主催 創業7周年記念オフ会実行委員会(有志の集まり)
日時 05年8月27,28日
場所 長野県八坂村 さざなみ館
参加 メンバー、その家族を含め130人前後(北は秋田から南は大分まで)
○はじめに
○出発
○オフ会の様子(一部の写真は皆さんのHPからダウンロードしました)
不良中年友の会が発足から7周年を迎えた。つい最近、3周年オフや5周年オフを開催したばかりと思っていたらもう7周年になっていた。
一口に7年というけど7年は長い。「不良中年」といういかがわしい文字を初めて見てから個人的には6年以上過ぎた。
ネット(ML)上の付き合いがこんなに長く続くとは思わなかった。この7年でメンバーはかなり入れ替わった。
基本は「去る者は追わず、来る者は拒まず」なのである。
過去2回の記念オフに参加しているので今回も是が非でも参加したかった。考えられる用事・用件を前詰めで片付けて当日を迎えた。
心配していた台風が前日に通過して、予報通りの良い天気だった。荷物を積み8時前に出発した。これでは早く着き過ぎることは判っているが、早く着いても誰かいるだろう。GWに北陸へ行った時と同じルートを走った。
せめてひとつぐらい温泉に入ろうと考えて9年前に入ったことがある松代温泉へ行くことにした。浅間サンラインから旧菅平有料道路に入り真田町から地蔵峠を越えて松代(長野市)に向かった。
この道は、以前は松代から真田町へ向かって走った。久しぶりに走れて楽しかったが、松代側はヘアピンカーブの連続で緊張した。
松代に入って積算走行距離が33333.3kmとなった。目的の松代荘(国民宿舎)の場所が判らずコンビニで尋ねた。町並みから少し離れたところにあった。昔の記憶がよみがえってきた。松代荘は改装されモダンな外観に変わっていた。
「本日団体貸切」の張り紙に嫌な予感がしたが、受付で聞くと「日帰り入浴」はOKとのこと。ここまで来て断られたらショックが大きい。温泉は濃い褐色。温泉が堆積して湯船が成長中である。
内湯と露天を交互に入って疲れを取った。
ここまで来れば八坂村は近いのでのんびりできた。
松代荘を出て、長野市内に入り、国道19号線に入った。ここからは一本道である。お腹が空いてきたのでドライブイン風なところで休憩して昼食を食べることにした。食堂に入るとある人と顔が合った。
お互いに、知り合いのようだが名前が思い出せない状態だった。「イズラーさんですよね。たかりんです」「はいそうです。やはりたかりんさんでしたか」。たかりんさんは既に食べ終わってきた。少し雑談して、「先に行って準備の手伝いをします」と出発した。
そばを食べていると今度は単二さんがやってきた。挨拶もそこそこに「現地でまた」と出発していった。食べ終わって出発の準備の準備をしているとバイクが1台入ってきた。県外ナンバーである(長野県では)。
今日の参加者ではないかと声をかけてみるとやはりそうであった。滋賀のみたっちさんだった。
ここからさざなみ館まで20分ほどである。いそぐこともないので犀川を眺めながらのんびり走った。会場には2時半頃到着した。数名の方が到着していた。手を振っている人がいるので誰かなあと思ったらあかねさん(写真左)だった。
雑談して他の皆さんの到着を待っていると実行委員のマルちゃんが「手伝って下さい」として名札を持ってきたので、あかねさんと2人で手伝った。ほんの微力ながら記念オフ会の開催に貢献できた。
続々と参加者が到着した。最初の言葉はほとんど「お久しぶり!」でたまには「まいど!」。オフ会は現地に到着するまで緊張するものである。そして一言挨拶するだけでその緊張がほぐれるから不思議である。
受付が始まり、部屋に荷物を入れ、風呂(一応温泉)には入る。松代で入ったので汗を流す程度で終わりにした。部屋に戻っても退屈なので外に出て皆さんとバイク談義、古い人とは昔話である。そして、古い人とは「古い人が少ないねえ」が合言葉となった。
部屋に戻るとKAZU@大分さんが到着していた。今回お会いできることを楽しみにしていたおひとりである。私と同じ年式で同じ色のゼファー750RSに乗っていらっしゃる。つまり同じバイクなのである。
これまで同じバイクに出会ったことがなかった。はるばる九州からご苦労様です。今回は九州勢は2名。もうひとりは福岡のUchidaさんである。Uchidaさんとは第1回ほやオフ以来4年振りである。既に挨拶を済ませていた。
KAZUさんと「翌朝、2台並べて写真を撮りましょう」と約束した。
いよいよ記念オフ会スタートである。全員が体育館に集合した。開会宣言、記念グッズ担当者の紹介と挨拶、集合写真撮影と続いた。それから、亡くなられた吟帆"さん、Shimaさの冥福を祈る黙祷を行ってから、
いよいよテシマ手羽先隊隊長の乾杯の発声で本格的なオフ会に突入するところであったが、乾杯にあたりテシマさんから突然不参加となったShinさんの窮状について話しがあった。
けれど、Shinさんを以前のShinさんに復活させるために我々はできることはこの7周年オフを盛大に開催することであり、参加者全員が「楽しかった」と帰着メールを書くことである。
乾杯のあとはゲームやビンゴもあったが、大宴会状態であった。あまりの大人数で何割の人と話しができたろうか。9時過ぎに一本締め(だったと思う)でオフ会としての公式宴会はお開きとなった。
でもそのまま宴会は続いた。
部屋に戻ってみると既に就寝中の人がいた。別の部屋では小宴会が行われていた。体育館に戻り、飲みながら語り合った。床に就いたのは12時頃だったと思う。でもエアコンの音が気になって熟睡できなかった。
お久しぶりです。 | 乾杯前? |
同じテーブルの皆さんです。 | 横断幕です。 |
○2日目
4時半ぐらいには目が覚めて全然眠れなくなったので諦めてシャワー室へ行った。ドアがきちんと閉まっていなかったためか虫だらけであった。シャワーのあと、バイクを見に行った。駐車場は満杯である。5周年の時より明らかに多かった。5時ぐらいになるとぽつぽつと人が出てきた。
開口一番、「年寄りは朝が早い」。お互い様です。朝食の時間まで皆さんと雑談した。
お陰で昨夜で宴会で話せなかった人とも話すことができた。
昨夜の宴会の後片付けを行い、朝食のパンを食べた。それほど食欲がないのでちょうどよかった。食事が終わると皆さん出発の準備を始めた。
私は約束通りKAZUさんのバイクと2台並べて写真を撮ってもらった。隣りにとめていたクーペさんが「1台でも珍しいのに2台とは」と言った。
この写真が撮れただけでも来た甲斐があったというものである。
そしていよいよ閉会が近くなった。最後の集合写真を撮った。レディーズだけでも写真を撮った。そしてゴン葱さんの閉会宣言で7周年記念オフは無事幕を閉じた。
信州の皆さんを中心とする実行委員の皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。
○帰り
1台2台を出発していった。今度はいつ会えることでしょうか。私はKAZUさんと国道の入り口までわずか数十mのマスツーリングをして分れた。
来た道を戻り、5周年の時と同様に聖高原方面へ行く山道に入った。ところが通行止めの箇所があり迂回路を走っているうちに判らなくなり道路標識を見ながら走った。「上田」という文字が見えてきたので何とかなるだろうと思った。
それほど広くもない県道を走り続けていると国道143号線に出た。これで安心である。コンビニでバイクを止め、地図を確認すると別所温泉が近いではないか。以前から行きたいと思っていたので好都合である。
別所温泉に着いたもののどこに共同湯があるか判らない。そろそろと走っているうちに大師湯を見付けた。しかし先客がいてバイクをとめられない。そのうちカブが1台出ていったのでやっととめることができた。
小さな内湯がひとつのこじんまりした温泉だった。
硫黄の臭いが温泉を実感させてくれた。のんびり入っていたいところだったがとめたバイクのことが気になってすぐあがった。鉄道ファンである私なら上田から別所線の電車で来るのが本筋だったかもしれない。
あとで判ったことだが、7周年参加者の何人かが別所温泉に立ち寄った。
さて帰りも温泉に入ったのであとは真っ直ぐ帰るだけである。上田市街を走っていると腹が減ってきた。ちょうどCOCO壱番屋が目に入った。迷うことなく入ってしまった。太田にもあるが、1年以上食べたことがない。
上田から浅間サンラインに入って行きと同じ道を走った。コスモス街道(国道254号線)は快適だった。5周年のときはこの道を知らなかったので行きも帰りも碓井峠(碓井バイパス)だった。
帰りは別に道の方がいいかな、碓井バイパスにしようかとも考えたが、混雑する17,18号線を走る意欲がわかなかった。
アパートに着いたのは4時頃だった。向こうを出たのが10時頃だったので順当なところであろう。無事故無違反だった。特に今回は「無事故」で帰ることに大きな意義がある。参加した皆さん全員が無事帰着したことは何ものにも代えがたい。
○まとめ
今回は直前に仲間の死という思いがけない出来事があったので開催が危ぶまれた。意識的に参加を見送った人もいた。しかし、こうやって無事開催されたことは事実として残るものであり、大いに意義があったと思う。そしてその席に加われたことを大変嬉しく思う。
次は数字の並びから10周年であろう。3年も先のことなのではたして開催されるかどうか判らない。
しかし、開催が決まったら是非参加して記念オフ会皆出席を維持したいと思っている。
(参考:今回を含めた3回の記念オフ全てに参加したのは10数名)