11月30日(土) 言葉の泉(これは必読)
昨日は、息子の小学校に行ってまいりました。「父兄面談」です。結果はそれほど小言を言われなかったので少し安心ってとこでした。面談の時ですので失礼かとも思いましたが先生お二人(長男と次男)には「富士高新聞」をお分けしておきました。これも営業。この面談ですが、私が「父兄面談」と言ったら息子に、「ばかじゃねーの、個人面談だ。何、その父兄って」と怒られました。別に俺は馬鹿じゃない。俺は父兄だ。そう言えば、高校でも「父兄会」とは言わず「保護者会」となっております。忘れておりました。では小学校では何故「保護者面談」ではないのでしょう。高校において「父兄」という言葉が燦然と生き残っているのは「父兄召還」という言葉です。これは、悪いことをした生徒の保護者が「召還」されることです。この場合も「保護者召還」となってしまうでしょうか、となると、この時点で父親の威厳が消滅してしまう気もするのいかがなものでしょう。
このように日常使っている言葉について文句を言い出すと本当にキリがありません。
高校には運動部と文化部がありますが、「運動」といっても中身はスポーツ活動と武道です。スポーツと武道は、文化に包含されるわけですから、文化と運動では言葉の格としても、また、そのものの価値の問題でも、文化の方が上に決まっています。つまり、スポーツ文化という言葉もあり、野球文化やサッカー文化が語られる今日、物理文化とか生物文化とか文芸文化などという言葉は存在しません。いいですか、
運動(スポーツ)は文化の一部です。しかしながら、高校の部活動のカテゴリーでは、文化部とは、非運動部と解釈されていて決して居心地のいい所ではありません。つきつめれば「運動の出来る子供」達の「運動の出来ない子供」達に対する蔑視が感じられる言葉となっております。
このような解釈がまかりとおりようでは、文明&文化は衰退します。文化部とは、「人間社会(ソシアル)と自然界(ナチュラル)のあらゆるものを研究し、これを科学(サイエンス)し、行動している」人々の集まりをさします。華道部と茶道部は別に作法を学んでいるのではありません。「わび」とか「さび」とかを探求しているのです。このわびとさびこそ、日本人が生命や宇宙の誕生と限界を現すために創り出した素晴らしい言葉です。「わび」とは生命が誕生した直後の何とも壊れやすく脆い状態、「さび」とは生命の限界に近づいたときに放たれる最後のにぶい光をあらわすものです。決して華道部と茶道部は非運動部だけの存在ではないのです。
したがって、運動部と文化部は「肉体部」と「頭脳部」と区別するべきです。肉体部では、逆に運動部を馬鹿にしている感じなので、「運動部」
は残しましょう。
したがって、学校の部活動の区分は「運動部」と「頭脳部」、これで正しいのです。すべてを包含して、学校の文化となるのです。
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11月29日(金) テロと修学旅行
ということで、新聞によるとまた、テロ事件があったようです。先月はインドネシアのバリ島,今回はケニアですね。しかも、イスラエルの観光客をねらった明らかにパレスチナ側の反抗です。アルカイーダかもしれませんね。そう言えば、モスクワでの劇場占拠事件というのもありました。やはり世の中平和ではありません。そろそろ、日本も「戦後○○年」という呼び方をやめた方がよいですよ。たまたま、戦争が日本でだけ起きていない状態だけで、歴史はいつの時代も戦乱につぐ戦乱の中で刻まれていきます。(ここから文体を変えます)
たしか、静岡県東部のK学園高校は現在海外修学旅行の真っ最中のはずです。大変だ。
そもそも、何ですか修学旅行というのは、修学旅行の位置付けがさっぱり理解できない。まず、一つ目、これは昔の卒業旅行であったはずだ。今まで苦学を伴にした仲間達と、最後の学校行事。しかし、現在の高校の修学旅行はほとんど2年生の時に済ませてしまう。もう卒業旅行という意味はなしていない。修学旅行の意義は学習活動の一環であるともいう。したがって、目的地に強引なこじ付けを使ってしまう。「歴史教育」といえば京都・奈良、「平和教育」といえば広島・長崎(このごろは沖縄)・、語学実習といって海外。しかし、この修学旅行集団が大挙して訪れるゆえに、京都の価値は確実に低下した。今、奈良の旅館のひどさは凄い。奈良の価値も確実に低下している。だいたい、修学旅行というのは小学校ならともかく、もう中学校・高校での役割は消滅している。京都も奈良も個人で行けばよい。家族の団欒がなくなってきているといいながら、旅行の分野まで学校が奪う事はないだろう。
現在の修学旅行って、どう考えても、学校が旅行業者の口車に乗せられただけのことではないか。
我輩は、海外に行ったことがないので、推測にすぎないが、修学旅行として集団で大挙して押しかけてくる団体客を外国の人達は白い目でみているのではなかろうか?「個人の自由な選択による余暇活動」を「集団で行う」ことの奇妙さに気づいて、心の中ではせせら笑っているに違いない。「日本人とは、旅行も団体でしかできない集団なのか」とばかにされ「個人の尊厳の認められない未開社会の民族」とばかにされているに違いない。ただただ、この異様な団体様が落していくお金にだけ目がくらんでいるに過ぎないのに、海外修学旅行などを売り物にする学校は、やはりどこかおかしい。
ということで、もし、海外に飛行機でいってテロ事件に巻き込まれたらどうするのだろう。誰が責任をとるのだろう?もしかして次のターゲットはハワイだったりして。
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11月27日(火) 落ち込んでおります。
ということで、本日は朝から非常に落ち込んでおります。 今朝の静岡新聞の28面に「静岡県学校新聞コンクール」の結果が載っておりました。某F高新聞部は8年連続最優秀賞でしたが、今回はワンランク落ちて優秀賞どまりだったのです。最優秀賞を受賞したのは、お隣の富士宮にある富岳館高校でした。何の事はない、今年某F高から転勤なされた西家先生のところです。やはり、学校新聞作成に関しては、県下ナンバーワンの先生です。転勤1年目にしてそんなに凄い新聞をつくってしまうとは。
今回、西家先生の後釜として新聞部顧問を任されました。「先生が変わったから賞を取れなかったと、言われたくない」との思いで一生懸命にやってきてくれた部員達もさぞがっかりしているでしょう。ああ、本当に悔しい。ごめんなさい。申し訳ない。
次回も頑張りますが、必然的に富岳館の西家先生は健在なわけで、何とかして西家越えを果たさなければ、最優秀賞を取り戻す事はできません。・・・・・うう苦しい。
しかし、もともと某F高新聞部も西家先生がほぼ10年前に復活させた部ですし、別に受賞だけが意義のあることであるわけはないのですから、ここでくよよくよせずに日々活動に励むべきなのです。・・・・・・・・うう、痩せ我慢
ここで、もう一度新聞部の原点にもどって「皆様に有益な情報の提供」を目指して、地道に活動しましょう。・・・・やっぱり悔しい。
某F高新聞は、生徒一人一人から頂いた新聞印刷代で作られております。昔は学校新聞と言えば、紙面の下のほうは近所の商店やOBの会社などの広告で埋められていましたが今は違います。ですから、新聞部員は大変な責任を負っているわです。
ちなみに、現在、紙面製作・印刷発行は、町の地方新聞社に依頼しておりますが、だいたい1面3万円の費用がかかります。普通の某F高新聞ですと見開きのタフロイド版(4面)ですので1回発行ごとに12万円です。秋は文化の秋ですし、この新聞コンクールのこともありますので12面で新聞を編集します。大雑把に36万です。某F高新聞は年3回を4面で発行し、秋号だけ12面ですから、紙面で言うと合計72万円の費用がかかっているのです。某F高は全校生徒約1000人、つまりは一人一人から約720円を頂いて活動しているのです。
今ここで、新聞コンクールで受賞がどうのこうの言っている場合ではありません。やはり、今一度、この新聞印刷代72万円、生徒一人あたり、約720円という数字こそ責任を持つべきなのです。・・・・・某F高新聞部、これからも頑張ります。
しかし、ちらっと拝見したところ、今回最優秀賞に輝いた富岳館高校の新聞ですが、たしか14面ほどあったはずです。しかも、表と裏はカラー印刷でした。カラー印刷ですと制作費は倍以上かかります。最低見積もっても45万くらいの制作費なはず。どうやって捻出したのでしょうか、不思議です。
このように、某F高では新聞部やかるた部、美術部、物理部、演劇部、吹奏楽部 などなど、多くの文化部が健在です。運動部をあわせて学校文化の花が見事に咲き誇っている学校といえます。以前紹介した、智弁和歌山高校(部活動は野球部以外存在しない、ゆえに野球部は単なる学校宣伝機関と化している)などとは全く正反対です。
しかし、現在、職員内ではこの部活動の再編についての話し合いが活発に行われています。部活動再編の大きな流れは。学級数の減少から始まります。今公立高校では、一クラス2人の教員数が原則です。某F高はずっと(私が高校生だったころも)1学年9クラスでした。しかし、少子化の流れにさからへず、今年の1年生は8クラスとなり1学級減りました。来年も8クラスです。児童生徒の数が上昇する気配は一向にありませんので、このままいくと全学年8クラスとなります。となると教員数が6人も減少するのです。
教員は、クラブの顧問としての役割もあります。したがって、部活動の削減&再編が懸案課題となるのは当然のことなのです。さて、この部活動ですが、当然のごとく運動部と文化部にわかれております。私は現在、新聞とかるた部の顧問。もちろん文化部の側につく人間です。ですから安易な文化部の削減には反対します。しかし、もっと根本的な問題としてこの部活動とな何か、を考えていきたいと思います。
次回に続く。
しかし、今日は本当に悔しい、そして、落ち込んだ。
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11月25日(月) もしかしたら全国一かも
ということで、某F高スポーツニュース欄とかるたページを今作成しました。この毒舌日記を書いて、次にオフ会の告知ページを新規作成して今日のHP仕事は終わりになります。この週末は、土曜日にかるたの応援と剣道部の応援、日曜日には遊戯王カードの買出しと、某F高かるた部OB会の役員会(年末の総会の案内の手紙作り)でした。ところで、この某F高かるた部OB会ですが、もちろん公式HPも運営され、多くの連絡はメーリングリストによって行われます。メーリングリスト以前の手紙発送作業と比較すると、労力が半減しました。この電脳世界の発展はやはり凄い。
さて、この某F高スポーツ欄やかるたのページに関しては、とにかくいろんな人に情報をいち早く提供するという目的で運営してきました。やはり、インターネットの第一の効用はアップデートな話題です。世界中に様々な話題が一編に届いてしまいます。しかし、運営して1年半過ぎて、HPの第2の効用にふと気づいてしまったのです。それは、記憶媒体としての凄さです。大雑把に言えば、このHPには昨年8月から今年の11月までの、かるた部のあゆみ、運動部のあゆみ、某F高のあゆみなど、すべての記録がつまっております。我輩は、死ぬまでこのHPの更新を続けるつもりですが、某F高勤務はそう長くないでしょう。しかし、誰かが、今後を引き継いでくれれば、某F高の歴史は永遠にコンテンツとして記録されます。
公立高校の常として、職員には必ず転勤があります。管理職などはほぼ3年サイクルで転勤してしまいます。加えて、学校での記録媒体は恐ろしく貧弱です。せいぜい、「進路の記録」「卒業アルバム」「生徒会誌」ていどのものです。某F高には「某F高新聞」と「某F高ジャーナル」が加わりますが、それでもやはり貧弱といわざるを得ないでしょう。だから、職員会議の席上で、管理職より「私は過去のことはよくわからないので・・・・・・」というエクスキューズがまかり通るのです。たぶん、平成14年11月23日の男子バスケットボール部の試合結果などは、あと2年もすればほとんど全員が忘れてしまいます。しかし、HP上のコンテンツとしては残っているのです。
このHPを歴史を記録する媒体として認識して活用することは、隠れた課題の一つであろうと思います。
これも、ふっと思ったことですが、このように生徒が自分のHPを公開しあっている高校というのも珍しいのではないでしょうか。誰か、このような現象を知っている人いませんかね?どうやったら調べられるのでしょうか?一応僕が知っている限り、「たぶん、某F高は日本一」でしょう。もしかすると、あと10年後には高文連(全国高等学校文化連盟・文化部の各部門を統合する組織、下部に吹奏楽、合唱、かるた、新聞、囲碁などがある)に電脳専門部などが登場して、全国統計をとったりして?
ジャーナリストの日垣隆さんは、HPのことを、「巨大な名刺」と表現していました。まさしくその通りです。この巨大な名刺は、過去の記録がすべて詰まっているのです。
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11月21日(木) 50000HIT 御礼
ということで、読者の皆様のお陰で、開設から1年4ヶ月目にしてとうとう50000HITを達成することができました。この頃は、平均150ヒットを頂いております。昨日、49500ヒットですからたぶん今週末でしょうと想像しておりました。しかし、昨日急に600ヒットくらいあったのです。それも日中に、コンテンツの中のどれかが強烈な検索エンジンに引っかかったと予測されますが、たぶんトップページの「ペタジーニに怒る」ではないでしょうか。ありがとうございます。やはり、全国の良識ある人々は某読売の子会社に怒っているのですね。安心いたしました。
実は、今日、某F高では球技大会が行われます。昨日はプロ野球のドラフト会議でした。このドラフト会議、年々注目度が低下しています。私も今朝まで知りませんでした。やはり、昨日は日本アルゼンチン戦に注目がいったのでしょう。結果は0-2で敗れましたが、中々痛快な試合でした。日本代表に萎縮した姿が見られなかったのが一番の収穫です。ちなみに隣の韓国では、韓国とブラジルが親善試合をしておりまして、こちらは2-3でブラジルの勝ち、エスパルスの安がゴールを決めたそうです。11月の後半になって、スポーツシーズンが最高潮に達しております。
某F高の球技大会に話しをもどしますと、そろそろ生徒たちも学校に登校する時間ではないでしょうか(現在6:14分)、今日はグラウンドでの朝練が禁止されておりますので、近所の公園が賑やかになっているはずです。ご近所のみなさん。朝からうるさくてごめんなさい。
今日は許してやってください。この球技大会ですが、他の高校ではどうなのでしょう?静岡県の富士富士宮地区の高校ではどこも盛んに行われているようです。我が校の種目は、1年が男女ともハンドボール、2年男子がサッカー、2年女子がバスケット、3年男子がラグビー、女子が9人制バレーボールです。大きく見るとこれが日本の5大球技であるといえます。いや世界の5大団体球技でありますね。となると、ハンドボール人口や人気が低迷しているのが、日本では不思議な現象といえます。逆に野球は、手軽にできない非常に複雑で手間のかかる一種独特の球技であることも理解できます。
当然のごとく、某F高には、男女ハンドボール、男女バレー、男女バスケット、野球、サッカー、という部活動が存在しておりますが残念ながらラグビーだけはありません。しかし、球技大会で一番ヒートアップするのがラグビーなのも不思議です。他にも某F高には男女バトミントン、柔道、剣道、水泳、山岳、陸上、男女ソフトテニス、体操、男女卓球という運動部があります。この運動部に加入している率は約50パーセントです。これは、たぶん日本の高校の普通の姿ではありますが、どうなんでしょう。僕は、スポーツ文化までを学校に押し付けているようにも思えます。
ちなみに、今年の夏の高校野球甲子園大会で優勝した(と思う)智弁和歌山という学校には、野球部以外存在しません。それも1学年10人程度の野球部員だけです。それ以外の生徒は完全に勉強ばかりの生徒です。つまり智弁和歌山という学校の野球部は部活動ではなく、学校宣伝部と位置付けられるものです。これを、純粋な高校野球チームとして賞賛してよいものなのでしょうか?
ところで、50000ヒット記念行事ですが、これを第1回のオフ会としたいと思います。日時は11/29(金) 場所は富士駅周辺、年齢制限有り20歳以上限定です。 読者の皆様、集まって下さるのでしょうか? 業種や性別などは一切問いません。
賛同される方、メールを待っています。
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11月20日(水) 金を遣う事しか知らないジャイアンツ
せっかく、原監督の元で、野球らしい野球で優勝し、多くのファンを取り戻した、ジャイアンツが大馬鹿者に戻ってしまった。松井の穴をペタジーニで埋めるつもりなのだろうが、2年契約14億円で契約した外人選手がまともに働くと思っているのかしら?どうせヒルマン(元ロッテ、2年間ほとんど野球をしないまま金だけもらって帰っていった)の二の舞だ。なぜ、高橋ヨシノブを信用しない。大スターに育てようとしないのだ。世の中のジャイアンツファンの半分はただ勝てば嬉しいというあほだ。しかし、残り半分のファンは、ジャイアンツの選手が好きなのだ。決して強いから好きなのではない。今年の活躍で、期待できそうな若手がゴロゴロいることが判った。斉藤&福井&十河&宮崎彼等を見殺しにするつもりなのか。
我輩は、プロ野球ファンの言論人として、意識的にジャイアンツと書いてきた。読売とは書いては行けない。千葉マリーンズであって、ロッテではない。バッファローズであって近鉄でない。と思う。プロ野球チームはファンのものだ。しかし、このプロ野球ファンを冒涜した、選手集めは許せない。ジャイアンツだけは「某読売の子会社」とでも書こうか。
もう、プロ野球は某読売の子会社だけが強ければそれでイイという時代ではないだろう。某読売子会社が優勝するとGNP(そういえば、GNPがいつのまにやらGDPという値に摩り替わった。この本当の理由を知っているかね諸君、)が上がるよ馬鹿を言った財界人がいた。だから馬鹿だというのだ。ここ10年間で日本シリーズのセ・パの関係は8勝2敗でセントラルの圧勝。オールスターでもおんなじ。松井がアメリカに行く事で、完全にメジャーリーグ⇒セントラルリーグ⇒パシフィックリーグ⇒社会人野球という序列がついた。この序列はプロ野球に繁栄をもたらさない。パリーグの衰退が待っているだけだ。某読売子会社とその仲間達(阪神・中日・ヤクルトのオーナー達)は自分たちの都合のよいようにドラフト制度を変え、フリーエージェント制度を変え、テレビ放映権を手放さなかった。
プロ野球の真の課題は、裾野の広がり、ファン層の拡大である。メジャーは発展とともにエキスパッションシステム(メジャー球団の拡大)によって全米にプロ野球チームを作り、今の繁栄を作り上げた。発展とは拡大を意味する。今、プロ野球に必要なのは、北海道の野球チーム(これはフャイターズがやってくれた)、東北のプロ野球チーム、東京下町のプロ野球チーム(人気がでるだろうな、葛飾ポリスなんて)、四国のプロ野球チーム。である、そして、2軍を全国の都市に振り分ける事だ。、もう一度言う、発展とは拡大のことである。今、某読売子会社のやていることは縮小とちがうか?
Jリーグが生まれて10年、読売クラブの経営に失敗して、ナベツネは見向きもしなくなったが、Jリーグは着実に拡大している。昨年の仙台の熱狂的ファンを見たか、今年の新潟の熱狂を見たか、来年は大分がJ1に昇格してくる。野球は年間140試合もできる楽なスポーツであるから、観客動員も数を稼ぐことはできる。しかし、あと数年で確実にJリーグに追いぬかれるだろう。いや、すでに観客動員で抜かれたかもしれない。そもそも、プロ野球は観客動員を正確に示していない。日本人を馬鹿にしている組織だ。東京ドームができたとき、日本テレビのアナウサーは「満員です。東京ドームに5万6千人のファンが詰め掛けました」としゃーしゃーと言ってのけた。嘘吐きめ、東京ドームは消防法により座席数を届けている。その数は4万3千のばずだ、なぜ5万人が座れるの?、この日本テレビに北朝鮮を嘘吐き呼ばわりする資格は無い。
しかし、このごろのJリーグと日本代表にも迷走を感じる。なぜ、ジャマイカ戦より明らかに格が落ちる日本代表で、ジャマイカより明らかに格の高い、それもぼぼベストの布陣で望むアルゼンチン戦を戦うの?今年の日本代表の試合はこの2試合、順番も、ジャマイカ⇒アルゼンチンと絶好の強化プランである。となれば、アルゼンチン戦の好試合をまず第一目標に、ジャマイカ戦を、テストとして若手を試し、そこで活躍した選手をアルゼンチンでもう一度召集し、日本の真の代表クラスと組合せるという強化プランでなければいけない。そうでなければアルゼンチンに失礼だ。血迷ったか、サッカー協会。
そもそも、あれだけヨーロッパで活躍している選手が日本代表クラスにいるのなら、ヨーロッパで日本代表の親善試合を組めばいいのではないの?日本からヨーロッパに行きたがっている選手はたくさんいるのだから、御披露目ということで絶好の機会になると思うのだけれど。
真の日本のサッカーファンは夜中でもテレビを見るよ。もう日本サッカー協会もキリンビールの金ばかりあてにしない方がいいと思うよ。
ということで、今日は久々のスポーツ評論(?)であった。
もう少しでこのHPのヒット数が5マンを超える。またもやヒット企画を考えているが、今回は、第1回のオフ会にしようかと思っている。詳細は5マンヒットの日に・・・・・・
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11月18日(月) 金を遣わない日本人 論(パート2)
日本人は、お金を遣わない。これは恐らく正しい。
15年ほど前、日本人がバブルバブルを浮かれていた頃のキーワードの一つに「アメニティ」があった。「快適さ」という意味だ。「快適な生活をおくるためにお金を遣おう」という意味でもあった。しかし、この快適さ意味が理解できないままバブルが終わってしまった。もう少しバブルが続いていたなら、理解度も深まっていたと思うのに残念だ。
快適さとは、その1
家を新築する場合のオーソドックスな間取りは、キッチン&リビングルーム&寝室&子供部屋×2&居間、この場合、寝室や子供部屋は必ず洋間になっている。なぜだ、だいたい典型的な40代の夫婦がシングルベットを2つ並べた部屋で快適に夜を過ごす事ができるのかね?
我輩の場合をとっても、毎日、ベットで寝るなんて想像もつかない。やっぱり日本人は畳でしょ。では、何で寝室は洋間なのか、これは単に住宅建設会社の都合にすぎない。畳で寝ることを前提とした部屋を作る場合、どうしても押入れのスペースを余分に作らなければならない。
建築基準ギリギリに目いっぱい広げて家を建てるため、押入れのスペースを削ってまで部屋の大きさを広くするため、なのだ。洋間の方が安くて、大工さんの技術も無用であることも、理由の一つだ。日本人にとって「アメニティ」とは、広い広い畳の部屋で、ふかふかの布団に包まれて寝ることではないか、これは、建築会社のマインドコントロールで潰されてしまった。
快適さとは、その2
これは、以前にもかいた事なのだが、現在の小中学校及び高等学校の大多数が上履きを使用している。たいていの日本人なら、学校に下駄箱があって、そこで上履きに履き替えた時代があるだろう。この風習は、日本人の特殊性や日本人の文化論の絶好の論点になった。
しかし、この上履きの習慣は、日本の道路事情が最悪であり、且つ校庭が芝生化されていないので、靴のまま学校に入られると、土で汚れて大変という理由だけのことだった。(運動場で遊ぶことの少ない大学では、当然土足である)、確かに、木造建築の学校ならば、土足で入ることは日本の風習に反するといえる。ならば、学校を鉄筋コンクーリト造りで立て替えた時点で、校庭に芝生を植えるべきだったのだ。 この上履きの習慣は、結果的に学校の閉鎖性を推進する事になった。
快適さとは その3
なぜ、日本でブランドもののバッグや財布などが売れるのだろう。日本人は金持ちだからではない。日本人は貧乏である。これは言いかえると、日本人の中にはびっくりするような金持ちはいない。世界で一番金持ちと貧乏人の格差が少ないのが日本人であるのだ。日本人がブランドものの小物を欲しがるのは、裏を返すと「ブランドものの中で、小物しか買えない」という意味なのである。昔、一点豪華主義などという言葉がはやったが、これは当然貧乏人を揶揄する言葉であったはずだ。エルメスのバッグを持つなら、それに見合う服を着てみろよ。
快適さとは その4
日本の温泉旅館が寂れて久しいが、決定的な原因が「温泉旅館は連泊を想定していない」からだろう。コマーシャルをバンバン垂れ流して社員旅行や農協旅行を御得意先としている有名温泉旅館に連泊で団体予約したら、旅館の方が御断りを入れるのではなかろうか?、あんなに一回の料理でネタを出しすぎたら、次の日のメニューがなくなるからね。某F高は奥日光の某ホテルに3連泊するが、下見で泊まったときに、3泊目の夕食メニューがないことを正直に告白した。快適な温泉旅館とは、長逗留できる旅館をさす。ここでも、快適さの意味を理解していない。
快適さとは その5
自動車業界では、やっとミニバンブームが終わったようだ。あの路面電車のようなホンダモビリオが登場して、ようやく日本人も、8人のりなどという車は、路面電車とバスに任せておけばよいということに気がついたようだ。アメリカマーケットでミニバンが大流行した(アストロなど)が、あれは大人4人くらいが、限りなく快適に目的地に行くための車だった。しかし、日本では、ミニバンサイズの車(エルグエランド、エスティマ、ステップワゴンなど)をすべて8人乗れる仕様にして世の中に送り出した。結局、8人乗せるためにシートは薄くなり、狭くなり、大きな車のくせに、狭苦しい思いをすることになるのだ。「大きな車なのに狭苦しい」とは何事だ(怒り)。これも、快適さへの無理解からくる暴挙なのである。この頃、やっと日本人も気づいたようだ。
ということで、結果的に、日本人は本当の快適さをまだ理解していない。したがって、上手にお金を遣えない。
何も老人に限ったことではない。
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11月15日(金) 金を遣わない日本人 論
『日本人が世界史と衝突した時』 増田義郎著 弓立社 2600円。の174ページより抜粋
ー不可解な勤勉さー
かつてアルゼンチンの領事をしていた知人から聞いた話である。
戦後、農業移住者が何十家族も日本から渡り、同国北部の未開発地に入植した。簡素な家を建て、一同実に勤勉に働き、開拓も成功して生活も安定してきた。
そこで、「家でも建てたら」とすすめたが、一向に反応が無い。同じ頃、近くに入植したドイツの移住者達は、少し生活の基礎が固まるとただちに美しい邸宅の建築に腐心し始める。
「少しは、ああいうまねをしたらどうですか」と持ちかけて、友人は得意のスペイン語を操り、住宅資金融資の約束をとりつけてきた。
ところが、移住者達はうんといわない。「当分は今の家で結構です」と異口同音にいう。「それではこの国の人にバカにされますよ。家にお金をかけることは無駄なように見えても、この国の社会では地歩を築くためには必要なことですよ」。と口をすっぱくして口説いたがだめである。結局、銀行の総裁にたいして恥をかいてしまった、と友人は笑いながらいった。
このはなしにはいくつもの問題点が含まれているように思われる。
ーーー中略ーー^−−
さらに、日本人の労働とか勤労の目的性の問題がある。つまり、ドイツ人は、まず快適な家を建てるために働くのに、日本人は、なにかもっと別の目的のために働く。いったいその目的とは何か、という問題である。
この小論で扱いたいのは、この最後の問題だが、実はあらためていうまでもなく、これは今までに多くの人々が論じてきた。
日本の近代の発展が、日本人の勤労精神にとって可能になったことは、多くの論者の見とめるところだが、それではそのような勤労精神がどこから由来したのか、ということになると、議論は紛糾する。
一番常識的なのは、日本人は貧しいからよく働くという説明だろうが、しかし、貧しくても働かない民族はいくらでもいる
ーーー以下略ーー
さて、筆者はこのあと、日本人の勤労精神を「働く事、金をためることの自己目的化」と論じている。日本人の労働は「無目的労働」だと。つまり、日本人は歴史的に金の遣い方がわからない民族だったのだ。として、この歴史の証明が、日本人の勤勉さの謎を解く鍵だと考えた。さらに筆者は、この問題の鍵を近世(江戸期)に求めている。
江戸時代とは政治を支え、階級の一番上位に君臨する武士階級と、それを経済的に支える稲作農民という二つの因子を軸に構成された。このとき農民から搾取する租税率は五公五民などと言われたが、この租税率は、アジア各地の稲作農民と比べても驚くべき高率なのである。したがって、ここから稲作農民のがむしゃらな勤労態度が定式化したのだと。
また、筆者は、もっと重要な事として江戸の身分制度社会が、その後富を蓄えた町民に金の使い方を、制限させたのだと推論している。つまり、江戸期の社会を発展させたのはまぎれもなく町民中心の貨幣経済なのだが、西欧ではこの経済的実力を備えた者達は、最終的に政治権力を、権威主義的な身分の者達から奪っていくのに対し(市民革命)、日本の武士中心の身分性社会はこれを巧妙に許さなかった。つまり、町人達が富を蓄え、その蓄積した富を誇示するような行為は徹底的に戒めた。町人や商人達とっては富を楽んだあとは武士からの弾圧をうける恐怖が待っていたのだ。と「金を遣わない日本人」を推論している。
ということは、
日本人過去500年の歴史の中で、自分の富を誇示することのできた時代と人物は、戦国期から織豊政権樹立に至る時期に富の集中が可能であった豊臣秀吉ら一握りの人間と、江戸時代が終わり明治の社会となって、急に身分性社会の上位層になりあがっていった政商とその仲間くらいなものである。日本人は歴史の中で、富を誇ることをかくも長きに渡って禁じられたのだ。
今、筆者がテーマとしているのは「老人達は金を遣わない」ということである。しかし、何も老人だけではないようだ。「勤労の無目的性」とそれに伴う「勤労の自己目的化」は日本人全体のことなのだ。
そうか、だから日本は、今のようにこれだけ日本の財産をアメリカに簒奪され、金融のわなを仕掛けられ、金融戦争に負け、日本が稼いだ金がどんどん湯水のようにアメリカに吸い上げられても、文句の一つ言わないのだな。
大雑把にいうと、世界は3つの国で動いている。世界中に借金を垂れ流すアメリカ合衆国と、その借金を、黙って穴埋めしているサウジアラビアのオイルマネー(ただし、サウジアラビアは反アメリカ的王族もひそかに存在する。いつ革命が起きるか判らない)。と、もっともっと黙り込んで、アメリカに貢物をしている日本だ。
テーマ「金を遣わない日本人」はますます続く。こうご期待。
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11月13日(水) 老人の問題は老人福祉ではない!
通常、中学校や高校で公民分野もしくは現代社会or政治経済を学習したあと、多くの若者に、日本の現代社会が直面する社会問題の一つをあげよと問うと、「高齢者問題」と答えるだろう。確かに重大問題ではある。もう、世の中、福祉、福祉、福祉、福祉の大合唱で、このような誰も反論できないものこそ声高に叫ばれる。確かに老人福祉、高齢者介護など、すべておろそかにしてはいけないものではある。
我輩が授業で使用している教科書の経済分野の第1ページ(通算100ページ目)は、若い女の子が車椅子の老女を介護している写真なのだが、おいおい、ちょっとまて、相手は高校1年生だぞ。さてこれから経済の分野を学習するところだ、若者が経済学習の最初に普通何を考える?「俺はこれからどうやって金持ちになろうか?」「今、儲かる分野はさて何か?」「これから大学へ行くけれど親父の懐(ふところ)は大丈夫か?」「ところで日本経済は儲かっているのか」「俺はどうやって儲けるか」というところだろう。それなのに政治経済の教科書のトップページは老人介護の写真だ。なぜ、こんな夢を壊すような誘導をするかね。「あなたたちもいずれこうなりますよ大変ですよ」というプロパガンダだよこれは、これでは日本経済いつまでたっても良くならないだろう。夢がないよ。
そもそも、高齢者問題は、誰も反論できない(楽に扱える)テーマゆえ、学校の授業ではメインデッシュの扱いをうけてきた。確かに介護が絶対必要でそれを引き受けてくれる身寄りの無い方が存在することも事実ではある。が、日本の大多数の老人は金持ちである。裕福だ。
絶対正しい統計がないので、確実な事は言えないが、65歳以上の方の預貯金の平均は軽く1000万を越えているらしい。40代の働き盛りの壮年が軽く1000万を越える住宅ローンと子供の養育費(2人の子供を大学にやると軽く年500万の支出である)を抱えているのとは大違いだ。これら老人の預貯金の大半は郵便局と農協に預けられている。もう一度いう大半の老人は裕福だ。
しかし、日本の老人達はこのお金を遣おうとしない。もし、日本全国の老人達が自分の楽しみのためにこの預金を引き出してパアッと使ってしまえば、日本の不景気などすべて吹っ飛んでしまう。もっとも、郵便局で老人の皆が急に預金を引き出し始めたら、国家財政が破綻してしまうのであるが・・・・・そう、郵便局の預金はとっくの昔に道路や公園や学校や「かんぽの宿」という全く人気のない温泉宿に化けてしまっているのだから。
なぜだ? 65歳の老人の多くはあと10年したら死ぬ。子供は自立している。しかも、その子供達にしても、年老いた親の貯金をあてにしている奴など本当に少数派である。それなのになぜお金を遣わない?、まさか、棺桶に入れて天国に持っていこうというつもりなのか?自分の葬式の費用は自分で負担しようとしているのか?ならば、今のうちにご長男に500万くらい渡して契約しておいた方が得策だ。葬式など、出しようでいくらでも値切ることができる。
日本の経済学者の中には、この老人のためている預貯金を切り札にして「まだまだ、日本の経済は大丈夫だ。日本人の個人資産は1200兆円ある。」と意見するやつがいるが、老人の持っている個人資産は、もう世の中には無い。道路に化けた。
この、金を遣わない老人の問題は、「高齢者介護福祉の問題」より、よほど難しい問題だ。今、このことをずっと考えている。若者が金を遣わない意味はある程度理解できる。その理由の多くは先立つ人生設計のためであろう。しかし、人生設計がほぼ終わり、後は自分の残り少ない人生を自分の享楽のためだけに過ごす事ができる老人が、なぜ自分のためにお金を遣わないの?
いや、老人は遊んでいる!金を遣っていると反論を受けるかもしれない。「一番、旅行へ行くのは老人達だ」「いつも温泉旅行にいっているのではないか」など。でも、これは「温泉旅行くらいしかお金の使い道が思いつかない。と考えた方がいい。
そんなこんなことを思索している最中に、こんな本に出会った。
『日本人が世界史と衝突した時』 増田義郎著 弓立社 2600円。
この著者増田義郎先生は、イベリア文化を専門とする文化人類学者であり、この本の中心議題は16世紀に起きた日本文明と西洋文明(イベリア文明&オランダイギリス文明)とが衝突したときの日本人の様々な現象の考察なのだが、この本の一節に次のような箇所あった。
ーーーーーー以下続くーーーー明日を御楽しみにーーーーーーーー
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11月11日(月) 東郷小学校問題って何
まずは、備忘録
その1、新聞部顧問として、営業活動中。先週は、某F高がお世話になっている谷島屋書店に100部置かせてもらった。そして、某F高の近所にある富士中央小学校に取材の御礼をかねて配布してきた。次に富士市中央図書館に出向き、全市内の図書館で某F高新聞を閲覧できるよう交渉してきた(成功)。昨日の日曜日には某F高から一番近い富士西図書館を訪問し館長に挨拶してきた。某F高生は態度よろしく図書館を利用しているとのことだ(御世辞ではないぞ)。これも開かれた学校作りの一環と勝手に自己評価。
その2、日曜日はほぼ1日ドッジボール(このドッジという言葉とロサンゼルスドジャーズのドジャーという言葉の繋がりが理解できる?)とトランプの大富豪ゲーム(大貧民ゲームとも言う。とちらで言表すかによって、将来大富豪になるか大貧民になるか決まる。もちろん我が家では大富豪と呼ぶ)で時間が潰れてしまった。子供達にテレビゲームを買い与えない運動を貫き徹すことって意外と大変なんだぞ。
さて、巷では、「皇后陛下の実家である、正田家保存問題」がクローズアップされてきた。当然我輩は保存派だ。歴史的価値を考えても、建築的価値価値を考えても、住民のアイデンティティを考えても、保存するべきと考えている。しかし、現在、もう一つの保存VS改築問題が存在しているのをご存知か?。
それは、東郷小学校問題である。この東郷小学校は滋賀県にある。滋賀県といえば、近江商人。近江兄弟社。近江兄弟社といえばメンソレータム。この近江兄弟社の社長でもあり、我が国の近代建築史上に燦然と輝く功績を残したのがWMヴォーリズである。東郷小学校は、近江商人魂溢れる古河鉄治郎氏が私財を投げ打って、すべての資金提供をし、設計施工をWMヴォーリズに依頼して、昭和12年に開校された。まさしく近代史を代表する歴史的建築物である。これを、耐震性に問題ありとして立て替えようとしているのが滋賀県の東郷町だ。確かに耐震性の問題ありとしたら昭和10年代の建物などすべて取り壊されてしまう。しかし、この小学校の卒業生だけでなくすべての日本人にとっての遺産なのだ。今、東郷町は熱い。
きっと、地元の建築土建業者だけが潤うこと目的とした行政方針なのだろう。許せん。この耐震性なる言葉、どうしても地震ファッショである。耐震性耐震性と連呼していれば、だめだと言える住民はいない。今や建築土建業界の葵の御紋と化している。土建業界と行政をぴったり張りつつける接着剤が「耐震性」だ。静岡県はそれこそ「耐震性」を葵の御紋として公共工事を推し進めてきた。第2東名が静岡県だけ順調に進んでいるのも、東海大地震が起きた場合のライフライン確保という大義名分があるからなのだ。
耐震性診断にうさんくささを感じるのは我輩だけだろうか。
だいたい、土の中から突然あわられる○○式土器や△△式土器はたいそうな扱われ方をして、有り難がれるのに、どうして近代建築遺産に関しては冷たいのか理解できない。縄文土器によって縄文時代が語られ、法隆寺によって飛鳥文化が語られ、東大寺の大仏によって奈良時代が語られる。これから200年、300年後、何をもって、明治維新から昭和を時代を語ろうと言うのか、この時代に作られた西洋建築は、当時の人々の殖産工業魂、世界の一流国になるのだという精神の現われなのだ。そして、この近代建築以前には日本に存在しなかった直線とか平面とかで建築を構成することへの単純な憧憬を示しているのが、当時の近代建築だ。例えば、江戸時代の宿場町の面影を残している町を訪れて見るがよい。もし、そこが旅篭や町屋や豪農の家だけの町ならば、単に「遺跡公園」としか映らない。しかし、そこに西洋風に建てられたお医者さんや、擬似洋風建築の町役場があると、これはまさしく歴史の息吹を感じる美しい町並みとして私達のこころを捉えるに違いない。江戸から明治・大正・昭和という歴史の連続性を理解するためにはどうしても近代の歴史的建造物は残されなければならない。歴史とは連続性を語るものだ。
日本史の中でもこの分野だけには異常に強いteacher tommyである。
しかも、この東郷小学校、昭和12年(1937年)の建築としては非常にモダンでのびやかで平和的な建築物である。この頃の日本人は、過去の生き証人がどんどん亡くなっていくことをいい事に、昭和一桁の時代や大東亜戦争以前の時代をどんどん「暗黒時代化」している。よくよく調べれば断じて暗黒時代ではない。本当に庶民の生活が苦しくなったのは大東亜戦争末期の2、3年だけで、それ以前は、モダンボーイ&モダンガールが闊歩する溌剌とした時代だったのだ。東郷小学校の建築には当時の「モダンな時代」がよく現れている。これも、戦後教育ファッショによって抹殺されるのか(怒り)
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11月8日(金) 今日は楽しい遠足です。
全国5万の富士高ファンの皆様、おはようございます。今日は待ちに待った楽しい楽しい遠足の日です。我輩は、究極的には遠足廃止論者です。そのうち、遠足廃止論&修学旅行廃止論を書きます。要旨としては、「なにも、子供の旅行まで官僚が仕切る時代ではない」ということです。例えば、日本の修学旅行という世界でも極めて稀な風習によって、どれだけ日本の観光業が衰退していったか(栄えてきたかではない。)を理解して欲しい。
しかし、そうは言っても、多勢に無勢、やはりどこの高校でも遠足はあるのです(静岡県では)。
今日は、サイクルスポーツセンターに行って参ります。静岡県では老舗のテーマパークです。日本の競輪選手養成所である競輪学校の敷地内にあります。間違っても、サイクルスポーツセンターの前に「リ」を付けないで下さい。我が2年生はクラス別遠足です。3年は富士急ハイランドです。この富士急ハイランドですが、ただ今もの凄い企業努力をしています。全くTDLのお陰です。TDL効果によって本当にFUJIQは楽しくなりました。そして、1年はというと、これが遠足ではなく「フィールドワーク」なんですね。遠足は学校行事ですが、フィールドワークは「総合学習」という授業の一環です。したがって能天気にテーマパークなどに行けません。新学習指導要領によって華々しく登場した「総合的な学習」ですからね。そこで、1年生は県内の大学見学です。静大・静岡県立大・常葉大・そして浜松文化芸術大学です。
1年生の中では5組がこの文化芸術大学に行くそうです。昨日の授業で「お前等、せっかく文化芸術大学にいくのだから、着いたらみんなで大きい声で、なるほどこれが静岡県の3大無駄遣いのひとつか、なるほど立派だ、と言えよ」と指示しておきました。
現在の石川県政において、3大無駄遣いとは、静岡空港・太田川ダム・文化芸術大学です。4大無駄遣いとなると、これに総合コンベンションセンター「グランシップ」が加わります。5大無駄遣いとなると、これに「花の博覧会」が加わります。6大無駄遣いとなると、これに「静岡オペラコンクール」が加わります。ちなみに「静岡オペラコンクール」は単に県知事の道楽だとも言われています。
それでいて、第2東名の工事はどんどん進んでいきます。
いったい静岡県はどうなっているのでしょう。
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11月7日(木) さて、政治経済の授業を斬るぞ(その1)
文部科学省の指導により、教科書の値段は、どれでもだいたい800円と決められている。学習指導要領が法的拘束力を持ち、検定制度があるため、自由な編集方針など、望むべくもないが、なんと教科書の値段まで、横並びである。確か、小中学校の教科書は無償で配布されているはずだ。
したがって、教科書などはどの会社も似たり寄ったり。楽しく読ませる教科書などはほとんどない。その教科書が基本であるなどと毎日毎日説教される学生も大変だろうな。もしも、日本で誰にでも読まれる本の第一位をさがすならば、それは「ハリーポッター」でもなく、「徳川家康」でもなく。ダントツで「山川出版の詳説日本史」ではなかろうか?なにせ日本史・世界史の教科書シェア80パーセント。ということは、現在の日本の子供の80パーセントはこれを買わされていることになる。この独占状態は何とかならないのかと思うが、大学の入試問題の踏絵としてもこの山川出版の教科書が使われているので、ついつい我々もこの教科書を使ってしまうのである。つまり、「あっ、この問題ですか?、これは山川の○○ページに出ておりますよ」という具合に。したがって今の子供達の理解する歴史は、まさしく山川史観である。
さて、政治経済の教科書であるが、まさしくこれも横並び。どの教科書も似たり寄ったり。しかし、山川出版の日本史教科書に比べると厚さは2分の1、だけど値段はそれほど変わらない。何故?
この政治経済の教科書に関しては言いたい事が山ほどある。
とにかく第一の問題は教科書がつまらないことだ。これこそが、選挙の投票率の低さと関連しているのかもしれないと思う。そもそも、政治経済などはつまらないものである。しかし、「自衛隊の問題点」「選挙制度の問題点」「官僚制の問題」「労働者の権利の問題」「労働環境の問題」「福祉問題」「公害問題」「南北問題」「環境汚染の問題」「財政破綻の問題」「金融の問題点」「貿易問題」「日米問題」「国連問題」「国際情勢の複雑な問題」「○○問題」「■■問題」「△△問題」などなどなどなど・・・・・・・・いつまでたっても世の中問題点ばかり。その多くは解決不能。これらを積め込んで教えられれば、生徒も政治や経済についてどんどん腰が引けて、しりごみして、最後には全く政治にや経済に関して無関心になってしまう。当然でしょ。
社会の授業って数学や理科に比べて達成感や充実感があまりないのですよ。「ハイ、今日は○○問題についてやります。」「ハイ、今日は○○問題についてやります」気がつくと、毎日毎日黒板の見出しは○○問題だ。という状況がよくある。
確かに世の中は問題だらけ、社会派の熱血漢先生なら、これらを解決するためには国民一人一人の自覚と行動が大切だとのたまって授業を終わりにするだろう。しかし、大多数の生徒は自覚し行動しない。そんなに問題の多い世の中なら、逃げてしまおうと思うのがせいぜいだ。
もっと、楽しい切り口で見出しが出来ないものかね?
第1章「私はこうして市長になった。」第2章「私はこうして新しい国を潰した(講師、金正日)」第3章「私はこうして世界を動かしている(講師Dロックフェラー)」第4章「私はこうして大金持ちになったその1(堤義明自伝)。」第5章「こうやって大企業と社長を支えてきた(逮捕された秘書の手記)」「私はこうして世の中から抹殺された(田中角栄の亡霊)」第6章「日本を騙したのは私だ(榊原英資&ラリーサマーズ)」第7章「こうやって毎日儲かってます(ローズアコム)」第8章「国民の税金は私が使ってます(鹿島建設)」などなど、
今の政経の教科書でお勉強しても、大多数は元気にならないもんね。しかし、あまり学生が元気になると実は困ってしまうことも事実なのです。日本はまだ、学生運動の後遺症に苦しんでいるともいえるのだな。
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11月6日(水) 「政治・経済の授業を斬る」その前に
ということで、私TOMMY先生は、髪の毛を切りました。まさしくヤクザヘアーになりました。どうでもいいですのでみなさん勝手な詮索をしてください。
さて、
前回のコラムで、次は「政治経済」の授業に毒舌を放つと予告をしました。もちろんそのつもりです。しかし、このコラムが日記という体裁をとっている性格上、アップデートな話題も取り上げなくてはいかんのです。
先日、かるた部の引率で藤枝まで行きました。某F高生は、次の日が進研模試でありますから、電車内でも古典やら英語やらの参考書を読んでおりました。ある男子生徒は、徒然草を一生懸命読んでいました。そこで一言。
「お前等、徒然草といっても単に900年前のおっさんが暇つぶしに書いた日記だろ!!!!、何をそんなに有難がるのだ(怒)、お前等のやっていることは、900年後の日本の高校生が、俺の毒舌日記を古典として読んでいるのと同じだぞ」と言ってやりました。
もし、そんなことになった場合は、さっきの「アップデートな話題をとりあげなくてはいかんのです」なんてフレーズは困るだろうな。文法でたらめだもんね。まっ、徒然草なんてそんなものです。
そう、そのアップデートな話題とは、次の文章です。(正直いうと、無断転載です。あとで、許可もらいます。)
11.5(TUE) 新しいHPを2つ紹介します
前身のHP、そしてk-timesの運営を始めて今月末で2年。HP運営を始めてみて1番驚いているというか、「へぇ〜。こんなこともあるんだねぇ」と実感していることは、見知らぬ読者の方からの反響が何度かあったことです。
例えば特に印象的だったのは、昨年10月から半年間展開した「大型連載企画・3年B組金八先生6」を終えた時のこと。「半年間楽しませてもらい、ありがとうございました」という金八コラムへの感想メールを1読者の方から頂きました。半年間定期的に積み重ねてきた苦労が、本当に報われた思いがした1通のメールでした。
あとベイスターズ関連ネタで頂いたメールや、先の長野県知事選関連の"タレコミ"メールもありました。
そのほか、連絡が途絶えていた旧友とk-timesを通じて関係が復活したことも、「HPを制作していてよかったなぁ」と実感する出来事でした。
そんなk-times。先月上旬には今までにない1つのうれしい新展開がありました。覚えてらっしゃる方も多いと思うのですが、私の母校・静岡県立富士高校が創立80周年を迎えたとこのDIARYで紹介した1件が「事の発端」でした。なんと現役の富士高の先生からメールが届いたのです。
現役富士高校教諭・Tommy先生は、自らもHP制作を行っていて、「富士高の今」を伝えています。「現在の富士高校がどうなっているのか?」。母校卒業後、そういった情報はなかなか知り得ることができないのですが、Tommy先生のHPでは詳細に情報を提供してくださっています。また、このHPはTommy先生独特の視点で教育界の現状を語っているので、曲がりなりにも学生時代に教育を専攻していた私にとって、とても興味深いHPとも言えるのです。
先日、この「Teacher
Tommyの毒舌批評宣言」に、k-timesをリンクしていただいたことを確認しました。こんなマニアックかつウチワ受け"のHPを、我が母校の現役の先生が運営するHPに紹介していただけるとは恐縮かつ光栄であります。
少なからずの感謝の気持ちを込めて、k-timesでもTommy先生のHPをリンクさせていただきました。
日ごろ、マニアックなネタで盛り上がっているk-timesメンバーのみなさま。Tommy先生のHPで、私の母校がどんな学校であるかを知るだけでなく、時には教育問題について、ちょっぴりでも真面目に考えるきっかけにしてもらえたらと思います。
この場を借りてTommy先生。メールを頂いたこと、そしてリンクを貼っていただいたこと、重ねてお礼のほど述べさせていただきます。本当にありがとうございました!!今後ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
・・と、もうひとつ忘れそうになったことがありますな。昨日、今日とフロント大見出しで展開している「EVO−5000
就職決定!」関連でもリンクを貼りました。EVOは来春公開を目指して、自作アニメを制作中とのこと。その作品広報HP「戦術魔法少女
まゆみちゃん」。こちらもみなさま、足を運んでやっておくんなまし。
情報のバリエーションが広がりつつあるk-times。今後とも「情報発信ステーション」として、ぜひご活用を!!
これは、我がHPの「超お勧めリンク」のページで紹介している。K−timesのトップページです。このように紹介してもらって恐縮しております。
本当に感謝感激でございます。このページの管理人のK様,誠にありがとうございます。
では、なぜこれが大切であるかというこを説明しましょう。
私(わたくし)teacher tommy はこのHPを更新するにあたり、遠大な2つの目的を持っております。一つ目は「教育界をかえること」であります。いつか、理想の教育環境を語る日がくるでしょう。その理想のためには富士市長になることも辞さないのです。学習指導要領に文句を言うのも、センター試験に文句を言うのも、大学に文句を言うのも、すべて、「教育界をかえる」目的からです。(さほど、影響力があるとは思えませんが)
もう一つが、我が富士高のアイデンティティの確立です。これは、具体例を示せば良くわかります。日本人1億2千万にとって、えんじにWのマークと言えば、早稲田です。あのWこそ、早稲田大学のアイデンティティですよね。これはいくら筑波大が「五三の桐」と騒いでも、「Y」といえば横浜商業と騒いでもかないません。いつの日か、SOME DAY 、「F」といえば富士高(某F高)である。と1憶2千万の人々に認知されるようになりたいのです。その為には、現役生の活躍もさることながら、母校某F高を背負って第一線で活躍中のOBにも一役買ってもらわなければなりません。上記に紹介したk-timesでは、某F高80周年を大々的に取り扱っていただきました。まず最初に、ネット上で「F」を有名にしましょう。
今日はその記念すべき第1歩です。
皆さん、「F」といえば某F高ですよ。お間違えのなく。
次回は、「政治経済」を斬る、をやります。ちゃんとね
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11月4日(月) 今度は政経だ。
ということで、10月の毒舌日記では、英語や数学等で文句を言っていたが、そろそろ、自分のフランチャイズにも戻らなければなるまい。
先日、衆議院の補欠選挙があった。そこでの最大の問題は、やっぱり、いつでも、どこでも、ここ数十年ずっと、投票率の低さだ。
日本の風土から、政治がどんどん離れていく。世の中に政治に関心を持つ者がどんどん減っていく。
では、誰が悪いのか?何が悪いのか?
政治の争点が鮮明ではないので選挙がつまらないのか?
ご存知、長尾氏のコラムでは
2002-10-30長尾たかし流、補選の振り返り
何なんだこれはっ、、、、。 7選挙区で行われた、補欠選挙を振り返った時、政党所属者とし
ての勝敗をコメントする前に、投票率に驚かされた。投票率が上 っていたら、どうだったという世界の話ではなく、選挙権とは何
かを有権者は認識するべきだ。政治がどうのこうの言うのなら ば、政治不信があるのならば、候補者にロクなのがいないとなら
ば、「白票を投じるべき」だ。私が他の政党所属の公認候補予定者として最も違う部分があると
したら、「有権者批判」をする部分かもしれない。何故なら、私 は旧サイトで「有権者よっ、覚醒せよっ」を訴えてきた人間だ。
だから、立場が変わって当選したいばかりの甘えによって、言動 が変化するならば、今まで支援してくださった方々への背任行為
となる。だから、当然、主張を変えない。 10月25日ある地方紙で私に関する記事が出ていた。その結びに
「政治を変えるも有権者次第です」と結ばれていた。「長尾ちゃ ん、あれマズイヨ」のアドバイスもあった。が一方で「よくぞ言
った、その調子で新しい風を吹き込んでくれっ」の激励もあっ た。間違いなく私の発言であり、私の真意である。それが有権者
受けしないこともわかっている。 サラリーマン時代に一番嫌だったことは、忙しいとか何だかんだ
ともっともな理由をつけ、選挙に行かず、政治批判を酒の肴に飲 酒することだった。私が当時政治に両足を突っ込んでいたことは
誰も知らぬ訳で、非常に辛い瞬間であったと共に、格好の学習の 場であった。白票を投じるという意思表示こそ、政治不信という
意思表示ではあるまいかとの思考もその頃芽生えたものだった。 選挙権を得るために、特に女性参政権の歴史を紐解いたことがあ
るか?選挙権を無駄にし過ぎではないかと思ったりする。 しかし、自己を振り返るにそれは私の一番嫌いな啓蒙主義を指し
ているとも自己分析でき自己矛盾が生ずる。有権者の覚醒が先 か、政治家の覚醒が先かという問いには明確に答えられない。今
日も散々政治家としてどういうグランドデザインをお持ちかな る、「おいおい、俺に聞く前にエコノミカルにそちらからもグラ
ンドデザインをご教授頂きたい」と反論するも、そういう反論を しているうちはプロじゃないとバッサリ何度も叩き切られる。揚
げ足を取られる。グウの音もない。このヤロウ(--;)……まぁ、ま だまだ私も未熟である。
7選挙区中5選挙区が政治と金に関わる問題で議員辞職をし、補選 を行わざるを得なかったという事実を認識しつつ、訴えた政党も
居なければ、有権者も存在しない。それを証拠にすべての当選者 がその点についての言及がなかった。これが実に残念であった。
我国の民意というのは成熟しているのか否かを問いたい。覚醒さ せようとしている私のような意見が傲慢なのか否か。投票率が悪
いということは政治の側にも問題は当然ある。当たり前だ。しか し、政治側「だけ」の責任なのか。どうぞご感想をお聞かせ願い
たい。 昨日は、田原総一朗の講演を聞いた。目新しい話はなかったが、 話の組み立て方が上手く、参考になった、。ただ、単純に思う
に、言いたい放題いったところで所詮彼は安全なところに居る。 竹中だ、木村だと批判コイテモ、彼等とは背負っているものが軽
い。だから評論家であり、政治家にはなれない。居心地がいいと 思う。と言ったところで、その呟きにすら「政治家としてプロに
なっていない」とダメ出しをされる一日であった。
と、投票率の低さを嘆いている。
もしかして、この日本の悪しき現状の一因は「政治経済」の授業にあるのではないか?という疑念が少しある。
この毒舌日記で、少しずつ、少しずつ解明していきたい。
(今日は、富士高スポーツと富士高新時代の更新に忙しくて、日記まで手が回りませんでした。すみません)
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11月4日(月) 新しいページスタート
みなさま、ご購読ありがとうございます。また、本日より毒舌日記の最新ページがスタートします。いままで以上のご支援をお願いしますね。
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