The Others Story
1関東学生(15春関) 2Newラケット 3団体戦(15年春) 4静岡滞在
5'15会頭杯 6'15関東リーグ 7団体戦(15年秋) 8'16新年
9'16名古屋団体戦 10リベンジ 11進路 12就活
13団体戦(16年秋) 14'17新年 15京都前泊 16京都マラソン
17'17名古屋団体戦 18遅発相 19免許皆伝2 20箱根旅行


The Others Old Story


関東学生(15春関)('15.05.01)
 気がつけばもう大学3年生。
 関東学生の本戦出場を目指し頑張っている。
 が、なかなか厳しい、高校時に県上位にいても出場できない選手が多い。
 本戦に出場するには、1次予選、約1000人がエントリ、11人毎のブロックに分かれ、3〜4戦戦う。
 2次予選に進んでも一次予選を免除されているシード選手を二人倒さなければならない。
 今の長男君は、1次予選の第1シード位置、それでも楽に二次には進めない。(今までも1回しか進んでいない)

 ところが今回の春関で、なんとダブルスとシングルスともに、二次ファイナルに進出しました。
 ダブルスは安藤君とペアです。
 父:「シングルはいつ?」
 長男君:「ダブルスと同じ日だって、しかも会場が違う大学だって」決勝まで行くと日を考慮してくれることもあるそうだが・・・会場も違うとはひどい。
 頑張れ!、本戦は応援に行くぜ!

 当日は仕事だが、気になって仕方ない。
 ダブルスは午前、シングルは午後と聞いているが、夕方になっても連絡はない。
 父:「お母さん、連絡がないのはどっちだろうね?」
 母:「そうだね、怖くて聞けない」そうだね。

 父:「連絡来た!」
 ダブルス:62 16 10-5
 シングル:76(3) 57 62
 どちらもフルセットの接戦だったが、惜しくも負けました。
 シングルの最後は足がつったらしい。
 本当に悔しい。
 でも腐らずやるしかない、インカレ夏関もあるし、来年?、来年は就活かぁ、いや関東学生優先だな。
 一度は出ようぜ!

Newラケット('15.05.08)
 GWもどこに出かけるでもなく、テニスしかしてませんでした。
 現在、使用しているラケット。
 バボラ ピュアドライブ 2012年モデル
 <スペック>
 フェイスサイズ:100平方インチ
 ウエイト:300g(±7g)
 長さ:27.0インチ(+は27.5インチ)
 バランス:320mm(±7mm)
 フレーム厚:23.0〜26.0mm
 世界で一番売れていると言われるラケット、世界一無難なラケットということです。
 2012年の6月から使用してます。
 ラケットの買い替え時は、一概には言えないようです、10年使っている人もいれば、ころころ変える人もいる。
 我が家の長男君は、父よりラケットを変えている。
 3年使って、へたっている実感はない、単にモチベーションの問題のような気がする。

 ここで友人でもある某K氏の話を記しておきたい。
 K氏:「単身赴任してから本当にケチになって、スーパーの安売りの時間とか狙って買い物してるよ」
 父:「俺もそうだよ、外での外食なんて論外だよね」友に単身赴任者ということもあり、主婦みたいな会話が多い。
 K氏:「この間ネットでラケットが安かったから2本買っちゃったよ」
 父:「?あれ、何本ラケット持ってるの?」
 K氏:「10本」
 有り得ないでしょう、スーパーの安売りを狙う人が、同じラケット10本も買う?
 どうも思い入れが強いラケットがあり、製造中止になる前に買いだめしておき、長く使えるようにストックしておきたいですって。
 それにしても10本って?

 K氏は特別としても、父としてはラケットも進化していくだろうから、3年おきくらいには買い替えて行きたい。
 何に換えるか、車の買い替えと同じくらい考えるだけで楽しい。
 テーマは「コントロール」です。
 速い球やスピングリグリの球は打てないので、コントロールで勝負するしかないのです。
 そこで候補に挙がったのが以下。
 @バボラ ピュアコントロール
 Aバボラ ピュアストライク
 Bスリクソン REVOX2.0
 スポーツ店で試打ラケットを借りて、打ってみます。
 仲間にも意見を聞きます、「ピュアコンが合ってそうだね」
 自分ではよくわからないが、ピュアコンが振る抜きがよかったような気がする。

 結局、ピュアコンを購入しました。
 バボラ ピュアコントロール 2014年モデル
 <スペック>
 フェイスサイズ:98平方インチ
 ウエイト:295g(±7g)
 長さ:27.0インチ(+は27.5インチ)
 バランス:325mm(±7mm)
 フレーム厚:21.0mm
 よろしくお願いします。
 こっちも君が頑張れるように、動いてなるべく真ん中に球当てるようにするから。
 でも、少しくらいずれても、そっちも少し頑張ってね。

団体戦(15年春)('15.05.12)
 昨年も出場した熱海の団体戦へ出てきました。
 「イルフォルテ」での参加です。
 参加者は用事・仕事などの関係で若干かわってます。
 イルフォルテの参加者。
 吉川さん:当グループに主催者でありボスだな。
 木村さん:父と同じ歳、テニスに対する情熱も父といい勝負の人だな、上にある某K氏でもある。
 山口(夫)さん:夫婦でテニスに取り組む姿はうらやましい。
 山口(妻)さん:夫婦でのミックスは奥さんが主導権。
 高井さん:スピンに効いた球、ミスのないボレー、なにより落ち着いた試合運びはピカイチ。
 吉村さん:金沢から静岡に帰ってきたテニスと格闘技を愛する。綺麗なテニス。
 野田さん:唯一のレフティ。スライスサーブは分かっていても苦労する。波に乗ると強い。
 前回も3位なので、悲願の優勝を目指す。

 予選ブロック1回戦。
 予選は4ゲーム選手に短縮された。
 吉村高井 40、本間木村 40、野田山口(夫) 40
 強いねどのペアのゲーム落とすことなく勝利。

 予選ブロック2回戦。
 本間吉村 40、吉川野田 40、高井木村 41
 高井木村が始めてゲームを落とし、「説教だ」とか「罰ゲームだ」とかからかわれている。
 これで予選を一位で決勝トーナメント進出決定!

 決勝トーナメント1回戦。
 山口(妻)野田 36:野田さんが緊張してた。
 本間山口(夫) 64:40からまくられる44、危なかった。
 高井吉村 61:このペアは強いね、逆転でベスト4進出。

 決勝トーナメント2回戦。
 去年負けた相手です、ここに勝てば優勝も見える。
 高井木村 46:44まで互角だったが、最後力尽きた、惜しかった。
 本間吉村 26:バコられました、完敗です。

 最後の試合、相手の態度に切れ掛かりました。
 確かに実力は相手が上であることは認めるが、試合態度・マナーは最低でした。
 私にはふざけているようにしか見えなかった。
 凄く残念な試合だった。
 どんな相手でも真摯な態度で試合しようね。

 最後は残念でしたが、いつもの仲間と一緒に試合が出来て楽しかった。
 また、頑張ろうね。

静岡滞在('15.07.06)
 4月4日から7月5日まで静岡の自宅で過ごした。
 当初は一ヶ月の予定であったが、少しずつ延び延びになり、三ヶ月も自宅で過ごすことができた。
 忙しい仕事でもなかったので、18時には家に帰る、火曜日と木曜日はコスモステニスクラブに行く。
 土日はいつものMXへテニスへ行く。
 名古屋だろうが静岡だろうが、行動パターンはかわらない。
 静岡はバーバがおいしいご飯を作ってくれる、毎日あれを食べていると必ず太る。
 そらを見ていればわかる。
 父も週4テニス、週1ジョギングをしていても太った。
 洗濯物もかごに入れておくと、綺麗に洗濯される。
 すばらしい!

 この三ヶ月に起こった出来事を備忘録。
 ・テニス仲間の吉村さん金沢より帰る。
  二年前に金沢へ転勤したが、再び静岡へ帰ってきた。
 ・家のパソコンを購入。
  富士通製があっけなく壊れたので、DELLノートPCを購入。
 ・父・そらのスマホ交換
  液晶部分に亀裂が入り交換、移行が面倒。
 ・かい、二次予選ファイナルで連敗。
  春関、シングルダブルス共に二次ファイナルに進むも同じ日に連戦で連敗。
 ・巨人戦観戦
  上尾ジージバーバと父母の四人で観戦。
 ・そら日大文化祭
 ・お母さん転ぶ
 ・父ラケット購入
  バボラピュアコントロールを購入。
 ・父熱海試合
  前回同様3位入賞、来年は優勝しよう。
 ・家族会議
 ・一日名古屋に帰る
  床屋・歯医者・テニスして、一泊旅行。
 ・そらインターハイ
 ・海夏関開始
 ・全仏、全英
 ・そら期末

 たった三ヶ月だけど、色々あったなぁ。
 そしてまた名古屋へ。
 部屋は一回帰ってきているので、驚くこともない。
 出て行った時のままである、小人がいて綺麗になったりはしない。
 匂いが気になるが、少し換気すれば問題ない。
 洗濯物もかごに入れておいても、綺麗にはならない。
 ご飯も時間になると勝手にテーブルに並べられたりしない。
 だが、自由だ!

'15会頭杯('15.08.02)
 沼津市テニス協会が主催している会頭杯(ダブルス)へ参戦してきた。
 前回にも小野杯(ダブルス)へ45歳以上の部に参戦し準優勝だった。
 準優勝といっても参加チームが6ペアだったことは内緒だ。
 今回は一般Bクラス、大体の予想はつくと思うが、「B」というからには「Aクラス」があり、100人が100人とも「B」は下手クラスなんだなとばれてします。
 もう少しオブラートに包んだ名前の変更を要請する。
 ただ、29ペアも出場しているので、ヘタクラスでも勝つのは大変である。
 ペアは今回も某木村さんである。

 予選リーグは、4チームによるトーナメント、2回勝てば8ペアによる決勝トーナメント。
 一回戦
 様子を見ながら進み3−3、なかなか良いスピンボールを深く返してくる、ただペアの実力差が顕著。
 悪いがその弱点を突き、6−3の勝利。
 序盤は一進一退だったが、負ける感じはしなかった。
 二回戦
 練習を見る限り、一回戦の相手より楽な相手に見える。
 ところが、その油断からか0−3、本当にダメ、仕切り直し。
 3−4までなんとか挽回、しかも40−40のノーアド相手サーブ、父リターンミス!!!!!
 おい、馬鹿、本当馬鹿。
 3−5から某木村氏サーブ、40−0からズルズル40−40からノーアドを取られ3−6負け。
 おい、アホ、本当アホ。
 このイライラどうしてくれよう。

 Bクラスでこんな試合しているようじゃ・・・某木村さんとも反省会。
 「何が悪い?」
 ・相手のペースに合わせてしまう。
 ・攻撃力(決定力)がない。
 ・試合なれしていない。
 ・やはり並行陣で頑張る必要ある。
 イージーミスは二人とも減ったと思うんだ、次の段階へアップする時期だと思う。
 頑張ろう!!

'15関東リーグ('15.10.07)
 「関東大学テニスリーグ」という関東にある大学の団体戦がある。
 1部から7部まであり、6部までは各部6大学、7部はその他大勢16?大学。
 当然、上に行くほど強い、上下2チームが上下入れ替え戦にまわる。
 1部は、早稲田・慶応・明治・法政・中央・日大、、、名前だけで強そうだ。
 東京理科大学は、去年入れ替え戦に勝利し、5部に昇格した。
 今年度の5部は、東京国際大(昨年一緒に5部に昇格)、横浜国大、千葉大、千葉商大、国学院大。
 目指せ4部昇格!!

 第1戦目は、8/29(日)横浜国大戦、場所が千葉県の野田市、東京理科大学だったので、上尾の爺にも声をかけ二人で応援に行ってきました。
 私は三島から2時間ちょい、爺は上尾から1時間ちょい、最寄り駅の運河駅で待ち合わせ。
 生憎の小雨の中、二人でテニスコートへ。
 既に試合は始まっており、午前中はダブルス3試合、午後はシングルス6試合、5勝したほうが勝ちです。
 海はダブルスとシングルスの両方にエントリ。
 ダブルスは1年生の須貝君とペアを組んで、7-5、6-3で勝利、安藤・星組も勝利し、午前中のダブルスは2−1でリード。

 お昼は近くの吉野家へ爺と二人。
 午後のシングルスでも海は、6-3、6-2と安定していたし、他の部員も優勢に進め、終わってみれば7−2の勝利。
 爺も「優勝したな」と満足そうだった。(まだ優勝ではないけどね)
 終始小雨の中の試合でした、クレイならできなかったですね。
 見るほうも傘を差しながら、疲れたとは思いますが、爺も元気に帰っていきました。
 また、応援に行こうね。

 その後も東京理科大は、東京国際には力負けするも、順調に勝利を重ね。
 千葉商大:7−2
 東京国際大:2−7
 国学院大:7−2
 千葉大:8−1
 6チーム中2位を獲得し、上入れ替え戦を迎えた。
 対戦相手は学習院大。
 応援に行きたいが、父は名古屋ということもあり、お母さんが応援に行くと言い出した。
 買い物じゃないよね、応援だよね?
 ツムツムとかしてないで、応援してね。

 Lineでお母さんに状況を聞く。
 お母さん:「隣でラグビーもやってるぞ」そんな情報いらないから、応援に緊張感がない。
 お母さん:「海くん勝ちました」
 お母さん:「あれっ、まだやってる」まったく。
 お母さん:「最後の試合やってます」
 父:「トータルの結果は?」
 お母さん:「わからないな」使えない。
 お母さん:「なんとなくだが、4-5のような気がする」なんとなくって?
 お母さん:「では、大丸に向かうとしよう」トホホ。

 結局、4対5で敗戦、5部残留ということでした。

団体戦(15年秋)('15.11.01)
 今年の春にも出場した熱海の団体戦へ出てきました。
 「イルフォルテ」での参加です。
 参加者は用事・仕事などの関係で若干かわってます。
 イルフォルテの参加者。
 吉川さん:当グループに主催者でありボスだな。
 木村さん:父と同じ歳、テニスに対する情熱も父といい勝負の人。
 山口(夫)さん:夫婦でテニスに取り組む姿はうらやましい。
 山口(妻)さん:夫婦でのミックスは奥さんが主導権。
 吉村さん:金沢から静岡に帰ってきたテニスと格闘技を愛する。綺麗なテニス。
 野田さん:唯一のレフティ。スライスサーブは分かっていても苦労する。波に乗ると強い。
 津吹さん:巨人魂の仲間です。フォアの威力はピカイチ。
 前回も3位なので、悲願の優勝を目指す。

 予選ブロック1回戦。
 予選は4ゲーム選手に短縮された。
 山口野田 40、吉村吉川 40、本間木村 40
 春にも予選で対戦した、ベテランチームだった。

 予選ブロック2回戦。
 本間木村 14、吉村津吹 42、野田山口 41
 本間木村負けです、あの舐めてかかり、前に詰められて負けるパターンのやつです。
 またやってしまった。
 落ち込む。
 なんとか皆の勝利で予選1位ですが、喜べない。

 決勝トーナメント1回戦。
 本間吉村 16:予選とは別の負け方、試合運びの差で負けた。スコア以上に競っているんだが・・・
 木村野田 63:木村さん頑張ってました。
 山口津吹 16:こちらも経験の差かな。

 決勝1位トーナメントには進めたが、1回戦で敗退です。(ベスト16)
 本間父、チーム唯一の2敗です。
 これは正直へこみます、立ち直るのに時間が必要です。
 もう何が悪いというレベルでなく、サーブを入れる、ラリーを続ける、ボレーを続ける。
 もっと単純に基礎力をつけなければならない。
 あぁ凹む。

'16新年('16.01.04)
 父母共に、有給を取り休みの始まりは26日、開始は4日からです。
 年末年始の忘備録です。
 <12/26>:父午後MXテニス、ママジム、海テニス試合、そらグタグタ
 <12/27>:父海御嶽堂テニス、ママそら静岡買い物、ママ同窓会
 <12/28>:餅つき、6臼、つき手4人、海午前丹那テニス
 <12/29>:父MXテニス、ママそら大掃除、海丹那テニス、父ラン
 <12/30>:父MXテニス午後仕事、海丹那でテニス
 <12/31>:父MXテニス、ママそら年賀状印刷、海丹那でテニス
 <01/01>:新年会(石井家森井家本間家合同、亮太バイト)、海初詣
 <01/02>:父仕事、海丹那テニス
 <01/03>:父MXテニス、父ママそら初詣、父名古屋移動、海テニス試合

 父海は、忙しい年末年始なのにテニスしかしてないじゃん、アホだね本当。
 ただ、父は仕事もしてますからね、ここが違う、偉い父!
 ママとそらは家にいて、仲いいだか、悪いんだか・・・よく言い争いをしてる。
 第1問:9日間で家族4人一緒に食事をしたのは何回でしょう?
 ⇒12/31夕食、1/1昼食の2回のような気がする。

 今年、海は就職活動、そらは受験生。
 海は、なんとなく行きたい会社の具体的な社名が出てきた。
 ただ通ってる大学とは畑が違う。
 これまで進路で苦労をしたことがない奴だからなぁ。
 就職で一生が決まるわけではないが、高校とか大学を決めるのとは違うということが、どれだけわかっているかな?

 そらは、大学行くのか専門学校行くのかまだはっきりしていない。
 なりたい職業のイメージはあるようだが、まだまだ弱い。
 明確な目標というか、「絶対になるんだ」という意思がないなら、大学に行くことを進めるが、勉強をしようという意識が無い、こまったもんだ。

'16名古屋団体戦('16.03.13)
 昨年に引き続き名古屋市西区の区民大会へハミングバードとして参加しました。
 昨年は一般の部に出場したが、今回は50歳からのシニアの部で参加です。
 決して一般ではもう通用しないとかではないですよ。
 一般からも誘われながらの、シニアへの参加ですから。
 こんな言い訳を書くこと自体、かっこ悪いな。

 シニアの中では、まだ若手なので頑張らねばならない。
 シニアでのメンバは以下。
 ・長谷川:51歳、大阪単身赴任中。
 ・塚本:57歳、横浜より単身赴任中、今年から仲間に。
 ・堀内:60超、気持ちは若い。
 ・澤田:??歳、父より少し上、サーブは父より速い。
 ・林:57歳、ロードバイク乗り。
 ・渡辺:??歳、父よりかなり上、唯一の女性です。
 父を含め7名、ミックスを含むダブルス3本で勝負です。

 シニアの前に一般の部があり、応援です。
 今回は、現役テニスコーチが3名、元コーチが1名、参加し上位を狙えそうです。
 @木村・河田ペア、善戦するも46敗退、まあ次からはコーチが控えているから。。。
 A田中・関島ペア、磐石62勝利。
 B松島、ヘッドコーチだが、相手は高校生?みたいな現役ぽい、接戦の末56敗退、でもいい試合だった。

 シニアの部
 @本間・林ペア:1試合目を勝って勢いをつけないとね。
  ところが出だしから04、トホホ。
  なんとか2つとるけど、26敗退。
 A澤田・渡辺(MIX):相手のミスにも助けられ62勝利。
 B塚本・堀内:勝ったほうが2回戦へ。
  二人とも頑張ってくれたが、56の惜敗。

 勝ちたかった。
 ペアのフォローができなかった。
 ペースを変えるだけの、技術がない、こじ開けるパワーもない。
 そのくせペアのミスに内心イライラしてしまった。
 そのことに余計落ち込む。
 テニスを楽しむ気持も忘れてしまった。
 技術だけでなく、もっと大人にならなければな。
 50過ぎた爺の台詞ではないな、反省!!

リベンジ('16.05.05)
 海が静岡県シングルスに出場してベスト8に進んだと連絡が入った。
 県シングルスでベスト8というのは、なかなか進めない、たいした者だ。
 ただ、それだけではここに記すことはない。
 その3回戦で戦った相手が問題なのである。

 思い返せば。
 ・2011年選抜団体(県予選)
 ・2012年インハイ団体(県予選)
 ・2012年インハイダブルス(県予選)
 これらは全国一歩手前で負けた記録です。
 よぉーく見ると、よぉーく見なくても、全て同じ選手に負けてます。
 よって我が家では、その選手はNGワードになっていました。

 結局、一度も勝てないまま大学生になり、県シングルスの大会でとうとう、とうとう勝つことができたのです。
 父は見に行くことができなかったのですが、その場にいたら発狂していたかもしれません。
 彼を始めてみたのは、小学生の4年生くらいだと思います。
 その当時、全国でも上位に入っていて静岡県内では頭一つどころか大人と子供の試合だったのをよく覚えています。
 その彼に勝つ日が来るなんてね。
 本当に見たかったなぁ。

 この話には続きがあり、次の準々決勝でも因縁のある選手と戦ったのです。
 ・2012年インハイシングルス(県予選)
 そうです高校3年生のインハイで最後に負けた選手と戦ったのです。
 これに勝てば、高校生時代の諸々のリベンジが一気に果たせるのではと期待がかかりましたが....
 そうはうまくいきませんね。
 巡り会わせが面白くて、昔を思い出して楽しかった。

進路('16.05.11)
 基本は自分の将来のことは自分で決めないと、後々「○○が言うから」なんて話になりかねない。
 でもね、長く生きてきた分、助言はしてあげたい。
 そらがブライダルの専門学校に行きたいと言っている。
 さぁどうする?


 専門学校に反対の理由。

【給与】
最初から大卒と差があり、そして差はどんどん広がる
【仕事内容】
同じ能力なら責任ある仕事は大卒に回され、専門卒はその補助的作業になる
【昇給】
これも同じ能力なら大卒が先に昇給する
【将来の展望】
専門学校は将来の選択肢が限られる。(入ってから別の職に就きたいなんて無理)
どれだけブライダルの職業に就きたいのか伝わらない(聞いてない)。
また、熱意も感じられない。
社会・会社の仕組みを理解していないので、将来を決める判断力が備わっているとは思えない。
今までそらの判断が正しかったためしがない。(これ重要!)
一般的な常識が備わっていないのに専門的なノウハウを勉強する段階ではない。
専門的なノウハウは就職してから学べばよい。

【最後に】
ブライダルの仕事はすばらしい仕事だと思う。
大変な職業だけど、そらに合っている様な気もする。(ただ天然&てんぱって失敗するタイプ)
大学に行って社会勉強をし、広い視野で社会を見ると別の可能性も見つかるかもしれないし、4年たってもブライダルの仕事がしたいと思えれば本物だと思う。
4年間という時間が、きっと人間力を高めるはずだ。
それからでも全然遅くはない。
(給与とか仕事内容とか昇給のことを書いたが、まああることはあるが大した問題ではない、実力次第、人間力次第)
結局のところ、ブライダルや専門学校を否定している訳ではない、社会に出る準備ができていない奴に社会に出て欲しくない。
よく考えることだ。

なんだかんだ言っても、入れる大学があることが大前提だけどね。


 という手紙を送った。
 もう後は本人に任せるよ。

就活('16.07.01)
 父が就職した頃は、バブルの入り口頃、景気のよい頃。
 就職活動もさほど苦労することなく、今に会社に入ったが、、、その判断がよかったのか悪かったのか?
 なりたくてエンジニアになった訳ではない。
 もっと言うとなりたい物もなかった、なりたいものがわからなかった。

 息子を見ていても、何になりたいのか分からないみたいだった。
 それでも何社か就活を始めた。
 父が聞いたところでは以下。
 ・明電○
 ・キヤノ○
 ・ゼロック○
 ・パナソニッ○
 ・三菱電機エンジニアリン○
 ・日立ジョンソン○

 電気の会社といえば電気の会社だけど、もう少し細かく分類するとバラバラの業種のような気がする。
 何をやりたいのかわからない。
 聞いてみると、家電を作りたいらしい、しかも白物家電。
 そうなんだ。
 そうなると、上の会社ではパナか三菱となる。
 第一志望は三菱で、ここは学校推薦を受けれるらしい。
 学校推薦を使うと言うことは、内定ももらえたら、その会社に入ることを意味する。
 パナは本体だったので、多少後ろ髪を引かれたみたいだが、学校推薦を使い、三菱電機エンジニアリン○から内定をもらった。
 あと、明電○と日立ジョンソン○からも内々定をもらったそうです。

 就職の場合、高校や大学と違い、第一志望に入れたからといって必ずしも正解かと言うと違う。
 そもそも何が正解かもわからない。
 別の会社に入っていれば、、、、、と考えても意味がない。
 ただ、どう考え、どう選択して、どうやり甲斐を見つけていくか。
 気に入らない仕事もあるだろう、うまくいかない上司もいるだろう、何を考えてるか分からない部下もできるだろう。
 ぶれない信念を持って、自分の判断を信じて、頑張っていって欲しい。

 これで高校大学と私立7年間が終われば、我が家の家計も少しは楽になる。
 あっ、あと一匹残ってたかぁ!
 もう脛が残ってない。

団体戦(16年秋)('16.11.06)
 昨年も出場した熱海の団体戦へ出てきました。
 「イルフォルテ」での参加です。
 参加者は用事・仕事などの関係で若干かわってます。
 イルフォルテの参加者。
 吉川さん:当グループに主催者でありボスだな。
 木村さん:父と同じ歳、藤沢に単身赴任中。
 津吹さん:巨人とテニスを愛する、熱い人。
 山口(夫)さん:夫婦でテニスに取り組む姿はうらやましい。
 山口(妻)さん:夫婦でのミックスは奥さんが主導権。
 野田さん:唯一のレフティ。スライスサーブは分かっていても苦労する。
 本間息子さん:部活も引退し初参戦、助っ人。
 前回も3位なので、悲願の優勝を目指す。

 高井さんと吉村さんの2枚エースを欠き苦しい試合になりそうだが、海が助っ人として参加してくれました。
 予選はね、いつも楽勝なんです。
 1回戦
 木村山口(夫)、56親子
 本間親子、60 おばさんペア
 津吹野田、62
 2回戦
 本間親子、60 おじさんペア
 木村山口(妻)、62
 津吹野田、62

 本間親子で参戦です。
 相手がおじさん・おばさんペアだったので、盛り上がらなかった。

 決勝、1回戦。
 木村山口、46うまい女性ペア
 本間親子、62若者ペア
 津吹野田、36

 どの試合もよい試合でした。
 本間親子は、息子が本気で戦ってくれたので勝てたが、海以外のペアなら勝てない相手でした。
 ベスト8で敗退でした。
 親子で試合に参加できて、よい思い出になりました。
 実際には、ペア同士の実力が違いすぎると、狙われて残念な試合になりがちですが、海に広いエリアをカバーしてもらい、ピンポイントのエリアだけ担当してました。
 次は足を引っ張らないよう上手くなってやる!

'17新年('17.01.05)
 去年より休みが短い。
 年末年始の忘備録です。
 <12/29>:父MXテニスからの食事会、ママそら大掃除、海忘年会
 <12/30>:餅つき(石○家欠席)、カラオケ(千乃参加)
 <12/31>:ママそら年賀状印刷、海丹那でテニス、父洗車
 <01/01>:海青山テニス、初詣(3人)、映画(海賊とよばれた男)
 <01/02>:新年会(石○家森井家本間家合同)
 <01/03>:父MXテニスからの食事会、海テニス静トー試合、父名古屋へ

 何時も通りの年末年始というば何時も通り。
 ひとつ明記しておかなければならない出来事に、石○家の離婚問題がある。
 まだ、正式に離婚してはいないが、概ね合意したため離婚届にお互いに判を押したらしい。
 他の家のことなので、詳細は省くが、美恵ちゃんと千乃が森井家に3月から住む、亮太は東京に一人住まい、今の家には篤氏が一人で住む。
 上記により餅つきは、篤氏は欠席、亮太も膝のケガで欠席、美恵ちゃん仕事で欠席、千乃は塾で欠席。
 海と父と返しはママ一人で乗り切った。(5臼)

 今年は海そら共にステップアップの年、社会人と大学生になる。
 海は家を出て、静岡市で一人暮らしを始める。
 親としての仕事はほぼ完了だよね。
 嬉しいような寂しいような。
 そらは、大学が東京の千代田区で海と同じように新幹線通学の予定。
 まだ、四年間は高い授業料を払わないと、また免許を取りにいくとか言ってるし大変だ。
 父はたまに帰ってくるだけだからまだ我慢できるけど、毎日あの娘の相手をするのは大変だ、おかあさん頑張れ。

 亮太と千乃も共にステップアップの年、社会人と高校生になる。
 亮太は東京のジャズバーの店長、千乃は美術系の高校へ進学予定。
 亮太もジャズバーの店長ではあるが、そこからデザイン関連の仕事へのステップアップを狙うようです。
 海は家を出るが、美恵ちゃんと千乃が森井家にくるのでもっと騒がしくなるな。

 名古屋転勤から丸三年。
 今年中には帰ってくる予定。

京都前泊('17.02.18)
 京都マラソンに参加するために、京都へ向かいます。
 フルマラソンへの参加は二度目、前回は「ふじのくに新東名マラソン」なので6年前になります。
 その間、三島マラソン等には参加していたが、コンスタントに練習をしているかと言うとそうでもない。
 ジムでランニングマシンの上を30分走る程度。
 あくまでもテニスをする体力を維持するためのもので、フルマラソンへの参加のためではない。
 それでも「東京マラソン」「京都マラソン」へはエントリするも毎年落選していた。
 そして恐れていた事がおこった、京都マラソンの4倍の倍率をくぐり抜けてしまったのだ。
 「やばい、当選してしまった」
 すぐ練習を始めればよいものを、年が明けてから・・・先延ばし。(明日やろうは、バカ野郎!)
 練習不足のまま迎えます。

 京都マラソンは当日受付でなく、前日受付のため、前日に京都に入ります。
 午前中は何時も通り、名古屋でテニスをします。
 その後、ジムによりサウナ&風呂に入って、「よし京都行こう!」

 京都は名古屋から新幹線で30分、おいおい近すぎだろう。
 受付のついでに京都観光でもしましょう。
 どこに行こうか考える、受付場所の平安神宮側でよさげな場所はないか?
 銀閣寺から哲学の道を歩いて平安神宮、よいじゃん。

 銀閣寺は電車では駅が近くにないので、バスで向かいます。
 高校生の修学旅行以来の銀閣寺でしたが、こんな物でしたかね。
 金閣はまあ金色だけど、銀閣は銀ではないよな、単に金閣に対抗して銀閣と呼ばれたようだし。
 ただ、庭園はすごく整備されており綺麗でよい。

 熊野若王子神社から銀閣寺までの散歩道が「哲学の道」と呼ばれています。
 紅葉や桜の名所でもあるようなので、今はシーズン外ですかね、あまり歩いている人も少なかったです。
 京都大学の哲学者「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑があった。
 悪い言葉で言い換えると「自己中心」になるが、そこはよいバランス感覚でぶれない自己を守っていきたいものだ。
 ねぇ子供達。
 そんな事を考えながら30分ほど散策。

 そのまま歩いて平安神宮へ向かう。
 すでに明日の準備中、ここがゴールかぁ。
 テンションが上がってくる。
 受付はものの5分で終了、ゼッケンやら荷物預け袋を受け取る。
 そのままホテルへ。
 「よぉーし頑張ろ」

京都マラソン('17.02.19)
 とうとう京都マラソンの当日を迎えてしまいました。
 概要は以下。
 西京極総合運動公園をスタートし、平安神宮前にフィニッシュ
 制限時間6時間
 7:00〜8:15 荷物預け
 8:00〜8:44 整列
 9:00 スタート

 起床は6時、炭水化物を多めに取りエネルギー切れに備える。
 お弁当をむりやり食べる。
 7時前にホテルを出る、西京極着が7時半、もっと寒いかと思ったが温かい風もない。
 整列は自己申告のタイムによりSからA-Gまで区切らえており、父はFエリア、そんなもんだ。
 この時点でも目標は完走、6時間クリア。
 下手すると完走も怪しいのではないか?
 8時整列。
 走るのに準備したもの。  ・塩アメ
 ・アミノ酸
 ・カロリーメイト
 手袋・タオル・帽子。
 さぁスタート!

 【前半】
 Fエリアなのでスタートまで10分弱かかります。
 あくまでも完走が目標なので、前半は抑えます。
 桂川沿いを走ると、嵐山渡月橋が見えました。
 京都の街だと見るところが多く楽しいだろうなと呑気に考えていたが、ただ景色を楽しむという余裕はないことに気がつきます。
 10キロ、1時間5分。
 体にも異変はない、よい感じだ。
 応援してくれる人たちも多い。
 仁和寺では門の前でお坊さんが応援してくれた。
 高校の前でもチアリーダーがハイタッチしてくれた。
 20キロ、2時間10分。
 あれっ、行けるじゃん。
 素人のマラソンあるあるだと、前半×2+30分が予想タイムだから5時間ペースです。

 【後半】
 左足にマメが・・・痛い。
 右足の親指爪が・・・痛い。
 筋肉の痛さでなければ走れます。
 30キロ、3時間25分。
 流石に疲れたがペースは守れている。
 給水場所以外は止まっていない。
 エイドに生八つ橋、さすが京都、甘さが体に染みる。
 ここからが勝負。
 左膝と左付け根に違和感、痺れてる。
 しかも37キロから長い上り坂、キツイ、本当にきつい、もうマラソン走らない、絶対。
 40キロ、4時間40分。
 ゴール前で多くの人が「おかえり」「お疲れ」「もう少しだよ」・・・
 これがいけない、頑張っちゃうじゃん。
 ゴール、4時間57分。

 この瞬間の感動・開放感があるから走るんだろうな。
 ゴールした瞬間、左膝が痙攣して崩れ落ちた。
 本当に歩けなくなった。
 着替え場所で湿布くれた人、ありがとう。

'17名古屋団体戦('17.03.12)
 昨年に引き続き名古屋市西区の区民大会へハミングバードとして参加しました。
 昨年は一回戦負け、悔しい思いをしました。
 今年は「一つは勝ちたい」と低い目標で臨みます。
 シニアでのメンバは以下。
 ・長谷川:52歳、大阪単身赴任中、スライスはキレキレです。
 ・塚本:58歳、横浜より単身赴任中、前衛の動きは最高です。
 ・澤田:??歳、父より少し上、サーブが入れば・・・。
 ・近藤:??歳、唯一の女性です、フォアのフラットが武器です。
 父を含め5名、ミックスを含むダブルス3本で勝負です。

 作戦としては、父・塚本さんが二本柱なので、そのペアでまず1勝。
 残り2戦で、なんとか1つ取る。  なので第1試合、先発は父・塚本ペア。
 第2試合はミックスなので、近藤・澤田(または長谷川)。
 最後は、本間(または塚本)・長谷川(または澤田)という組み合わせで挑みます。
 最後も本間・塚本ペアでもありなんだけど、皆で参加しないとね。

 第1試合
 @本間・塚本:6−0完勝。
 A近藤・澤田:6−3完勝。
 ストレート勝ちです、強いじゃないですか。

 第2試合(参加チーム少なく準決勝)
 @本間・塚本:6−1完勝。
 A近藤・長谷川:0−6乾杯。
 B本間・澤田:6−5、5−5から父サーブキープで勝利。
 澤田さんと組むと楽しい試合になる、まったく。

 なんと決勝進出です。
 相手は毎年優勝しているチームらしい。
 澤田さんは「チェリーと対戦するのが夢だった」とのこと。
 第3試合(決勝)
 @本間・塚本:6−2完勝、確かに少し上手かったけどね・・・。
 A近藤・澤田:0−6完敗、澤田さん0はないでしょう。
 B塚本・長谷川:4−6惜敗、出だしが1−4、少し挽回し4−5、塚本サーブをブレイクされ惜敗。
 全員:「おしかった、楽しかったね」
 全員:「チェリーたいしたことなかったね、次は勝とう」
 来年も参加できるのか俺?

遅発相('17.03.14)
 遅発相とは、花粉症の症状の一種で、反応が後になって現れるもの。
 7時間〜2日後に症状が現れるそうです。
 土日にバカみたいにテニスをして、月曜日会社になってくしゃみや鼻水が多くなることありませんか?
 雨が降って、かつ外に出ることなく家の中にいるのに症状がでることありませんか?

 花粉症になり十数年のベテランなのに、やっと目から鱗が落ちました。
 ずっと不思議だったんです。
 「なんで雨なのに花粉がひどいんだ?」
 「なんで会社の中なのに花粉がひどいんだ?」
 あるとき、ググリました「花粉 遅れて 症状」
 ドンピシャなサイトが出てきます。
 「花粉症の症状の中には早くおこる即時相反応と、後になって 現れる遅発相反応があります。」

 ではどうすればよいか?
 対処としては、即時相反応でも遅発相反応でも同じです、外出時にはマスクするとか・・・
 「お前、花粉症のくせにマスクして外出していないのか?」と突っ込まれそうですが・・・
 通常の外出時はマスクしてますが、テニスするときには流石に着けてません。
 息が苦しいしね、実はテニスのプレー中は花粉の症状になぜかならないのです。
 そこで初めて先週の土日に、苦しさに耐えずっとマスクをしてプレーしました。

 そしたら、どうでしょう、月曜日を迎えてもあの憎らしい症状がでなかったのです。
 もっと早く気付くべきでしたが、なんか非常にうれしい。
 家族の中で唯一のキャリアなので、あの鈍感家族にはこのうれしさは伝わらないだろうな。
 息苦しさは我慢が必要だが、スポーツマスクとかないかな?
 さよなら花粉症。

免許皆伝2('17.03.13)
 本当に住みづらい世の中になりました。
 生きていくためには、色々な危険を回避していかなければなりません。
 本当に52年も生きてこれたことに感謝しかありません。
 そしてそのリスクが大きく上がりました。

 とうとうあの長女にも普通自動車免許を公安が発行したそうです。
 あの自転車で舗装道路の直進で転倒し気絶するような輩が車に乗り、町を走ることになるとはなぁ。
 駅を歩いていて柱に顔からぶつかり鼻血だすような輩が車に乗ってよいのですか?
 ゆるすぎないですか公安?

 父がいないのをよいことに、その日にボルボを運転し、駅に海を迎えにいくとは・・・
 お母さん、勇気ありすぎ。
 お母さんからの実況報告。
 ・家の前は細くて曲がれないから、大通りまでお母さんが運転。
 ・大通りでも20km厳守。
 ・曲がり角の度に、ウインカーでなくワイパーを動作。
 ・バックはできないので、遠い場所に横付け。

 いきなりボルボはないよな。
 ボルボも疲れてきたし、車考えなきゃいけないな。
 すげー前に座ってるし(笑)。
 海の時も怖かったけど、もっと怖いな。
 そらだけではないけど、運転気を付けようね。

箱根旅行('17.03.25)
 この二日間の出来事がてんこ盛りすぎて、まだ整理できていないが時系列に話をしてみよう。
 まず、我が家は家族旅行が少ない家だと思う。
 記憶では、ラフォーレ山中湖('08.06.08)以来なので9年ぶりだと思われる。
 原因は4人の休みが揃うことがなかったのだが、9年間もか?と突っ込まれると苦しい。
 今年は海が就職で家を出る、そらが高校卒業と我が家でも節目となる年。
 もう4人で旅行なんてできないかも、と思い早い時期に「家族旅行」を計画していた。
 ただ、実際には4人が揃う日が・・・ない、引越準備、卒業式、友達との卒業旅行などなど、やっと確保したのが3月25日と26日。
 では「どこ行く?」福岡、スキーツアー、とか案は出るが決まらない、考えるのに疲れて、「近くでゆっくりしよう」で「箱根」。

 そして当日に朝。
 「箱根でなにする?」やはりノープラン。
 「熱海城で桜が咲いたらしい」そこ行きましょう。
 よぉーし出発!!
 父:「誰が運転する?」そうです4人すべて免許持ち。
 そらの運転で熱海へ出発!!
 うるさいママを助手席へ配備。
 ママ:「遅い!!(怒)」
 父:「いや飛ばすな(笑)」制限速度は50キロだが、山中の道なので皆60〜70キロで走行してます。
 そこで我が家は50キロを守り、渋滞の先頭を走ってます。
 父:「ここからの下り危ないからね」姫の沢から熱海市街へ下り坂です。
 そら:「あれ???」
 後ろの車からクラクション。
 交差点から出発しようとしたが、エンジンが止まってます。
 父:「ブレーキ踏んで、エンジンかけて」
 エンジンはかかるが、踏み込むと再びエンスト。
 父:「そこの路肩で止まって」
 顔面蒼白のそらへ、ママ:「そらが踏まないからだよ」放心状態の初心者へ容赦ない一言、流石です。
 路肩で父が運転席で操作しても、エンジンはかかるが、少しアクセルを踏むとエンストしてしまう。
 こうなると素人にはどうしようもない。
 JAFへ連絡。
 状況を説明し、父:「沼津のディラーまで運んでください」
 JAF:「15キロ以上は有料です。2名までは同乗できます」会員ではあるが6千円ほど有料。
 父と海はそのまま同乗し、ママそらは近くのバス停から熱海は諦め箱根へ向かいます。
 写真が迎えに来てくれたJAFトラックへ乗せられるボルボ。
 台自体が下まで降りてきて、簡単に納車。凄い。

 折角の家族旅行の予定が、、、どうなる?、ボルボはどうしたんだ?

 ショックを隠せないまま、レッカー車へ同乗。
 気さくな同年輩のおじさんで、ずっと話をしていくと、思わぬ共通点があり楽しい。
 息子が網走の大学に通っていて、盛り上がり。
 実家が同じ埼玉で、盛り上がり。
 息子がなぜか自衛隊の戦車乗りであることで、盛り上がり。
 ボルボへ車を預け、代車を用意してもらう。
 父:「原因がわかったら連絡ください」
 代車で海と共に、箱根を目指します。
 海は風邪をひいたらしく、喉がガラガラです。
 大丈夫なのか、家族旅行?

 この時点で15時、箱根を上り、ママそらと合流したのが、16時すぎ。
 観光する元気もなく、そのまま旅館へ。
 旅館はママは予約した、よい旅館です。
 箱根仙石原 料亭旅館 いちい亭  全体で6部屋しかなく、凄く各部屋が広い、12畳と8畳、露天風呂付き。
 朝のトラブルもすっかり飛んで、海以外はテンションが上がります。
 そら:「トランプやろうよ」
 いいよ。
 そら:「じゃあ、トランプ買ってきて」いやだよ、近くにそんな店なかったじゃん。
 トランプはできないが、気持ち良い旅館と温泉とおいしいお酒とおいしいご飯が食べられ、いいじゃん家族旅行。
 「明日は何する?」
 「大涌谷で温泉タマゴ」「ポーラ美術館のランチ」とか「三島のスカイウォーク」楽しそうじゃん、おやすみ。
 4人並んで就寝。

 目覚めるとそこは雪国であった。
 こんな事ってある?
 もう3月末、桜が咲き始めてるんだよ、春だよ、9年ぶりの家族旅行だよ、4人での旅行なんて最後かもしれないんだよ!
 旅館の人の情報では、スタットレス以外のお客様はマイカーは諦めてタクシーで帰る。
 確かにノーマルで帰れる感じがしない。
 ひとまず11時まで様子をみて考えましょう。
 ボルボから連絡あり要約すると:「コンピュータを入れ替えたら治ったが、原因は不明、修理するにも20万ほどかかる」
 次から次へと勘弁してよ!

 11時なっても依然と雪は小降りになっていない。
 喜んでいるのは、雪だるま作ってはしゃいでるブタさん、いや長女だけです。
 息子は調子悪そうに寝てます。
 父:「タクシーで帰ります、呼んでください」
 旅館:「雪がひどいのはこの仙石原だけみたいで、大道りまで出れば、あとは大丈夫みたいです」
 半信半疑でしたが、なら行ってみるか、最悪はまたJAF呼ぼう、レッカー慣れてるし。
 最後、出発前に家族写真、四人で写ってる写真なんて持ってないです、これ大事にします。
 因みに運転者は父です。
 慎重に進みます、確かに大道りまでは道に雪が積もっていたが、大道りに出てからは雪はなかった。
 それでも怖いです。
 誰も観光しようと言い出す雰囲気でなく、お土産だけ買って下山です。
 無事に三島まで下山できて、本当にほっとした。
 連日のレッカーとか笑いごとの域を超えてるからね。

 そのまま、海の新生活の買い物のため某ニトリへ。
 寝具、カーテンなど購入。
 この時点で15時くらい、家族旅行も終わりかと思うかもしれませが、終わりではないです。
 そのまま四人でボルボへ向かいます。

 父:「V70の修理に20万も出すなら、新しい車を買います」
 父:「私は名古屋だし、息子は静岡なので、乗るのはママとそらなので、ぶつけてもよいV40の中古を考えてます」
 ボルボ:「新車ですと、これが見積もりになります、約400万です、一度試乗してください」私の話を聞いてました?
 いったん、V40のディーゼルに四人で試乗(ママの運転)。
 ガソリン車よりは煩いとのことだったが、それほど気にならない、ママのほうがよっぽど煩い、燃費を考えたらありだな。
 車体の大きさもV70よりは小型なので、そらも運転しやすいだろう。

 父:「V40の中古車の情報ください」
 なん台か紹介を受ける。
 @7万キロ走行、190万、青。
 A50キロ走行、290万、白。
 B6千キロ走行、350万、紺。
 皆で検討する。
 ママ・そら:色を選びたい。
 中古と新車で50万〜100万しか違わない、中古だと色が選べない。
 そしたら新車になるじゃん。
 そら:「ぶつけない」絶対だな。
 新車のV40を契約しました。
 V40の話は、納車時(4/9)に詳細を報告します。
 ただ、二人が選んだ色(AmazonBlue)は、男の子チームからは「あの色はない」と不評でした。

 この話で終わりではなく、もう一つ話しておかなければならない話があります。
 V40を契約したということは、V70とはお別れです。
 まだ、レッカーされた時には荷物がたくさん載っていたので、皆で引き取りました。
 この家族旅行の時に故障した理由を考えてました。
 確かにこれを読んでる第三者は、折角の家族旅行で悲惨な家族だな、ついてないな、と思うかもしれませんが。
 実は凄く楽しかったのです、トラブルもケガをしたとか、事故を起こしたというものでなかったので、「こんなことある?」と家族四人で笑って切り抜けました。
 それもこれも、V70のおかげだと。
 ボルボ納車('05.04.21)から12年です。
 40歳を機に禁煙したら買ってよい。と許しをもらい、本当に念願のV70でした、歴代のV70の中でも絶品だと思ってます。
 家族で色々な場所に行ったことを、家族で話をしました。
 そんな機会を作ってくれたV70に本当に感謝です。
 最後に洗車できなくてごめんな。

 そんなことを考えながら、一人で名古屋へ向かい、長い家族旅行を終えました。

 ゴタゴタで話せなかった話をします。
 海さん、卒業おめでとうございます。
 社会人になり君のような性格の人は戦うのに苦労するだろうと心配しています。
 会社では言ったもん勝ち、騒いだもの勝ちという風潮があります。
 ただ、よい仕事を続けていけば、回りは見てくれています。
 自分の芯をもち、ぶれずに真摯に取り組んでください。
 陰ながら応援してます。

 そらさん、卒業おめでとうございます。
 君のお陰で楽しい旅行ができました。
 貴方には四年間の勉強する時間があります。
 何か一つテーマを持って取り組んでください。
 コツコツ続ければ社会に出てきっと役立つときがきます。
 まず、運転技術を上げてください。