keikoba日記

平成25年10月

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2013年10月29日(火)
最初に始めたのはそちらさん
 日曜日に行われた静岡ダービー。敗戦によってジュビロはいよいよ首の皮一枚という状況になったのだが、試合中野どのタイミングでかは分からないが、エスパルスサポーターが「思い出と誹謗(ひぼう)中傷をありがとう」という横断幕を掲出したらしい。

 ちょっと待て。

 品のない最初にゲーフラ出しまくったのはどちらか。静岡ダービーに子どもを連れて行くことに躊躇させる原因をつくったのがどちらかは多くの純真なサッカーファンが知っている。

 J開幕当初、正確にはジュビロが昇格した2年目以降だが、どちらのホームスタジアムでも反対側のスタンドから観るエスパルスサポーターの応援はそれは美しいものだった。当時のエスパルスサポーターの中心は「シャペララウンジャ」という団体だったか。初めてダービーを観戦したのは小雨が降る日本平だったが、キックオフ前にポンチョを着込んだエスパルスサポーターがサンバのリズムに合わせて同じフリをするのを観て、敵ながら「凄ぇ…。」と感動したものだ。

 そして’96リーグ最終戦終了後、ホーム最終戦と言うことで場内1周するジュビロ選手に対してエスパルスサポーターから起きた「ジュビロ磐田」コール。反対にチャンピオンズファイナルに進出するエスパルスに対して何のエールも送らなかったジュビロサポーター(プログレッソって言ったっけ?)にはがっかりしたもの。あの時のエスパルスサポーターの姿がサッカー王国静岡に存在するクラブの本来あるべき姿だと思ったのだが…。

 エスパルスサポーターの中心が「ウルトラシミズ」なる集団に代わった時期からおかしくなってきた。挑発からジュビロを誹謗する横断幕が増えてきた。埼玉スタジアムで行われた天皇杯の準々決勝だったか、エスパルス側の応援席を埋め尽くすように掲出された「狙うは磐田の首一つ」と、その間に数本垣間見えた「菊池死ね」、「サックスブルー(実際にはアルファベットで書かれていたが失念)、バカがまとう青」等々のゲーフラには吐き気をもよおした。その後ダービーの度に下品になっていったのは承知の通り。もちろんそれに応えるような横断幕を出すようになった側も大いに反省すべきだが、熱い戦いが繰り返され、そして純真なサッカーファンが熱狂した静岡ダービーを下品な物に貶めたのはどちらだったのか。

 いや、どっちがどっちじゃない。“自チームを応援”するのはいいが、“相手チームを誹謗中傷”するのは絶対に許されない。そんなことをする者は“サッカーファン”ではない。
2013年10月23日(水)
それより先に
 「文部科学省は小学校の英語教育の開始時期を現行の5年生から3年生に引き下げ、5年生からは正式な教科にする方針を決めた。
 現行では週1回の授業を、3、4年で週1〜2回、5、6年では週3回に増やす。世界で活躍する人材を育成するため、早い時期から、基礎的な英語力を身に着けさせるのが目的。2020年度をめどに全面実施をめざす。
 小学校の英語教育は11年度から、5、6年で週1回の外国語活動が必修化された。歌やゲームなどを通じて英語に親しむ内容で、読み書きはほとんど指導していない。英語が専門外の担任教諭が主に指導しており、質の確保が課題になっていた。
 政府の教育再生実行会議は今年5月、小学校で英語教育を始める学年の引き下げや教科化などを安倍首相に提言。これを受け、同省内の検討チームが実施方法などをまとめた。」

 学力テストの話題は静岡県限定だったのかもしれないが、タイミングが良いのか悪いのか分からないニュースだ。現在の小学校で行われている英語教育がどのような物かは知らないが、僕らが中高で受けたような内容だったら実際の英会話には屁の役にもたたない。
 逆に「英語を通したコミュニケーション能力形成」を目指す物ならば、それは“国語教育”でも十分にできる。いや、今こそ国語教育に力を入れるべきだ。会話能力、文法能力も国語教育で養われる。さらに言えば現状算数(数学)、理科、社会でも、テスト等で問題文を読んでも何を問われているのかを理解できない子どもが増えているようだ。結局他の教科の学力低下も国語能力の低下が一因になっているわけだ。したがって学力低下に歯止めをかけるためにはまず国語能力を上げなければならない。そのためにはまず以って国語教育に力を入れるべきだと思うのだが。

 改革のための改革などしてもらっては困る。この段階で英語教育に力を入れようなどというのは何を考えているのか、頭の構造を除いてみたくなる。
2013年10月13日(日)
夢の島プロジェクト稽古
 今夜の稽古には久々に見学者キターーーッ!! さらにはメンバーに入ってくれたーーーっ!!

 新加入メンバーはハナちゃん実穂ちゃん以来だから約3年ぶり? ホントに久々に新しいメンバーを迎えることができて嬉しい限り。

 40代半ばの男性。「これまでやったことがない何かにチャレンジしてみたい。」とのことで、“生涯学習推進”に相応しい動機。演劇経験はまったくないとのことでえらく心配していたけど、どんなベテランも初めは初心者だからね。何より「活動を楽しみたい」という気持ちがあれば大丈夫。

 初めてのメンバーがいる時恒例、やり方、意義を説明しながらの基礎練と発声練習。そして体験の意味で現在稽古中の台本を読んでみる。既メンバーにとっては原点回帰の意味合いも兼ねて。最近ちょっと活動が煮詰まり気味だったから良い機会だったかも。

 新メンバーを迎えて、活動も新しい風が吹くといいなぁ。
2013年10月6日(日)
イベント準備に必要な「頭の中のシュミレーション」
 Sクンと一緒に市主催の『つみいしづかをつくろう』というイベントに参加。浜北区にある積み石塚古墳群が県指定史跡になったのを記念して、ワークショップ形式により参加した市民が1/2スケールの積み石塚を造るというもの。全3回の今日が3回目。今日はHちゃんも飛び入り参加する。ちなみに今日は『古墳まつり』も同時開催。積み石塚や近隣の古墳から出土した遺物の展示や古代をテーマにした弁当やスィーツの販売等が行われていた。

 午前中に完成させ、午後は完成を祝って、復元積石塚の前で墓前祭。ワークショップ参加者(主に子ども)が衣装を着て、当時の葬送を再現するというイベント。HちゃんSクンも衣装を着てご満悦。特にSクンは他の参加者が服のサイズが合わなくて四苦八苦する中で、ちょっと大きめ(^^)の衣装を着て大喜び。みんなに「一番似合ってるなー。」と言ってもらって得意満面。僕はと言うと、主催者が何処ぞから借りてきた当時の甲冑を着ることになった。「重いから体力ある人に。」ということらしい。



 ところが、鉄製ゆえ重いのはともかく「熱い」のにはマイッた。そう「暑い」のではなく「熱い」。午前中から陽の当たる場所に置かれていたようで持った際にお既にかなり熱い状況。イベントの最中も黒く塗られた甲冑の鉄の部分が直射日光を浴びてどんどん熱くなっていって、触れる肌が火傷しそうだった。

 イベントにと言えば、その墓前祭も衣装を着たはいいがどう動くのかは直前になって紙が分けられて簡単な口頭説明のみ。「えっ、リハーサルないの?」と思っているうちに本番が始まっちゃった。案の定ウチのに限らず子どもたちは何していいやら棒立ち。武官役の僕は後ろで立ってるだけなので小声で指示。Sクンには「隣のお兄ちゃん(小6くらい?)の真似しとけ。」と言ったが、手にした榊を捧げる際にひっくり返さずに葉っぱの方を古墳に向けて置いちゃった。教えられてないんだから仕方なし。
 巫女役(市の担当者)が供物を捧げた後に天に手を差し上げて「おーっ。」と声を出して祈る時に我々も一緒に声を出すことになっていたらしいのだが、事前にそこまで紙を読み込めるわけもなく、墓前祭最初の祈りのシーンでは巫女役以外誰も声を出さず。最後の祈りの時に巫女役の担当者が子どもたちの方を振り向いて「一緒に声を出してね。」と言ったので声を出したが、ウチの子たちに限らず参加した子どもたちは始終何が行われてるのか全く理解していなかった。というより自分が一体何の役をやっているのか分かっていなかったのではないか?

 市民参加型のイベント。せっかく行うのであればイベント自体がより効果的になるように、また、参加した市民のいい思い出となるようにしなければならない。一般の人、特に子どもが出演するイベントは、充分趣旨を説明したうえで最低2回はリハーサルやっておかないとスムーズに進まない。また、甲冑についても事前にスタッフが同じ状況下で試しに着てみておかないととんでもないことになる。

 イベントを企画するには事前に十分なシュミレーションが必要。実際にやれれば一番良いが、無理でも担当者の頭の中で何回もシュミレーションをしておかなければならない。僕の場合は夢の島プロジェクトのFestaでもそうだし、仕事や地域行事の担当になった時には必ず“実施プログラム”を作成する。分単位でイベントの進行を区切り、一つ一つのパートの担当は誰か、必要な物は何か、準備にどれくらいの時間と人が必要か、それ以外のスタッフはどう動くのか等、作成しながら頭の中でイベントをシュミレーションする。するとここでスタッフが手薄になるとか、ここは余るから先に飯食わそうとか問題点が見えてくる。その上で当日のみの参加者やスタッフには余計なことはそぎ落とした、その人のみのピンポイントの指示を出す。同時に担当者がバタバタと走り回ることはしない。一番分かっている担当は本部席等スタッフ振り向けば目に入る場所に常にいてアクシデントに備えなければならない。
 逆に言えばスムーズに進行するイベントでは担当者が一番暇になっているはず。そもそも担当が出演しちゃったのはいかがなものか。

 イベント運営の極意は「始まるまでは悲観的、始まったら楽観的」。事前にはこれでもかと思いを巡らし、重箱の隅をつつくような準備が必要なのだ。

 今日のイベント、僕が仕事で担当してたら今夜は悔しくて寝られないだろうな。