仏師、瑞雲の最新版法話 | 仏師、瑞雲の法話集 |
今日、神仏像を祭ったからといって、明日から急に運が良くなるものではありません。
「ももくり三年かき八年」という諺もあるように、何事にも時間が必要です。「神仏を祭る」という
良い種を人生の畑に植えれば、そして、汗水流して陰徳を育てれば、やがて花咲実成るのは
自然の道理です。仏教は自然の道理を教えているんです。神仏は日頃の行いを見ていらして
、いざ必要なときには必ずお導き下さるものです。人は生き様が大切で、仏像をお祀りするという
ことは、「神仏を敬い、心正しく道理にかなった生き方をする」ということを意味しております
から、現在置かれた環境で、神仏に見守られて懸命に仕事や立場に精を出せば、結果的に幸せに
なれるでしょう。悪くなるのは、無理な御願いをされたか、御願いしたことが叶ったのに、恩を忘れて
神仏を粗末にしてしまったとかいう場合が多いのです。
誰でも一度は神仏を祭ってみようと思った経験があるものです。「不遇」が縁になって信仰の道に
入る人も少なくありません。でも、なかなか神仏を祭れるものではありません。罪障が邪魔をして
幸福の種を頂けない場合と仏の教えや神仏への疑念があるとか、または、まだ神仏を祀れるような
年齢や魂の段階ではない場合が多いのです。
人は生まれたときから、ある程度は、この世において頂ける幸福、お金、子宝等は決まっております。
前世の行いと先祖の徳(例えば神仏を信仰した等)により、それに応じた運命の桝を与えられます。
神仏は信仰することにより、与えられた升からこぼれるくらいの福を下さるのです。神仏像に
家庭にあっては家内安全を祈り、社会にあっては開運や営業繁栄を祈ることは良いことです。
大事なことは、家内安全の功徳を頂けることで益々神仏への信仰を強く持とうという心願を、
商売が繁盛することで、広く社会に利益を還元して皆が幸せになるよう努力しようという心願を
持つことです。大義(心正しき心願)がなければいけません。
また、あの人は嫌いだから、上司は気に入らないから、彼氏に振られたからと言って
他人の不幸を望むような祈りはしてはなりません。これを「呪詛(じゅそ)」と言い、罪になるので気を
つけましょう。当方で仏像販売してもらったら以上のような点にきをつけましょう。
不思議と、お祭りした神仏がお婆さん、曾祖父さんが信仰していた神様と同じだったとよく聞きます。
神仏は因縁が有ってこそ、人を導くために来られるものです。一度お祭りした仏像は家族の一員
です。懇ろにお祭りすれば、神仏に好かれ、あなたの良き助っ人となるでしょう。
各宗派共通です。宗派が出きる前からいらした神仏像が殆どです。但し、各宗派の祖師は別です。
よく、人から「仏像彫刻は重労働でしょう?」と聞かれます。確かに
木の固まりから何十行程を経て、一体の仏像が生まれるので少々腕が痛くなったり
することも有りますが、むしろ、体からでる覇気のようなもの(私の場合は経力)
が弱まるような気がします。だからこそ、毎日、相当お経をあげてから仏像を彫ります。
ご縁が有って彫った仏像をお祭りした人々が神秘的感慨を受けられるのは、この経力
によるもので、彫った仏像が仏教の教えで充満していますから、木ではあるけれども、
その中に神仏の霊気が宿ることが出きるのです。
仏像は、信仰して功徳を授かりたい人の心正しい祈りと、彫る人(仏師)の清浄な
心で彫られた神仏の形に、神仏の霊気が加わり三位一体となったとき、
一体の真の仏像になります。この潤滑油が経力(お経の力)なんです。
また、仏像は彫る人(仏師)の魂の高さ(霊格)、人格、などによって、お下がり頂ける神霊の格が
違ってきます。霊格の高い仏師によって彫られた仏像は既に高い魂が入ってますが、簡単に手にいる
外国産の大量生産仏像などは高潔な魂も何もありません。僧侶に開眼供養してもらって神仏の魂に
降りてきてもらうことが必要です。当方は、このようなことを肝に銘じ仏像制作をしております。
仏師 松田瑞雲の略歴と仏像彫刻家
[[お問い合わせ][お見積もり][ご注文] [仏像開眼サービス案内][特定商取引法に基づく表記] Copyright 2009 Zuiun Matsuda. 無断転用禁止 各種木彫仏像彫刻の注文制作・修復承っております。 |
サイト概要 | ご注文方法 | お支払い方法 とお届け |
送料について | 返品・交換 について |
特定商取引法に基づく表記 |