水中用装甲戦闘猟兵発達史(第3回)




 前回、マインファルケンビール工場の秘密工廠にて防水型エカテリーナの他にもう一種開発が行われていたと紹介した。今回はそのもう一方の機体、水中用装甲戦闘猟兵について解説したい。なお、水中用装甲戦闘猟兵はケルンテン・グリューネラントあわせて4機種も開発されたが、全てが同系統の機体であるため、これらを全てをまとめて紹介させていただきたい。



水中用装甲戦闘猟兵 『げんごろう』

 マインファルケンビール工場の秘密工廠にて防水型エカテリーナと共に開発されたもう一つの装甲戦闘猟兵、それがこの『げんごろう』である。この機体にも型式番号の付与が行われた形跡は無く、海軍内部では『げんごろう』と云う日単語で呼称されていた。

 この機体は装甲戦闘猟兵のアイデンティティとも言える人型を廃し、ラグビーボール型潜行艇の両舷に腕を取り付けた形状であった。これは、水中機動型として戦場を水中のみに限定し水中での行動を重視したため、潜水艇の前部にBa−003Sシュピーゲルの上半身を組み込んだものを採用したためである。また頭部は存在せず、外部視界は艇(機?)体前部に開けられた観測窓、および上部から延びる潜望鏡によって確保されていた。
 機体(艇体?)前部両舷に配置されていた腕は末端部がハサミになっており、したがって作業能力はあまり高いとは言えなかった(ただし、防潜網や係留索の切除といった作業には絶大な効果を発揮したであろう)。これは『げんごろう』が純粋な戦闘用として開発された事、また防水型エカテリーナよりも高い水中速力が求められたため、腕に武装を持たせる事による抵抗の発生を避けたためであろう。なお、作業能力が低いと前述したが、大破した僚機を回収する程度の事はできるようだ。
 機体尾部には舵を兼ねた安定板が6枚配置され、その更に後ろには1軸のプロペラスクリューが配置されていた。『げんごろう』はこの推進装置を利用して十数ノットと言う非常に高い水中速力を発揮できた。また、『げんごろう』は通常の潜水艇より予備浮力が小さかったため、浮上するにはこれら安定板(昇降舵兼用)とスクリューの推進力を使用する必要があった。これら推進装置の動力であるが、装甲戦闘猟兵に使われていた筋肉筒ではないかと思われる。『げんごろう』の後部は電池式潜水艇が流用されているため動力も電動だとする説もあるが、私はこの説に懐疑的である。なぜなら、当時の電動モーターの出力では、『げんごろう』の様に腕などの抵抗物が多い艇に十数ノットもの速力を発揮させる事が困難なためである。

 『げんごろう』は装甲戦闘猟兵としては珍しい複座機であった。これは、操縦系が装甲戦闘猟兵部分と潜水艇部分に分かれていたためである。2名の役割分担は、主操縦士が艇の基本操縦と外部兵装の操作、副操縦士が潜水用タンクの注排水と腕の操作となっていた。なお、グリューネラント側に渡った(この件に関しては後述)後は、1名での運用していたと思しき記録も存在する。『げんごろう』が1名でも十分に運用可能な機体であったのか、それとも西トーテンコプフ島で単座に改造されたかは定かではない。

 武装についてであるが、先ほど説明したハサミの他に、両舷に各1基搭載された30センチ魚雷と底面に装着された4連装小型対潜弾発射器が準備されてあった。これらを見てもわかるように、『げんごろう』は潜水艦・潜航艇および舟艇を主な攻撃対象としており、大型水上艦艇に対する攻撃能力は限られていた。計画時点での主な仮想敵は海賊であったためだが、アドリア海に多数配備されていたイタリア海軍の潜航艇も視野に入れての武装選択であったと思われる。

 ここからは実際の運用状況を見てみたい。『げんごろう』初陣は防水型エカテリーナと同じく1938年1月17日であった。防水型エカテリーナ1機と共に呼称『タコラス』の邀撃に投入され、魚雷2本、対潜弾4発を射出した後にハサミを使った格闘戦を行ったが、僚機が大破したためにその胴体部を回収して撤退した。
 続いては3月22日のアルゴナウト作戦(第二次トーテンコプフ沖海戦)に投入される予定であった。しかしこの時、『げんごろう』のパイロットがマルヒ技術少佐を連れてグリューネラント(西トーテンコプフ島)に亡命する事件が発生したため、実際の作戦参加は行われなかった。しかも、ケルンテン海軍にとっては唯一の『げんごろう』が開発者ごと失われてしまった。以降、『げんごろう』の運用はグリューネラント海軍にて行われる事となる。
 グリューネラント海軍による『げんごろう』の初運用は4月30日のマインファルケン湾襲撃であった。UBIII型潜水艦UFと共にマインファルケン湾へ浸入し、『げんごろう』が格闘戦でケルンテン海軍の哨戒艇1号を撃沈した。この時の襲撃作戦では、航洋能力のない『げんごろう』をUFに搭載して作戦地点までの輸送および回収を行っている。これは、日本海軍による真珠湾攻撃よりも3年半も早い、世界最初の潜水艦と特殊潜航艇を組み合わせた港湾攻撃であった。
 続いての、そして最後の実戦投入は6月18日であった。この日はグリューネラント海軍によるマインファルケン火力発電所攻撃作戦が実施され、その支援のために『げんごろう』1機とシュヴィムケーファー2機がマインファルケン湾内に侵入した。侵入はすぐに察知され機動砲艇3号および防水型エカテリーナ2機による邀撃を受けた。この戦闘でシュヴィムケーファー1機が中破したため、舞い上がった改海底の泥に紛れて撤退することとした。しかし、『げんごろう』が防水型エカテリーナ1機に捕まり格闘戦が発生した。この格闘戦で双方共に浸水が発生し、沈没してしまった。これは、水中専用機にとって唯一の沈没であった。



水中用装甲戦闘猟兵 『シュヴィムケーファー』

 ロルフ・マルヒ氏がグリューネラントへ亡命した事によって、水中用装甲戦闘猟兵の開発は西トーテンコプフ島でも行われる事となった。そしてまず開発・生産されたのがグリューネラント版『げんごろう』の『シュヴィムケーファー』である。
 『シュヴィムケーファー』は『げんごろう』の強化型という扱いになっているが、『げんごろう』を独訳しただけの名称からも見て取れるように、『げんごろう』と『シュヴィムケーファー』の間に実際の差異は無かったようだ。これは『げんごろう』と『シュヴィムケーファー』を混同している記録が存在している事、さらに運用でも全く区別されていなかった事も裏付けとなろう。そして何より、ケルンテン側はこの両機を識別できていなかった。
 ただし、『げんごろう』に使用されたBa−003Sシュピーゲルと潜水艇をグリューネラント海軍が入手する事は難しく、そのため内部は大幅に変更されていたであろう。特に操縦系に関しては、搭乗員の名前が1名分しか記載されていない資料しか残されていないため、単座に変更されていた可能性が高い。また「航続距離延長のため、艇体を大型化していた」とする海軍関係者の証言もするため外観にも変化があった可能性はある。

 兵装に関してであるが、補給に支障をきたすためさすがにドイツ・グリューネラント規格のものに改められていると思うが、それを裏付ける記録は残されていない。ただ対潜弾投射器に関しては、8月16日の戦闘においてシュヴィムケーファー2機が合計12発を投射しているため、6連装に大型化されていたと思われる。

 シュヴィムケーファーの戦績であるが、まず5月31日に行われたマインファルケン湾襲撃へ2機が投入され、防水型エカテリーナ1機を撃破している。
 続いて、6月18日のマインファルケン火力発電所攻撃作戦の支援に2機が『げんごろう』1機と共にマインファルケン湾内へ侵入した。しかしこの侵入は即座に邀撃され、1機の右腕が対潜弾によって破壊されてしまった。この際に舞い上がった海底の泥に紛れて2機は撤退したが、『げんごろう』は撃沈されてしまった。
 最後の出撃は8月16日であった。この日、ドイツ海軍(この時、グリューネラント海軍は既にドイツ海軍に編入されていた)はマインファルケン市内のクーデター部隊に対して砲撃を行っていたケルンテン艦艇に対して攻撃を行った。シュヴィムケーファーはまず、2機による対潜弾全弾投射で機動砲艇2号を撃沈し、続いて機動砲艇1号を2機ががかりの格闘戦で撃沈した。
 またこの他、6月中旬からドナウ川北岸に展開していた陸軍第3師にも配備されていたことが確認されている。ただし、戦闘活動を行った様子は見受けられない。
 以上がシュヴィムケーファーの活動履歴である。



水中用装甲戦闘猟兵 MJ−01『ティアマト』

 一方、マルヒ技術少佐を失ったケルンテン海軍でも、彼の残した図面・資料および設備を使っての開発が行われていた。この計画はロルフ・マルヒ技術少佐と開発を引き継いだジュリエンヌ・シュテッフェン少尉の名から「MJ」とされた。(なお「RJ」もしくは「MS」でない理由は不明である。)そして、その1号機はMJ−01『ティアマト』と名付けられた。
 このMJ−01はグリューネラント海軍の潜水艦を攻撃する事を主目的としていた。そこで水中速力を高めるために『げんごろう』よりもスマートなシャチの様な形をしていた。 このMJ−01はグリューネラント海軍の潜水艦を攻撃する事を主目的としていた。そこで水中速力を高めるために『げんごろう』よりもスマートなシャチの様な形をしていた。この成形によって、MJ−01は最大20ノットという非常に高い速力を発揮することができた。
 武装は『げんごろう』と同じくハサミの付いた腕が2本、改良型の魚雷が2〜4本、そして頭部には新たにドリルが設けられていた。6月18日には、これら強力な格闘用武装と高い水中速力を活かし、単機でグリューネラント海軍の特設水上機母艦を撃沈している。
 8月中旬にはカーフェーダ鋼を利用した無音推進装置が搭載されている。しかし残念ながら、この無音推進装置がどの様な原理で動作し、どの程度の性能を発揮したのかは一切不明である。この無音推進装置を搭載した頃にケルンテン海軍が壊滅した事もあってか、実戦投入どころか稼働試験の記録すら残されていない。



水中用装甲戦闘猟兵 MJ−02『アスタルテ』

 MJ計画でつくられた2号機がアスタルテである。この機体はMJ−01の改良型で、更なる小型化を実現していた。小型化に成功したことで速力や運動性能の向上が見込まれたが、航続・継戦能力などは『げんごろう』と比較して大幅に低下したものと思われる。幾度にも渡るグリューネラント海軍潜水艦・水中用装甲戦闘猟兵のマインファルケン湾内侵入を受けて、防衛用局地兵器としての性格をより強めた結果であろう。MJ−02にもMJ−01と同じく無音推進装置が搭載されていた。この装置は飛行装甲戦闘猟兵を開発したエルフェンバイン社の協力によって開発されたものらしい。エルフェンバイン社はまた、海軍側開発担当者との間で量産型の生産をエルフェンバイン社で行うとの約束も取り付けていた。当時のエルフェンバイン社には装甲戦闘猟兵の開発能力はあっても(いや、これだけでも十分に凄いことであるが)生産能力は十分と言えず、大規模な設備投資必要となったであろう。もっとも、MJ−02が完成した1ヶ月半後には、ブリクシア州(エルフェンバイン社の所在地)、ブラウフリューゲル州ともにイタリアへ併合されてしまうため杞憂ではあるが。
 このMJ−02に至っては、もはや運用記録が全く残されていない。先も書いたように、完成からケルンテン分割併合までの期間が短いこと、さらにケルンテン海軍が壊滅状態にあった事などもあって、稼働試験すら行われなかった節がある。








参考文献

    遊演体ネットゲーム95「鋼鉄の虹」リアクション
      11月期
        行動処理No.061 ENT_「ジョッキの泡の蔭に」 担当マスター:金城首里
      12月期
        行動処理No.230 MAIN「海軍秘密工廠」 担当マスター:金城首里
      1月期
        行動処理No.100 MAIN「硅国海軍のクリスマス」 担当マスター:椎 冬利
      2月期
        行動処理No.092 MAIN「大奮闘! 硅嵐典海軍」 担当マスター:椎 冬利
      4月期
        行動処理No.232 MAIN「驚愕! マルヒ少佐」 担当マスター:椎 冬利
      5月期
        行動処理No.231 MAIN「大激闘! 海賊対空軍」 担当マスター:椎 冬利
        行動処理No.232 MAIN「今日も大勝利……?」 担当マスター:椎 冬利
      6月期
        行動処理No.080 MAIN「硅国海軍増強指令」 担当マスター:椎 冬利
        行動処理No.081 MAIN「緑土海軍絶対要塞」 担当マスター:椎 冬利
        行動処理No.230 MAIN「輸送船団発進!」 担当マスター:椎 冬利
        行動処理No.232 MAIN「敵輸送船団見ユ!」 担当マスター:椎 冬利
      7月期
        行動処理No.088 MAIN「どうする硅国海軍?」 担当マスター:椎 冬利
        行動処理No.231 MAIN「灼熱に墜つ」 担当マスター:椎 冬利
        行動処理No.232 MAIN「敵輸送船団見ユ!」 担当マスター:椎 冬利
      8月期
        行動処理No.079 MAIN「反逆の硅海軍?」 担当マスター:椎 冬利
      9月期
        行動処理No.081 MAIN「硅海軍壊滅!?」 担当マスター:椎 冬利
        行動処理No.082 MAIN「ドイツ海軍絶好調!」 担当マスター:椎 冬利
      10月期
        行動処理No.079 MAIN「凱旋? ドイツ海軍」 担当マスター:椎 冬利
    ネットゲームマガジン クリエイター 1995年11/12月合併号 (遊演体)
    Wer ist Wer 1937-38 (同人誌)




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