(課題テーマ:清水市における政策課題とその具体的解決方策)
「日本一のサッカーフレンドシティ」 をめざして

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第3章   地域のアイデンティティとしてのサッカー

   第1節   地域のシンボル/アイデンティティ

   我々は普段、地域のシンボルということばを深い考えもなしに使っている。だから、「シンボルだから何だ」といわれれば答えに窮してしまう。ここに、この問題のポイントがある。

   一時期、"CI(City Identity)"ということばが流行したことがあった。アイデンティティは"それ自身であること、つまり"自分が自分自身であることを意味する。

   しかし、実際には"地域(City)が他に誇れるシンボル(となり得るもの)を持つこと"とほぼ同義で使われていた。この考えのもと、全国各地で一村一品運動やシンボル的施設の建設が行われた。

   これらの施策の多くは、地域経済の振興やPR効果に主眼が置かれていた。本当の意味での地域のアイデンティティは "結果論的"にもたらされたり、もたらされなかったりというのが実情だろう。

   地域のシンボルとは、住民がそれを通じて共通の感情を共有できるものである。つまり、日常生活の中で様々な対立的関係があっても、そのシンボルの下では団結することができ、それが汚されれば一緒に悲しみ憤ることができる、それが地域のシンボルではないだろうか。

   したがって、ただ他よりも大きいとか、珍しいということだけではシンボルとはいえない。真の意味でのシンボルとは、地域の歴史や生活、文化などの集大成であり、象徴でなければならない。

   その点、清水のサッカーは長い年月をかけて、清水市民が生み出した日常の風景であり、文化、制度である。幼少の頃、スポーツ少年団でプレーしたことのある人は、かなりの数に上る。初期のプレーヤーは、すでに50歳を超え、社会の中軸を担っている。指導者や親として関わった人も多く、市民生活に溶け込んでいるといえる。

   また、後述のように、ナイター設備などの施設管理や、草サッカー大会などの大会運営についても、特定の指導者に頼ることなく、社会システムとして機能している。このようなシステムを支えるのは、「面倒くさい」と言いながらも、その活動にやりがいを感じている一般市民である。

   これらに携わる清水市民の意識は、阪神大震災やナホトカ号重油流出事件で注目されたような完全に自発的なボランティアの意識とは、少し趣きが異なる。むしろ、地区防災会やまちづくり委員会などと同じく、内からの自発性よりも、外からの動員がきっかけになっているといえる。自発性を重視する都市型のボランティア社会と、昔ながらのムラ社会をうまく融和した"清水らしさ"を象徴している。


   第2節   地域の連帯とサッカー

   今回のフランスW杯では何万という日本人が、不況の中、大金を払って自らの代表チームを応援するためにフランスに渡った。日本国内のテレビ放映も70%近い視聴率を記録した。熱狂的なサポーターもサッカーには無関心な人々も、試合を観た日本人で日本代表チームを応援しなかった人はいなかったに違いない。

   W杯では、試合の前に選手がサポーターと一緒に国歌を歌う。日頃は、何かと論争の的となる"君が代"だが、このときばかりはほとんどの日本人が万感の思いで聴いていたと思う。これは理屈ではなく、まさに生理現象である(注5)。"君が代"自体については是非があろうが、このように感じること自体を否定できるものではない。

   この話の中の"国"という概念を"地域"に置き換えてみれば、それがすっかり当てはまることに気づく。市同士の試合では自分の住む市を、県同士の試合では自分の住む県を、国同士の試合では自分の国を応援する。ほぼ普遍的に存在するといえる根源的な感情なのである(注6)

   スポーツは、その中でも特にサッカーは、排他的で偏狭な地域主義に基づくのではなく、世界共通の普遍的なルールのもとで地域文化を表現することができる。しかもサッカーは、組織と個性の調和のうえに、選手たちが属する社会を表現する(注7)。選手を支えるスタッフや観客を含めて、いかに多くの人々がサッカーを楽しんでいるか?スポーツの精神を理解しているか? が試される場所なのである。


   第3節   他のスポーツ活動と清水のサッカーの違い

   清水のスポーツ界におけるサッカーは、まさに地域スポーツのパイオニア(先駆者)と呼ぶにふさわしい。その代表例が学校施設の開放を進めたことである。

   清水市民は、サッカーをプレーしたいと願う一心で、自分たちの手でナイター設備をつくり運営し始めた。まさに自発的な意志に基づく自治活動である。近年の"学校開放"という流れが、公共施設の有効利用という効率主義的発想に基づいていることと比べて対照的である。

   また、育成会組織のような、今ではどのスポーツ組織にもあるしくみを成熟させたのも、本市のスポーツ少年団の歴史によるところが大きい。育成会は、単なる父母の会ではない。組織や大会の運営までを受け持つ強力なボランティア集団である。また、育成会自体が自分たちのためのサッカーチームを組織し、自らプレーする楽しさを享受ところに特徴がある。

   従来からあった野球のリトルリーグや子供会のソフトボールのような組織は、サッカーのような近年人気のあるスポーツ団体と比して勢いがない。しかし、それは単なるサッカー人気に負けたというよりも、育成会組織に代表されるシステムの有効性や成熟度に差がついたと見るべきである。

   清水のサッカーの特徴は、草創期のスポーツ少年団の創立(注8)に始まり、学校開放、厳格な指導者の資格制度の導入、草サッカー大会に代表されるようなボランティアによる大規模大会の実施など、理想に向けて、常に新しいことに取り組むところにある。理想を机上論で終わらせるのではなく、実際に乗り越えようとすることで、自ら活力を生み出している。

   新たな取り組みは、得てして組織のエネルギーを消耗しやすい。しかし、その拠り所となる理想が構成員の欲求と合致していれば、消耗ではなく活力に変化する。それをうまく調整することができたのは指導者が優れていたこともあるが、むしろ、構成員の意思を集約するシステムがうまく機能していたからである。

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