Shida Informatlon

どんど(爆竹)焼き

お話 面倒がったゑびっさん

【どんど焼の名】
「左義長」「三毬杖」「爆竹」「鷺鳥」と書いて「さぎちょう」とあります。一方で爆竹(とんど、ばくちく)と言われた。爆竹(とんど)焼がどんど焼となったという説があります。
は穢れを浄め、新しい命を生み出します。竹の爆ぜる音は災いを退け、高く 上る煙に乗って正月の神様が帰ります。左義長は祓い清めという役割と、正月に 浮かれた人々を現実世界に戻す、二つの役割を担った行事とおもわれます。


下五貫島どんど焼風景

富士川河川敷下五貫島グランド  左:上に見えるのは国1バイオパス、右:バイオパス側からみる。(岡田氏写)

毎年1月の風物詩「どんどん焼き」が富士南地区各町内ごとに日曜日の12日午前9時から行なわれました。

13日には、柳の枝にお団子をさして納屋、便所、水廻り、火廻りに飾ったり、大振りの柳の枝を束にして色とりどりの団子を飾ったものです。

「どんどん焼き」は道祖神様にお参りして厄払いするもので、孟宗竹の大小(おんべ・こんべといいます)3本立て、その周りにお正月のお飾りやお札、門松、達磨、書初めなどを燃やして、3本やりの柳の棒に拳大の団子、みかんのだいだいを刺してちょうど焼き加減の良いころ合いを見て食べます。一年間の家内安全・無病息災・豊作・書願成就を祈願します。書初め・書道練習した半紙を投げ入れ天高く舞い上がると字が上手くなるといわれています。

荒々しい霊魂を追い退け、神聖なお飾り、神に供した清浄なものを焼き清めるといった清浄感が加味された行事です。

 子供たちが集めたお飾りの山に、ダルマや、飾りつけをした孟宗竹のオンベ(1本)・コンベ(2本)が立てられ、点火の頃になると、友達同士や、親に手を引かれた子供たちが、3本やりに刺した団子や、書き初めを持って集まります。

本来14日に行なわれ「どんどん焼きゃぁ14日。猿のケツァ、真っ赤かっかァ…」と歌われたりしたものです。

 明けて15日は、貰ってきたおんべ・こんべの枝・割り竹で小豆粥を炊き各家々で疫病はらい、邪気を払い、幸福を招き寄せる朝食をされてきました。

 この小正月は、陰暦が使われていた頃は、ちょうど満月の時に当たり年の念頭であったため、各地に様々な行事が今も続いています。

 お飾り集めは、おおむね四日の朝に行われ、昔は小屋生活という習わしがあり、お飾りやお札、達磨、書初めなどを使って、中に部屋を造り、そこで子供達が一晩泊まっていました。これには、よそ者に壊されないように番をするという意味合いもありますが、かまくらと同様に年神様をお迎えして、中で一緒に生活する意味合いもありました。子供たちにしてみれば、自分たちで全てを仕切られる行事で、責任もある反面達成感が得られ大変楽しみなものでした。

 道祖神とは、塞神(さえのかみ)とも呼ばれ、集落などに悪霊や災悪、疫病などが入ってこないように防ぎ、さえぎるという役割を持った神様です。これに付随して、道路・交通・旅人の安全を守る神様としても信仰されるようになりました。
道祖神様の祭として、どんどん焼きがありますが、別名「左義長(さぎちょう)」と言い、その語源は、竹や木の棒を3本組み合わせて、三角錐の形にしたものを、「さぎっちょ」と呼ばれているところから来ていると考えられています。