4

「ち、違う、誤解だ、ラクチェ」
 スカサハから離れて、ラクチェに寄る。愛しいものに凶器を突きつけられ、がけっぷちに追い詰められたなら、人はこんな気持ちになるのかもしれない。もう、後には退けない。前に進むしかない。相手を説得できると信じて、前へ!
 ラクチェの頬には、訓練の後の汗のごとき量の涙が伝っていた。
 驚愕に歪んだ顔のスカサハは、私から目を逸らせて衣服を整えている。
「スカサハもだっ! 落ち着いて考えてみてくれ。私が同性愛者なワケがないだろう!!」
 叫ぶ。
「……」
「……」
 二人は、言葉もなく顔を合わせた。
 双子特有の意思の疎通が行われている気がした。

 
「少し、問題を整理することにしましょう」
 私と目を合わせたまま、スカサハは言った。スカサハの顔は、真剣そのもの。私は、嫌と言うことも出来なくて頷いていた。
「シャナン兄も、いいですね?」
 少しかすれた声でシャナンお兄ちゃんにスカサハが問うと、強張った表情のまま、シャナンお兄ちゃんも頷いた。
 確かに、問題を整理することが必要だと、私も思った。
 さっき逃げ出した一階まで、私達は一言も言葉を発することなく戻って行く。
 何を聞いても、動揺しないでいよう。私はそう思いながら、前を行くスカサハとお兄ちゃんの背中を見ていた。



「単刀直入に聞きます」
「……」
 頷くことでスカサハを促す。ラクチェがスカサハの半歩後で、彼のシャツの裾を握っている。怯える子供のようにあどけない仕草。
 真実は告げよう。だが……私の書いた本だけは読ませまい。絶対に。ラクチェは清らかな少女なのだから。心の中で誓う。
「シャナン兄は、男に対して、通常女性に向けるような欲を抱くのですか?」
「違う」
 即座に否定する。しかし、言葉を選んでいるのは分かるが、ホモとか同性愛者とか言われるより、いやらしさがある言い回しだな。今度小説で使……って、違う、今はこんなことを考えている場合ではないっ。職業意識を追い出すように、首を勢いよく振る。スカサハは、そんな私を見て、少しだけ肩の力を抜いた。ラクチェは相変わらずスカサハの影に隠れている。
「そうですよね。では……その……」
 頬を染め、口篭もるスカサハ。ラクチェが続きを引き受けた。
「男に特別な関心はないけど、スカサハのことは特別に愛している?」


「違う」
 シャナンお兄ちゃんは、私の問いに、すぐさまそう答えた。前に立っているスカサハから、また少しだけ緊張が解けて行くのが伝わって来る。シャナンお兄ちゃんはともかく、スカサハの方には、私が誤解したような意思は無いということだけは、確実に分かった。なぜなら、スカサハの顔はかなり強張ってしまっているから。長い付き合いだけれど、スカサハのこんなところ、見たのははじめてだ。
 じゃあ、どうして誤解されるようなことばかり? 
 言葉を続けようとするのに、喉の奥に何かが絡まってしまっているかのように出て来ない。少しの間で、やつれてしまったようなシャナンお兄ちゃんに、この話が始まってはじめて、視線を向けた。
 お兄ちゃんの目と私の視線が合う。
 そらしてはいけない、そう思いながら、私はお兄ちゃんを黙って見つめていた。



「ラクチェ、スカサハ。お前達は、何をどこまで知っている?」
 私は同性愛作家。隠しているのは、それだけだった。それが、曲がりに曲がって……というほどでもないか? 私自身が同性愛者、ということになっている。それはわかった。同性愛作家だから、同性愛者だと思ったのか。同性愛者に関係していることだけを嗅ぎつけたのか。それはわからない。
「ね。お兄ちゃんが、わたしたちに隠していることって、何?」
「俺もそれが知りたい」
「……これまで隠していたことは、すまないと思っている。まず謝らせてくれ」
「俺たちは、何も知らない。だから、謝られても困ります」
「そうだな……はっきり言うよ。私は……」
「……私は?」
「……」
 息を呑む音が、廊下に響く。
「私は……」
 手に拳を作る。それを無意味に振りかざしつつ、言う。
「同性愛モノ専門の小説家なんだっ!」


「はぁ?」
 スカサハが発した声は、すごくスカサハらしかったと思う。
 気の抜けたっていう表現が、ぴったり。
 スカサハはそのまま、私に体重を預けるように寄りかかってきた。スカサハの体は重かったけれど、それを邪険にすることは出来なかった。スカサハの預けてくれる重みが、私を安心させてくれたからだ。
「なんだ、そんなことだったんだ。兄の隠してたことって……」
 スカサハの言葉に、お兄ちゃんは眉間に少しだけ皺を作った。
「そんなこと……、なのか?」
「決まってるでしょう? 俺がシャナン兄の恋愛対象だってことに比べたら、全然、本当に、全く、たいしたことないことじゃないか!」
 偏見は作らないつもりだけど、俺にはシャナン兄の想いには応えられないよ。だから、もしそっちが本当だったとしたら、本当に、すごく、困る。スカサハはそう呟いて、やっと自分で自分の体を支えた。私に預けられた体の重みが無くなる。
「誤解されたまま応えられても……な」
 少し落ち着いたのか、お兄ちゃんがそう続けると、スカサハは微かに笑った。さっきまで大騒ぎだったのに、すぐにこうやって笑い合うことの出来る二人は、やっぱり私とは違うんだ。
 どうして私は、二人と同じではいられないんだろうって思うと、どうしようもない気持ちになる。
「ラクチェ?」
 シャナンお兄ちゃんが、私が何も言わないことを気にしたのか、名前を呼んで来る。
 笑顔で返さないといけない。そう思うのに、笑顔を上手に作ることが出来なかった。



「ラクチェはやはり、私が同性愛作家だと嫌か……?」
「え? ううん、別に、特別気にならないけど?」
 ラクチェはそう言ったが、私には彼女が無理をしているように見えた。
 それはそうだろうな。普通の小説家ならまだしも、同性愛だものな。
「ラクチェが嫌だというなら、私は……辞めてもいいと思っているんだ」
 先には、そんなことはできないと思った。
 だけど……ラクチェの強張った顔を見ていると、辞めるしかないと思った。
 ラクチェにはいつだって元気で、笑っていて欲しい。もう長いこと、ラクチェの笑顔を見ていない気がする。
「別に辞める必要なんて、どこにもないと思うけど」
「我慢しなくていい。同性愛作家と一つ屋根の下にいるなんて、嫌だろう。生理的にそういったものが嫌いな人間というのはいるんだ……私はそう言った人間の反応には慣れている。だから、はっきり言ってくれて構わない」


 シャナンお兄ちゃんは真剣な顔をしていた。間に挟まれたスカサハは、とても居心地が悪いんだろうって思った。
 なのに、言葉が出て来ない。
「……ラクチェ」
 スカサハに促されて、私は小さく頷く。けれど、言葉が出て来ない。
「やはり……」
 シャナンお兄ちゃんが、悲しそうな顔をしている。その言葉が続けられることを、私は恐れている。
「違う……の」
 何が違うのか、私にもよくは分からない。けれど、この言葉以外、何も出て来ない。



 違う……?
 では同性愛に関わる人間だから、私を嫌い……というのではなく、他に嫌われる原因があるのか?
 滅多に、外出しないことか?
 電話に出ようとしないことか?
 二十八にもなって、彼女の一人もいないところか?
 男なのに髪を伸ばしているところか?
 思い当たる節は多少はある。だけど……どれも今ひとつピンとこない。
 私は勇気を出して、尋ねた。
「何が……違う?」


「シャナンお兄ちゃんは……」
 私の言葉を、スカサハもお兄ちゃんも待っている。そんなこと誰にだって分かる。
 気持ちに言葉が追いついてくれなくて、それがもどかしい。でも、泣いたり騒いだりして逃げてしまうわけには行かなかった。
「私、二人が恋人だったらどうしようって、そればっかり思ってて」
 二人が目を見開いて視線を交わす。それでも、私は続ける。
「二人のこと、自分がどう思ってるのか、分からなくなっちゃって。……寂しくて」
 そう、寂しかったんだと思う。大事な二人に、置いていかれたような気がして。
「ずっとそう思ってて、そんな自分が嫌だったの。だから、いきなり違うって言われて、すごく、スゴク、どうすれば良いのか分からないの」
 稚拙な言葉でしか想いを綴ることが出来なくて、それが悔しかった。



「ラクチェ……」
 正直、ラクチェは時々、何を考えているかわからない。
 それは私とは違う存在だからなのだろう。
 多感な少女。私は彼女の痛んだ心を癒したかった。
「何が不安なんだ。私はラクチェが好きだ。スカサハもラクチェが大好きだ。いつだって傍にいる。寂しがることなんて、ないだろう?」
 ラクチェが不安に思うことなんてない。不安や寂しさを覚えるのは……むしろ……。
「……俺は……ラクチェの気持ちわかるよ。俺も同じように感じていたから」
「スカサハ?」
「シャナン兄とラクチェは兄妹同然だけど、従兄妹だから結婚しようと思えばできるだろう?」
「結婚ーーー!? 何を馬鹿なっ、私とラクチェでは干支一周分も年の差があるのだぞ、なあ、ラクチェ」
「……」
 何故そこで黙るかな、ラクチェは。本当にこの子は時々わからない。
「まあ、可能性の話なんだけどさぁ。二人は仲いいし。第一、いい歳して彼女も作らない……というか、そもそも出逢いがなさそうなシャナン兄と、暴れ馬で貰い手いないかもしれないラクチェが利害の一致で結婚するっていうありえそうな話だろう。歳の差なんて 大して問題じゃないよ」
 ……そう言われると、あるかもしれないが……私はともかく、ラクチェにはいくらでもいい縁談がありそうだがなぁ。顔も性格もこんなに可愛いのだから。
「スカサハ、シャナン兄に失礼よ。わたしにもだけど」
「だから、可能性の話だよ。もしそうなったら、俺は二人を祝福できるかな、とか。この家、一人で出て行かなきゃいけないかな、とか。あ、でもそのころには俺も一人立ちしてないと駄目だよな、とか。いつまでも子供じゃいられないんだよな、とか……無駄に色々と考えて、眠れないこともあった」
 意外だ。スカサハでも、そんなことがあるのか。


「……スカサハ」
 スカサハの論理は、一定ではないと思う。でも、言葉のひとつひとつに、スカサハの本音があった。
「スカサハっ」
 なんて素敵な兄を持ったんだろう、そう思う。スカサハはきっと、私たちにそれが分かってしまってはいけないとか、そういう風に思うことが出来る人なんだ。同じはずなのに違う。それが、胸を張りたいくらいに誇らしくて、私はスカサハに抱きつこうと、した。
 けれど、飛びついた瞬間に、腕を掴まれる。
 スカサハのはずは無い。勿論、それはシャナンお兄ちゃんだった。
 さっき、スカサハが言った言葉が、頭の中で繰り返される。
『結婚しようと思えば出来るだろう?』
 シャナンお兄ちゃんは、どうしてそんなことをしてしまったのか自分でも分からないような顔で、珍しく口を開けっ放しにして、私の視線を受け止めていた。妙に恥ずかしくて、私はお兄ちゃんの手を、振り払ってしまった。



「……」
 私は……何故、ラクチェに触れてはいけないのだろうか。振り払われるのだろうか。 スカサハとラクチェは何のためらいもなく触れ合うのに、私がそれをしようとすれば、警戒される。ラクチェにも、スカサハにもだ。
「私も……同じなのだ」
「え?」
「私も……お前達二人の絆を見て……羨ましく思っていた。三人でいても、私が入っていけない二人の空間が出来上がることがあって……それを、とても寂しいと思っていた。お前たちは双子で、私は所詮、従兄妹。仕方ないとは思っていたが……それでも、寂しかった。いい歳した大人がと笑うか?」
 笑ってくれても構わなかった。
 ただ、正直な気持ちを二人に知って欲しかった。


「ごめんなさい」
 スカサハに向いていた体をお兄ちゃんの方に向けて、私は頭を下げた。お兄ちゃんの今の言葉で、何かがすとんと落ちた気がしたのだ。
 私はいつも、お兄ちゃんを勝手に誤解して、傷付けてばかりいる。けれど、お兄ちゃんはそれを受け止めてくれるのだ。シャナンお兄ちゃんは、お兄ちゃんが言うように、スカサハみたいな本当のお兄ちゃんではない。けれど、いつだって、同じように接してくれる。
「お兄ちゃん」
 シャナンお兄ちゃんは、下がっていた顔を上げて、私をじっと見た。
「私ね、お兄ちゃんのこと、好きだよ。……だから、ごめんなさい」
 悩んでしまうのは、好きだから。こんなに大切にしてくれていることを、分かっていたくせに気付けないでいたから。
 だから、この言葉は間違っていない。正しい答えだ。



 真剣そのもののラクチェ。混乱して、日本語が可笑しくなっているという感じではない。私は言葉の意味を租借する。
「好きだから……ごめん、か……」
 ラクチェは頷く。
 それは、好きだけど……家族として好きだから、結婚相手として考えることはできない、ということか? だから安易に触れられるのも困ると。私はプロポーズする前に断られたのか? 胸のあたりが、激しく締め付けられる。ショックを受けているのか? では何だ、私は、ラクチェと結婚したかったのか?

 スカサハの言葉が、心の中で蘇る。
『結婚しようと思えばできる』 
 そう、結婚しようと思えばできる。
 言い換えれば、どちらかが思わなければすることはないということだ。


 黙りこんでしまったシャナンお兄ちゃんを不思議に思って、思わずスカサハを見上げてみる。するとスカサハはは、なぜか微妙な顔をして私を見下ろしていた。
 私、何か変なことを言った……?
「好きだから……ごめん?」
 お兄ちゃんの問いに、私は頷いて答える。すると、お兄ちゃんはますます黙り込む。
 好きじゃいけないの?
 ……と、そこまで思って、私は凍りついた。
「あっ! あのねっ」
 私が思い出したみたいに、お兄ちゃんも、そしてそれを言ったスカサハも、同じ言葉を思い出していたのだと思う。
『結婚しようと思えばできる』
 タイミングを間違えたと思いつつ、シャナンお兄ちゃんがどんな反応を見せてくれるのか気になっていたというのも、……嘘ではない。

 

「うん?」
「べ、別にシャナンお兄ちゃんと結婚なんてできないから、って謝ったんじゃないよ? お兄ちゃんのことはほんっとうに大好きで……あ、でも、だからって、その、結婚したいと言ってるんじゃなくて、えっと……あー、上手く言えないけど!」
 ラクチェが必死に弁明をする。
 わかっているさ。ラクチェが私との結婚を望むなんてありえないことくらい。期待を持たせまいとしているのだな、ラクチェは。
 では、私はどうなのだ?
 微妙に残念に思っている気がする……。
「わかっているさ」
 動揺を押し隠し、努めて冷静な声で私は言った。
 少し、冷たい言い方になったかもしれない。取り繕うように付け加える。
「私も家族としてラクチェが好きだ。勿論、スカサハのこともな……」


「そうだよね、私、馬鹿だな。シャナンお兄ちゃんがそんな風に誤解するわけ無いよね!」
 自分が何かを期待していたことが分かってしまって、私にとってはそれがショックだった。
 私はお兄ちゃんの答えに、何かを期待していたんだ。期待してはいけないような何かを。
 だからそれを悟られないようにと、飛び切り子供っぽい口調でそう言って、笑った。スカサハが、服の袖を掴んで軽く引いた。そんなスカサハにも笑いかけて、私は大きく息を吸い込んだ。
「ずっと、変な誤解しててごめんなさい。私、シャナンお兄ちゃんの仕事のことは、特になんとも思ってないから、安心してね」
 お辞儀をすると、体を翻した。
 とてもじゃないけれど、このままご飯を続ける気にはなれなかった。
 せっかく元に戻れそうなのだから、このままの関係を続けるために、自分の気持ちを整理して隠してしまわなければならないのだ。
 私は気付いてしまった。
 私、お兄ちゃんが好きなんだ……。
 すごくすごく好きなんだ。
 でも今、それを口に出して伝えることは出来そうになかった。私たちはやっと、ひとつの誤解を解いた。だからここから新しい生活が始る。それを今、私の感情で台無しにすることは出来ないって思った。



 ああ、そうか……誤解をしていたことを謝っていたのか。私やスカサハのことが好きだから生まれた誤解だものな。
 結婚を断られたワケではなかったのか。ほっ。……ほっ?
 ……でもそのあと断られたか。 結婚したいわけではない、とはっきり言ったものな。
 じくじく。……じくじく?

 っと、そうだ! 私は肝心なことをラクチェに伝えていなかったぞ!!
「ラクチェっ!」
 私は部屋に戻ろうとするラクチェの背中に声をかけた。
 ラクチェは頭だけで振り返った。子供っぽい笑顔だ。
「?」
「……一つ、言っておかねばならないことがある」
「なに?」
「あのな……」
 これだけは絶対に! 言っておかなくてはいけないのだった。
 自分でもよくわからない感情に振り回されて、忘れるところだった!  保護者としての義務を!
「私の書いた本は、絶対に読むなよ!」
「え、何で!? 読みたいよっ」
「俺も、読みたいっ」
「駄目だ、絶対に駄目だ」
 頭を振る。髪が乱れるのも気にしない。我ながら、大人気ない動作。
「何で……」
「あれは子供が読むようなものではない」
「子供子供って……わたし、もう16よ。今すぐに、け、結婚だってできる歳なんだから……子供扱いしないで欲しい!」
「……」
 『結婚』そこに話題が戻ってしまう気がして、少なくとも今はこの話をしたくはなくて、強引に話題を打ち切ることにした。
「と、とにかく駄目だ、わかったな」
「……」
「……返事は!」
「はーい……」
 二人は、不承不承という形で頷いた。
「いい子だ 。さあ、もう子供は寝なさい」
「……子供じゃないのになぁ」
 そう言って部屋に帰っていくラクチェは笑ってはいたけど、少しだけ、寂しそうだった。



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