群馬単身赴任物語

ピカ

1.打診
群馬への転勤の話しを聞かされた日のことはよく覚えている。上司から電話で会議室に来るよう言われた。何の話しだろうと思いながら会議室に入ると、上司だけではなかった。これはただならぬことだと直感した。そして出てきた言葉が「群馬へ行ってくれないか」。「え、群馬! 何で俺が! 全然仕事が違うではないか!」。でもその時、「群馬なら東北が近いなあ。バイクで行けそうだなあ」と思ったことも事実である。「考えてみてくれないか」。言葉上はまだ決まったわけでない、と聞こえるが、事実上転勤命令である。サラリーマンの世界では転勤を断るのは相当の勇気と覚悟がいる。
その日、家に帰って家族に「群馬転勤の話しが出たぞ」というと家族は一様に驚き、子供に至っては「群馬ってどこ?」。「単身で行くしかないなあ」と私が言ってこの件は結論が出た。話しが出たのが4月22日だったので転勤まで時間があった。GWは元気が出なくなって遠出は避けた。
5月は当然忙しかった。極めつけは5月22〜24日。22日は群馬に出張してアパート探し。夜は上野で不良中年友の会関東ホッピー隊のオフ会(通称上野オフ会)に参加。最終こだまで帰って、翌23日は会社の行事で東京ディズニーシティへ。そして翌24日はゼファーMLの日本平オフ会に参加した。
そして、6月1日(日)、布団とすぐ必要になる生活用品を車に積んで山の神と群馬へ向かった。当日は小学校の運動会だった。夫婦揃って見に行くことができなかった。単身赴任の悲哀をいきなり感じた。

2.赴任
群馬県は遊びで2回行ったことがあるだけである。車で行くとしても、どういうルートで行けばいいのか判らない。地図を見たりむこうの職場の人に聞いて、河口湖から中央高速→圏央道→関越の東松山ICで下り、熊谷から国道407号線で行くルートに決めた。
河口湖から先は未踏の道であった。当時、圏央道は中央道までつながってなかったので八王子では国道16号線に下りた。渋滞していたので圏央道に入るまで1時間以上かかった。圏央道から関越は順調であった。東松山ICで下り、東松山熊谷有料道路(現在は無料)を通り、熊谷の街を通って国道407号線に入った。ここまでくればもう少しである。国道407号線は片側二車線の道だった。順調に走ると大きな川、大きな橋が見えてきた。利根川に架かる刀水橋である。この橋を渡るといよいよ群馬県である。「遂に来たか! いつ帰れるか判らないが頑張るしかない」と心に誓った。
不動産屋に約束した時間まで十分余裕がある。ちょうど昼食の頃だったのでどこかないかと探しながら走っているとデニーズが見えてきた。デニーズなら値段も予想がつくので安心である。待っていると携帯が鳴った。新しい職場の上司だった。そろそろ着いたかと電話をかけてきたのだった。
昼食を終え、不動産屋へ向かう。入居の手続きを終え、アパートまで先導してもらってアパートに入った。このアパートは先月来て決めた。いくつかの候補の中からここに決めたのはバイクが置けそうだったからである。どうせひとり暮らしだから間取りなんてどうでもいい。
アパートに着くと早速買い物である。基本は現地調達。カーテン、照明器具はその日から必要である。カインズホームまで何度も往復した。100円ショップまでは事前調べてなかった。100円ショップを見付けたのは翌日であった。水道と電気はすぐ使えるがガスはガス屋の立会い(説明)が必要である。翌日午後でお願いしてあった。夕食はもちろん外食。すぐ近くのかっぱ寿司があったのでそこで食べた。翌日の朝食はスーパでパンと牛乳を買ってきた。

3.準備
翌日はまず電化製品を買いに行った。洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、エアコンである。翌日および翌々日に運んでもらうことでお願いした。赴任休暇は明後日まで取れるので大丈夫である。これらの出費は全て自腹。単身赴任がいかに不経済か実感した。ここまでずっと山の神といっしょだったが、家を何日も空けられない。こちらの生活の目処も立ったので予定通り帰ることになった。最寄りの駅まで送っていった。車から降りることなく別れた。車を走らせてしばらくすると「いよいよ単身生活が始まるのか」と無性に寂しくなった。この寂しさは経験者でないと判らないだろう。
翌日および翌々日で電化製品は揃った。100円ショップを見付けたのでカインズホームへはほとんど行かなくなった。車は沼津の家に戻さなければいけないので足として自転車が必要であった。通勤も自転車である。アパートの近くに自転車屋があったのでそこで買った。アパートから会社までどれくらいかかるか実際に走ってみた。25分ぐらいかかった。地図で見た以上に遠かった。雨の日に備えて雨合羽も買った。ブーツカバーも買った。新生活の準備もできてきた。
時間に余裕ができたのでスポーツ店で水着等を買い、市のプールで泳いだ。会員登録して300円だった。アパートから自転車で5分程度なので便利である。図書館がすぐ隣りであった。ちょうど長期休館期間中で利用できなかったがその後手続きをした。早々とプールのカードと図書館のカードを持つことになった。
そして初出社の日を迎えた。

アパートの部屋

4.オフ会
群馬に来て最初の日曜日がちょうどあゆオフの日だった。あゆオフは不良中年友の会関東ホッピー隊が梅雨直前に開催するオフ会で、その名の通り「あゆ」を食べる。開催場所が栃木県の烏山町(現在は市)なので静岡から遠かったが、群馬に居るので近くなった。地図を見ると120kmぐらいである。当然走ったことのない道ばかりである。地図と道路案内標識とにらめっこしながら現地へ向かった。
私が参加表明したことでオフ会の副題に「イズラーさんtakaさん歓迎会」が付いた。現地にはほぼ予定通りに着いた。前日キャンプ組の皆さんが到着していた。オフ会の挨拶言葉は「まいど」。不良中仲間との再会と喜んだ。あゆはその場で焼き、定食といっしょに食べた。あゆを買うときは何匹ではなく重さだった。ひとり2〜3本食べた。ビールが飲みたくなったがぐっと我慢した。初めて会った人もいる。MOKAさんもそのひとりである。同じく単身赴任であった。その後MOKAさん主催のオフ会に何度も参加させてもらった。
群馬に来て、仕事も生活も不安ばかりの状況であったが、転勤しても、どこに住むようになっても近くに不良中年友の会のメンバーが居ることを実感した。さすが、全国ネット!である。オフ会に参加して少し元気が出てきた。
(あゆオフには、04年、05年とバイクで参加。地理的に東北に近いのでみちのくほやほや隊の方の参加も多かった。06年は雨だったので参加しなかった(開催された)。静岡から遠いのでもう参加することは無いと思う。3回も参加できてよかった)

5.バイク引越
ちょうど梅雨だったこともあるが、バイクを持ってきたのは7月下旬だった。あまり早く持ってくると職場の人から「こいつ、群馬に遊びに来たのか」と思われかねなかったのでしばらく様子を見ていたのである。 バイクを持っていくことをMLに流したら、ike-ikeさんが途中まで付き合いますとレスをくれた。沼津インダー線で待ち合わせて国道246号線を走った。神奈川県に入って道の駅山北で休憩した。雲行きが怪しくなり降り出してきた。ike-ikeさんとはここで別れた。雨は止む気配がない。せっかく宮ヶ瀬湖経由にしたのに残念だった。八王子から16号線に入ると雨が強くなってきた。川越から東松山は関越を利用した。東松山から先は先日と同じルートである。無事アパートに到着した。駐輪場にバイクを置いた。
これで休日は不自由しない。出掛け放題であると思ったが、現実は甘くなかった。休日出勤ばかりで期待したほど出掛けられなかった。特に06年は丸1日バイクに乗って遊べた日は2〜3日だった。(>_<)
実はこの一週間前、中古で買った車(写真)をこちらに持ってきた(乗ってきた)。冬の寒さと真っ暗な夜道を自転車で走ることの危険度を考えると自転車通勤は無理だと思ったからである。これで車とバイクの2台体制となり行動範囲が格段に広がった。もっとも車は通勤だけで、車で遠出することは滅多になかった。

ホンダライフ

6.バイクで初参加のオフ会
バイクを持ってきた翌週、Rider-Uさん主催の尻焼オフがあった。尻焼温泉は川に涌く温泉で有名である。川の温泉と言えば紀伊半島の川原湯温泉が有名であるが、尻焼温泉はその関東版である。同じ群馬県でも東西の端同士なので近いとは言えない。道を地図で確認した。でも、「温泉は各人勝手に入ってください」というオフ会だったので尻焼温泉に入るつもりはなく、途中で日帰り温泉に入ってから集合場所の道の駅六合を目指した。道の駅にはまだ誰もいなかったが、参加者が続々と到着した。幹事のRider-Uさんが最後だった。尻焼温泉に入ってきた人、入ってこなかった人、それぞれだった。
せっかくなので草津温泉まで行くことになった。国道291号線を草津に向かう。実はこの道で8年ほど前に転倒したことがある。その時は下り坂だった。今回は逆方向なので上り坂。はっきり覚えていないので「この辺だったかなあ」と思う程度だった。草津に行ったら共同湯は外せない。湯畑そばの白旗の湯で一息入れた。(簡単レポを群馬初乗りにアップ)
オフ会はここで解散となった。一部の方とは渋川伊香保IC入口までいっしょに走った。皆さんと別れてから前橋市内で渋滞して苦労したが、無事帰ることができた。その後、前橋市内を通らないで渋川へ行くルートを知ったので渋滞に巻き込まれることは無かった。

7.それから3年半
この間のことはちょっとお出掛けまとめオフレポ鉄道の思い出を見てください。

06年11月22日、沼津転勤の内示があった。あまりに唐突だったので驚いた。
単身赴任が丸3年を過ぎようとしている頃から沼津転勤の希望を出していた。しかし、特に話しがないまま11月に入っていた。だいたい転勤は春から秋が多く、冬はほとんどない。早くて来年(07年)の春かなと諦めていたからである。自宅にすぐ電話した。娘には携帯にメールした。本当に嬉しかった。
翌日は「勤労感謝の日」で休みだった。戻る前に是非行っておきたい思っていたところがあったので急遽出掛けた。天気は良かったが寒かったのでバイクはやめて車にした。どこへ行ったかはこちらをご覧ください。
発令日は12月1日だった。あと1週間しかないではない。引き継ぎがあるのですぐ沼津へ戻ることはできない。年末年始は沼津でゆっくり過ごした。07年1月13日にアパートを引き払い、楽しみ苦しみが盛り沢山だった群馬勤務が終わり、単身赴任が解消された。万歳! この喜びは経験者でなければ判らない。

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