第六章 「輝くような笑顔で」
一
「なんだって」
ぼくは目の前の男をにらみつけた。
起きたばかりで顔も洗ってない。髪の毛もいじってない、だからひどい有様だろう。その上ぼくの眼は、たぶん血走っているはず。
でも、それどころじゃないんだ。
「それは本当か」
「本当です、キリアス様。アスト=プロペン社の事故の件で、被害隠しがあったことは確実です。それからエストラグ社の反粒子工場でも安全規定を大幅に上回るガンマ線が出ておりまして、労働者の被爆が著しいと。ああそれからグラム島をめぐるアステナ開発とプランケル総合住宅サービスの対立ですが、どうも衝突が起こったようでして、負傷者が続出しております。それとキリアス様が先日任命された、この件に関する調停役ですが、どうも公正さを欠いていたようでして、アステナ側から賄賂を受け取って完全に取り込まれてしまいました。ただちにこの者を処分することを提案いたします。それから……」
男は……そこそこ上等な仕立ての背広を着た男は、口から泡を吹きそうな勢いで喋り続けた。
彼の口から出てくるのは、どれもこれもトラブルの報告ばかりだ。
列車が事故を起こした。飛行機が、宇宙船が、地上車が事故を起こした。工場が爆発した。医療研究所から細菌がもれた。病院で手術ミスがあって患者が死亡した。賃金の引き上げをめぐって会社と労働者が対立し、鎮圧のため武力が使われてしまった。
ほんの半年前までは、こうじゃなかった。いや事故や対立がゼロってことはなかったけど、この十分の一もなかった。だから「嘘だ」と叫びたい。でも叫べない。この男は、ぼくがじきじきに面談して選んだ、専門家のうちの一人なんだから。星系領民の安全と治安に関する担当者なんだから。
「……そっちは?」
ぼくは眼をこすりながら、男のとなりにいるもう一人の男に問いかけた。やせ細った老人だ。額からねじれた角が生えている。
経済問題の専門家だ。
「一月前と比べ、経済状態の悪化がさらに拡大しています。倒産件数は一.八倍、星系全体での経済成長率はマイナス七パーセント、失業率は九パーセントで、半年前の三倍の数字です」
若い男、治安問題専門家が沈痛な面もちで言葉を継いだ。
「それだけではありません。そういった経済状況は治安問題にも影響を及ぼしています。犯罪の総発生件数は先月の十五パーセント増し、特に殺人などの凶悪犯罪は二十パーセント増しとなっています。明らかに、失業者が犯罪を起こしているのです」
「対策は!」
「民間の自警団に資金援助、教官派遣などを行いました。またわが領地の警備隊をパトロールさせることも実施しました。しかし……」
「それは先月もきいた。つまり効果はあがっていないんだね?」
「そうです。罰則が甘すぎるのではないでしょうか」
「罰則?」
「そうです。やはり死刑です」
「でも、それは」
ぼくはためらった。できるわけない。騒ぎを起こす人たちだって、悪気があるわけじゃない。仕事がないから、お金がないから仕方なく。あるいはひどい目に遭わされて、どうしても仕返しをしたくて。そういう理由が多い。それは今までいろんな人を見てきてよくわかった。そんな人たちを死刑になんかできるわけがない。だって平民なんだよ、これまでずっと踏みつけにされ続けてきた人たちなんだよ、ぼくが助けたかった人たちなんだよ。
「死刑は無理だよ。というより、原因を解決しないと減らないよ」
ぼくはそこで顔をしかめた。言葉が続かなかった。原因を解決すれば犯罪は減る。それはその通りだ。でも、その原因というのが。
「だとするとキリアス様、この制作が失敗であるとお認めになるのですか」
経済担当者が言った。眉間に深い皺を寄せながら。
「それは」
「そうですキリアス様。これほどトラブルが頻発する理由はキリアス様の行った改革以外に考えられません。平民にはやはり指導的立場に立つことはできないのです」
彼自身も平民であるはずなのに、治安担当の責任者はそう言った。心の底からそう思っている、という表情だった。
ぼくは結局、子爵クラスだけじゃなくて全ての貴族から特権をとりあげることにした。どうして子爵だけが、他の貴族だって甘い汁をさんざん吸っているじゃないか、と言われるのが目に見えていたからだ。
でも最下級の貴族・准男爵までその対象に含めるとなると、ある程度の以上大きな会社の社長と、それから重役は全部追放しなきゃいけなくなる。役所なんかも同じ。そうやって出来た穴には、才能のありそうな平民をどんどん放り込んでいった。
どうにか人は足りた。
はずだった……
「それじゃ何? 本当だって言うの? 地球人=貴族は神に選ばれた種族で、他の種族はその下にかしずくべきなんだって、そういう考えが本当だっていうの?」
「そのような事は認めたくありません、私とて平民ですから。しかしそうとしか考えられないではありませんか、現実は現実です」
「ちがう!」
ぼくはどうにか言葉を探した。口の中がからからに乾いている。舌がうまく動かない。
「これは一時的なものだ。ただの一時的なものなんだ、そうだよ。ほら、貴族に支配されていた世の中が、そうでない世の中に変わるから、そういう変化は痛みをともなうというかなんというか、ほら。歴史というのはそういうものなわけで」
動かないはずの舌が動いて、そんな言葉を紡ぎだしてくれた。
「それで死んだ人々が、苦しんでいる人々が納得してくれるというのですか、キリアス様!」
経済担当の老人までそんなことを言った。
そりゃ……納得はしてくれないだろうね。
「でも……」
言葉がもう出てこなくなった。ぼくはそこで視線を斜め後ろに向ける。
そこにはスーツ姿のデミさんが立っていた。例によってファイルを抱えて。縁なし眼鏡のレンズを光らせて。いっけん冷たく無表情に見えるその顔に、ぼくには判る優しさをたたえて。
「……デミさん。デミさんは、どう思う?」
デミさんは答えてくれた。ぼくが望む通りのことを。
「自信を持ってください、キリアス様。キリアス様の考えは正しいと、私は思います」
そこでデミさんは、ぼくの前に立つ二人を見つめた。にらむ、というほどきつい目つきじゃない。でも、はっきりと拒絶している感じで。
「……あなた方は、ここでやめてよいとお思いですか? 平民だから、身分が低いから、劣った種族だから、殺されて当然、命令に従って当然、一生貧乏でも当然、そういう世の中を変えたいとは思わないのですか? キリアス様のその理想がわからないのですか?」
「い、いや。わからないというわけではないのだ、ルーンどの。だが、あまりに犠牲が多すぎると言っているのだ。私の言うことはおかしいか」
経済担当の老人が顔をしかめながら言った。気押されているみたいだ。
「たとえそれでも、いいえ違いますね。だからこそ、ここでやめるわけにはいかないのです。おわかりになりませんか?」
「どういうことだ。さっぱりわからん」
「ここでやめたら、どうなります? 事故や争いのせいで死んだ人たちはどうなります? 生き返りますか?」
「い、生き返りはせんさ。しかし、それ以上の犠牲者は出さずに済む。それの何が悪い」
「そして、その死は無意味で終わるわけですね」
デミさんは笑った。
とても奇麗な笑顔だった。
「なんだと?」
「そうではありませんか。途中でやめてしまったら、そのために死んだ人たちはどうなります。最後までやりとげてこそ、意味がでてくるのです。人間には、死んだ人を生き返らせることはできません。けれど、死んだことに意味をあたえることはできます。その死に報いることはできます。それなのに、途中でやめるというのですか? それは死んだ人たちを冒涜していることになりませんか?」
「む……」
老人は口ごもった。
ぼくはデミさんを見つめていた。その白い顔を見つめていた。眼鏡のレンズと、レンズの向こうに輝く金色の瞳を見つめていた。
デミさんが、とても美しく、かしこく、けだかい存在に見えた。ぼくを守って、助けてくれる、女神様みたいに。
デミさん……デミさんって、すごい。
「……ありがとうデミさん」
「いいえキリアス様。私はキリアス様の理想を実現させたいだけです」
「それが嬉しいんだよ、デミさん」
デミさんは涼しげにほほえんだ。ぼくも笑顔をつくった。たぶん、半分泣いているような笑顔だったとは思うけど。
「……それで、結局どうするのですか? 改革を続行するのはわかりました。ですが、さしあたって現状を解決、それが無理ならせめて改善する策が必要です。事故や犯罪が多発していることは事実なのですから。なんの策も打たずにいたら、キリアス様は民の信頼を失います」
若い方、治安担当が妙に顔をこわばらせてそう言う。ぼくではなく、デミさんのほうに刺すような視線を向けている。
「うん、それは確かに」
ぼくはうなずいた。もう怖くない。
「その点については、あなたの言うとおりでいいと思うよ」
「厳罰化ですか」
「うん。死刑は少し行き過ぎかもしれないけど……ほら、考えをあらためてくれる可能性だってあるわけだから」
「となると懲役ですな。刑務所・収容所を増強しなければなりません。また自警団をさらなる強化が必要となります」
「自警団くらいではだめです。キリアス様自身が強い力で、民衆の中の悪をとりしまらなくてはいけません」
「デミさん。じゃあ」
「ルーン殿。それでは騎士団のようなものを、私設軍隊を創設せよということか」
「そうです。自警団よりも強力なものです。それから……」
デミさんはそこで一度言葉を切った。ぼくが見つめていると、金の瞳にやどる光が少しだけ揺れた。
「……争乱を起こす原因は、平民たちの心にあることも重要です」
心ってどういうこと、とぼくが尋ねるまでもなくデミさんは続けた。
「つまりキリアス様の理想をよく理解していないから、自分たちの都合を優先してしまうのです。キリアス様の考え、つまり楽園をつくることがとても大切なことだと本当に判ったら、心の底からそう思っていたら、あんなことはできないはずなんです」
「だいたい判った。それではルーン殿は、キリアス様の思想をより強く宣伝・教育すべきだと主張しておるのだな」
老人が言った。眼を伏せている。
「そうです。そして、それでもわかってくれない人がいるなら」
デミさんが何を言おうとしているのか気づいて、ぼくは声をあげた。
「デミさんそれって」
「そうです。どうしてもわかってくれないというのなら、キリアス様の考えに反対だというのなら……その時は強硬手段をとるのも仕方ないでしょう」
「ちょっと待ってよ。まだ何もやってないのに、ただ考えが違うだけで捕まえたり、死刑しちゃったり……それは……」
うまく言えない。ぼくは机の上に投げ出した手を握りしめた。
「……それは……」
デミさんはぼくに顔を近づけた。声を小さくして、ほとんどささやくように言う。
「でも、未然に防ぐためなんです。争いや犯罪を、起こる前に防ぐため。そのためには、思想面での統制はどうしても必要なんですよ。キリアス様……自信を持ってください。キリアス様の考えは正しいんです。私はそう思っています。そう信じています。今はたとえ恨まれても、怒る人がいたとしても、いつかきっと判ってもらえる日が来ます。十年後、二十年後、きっと感謝してもらえます」
その言葉はぼくの脳のなか、心の中に染み渡っていった。
そうだ……デミさんはぼくを信じてくれている。父さんを死なせてしまったぼくを許して、ぼくのために頑張ってくれている。ぼくがくじけそうになったら、いつも支えてくれる。あの日そうだったように。今もそうであるように。
そうだ……正しい。これでいいんだ。
デミさんが言うんだから。
デミさんは……ぼくの大切なパートナーだから。
ぼくは姿勢を正して、若者と老人に向き直った。
「……きいての通りだよ。治安目的の騎士団を設立し、それからぼくの考えをもっと強く広めよう」
「騎士団の編成は。人材と装備の確保は。私に任せていただいてよろしいのですね」
「うん……」
ぼくはデミさんのほうを見た。デミさんは微笑んだまま小さくうなずいた。それだけで、ぼくの心の中に自信が満ちていく。
「うん、それでいい。君に任せるよ」
もう心配はしていなかった。
これからゆっくりご飯を食べよう、そう思っていた。もちろんデミさんといっしょに。 だってデミさんは、デミさんだけはぼくの味方だから。
二
帝国の法律は、貴族がいわゆる『宇宙艦隊』を持つことを厳しく制限している。そういったものを持てるのは皇帝家と六十四大公家だけ。うちなんかにはとても無理。そのかわり陸上戦力に関してはほとんど制限がない。たとえ何百万人の兵士がいても、宇宙を力ずくで渡ることができなければ他の星には攻め込めない、だから制限する必要はない、そういうことだろう。
だから、騎士団を編成すること自体は不可能じゃなかった。でもそうはいっても簡単じゃない。
ぼくは来る日も来る日も、治安担当から報告を受けた。どれだけ人数がそろった。どういう訓練を主体にしている。暴動に対してはこういう措置をとる。どれだけのことをされたら発砲してよいかどうか。時には判断を求められることもあった。ぼくはできるだけ自分で考えようとした。でもぼくよりも早くデミさんが考えてくれた。迷いのない口調でこうしましょうと言ってくれた。だからぼくはそれに従った。
そして、騎士団の実戦の日がやってきた。
三
「要するにどういうことなの? 二種類の住民が対立?」
ぼくは浮遊車の後部座席に座っていた。
「西大陸アシュトバナード市で大規模な暴動発生。死傷者多数。自警団および市警察では収拾不能。『騎士団』の出動が必要」
その知らせをきいたのはつい二十分前だ。食事中だったが、そんなものはどうでもいい。ぼくは皿を放り出す勢いで、こうして現場に向かっている。
「二種類……まあそうには違いありません。言うなればよそ者を排斥しようとする動きです」
前部座席に姿勢を正して座っている治安担当の男は、こわばった顔をこちらに向けて答えた。
「よそ者?」
「ええ。ギルティ星系の人間ですよ」
「え」
ぼくは息をのんだ。ギルティ星系。惑星サクリファイスのある、あの星系。冷え切った砂漠、やせた土地、ぼろぼろの家、骨と皮ばかりの住人たち、真っ赤になって拳を振り上げるバルトロメオ伯爵、蜂型ロボットが住人を大勢射殺する。黒い瞳、黒い髪、小さな角を持ったフェリサという女の子がこちらを見る。ぼくの顔をあおいで、その黒い眼に真剣な光をいっぱいにたたえて、「たすけてくれるの」って……
そんな光景が、次から次へと胸の中に蘇った。
そうだ。バルトロメオは領地を剥奪されたから、今はあそこもぼくの管理下。確かにそうだ。あそこの人たちの職業訓練に関しては遅れていた。緊急援助として食料や薬を送ったりはしていたけど。
「ああ、あそこの人達がこっちに流れてきているということか」
「ええ。仕事を求めているわけです」
「……知らなかった」
ぼくの隣で声がした。涼しく知的で、それでいて優しそうな声だ。
「いえ、確かに報告しました。そうしたらキリアス様は『彼らを保護し、職業を優先的に与えろ』と指示しましたよ。約三ヶ月前のことです」
これはもちろんデミさんだ。
「……そうだっけ?」
毎朝毎朝、あまりにもたくさんの報告を聴き、とんでもない量の書類に眼を通している。だからこの情報はぼくの頭の中に残らなかったらしい。
悔しい。とても重要なことなのに。ぼくはもともと、あの星の人達をこそ助けようと思ったのに。それがそもそもの始まりだったのに。
「どのくらい前から? 数は? いや違う、そんなことじゃない。対立っていうのは、つまりあれ? サクリファイスから移り住んできた人達と、こっちの星に前からいた人達が」
治安担当にかわってデミさんが説明を続ける。
「ええ、そういうことです。基本的には仕事のとりあいなんですけど……。ほら、見えてきましたよ」
ぼくは窓に顔を近づけた。どうにかして下を見ようとする。
うわ。なんだこれは。
眼下には街が広がっていた。それはいい。この市はそれなりに大きい。だから人がたくさんいる。そこまではいい。
でも、人が。
街の中心にある大広場、そこから放射状に伸びていく八本の通り、そのどれにも、どこにも人が満ちていて……しかもその人達は、なにか棒のようなものを振り回している。
戦って、るんだ。
倒れている人も多かった。ぼくがちょうど眼をやった瞬間、殴り倒される人もいた。押し寄せる人並みに飲み込まれ、そのまま消えてしまった人もいた。とにかく何千とも何万とも知れない人達が荒れ狂っていた。車道では車が燃えていた。ショーウインドウが割られていた。
「これは……」
「酷いですね」
「ええ、拡大する一方です」
「早く騎士団を出して。そして早くやめさせるんだ」
「わかりました」
治安担当官が車内のマイクを取る。
「ゲシュペン大隊長、伯爵閣下の許可が下りたぞ。出撃だ」
「待って。できるだけ殺さないで」
「判っていますよキリアス様。ゲシュペン大隊長、非殺傷装備だ。ああ、それでいい」
車はいつのまにか、都市の上空に止まっていた。ぼくは窓ガラスに顔をはりつけるようにして下界をながめる。
「よく見えない。もっと近くで観たいよ」
「危険です」
「危険っていっても、この車は防弾でしょ」
「それはそうですが……これでどうでしょう」
治安担当官が前部座席にあるスイッチの一つをひねった。ぼくがのぞき込んでいる窓が変化した。突然人の姿が何倍にも大きくなる。
「窓をモニター化し、そこに望遠カメラの画像を映しました。こちらをご覧になるということでよろしいですね」
「うん」
ぼくは生返事をした。画面に映っているものが凄まじすぎて、それどころではなかったのだ。
人間達が倒れていた。ものすごい数だ。
ある者は手足を奇妙な角度に曲げていた。ある者は顔面に鉄の棒が突き刺さっていた。あれは眼の部分だろうか。動こうともしない。もがくこともしない。まるでただのモノみたいに、ボロ切れみたいな人間達が、割れたガラス片にまみれて転がっている。そしてそれは、押し寄せてくる別の人間達に踏みつけにされて。
倒れている人達は、妙に粗末な服の者が多い。体格が悪い者も多い。普通の人も少しは混ざっているけれど。そうか。同じ数だけ死んでいるわけじゃないんだ。ギルティ星系から出稼ぎに来たひとたちのほうがずっと劣勢というか、一方的にやられてるんだ。そうだよね、数は少ないし、ろくなものを食べていない。そりゃあ、闘いになったら負けるよ。
じゃあ、これはもう闘いじゃなくて、弱い者いじめじゃないか。騎士団に与える命令を変更すべきなんじゃないか。両方を攻撃して止めるんじゃなくて、やられている方を守れ、いじめている方を罰せよって、そう命令するべきなんじゃないのか。
「キリアス様。騎士団が来ました。映します」
前部座席から治安担当官の声。
窓のディスプレイに映る映像が変化した。倍率が下がったっていうか、遠景にかわったのだ。人間一人一人が見分けられなくなる。何千という数の人達がすべて視界におさまるようになる。
その視界の隅を、暗い緑色をした箱が通り過ぎた。ひとつ、ふたつ、みっつ……あとからあとからやってくる。何十台もある。
「騎士団」の装甲車両だ。歩道も車道も区別無く走ってくる。黒こげになった車に乗り上げてそのまま踏みつぶす。人間たちが装甲車の姿を見て逃げていく。
装甲車は、止まった。
後ろのハッチが開いて、白い人影が現れる。この距離ではよく見えないけど、全身が白い人間達。ぼくは知っている。あれは装甲服だ。いくつかの星で警察用に使われているものだ。もともとは宇宙服だったらしいから、防御力は相当期待できると思う。でもぼくの汁限り、あんなものを装備しているのは本物の陸軍歩兵部隊か、そうでなきゃ警察の中の対テロ部隊だけだ。
装甲服姿の白い人々が、緑色の装甲車から大挙して現れる。一両につき十五人くらい。全部で……数えられない。装甲車は二十両はあるから三百人か。
画面に映っているのが全員じゃないんだろうね。たぶん暴動の中心を、広場を取り囲むようにして装甲車は配置されたと思うから……全部で千人はいると思う。
三百人の兵士たちは……いや「騎士団」は、腕ほどの長さをもった黒い棒を手にして、歩き出す。まるで剣や槍で戦っていた時代のように、かなり密集した横一列の隊列を組んで。
あんまり飛び道具を使わない闘いなら、ああいうのも意味があるのかもしれない。
騎士団の姿を見ても、人々は逃げない。武器を捨てない。足下に転がった、みすぼらしい身なりの人に鉄パイプを叩きつけている。そこを後ろから別の人がコンクリートのブロックで殴りかかる。倒れたその人の頭に思い切りブロックがぶつけられる。ブロックが紅く染まった。つまり殺し合いを続けている。興奮して、騎士団の姿が眼に入らないのだろうか。
「ねえ、まず警告してよ」
「やっています、キリアス様。さきほどから何度か警告を繰り返しているのです。ただちに破壊活動・集団暴行をやめよ、さもなければ実力を行使すると。効果はないようですな」
「じゃあ」
ぼくは悲鳴に似た声をあげた。ここまで来ても、ぼくはできるだけ戦いはやりたくなかった。だってもう十分人は死んでる。
「大丈夫ですよキリアス様」
デミさんがやわらかい口調でそう言ってくれた。
「非致死装備でしょう? あの棒はスタンロットですよ。死なせることはありません」
「うん……」
デミさんの言っとおりだった。
隊列を組んだ「騎士」たちが前進し、棒をもって暴れる男たちに殴りかかる。手にした黒い棒から一瞬火花が飛び散る。殴られた男たちが倒れる。スタンロッド。高圧電流で攻撃する棍棒だ。男たちは鉄パイプやコンクリート片で反撃する。だが装甲服を身につけた騎士たちは、それを空気のように無視して突き進んでいく。またスタンロッドが振られた。糸の切れた人形みたいに倒れていく男たち。ようやく彼らは逃げ始めた。広場の中心に向かったら閉じこめられるだけだとわかっているのか、騎士たちの横をすり抜けて外に向かおうとする。
騎士たちの訓練が発揮されたのはこの瞬間だった。すごい速度で陣形を横に広げたのだ。もう抜けることはできない。方向を変えようと振り向いた男に、後ろからスタンロッドが叩きつけられた。
……都市のいろいろなところで、同じ光景が見られた。装甲服とスタンロッドの前に、ただの暴徒は無力だった。中には猟銃みたいなものを持ち出して乱射するものもいたけど、やはり装甲服の隊列は止まらない。当然だ、そのくらいで穴が開くようなら宇宙作業に使えるはずがない。
「圧倒的だね」
「あまり嬉しそうではありませんな、キリアス様」
「だって……あれを見てよ。あそこに倒れている人達。さっきからぜんぜん動かない。死んでいるんじゃないかな。もちろん、あの人をああいう風にした連中は許せない。でも」
「でも犯人を捕まえても殺しても、死んだ者は還って来ない、そういうことですね?」
「うん、デミさんの言うとおり。ほら、もう一度警告っていうか、ほら、降伏勧告みたいなのがあるでしょ、あれをやって」
「わかりました。……ゲシュペン大隊長、降伏勧告だ。敵はもう戦意を喪失している。ああ、そうだ、伯爵閣下がそう仰せだ」
高度百メートル以上のところにいるぼくには当然聞こえなかったけど、降伏勧告はちゃんと行われたんだと思う。
ああ、よかった。人々の動きがかわってきた。みんな両手をあげてる。持っている鉄パイプとかを放り出した。そりゃそうだろう、戦っても勝てるわけがないことは確実なんだから。
騎士団の人達は、それでも油断せずにスタンロッドを持ったまま近づいていく。
「結局やめないの?」
ぼくがよほど深刻な顔をしていたのだろうか、苦笑しながらデミさんが答えてくれた。
「大丈夫ですよ、逮捕するだけです。もう殴ったりはしませんし、ましてや殺すことなんて」
そうか。それならいいや。
死んでしまった人はもう戻らないけど、それでもこれから死ぬ人を少しでも減らせるなら。それはきっと意味があることだと思う。
「高度を下げて。いや、着陸する」
「……どうしたのですか、キリアス様」
治安担当官がけげんそうな声で訊いた。
武装を捨てた人達が、ひとつの方向にぞろぞろと歩きはじめた。騎士団の人が命令したんだろう。たぶんどこかに集めて、手錠なりなんなりをかけるんだろう。
「どうしてって……あの人達に会って話をしたいからだよ。もう戦いは終わった。あの人達に戦う気はないじゃないか。もちろん、あの人たちは捕まって……刑務所に入れられるんだろうとは思うけど……死刑にされる人もいるかも知れないけど……それは当たり前のことなのかも知れないけど……でもそれだけじゃだめだと思うんだ。ちゃんと聴いてあげないと。どうしてこういう事を起こしたのか。どうしてがまんできなかったのか、どうして友達になれなかったのか。こっちの星の人にも、向こうの星の人にも訊いてみたいんだ」
デミさんが、どこか溜息まじりの、それでいて暖かい声で尋ねた。
「それで、ちゃんとした理由があれば許すんですか。彼らはたくさんの人を殺しているのに」
「そうは言ってないよ。でも、ぼくは領主だから。こういう事になったのはぼくの失敗でもあるから。だから……すべてを見て、知らなきゃいけないんだって、そう思う」
「キリアス様は……本当に」
「別に褒めて欲しいわけじゃない。お人好しだって呆れたいんならそれでもいい。でも、ぼくは……なんていうのかな……その」
誓って言う。
これはぼくの本心だった。
たとえ反乱を起こすような人達でも、よその星の人達をよってたかって袋叩きにするような人達でも、領民には違いない。いや、人間には違いない。だから、できるだけ人間として扱いたい。みんな人間なんだ。そう思ったからこそぼくは何かを変えたいと思ったんだ。
それが本心だった。
この瞬間までは。
治安担当官がかしこまった態度で命じる。
「わかりましたキリアス様。キリアス様のご命令だ、降ろせ」
車はゆっくりと降下をはじめる。
下の光景がますます近づいてくる。車が放置された道路、赤や青の血を流して倒れている人達、投げ捨てられた鉄パイプやナイフ、散らばったガラス片、そんなものが見えてくる。高度は八十メートル、五十メートル、四十……
そしてその時、ぼくはそれに気づいた。
その人間はとても小さかった。それは地面に転がっている何百もの人達の一人でしかなかった。大した特徴もなかった。それでも、ぼくにはそれが誰だかわかった。
「……あれを拡大しろ」
「は?」
「あれを拡大しろ。あそこに倒れている人だ」
「あそこと申しますと」
不審そうな治安担当官をぼくは怒鳴りつける。
「あそこだ! 青い銀行の看板の下に倒れている、あの茶色いマントみたいな服の、とても体の小さな……!」
「わかりました」
また窓ガラスがディスプレイに変わった。そこには映像が映し出されていた。
ぼくが見たくなかったものが。
道路の上にその人間は倒れていた。
転がっていた。首をおかしな方向に曲げて。よほど強い力で叩きつけられたのだろう。頭の下から赤茶色の血が広がっている。茶色い、薄汚れたマントの下から細い手足がのぞいている。手足はまったく動かない。手はなにかをつかむような形で握られている。そして黒い髪に覆われた頭には小さな角が。白い顔にはなんの表情も浮かんでいなくて。あの日ぼくを上目遣いに見て、「ほんとうにたすけてくれるの」といった彼女が、確かにそこにいた。
でも、もうそれは彼女ではなかった。
あの少女……ぼくが世界を変えたいと思った一番の理由、最初の理由、あのフェリサという女の子は……
「明らかに死んでますな。この身なりからしてギルティからの移民でしょう」
治安担当官が言う。大して悲しんでもいない口調だ。たぶん彼にとっては「たくさん出た死者の一人」でしかないんだろう。いやむしろ「よそものでよかった」とすら思っているのかも知れない。
でもぼくは。
あの日彼女は言ったんだ。
ほんとうにたすけてくれるの。
みんながぼくたちのことを敵だと思っていたあの村で。毎日のように襲ってくる蜂型ロボットの恐怖におびえながら。それでも彼女だけはぼくたちのことを信じて。あの黒いつぶらな瞳で。まっすぐにぼくたちのことを信じて。だからぼくはここにいる。ここにいる。
それなのに……
また、助けることはできなかったのか?
また、ぼくは約束を破ってしまったのか?
何も考えられなかった。
ただ、ぼくにできたのは……
「殺せ」
口からその言葉が飛び出した。
「殺せっ」
今度は叫びが出た。
車内の空気が凍り付いた。デミさんも治安担当官も運転手も、声ひとつ上げることはできない。隣のデミさんが体をこわばらせたのを、その体が小刻みに震え出したのを、ぼくははっきり感じることができた。
「ころせ。みんな殺せ。あの暴動を起こした奴らを殺せ。暴動に参加した奴らを殺せ。あの子をあんなにした奴らを殺せ。……きこえないのか、騎士団に命令だ!」
「は、はいっ!」
窓がただの窓にもどった。騎士団が隊列を変更している。横一列に広がって、武器も変えた。スタンロッドを腰のベルトに差し込み、そして肩にかけていた細長い箱状のもの……火薬式自動小銃をかまえた。
暴徒たちの半分は、事態の変化に気づいてにげ出そうとした。残り半分は、呆然と立ちすくんでいる。
誓って言う。さっきまではあれが本心だった。
今は……これが本心だ。
「そうだころせ」
騎士団は、一斉に発砲した。
窓は完全防音だ。たった数十メートルの距離にもかかわらず銃声はきこえない。悲鳴も。
ただ、人々が倒れていくだけ。
殺到する銃弾に体を貫かれ、内臓や骨を穴だらけにされて。
それは夢の中の光景のように思えた。
全速力で駆けだした人達も、もちろん銃弾から逃れることはできない。数歩もいかないうちに吹き飛ばされ、あるいはもんどりうって倒れる。地面には、赤黒い水たまりが広がっていく。折れ重なって人間達が倒れる。
全員が動かなくなるまで、十秒とはかからなかった。
そしてその時には、ぼくを突き動かしたあの激しい衝動は消えていた。
……なにこれ。
……どうしてみんな死んでるの。
……どうして。誰が殺したの。
ぼくだ。間違いなくぼくがやった。ぼくが殺せって命令したんだ。あれはぼくの声だ。ぼくの言葉だ。これは……自分の感情のままにみんなを殺して……大切な領民達を、それぞれ命と心を持った人達を、おもちゃみたいに。
あいつと同じだ。
バルトロメオ伯爵。
あの人と全く同じだ。同じことをしたんだ、ぼくは!
「改革は必ず成功させる。身分制度をなくしてもちゃんと社会は維持できる。実績を見せればいい」そんな大口を叩いてこのざまだ。もう改革はおわりだ。帝国はぼくの罪を問うだろう。バルトロメオ伯爵と同じ領地没収か。いや、死刑かも知れない。でもそれ以上に、自分のやってきたこと、信じてきたことを、ほかならぬ自分自身が壊してしまったことが悲しかった。自分がそんな人間だということが恐ろしかった。
泣きたかった。でも泣くことはできなかった。わめくこともできなかった。声が出なかった。ぼくは口を半開きにして、とても見苦しく震えていることしかできなかった。
「……デミさん」
ぼくはようやくその名前を唇の間から絞り出した。デミさん、デミさん、ぼくはとりかえしのつかないことをしてしまったよ。ぼくはどうすればいいんだ。ぼくは……
今だから言える。その時のぼくは、デミさんが慰めてくれると信じていた。「キリアス様は、あの小さな女の子の死に怒ったから命令したのでしょう? それは人間らしい心を持っている証拠ですよ」とかなんとかいって、正当化してくれるのを望んでいた。デミさんはいままでずっとそうだったから。
ぼくはそう信じて、顔をデミさんの方に向ける。
そのままぼくの顔は凍り付いた。
四
デミさんは笑っていた。
……輝くような笑顔で。
今までの笑顔なんて、これに比べれば下手くそな演技だ。全部作り笑いだ。顔の筋肉を適当に操っただけで本当はぜんぜん嬉しくないんだ。そう思えた。
冷たい印象はもうどこにもなくて……レンズの奥で光る金色の瞳も、ひきしまった頬も、薄い色のルージュが引かれた唇も、すべてが……
心のそこからの、喜びを表現していた。
そしてそんな表情で、デミさんは言った。
「すばらしい……」
なにを。なにをいってるんだデミさん。
「ここまでやってくれるなんて。期待以上ね」
口調が変わっていた。声にこめられた感情の質が変わっていた。そこにいるのはデミさんではなかった。いや、間違いなくデミさんだ。ということは。
「デミさん……」
「もうあなたもおしまいね」
とても嬉しそうに。
さっきからデミさんの体が震えていたのは、恐怖でも緊張でもなく、歓喜のためだったのだ。
「デミさん……」
ひとつの想像が、ぼくの中で形になっていった。でも、それは。まさかそんな馬鹿なことが。
いや……そう考えればいろいろと説明はつく。長年使えていた父さんを殺したぼくに、どうしてデミさんがついてきてくれたのか。貴族社会の常識を覆すぼくの考えに、どうして賛同してくれたのか。どうしてことあるごとにぼくを支え、ぼくの正しさを訴えてくれたのか。すべてが。
金に光る眼がこちらを向いた。
「わかったみたいね。そう、あなたの思っている通りよ」
「どう……して」
「どうして? そんなくだらないことを何故訊くの? 本当はあなただってわかってるんでしょう。エギナル様を殺したからよ。私みたいな女をあの星から救い出してくれた、教育と今の仕事を与えてくれたエギナル様。奥様が亡くなられてからも、あの方は私に心を開いてはくれなかったけれど……それでもよかった。あの方のそばにいて、あの方の役に立てるのなら。でも、あなたが殺した。馬鹿げた考えにとりつかれたあなたが、エギナル様を精神的に追いつめて殺したのよ。あなたも同じ目に遭わせてやる。必ず復讐してやる、それしか考えられなかった。ただ殺すだけじゃ駄目、エギナル様と同じ、絶望と、敗北感を味あわせてから殺さないと。信じるものをすべてをうち砕いてから殺すの。……そう、だから私はこうしたの」
「それじゃあ。すべて君がしむけたのか。こうなるように!」
「ええ。ここまでうまくいくとは思わなかったけれどね」
「全部……全部演技だったのか。ぼくの考えに賛成してくれたのも。ぼくを弁護してくれたのも。ぼくを信じるといってくれたのも。楽園を見たいと言ったのも……! ぼくを、ぼくをああいう風になぐさめてくれたのも」
「そうよ。あなたは母親が欲しかったのよね。とにかくあなたは素晴らしい、そのままでいいの、自分を信じて。そういって無条件で褒めてくれる人が欲しかったのよね。だから私はそういう人間になればよかった。それさえすれば、あなたを焚きつけることなんて簡単だった。……演技は慣れているの。私は平民で……女だから」
ぼくはかすれた声でいった。
「デミさん……あなたも死ぬんだぞ。確実に死刑だぞ」
するとデミさんは、表情をまた変えて。
笑顔を一瞬にして消し去り、仮面のような無表情になって。
「……そんなくだらないこと、私が気にすると思ってるんですか?」
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