2002年12月
12月31日 「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ」で検索してうちに来た方へ。 同志よ。 第二話は第一話のような超越電波(ほめてます)ではなく、ラブ風味コメディとしてふつうにおもしろかったね。 私もがんばらなきゃ、と思った。 「パレット文庫 ペンネームC」で検索して来た方へ。 私になにを求めているんですか? 「パレット文庫 落選」で来た方へ。 えーと……(汗) さて、読んだ本について。 あすか正太「総理大臣のえる! サジはなげられた!」角川スニーカー文庫 うわああ。なんじゃこりゃあ。 読み終わって時計を見たら28分しか経っていなかった。 こんなに早く読める本なんて久々に出会った。 とにかく軽い。 読んでいると脳のシワが減っていく気がする。 いままでの「のえる!」よりはるかにバカっぽい。1巻以上に極端だ。 3巻4巻の反動かな。 そういう部分が好きな人にはおすすめできる。 私は「うーん……」とか思った。 そもそもところどころ小説じゃないし……w さて、今年も終わります。 いろいろありました。 本当にいろいろあって、いろいろ思って。 一番痛感したのは、「言いたいことをちゃんと言わなきゃだめだ」ということでした。 相手にあわせて、自分の感じたこと考えたことを引っ込めても、ろくな結果にならないんだなあって。 いずれ我慢できなくなって爆発するだけだから。誰のためにもならない。 だから来年からは言いたいこと言います。 嫌なものは嫌だ、嫌いなものは嫌いだって。 私これから仕事に行くんですよ。 年越しでバイク便ですよ。 バイクの上で年を越します。二年乗りです。(言葉の意味が違います) 泣けます。 しかも何か降るそうではありませんか。 泣けてきます。 かならずこの経験を小説に使ってやるぞ!!! それではみなさん、良いお年を。 |
12月29日 「パレット文庫 書評」で検索してうちに来た方へ。 書評おいてなくてごめんなさい。 でも、あれを読むのは、ちょっと……ごめん。 「YOMIURI PC」という本がある。 初心者向けというか、「パソコンは難しくてよくわからない」と思ってる熟年者向けのパソコン雑誌。 「OS」(基本ソフト)「フリーズ」(動かなくなること)などといちいち注釈があるのが新鮮。 私だってお世辞にも詳しいとはいえないのでひとごとではない。 ついこないだ「マックOSがそんなに安定してるっていうんならOSだけ買ってきて入れようかな」などと発言して場を凍り付かせたのは私です。バカでごめんよ。 この雑誌を読むことはあまりないんだけど、今週は興味深い記事がいくつかあったので買ってしまった。 11ページ、アメリカ・スタンフォード大学の教授ローレンス・レッシグ氏のインタビュー。 「ディズニーのやり口に代表される著作権の強化はごく一部の大企業を利するだけで創造性や変革を阻害する愚行だ。だが日本には同人誌マーケットがある。これこそ日本文化の多様性を示すものだ。アメリカのようにならないで欲しい」という趣旨。 勇気がわいてきた。 あと、65ページに書いてあった「65歳以上の人の17パーセントがパソコンを使っている」という記事も興味深かった。 そういえばパソコン売り場で爺さんを見かけることも結構多い。婆さんは見たことないけど。 年寄りだからわかるまい、というのはもう偏見だね。 そんなことを思わないようにしよう。 すごいパワーユーザーの爺さんとかいるかもしれないなー。どっかの雑誌でとりあげてくれないかなあ。 で、一番おもしろかったのは112ページの、小説家・高村薫氏のインタビューだ。 「ずっとワープロ専用機を使って書いてきたが生産中止だという。これからはパソコンに切り替えなければいけないわけだが、専用機に比べると字が汚くて、何千時間もこれで文章を書くなど想像もできない」という衝撃的な言葉が。 いまでも某出版社Sにはワープロ専用機が置いてあるんだけど、やっぱり根強いファンがいるんだね。 私は専用機を使ったことが一度もない。10年以上前からずっとパソコンだ。 だから、この字を汚いと感じたことがないな。 いや、見比べても私にはわからないかもしれない。 高村氏は「本を出すときは活字選びから始める」「日本語の活字そのものを愛している」「微妙な活字の形を大切にして欲しい」という人らしいから。 それからネットで作品発表することへの否定論なども、「こういう考えもあるのか」と関心ながら読んだ。 自分とまったく違う感性と考えにふれることができてよかった。 ただ、「パソコンは脳を使わず想像せず、反射だけで動く人間を作る」という根拠不明な発言(パソコン脳ですかw)には、やっぱり首を傾げるけど。 |
12月28日 更新サボってゴメン。 話題いち。 スゲエぜ! すたじおみりす!!!!!(リンク先のサイト内に若干の18禁画像あり。ご注意ください) 前回の「委員長」での約束を果たしてくれたか。 話題に。 本の感想。 新井輝「恋愛極刑ハイスクール1 ソレデモ僕ラハ恋ヲスル」ファミ通文庫。 OFF会でいただいた本です。 うーん。 変。 とにかく全てが唐突。唐突に状況が変化し、唐突に真相が明かされ、唐突に主人公が決心し、そして唐突に小説の種類が変わる。 なんといっても、最後のが問題だ。タイトルから想像されるようなラブコメ(ラブとはちょっと違うけど)路線が全体の8割まで続いている。 最後の2割が全然違う話。で、つなぎの部分がない。 例えばだ。 主人公は内気な少年。ある日彼は少女に恋をする。いろいろ悩んだあげくに告白して、さあ彼女の返事は…… (ここまでで200ページ) と、そのとき悪の宇宙人が地球に攻めて来た! 軍の奮闘もむなしく、人類の半数が死亡。生き残った少年は少女の亡骸を抱き、復讐を決意する。彼は宇宙人の死体と自らの肉体を融合させて超人戦士となった! 死闘が今始まった!! (残り50ページでこれをやります) などという小説があったとしよう。 これっていくらなんでもページ配分がおかしいよね。 こういう話ではないけど、これと同じような感じで変。 つまらなくはないと思うんだけど。 冒頭からは想像もできない意外な展開! といえば聞こえはいいけど、これはそういうのとはちょっと違うよね。 どっちを書きたいのか全然わからない。残り50ページの分を気合い入れてもっと書き込むか、いっそなしにした方がいいと思うよ。 吉田直「トリニティ・ブラッド ROM4 聖女の烙印」角川スニーカー文庫 このシリーズは、連作短編「RAM」(過去の話)と長編「ROM」(現在の話)によって構成される。 どちらが本編でどちらが外伝というわけではない。 両方とも本編だ。 たぶん初めて読む人は混乱する。 案の定、OFF会では混乱を招いた。 これはやっぱり失敗だよ。 ひとつ、今まで見落としていた長所に気づいた。 こういう「超人同士のバトルを描いた作品」には大きな問題点があるんだ。 銃弾をよけられる奴とか100対1で勝てる奴とか、それよりもっと強い奴とか、そんなのばっかり出してしまうと、常人の出番がなくなる。 いてもいなくても同じで、「ハア、あんたらバケモンだけで勝手にやれば?」になってしまう。 ところがこのシリーズは、その問題を克服している。常人がたくさんいて、ちゃんと活躍して、物語の上で意味を持ってる。 直接戦闘だけでなく、情報の入手と解釈、人心の操作、有利な状況づくり、といった戦略レベルの戦いをも描いているからだろう。 これは大したものだと思ったよ。 ただ前作ROM3のあとにこれだと、話がわき道にそれた気がするけど。 最後まで読んで、ヒロインのために必要な話だとわかったからいいか。 でも次から次へと新キャラ出して、ほんとに大丈夫なのか? |
12月25日 神の名の元に奪われた全ての命のために、黙祷。 私は別に反キリスト教運動家ではないけど。でも暗黒面は決して忘れない。 「キリスト教徒じゃないのにクリスマスを祝う日本人はおかしい」と思っていたけど、でもクリスマスを宗教無視の単なる商業的なお祭りにできるってのは実は凄いことなのかもしれない。 日本人はもう130年ばかり「白人になりたい! 西洋人になりたい!」と思い続け、ずっと西洋文化を輸入し続けてきた。わずかな中断があっただけだ。もはや「西洋文化にあこがれる」という事自体が日本の文化なのではないかと思うくらい。 でもキリスト教は受け入れなかった。 これはキリスト教の欺瞞性に気付いていたからであり、日本人の優秀性を示すものである、という意見もあるけど。 そこまで言っていいかどうかはともかく「なぜだろう?」と考えてみる必要はありそうだ。 小説にも使える。 地球帝国が銀河を征服するとき、軍事力で直接制圧するという方法しかとらなかったはずがない。 宗教や文化を使った侵略もやったはずなのだ。 だからいろいろ考えよう。 そういう侵略に強い状態弱い状態とはどんなものか、とか。 「恋愛極刑 創作」で検索してうちに来た方、「恋愛極刑ハイスクール」の二次創作がおいていなくてすいません。 っていうかまだ全部読んでないんです。 さて、会社の某氏のリクエストにより、今日は愛について書かなければいけない。 ちょうどクリスマスだしな。 愛なんてものは本能が種族保存のために生み出したものにすぎない、という考えがある。 互いに守りあっていなければ滅んでしまう、だからそういうことをするようになったのだと。 しかし、だとすれば、対象を愛するが故に「破壊したくなる」ということが起こりうるのはなぜだろう。 いや、「独占したくなる」というだけでもおかしい。好きな人がずっと自分のそばにいて欲しいと思うのは自然なことだと思うけど、でも種族保存のことを考えたら、浮気をばんばんして、可能な限り多様な遺伝子を混ぜるべきなんだよ。愛という感情がそれを許さないというのであれば、「種族保存のための本能である」という説は怪しいな。 では愛という感情はなぜ生まれたのか。それって要するに何なのか。 どう思う? で終わらせるのは無責任だから、ちょっと書く。 想像力が暴走した状態なのではないか、と。 相手のことを100パーセント知った上で惚れる人なんて聞いたことがない。いわゆる恋愛以外の家族愛とか母性愛にしても、相手のことを「きっとこうに違いない」「こう思ってるに違いない」と想像して、決め付けることに他ならないと思うんだよね。 その想像力が、理性を超越してしまった状態のことをいってるのかなと。 なんかストーカー的迷惑愛の話をしているみたいだが。 ……このネタ難しいよ。 |
12月24日 「バイトでウィザード」で検索してうちに来た人が三人もいました。 もしかして人気あるんですか、あの小説。 その方たちへ。 ええと、「バイトでウィザード」の感想とか置いてなくてごめん。 買ってないんですよ。新人さんの作品はまず買ってみることにしていたんですが…… 来年から給料がドカンと下がるらしい。 ヒイイイ。 うそお、生活きついよ! などと泣きが入りそうになりながら仕事してたら、首都高の箱崎あたりですっ転んだ。 ステップ折れちゃったよー。手も痛い。分厚い防寒服が鎧になって怪我は打ち身のみ。 後続車がいなくてよかった。 つらいことばかりでなく良いこともあった。 「松戸才子まーち」第5話のネタを思いついたのだ。 アイディアではない。ネタだ。 メインのネタはもう決まってたんだけど、そこに導入するまでにべつのネタというかギャグが必要だなと思っていた。 それが今日、ひらめいた。 よし! これで書き始められる! あと15日しかないぜ! 締め切りは1月10日!!! 愛について書け、というお題をいただいた。 長くなりそうなんで明日書きます。 今日は短めで失礼。 |
12月23日 OFF会の写真せっかく撮ったのにアップし忘れた。 追加しておきます。 さて今日は横浜でバイク便をやっていた。 実は本読んでなくてネタがないんだよ。 OFF会で戴いた、新井輝「恋愛極刑ハイスクール1」が意外と良いと思うけど、まだ半分しか読んでないし。 萌えだけの話ではなく、萌えとギャグとシリアスがバランスよくなってるのかなと感じた。 っていうか、眼鏡っ娘が二人も出てくるのにそっち系の萌えはあまり強くない。 最後まで読んでからもう一回感想書く。 しかしOFF会での ペンC「これ、どういう話なんですか?」 某「ジョジョです。この前の奴は聖闘士星矢です」 っていうやりとりが気になって気になって。ジョジョなんですか? 閑話休題。 ある不思議な出来事について書こう。 10年ばかり前、高校生の私は図書室の常連だった。 ある日の放課後、私は銀英伝を読もうと図書室に入った。 すると、目的の棚の前では女子が三人ばかり座り込んで、本を開いてあれこれ説明したり、笑ったりしている。 よく見ると、その本というのはほかならぬ銀英伝ではないか。 おお女子も読んでるんだなあ、あそこに座られると困るんだけど、楽しそうにしてるからまあいいや。どくまで待ってよう。 などと思い、近くの椅子に腰を下ろした。 当然、彼女たちの会話は耳に入ってくる。 「ジークフリートくんとキルヒアイスさんが……」 え? 今なんていった? 「ここでジークフリート君が……」 「キルヒアイスさんの方が私好きだな」 ……は? そう。 彼女たちは、銀英伝の主要登場人物であり、一、二を争うほど人気のあるキャラクターでもある「ジークフリート・キルヒアイス」のことを、「ジークフリートさん」と「キルヒアイスさん」という、全く別の人間二人だと思っているのだ!!! そんなまさか。私は聞き耳を立てた。だが確かに言ってる!「ジークフリートさんとキルヒアイスさん」と! いったいどう読めばそんなふうに解釈できるんだ? 頭の中をハテナマークが飛び回る。 訊きたかった。だが訊けなかった。 彼女たちは去っていった。 待望の銀英伝を読みながら、私は「これがヤン提督の言う『価値観の多様性』というものか」と感慨にふけった。 いや、ちょっと違うと思う。 |
12月22日 これから、最新の日記はトップに載せることにする。 今日は待ちに待った2chライトノベル板OFF会・通称ペンCを囲む会。 交換・布教・紹介用の本を山ほど抱えて、いざ集合場所へ。 すでに何人かの姿が。 「どうもペンCですー」「おおーペンCだー」「はじめましてー」 自己紹介してちょっと雑談。 すると集合時刻はすぎてしまった。まだ10人しか来てない。のこり9人はどこに。 幹事さん、ケータイでネットにつないでメールと掲示板で連絡をとる。 そのかいあって残りの人達がぞろぞろやってくる。 ある出版社の編集さん(詳しくは書けない)という超ゲストまで!! 喫茶店の会議室に移動。 ほんとに机と黒板がある会議室なのでびびる。なんか真剣に討論しなければいけない気がして。 自己紹介の段階ではみんな緊張してるのかひかえめ。 でも、私が「いろいろ持ってきたんで、これをネタに語りましょう」といってカバン一冊分のライトノベルを机に並べたとたん、みんなヒートアップ! 「おれもこれを!」 「おれも持ってきた!」 「おれなんかこれを出しちゃう!」 「これはレアだ! 森岡浩之がナポレオンにいた頃のエロ小説!」 「あ、クビキリサイクル欲しかったんだよ!」 「なんで『バイトでウィザード』が三冊もあるんだよ!」 「面白いの?」 「いや普通につまらない。地雷ではない」 「っていうか、あの本タイトル嘘だよね。バイトでもウィザードでもない」 「ねえペンC、なんで六覇国伝、『エンジュのお嬢』だけないの?」 「『アニレオン!』が2セット集まったよ!」 「電撃HPが6冊もあるよ、しかも同じのが三組だよ、ぴぴるぴー!」 「誰だー! 米田入れたんは!」 「俺、あれ以来大森の推薦が……」 「みんな地雷スキーだなあ!!」 「いえ、私はお薦めしたくて持ってきました。ウィザーズ・ブレインとかフリーダとか」 「いやあフリーダはもっと直したほうが良いなあ」 「フリーダって宗教説話じゃないですか」 「シャドウプリム! ロケットおっぱい!」 「アンジュ・ガルディアンすごいよね。あの主人公の設定がよく富士見で許されたよね。あれは電撃だよね」 「つうか二巻のプロローグが凄いよね。死ぬんかい! って」 などということを2時間ばかり喋っていると、隣から苦情が来た。 うるさいって。 すいません、森岡氏のエロシーンを朗読したり、地雷がどうの撲殺がどうのとか、不穏すぎでした。 100冊を超える小説をみんなで分配して一次会はおわり。 居酒屋での二次会もまたすごかった。 私の「松戸才子まーち 1〜4話」「百年の手紙」をみんなに配り、感想をもらう。 鋭い意見が多数。 「百年の手紙」の感想。 「リンナがわをもっと書いて欲しい」「主人公の変化が急激過ぎる。もうワンクッション欲しい」「リンナの決断が納得できない。あれでは自殺と同じだ」「いじめられるのを女の子にして助言するのを男にするべきです。そのほうが萌えます」「手紙形式にこだわる必要はないのでは?」 「松戸才子まーち」の感想。 「台詞の書き分けができてなくて、誰が喋ってるのかわからなくなることがある」「ガンダムとかのオタクネタ入れすぎ」「なんで主人公は女にもてたいって言ってるのに目の前の才子になにもしないんだ?」 などなど。 うーんそう来たか。唸らされる。 編集さんの語る作家論も面白かった。 「えええ?」って耳を疑うようなことを言うのだが、よく聞いてみるとそれはそれで納得できる。 さすが編集さんは普通の読者とは作品の受け取り方が違うのだ、そう思った。 全部、楽しかった。 そして、「ペンCの再デビューを願って! ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」でしめられた。 み、みんな、ありがとう!! 頑張って書くぞ! まずは才子5話を! |
12月21日 EXノベルズってさあ、「エニックス(ENIX)」が出してるからEXなんだよね? ということはエニックスがスクウェアエニックスになったら……!!! そんなの本屋に置けないよ!! ……ごめん。 話題その2。 バイク便はデザイン関係の会社とかによく行く。 そういうところにはMacが置いてあることが多い。 なぜだろうと前から思っていた。 私は今までMacを使ったことがない。 多分これからも使わないだろう。エロゲーないし。 だが、なんで「Macって何が良いんだろう? 性能的にDOS/V機より明らかに劣ってるように見えるのに、どうして熱狂的なファンがいるのだろう? ウィンドウズとなにが違うんだ?」と不思議に思ってはいた。 そんな時、Macクリニックというサイトを見て、私は既視感をおぼえた。 とくに、「聴け、Macユーザーの悲痛な叫び」というコンテンツを読んだときそれは強くなった。 これを私はどこかでみた。この人達をずっと前から知ってる気がする。 そうだ、これはセガファンじゃないか!! 私は、 「ソニーは家電製品を作ってる。任天堂はおもちゃを作ってる。本当にゲーム機をつくってるのはセガだけなんだよ!!」 とか主張していた事がある。今はそんなこと思ってないが、一時期は本気だった。 「失敗しても失敗しても、次から次へと先進的な試みにチャレンジしていくその魂が好きだ。商売を捨ててでも、無限の未来へ突き進む唯一の会社だ」 とも言っていた。 そうだ、機械としての性能がどうこうではなく、ゲームの面白さとも別の次元で、セガの背後には他の会社にはない独特の精神性があると信じていた。 Macユーザーの人達もそんな感じで、美学や哲学がそこにあると感じて、それを応援したくて、だから使ってるのか。 で、いまは「古いユーザーを切り捨てている!」とか怒っている。「商業主義になってしまった」「Macはただの道具ではないのです」と言っている。 うわあ…… 今まで「よく分からない人達だなあ」と思っていたが、これからはもう思わない。 「ウィンドウズは専門の技術者が付きっ切りでないと使えません」とまで言われると、「この人が言ってるのは私が今使ってるウィンドウズと本当に同じものか?」と不安に駆られるけど。それとも「使う」という言葉の次元が違うのかな。彼の言う「使う」は「限界まで使う」という意味だとか。 話題その3。 小川一水「強救戦艦メデューシン 上」ソノラマ文庫 を読んだ。 従軍看護婦の話だ。 戦争にかりたてられる看護婦さんたち。 その任務は、戦場に突入して負傷者を救護すること。 激戦の中で数え切れないほどの死に立ち向かい、救っていく。 しかしそこには矛盾がある。兵士を救えば、その兵士は人を殺す。 本人だって、治した次の日には戦闘で死ぬかも。 そんな矛盾にぶつかってのりこえていく話だ。 戦争のグロテスクさの前では、敵も味方も人間であるという看護婦魂など空論に過ぎないのか? いや…… みたいな。 飢餓の描き方が真に迫っていた。 人間は動物である。よって食わねば死ぬ。可愛い絵柄で描かれた看護婦さんたちも当然そうである。 そうだよな。 太平洋戦争では敵の攻撃で死んだ日本兵より飢餓で死んだ日本兵のほうがずっと多いんだもんな。 人間とはかくももろいものか、そう思った。 今年の小川一水は大活躍だったなあ。 話題その4。 明日は2chライトノベル板OFF会・通称ペンCを囲む会だ。 行って、楽しんできます。 実は、OFF会に参加するのは初めてです。 |
12月19日 「サイゾー」という雑誌に江川達也氏が思想発表系の漫画を描いていてね。 教育とかについて語るらしいが。 今回は、 「褒める教育をやめろ! 『できたら褒める』教育をすると、褒められることばかり考えて、誰もいないところでは何もしない、自分の意思がない、自分の判断では何もできない人間になってしまうぞ! なんでも他人に決めてもらい、失敗したら全部他人のせいにする、そんな人間になってしまうぞ! それは犬の調教法であって人間の教育法ではない!」 とかいっててね…… これを読んで考え込んでしまったよ。 私は以前、「行動主義心理学」に衝撃を受けた。去年の八月の話だ。 とんでもない考えだ。 「成功したら報酬を与える。失敗したら罰を与える」 という「動物の調教と同じやり方」が人間にも通用する、人間だってこのやり方でものを覚えたり性格が変わったりするのだ、というものだ。 江川氏の主張はそれの正反対だね。 どちらも極端すぎて、なにか違う気がする。 彼は子供の教育の話をしているのかもしれないが、私はそうは受け取らなかった。 私は私の生き方を否定されたのだ。 「感想が来た。嬉しい。もっと頑張って小説書こう」とか、 「たくさん感想がもらえると嬉しいな」とか、 「こっちのほうが面白いといわれた。こっちの路線でやってみよう」とか、 つまり、 「他人から評価されたい」という動機で行動することを否定されたのだ。 (ペンC的には批判だって立派な評価である) ものを作る人間が「反応が欲しい。もっと! もっと!」と思うことは当然で、何の恥でもないと思っていた。 だが、私のそんな考えは他人の言いなりになってるだけで、責任逃れなのか? 今日ずっと考えたが結論は出なかった。 分からないまま終わるのは嫌なのでいずれなんとかする。 気分転換に、面白い小説を読もう。 小川一水「レインボウ・プラネット」EXノベルズ 田中芳樹「灼熱の竜騎兵」と同じ世界を舞台にした同時進行の話だ。 侵略手順の描き方がいいね。 それが人々にどう受け止められるかも描いて、というよりそっちがメインで。 この狡猾で効果的な侵略を見てしまうと、同じネタを書くのは相当覚悟がいる。 というわけで、「地球帝国がどこかの星に攻めてくる話」は当分書くの延期です。 あと、小川氏は田中芳樹とぜんぜん違うのが良く分かった。 文章、言い回し、キャラ、いろいろ似せようと努力してるんだけど、だからこそ譲れない違いが浮き彫りになった。 どこが違うのか? 小川氏は根本的なところで人間を信じている。 すべての人間を。 いっぽう田中芳樹は一部の人間を信じていない。 真の正義はこの世にないが、真の悪人はいると考えている。 |
12月18日 code:RNDさん、うちの書評を紹介してくださってありがとうございました。 code:RNDさんは小説家・秋口ぎぐる氏の友人である「POYA」さんのサイトで、スーパーファミコンソフト攻略サイトリンク集と、それからゲーム中心総合オタ日記が置いてあります。 さて本の感想。 西尾維新「サイコロジカル 下」講談社ノベルス とんでもなく現実離れした奴ばっかり出てくる、しかもすごく変な文章、それなのに普通に読めるのはなぜだろう、現実味が保たれているのはなぜだろう、と考えていて、やっと分かった。 この小説は、一人称であることを最大限利用している。 すべては主人公の内面というフィルターを通して描かれているから。 そのフィルターの描き方がすごく気合入ってるから。 とても深遠で、大層な背景を持つものとして描かれているから。 だから、地の文でえんえん繰り返される妙な理屈と抽象表現も「主人公の苦悩の深さをあらわす」「主人公の人間的複雑さをあらわす」ということで了解される。 これが三人称だったら、もっとずっとうざったい印象を受けていたと思う。 登場人物の設定に関しても、このフィルターはよく機能してる。 こういう世界もありうるかなって思わせてくれる。 で、全体的に言うと今までのシリーズで一番面白かった。しかけが二重三重でとても凝っていて。 キャラが立ってるのはいつものこと、会話が軽妙でいいのもいつものこと。 それに、もうひとつネジレが加わっている。 第一作「クビキリサイクル」を読んだときの、「途方もない深遠を覗き込んだような思い、人間の言語では表現し得ないものと接触したような思い」が蘇ってきた。 読んでるうちに、 「虐殺という虐殺を虐殺せよ」とか、 「十全です」とか、 「螺旋する」とか、 そういう意味不明な文章が自然に感じられるから不思議だ。 (眼鏡的にも良い) あと。 ……最後のあれが、ようするにどういうことか理解できなかった。恥ずかしいことに。 |
12月16日 えー、「LOOP王国」で検索して来た方、わが国へようこそ。 「ペンネームC」で検索して来た方、どうも私がペンネームCです。よろしく。 「裸 女性 尋問」で検索して来た方、ご期待に沿えるようなサイトじゃなくてすいません。 っていうかそんな単語でうちがヒットするとは驚きです。 などということが分かるのがアクセス解析か。楽しいな。 |
12月15日 眼鏡居酒屋・委員長三学期なんだけどね。 チケット、取れなかったよ…… 当日券もないってさ…… 原稿に専念せよと、そういうことか。 この悲しみを私は忘れん。 グラン・ワークショップに今回も行って来た。今回はリンクしちゃおう。 元スイス大使の村田さんという人の演説がぶっ飛んでいた。 「いろいろな国の指導者と会って分かったことは、真の指導者、現在の文明の問題点を克服しようという人はこの世界のどこにもいないということです。現代の文明が行き詰ることは天の摂理です。GDP経済主義を超え、物質文明から精神文明への移行をしなければいけないのです。足るを知ること、精神的豊かさや倫理を求める世の中に変わっていかなければいけないのです。その先頭を進むべきは、武士道とリサイクルを社会基盤とする精神文明・江戸時代を経験した日本です」 用語は違うかもしれないけどだいたいこんな感じ。 う、うーん。 精神文明と物質文明を分離するのは疑問を感じるなあ。 「物質的豊かさではなく精神的豊かさを求める社会」というのはどういうものだろう? 江戸時代? 江戸時代は江戸時代なりに物質的豊かさを求めていて、でも当時は身分制度もあったし科学技術も発達していなかったのでいろいろ物質面では限界があった。だからその代替行為というか紛らわすために精神的豊かさを持ち出した。それは人間の分を超えてるとか、生きてるうちはつらくても来世で幸せになれるとか。 そういう印象を受けるんだけどな。 もっと楽に、もっと広く、もっと綺麗に、もっと速く、もっと高く、もっと遠く、もっと、もっと、もっと…… 人間の欲望は果てしなくて、もしできるなら何でもやりたくて、いちどできると知ってしまったらできない状態にはもう耐えられない。 と、思う。 ただ、「物質的豊かさを求める方向が偏っている」人々はいる。 たとえばオタク。 家など家賃二万のアパートでいい。 食い物なんて餓死しなければそれでいい。 服なんて暑さ寒さをしのげて、町を歩いて捕まらないならなんでもいい。 でも、自分の趣味に関するものだけは欲しい。凄く欲しい。 年収百万しかなくて食い物は毎日パンの耳だけどパーフェクトグレードZガンダムを買ってしまうとか。 私も一時期そんな感じだった。 風呂に入る金がなくて台所で体洗って、電話もガスも止められて、飯も一日500円で、それでも本だけは買っていた(出版社の皆さんごめんなさい、ブックオフです)。 プラモデルや本は物質だけど、だから物質を求めてるんだけど、でも、ある意味ではこういう人達は「精神的豊かさを求める人達」に近い。 どんなに貧乏でもこれがあるから俺は幸せだ。 そこまで何かを愛せるのが精神的豊かさでなくてなんだ? オタクというより、もっと広い意味で「趣味人」としておくかな。 小説を書いて書いて、ひたすらそのレベルアップを人生の目標とする人達も、そのなかに含まれる。 というわけで、人類が趣味人の集団になれば文明は変革されます。 すくなくとも人口は減るし、100年単位で見れば環境破壊とか戦争も減るよ。 つうわけで私ペンCは人類総趣味人化計画を提案するものであります。 いや、村田氏はたぶん「みんなで人格を研鑽しあうことを理想とする社会」とかを考えてるんだとおもうけど、そういう人間が大多数を占める社会がありうるとは思えないんだよ。 宮台真司氏が前回同様飛ばしてくれた。 軽妙かつ挑戦的なハイテンションで。 最初は横文字の使いすぎでよく分からなかったけど途中でスイッチ入った。 いろいろ喋ったけど、一番印象に残ったのがこれ。 「皆さんに理解して欲しいのが、『表現』と『表出』は違うということ。 これはつまり愛国者と国粋主義者はぜんぜん違う、といってるのと同じ事で、ほら万歳突撃ってあるでしょう、それで死んで、死ぬこと自体が目的で、ああ俺は国のために死ねたっていう、でもそれは実は本人が幸せなだけで国の役になんか立ってない。玉音放送じゃないけど子々孫々の繁栄のためになにをすればいいのか、ということがない。そこまで考えるのが愛国者で、それはずーっと深く考えることだから死ぬより難しいことなんです。 別の例をあげると外交がそうです。バカ論壇は、『日本は言いたいことを言えばいい』とか言ってますが、もうダメですね。言いたいことを言うのは外交じゃない。外交は、自分が望む反応を相手から引き出すこと。その技術です。駆け引きです。 北朝鮮との交渉だって、5人を帰さなければ交渉の糸口がなくなることは分かりきっていたのに帰さなくて、案の定交渉ができなくなって、いまになって『困ったー!!』とか言ってる。死んだほうがいいと思います。 とまあ、思ったことを言ってすっきりした、とそれだけで終わる自己満足が表出、結果を考えて、目的があって、目的のための手段としてやるのが表現です。表現をしているつもりだけど実は表出でしかない、という人がみなさんのなかにもたくさんいるんじゃないでしょうか?」 むうう。 いろいろ唸った。 これは二重三重の意味で小説書きに使える。 読者を楽しませるという目的を決して忘れるな、作者の心などどうでもええわい、という戒めでもあるし。 そして、私が書きたい理想社会云々の物語にもつながる。 ああ俺は偉大な理想のためにやってるんだ、正しいんだ、ということに酔いしれて、その結果がどうなるのか、本当にそれが理想達成のためなのかろくに考えず突っ走る。 そういう人間は私の小説の中でも最終的に否定されてきたけど、でも私のなかに、「じゃあ、どうすればいいのか」という明確な代替案がない。あるべき姿がない。 だからダメなんだ。 それが、今日ずっと考えていて良く分かった。 正解とはいわずとも私なりの答えを出せるようにならないと。 西尾維新「サイコロジカル 上」講談社ノベルズ を読んだ。 ヘンな奴、超人、超天才しか出てこない話だ。 とても現実の日本を舞台にしているようには見えない。 このシリーズはずっとそう。 全員が異常だと基準がなくなるから凄いと感じられなくなる、という評はよく聞くし、私もそういうもんだと思ってた。 でもこの話は、変人超人のなかでも変ランクがいろいろあるので、「こいつはとくに変だ」と思える。 それがすごい。 ここまで屈折した文章で、それでも読むのが苦痛ではないってのも凄い。 小説自体の評については下巻を読んでから。 アクセス解析をつけてみた。 どこからリンクされてるのか気になって。 リンクされてるの見つけたらばんばん張り返すよー。 むう、「秋山瑞人の書評」から入ってる人がいる。 検索してたどりついたんかな。 書評はいま日記でやってるので、独立した作家別書評は今後更新する予定ないんです。 正月のうちに日記インデックスをもっと整理して、知りたい本をすぐ探せるようにするから待っててね。 12月22日の2chライトノベル板OFF会・通称ペンCを囲む会に続いて、来年になったらこのサイトのOFF会やろうかなって思ってます。 場所と、それから時期はいつごろがよいでしょうか? |
12月14日 今日はオフライン版LOOPの印刷をしていた。 紐で本を綴じてみたら「ゴミみたいで嫌です」と言われたので、今回はリボンで綴じる予定。 豪屋大介「A君(17)の戦争4 かがやけるまぼろし」富士見ファンタジア文庫 を読んだ。 「これまでの異世界戦争は全部主人公が書いてる小説だった!? いや、ちょっと違うな。いったいどこまでが本当のことなんだ?」みたいな話で、発表されたときは騒がれた。 A君スレッドによるとこんな感じで。
うん、面白そう。 なんで少年少女ばっかり出てくるんだろう? この世界におっさんとか爺さんはいないのか? という疑問が頭をよぎってならなかったが。 いきなり主人公が軍法会議みたいなものにかけられて「銃殺刑」とか言われた。 おいおいおいおい! すげえぜ今回のガンダムは!!! あと、まえまえから噂にはきいていたが、フレイがいい。 暗黒方面に暴走してくれることを期待。 |
12月12日 ああ! かわぐちかいじ「ジパング」がまたやった! 「ゲペルス宣伝相が」 ちがう! 彼の名前は「ゲッペルス」じゃない! 「ゲッベルス」!! 私も半年くらい前まで間違えていたことは秘密です。 「紳士遊戯」感想。 最後まで読んだ。 進むにしたがって、だんだん文章と台詞が不自然に、説明くさくなってくる。 有翼騎士団と一緒。 でも、まあ「おお! そうきたか! なーるほど!」という驚きは最後まで維持された。 一番の売り、強くて悪い奴に知力だけで立ち向かうかっこよさ、は描けてると思う。 深いとか、複雑だとか、そういう要素は全然ない。本当にない。だけど、爽快だった。 カッコイイ爺さんが好きな人におすすめ。 わが国の人口は6万人を超えました。 めでたい。みんなありがとう。 |
12月11日 古本屋に立ち寄ったら、 山本弘「サイバーナイト2 地球帝国の野望」角川スニーカー文庫 が売っていた。以前好きだった本で、また読んでみたいと思っていた。早速購入。 前作「サイバーナイト」で大冒険の末、異星人の超テクノロジーを手に入れて還って来た主人公たち。だがそのテクノロジーが、地球の野心に火をつけてしまった。再び全人類の中心となるため、地球はそのテクノロジーを独占し、他惑星の侵略を開始した……主人公たちはそれを阻止できるのか! みたいな話だ。 1994年に書かれた本。当時の私は大変楽しんで読んだ。 いま読んでも面白い。 どうしようもなくヘナチョコな挿絵が気になるけど(なんで前作のように吉冨さんではいけなかったんだ?)、でも内容は、宇宙戦争小説が描くべき全ての側面をバランスよくちゃんと描いている。 戦争が起こる背景が解説され、それを支持する人々、それに翻弄される人々が描かれ、それを忌避しながらも戦わざるを得ない人々が描かれる。戦争にかかわる星々の政治・経済・戦略が描かれる。地球軍の開発した機械生命体メタリフォームをはじめ、登場する全てのメカというかSF的ガジェットは詳細に解説される。読んでいてわくわくする。いくつかオリジナリティの光るアイディアもある。 主要登場人物は声高に苦悩を叫んだりはしない。地の文は彼らの心がどうなろうと静かに見守るだけ、同調してモノローグを垂れ流したりはしない。感情表現は控えめだ。でもちゃんとそれぞれ別々の考えがあるのがわかる。背景に存在する世界を圧倒してしまうほど強くはなく、埋もれてしまうほど弱くもない個性の描き方だ。微妙なバランスの上に成り立っている。 最後はいかにも山本弘らしい大仕掛け。 ネーミングがどうもかっこ悪いとか、いろいろ問題はあるけどね。 で、これを読んで私は唸った。 八年前、彼の小説は確かに面白かった。 で、今はどうだろう。 比較的最近書かれた「水色の髪のチャイカ」「戦慄のミレニアム」と比べてみると。 ああ。進歩してない。 どうしてだろう。 ちょうど94年って、彼が「と学会」の会長として活動を始めた頃だよな。 私は当時「宝島30」毎号読んでたから知ってる。 それ以来、彼は小説執筆よりも「と学会」の活動に情熱を傾けているように見える。 この間ずっと小説に専念していれば、偉大なSF作家になっていたかもしれないなあ…… もったいないなあ…… きっと楽しいんだろうね。正義の怒りを振りかざし、間違った本を粉砕するのは。 その楽しさに目覚めてしまったら、自分の中の弱い部分や無能さを直視して、それとえんえん戦いながら試行錯誤して小説を磨くことなんて、そんなのやってられなくなるのかな? ……怖いよな。 それが私の妄想であることを祈っている。 2ちゃんねるにいじられる楽しさに目覚めてしまったペンCとしては、恐ろしくて仕方ない。 「紳士遊戯」の感想はまた明日。 |
12月10日 やっぱり足とか背中とか痛い。でも思ったほどじゃないな。階段を上がれる。バイクにもまたがれる。 とかいって明日になったらもっと痛くなったりして。 そりゃ年寄りの証拠だ。 さて。2chライトノベル板OFF会・通称ペンCを囲む会についてだけど。 以下、リンク先より転載。
ということに決まりました。 酒の肴として盛大につつかれにいってきまーす。 まだ席に余裕がある感じというか、参加できるらしいですよ。 リアルペンCを問い詰めたい人、電撃とか富士見とかのライトノベル話がしたい人まってまーす! ……いまごろになってちょっと怖くなってきたペンCです。 また「ペンネームC撲滅委員会」が立ってしまいました。 でもネタがぜんぜんない模様です。 私はコテハン観察系スレッドには顔を出さないことにしてます。あそこにいる良く似た人達は私じゃないです。 本の感想。 赤城毅「紳士遊戯」光文社 まだ半分程度しか読んでないので第一感想ということで。 いい感じ。 同じ作者の「有翼騎士団」よりはるかにこなれている。 「有翼騎士団」は、とにかく「あらすじだと面白そうなのに、実際読んでみるとだれまくりの話」だった。 この人はこういう性格なのだ、とか、彼はこう思った、とかそういうことを全部地の文で解説しちゃう。 そのあとに、その解説をキャラが実演する、という感じだったんだ。 あるいは実演しない。解説があるだけ。 実際に行動をみせれば解説など必要ないと思うんだがなあ。 さらに、文章の調子がどこも同じ。大活劇のはずなのに読んでいて気分が盛り上がらなかった。 よく調べて書いてあるんだなあとは思ったけど。 で、今回の話では印象がだいぶ変わってる。 いまでも「登場人物の心を平板な調子で解説する」くせは変わってないのに。 この変化は何だろう。分析の価値あり。そう思った。 「極度に緩急のある文章」に慣れすぎてるから平板だと感じるだけ? うーん。そうかな。 気になる。 もりあがりがない、とか文章に重厚さがないとかは私も言われるからね。 まあとにかく、冴え渡る騙しの業に期待しつつ後半を読もう。 |
12月9日 目を覚ましたら、外は銀世界!!! いや、東京の場合は銀世界って言うほど立派なもんじゃないけど。銀っぽい灰世界。 というわけで、積雪のせいでバイクが走れず、電車で出勤した。 都心の雪は私の住んでるあたり(東京都町田市です)よりずっと少なかった。その後雪は溶け、走れるようになったが、バイクを持ってきてない以上どうしようもない。今日はずっと電車で荷物を運んでいた。 ああ、疲れた。 地下鉄ばかり乗っていた。 階段を駆け上るとかそんなことばかり。 もう足腰が痛くてかなわん。とくに股関節が。普段の運動不足がでるね。 当然、電車を降りてからもある程度は歩かなければいけない。実際には駆け足。 ああ、たった500メートルがこんなに遠い…… 「上半身はベスト・綿入りジャケット・セーター・シャツ・Tシャツ、下半身はオーバーパンツ・ズボン・ズボン下・下着」というバイク用の防寒装備だったため、もう汗だく。 我慢できなくなってオーバーパンツを脱いだら、中のズボンから湯気が立ち上った。これには仰天。 てなわけで、いい運動になりました。 昨日の日記について。 書いてるうちに気付けって感じだが、私の言ってる事は滅茶苦茶だな。 「ネットさえあれば本は要らない」という考えを前半では否定し、後半では肯定してる。 どっちだ? 今日ずっと考えて、分かった。 私は「優れているか否か」という客観評価(完全な客観評価なんて不可能だが、客観的であろうと努めることはできるし意義があるはずだ)と、「私にとって魅力的であるか否か」という主観評価をごっちゃにしてる。 前半の否定は客観評価で、後半の肯定は主観評価だ。 なんで主観評価が「ネットばんざい」なのかもわかった。 ものを書くうえでの喜びって「満足いくものが書けた喜び」「評価された喜び」の二つが主なものだよね。 優れた作品を書く上ではどちらも同じくらい大事だと思うけど、だから優劣なんてありゃしないんだけど、「私はどちらかというとこっちを求める」という傾向はあると思う。 私の心は、後者を求める気持ちに偏ってるんだ。 だから、ネットが紙の本より圧倒的に勝る点「反響がすぐに返ってくる」に魅了されるんだ。病み付きになってしまってるんだ。 これは重大な欠点でもあるんだろうな、と思った。 「自分ひとりでじっくり考えて書く」ことができなくなってるってことだから。 本の感想。 井上尚登「リスク」世界文化社 うーん。ちょっと期待はずれだった。題材の掘り下げが浅い。 短編はあんまり得意じゃなさそうだな、この人。 葛藤があるはずなのに、考えの大転換があるはずなのに、あっさり書かれすぎてるし。 え? え? それだけ? と何度も思った。 やっぱりこの人の小説と言えばデビュー作「TRY」だ。 「デビュー作が一番面白い」といわれるのは作家にとって辛いことかもしれないが。 そうだ、「リスク」には犬が出ないのも問題だ。 井上尚登といえば犬だろう。こんどの作品にはぜひ犬を。 |
12月8日 オフライン版LOOPの版下製作がようやく終わった。 紙の同人誌を作ることを楽しく感じなくなってずいぶんになる。 昨日書いた「ネットさえあれば本は要らない」なんてことは私は思ってない。 だが、本と同じくらいすばらしいものだとは思ってる。 用途が違うから完全に取って代わりはしないだろう。人間全員の脳にコンピュータが埋め込まれ、息をするように簡単にネットに繋げるようになったら、みんなネットに繋がってる状態が当たり前になったら違うのかもしれないが。 でも、本の一部、特に同人誌の代わりは十分に果たすよな。 ネットは作品発表の場所としてすばらしいと思ってる。 自分の書いたものが光の速さで世界に広がっていく。 誰が読んでくれるか分からない。誰が読んでくれる可能性もある。 刷った分だけしか読まれることがありえない同人誌にくらべ、その可能性は無限だ。 そう気付いてしまった。そのとき、「私はなぜ同人誌を作るのだろう」と疑問に思ってしまった。 そんな疑問を抱いたまま、もう1年以上になる。 最近では、「商業出版まで含めて、紙の本であることにどれだけ意味があるだろう」とすら思っている。 私はなぜプロの作家になりたいのか、電撃とかソノラマとかから自分の本を出したいと思っているのか。 それは「たくさんの人に読んでもらいたいと思ってるから」。 だったら私がやるべきことは、ほんとうにそれが目的なら、どうして「紙の本」にこだわる必要があるのか? ネット上でもいいじゃないか? アクセス数を増やせばいいじゃないか? げんに一日1500人が訪れる創作サイトがあるじゃないか? それって、たまに来る人まで含めたら1万人くらいは読者いるんじゃないか? 1万人ということは商業出版に匹敵するんじゃないか? 小説にかぎらなければ一日数万人が訪れるサイトだってある。 数万! たいがいの本の発行部数を上回る。 なぜ「ああなろう」ではなく「本を出そう」なのか? なんてことを、私は今日一日考えていた。 なぜなんだろう。 金が入るかどうかという違いか。 それで生活できなければダメだ、と思っているのか。 だとすれば、「なぜプロになりたいのか」という問いには「多くの人に読んで欲しいから」じゃなくて、別の答えが返ってこなきゃおかしい。その答えだったら筋が通らない。 今度から別の答えを返そう。 「小説を、仕事にしたい。だから金も欲しい。だから紙の本」って。 だが、やがて投げ銭システムのような、サイト管理者に金を送れるシステムが普及して、ネット上の物書きで生活できる人が現れたとき…… 私の考えはまた揺らぐだろう。 豪屋大介「A君(17)の戦争」富士見ファンタジア文庫の2と3を読んだ。 戦争の描き方がいい。 最小限の解説で「戦争ってなに?」「なぜやるの?」「戦争する上で忘れてはならないことは?」「やってはならないことは?」などが表現されている。 この作家さんは、分かりやすく物事を表現するのがうまいね。 稀有な才能だ。 本当にこの人が佐藤大輔と同一人物だというなら(作中で主張してることがかなり似てるし、その可能性は確かに高いけど)、この分かりやすさを佐藤名義作品のときにも少しは発揮して欲しい。 ただ、この小説って、いろいろな時代の戦争がごっちゃになってる気がする。 兵士の士気の源にしても、補給や統制のやりかたにしても、とれる作戦にしても、弓矢で戦ってた時代と機関銃や戦車がある時代ではぜんぜんちがうと思うんだが。 体調が悪いので今日はもう寝ます。 「まーち」第5話のおおまかな筋、というかネタを思いついた。 思いついたのはいいが、同人誌の印刷が先なのですぐには書けない。 ごめん。12月22日までには完成しそうにない。 |
12月7日 やい、ラ板の荒らし! ビーグル犬が嫌いになったらお前のせいだからな! すでに阪大は嫌いになりました。 (これはラ板で『阪大のアイドル』なる人が宣伝しまくって困ってることを皮肉ったギャグだったんですが、本当に阪大に通われてる方、そのほか思い入れのある方には失礼な冗談でした。12月9日0時40分訂正させていただきます) いろいろ本を買ってきた。 以前こうひんさんにおすすめされた加納朋子さんの本、「虹の家のアリス」(文芸春秋)、それから井上尚登の短編集「リスク」世界文化社、井上尚登の「TRY」(映画見に行くつもりだ。あの小説は面白いよ!)と読み比べてみたくて買った、赤城毅「紳士遊戯」光文社。 まだどれも読んでないけど…… 目の前には豪屋大介「A君(17)の戦争」の2から4までが積まれている。 こっちを先に消化だ。 2巻を半分まで読んだ。 ますます文章が悪乗りしてるなー。 キャラの言動で笑いを取るのは全然かまわない。設定が笑えるのもいい。 でも。 文そのものを楽屋ネタ全開、メタフィクション的ギャグ(登場人物と地の文が漫才する)にするのはなあ。 開き直って全部ギャグならこれが一番の手法なんだろうが、あくまでお笑いの部分はオブラート、というのがこの作品なんだろうから。 ね、笑えるでしょ? という作者の顔が見える。だから萎える。 でも全体としては面白いんだよね。 どう面白いかは2巻を最後まで読んでから書きます。 「ゲーム批評」を立ち読みした。 ゲームの売り上げって、この5年間で5200億円から2600億円になってたのか! 半減! 壊滅的事態だ。 いや驚いたね。 その理由を推測し、対策を検討していくのだが…… 「中古ショップが悪い」とか「不況だから」とかじゃなくて、 「インターネット上に、無料で楽しめるゲームあるいはゲーム的なものが多数あるから」 と推測してるのが興味深い。 2CHなど掲示板に書き込むことも、「無料で楽しめるゲームあるいはゲーム的なもの」の一部なんだそうだ。 分かる分かる。 私の場合、これはあてはまるな。 だからこそ、金を出してでもやりたがるものを……画期的な楽しみを与えるものを開発しなければいけないのだ、と結んでいる。 ってことは。 本の売り上げも落ちてるけど、ある意味ゲームより状況は楽なんだな。 「ネットさえあれば本はいりません」とか「本屋で売ってる小説よりサイトで無料公開されてる小説のほうが面白いです」なんていう人にはさすがにお目にかかったことがない。 いずれそういう時代も来るのか。 |
12月5日 犬に腰を振られた男・ペンネームCです。 実家の犬・エルと遊んでいたら、いきなりエルが私の体にしがみつき、腰を前後に振りはじめた。 はうー!? エルはメスなのに!? しかもまだ子供なのに!? っていうか、人間相手にそんな! どこで驚けばいいんだ!! こ、これはまさか眼鏡スレその2の
という書き込みがまずかったのかー!! 親に訊いてみたら、「本当に交尾したいと思ってなくても、犬は真似して遊ぶことがある。自分より格下の相手だと思われてるんだよ」と…… というわけで犬より下の男・ペンネームCです。 さて。 長谷敏司「天になき星々の群れ フリーダの世界」角川スニーカー文庫 を読み終わった。 私はいま。 この作品について語りたくて仕方がない。 だって。 12月3日の日記なんかで私が書いたのは、全くの杞憂だったから。 ああ、確かに理由そのものは明らかにされてない。 どうしてアリスは他の人間と違ってあくまで人を信じるのか、最初に持っていた考えを貫けるのか、それは分からない。 だが、その「わからないもの」を、可能な限り丹念に、多面的に描こうとしている。 宇宙の深淵を描くように。 ただ美しいものとしては描いてない。 自分の信念を貫こうとすることがどんなに苦しいことか、迷惑と不幸を撒き散らすか、それが恐ろしい結果を招くか、すべて余すところなく書いている。外側から、アリスの放つ光に心を焼かれた人々の側から描く。一人ではなく、たくさんの人の視点から描く。その全てを等価の真実として扱う。 だから説得力を持つ。理由がなくても本物っぽい。 そしてアリス自身もそれを分かっている。 考えて、分かって、その上で、やっている。 ある意味一番たちが悪い。 でも、心を焼かれてしまうひとびとの気持ちも、分かる。 世界を変える輝きのかけらだ、そう思う。 彼女は何の力を持っているわけでもない。 普通の人間が持ってる普通の考えを、普通ではない状況でも保ち続ける。それができるだけだ。 彼女はほんのちょっと我々より意思が強く、ほんのちょっと人を愛し、ほんのちょっと深くものを考えるだけなんだ。 だがそれは……わずかだけど絶対の差だ。 私のような人間が投げつける言葉など、すべて分かった上で言ってるんだ。 「お前の『人を殺さない』という考えのせいで人が死んだ。お前が殺したのと同じだ。」 これは麻生俊平「ザンヤルマの剣士」で、佐波木くんが遼に突きつけた弾劾の言葉だ。 だがアリスはこういわれても、「……そうですね」と受け入れた上で、それでも考えを変えないだろう。 そして他人にはその考えを決して強制しないだろう。 だったら私ごときに何が言える。 主人公の熱さにうたれて群集の心が変わっていく、というのは、よく描かれるシーンだ。 説得力を出すのが難しいシーンでもある。 独立した心を描くのも難しいが、心が別の心に伝わっていく過程を描くのはなお難しい。 こんなにうまく相手が考えを変えてくれるはずないよ。これは作者が、話の都合上そうしただけだよ。 そう思われてしまう。 キャラは作者が操ってるだけ。心なんてない。そう思われてしまう。 伝える相手が多数であればあるほど、本当っぽさを出すのは難しい。 でも。この作品は成功してる。 皮肉な読み方をすればいくらでもできるんだけど。そういう読み方しても面白いと思うけど。 素直に読めば……成功してる。 だから。 「人の心には本当に力があるんだ、頼む信じてくれ。」 私には、この物語がそう叫んでいるのがきこえた。 作者でもない登場人物でもない。作品そのものの声を私は訊いた。 こんな奇跡のような体験ができて、幸せだ。 そうだ。私はいま、自分に小説を読む趣味があることに感謝している。 もちろんアリスだけでなくて、もう一人の主人公であるフリーダもとても魅力的だ。 いや、切り離して考えるべきじゃないな。 物語・世界・登場人物、全てが一体となって調和しているから出せる凄さだ。 あと。この小説は名文の宝庫だ。 悔しく悔しくて仕方なかった。 これは私には書けない。これもだ! これも私の中からは出てこない!! なぜ書けないんだ!! そんなことを何度も何度も思って、歯軋りしながら読んだ。 とくに275ページ。 ああ。 ため息だけしか出てこない。 私が夢にまで見た、理想の小説だ。 眼鏡の扱いもイイ! (最後がこれでスマン) |
12月3日 2CH・ライトノベル板オフ会で恐ろしい企画が持ち上がっている模様。
実際に山犬。さんみたいなことをやっていただけたら私は嬉しいですが、私だけでは? まーちはもうアップしちゃったんですが、なにか別のものを考えましょうか。 あと20日じゃ書くの無理ですー。どーしましょー。既存の小説ならどうにか。 「フリーダの世界」は……今日はちょっとしか読めなかった。まだ中盤。 こういう話好きなんだけど、ほら私リヴァイアスとか好きだし、大好きなんだけど、でも、アリスがどうしてああいう風に人を信じ、世界を信じ、あくまでを人を殺すまいと、最後まで笑っていようと思えるのか、ピンとこないな。 だから、「凄いけど……フリーダの心が動くのは分かるけど……でも、どうなんだろう、不自然だ」と思う。 全部読んだらわかるのだろうか。 それとも、人間の行動や性格には必ず理由があるはずだという私の考えがまちがっているのだろうか? 「世界を人間を信じる心、それは何より強い」という話は私も以前書いた。 私は、「なぜ彼は信じることができたのか」という説得力のある理由を描くことができなかった。 だから、「とにかくそうなんです。そういう性格なんです。作者がそう設定したんです」になった。 最低だった。 だからこの作品はどうなのか気になる。 |
12月2日 今日はQ&Aです。 Q 「松戸才子まーち」第4話の「Cの福音」というのは「カレー」のCですか? A そうなんですけど、そもそも「Cの福音」という小説があるんです。 コカインを扱った犯罪小説です。それとこれのキャップでギャフンと言わせるのがタイトルの目的です。 Q 「百年の手紙」の『リンナ』というの名前は『くるくるりんね』から取ったんですか? A 残念ながら違います。 大槻ケンヂ(ケンジ)の「猫のリンナ」という歌からです。 というわけでケンジくんは大槻ケンジです。 Q じゃあ、『バントライン』でもいいんですか? A いや、そりゃさすがにヒロインの名前じゃないです。 Q ドルバッキーでもいいんですか? A 勘弁してください。あんなヒロイン嫌です。 Q 筋肉少女帯が好きなんですか? A はい。少し。 筋肉少女帯の歌はいい歌がたくさんありますが、歌詞が電波過ぎて、カラオケで歌うには向いてません。 とくに「銀河鉄道999」を歌った後に「レティクル座行き超特急」歌ったりすると場の雰囲気が大変なことになります。 (実験済み) Q 「天になき星々の群れ フリーダの世界」はどうでしたか? A まだ全部はよんでないんですよー。アリスの無垢さを作り話っぽく感じるかそれとも生身の人間として感じることができるか、というのが重要な点のような気がします。まだ半分くらいしか読んでないんですが、その限りではすごくうまくかけてるなあって思います。世界の裏と表の対比も良いです。嫉妬を感じます。 あとは、主人公の心が融けていく(のだろう、たぶん)過程に説得力があるかどうかですが…… 前作「楽園」はそのへんのパワーが凄かったので、期待してます。 あと、たとえ伊達でもあの眼鏡の生かし方はいいと思います。萌えというより、心がうずきます。 Q ドラゴンマガジンで龍皇杯の結果が出ました。どう思います? A とりあえず、ドラマガに眼鏡美人がまた一人増えてくれたことは嬉しいです。そりゃもう。 小説自体はまだ読んでないです。 「KASUMIぶれいくだうん」は結構笑えた(2CHでこの話をしたら正気を疑われました。とほほ)のですが、この話別にギャグじゃないみたいですからね、読んでみないと。 Q どうして唐突にQ&Aなんですか? A 対話形式の日記に切り替えようかなー? って思ってるのでその練習というか確認です。 なんかずいぶん長くなるんですね。困ったな。 Q 今日、コンビニでジャンプを立ち読みしながら震えてたのは何ですか? A 今週で打ち切られた「AON」というプロレス漫画があってですね。作者メッセージ欄に「ラストチャンスだったのにつまづいてばかり。このままじゃ終われません」と書いてあって。 そうか、この人は前にも10週かそこらで打ち切られてるからな。 これがラストチャンスか…… こないだこの漫画の中でやってた、夢を追うものの熱い独白と、この作者の言葉がダブってね。 いまこの人は、漫画家の道を諦めるかどうか苦悩してるところなのかなって。 そんなことを考えていたらなぜだか体が震えてきたんだ。 ひとごとじゃない。 頑張れ道元さん。ジャンプ以外にも漫画雑誌はいくらでもあるぞ。 私も頑張ろう。 まず「まーち」を電撃の締め切りまでに完結させよう。 これがなかなか難しそうなんだなー。 |
12月1日 やっと、「天才! 松戸才子まーち」第4話が完成した。 この作品は11月に内海さんと行ったカレーバトルがなければ有り得なかった。 ありがとう内海さん。 物凄い勢いでペンネームCを吊るし上げる会……じゃなかった、 2CH・ライトノベル板オフ会は続々と参加者が集まりつつある。 みんなどんな人なのか気になる。 でもまあ、きっといい人だよ。 私は以前、「会ってみると意外と普通なんですね。2CHのコテハンっていうからどんなに恐ろしい人かと」と言われてしまったことがあります。 たとえば、面と向かって「逝ってよし!」とか「オマエモナー!!」とか……? いるんですかそういう人。 まあそれはともかくとして。 参加者募集中です。 富士見とか電撃とかライトノベルの話題に興味のある方なら楽しくすごせると思います。 ブラウザをネットスケープ7.0に切り替えた。 とても快適だ。 デザインもカッコイイし。2CHとの相性も結構いい。 さらに、タグをしらなくてもサイトを作れるHTMLエディタが付いている! ホームページビルダーと同じような感じでサクサク作れる! いまそれ使って書いてるんだけど。 ああ、やっぱり楽! ついでにメールソフトもOEから変えようと思ったのだが、Edmax使ってもネットスケープメール使ってもエラーが出てしまって使えない。なぜだー! ペンCはネットをはじめてから(ということはウィンドウズを使い始めてから)丸々1年もの間、コピー&ペーストを知らなかった人間です。自分でも頭がどうかしてると思います。 ですから今回のエラーも何か途方もなく間の抜けたミスが原因と思われます。 さて、本の感想。 三木原慧一「クリムゾンバーニング5」中央公論新社 1000円。高い。ちょっと厚めだから仕方ないけど。 でも、その価値はあった。 このシリーズ、解説がやたら細かい、くどいのはなぜだと思っていた。 なにか兵器や部隊、戦術が出てくるたびに詳細な解説がドバーッと。 海戦ならともかく陸戦でこれだけ細かい数字が出てくるのはあまりみかけない。 だが最終巻まで読むと、これはこうでなければいけないのだということが良く分かる。 なんでこの状況がピンチなのか、どうしてこのときこのキャラクターはこうしたのか、あるいはこの状況でこう決断することがいかに勇気が要ったか…… いろいろ知らなければ分からないから。 話を盛り上げるために必要な知識であり、世界の空気を感じさせるための演出だったんだ。 で、それを踏まえたうえで読むと、そこにはあらゆる意味で人間くさい人達が、かなり紙一重な感じで人間くさい人達がいるのがわかる。 戦争に正義が一片もないことはそもそも前提。 ただ利益の追求があるだけだ。 そしてその戦争の中で使用される手段も、卑怯極まりない外道作戦の連続。 でも、それをやらざるを得ない人がいる。 大義ではなく、本人にとって大切なものを守るために。 どちら側の、どんな階級にも。 と、そういう感じのことが、あくまで行動で描かれてる。 こういう書き方なら、たとえ全文の8割が解説だったとしても(実際にはそんなに多くない。まあ5割かな)解説はあくまで手段でありこれは小説なのだ! と言い切れる。 他にも「波乱万丈というか、次から次へととんでもないことが起こる展開」も美点。 先が全然読めない。 というわけで、面白かったです。 でも第一部完だって…… 打ち切りではなく、ちゃんと続きは出ると書いてある。 本当であってくれ。 中断大王・佐藤大輔よりはずっとマシだけど三木原氏も作品を中断したことがあるので心配。 あとねー。 愛と皮肉が融合したところがとても強く印象に残った。 とくに某貴族氏のたどった末路は、「空挺部隊と書くより降下猟兵と書いたほうが100倍カッコイイ!!」と断言する私のような人間にとって……その、ねえ? 長谷敏司「天になき星々の群れ フリーダの世界」角川スニーカー文庫 かつて紹介した「戦略拠点32098 楽園」の作者の新作。 未来の宇宙、とある惑星にやってきた少女暗殺者の話。 文章の変な省略がなくなって、必要なすべての情報がちゃんと伝わってくるようになってるね。 まだ読み始めたばかりだけど、はやくもしんみり気分。期待できそう。 梅津信幸「あなたはコンピュータを理解していますか?」技術評論社 帯にこう書いてある。 「コンピュータは私たちのように考えてはいません。 コンピュータは私たちのように数えてはいません。 コンピュータは私たちのように判断してはいません。」 これは、人間の隣人であり召使であり、友でありペットであり、人類が初めて接触した異種知性でもある存在「コンピュータ」の心を描いた本だ。 コンピュータって何? データって何? プログラムって? なんで二進法を使うの? OSって何? なんでコンピュータは使うのが難しいの? などといったことを、たとえ話を駆使して分かりやすく説明した本。 すごく面白かった。 たとえば人間とコンピュータの間のインターフェイスに関する部分。 「コンピュータにとって、操作している私はなんでしょう。ふらふら飛び回る点(マウス)、たまに光る文字(キーボード)。コンピュータにとって人間とはそういうものです。顔も声もありません」 この一文を目にしたとき、興奮した。 世界が、この文を読む前とあとでは違って見える。わずかだけど確実に生まれた認識の変化。 あと、ユーモアのセンスも光る。 コンピュータの問題点指摘の章なんかとくにいい。 「100円入れると『この百円をジュースを買うために使いますか?』などと訊いてくる自販機はありません。しかしパソコンは訊いてきます。おまけにオレンジジュースのボタンを押したら『本当にオレンジジュースでよろしいですか?』『おつりを返却しますか?』とまで訊いてきます」 とか。 あと、 「コンピュータ関連の景気のいい話は、 『財布の大きさを5メートルにしたので、中の三千円が100万円になりました!』 という類の実に怪しい話が多いのです」 とか…… とにかく面白い解説書だった。 |