keikoba日記

平成24年9月

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2012年9月30日(日)
本日の夢の島プロジェクト稽古は中止

 本日予定していた稽古は、台風17号接近に伴い各種警報が発令されていることから中止とします。

 役についているメンバーは台詞暗記を頑張るよーに。

 次回稽古は追って連絡します。

 みなさん、今夜はイタズラに外出しないようにね!

2012年9月16日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 B班の録音作業。読み稽古を録音したものをダビングして役者に配り、台詞暗記の一助にしようというもの。

 これだと台詞を覚えると同時に録音した時のスピードまで覚えてしまい、稽古中もそれが抜けなくて、結果テンポが悪い芝居になってしまうことが多くて、これまで避けていたやり方だった。しかしながら稽古回数が限られる
夢の島プロジェクト。さらには台詞暗記するにはなかなか厳しい世代が増えてきた(^^; そこで稽古中に芝居のテンポを構築するということをメンバー全員十分注意したうえで台詞暗記のみ使用することとして、今回採用することになった。

 本当はA班も同時に録音する予定だったのだが、諸事情により(呪いのせい?)目処がたたなくなったので今夜はB班のみ。
夢の島における技術系の大黒柱がっしーさんに久々顔を出してもらって作業を進めた。

 芝居は「台詞を覚えてからが本当の稽古」。それまでは基礎練と台本の世界観を掴むための読み稽古の繰り返しだ。



 さてさて、
夢の島プロジェクトでは一緒に活動してくれる仲間を求めています。

 役者、スタッフ問わず、経験や年齢も問いません。「演劇やりたいけど時間や場所がない、または合わない」とお思いの方、是非僕たちと一緒に演劇に触れてみませんか?

2012年9月10日(月)
脱・愚者

 しばらく前の静岡新聞に週末に東京の首相官邸周辺で行われている反原発デモについての特集があった。最初はデモを主導する活動家、次が即原発停止に反対する経済評論家だったのだが、その経済評論家の実に辛辣だった。趣旨は「デモの参加者からは、原発を止めた後足りなくなった電力をどうするのかと言う意見が出てこない。原発を止めた後のことを考えない反原発デモは“愚者の行進”に過ぎない。」と言うもの。

 基本的な考えは同じだから共感はしたのだが、さすがに“愚者の行進”は言いすぎだろーと思っていた。ら、やっぱり読者投稿欄に反論がいくつか載ったのだが、その中の一つに「原発ゼロは国民の総論。それを“愚者”とは何事か。原発を止めた後に足りなくなった電力をどうするのかを考えるのは議員や役人の仕事じゃないか!」と言うものだった。


 正直呆れた。デモの参加者を“愚者の行進”と呼ぶのは憚られたが、この投稿者ははっきりと“愚者”と呼ばねばならない。

 確かに原発問題は国家の、国民的な大きな問題だ。だからこそ、敢えて言えばこの問題を「原発ゼロ」だけに“矮小化”してはいけないのだ。そこに付随する廃炉の技術的な問題やいずれにしても必要になる核廃棄物の最終処分場問題、原発を止めた後の電力不足の問題、再生エネルギーの実用化問題など。そう、これは「必要なエネルギーを将来的にどうするか」という難問なのだ。自分の意見が通らぬことを「国民の意見を聞け!」と称して批判しておいて、どうにも答えが出せない難問を他人任せにする態度は正しく“愚者”だ。

 もちろん原発の安全性の問題も含めて、浅はかではなく、ちゃんとした国民的な議論が行われるようになって欲しいものだ。

2012年9月2日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 今日は稽古にならずに制作会議のような様相に。来年秋に予定していた4th Festa、それに向けて台本も決定していたのだが、どうやら不可能になってしまった。

 ジンクスもここまでくると“呪い”に近い。

 厄払いでもすっかなぁ。

 さて、4th Festa、どうすっかなぁ…。

2012年9月1日(土)
躾の絶好の機会を逃した親たち

 浜北区内にある天竜厚生会系列の保育園合同の保育フェスティバルに参加。今年は童謡コンサート。童謡と括りに捕らわれず、映画『となりのトトロ』の挿入歌『さんぽ』とか、『大きな古時計』とかが歌われて、とても楽しい時間を過ごすことができた。

 …で、ふつーならここで「良かったね」で終るところだが…。

 開演中かなりの人数の子どもが席を離れて出歩いていた。僕らはこの手のイベントのセオリーどおり前の方の席に座っていた(ふざけている他の子を視界にいれず舞台に集中させるため)のだが、その目の前をウロチョロ。途中「立ち上がって一緒に歌って踊りましょー!」のコーナーの後から酷くなった。コーナー終りに「お席に着いてお歌を聞きましょう!」の声も効果なし。最前列まで自分の子どもを連れに来る親は極々少数。

 「わたしたちも行っていい?」というHちゃんに「絶対ダメ!」と即答し、「舞台前にいる子を見てごらん。お席に着いて見ている人にはジャマでしょう? あの子たちはみんなに迷惑をかけてるんだよ。」と諭した。が、僕たちの前の席に座っていた母親は娘がフラフラ席を離れていくのを笑顔で見送るのみ。説得力の欠片もない。

 保育フェスティバルというとイベント的要素が強いが、やはりこれも教育の一貫。演劇、コンサート等々、劇場でのマナーを子どもに教えるにはこの上ない機会だ。席を離れて出歩いていた子たちは、その貴重な機会を失したことになる(一度だけ保護者会役員が席に戻るように促しに来たが)。

 そしてもっとも失望したのが、あの子たちを自席に連れ戻し、マナーを教えることができない親たちだ。舞台前でウロチョロしていたあの子たちの数だけ我が子に躾ができない親がいる。いじめ問題等で学校が批判されることが多いが、自分の子に人として基本的な躾ができない親があれだけいるんじゃ、批判される学校側の信条は察して余りある。

 国だ学校だに文句を言う前に己の子供をしっかり躾なくてはならない。それができぬうちに他人に文句を言う資格はない。己の子供がどれだけ他人に迷惑をかけ、不快な想いをさせているか、ちゃんと顧みなくてはならない。