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 じりりりりり。
 びくんっ。
 じりりりりりりりりり……。
 びくん、びくんっ。

 電話が鳴っている。私ことシャナンは息を止め、気配を殺す。
 勿論、そんなことをする必要など、どこにもない。鳴っているのは電話。あの女が来たワケではない。気配を断ったところで意味などない。ただ、耳を塞いでいればいい。

 私は、外出中。だから、電話に出る必要などない。罪の意識など、抱く必要もない。
 己に言い聞かせ、ベルが止むのをひたすらに待つ。

 じりりり……ぴたっ。
 お、ベルの音が止んだ。今日は随分と諦めがいいな。

「はい、もしもしイザークです」
 ……と思ったら、ラクチェが出たのか! 余計なことをしてくれた。まだ五時だぞ。若い娘は、外で遊んでいる時間じゃないのかっ!?


 私、ラクチェ。17歳。
 少し前に家の都合で、双子の兄であるスカサハと一緒に、従兄のシャナンお兄ちゃんのお家で暮らすことになったの。
 シャナンお兄ちゃんは、私とスカサハの憧れの人。
 かっこよくて、素敵で、頭が良くて、運動が出来て、お兄ちゃんは昔から、とってもとっても素敵だった。
 年に数回しかなかったけれど、お兄ちゃんが私たちの住んでいる街を訪ねて来てくれることを、私もスカサハも心待ちにしていた。
 だから、お兄ちゃんと一緒に暮らすことが楽しみで仕方なかった。そして、一緒に暮らしだしてからも、楽しいという気持ちは変わらない。

 でも、一緒に暮らしだしてから……。
 気になることがいくつか出はじめた。

 
 ひとつ。
 シャナンお兄ちゃんはどうして、電話の呼び出し音が鳴ると急に、剣道を教えてくれる時みたいに、鋭い目になるんだろう。
 この間、私が電話に出た途端、お兄ちゃんに凄い勢いで受話器を取り上げられた。私、何か悪いことした……、のかな?

 それから、もうひとつ。
 どうしてシャナンお兄ちゃんは、会社に行かないのに、一軒家を維持することが出来るだけのお金を持っているんだろう。
 おじさんとおばさんは、私が生まれるよりも前に亡くなっていて、確かにシャナンお兄ちゃんの手には保険金というものがあるかも知れない。でも、それだけでは生活できないんじゃないかなって思う。

 一緒に暮らし始めてはじめて、私はシャナンお兄ちゃんの秘密を知った気がする。秘密を知るってことは、私をどきどきさせたし、お兄ちゃんを知ることが出来て、嬉しいって思ったのも本当だ。
 でも良く考えてみると、私が知ったのは秘密があるという事実だけで、その内容までは行っていない。結局、私はお兄ちゃんのこと、何一つだって深くは知らない。
 それがくやしくて悲しくて、……こっそり探ってみたくなった。


 この家にやって来て、お兄ちゃんと再会して。
 私は昔とは違った興味の目を、お兄ちゃんに向けていたのだと、そう思う。
 構って欲しい、とかそういう気持ちだけじゃなくて、自分も知りたいっていう気持ちは、私を大胆にもさせるし臆病にもさせる。
 ……自分でも気付かないうちに、私も昔より少しだけ成長してしまっていたのだ。



 深く考えずに承諾してしまったが、やはり従兄妹二人を同居させるのは、やめておいたほうがよかったのかもしれない。
 二人が家にいること自体は悪くない。
親が残した家は無駄に広い。子供二人を住まわせるスペースは十分にある。
 両親を亡くして、十年以上が経過している。独りでいることには、慣れたつもりだった。それでも、一人で食事をしている時、灯りのついていない家に帰ってきた時……油断をすると、突如の寂しさが襲ってきた。無駄な広さは、寂しさを強調するものだ。
 アイラは寂しさを表に出すまいと気を張っていた私を、密かに案じていたのかもしれない。だから、二人をこの家に寄越したのかもしれない。
 スカサハもラクチェもいい子だ。
 スカサハはよく家事をやってくれて、本当に助かっている。ラクチェは生来の明るさで、近所の人との付き合いをそつなくこなしている。以前は隣の家に行くのが億劫でつい回覧板を止めてしまったりもしたのだが、彼女が来てからはそれもない。
 金銭的な面も、問題ない。アイラは二人の養育費を振り込んでくれるようだし、私の両親が残した保険金もある。私個人の収入も、同年代の青年と較べて多い。
 最大にして唯一の問題は、私の職業と……あの子たちが健康で清らかな青少年だ、ということにある。


 シャナンお兄ちゃんの部屋には、鍵がついている。じっと見なければ分からない鍵は、専門店に頼んで取り付けたのだろう。扉と一体化しているから、傍目にはほとんど分からない。
 それに気付いたのは、一緒に暮らし出してから随分経ってからだった。
 どうして?
 そう聞いてしまうことは簡単。だけど、なんとなくそれが出来ない。

 シャナンお兄ちゃんのところには、毎日決まった時間に、女の人から電話がかかって来る。声だけで判断するのは良くないと思うけれど、声だけでも綺麗な人だって分かるような、しっとりとした声の女の人。
 彼女?
 聞いてみたいけれど、核心に触れることが怖い。

 お兄ちゃんは本当はどんなことをしてるの?
 本当のシャナンお兄ちゃんは、どんな人?
 
 疑問はくちびるまで届いているけれど、どうしても言葉にならない。そして私は、言葉を飲み込んで奥歯を噛み締める。
 こんなことばかりじゃ、シャナンお兄ちゃんを探ることなんて出来ないって分かってる。
 本当は、そんなこと考えない方がいいことは、分かってる。探るなんてこと、しない方が良いことも、それは本当に良くわかってる!
 でも、止められない。どうしても、知りたい。
 スカサハにそれとなく言ってみたら、スカサハはしたり顔で
「シャナン兄にだって、言いたくないこともあるんじゃないかな」
 って言ってた。
 スカサハのそういうところ、いつもはとっても好きだけど、今はなんとなく悔しい。
 スカサハは、私よりもずっと、シャナンお兄ちゃんに近い気がする。
 同い年でずっと一緒に育って来たっていうのに、スカサハの方が私よりも絶対に精神的に大人だ。少しだけ、羨ましいと思った。



 最近、ラクチェが私の部屋を気にしているようだ。
 散らかっていて恥ずかしいからと入室を断っているから、どのくらいの散らかりなのか、怖いもの見たさで覗いてみたいのかもしれない。
 そう。実は私は一度たりとも、ラクチェを……スカサハもだが……自室に招いたことがない。部屋を出る時には必ず鍵をかけ、中に入れないようにする。私が自室に入れる女は……というより、勝手に入ってきてしまう人間は、一人だけだ。彼女は……断りたいが、断れない。私と彼女の関係を考えれば、仕方のないことだ。
 ラクチェとスカサハを信頼していない、というワケではない。散らかっているというのも本当だ。スカサハは頻繁に掃除をすると申し出てくれる。頼みたい衝動に駆られることもあるのだが、やはりできない。何がどこにあるのか、私自身が完全に把握できていないのだ。危険すぎる。 校正用にプリントアウトした文章が彼らの目に止まりでもしたら、私はどうすればいいっ!  大事に二人を育ててきたアイラに顔向けできないではないかっっ!


 どうしてこんなことばかり考えてしまうか、それには原因があるんだ。
 普段の私も、それは……、それなりにはシャナンお兄ちゃんのこと、考えてるよ。かっこいいなー、とか。大人だなー、とか、ね。
 でも、あれを見なかったら、ここまで思わなかった。

 昨日の夜、シャナンお兄ちゃんのところにお客様が来た。それだけだったら、騒ぐことじゃないと思う。それが女の人だったっていうのも、お兄ちゃんの歳を考えれば、なんとなく悲しいけれど、当然っていえるかも知れない。お兄ちゃんが、誰も入れない部屋に彼女を入れたことも……、この際気にしないことにする。お兄ちゃんにもプライベートはある。そう、プライベートなのだ。
 けれどそんな私の考えを打ち砕いたのは、彼女がうちを出る時に私に言った、
「彼ら二人のラブラブカップルと一緒に暮らせるなんて、あなたって本当にしあわせね!」
 という言葉だった。

 カップル……。って。

 三人暮らしのこの家で、あの人の言葉を直接聞いてしまった(つまり、私以外の二人のことを彼女はカップルと言っているわけで……)私を抜かしたら、お兄ちゃんと、スカサハになる、なる、なってしまうの。
 そう、お兄ちゃんと、スカサハ!
 私の頭は、あれから混乱しまくりで、上手く動いてもくれない。
 そんな! シャナンお兄ちゃんとスカサハって! そんな!! って、そんなことばっかり考えちゃってね。


 締め切りまでは間があると思っていたのに、ふと気がつけばもう20日。電話では埒があかないと思ったのか、彼女がとうとう家にまで押しかけてきた。
 どうにもユングヴィ社は、締め切りの融通が利かなすぎるな。以前に他の出版社の仕事をした時には、締め切りより半月も遅れて納品したというのに、予定通りに発売日に書店に並んでいた。催促も、殆どされなかった。
 私の職業は小説家だ。……一応。
 だがそれは、スカサハやラクチェには秘密にしている。
 何故か。理由は明白だ。二人には読ませられないようなものを書いているからだ。
 作家だと言えば、私の本を読んでみたいと言い出すに決まっている。私が本を渡さずとも、本屋で簡単に見つけてしまうに違いない。私の本は、どの書店でもそれなりに目立つところに配置されている。



 シャナンお兄ちゃんとスカサハ。
 ラブラブカップル……。

 二つの言葉が、私の頭の半分くらいを占めている気がする。
 スカサハがシャナンお兄ちゃんについて、あんなにあっさりと分かった風の言葉を口にしたのは、二人がそういう関係だから? 
 スカサハが時々、夜中におにぎりを握っているのは、愛するお兄ちゃんに食べさせるため?(もしかしなくても、スカサハって良妻賢母?)
 お兄ちゃんにあの人以外に女っけが無いのは(そして、そのあの人が、シャナンお兄ちゃんとスカサハをカップルって言ったということは……)、……男が好きだから?

 私、頭がおかしくなっちゃったのかも知れない。
 お兄ちゃんのことで頭がいっぱいすぎて、くらくらする。
 考えれば考えただけ、どんどんまとまらない! スカサハだなんて!!


 そういえば私の担当にあたる編集者……名をエーディンという、いつも連絡をくれる彼女だ……がえらくスカサハを気にかけていた。貴方と並ぶと絵になるとか、なんとか。変なことを企んでいないといいが。彼女が間に立ったために、過って成立してしまった同性愛カップルを知っているだけに……ああ、考えるだけで身の毛がよだつ。
 私とスカサハ!? 冗談ではないぞ。相手は子供だ! って、そういう問題ではないか。それはスカサハは好きだが、そういう好きではなくて!! とにかく私は、ホモを書いてもホモになる気はないっ。

 それから……それとは関係ないが、最近、ラクチェの様子がおかしい……気がする。
 スカサハを握ったおにぎりを前にじっと考え込んだり、廊下でふいに頭を抱えてうめいたりしている。笑うことも少なくなった。
 何か悩みでもあるのかと思い、保護者面をして聞いてみた。
「悩みは一人で抱えるな。私でよければ相談に乗るぞ?」
 ラクチェは首を横に振ることでこれに答えた。やはり私では、親のかわりを務めることはできないのか。


「悩みは一人で抱えるな」
 この家に来てすぐに、シャナンお兄ちゃんは私たちに、そう言ってくれた。
 きっと、お兄ちゃんにしてみれば、それを口にすることは勇気がいることだったと思う。だって、人の悩みを引き受けることって、そんなに簡単なことじゃないもの。それでも、お兄ちゃんは聞いてくれた。
 お兄ちゃんは私たちに、……優しい。そう、いつだって。
 その時私、気付いちゃったんだ。
 こんな風に優しくしてもらえるのは、私が肉親だからだってこと。
 そして思った。お兄ちゃんが私たちに優しくしてくれることが肉親だからってことに気付いちゃったことは、自分でも思っていた以上に悲しいんだって。
 けれど、せっかくお兄ちゃんが私たちを思って言ってくれたことだもの、お兄ちゃんに喜んでもらえるように、相談ごとを口にしてみたい。
 ……でもだからって、この疑問は言えない。勿論スカサハにだって、聞けるわけない。

 隠してるっていうことは、知られたくないってことでしょ?
 それが気になって仕方ないなんて、いくら私でも口にして聞くことは出来ない。
 この家で何も知らないのは私だけなんて、そんな悲しいことも、聞くことは出来ない。 



 今日はすき焼きにしてみた。
 と言っても、私は肉その他の材料を買ってきただけ。調理そのものはスカサハが請け負った。
 一人暮らし歴は長いので、私も料理はできる。だが、味も手際も、スカサハには遠く及ばない。スカサハは、居候という身分を気にしている。それもあって、家事を進んでやる。家事をやることで気兼ねなくここにいられるというなら、全面的に任せるのもいい。そう考えている。

 本当は、今夜は外食にしようと思っていた。エーディンに原稿を渡し、晴れて自由の身になった祝いだ。理由は言わずに二人を誘ったのだが、断られた。
 スカサハは、家で食べたほうが気兼ねもいらないし、経済的だという理由だった。彼らしい。こちらは気に留める要素ははないだろう。
 問題はラクチェだ。理由も言わずに断った。元気っ子ラクチェは、最近、どうしてしまったのだろう。
 肉は私の1.5倍口に運んでいたから、食欲はあるようなのだが……。



 シャナンお兄ちゃんとスカサハと一緒に、すき焼きを囲んだ。
 外に食事しに行こうと言ったシャナンお兄ちゃんの誘いを、私たちが断ったからだ。
 私はともかく、炊事関係をほとんど担当してくれてるスカサハがどうして断ったのか分からない。……きっと、最近沈みがちな私に対する、スカサハなりの優しさなんだろうと思う。けれど、そう思ってもやっぱり、ちくりと胸が痛んだ。
 そして、いつの間にかはじまった夕食。
 勿論、すき焼きを作ったのは、いつものようにスカサハ。そして、買い物はシャナンお兄ちゃん。
 三人で机を囲むのは、正直、あんまりにもいたたまれなかった。これだったら、外食の誘いに乗った方が良かったかも知れないって、食事がはじまってすぐに、私は後悔していた。
 だって、私の目の前には。

 シャナンお兄ちゃん(と私)のおわんに、かいがいしく肉と野菜を分けてくれるスカサハの姿が! それを優しく見つめるお兄ちゃんの姿が!

 私には、肉を口にして黙り込むことしか……、出来なかった。とにかく無理やり、口に肉を運んだ。




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