keikoba日記

平成24年7月

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2012年7月25日(水)
正義者面してはいけない、君たちは当事者だ

 大津市の虐めによる自殺事件で、やっと重い腰を上げて本格的に調査を始めた学校と教育委員会。学校は学校で事件を防げなかった事実と、その後の対応の不味さを真摯に反省する必要がある。

 それはさておき、学校の調査に対して生徒の一部が応じる気がないと言っているニュース報道があった。何故?と思い、インタビューを受けている生徒たちの発言を聞いて暗澹たる気持ちになった。曰く「事件を防げず、誤魔化すことしかしていない先生たちは信頼できない。どうせ意味がないから協力しない。」とのこと。

 先に述べたとおり先生たちも深い反省をする必要がある。が、何故そんな第三者で関係ないようなコメントができるのだ? インタビューを受けた生徒が事件の被害者、加害者たちと同学年、同クラスかは分からないが、君たちが通っている学校で起きたことじゃないか。確かに君たちは虐めをしていた少年たちのように「暴行」や「脅迫」や「自殺教唆」やあれやこれやと犯罪行為をしたわけではないかもしれない。しかし、そうした犯罪行為が起きていることをしっていたんだよね? 自殺した友だちが苦しんでいたことを知っていたんだよね? それを何故誰かに告げなかったのか、学校の先生が聞いてくれないのなら自分の親に告げることもできたはずだ(もし告げていたとすれば、学校はもちろんだが他の親たちが知り得ても表沙汰にはならなかったという恐ろしい現実があったことになる)。
 確かにもし先生に“告げ口”したことが虐めていた少年たちに知れたら今度は自分が何をされるのか分からない、今度は自分が虐めの対象になるかもしれないと怖くなる気持ちはよく分かる(その段階で少年たちの存在は社会生活の中での暴力団に近いものになっている)。しかし、
自殺した被害者は悩みを誰にも相談できず、誰にも救いを求めることができずに自ら死んでいった。彼にとって“傍観者”たちは自分の側に立っているのではなく、“虐めている側”にいる者たちだ。彼にとって君たちは虐めていた少年たちと同じく“恐怖の対象”だったのかもしれない。

 前にも書いたが、人間社会には多かれ少なかれ“虐め”が存在する。だからこそ、君たちは“傍観者”にならないように努めなければならないし、ましてや“正義者面”して他人を批判していてはいけない。君たちは“当事者”なのだ。自殺した友だちの死を無駄にせぬよう、君たちは彼の死から多くのことを学ばなければならない。学べる貴重な場に今君たちはいるのだ。

2012年7月22日(日)
夢の島プロジェクト稽古

 今回は久々稽古にゆーさんが顏を出してくれた。言うのを忘れていたが、3rd Festa出演後に劇団からっかぜに活動の軸足を移すことになった。

 夢の島プロジェクト「非劇団系生涯学習推進志向レクリエーション的演劇活動体」。様々な事情で演劇活動ができない人がメインターゲットだが、他劇団に所属しつつ更なる稽古場所や交流を持ちたいという人にも門戸を開けていた。単発での参加を除き、残念ながらこれまでその形で参加してくれた人はいなかったが、図らずもゆーさんがその第一号になったわけだ。活動の軸足がからっかぜゆえそちらの活動が最優先(逆に夢の島が軸足の我々は当然夢の島を優先させる形になる)。仕事も多忙なのでなかなか稽古に参加できなかったが、時間が合いさえすればこうして馳せ参じてくれる。嬉しいよね。

 そんなわけで、他劇団に所属されている方も歓迎です。是非一緒に稽古をして芝居を楽しみましょう!



 さて、昨夜の稽古は前回に引き続きB班の読み稽古。上手く読むとか面白く読むとかではなく、芝居の世界観を掴むことを重点に。まずは台本に書かれた世界観をしっかり掴んだ上で役創りをする。芝居に出てくるキャラクターは間違いなく台本に書かれた芝居の世界の中で生きている。そこをちゃんと押さえておかないと役創りが明後日の方を向いてしまうこともある。特にB班の台本はある意味ファンタジー物。不自然な芝居にならないようにしっかり世界観を掴んでいこう。

 A班は遅れ気味かな? ちょっと心配(^^;

2012年7月20日(金)
相手の気持ちになって考える、自分がされて嫌なことはしない

 今回の事件で加害者とされる少年の親が、事件直後の保護者会の会場で「ウチの子はいじめていない、プロレスごっこをしただけ」「自殺したのはその少年の勝手」「犯人扱いをされてウチの子こそ被害者」「これでウチの子が自殺でもしたら学校とここにいる皆さんの責任」と言い放ったそうである。

 いじめに遭って自殺した子はその子の勝手であって、ウチの子が自殺したら学校と他の保護者の責任…と言うのはえらく矛盾に満ちた言い草であって、内心思っていたとしても堂々と胸を張って言うことでもなかろうにと思う。

 ただ100歩、いや、200歩300歩譲ってその主張どおり、加害者とされる少年側には虐めている認識はなかったとしよう。だとしたらその親は別に認識すべきことがある。

 「あなたの子どもは、その言動によって相手がどんな嫌な想いをするのかを感じる心が育っていなかった。それが躾られていなかったとすれば、それは親の責任である。」

 “相手の気持ちになって考える”、“自分がされて嫌なことはしない”というのは、人が社会生活をするうえで基本中の基本である。それを子どもに躾をするのは学校ではなく保護者の責務だ。今回事件が起きた中学校の先生からしてみれば「小学校に入学する前、遅くとも小学校年代のうちに躾ておいてくれよ…。」とボヤきたいに違いない。

 今一度言おう。100歩、いや、200歩300歩譲って「いじめていない」という主張は認めよう。しかし、だからと言って無罪放免ということにはならない。あなたの子どもの言動によって心が傷つき、実際に身体も傷つき、思い悩み、そして自ら命を絶った少年がいるのだ。その罪からは逃れられないのだ。



 そして同じく子の親である我々も心しなければならない。学校内で虐められている子がいれば、当然虐めている子もいる。我々の愛する子が虐められる可能性もあれば、同じだけ虐める側になる可能性もあるのだ。虐められてないか心配すると同時に、虐める側にならないようにしっかり躾をする責務がある。これは学校や教育委員会ではなく、我々親の仕事なのだ。

2012年7月17日(火)
言葉遊びはやめよう

 今回起きたことを「いじめ」という言葉で表現することが果たして妥当なのだろうか? 内容を聞く限りこれは学校内で起きた「暴行事件」であり「傷害事件」であり「脅迫事件」であり「自殺教唆事件」であり「名誉棄損事件」であり「人権蹂躙事件」である。つまり立派な刑法犯罪事件なのだ(犯罪に詳しい方ならばまだまだいろいろでてきそうだが)。

 なのに「いじめ」とひらがなで表現することで、そのイメージが和らげてしまっている。せめて漢字で「苛め」「虐め」と書けばまだ伝わり方が変わる。これは言葉遊びと言っても過言ではない。事実を報道する責任を負うマスコミとしては、これは責任の放棄と言わざるを得ない。

 窃盗事件を万引きと呼び、売春行為を援助交際と呼び、暴行、傷害、脅迫、強要等々をいじめと呼ぶ。そんなことをしていて問題が解決するわけがない。

 もう言葉遊びはやめよう。

2012年7月11日(水)
そろそろ認めちゃったら?

 またまた「いじめ」が原因の自殺が発生してしまった。亡くなった中2の男の子の心中は察して余りある。察した上でもう少し頑張って欲しかったと言うか、死ぬ気になったらもっと他にやりようがあっただろうにと思う。とにかく残念だ。

 
しかしマスコミ、親、学校、教育委員会の対応は過去のいじめ事件と全く同じだ。ひたすら徹底的に学校の責任を追及するマスコミと親、ひたすら責任回避する学校と教育委員会という具合だ。

 逆にマスコミ、保護者、学校を含めて、全ての国民に問いたい。「本当に学校内で“いじめ”がないと思ってるの? 信じてるの?」

 僕は残念ながらこの社会の中で“いじめ”が存在しない場所はないと考えている。「人が3人集まれば嫌いな奴ができる」という人間の織り成す社会。何らかのトラブルが起こるのは当たり前だ。さらにはいろいろな人間が集う場となればトラブルの種が多くなると同時にその種類も雑多となる。その中には今“いじめ”と称されているようなものも起きるだろう。「安心して通うためにも、学校は“いじめ”がないのが当たり前」という意見が如何に人間社会に合わないものかは、普通に社会生活をしている者にはちょっと考えれば理解できることなのだ。

 なのにいじめが起こったことの全てを学校の先生や教育委員会に問う世論と言うのは異常としか言いようがない。もちろん今回の事件における学校の対応はお粗末であることは間違いないし、十分に反省し改善して欲しいとは思うが、全ての責任を学校のみに押し付けるのはやはりおかしいことだ。

 あなたのあなたの会社、地域等々にも大なり小なりあるでしょ? で、実際にはそれを解消しようとはせず、傍観してるだけでしょ? 何故学校にだけ解消を求めるの?

 そろそろ認めちゃったら?

2012年7月8日(日)
夢の島プロジェクト稽古

  地元の納涼大会の会合があったため遅刻。メンバーにはあらかじめ「朗読」の練習テキストを渡しておいたのでそちらを練習していてもらう。

 朗読は前々から夢の島で芝居とともに力を入れていきたいと思っていたものの一つ(やってみたいと思ってるのは他にもぎょーさんあるのではあるが)。稽古回数が限られているためなかなか手が出せなかったものだ。

 最近になって稽古がない時のことを考えることが増えた。元々誰かが先生役になって教えるというより、みんなで勉強し合うスタイルの夢の島プロジェクト。稽古場だけで稽古していたら求めているものには追いつけないということもメンバーに浸透してきた。ならば注意する点なども書かれた練習テキストを配って稽古以外の時間にそれぞれ自主トレしてもらうのもいいなと考えた次第。遅れて稽古場に着いたらみんなテキストを黙読していて、中はシーンとしてた(^^;

 その後は台本を読み稽古。今後しばらくはメンバーを2班に分けてそれぞれ役を配して練習していく予定で、読んだのはB班(便宜上呼称)。20分強の短めではあるが役創りには苦労しそうな、挑戦しがいのある台本だ。最初からイメージを固定化することがないよう、でも大枠の共通イメージは持てるようにいくつか指摘。少しずつ次回Festaに向かって動き初めたな!

 さて、次回稽古は7月22日(日)午後7時30分から浜北体育館会議室です。まずは、見学がてら遊びにきてみませんか? お待ちしてます!