リトグラフ、”赤いヤギの乳搾り”、もこの時期に製作したものです。 この場面は山々でのありきたりさを表現したものです。 私はアジアの持つ古代性、簡素な生活、伝統に魅せられていました。 *画像をクリックすると拡大画像が出ます。 4葉の白黒のリトグラフ、”会話”、”道すがら”、”古い荷馬車”、 ”道端での出会い” 、も同様にこの時期に製作したものです。 ソビエト時代には聖書にまつわるテーマの絵画、版画を展覧会で 展示することは禁じられていました。聖書はソ連の公式的イデオロギー とは相いれなかったのです。私は聖書をテーマにした作品を描き、 それにアジア的呼び名で”祈り”という意味の題名をつけて発表し ました。 小シリーズ、”プラハの天使たち”、も聖書のテーマに没頭していた 時期のものです。1990年に初めて私は外国に滞在する機会を 得ました。(ペレストロイカまでは全く考えられなかったことです。) チェコでは私の作品の収集家がある時、私を招待してくれ、彼のために 何枚かの作品を作るように依頼されました。彼は個人所有のリトグラフ 工房をブルノ近郊の田舎町に見つけてくれました。4年間、私はその 工房に通いリトグラフを製作しました。”プラハの天使たち”はこの工房 で初めて製作したものです。 アルバム、”雅歌”からの2葉も聖書の系列に属するものです。 1988年から1998年の10年間に、私は4種類のアルバムを発表 しましたがいづれも旧約聖書の雅歌をテーマとしたものです。 次の2葉のリトグラフは1998年、最後に発表したアルバムからの ものです。 1998年、私はリトグラフ・アルバム、”アラビアン・エロス”、を発表 しました。正しい見方としては、アジア的モチーフ、又はハーレムの 女たちのアルバムといったところでしょうか。 このアルバムからの3葉です。 次のページへ