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「ラクチェ、スカサハ」
 私は二人と向き合った。
「……はい」
「はい」
 二人は神妙な顔で頷いた。
「私は……」
「……」
「私は……」
 同性愛の小説を書いて、生活をしている。
 お前達にはとても読ませられないような、性的に際どいものも書いている。
 事実だ。言葉にする決意をした。だが、喉元まで出かかっても……声にはできない。
 時計の音だけが、妙なほどに耳を打つ。そんな時間が流れた。
「私は……私は同性愛……っ」
 長い時間を経て、ようやっと最後まで言葉にできそうな精神状態になった。だが、やはり最後までは口にできなかった。ラクチェに阻まれたからだ。 
「……もう、いいんだよ! わたし、知ってたから! 無理に言わないで!!」
 立ち上がるラクチェ。居間を飛び出すラクチェ。
 私とスカサハは、呆然とその後姿を見送った。
「ラ、ラクチェ……?」


 予想していたことだけれど、二人を目の前にしてその話を聞くことは、予想外に辛かった。

「私は、同性愛」

 シャナンお兄ちゃんの言葉をそこまで聞いてしまった時点で、もう耐えられそうになかった。
 やっぱり、っていう気持ちと一緒に、どうして、という気持ちが湧いて来る。同性愛が嫌なんじゃない。二人が私に関係を隠していたことが、本当にショックだった。
 とにかく、少し落ち着きたくて、私は部屋がある二階に向かって階段を一気に上った。
 部屋に着くとドアを閉める。シャナンお兄ちゃんの部屋と違って鍵はついていないから、ドアの前に家具を並べて蓋をする。何かを考えて行動してるという感覚は無かった、ただ体が勝手に動いてた。
 二人のことが辛いんじゃない。二人を受け入れられない自分が、なんて悪い子なんだろうって思えて。自己嫌悪が胸を占めていた。
 私はなんて悪い子なんだろう。
 スカサハのことも、シャナンお兄ちゃんのこともとても好きなことは事実なのに。どうして受け入れることが出来ないんだろう。
 ぐるぐるする。心がぐるぐるするんだ。



 扉の閉ざせる音、階段を駆け上がる音、遠くで、扉の閉ざされる音。
 私は、日常の音を、非日常の音であるかのように聞いていた。
「ラクチェ! 一体どうしたんだよっ!」
 呆然状態から立ち直ったスカサハが、ラクチェの部屋へと向かうのも、ただ見ているだけだった。
 ソファに身を沈める。緊張のために熱くなった額に手を当て、笑ってしまう。
「はは、ラクチェは知っていたか……はは……」
 ここのところよそよそしかったのは、だからか。分かってみれば、簡単なことだ。そこに考えが至らなかった自分が、酷く愚かしい。
 きっと軽蔑しているのだろう。私のことを、汚らわしいものと見ているのだろう。ラクチェを追ったスカサハも、真実を知ったに違いない。
「すまない、ラクチェ、スカサハ。私は……こうすることでしか生きていけなかったのだよ……」
 ラクチェの頬に光ったものを思い返して、私は頭部を抱えた。


「ラクチェ! ラクチェ!!」
 せわしないノックの音は、スカサハが困惑している証拠。
 私が絶対にドアを開けないって分かっていても、それでも無理にドアをこじ開けたりしないのは、スカサハの性格。
 いつもは大好きなスカサハなのに、その優しさが辛かった。
「ラクチェ? ……どうしたんだよ」
 少しの間続いていたノックが止むと、スカサハは、今度は落ち着いた口調でそう聞いてきた。でも、私が答えられるはずは無い。
「お前最近おかしいぞ? シャナン兄の話だって、最後まで聞いてみないとなんだか分からないだろう。あんなところで切られたら、俺も気になるよ」
 分かってるくせに!
 自分たちのことだってこと、知ってるくせに!!
 そうやって怒鳴りつけることは簡単だった。でも、それは出来そうにも無い。そこまで自分を惨めな子にはしたくなかったというのが本音かもしれないし、今、スカサハの口から本当の事実を聞きたくなかったのかも知れない。とにかく、理由は分からない。分かってしまえば楽なのに、どうしても分からない。
「ラクチェ。俺、お前が何か言ってくれるまでここから動けないよ」
 スカサハの声は優しい。それがたまらなかった。
「俺、お前のこと心配なんだ」
 私も心配だ。上手く立ち回れない自分が、そして、自分が傷付けてしまった二人の心が。



 私は己の職業に、誇りを持っているとは言い難い。
 それなりの成績で、それなりの大学を卒業し、学校の推薦で入社した上場企業。だがそこは、経費削減のためにコピー用紙を真新しい状態で使うにも許可がいるような会社だった。金がないワケではない。ただどケチな会社だったのだ。
 親がいた時はかなり、その後も保険金でもってそれなりに、裕福な暮らしていた私の肌にはとことん合わなかった。都心の一等地、しかも一軒家に住まっていることを気軽に口にしていた私は、いつの間にか周囲の反感を買い、孤立していた。
 しかし、学校推薦の痛いところで、簡単には辞められなかった。
 留学、大学院……辞める口実を探していた。寿退社を目指して合コンに繰り出す女性たちが眩しく見えた。そんな時に目についた一冊の雑誌が公衆応募ガイドだった。何でもよかった。あの会社を後ろめたくなく、辞めることができるのなら。絵、詩、漫画、純文学、キャッチコピー……色々送った。気がつけば、それが入選したところで本当に会社を辞められるのかというものにまで応募をしていた。いや、その、考えることが楽しくて、つい。創作系の才能があったのか、たまには入選するものだから、面白くてたまらなくて、ついつい。
  実を言えば、プライベートで楽しみができたことで、会社に行くことはそれまでほどには苦痛ではなくなっていた。そんなある日のことだった。かなり大きな賞の入賞の知らせが届いたのは。
 それが、締め切り十日前に募集を見つけ、正味一週間で書き上げたボーイズラブ小説だった。
 なんという運命の皮肉か、悪戯か。
 貴方なら、絶対に売れっ子になれる。いいえ、してみせるわ!
 そう力強く笑ったエーディンに奨められるまま、私は会社を辞め、同性愛作家への道を歩みだしたのだ。


 スカサハがドアの前に座り込んだのが、気配でわかった。
 スカサハは私が口を開くまで、絶対にあの場所を動くことは無いだろう。スカサハっていうのは、自分が納得出来ないものには、そうやって真正面からぶつかって来る人だ。
 このままで、逃げているだけではいられない。私は二人の理解者になることの出来る人間なのだから……。
 大きく息を吸い込んで、私は携帯電話を手にした。そして、メモリからスカサハの番号を選ぶと押す。
 ドアの向こう側で、シンプルな呼び出し音が鳴った。とってもスカサハらしい飾り気の無い音。
 どう考えても恥ずかしくて無駄なことをしているのは、自分でも承知している。それでも、顔を合わせて言葉を交わすよりは楽だった。

「……ラクチェ」
「スカサハ、ごめん」
「謝ってもどうしてこうなったのかは分からないよ」

 ドアを挟んで、私たちは家の中だというのに携帯ごしにそうやって言葉を交わす。スカサハの口調が優しくて、それが少しだけ嬉しかった。
「シャナン兄だって、驚いてると思う。それに」
 スカサハの言葉に、私は奥歯を噛み締めた。そうだ、お兄ちゃんだって、一生懸命に伝えてくれようと思ったからこそ、ああやって……。
「スカサハ」
「ん?」
 スカサハは続けようとしていたらしい言葉を打ち切って、私の声に応えた。
「いつからそうだったの?」
「は?」
 そうだよね、主語を言わなければ伝わるわけが無いよね。「いつからって、なんのことだ?」って呟いているスカサハの声が、携帯ごしでは無くて、ドアごしにも聞こえて来る。

「シャナンお兄ちゃんと、いつから付き合ってたの?」

 ついに聞いてしまった! 私は携帯を握り締めて、強くまぶたを閉じた。
 どうしてそんなことをしてしまったのかはよく分からない。
 もしかしたら、人には、言ってはいけないことや、口にしたくないことを言葉にしてしまうと、そうやって体を硬くしてしまうという習性があるのかも知れない。拳には強い力が篭っていた。
「はぁーーーー?」
 私の疑問に対するスカサハの第一声は、それはそれは大きくて、携帯ごしにもドアごしにも、鼓膜を大きくふるわせる力があるのではないかとさえ思えた。



同性愛作家……辞めるか? 辞められるか?」
 自問自答する。
 私にはそれなりにファンもいる。続きを楽しみにしてくれている彼女たちを裏切ることは……できない気がする。
 会社通い。あの陰鬱な日々に戻るか? それも嫌だ。第一、三十を目前にした私を雇う企業があるだろうか。企業勤めにブランクがある上、特技といえば文字を書くことだけという私を。
 何よりエーディンがどんな顔をするか。想像すると、とても辞めるなんて言い出せない。
「だが……ラクチェやスカサハに嫌われるよりは……」
 悶々と悩む私。
 ソファに寝そべり、そのまま考えることを放棄し寝入ってしまいたい……などと逃げ腰の思考をする私。
「はあーーーー!!?」
 まどろみかけた私を起こしたのは、スカサハの絶叫。
「スカサハも……真実を知ったのか……な」
「な、何馬鹿なこと言ってんだ!? 熱でもあるのか!??」
 信じない、か。そうだな。スカサハは純粋に私を慕ってくれていたものな。ラクチェもだったが。
 スカサハはすぐには信じないかもしれないな。男のほうが、そういった世界には疎いものだ。ボーイズラブ小説というジャンルすら、知らないかもしれない。だからこそ、いつまでも彼を騙しているのが心苦しい。
 私は真実を語るために、腰を上げた。
 嫌われるのは仕方がない。これで終わってしまう関係でないと、信じることしか、今はできない。


「だって!」
 私の反論の言葉をさえぎって、スカサハは早口でまくしたてた。
「な、何馬鹿なこと言ってんだ!?? 熱でもあるのか!??」
 と。口調は真剣だったけれど、それは私を安心させるためだけのことかも知れない。だから私は、ゆっくりと続けた。
「だってスカサハとシャナンお兄ちゃんは同性愛だって、さっきお兄ちゃんが……」
「違う!」
 スカサハが珍しく即答する。声も、だんだん、携帯から耳を離して、ドア越しになった方が良いくらいの大きさになってきている。
「だって!」
「とにかく、一回、顔を合わせないと駄目だ。ラクチェ、ドア開けてくれよ」
「駄目! まだ少し……、二人を応援できない自分が恥ずかしいから、一人でいたい」
「だから、違うっ!!」
 既に携帯は最初の役割を果たしてはいなかった。スカサハの声はどんどん大きくなって、鼓膜を破ってしまいそうだ。通話を終了させて、私はドアに視線を向けた。

 確かに、顔は合わせた方が良いことは、わかっている。



 私はゆっくりと階段を上がった。行き着く先を恐れるように、ゆっくりと、静かに。
 扉に向かって、違うと叫ぶスカサハ。私は彼に声をかけた。
「スカサハ。違わないのだよ」
「え、シャナン兄!?」
「騙すつもりはなかった。ただ、言い出せなかった」
「え、ええ!? シャナン兄が俺を!??」
 後退するスカサハ。背がドアノブに当たったらしく、身動ぎするように体を逸らした。
「言うつもりもなかった、隠し通すつもりだった」
「……そんな、急に言われても、俺どうしたらいいのか。そりゃシャナン兄は好きだけど……で、でも……俺……」
「スカサハ……そして……ラクチェも聞いて欲しい」
 壁に手を当て、扉と壁の隙間に話掛ける。スカサハに被さる形になったが、気にしていなかった。この時の私は、扉の向こうのラクチェしか見えていなかった。
「ラクチェ。出てきて欲しい」
 二人の顔を見て、今度こそ話をする。これまでのこと、これからのこと。


 ついに、二人が揃ってしまった……。
 シャナンお兄ちゃんの声をドア越しに聞いて、私はもう、観念するしかない自分を知った。
 ひとつひとつ、扉の前に置いていた家具を動かして行くことで、気持ちを整理しようとした。大丈夫、大丈夫と思いながら、時間をかけて家具を動かす。その間、二人は私をじっと待っていてくれるようだった。
 拳を強く握ってから、私はゆっくりとドアを開けた。
 そこにあったのは、そこで目にしたのは。

 スカサハに覆い被さった、シャナンお兄ちゃんの姿だった。
「やっぱり二人は付き合ってるんじゃないの!!」
 とっさのことで、もう少しどうにかなるような言葉を使うことが出来なくて……。私はそう叫んでしまっていた。




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