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ひとつ原稿が終われば、また原稿。
私は自室に鍵をかけ、愛用のIMacの前に座り込む。
「ん……っ」
組み敷かれた少年は、拒んでいるとは到底思えないような、悩ましげな声を上げた。
男は口許を綻ばせつつ、征服した子供を眺め……。
だ、駄目だ。表現が陳腐だ。ここのところ、いまいち調子が出ない。スランプ、というやつなのかもしれない。
不調の原因はわかっている。ラクチェだ。
私の職業は、同性愛モノを主に手掛ける小説家だ。
好んで読むのは、十代半ばから二十台前半の娘たちだという。ラクチェと同じ年頃の子たちなのだ。
ラクチェのような純真な少女たちに、卑猥な世界を見せるのが私の仕事。そう考えると、パソコンに向かい、くんずほぐれつの絡みを書くのがとても罪深いことのように思えてくる。
「ああっ。やはり、駄目だ、駄目だ……っ!!」
私は、テキストエディタを終了し、電源を落とした。
って……しまった、保存を忘れた。
調子は出ないといいながらも、原稿用紙十枚分くらいは書いてあったのに! ぐぐ。
本当にどうかしているな、最近の私は。
すきやきの日から何日かが経った。
私の様子もおかしいかも知れないけれど、最近のシャナンお兄ちゃんの様子は、どうもおかしすぎると思う。
やっぱり、スカサハとの道ならぬ恋について、悩んでいるのだろうか。
そう思うと、私はとても複雑な気持ちになる。
お兄ちゃんのことは大好きだ。勿論、スカサハのことも大好き。男同士だって言っても、二人が本気なのだとしたら、私はここで応援してあげるべきなんだろうって思う。大好きな人たちがしあわせになることを、祝ってあげたいとも思う。
でも、そう思うのに上手く行かない。
私はお兄ちゃんとスカサハを目で追っているくせに、二人と視線が合うと視線をそらしてしまう。目を合わせたままでいられない。
「私でよければ相談に乗るよ?」
と言い出すことの出来ない自分が、悲しいくらいに子供に思えて仕方ない。
お兄ちゃんとスカサハは、私以上に悩んでいることは知っているはずなのに。
お兄ちゃんとスカサハ、どっちのことも大好きなのに。
ラクチェは、私の職業が好ましいものでないことに、薄々感づいているのではないだろうか。同性愛作家である、というところまでは想像は巡らないだろうが。いい歳した男が働きにも行かず、自室に篭っていれば社会的に好ましい人間でないと判断されて当然だ。
ラクチェは近頃、何かを言いかけてやめることが多い。目を合わせようともしない。微妙に避けられている気すら、する。
嫌われたのだろうか。そうかもしれない。
無邪気に懐いてくれていた従妹。私は昔から彼女が可愛くて仕方がなかった。そして、彼女から好かれるのが嬉しかった。だが、怪しげな職業の私を好いてくれというのは無理な話なのだろう。
同性愛小説というのは、微妙なジャンルだ。好きな人間は大好きだが、嫌いな人間はとことん嫌い。ラクチェは、後者だろう。正直なところを言えば、前者であって欲しくない。だから、ラクチェに職業を言いたくない。
私は、ラクチェに嫌われたくはないんだ……。
色んなことを上手く処理することが出来なくなってから、私は二人と(特にシャナンお兄ちゃんと)二人きりになることを避けていた。
だからいつもはこんなミスはしないようにしているのだけれど、お風呂あがりに、お兄ちゃんと廊下ですれ違ってしまった。
お兄ちゃんはいつもの通り、部屋に鍵をかけていた。少し頬がやつれているみたいで、それが、お兄ちゃんがスカサハとのただならぬ関係についてどれだけ悩んでいるのかを、無言で語っているようだった。力になれない自分が、小さな存在に感じられた。
「……ラクチェか」
考えてみれば私たちは久し振りに顔をあわせたのだ。そうやって私の名前を呼ぶと、お兄ちゃんは微笑んだ、のだと思う。私は、お兄ちゃんの声に応えて視線をなげかけることは出来ても、お兄ちゃんの顔を見ることは出来なかった。
「お風呂、今、空いてるよ」
それだけ言って、私はそのまま自分の部屋に向かおうと足を踏み出した。
と、進む方向とは反対へ、腕が強く引き寄せられる。
「ラクチェ」
腕を引いたのは、勿論、お兄ちゃんだ。顔を合わせたくないと思うから、不自然にそらしてしまう視線が辛い。
「何か悩みでもあるのか?」
(悩んでるのはお兄ちゃんでしょ?)
言い出せるわけがなかった。
ラクチェが困っているではないか。
頭でわかっていても、掴んだ細い腕を放す気にはならなかった。
「ラクチェ……私の目を見てくれないか」
ラクチェは重たげに濡れた頭を上げた。一瞬だけ、瞳が合った。だが、すぐに逸らされてしまった。
「ラクチェ……」
「お兄ちゃん、あのね……」
「うん?」
「何でもない」
何でもないという顔ではなかった。しかし、そう言われては、追求することはできない。
いつからだろう。いつから、ラクチェは私を見て、哀しげな顔をするようになった。笑って、くれなくなった?
「手、放して」
そう言ったけれど、自分でも何を口にしているのかがよく分からない。シャナンお兄ちゃんは、傷付いた顔をしている。どうしてだろう。
お兄ちゃんはそれでも、手をはなしてくれない。だから私は、お兄ちゃんの手に自分の手を重ねて、掴まれた腕から、お兄ちゃんの指を一本ずつゆっくりとはがしていく。指が絡まるようなもどかしさが、私の中を駆け抜けて行く。
「ラクチェ」
名前を呼ばれて、ゆっくりと顔をあげる。さっきのお兄ちゃんの顔を思い出して、今のお兄ちゃんの顔を見て、胸がちくりと痛んだ。
「……本当に何でもないんだよ」
一緒に住むことがなかったら、こんな風に悩むことは無かったのかな。そんな思いが頭の片隅に浮かんで、消えた。凄く自分勝手で、恥ずかしい考え方。
「うん、なんでもない」
とても上手く笑うことが出来たと思う。
早く自分の部屋に戻りたかった。お兄ちゃんにこれ以上問い詰められたら、思わず口に出してしまいそうな疑問は、私の中でどんどんと大きくなっている。
やはり私たちは、一緒に住んではいけなかったのかもしれない。
アイラに話を持ちかけられた時は迷わなかった。双子との生活を想像してみても、違和感が不思議なほどなかった。最初の頃はただ楽しかった。数年前に突然失った家族がいるという感覚。求めることすら忘れていた暖かな感じが、蘇ってきた。幸せだった。幸せだったからなおさら、職業を隠し通そうと躍起になった。
如何わしい同性愛小説を可愛い二人に読ませたくなかった。その根底には絶えず、私を汚らわしいものとして見て欲しくない、という意識があった。
職業を隠すくらい、大したことではないと思っていた。
部屋に鍵をかけ、秘密の空間を持つだけのことなのだ。
もっと距離のある関係だったなら、問題なく共同生活ができただろう。
だけど、家族として暮らそうと思えば、秘密はないほうがよかったのだ。普通、家族が、家族に職業を隠すか? 隠すはずがない。
私は、一人よりも三人の生活がいい。今では、二人のいない生活は考えられない。限りなく家族に近い存在でありたい。
だったら……秘密をなくしたほうがいい。
同居生活をはじめて半年。私はついに、二人に話すことを決めた。
同性愛作家という職業を明かすことにしたのだ。
「シャナン兄がさ、話があるから居間に来いって」
スカサハにそう言われて、私は複雑だった。
話。
この単語だけで、私の頭はいっぱいになってしまう。ついにシャナンお兄ちゃんの口から、スカサハとのことがきちんと告げられるのだ。その時、私は笑っていられるだろうか。とてもとても、自信が無かった。
「ラクチェ、早く行くぞ」
「う、……うん」
自分に深く関係あることだっていうのに、スカサハの様子はいつもと変わらない。それがなおさら、私をどうすれば良いのか分からない気持ちにさせていた。
思えばスカサハは、今までだって全然変わらなかった。お兄ちゃんと付き合っているのに、私に対して動揺のひとつだって見せたことは無かった。考えてみると、スカサハってすごいかも知れない。
「スカサハ」
声をかけると、スカサハは私を見て小首をかしげた。いつもと変わらないスカサハの表情に、私は乾いてしまうくちびるをゆっくりと動かしてみる。
「シャナンお兄ちゃんのこと、……好き?」
スカサハは、私の言葉に瞬きをしてから、さも当然のようにこう言った。
「当たり前だろ? ラクチェだって、そうじゃないか」
確かに、私はお兄ちゃんを好きなんだと思う……。けれど……。
スカサハは不思議そうな顔で私を見ている。
そんなスカサハの様子に、私はゆっくりと頷いてから立ち上がった。そして、居間へと歩き出した。
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