千葉 津田沼
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千葉津田沼の仏像彫刻教室クラスは長く受講されている方が多いです。長い人で30年学ばれていらっしゃる方もおられます。皆さんが彫刻を趣味以上のものとして考えておられるようで、一つの生活スタイルとなっていますので毎年意欲的な作品を作られ、展示会にも出品されます。 現在、定員を通常の半分にしてソーシャルディスタンスを取り換気を良くして指導しております。写真はコロナウイルスの流行以前の風景。早くこんな日がこないかなー。 |
初級科、中級科、師範科が同じクラスなので、今自分がどのあたりを学んでいるか、どのあたりの実力なのかすぐ分かります。 |
仏師瑞雲の手作り仏像は、ここが違う | |
瑞雲先生は瑞雲流の宗家で仏像彫刻教室ばかりでなく、仏像制作の彫刻する方法も変わっています。 イベント・仏師 瑞雲の仏像彫刻展2018 |
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講師作品紹介 兜跋毘沙門天兜跋毘沙門天は地天女(ちてんにょ)の両手に支えられて立ち、左右に毘藍婆(びらんば)、尼藍婆(にらんば)の二鬼を従える姿。唐の玄宗(げんそう)皇帝時代、中国西域の安西城(あんせいじょう)が敵に包囲された時、兜跋毘沙門城の楼門に出現し敵を退散させたという伝説から我が国でも造られるようになりました。王城の守護神として城門などに安置されます。この瑞雲作兜跋毘沙門天像は、かつて蝦夷の本拠地であった北上川東岸にある藤里毘沙門堂(江刺市 11世紀 愛宕神社蔵 重文)を手本とした作品です。像高は176cmで5尺8寸と伝わる坂上田村麻呂の身長に合致している。お顔以外は丸鑿の跡を残した鉈彫り仕上げでありますが、お顔は大変にりりしい風貌で、田村麻呂の子孫に代々伝わった肖像掛け軸(大阪 長寶寺 長さ77.2cm 巾42.4cm)のお顔を参考に彫刻しました。また、京都鞍馬寺(くらまでら)の毘沙門天像(平安時代 国宝 木造)、左手をかざし京を見守る護国~の姿も田村麻呂の面影を感じ参考としています。 お客様から兜跋毘沙門天像の仏像製作を頼まれて無事完成、大変喜ばれました。その製作風景を写真で撮っておきましたのでご覧下さい。このような大きい作品に限らず、仏壇用の仏像に至るまで仏像制作中は霊気、神気が入った作品が出来るよう斎戒沐浴、お経をたくさん上げて経力を付けて取り組んでいます。 仏像事典 兜跋毘沙門天像 |
仏像彫刻教室生のためのお話戯れからの仏像彫刻日本霊異記の話に、昔、紀伊の国の山で村の子供達が薪を拾っていました。子供の一人が戯れに、木を刻んで仏像をつくり、それを拝むまねをして遊んでいました。そこへ、村の男がやってきて、「下手くそな仏像を作りおって」と言って、斧で叩き割ってしまいました。その日の内に、男は口や鼻から血を吐き、原因不明の死を遂げました。法華経の方便品(ほうべんほん)に、戯れにも、たとえ童子でも土や木、石で仏像を作り、ーーーかくの如き人は、すでに仏道を成すとあります。まして、心から仏を彫ってみたいと発心して仏像彫刻教室へ通い仏像が彫れるようになるご利益はいかほどのものでしょうか? 若い内がチャンス熱心なキリスト教徒は子供の時に洗礼を受け、主の子供になります。仏教徒の場合は死んでから戒名をもらう場合が多いようです。戒名とは仏弟子としての名前で死後仏様にかわいがってもらうために名付けるもので、生きているとき何も徳を積まないで居士だの大姉だのとお寺に大金を払って立派な戒名をもらってもいかがなものかと思います。蓮如上人(1415-1499)は「若きとき仏法はたしなめ」と体が丈夫で記憶力の良い若い内勉強しなさいと言われました。日蓮聖人(1222-1282)も「先ず、臨終の事を学び候て後に他事を習うべし」と仰せで、お経を読み仏教を勉強するのは歳を取ってからでは遅いのです。 仏像彫刻にも同じようなことが言え、やってみるのなら1日でも早い方が良く、その分技術も上達しますし長く楽しめるというものです。また奥が深い芸術で、やればやるほど壁がありおもしろさ楽しさも大きいのです。 |
カリキュラム
教室に入会されますと、まず最初に習うのが小刀の持ち方、使い方を覚えます。木には順目と逆目がありますので刀の使い方も順目と逆目では違えなくてはいけません。これが他の鎌倉彫などと違う点です。全く初めての方が覚えが早いようです。自己流でやってきた人は、まず自己流の悪い癖を取る必要があります。当方の教室は、小刀で日本の伝統模様である檜垣紋、業平菱紋(なりひらびしもん)などを手板で彫ります。これは運刀(うんとう)と言って、書道の運筆にあたるもので非常に重要な課程なのです。この課程は3〜4回の講習で終了します。
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