keikoba日記

平成24年11月

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2012年11月15日(木)
合掌

 政治評論家三宅久之氏が逝去。母と同じ82歳だった。

 テレビの討論番組でお馴染み。積み重ねた政治記者・評論家の経験を基に分かりやすく論じる姿が印象的だった。もっとも田嶋陽子女史等とのバトルも、意見の違いはもちろんあったものの、多分にTV番組を盛り上げるための演出もあったらしいが。

 今年鬼籍に列した有名人・芸能人も多いが、下手げなそれらよりもショックが大きいニュースだ。

 ちょっと先に我がが歩いております。是非道中ご一緒させていただいて、いろいろお話を伺えたら息子としても嬉しいです。

 ご冥福をお祈りします。

2012年11月11日(日)
夢の島プロジェクト稽古…だったけど

 葬儀が終わって、矢継ぎ早の慣れぬことの応酬で疲労感たっぷり。終わってホッとして…。

 夕方ベッドに横になったらそのまま寝込んでしまった。代表が稽古に行けず、いや、行かず。失態だ。メンバーに申し訳ない。

2012年11月9日(金)
一つだけ言わせて

 昨日の通夜、そして今日の葬儀。喪主は親父だったが、実質喪主として動いた2日間。

 改めて葬式っておかしなイベントだと思った。愛する家族を亡くした遺族が一番忙しい。故人をゆっくり見送る余裕もなく、バタバタと走り回る。

 隣保の人たちも手伝ってくれるが、親戚って本来施主や遺族が個人と最後の時間を過ごせるように手伝うために早や早や集まるんじゃないのかなぁと思った。



 まぁ実際に親族が動き回るのは難しいのだろうけど、一つだけ言わせて。



 少なくとも足を引っ張るな! 酒飲み過ぎてくだ撒くな! 葬儀後疲れてる施主の家にあがりこんで酒飲むな! 



 ちなみに、葬儀社の担当の方から「喪主はどなたになりますか?」と聞かれた時に「自分がやります。」と答えた父。しかし通夜から葬儀までの間、食事の数の確認は基より、葬儀会場との打ち合わせ、果ては3度の喪主挨拶に至るまで息子に振ってきやがった。

 これまたどういうことだ? 納得いくように説明しておくれな。

2012年11月8日(木)
良い学習機会

 敢えて今日もHちゃんは学校に行かせた。Sクンは保育園を休ませたが昼間母の遺体の傍らでオモチャを広げて遊んでいた。子どもたちにとって日常的な、ごく普通の1日だったかもしれない。

 自宅出棺の時間になっても親戚の子たちと走り回って遊んでいた2人。
ところが葬儀場で通夜の一般会葬が始まってしばらく経った頃にHちゃんが突然号泣し始めた。訪れてくれた皆さんの様子を見て、“おばあちゃんの死”を実感したようだ。また、僕はに付き添って親父と共に葬儀場に泊まったのだが、自宅に帰ったSクンが家の中におばあちゃんがいないことに気がつき大泣きしたという。

 僕自身小1の時に祖父が亡くなったのだが、その時祖父の遺体や親族が泣いている姿を見て衝撃を受けた。あの時に自分に優しくしてくれた、愛する家族も死んでしまうんだということを理解できたのだと思う。Sクンはちょっと難しいかもしれないが、Hちゃんにとってはとっても良い学習機会になったのではなかろうか。

 今日、そして明日のことを忘れるなよ。

2012年11月7日(水)
家族水入らずの最後の夜

 日が変わった深夜1時過ぎに病院から電話があり家族揃って駆けつけた。家族が見守る中、医師の死亡宣告。



 
が亡くなった。



 
は若い頃(と言うか僕が子どもの頃)は地域の消費者グループ等で活発に活動していた人だった。友人、仲間も多く、本人は決して望んでいなくても頼りにされてリーダー格の役職を歴任した、人望のある人だった。また、家族に対してはいつも深い愛情をそそいでくれた。仕事(内職やパート)や活動があっても決して家の事を疎かにしなかった。食卓にはおいしそうな料理が並び、家族が住みやすいように常に家の中をキレイにしてくれていた。「いつお客さまが来ても困らぬように。」がの口癖で、特に台所とトイレ、玄関の掃除は入念だった。

 10数年前に本人の意志はもちろん、運命とも異なる理由により身体を壊して障害を持つ身となってからは入退院を繰り返すようになった。活動にも参加できなくなり、家事も思うようにはできなくなった。
としては無念な歳月だったであろうが、そんな中でもできる範囲で家事を担い、孫たちの世話も嬉しそうにしてくれた。ただ今3月に脳梗塞を患い寝たきりになったため病院に入院し、結局そのまま家に帰ることなく今日となった。その最後を家で迎えさせてやれなくてホントに申し訳なく思う。



 家族で相談し、敢えて通夜は明日、葬儀は明後日とした。今夜はゆっくり我が家で寝かせてやりたかった。また、葬儀となれば家族は右往左往することになる。家族水入らずで一晩ゆっくり過ごしたかったのだ。



 
が家にいた頃と同じように、HちゃんSクンが寝る前に「おやすみなさい。ありがとうございました。また明日。」と挨拶する。10数年に及ぶ療養中、病や服用する薬の関係で酒が飲めなかった。今夜は枕元に開けた缶ビールを置き、枕元に座ってと飲む。久々の酒、旨い?

2012年11月5日(月)
まずは反省を

 週刊朝日が掲載した橋下大阪市長の出自についての連載記事について、橋下大阪市長が抗議、謝罪を求めたことに対し、週刊朝日が連載中止、謝罪することになった。

 それを報じる新聞記事で「権力とマスメディア 問われる距離感」と書かれた見出しに大いに疑問を持った。これではまるで橋下大阪市長が自分に不利なネタを権力を使って封じ、「言論の自由」「報道の自由」が損なわれたような印象を受けてしまう。問題になったのは週刊朝日の記事によって橋下大阪市長とその親族のプライバシーや人権が損なわれたことであり、その責は一方的に週刊朝日側にある。決して橋下大阪市長は至極全うな抗議をしたまでで、権力を使って封じたのではない。逆に言えば橋下大阪市長だから抗議できたわけで、一般市民であれば抗議する機会もなく泣き寝入りするしかないのが現実なのだ。

 それなの抗議したことを半ば批判するような見出しを掲げたことで、マスコミが報道による人権侵害に対して如何に鈍感かを示したと言える。もちろん「言論の自由」「報道の自由」は大切だが、だからと言って個人の人権が侵害されるようなことがあってはならない。橋下大阪市長本人はその立場により一定程度はやむを得ない面はあるかもしれないが、橋下大阪市長の家族や親族には関係のない話しであり、わずかであってもその人権が侵害されてはならないのだ。これはマスコミに課せられた“義務”と言える。「言論の自由」「報道の自由」とは、その“義務”が果たされた上で初めて与えられるものだ。

 それでも同じ論調を展開するのであれば、全てのマスコミ関係者、少なくとも各マスコミの幹部及びテレビ等で視聴者の前に顔を晒す関係者の出自を全て明らかにせよ。我が身はさて置き、他人の批判ばかり行うのは卑怯者の所業である。

2012年11月2日(金)
不毛な話

 人間の目で裁く以上程度の差こそあれ、必ずと言っていいくらいに「誤審」は起こる。もちろん自分が応援するチームに不利な誤審があれば面白くない気持ちも良く分かる。ゆえに加藤の次打席で大ブーイングが起きたのも理解できる。

 しかし
長野へのデッドボールで拍手をした日ハムファンは、スポーツ好きとして絶対に許すことはできない。自チームへの盲目的な応援は見苦しいだけである(某Jリーグクラブサポーターしかり)。加藤に対して「当たってないのに正直に言わないのはスポーツマン精神に反する。」との批判があるようだが、何をかいわんや、今時高校球児だって馬鹿正直に申し出たりはしない。逆の立場だったら、正直に申し出ない日ハムの選手を批判したか? おそらく拍手して出塁を喜び、巨人投手の退場にほくそ笑んだはずだ。増してやプロ、勝負師である以上、サッカーで言うところのマリーシア(ズル賢さ?)は多少あってしかるべき。批判するのであれば見抜けずに誤審をした球審にするべきなのだ。

 背中やお尻ならともかく、
長野のデッドボールは膝の辺り、怪我の可能性もある。出塁する側ならともかく、あそこで拍手をした日ハムファンは、スポーツを観る資格はない。

2012年11月1日(木)
何故に放送なし?

 フットサルW杯。本日日本代表のグループリーグ初戦。

 日本vsブラジル戦のLIVE放送はスカパーで。それ以外は約1時間半遅れでフジテレビ系列で放送…のはず…なのに。

 何故に放送しない! 決してゴールデンタイムでもないのに。反省しろっ!テレビ静岡!!

 サッカー処静岡で、5人制(フットサル)とは言え、有料放送でしかW杯を観られない夜…。マスコミには自分の力で盛り上げるくらいの気力を持って欲しいもんだ。



 ま、エスパルスの経営を放り出したテレビ静岡だからしゃーないか?