に言い過ぎかなぁ。」と思いつつ、役者たちにたくさん宿題出してしまった(--;) でもダメ出し出せるだけいいのかも?

 制作も遅れがち。頑張らねば。

2010年7月14日(水)
歴史上やまなかった雨はない

 そう思わなきゃやってられんよ、実際。人生有意義にするためにやってんのに、何でこんな苦労背負いこまにゃアカンねん!

 …頑張ろ。

2010年7月11日(日)
選択した「責任」

 この結果は間違いなく「国民の選択」である。一人一人はどの候補者、どの政党に投票したかは別の話で、出た結果は「国民」が下したものだ。得票は民主党が多くとも当選者は自民党が多くて“ねじれ国会”になったのも、みんなの党が躍進して、社民党が激減、ヤワラちゃんがとんでもない得票数を得たのも、全て「国民の選択」なのだ。

 ゆえにその結果に対して我々国民は責任を取らねばならない。今回の選挙によって起こる国会の状況は我々が選んだことなのだ。我々はちゃんと責任を持ち、安直に政治家任せにせずに様々なことにしっかり注意を配らなければならない。
 ある意味国会とは我々国民の“鏡”なのだ。我々国民の“程度(レベル)”が露骨に表れる。我々は「責任」を取らねばならない。

 個人的には比例代表の投票用紙にヤワラちゃんの名を書いた有権者の気が知れない。

2010年7月7日(水)
究極の「命の教育」

 伯父亡くなり今日が葬儀。諸事情により葬儀は父母のみ参列するということで、昨日旅行から帰ってすぐに通夜に向かった。

 1月に亡くなった伯母のご主人。伯母の初盆の前。まるで後を追うようだ。伯母とともに幼い頃から可愛いがってくれた。とてもユーモアのある人でいつも笑わせてもらっていた。ここ数年は病気がちだった。元気な姿を見られたのは自分たちの結婚式。その後Hちゃんを連れて1度おじゃましただけ。親ではないが「〜したいときに…」という心境だ。

 通夜を終えて親族がお茶を飲んでいると、Hちゃんが棺の中の伯父の顔をジッと見つめていた。病気のために凄く痩せてしまった伯父。ほとんど骨の上に皮がのっているだけのような顔に怖がるかなぁと思ったが、そんな様子もなく見つめていた。
 「何を見つめているの?」と聞くと「おじちゃん、何で目を開いているの?」と逆に聞いてきた。痩せたため目がくぼみ、瞼が閉じきらないためだったのだが「久しぶりにHちゃんの元気な顔を見たかったんじゃないかなぁ。」と答えた。
 「おじちゃん死んじゃったんだよ。もう会えないんだよ。」と言い、「南無南無(合掌する意)してサヨナラしようか。」と手を合わせた。その後もことある毎にジッとおじちゃんの顔を見つめていたHちゃん。“人の死”の意味はまだ分からないだろうが、何かを感じ取ってくれたらいい。その分きっと優しい子になってくれると思う。

2010年7月6日(火)
家族旅行の最中…

 家族6人で伊良湖岬へ旅行。平日格安プランを利用してのものだが、昨年の沖縄(が友人の結婚式に出席するということにかこつけてではあるが)から比べたら少々見劣りするが、家族6人揃って楽しめれば行き先は二の次ではある(^^)。

 この最中にあるメールのやり取りがあった。正直旅行の楽しさがかなり削がれてしまった感がある。もちろん先方はこちらが家族で旅行をしていることは知らないのだろうから仕方がないが、本来別の場所で体面して議論すべき内容だ。そういう意味で場を弁えて欲しいと思ったな。

2010年7月4日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 いつも稽古で利用している浜北体育館会議室が参議院議員選挙の期日前投票所となっていて借りられず、今日は浜北文化センター第2練習室が稽古会場。使い慣れないせいか…やっぱり体育館がいいなぁ。

 今日は
他屋さん欠席でやむなく僕が代役に入る。結果稽古中客席側から観る目が無くなる。一部の例外を除き、芝居はある一方向にいるお客さんに観ていただくもの。当然稽古中には“客席方向から観る視線”を意識しながら稽古しなければならない。演出が舞台上に入るということは稽古中の“客席方向から観る視線”が無くなってしまうことを意味する。スタッフ不足は深刻だ。我こそはという方、この日記を読んで「しゃーねーなぁ」と思った方、是非手伝ってください(切なる願い)。

 稽古の方は牛歩のごとく。思うように進まない。う〜ん、稽古の進め方とか、考え方変えんといかんのかもしれん。